仕事が悪い
随分と長い間、奥村氏からは何の反応も無かった。それもそうだ。唐突に怪盗団どころか精神暴走のターゲットにされていることを告げられたのだから。
ましてや怪盗団から予告状を受けている最中にそれを言われてどうしろと思われても仕方ないだろう。だけど、奥村氏には聞いておいてもらいたかった。それがこれから先必要になるはずだから。何より、奥村氏は僕の言ったことの意味を、重みを理解しているだろうから。
「奥村社長。突然何を言っているのかと思われるかもしれませんが、今のあなたはとても危うい立ち位置にいます」
扉の向こうで沈黙を保ったままの奥村氏に向けて、僕は言葉を続けた。
奥村氏は怪盗団のターゲットにされている。その上、世間ではオクムラフーズの黒い噂が広まっており、怪盗団の注目度が上がるにつれてワイドショーでも取り上げられる頻度が増えてきた。
奥村氏が精神暴走事件を自身の利になるように利用していたかどうかは定かではない。けれど、冴さんが調査した限りではオクムラフーズの躍進の影には精神暴走事件の影響が大なり小なり存在していた。
であれば、もし精神暴走事件とオクムラフーズが繋がっていたとすれば。今の注目度が上がったオクムラフーズと繋がりを持ち続けることのリスクを相手はどう判断するだろうか。しかも奥村氏は都合の良いことに怪盗団のターゲットにもなっている。同じく手口が不明の怪盗団の改心に合わせ、精神暴走を引き起こすことが出来れば、今までの自分の罪もまとめて怪盗団に擦り付けることまで可能だ。
「だけど僕はそんなことさせません。その為に、今これをお教えしました」
知っておいて欲しかった。それがどれだけ役に立つのかは分からないけれど。認知の世界があるとして、それがその認知の主の気の持ちようで変容するのであれば、警戒心を持つことはいくらかでも奥村氏を助けることに繋がると信じたかった。
「僕がお伝えしたいことはこれだけです。怪盗団らしき怪しい人間は見つけられていませんが、警戒は続けます」
僕はそう言うと扉に背を向ける。こんなことを言っておいて、僕は怪盗団を捕まえる気は無い。奥村氏を騙しているようで良い気がしないけれど、それも彼との契約だ。
奥村氏は改心させられてしまう。それは防ぎようが無いだろう。だからこそ、その後に起こるであろう最悪の事態は防がないといけない。
僕が冴さんのいる応接室に戻ろうと足を踏み出したところで、背後で扉の開く音が聞こえた。振り返ってみれば、僅かに開いた扉の隙間から、奥村氏の顔が少し覗いている。
「奥村社長……?」
「……入りたまえ」
僕の知る奥村氏とは似ても似つかない沈んだ表情。僕がおずおずと話しかければ、奥村氏は扉をまた少し開いて僕を中に招き入れようとする。
それに従って奥村氏の書斎に足を踏み入れた僕は、壁一面に並べられた数々の本に目を奪われた。
日本、海外どころか時代を問わず集められた本。経営にまつわる物以外にも、ジャンル問わずに蒐集されたそれらは奥村氏の勤勉さを物語っているだろう。
「この部屋に人を招くのは随分と久しぶりだ」
書き物机に備えられた革張りの椅子に腰かけた奥村氏は、深いため息を吐く。
「憑き物が落ちたような気分だよ」
奥村氏はそう言うと、机の引き出しの中から一冊の雑誌を取り出した。それは何度も開かれて折り癖がつき、あまり質の良くないであろう紙に印刷された色は日に当たって褪せてしまっていた。
「鍵付きの引き出しの一番奥にしまって、今の今まで思い出すことすら無かった」
懐かしそうに、愛おしそうに雑誌の表紙を撫でる奥村氏を見れば、それだけその雑誌が彼にとって思い入れのあるものだということが分かる。
その雑誌は、随分と古いホビー雑誌だ。当時のプラモデルやガレージキットを特集したもの。表紙には、その当時人気であっただろうプラモデルのイラストが大きく描かれている。
「子どもの頃、私が唯一手に出来た娯楽は祖父の店に来た客が忘れて帰ったこの雑誌一冊っきりだった」
中身を穴が開くかと思うほど眺め続け、今は開かなくとも内容を一字一句思い出せるほど。
「捨てたと思っていたのだがな。父からオクムラフーズを継いだその時に。今更思い出すとは」
その言葉に、僕は奥村氏が怪盗団によって改心させられたのだと思い至った。だからなのだろう、あれほどまでに強く滲んでいた奥村氏のオクムラフーズへの、自身の栄達への執着が消え失せてしまっているのは。
「その雑誌が、奥村社長の原点ですか?」
「原点、そうかもしれんな。人情経営の祖父が拵えた借金。それを返すことに父は終始することになった。想像出来るか? 借金取りというのはな、本当にどんなものでも持って行くんだ。金目のものならどんなものでも」
