翌日、僕は放課後になると冴さんからの連絡を受けて再び奥村氏の自宅へとやって来ていた。
「奥村社長は今日の予定をキャンセルして書斎に籠るそうよ」
昨日と同じ応接室に通された僕を待っていたのは冴さん一人だけだった。ソファに腰を下ろし、腕を組んで持ち込んだであろうノートパソコンの画面を睨みつけていた。
「こんなことをしたところで、改心を防げるとは思わないけど」
「それを知っているのは怪盗団と僕達、後は僕達の敵くらいですよ」
認知世界に侵入し、その世界を改変することによって改心ないしは精神暴走を引き起こす。そんな荒唐無稽な話、真面目に信じている人間がいるとすればまず病院を勧められることだろう。そう言いながら冴さんの向かいに座ると、肩に掛けた鞄を床に下ろした。
「それもそうなんだけど」
恐らく奥村氏に呼び出されてこの場にいるのであろう冴さんは、小さく息を吐いたかと思うとキーボードの上で指を躍らせる。
「けれどこれではっきりしたわ。奥村社長は精神暴走事件の犯人と深い関係は無い。あっても精々が代理人を介して依頼した程度の浅い関係よ」
「そうですね。もし本当に認知世界に関する知識を持っていたのだとすれば、もっと有効な対抗策を講じるでしょう」
それをせず、僕と冴さんを呼び出した。それはつまり、奥村氏は認知世界の存在を知らないということ。
「あるいは、私達の持っている情報を探ろうとしてカマをかけている、とかね」
「奥村氏がそこまで迂遠な手を使いますかね? さっさと脅迫でも何でもして聞き出そうとすると思いますけど」
冴さんはキーボードを叩きながら、僕は文庫本に目を通しながら、互いの思考を整理するように言葉を交わす。
「怪盗団の改心は予告状を出した翌日、とすれば今日中に奥村社長は何らかの変調をきたすはず」
「そのタイミングが深夜、とかでないことを祈ります」
「犯行現場はどこになると思う?」
「少なくともこの家に怪盗団が現れることは無いと思いますね」
それならば鴨志田先生や斑目はともかく、金城の自宅まで怪盗団は突き止めている必要があるはずだ。
認知世界はあくまでその人が世界をどのように捉えているかを表す世界。であるならば、その起点は必ずしもその人が現実世界で居る場所でなくとも良いはずだ。
もちろん、その人にとってゆかりのある場所である必要はあるだろうが。
「奥村氏にとって思い入れのある場所、認知の中心と言って良い場所が怪しいかと」
「認知の中心……」
僕の言葉に、冴さんはキーボードを叩く手を止め、顎に手を添えて考え込む。僕も本を閉じると、昨日の奥村氏との会話を思い返す。
彼は一体何に対して執着を示していただろうか。彼との会話、特に別れ際のそれを思い出してみれば、何となく思い当たるものがあった。
「「オクムラフーズ」」
僕と冴さんの声が自然と重なる。
「そうね、奥村社長は自身が会社を大きくしてきたという強烈なプライドがあったわ」
「身を粉にして会社に尽くすことを当然と考え、他者もそうあるべきと考える。それほど自分の会社に、仕事に執着している証拠です」
ノートパソコンから顔を上げた冴さんと目が合った。それは言外に僕に問い掛けていた。
今、オクムラフーズに向かえば怪盗団を捕らえられる?
