奥村氏が改心されてしまっただろう日から数日。僕はと言えば、あれこれと身の回りのことに忙しくて気が付けば十月も二週目に入ろうかとしていた。
「校長先生の死にショックはあれど、文化祭は例年通り開催か」
それはあるいは秀尽学園というブランドをこれ以上貶めないようにという誰かの意思もあったのかもしれない。
だけどその忙しさに僕の気が紛れていることも確かだった。ここ数日は文化祭実行委員会を通してクラス、部活、有志の模擬店の割り振りや教室の手配、食事を提供する模擬店であれば食品衛生関連の手続き、その他であれば安全面に問題無いかの確認等々。一部は教師陣の仕事じゃないだろうかというものまで手を広げていたものだから、冗談抜きに放課後は走り回る羽目になっていた。
「ああ、副会長。模擬店の書類関係、ありがとね」
職員室に書類を届けに行けば、出迎えてくれたのは現国教師の川上先生。忙しくて疲れている様子ではあったものの、彼女の表情は疲れよりも充実感を強く感じるものだった。春先に蓮を迎えるという段ではどことなく無気力なところも見えていたのだけど、何か変わった出来事でもあったんだろうか。
「先生方も忙しいでしょうから僕に出来ることならある程度はやりますよ。それよりも川上先生は何だか楽しそう、というか充実してそうですね?」
「え、そうかしら? ……最近になって悩みの一つが解決したからかもしれないわね」
僕に言われて初めて気が付いたと言わんばかりの川上先生は、そう言って表情を緩めた。その視線は僕が手渡した書類の表面は撫でているだろうが、彼女の頭の中にあるのはここじゃないどこか、あるいは誰かのことのようだ。
川上先生にとって何か良いことがあり、それが川上先生の抱えていた諦めの原因を解決してくれたのだとしたら、今の彼女には以前よりも周囲を気遣う余裕があるかもしれない。
「そういえば川上先生のクラスは何をするんでしたっけ?」
「確か、メイドたこ焼き……だったかしら」
「ああ、そういえばそんな案を見た気がしますね」
メイドとたこ焼きに一体どういった関連はあるのか分からなかったけれど、生の海鮮を扱うのはハードルが高いと議論になった覚えがある。焼きそばとかもそうだけど、十月と言っても日中は気温も上がる。食中毒なんかが起こらないように出来るだけ生ものは避けて欲しいのだ。
「メイド服で粗方予算を使い切りそうな試算でしたけど、肝心のたこ焼きは大丈夫なんですかね?」
「……まあ最悪冷凍ものとかあるし、レンジさえあれば?」
文化祭らしく、各模擬店は売上を競うことになる。もちろんそれが各クラスの生徒達に分配される訳では無く、文化祭に使用した予算を一部補填する形で賄われるわけだけれども。それでも後夜祭で売り上げナンバーワン模擬店を発表したりと、割と盛り上がる面もあるのだ。
「メイドの一点賭けよね、これ」
「まあこういうのも文化祭の醍醐味と言えば醍醐味ですし」
自分達のやりたいことを、採算度外視でやる。それって意外と稀有な体験だと僕は思ったりするのだ。大人になれば、お金はあれど時間は無い。高校生という今だからこそ、学校の庇護下である程度の制限はあれどやりたい放題が出来る。
「本人達が楽しければ失敗も成功みたいなものですよね。無責任に失敗できるというか、そういうのって高校生の特権だと思います」
そうした失敗も楽しい思い出になる。取り返しのつく失敗を先に経験出来るという意味で、こうした文化祭という行事は意義深いものなんだろうと今になって思う。
大人になるにつれて失敗をしたくなくなるし、失敗することにネガティブになる。失敗を恐れるな、なんて人は言うけれど失敗したことを責めるのもまた人だ。
「……あなた本当に高校生よね?」
「一応高校生のつもりなんですが……」
気が付けば川上先生からジト目で見つめられていた。うん、自分でも高校生らしからぬことを言っていると思うんだけど、僕は別に年齢を偽ったりはしていない。
「そういえば、川上先生のクラスにいる転校生、雨宮さんは最近どうです?」
「雨宮さん?」
「ええ。編入初日に案内をしましたし、それからも話す機会が度々あったので気になってるんですよ。最近は忙しくてとんと話してませんから」