机も、布団も何もかもを持って行かれたこともあった。畳しかない部屋で寝ることになったとも話す奥村氏。
「そんな環境で、最後まで私を支えてくれたのはこの雑誌だった。この表紙のプラモデルが欲しくて堪らなかった……」
丸いUFOのプラモデル。表紙に描かれたそのイラストを愛おしそうに指でなぞりながら、しかし奥村氏の表情は痛みを堪えるようなものだった。
「誰も想像出来んだろうな。学校に行って、貧乏人と蔑まれる悔しさを。家で食べる物が無いからと、水で腹を膨らませて、駄菓子屋の前に捨てられたアイスの棒を持って帰る惨めさを。欲しくて堪らなかったプラモデルを、同級生が自慢していたそれを指をくわえて眺めるしか出来なかった悲しさを」
自身の幼少期を振り返る奥村氏は、僕に向かって語り掛けているというよりも自身の中からどうしようもなく零れてくるものを僕に聞き取らせようとしているみたいだった。
「知っているかね。オクムラフーズの二代目、私の父はどうして死んだか」
過労死だよ。
奥村氏は淡々と事実だけを述べるように話し続けた。
「祖父の遺した借金を返すため、一人がむしゃらに働いた。父に休日にどこかに連れて行ってもらった思い出など私には無かったよ」
そうして父から譲り受けたオクムラフーズを、奥村氏は持てる力を使って会社を大きくしようと心に決めたという。
祖父の代に受けた屈辱、父の代で舐めた辛酸は、いつしかビジネスの世界には敵か利用するべき者しかいないという考え方を奥村氏の中に根付かせた。
「舐められないように教養を身に付けた。家だって大きくした、相応しい生活を送る努力を欠かさなかった。その結果、私は人として当たり前のものを失くしていったらしい……。人をモノ扱いし、使い捨てるようになった。あの日、憎いと思った借金取りのように、金になると思えば何でもするようになった」
そう語りながら、奥村氏の頬には一筋の涙が流れていた。確かに奥村氏は従業員を人とも思わぬ扱いをしたのだろう、実の娘すら、自らの栄達のための足掛かりとして利用しようとすら考えた。肥大した欲望に、我を忘れてしまったところがあるのだろう。
でも、だからと言って奥村氏の全てが否定されるべきではないと僕は思う。奥村氏のかつて目指した理想は、そのために自身が費やした犠牲は少なくとも否定されてはいけないと、僕は思ってしまった。
「あんな惨めな思いをもうしたくない。家族にだってさせてなるものか。そう、思っていたはずなのだがなぁ……」
それは僕が古い人間だからなんだろう。苦しみに耐え忍び、僅かな喜びを糧として生きることを美徳と刷り込まれた記憶が、擦り切れて朧げにすら思い出せなくなっても、僕の中には価値観として根付いてしまっていた。
そして同時に、今の人生で積み重ねてきたものも確かにあって。それは僕の中で矛盾を孕みながら、奇妙な共存関係を築いている。
「奥村社長。僕には、あなたの罪を許すことは出来ません。そんな権利も、資格も無い」
僕は所詮は傍観者だ。だから、僕に言えることは鴨志田先生の時と同じことだけ。
「そんな僕の言葉は、薄っぺらくて、上辺だけの正論で、聞いていて恥ずかしくなるようなことだと思うんです」
だけど、言葉にしないといけないと思ってしまった。これから、奥村氏はこれまで彼が踏みつけてきた者以上の人々に踏み躙られることになる。
中には奥村氏の被害者だっている。だけど、それだけじゃない。
目に見えない正義の名を冠した悪意。
善意の皮を被った暴力。
無垢を装って石を投げるその正体は、思考することを止めた大衆だ。
法理が奥村氏を裁くのを待たずして、感情が奥村氏を裁こうとする。それに晒され続けた人間はどうなるだろう。
考えることを止め、ただ大衆の言うような醜悪な怪物が自分であると、それ以外の自分はあり得ないと思い込んでしまうんじゃないだろうか。
僕は奥村氏にも、鴨志田先生にもそうなって欲しくなかった。
「今の気持ちを持ったまま、あなたなりの償いを考え続けてくれたら僕は嬉しい。あなたの歩んできた道の全てを否定する権利は誰にだって無い。だから、どうか」
負けないで欲しい。
僕がいつしか奥村氏の顔を正面から覗き込むようにして、彼と目を合わせていた。涙が頬を伝うまま、彼は僕を目を丸くして見つめている。
しばしの沈黙の後、奥村氏は何故か苦笑を浮かべていた。
「どうして、私よりも君の方が辛そうな顔をしているのかね」
「そんな顔をしていましたか。すみません」