僕はそれに対して目を伏せて首を横に振って答えた。それは彼との取引に反することになるし、冴さんに預けた切り札の効力も減じてしまう。そもそも怪盗団が奥村氏をターゲットにすることを防げなかった時点で、初戦は僕の負けなのだ。
僕が首を振るのを見た冴さんは、何か言いたげに口を開いたかと思うと、唇を固く引き結び黙り込んでしまった。彼女が何を言おうとしたのか、僕はなんとなく察していた。
「危ない橋を渡っているのは僕だけじゃありませんよ」
「……もっと早くにあなたを捜査から外しておくべきだったわね」
「むしろ目の届くところにいた方が安心しません?」
「自覚しているのが尚更悪いのよ。……切り札と言ったのは嘘じゃ無いし、そんなに軽い言葉でも無いわ」
「その信頼に応えるために、今は信じてもらいたいですね」
「そういうことじゃないのだけど?」
少し怒ったような色を滲ませるその言葉を聞くと、やっぱり冴さんと真は姉妹なんだとこんな時にもかかわらず暢気な考えが頭を過った。背筋が思わずピンと伸びてしまいそうな迫力なんてそっくりだ。
彼女が僕のことを心配してくれているのは明らかだけれど、それでも僕の話に乗ってくれている。その信頼の重みを噛みしめながら、僕は立ち上がると応接室の扉に手を掛ける。
「奥村社長のところに行くの?」
「部屋に入れてもらえるかは分かりませんけどね」
「書斎は突き当りの部屋よ」
冴さんはそれだけ言うと、再びノートパソコンへと視線を戻す。僕も応接室の扉を閉め、冴さんに言われた通りに廊下の奥の扉に向かう。
奥村氏が僕を部屋に入れてくれるかは分からない。怪しい人間がいないか見ていろと言われるのが関の山かもしれないけれど、扉越しでも良いので奥村氏ともう一度声を交わしたかったのだ。
閉ざされた扉の前に立ち、ノックをする。乾いた音が響き、少しの沈黙が漂った。
「……誰だ」
「海藤です。冴さんに呼ばれて来ました」
「何の用だ。怪盗団を捕まえでもしたか?」
「いえ、申し訳ないですがそれはまだです。怪盗団の手口も分からないので、様子が変わったところが無いか少し確認したいと思いまして」
「何も変わりは無い。さっさと怪盗団の手掛かりでも見つけてこい! 何のためにお前達を呼んだと思っている!」
僕の言葉に扉越しに語気も荒く返した奥村氏は、それっきり沈黙を貫いた。扉の向こうから感じられる気配は荒れていて、やはり会話は望むべくも無いか。
怪盗団に改心させられてしまうかもしれない、そのことに対して奥村氏は表面上はイタズラだという態度を崩しはしなかった。くだらないと、馬鹿馬鹿しい脅迫だと切って捨てていた。
しかし、今は書斎に閉じ籠り、誰であろうと近づけまいとする意思を感じる。警戒心か、恐れか、恐れだとすればその源泉は何か。手口の分からぬ怪盗団の改心を、どうして奥村氏は心の底では警戒しているのか。
「奥村社長、これは僕のただの独り言です」
扉越しに奥村氏に話しかける。
「怪盗団の手口は分かりませんが、ここ最近怪盗団と同じように世間を賑わせている精神暴走事件には共通点がある」
どちらもある日突然、人が変わったような行動を取る。方や自身のこれまでの行為を悔いる改心、方や凶行に及ぶ精神暴走。
その共通点は、見ようによっては二つの事件が同一犯によるものだと思える。
「何が言いたい」
扉の向こうから奥村氏の怪訝な声が聞こえてくる。その言葉に、一度僕も息を吸って吐く。
「奥村社長。あなたは改心ではなく精神暴走のターゲットにされてしまう可能性があるんじゃないかと、僕は思っています」
「会社の繁栄のために人生を懸けて尽くしてきた! 権利ばかり主張して利益を生まない無能共の分までな!」
「無能が利益を生むには人よりも過酷に働くことくらいしかない!」
黒い宇宙服に、裏地赤いマントを身に纏った奥村のシャドウは、怪盗団を前にしてそう言い放った。
「ふ、っざけんな! だからって人をロボットみたいに使い潰そうなんておかしいだろうが!」
シャドウ奥村の言葉に激昂を露にしたのは竜司。この直前に、降参したフリをして春を騙し討ちしたことも相まって竜司のシャドウ奥村を睨み付ける目には怒りが燃えている。
怪盗団の他の面々も、自身のペルソナを宿した仮面の奥に怒りを漲らせていた。
「おかしい? 誰よりも努力を重ねてきた者が報われぬ方がおかしいだろう!」
「ええ、その通りです。お父様」