キョトンとした表情に変わった川上先生は、僕の言葉を聞いて合点がいったような表情になる。
「相変わらず細やかな気配りが絶えないわね。まあ私が見ている限りだと高巻さんや坂本君なんかとよく一緒にいるし、友達もできてそれなりに学校生活を過ごせてると思うわよ?」
「それなら良かったです。噂もあって本人も積極的に誤解を解こうと動くようなタイプじゃなさそうなので」
「私の方でも気を配ってるけれど、そもそもあなたのお陰で思った以上に彼女の評判は悪くなって無いわよ」
「僕の、ですか?」
川上先生にそう言われ、はて、僕が何かしただろうかと春からの自分の行いを振り返ってみたがあまり思い当たる節が無い。どちらかというと鴨志田先生の件しかり、彼女には助けてもらったことの方が印象深い。後考えられるとすれば彼女とたまに放課後に開いていた本の感想会くらいのものだ。
「あの副会長が信用しているんだからそう悪い人間じゃないって見方もあるみたいよ」
川上先生の言葉にいつから自分の信用はそこまで高くなったのかと首を傾げる。まあ何にせよ僕が彼女の役に立てているのなら良いことだと思ってはいるけれど。
「ま、今は噂以上に苦労することもあるっぽいけどね」
僕が首を捻っていると、そう言って意味ありげな視線を僕に投げかけてくる川上先生。川上先生の目が何を言わんとしているのかが分からないけれど、噂以上に苦労と言うとやはり怪盗団関連だろうか。ただ川上先生が把握しているならまた別のことだろう。
「噂以上の苦労、ですか。僕で助けになれることなら良いですけど……」
「……なるほどね。これはまた愚痴聞かされそうだなぁ」
僕の言葉を聞いた川上先生はため息と共に半眼になって僕を睨みつけてくる。おかしいな、蓮の近況をそれとなく聞こうと思っただけなのにどうして僕が悪いことを聞いたみたいになっているのだろうか。
とはいえ、川上先生が蓮の相談を受けるくらいになっていることに安心した。彼女の交友関係以外に、こうした大人の相談相手がいるということは間違いなく蓮にとっては助けになる。
僕は川上先生にお礼を言うと、職員室を後にした。少し早足になってしまったのは、決して川上先生のどこか呆れたような視線に居た堪れなさを覚えたからではないと誰に聞かれるでもない言い訳を内心並べ立てながら。
そして明くる日、その日も僕は生徒会の仕事だ何だと走り回っているうちに最終下校時刻になってしまった。
校門を出たところでポケットに入っていたスマホを見れば、そこにはメッセージの着信を知らせる通知が並んでいた。
「うーん、こういう四六時中誰かと繋がれるっていうのも良し悪しだと思うんだよな」
そう独り言ちながら、メッセージアプリを起動してみれば、目に入ったのは最近やり取りがかなり増えている冴さんからのメッセージだった。
『奥村社長が緊急記者会見を開くそうよ。テレビや動画サイトでの配信も予定されてる』
そのメッセージと共に添えられていたURLをタップすれば、動画サイトのページが立ち上がる。まだ配信は始まっていないのか、待機画面となっているそこには配信が始まるのを今か今かと待ち望む人たちのコメントが配信画面の右から左へと流れていた。
『緊急記者会見とは穏やかじゃないな』
『改心報告くるー?』
『怪盗団が今回も正義執行したか!?』
目につくコメントは概ねそんな内容のものばかり。やっぱりこういうのは性に合わないなんて思いながら、もうすぐ配信も始まりそうな時間だとスマホを片手に道の端に寄る。
「あ、副会長さん……どうしたんですか、こんなところで?」
その言葉にスマホに落としていた視線を上げてみれば、目の前には僕をキョトンとした顔で見つめている芳澤さんの姿があった。こんな時間まで残っているということは自主練でもしていたのだろうか。
「やあ、今日は遅いんだね。自主練かな?」
「はい。今日は少し一人で練習したい気分だったので。副会長さんはここで何を……?」
やはり僕の思った通り、芳澤さんは自主練で残っていたらしい。僕は彼女の疑問に対して手に持っていたスマホを見せて答えた。
「オクムラフーズの社長が緊急記者会見を開くって知人から教えてもらってさ。そろそろ始まる時間だから見ようと思って」