僕は奥村氏に言われて初めて、爪が掌に跡を残すくらい強く拳を握り締めていたことに気付いた。
何故だろうか、僕は改心をしてしまった人を前にすると、いつも以上に冷静でいられなくなるのかもしれない。
「それに、私は君の言う通り遠からず始末されるだろう」
「させません」
奥村氏が諦めたように言った言葉を、僕はすぐさま否定した。僕が口にしたその未来を、僕は易々と実現させるつもりは無い。
それどころか、改心直後の精神的に弱っている奥村氏にだからこそ、言い方は悪いがつけ込む隙がある。僕がやろうとしていることに、奥村氏を巻き込めるタイミングがあるとすれば今しかない。
「確かに危険です。精神暴走のターゲットになってもおかしくないとも言いました。だけど、そんなことにはしない。させませんよ」
「そうは言っても……」
「今だからこそ、僕はあなたに改めて言いたい。僕を助けてください」
「……ふう」
「話は終わったかしら?」
「ッ!? 冴さん、気配が無かったので驚きましたよ……」
奥村氏との話を終え、部屋を出て扉を閉めたところで、僕は冴さんに気付いた。彼女が気配を消していたというよりも、僕が彼女のことに気付かないくらいに気が散っていたということかもしれないけれど。
「話し声がしたから中に入るのは遠慮したわ。盗み聞きもしてない」
「冴さんがそんなことをするなんて僕は疑ってませんよ」
僕の言葉を聞いた冴さんは、けれどどこか疑り深い目で僕を見ていた。
「ええ、私とあなたはきちんと情報共有をしている。なのに怪盗団の正体については教えてくれないのね」
「僕は怪盗団の味方では無いですが、怪盗団をしている人間の個人的な友人ではあるんです」
「だからその人間の為にここまで危ない橋を渡ろうとするの?」
「前も言いましたが、それだけの為じゃないですけどね」
「……そうね、短い付き合いだけれど私にもあなたという人間が少しは分かってきたわ」
冴さんはどこか不機嫌そうな様子を隠すつもりも無いのか、そのまま背を向けて応接室へと歩き出した。
その背を追うように僕も歩を進めるが、冴さんはこちらに視線を向けることは無かった。
「冴さん、この後はお任せしても?」
「ええ、当然よ。ここまでしてくれたんだもの。私だって応えないといけないわ。既に検察内で私の味方になってくれそうな人間に声は掛けてある。どこまで敵の中で味方を増やせるか。以前あなたが言った通りになったわね」
「偶々ですよ。備えあれば、とも言うじゃないですか。冴さんが子どもの戯言だと一蹴しなかったおかげです」
応接室に戻った僕達は、そのまま荷物を纏める。これ以上ここにいても僕達に出来ることは無い。
転がり始めてしまったのだから、後はなるようになるだけだ。今の僕達に出来ることは可能な限りやった、はずだ。
「事が起こればすぐに敵は動くわよ。そしてその時、あなたは私と連絡が出来ない状態になる」
「大丈夫だと信じてます。僕が知る友人達は、強くて賢い人間だと。僕や、冴さんが考えた以上の結果をもしかすると引き出すかもしれない」
「……だと良いのだけれどね」
やはり少し機嫌が傾いたままの彼女と話しながら、奥村氏の邸宅を出ようと扉に手を掛けたところで先に誰かが扉の向こう側で開いたらしい。僕の手は空を切り、その視界には柔らかな茶髪がふわりと揺れた。
「……副会長?」
「……やあ、奥村さん。奇遇、と言うにはいささか不似合いな場所かもね」
僕と冴さんの前にいたのは奥村氏の一人娘、奥村春。彼女は目を丸くして僕と冴さんを交互に見ていた。
「一体どうして……」
「あなたのお父上から依頼されたの。怪盗団に狙われているから警戒してくれ、と」
結局大した成果も無いまま帰ることになったけれど、と奥村さんの疑問を半ば食うように冴さんが告げる。
「行くわよ、海藤君」
「あ、はい」
これ以上は話すつもりも無いと雰囲気で語る冴さんに促され、僕は奥村さんの横を通り過ぎる。
「海藤君! 家で何を……」
「ごめんね、奥村さん。冴さんの仕事を手伝っている以上、話せないこともあるからさ」
その際、奥村さんにそう呼び止められたけれど、僕はごめんと手でジェスチャーしながら彼女に返す。
少し前にいる冴さんが話すなと言わんばかりにこちらを胡乱な目で見ていることもある手前、今は奥村さんには何も説明が出来なさそうだ。
ウルト兎 様よりファンアートを頂きました!
【挿絵表示】
主人公のイメージを組み込んだ作品の扉絵です。「Life is beautiful」主人公の言いそうな言葉だと思いつつ、背景が黒と黄の警戒色で触るな危険と言っているようで笑いました。
ありがとうございます!