宇宙服のヘルメットバイザーの奥からシャドウ奥村の怒声が響く。奥村の認知上の春がシャドウ奥村の隣で機械のように抑揚の無い声でそれに同調した。
その様子は、実の娘ですら自身の権勢を増すための都合の良い道具と認知していることを如実に示している。
「誰も彼も、他人のことなど利用する存在としか思っていない! ならば私も同じように利用して何が悪い!」
「そんなこと無い! お父様がそう思い込んでいるから、他の人もそう見えてしまってるだけです!」
シャドウ奥村の言葉を、春が否定する。どうにかして父に自身を見つめ直してほしい。怪盗団によって改心される前に、言葉を交わすことによってこれまでの自分を悔い改めてほしいという春の思いは、しかし今のシャドウ奥村には届かない。
「ふん、奥村家を裏切った者の言葉など聞く価値もない。それにこの私が何の対策もしていないとでも思ったか!」
その言葉と共にシャドウ奥村が次に取った行動は、怪盗団の神経を更に逆撫でするものだった。
認知上の春と同じく、シャドウ奥村の隣に並ぶように二人の人物が現れる。一人は黒いスーツに身を包んだ麗人。もう一人は怪盗団が見慣れた秀尽学園の制服に身を包んだ男子生徒。
「なっ!?」
「嘘でしょ!?」
竜司と杏が真っ先に驚きに声を上げる。
「なんでお姉ちゃんが……!? それに……」
「あれも認知存在、のはず」
「でもどうして……!」
驚きに目を瞪る真と、赤いゴーグル越しに唐突に現れた二人を観察し、その正体を看破しようとする双葉。そして自身の父と現れた人物の繋がりが読めず、困惑する春。
「まさかここでも会うとはな」
「落ち着け、オマエら! アイツが敵と繋がってるかもしれない、そういう想定だってしてたハズだろ!」
比較的冷静に事態を受け止められているのは祐介とモルガナの二人。モルガナは驚きに身を固くする怪盗団の面々を叱咤し、警戒するようにパチンコを構えている。
「……どうしてあなたがそこにいるの」
そして怪盗団の先頭に立つリーダー、蓮が驚きを飲み下し、そう問いかける。
「どうやらこの世界での僕の役割はこういうものらしい。これは誤解しないで欲しい、と言っても難しいよね」
怪盗団の全員が見つめる先、そこに立つ男子生徒は現実世界と何ら変わり無い様子で言葉を紡ぐ。
「君達が君達の思惑で動くように、現実世界の僕にも思惑はある。それを教えて上げられないのは申し訳ないけれどね」
ごめんね、と言いながら苦笑するその顔は、あまりにもいつも通り過ぎて。周囲がSFチックな宇宙基地であり、自分達の頭上にシャドウ奥村が乗り込んで逃亡するはずだったUFOが鎮座しているという状況でなければ、ここが現実世界だと錯覚してしまいそうなほどだった。
「あなたは私達の敵じゃない、そう言ったのはあなた自身」
「そうだね。この世界に来るにはこの世界での役割が必要だった。その役割ゆえに君達の前に立っている。ただ気にしないでほしい。ここで僕がどうなろうと、現実世界の僕には影響が無いのは確かだから」
そう言われるものの、怪盗団の、特に一部のメンバーの戦意は彼らが現れる前よりも確実に削がれてしまっていた。それは彼が明らかに他の認知存在とは一線を画す存在であったから。もちろんそれだけが理由というわけでも無かったが。
「貴様らを捕まえるために私が用意した策だ。薄汚い鼠が私に触れられると思うな!」
マントをばさりと翻し、シャドウ奥村は支えもなく地面から一定の高さに浮かんだ豪華な椅子に腰かける。それと共にどこからともなく4台のエレベーターが現れた。その白い扉には平社員と書かれており、中からはシャドウ奥村が認知するオクムラフーズの社員、ロボット兵が姿を現した。
それを目にした怪盗団が慌てて戦闘態勢を取る。
「僕が言えたことじゃないけれど、心した方が良い。君たちが今回狙うターゲットは、これまで以上に厄介だ」
「……ここを出たら現実のあなたにもう一度事情を聞かせてもらう、徹」
怪盗団と相対する位置にいながら、怪盗団を気遣うような言葉まで掛けてみせる認知存在の徹。そんな彼に蓮は低い声でそう言いながら、自身の顔、鼻から上を覆う仮面に手を掛けた。
「ある意味ちょうど良い機会かもしれないね、君達の力を実際に目にすることが出来るんだから」
「「「「ペルソナァ!」」」」
認知存在の徹が吐く意味深な言葉を掻き消すように、怪盗団の声が響いた。