「オクムラフーズ……最近噂になっている?」
「そう。怪盗団のターゲットになったとか言われているね」
そう言われてこの記者会見が何故注目されているのか分かったのか、芳澤さんは「ご一緒しても良いですか?」という言葉と共に僕の隣に並んでスマホを覗きこんできた。
「動画サイトのURL送ろうか?」
「私のスマホ調子悪くて……途中で見られなくなるかもしれませんから」
そう言って彼女が見せてくれたスマホは、画面の端にヒビが入っていた。なるほど、そういうことなら画面が小さいのは申し訳ないけれど一緒に見ようかとスマホを構えれば、ちょうど会見が始まるところだった。
テレビでもよく見るような長机の上にズラリとマイクが並べられたところに、奥村氏が記者やテレビカメラを前に一人立っている。
「本日はお集まりいただきありがとうございます」
その言葉を皮切りに、奥村氏の会見はスタートした。
「本日は今、オクムラフーズ並びに私に関して噂になっている件につきまして、ご説明したいと思いこの場を設けさせて頂きました」
そう話す奥村氏の表情は、常の自信と自負に溢れたものではなく、何かに怯えるようなもの。けれどそれでいて、この場からは逃げまいと歯を食い縛っているようだった。
「ネット等における噂につきましては、概ね事実であります。私は社員に対して過酷な労働を強い、本来果たすべき社員のケアを怠って参りました」
「また、食材の衛生管理についても利益追求のあまりずさんとなり、それらを企業ぐるみで隠ぺいしようとまでいたしました」
大変、申し訳ございませんでした。その言葉と共に頭を下げた奥村氏に向けて、夥しい量のフラッシュが焚かれる。
「それらの隠ぺいは奥村社長の指示で行われたということですか?」
そして記者団から投げかけられる質問。それに頭を上げた奥村氏は、コクリと頷いて肯定した。
「はい、私の指示で行ったものとなります。反対する社員や幹部の意見を無視し、私の独断で行いました」
「近年、オクムラフーズでは病気を理由とした退職が急増していました。その中にはオクムラフーズの海外出店に反対してきた役員等、社長とは対立する意見を持った人が多いとのことですが、これについても社長の指示でしょうか?」
続く記者からの質問に、奥村氏は沈黙したかと思うと何かを躊躇うように視線をどこかに彷徨わせた。それから目を閉じて一度大きく息を吸って呼吸を整えると、質問をしてきた記者に視線を向けた。
「それについては、私から説明させて頂きたいことがあります」
その言葉に続く内容を予想出来た者がいるとすれば、それは奥村氏の秘密を握る者だけだろう。怪盗団、僕、冴さん、そして奥村氏と裏で繋がる者達。これから奥村氏が語ろうとする内容は、奥村氏と裏で繋がる人間を明るみに引き摺り出そうとするもの。
「実は……」
そしてそんな行為を、裏にいる者が許すだろうか。
「……っ!? ぐっ、あぁっ……!」
口を開いた瞬間、奥村氏の顔色が変わる。それと共に胸を抑え、机に手を突いて苦悶の声を上げ始めた。
周囲の人間が騒めき、傍に控えていたオクムラフーズの社員が心配して奥村氏に近づこうと動き出した瞬間。
奥村氏の身体はぐらりと傾くと、机の奥に倒れていった。
オクムラフーズの社員そして記者達が「奥村社長!」と口々に叫びながら、それでも尚カメラのフラッシュが焚かれ続ける中、配信画面は待機中を示すものへと切り替わった。
『え、何……?』
『倒れた?』
『なんかおかしくね?』
『もしかして死んだ?』
『倒れただけか?』
画面は困惑のコメントで埋め尽くされる。
「ふ、副会長さん、これって……」
隣で配信を見ていた芳澤さんも驚きに目を見開きながら呟く。
「配信を見てる限りじゃ確実なことは言えないよ」
待機状態になってしまった配信画面に流れるコメント見つめながら、僕は自分にも言い聞かせるようにそう答えた。奥村氏は胸を抑え、苦しそうな表情をしたまま机の向こうに倒れていった。確かに最悪の想像をしてしまいそうになるけれど、最悪の事態が確定したわけじゃない。
こうなることが予想出来なかったわけじゃない。むしろ怪盗団による改心が成ってしまった以上、高い確率で起こることだと考えていた。
さて、罠に掛けられたのは一体