「怪盗団に私が狙われる可能性がある、と?」
「はい。これまでの傾向からしてその可能性は高いかと」
週末、再び冴さんに呼び出された僕はあれよあれよと言う間に車に乗せられた僕は、今こうしてどこか呆れたような顔で僕と冴さんを見る眼鏡を掛けた男性の前にいた。彼の顔を見て、僕はここに来る前の「なんとかアポを取れたわ」という冴さんの言葉の意味がようやく理解出来たのだった。
「こんな誰が作ったともしれん馬鹿げたサイトのランキングがそこまで強い根拠になるとでも? まったく、馬鹿馬鹿しい」
冴さんの説明を聞き終えた男性、奥村邦和の第一声はそれだった。奥村氏の自宅と思われる閑静な住宅街に佇む豪邸。その一室に通された僕と冴さんは、上等な革張りのソファーに腰掛け、机を挟んでこちらを半ば睨みつけるような奥村氏と向かい合っていた。
「検察庁から改心事件に関する重要な案件だからと時間を割いたのに、それがこのお粗末な調査結果かね」
「怪盗団に関して今現在、もっとも捜査が進んでいると言えるのは私達であると自負しています」
「そうであれば警察も検察も職務怠慢と言うしかないな」
眼鏡の奥から厳しい目をこちらに向ける奥村氏の口調は刺々しい。
「それに横に連れているのは何だ? えらく若い助手を連れて」
「彼はあの高校生探偵、明智吾郎の助手です。多忙な明智君に代わって調査に協力してもらっています」
冴さんは僕を手で示しながらそう紹介する。今はもう連絡を取ることすら出来ていないが、明智君の弟子という対外的な立場は未だに有効だ。僕は笑みを浮かべて奥村氏に向かって頭を下げた。
「……あの探偵王子の」
「海藤徹といいます」
明智君の名前が出た瞬間、奥村氏の眉が微かにピクリと動いた。それの意味するところは、恐らく様々だろう。
とはいえ、その様子もすぐさま鳴りを潜め、再び奥村氏の表情は険しいものとなる。
「検察も余程人手不足ということか、学生にまで頼るとは」
オクムラフーズという大企業を率いる社長だけあり、奥村氏の醸し出す迫力は相当なものだ。学校の先生などとは比べ物にならない、ともすれば、ついこの前に受けた取り調べを彷彿とさせるほど。僕は背筋が自然と伸びるのを感じた。
「どう言われようと、彼の調査能力、推理は今回の捜査において非常に助けになったのは事実です」
そんな奥村氏にも怯む様子を見せず、冴さんは淡々と机の上に資料を並べながら話を進める。
「怪盗団は少なくともこのサイトの情報を閲覧している。私達はそう考えています。少しお話しさせて頂いても?」
冴さんがそう言うと、奥村氏は憮然とした表情のままであるものの、続きを促すように顎をしゃくった。
それを見た冴さんがこちらに目配せをする。ここに来るまでは整えた。この先は僕にも働いてもらうということだろう。それを受けて僕は並べられた資料を奥村氏に向かって示し、口を開いた。
「このサイトの掲示板には日夜様々な書き込みがされています。その中にはストーカー等、警察に相談してもどうにもならず、藁にも縋るような思いで書かれたものもいくつか」
冴さんが用意してくれた資料は怪盗お助けチャンネルの掲示板に寄せられた書き込みをプリントアウトしたもの。
「そしてその書き込みがあってから数日後、投稿者が抱えていた問題が嘘のように解決したという書き込みがされています。それも複数」
「そんなもの、怪盗団が解決した証拠にはならんだろうに」
僕の説明に奥村氏がそう吐き捨てる。もちろんそう思うのも尤もだし、何も知らなければ僕だってそう考える。だけどそこで黙ってしまえば、この場を用意してくれた冴さんに申し訳が立たない。
「解決の報告があった書き込みで特徴的なことがあります。それは被害者が皆、東京在住だということ。怪盗団の知名度が上がるにつれて地方からの書き込みも増えていますが、それらに対しては目立った解決報告がありません」
更に言えば、怪盗団による改心事件は鴨志田事件をはじめ、斑目、金城とどれも首都圏で発生している。唯一メジエドのみはインターネット上での対決となったことから所在地を絞るヒントにはなり得なかったが、それでもこれまでの三件を鑑みれば、
「怪盗団は首都圏を拠点として活動しています。そしてこの掲示板の解決報告も首都圏、東京で発生したと思われるものが主に解決されている。たとえ直接の関係は無いとしても、何らかの繋がりはあると考えました」
「その程度であればニュースを追っていれば考えつくだろう。それに、こんなサイトは昨今溢れかえっているよ」
「このサイトが設立されたのは鴨志田事件が発生してから間もなくです」
そう言えば、奥村氏は閉口してこちらを値踏みするような目で見つめる。怪盗団の知名度が高くなったのは斑目事件、金城事件が終わってから。以降は怪盗団の情報を集める様々なサイトが開設されたし、SNSでも怪盗団の足取りを追う投稿は鰻登りに増えた。しかし、鴨志田事件直後は怪盗団のネームバリューは皆無。その存在を知っているのは事件の舞台となった秀尽学園の生徒くらいのもの。
「このサイトは怪盗団を利用して人を集める為のものじゃない。むしろその逆、怪盗団をより有名にするために開設されたサイトです。であればこのサイトがすることは怪盗団への改心ターゲット情報の提供」
ニュースになるような改心事件の裏で、この怪盗お助けチャンネルに投稿された悩みを怪盗団が解決していたとすれば、それは中々の件数になるだろう。そして怪盗団の改心によって実際に救われた者が、その周囲にそれを語って聞かせれば怪盗団の強固な支持基盤となる。
「サイト設立時期、投稿された悩みとその解決報告が他のSNSサイトよりも多いこと、か細い可能性ですが、それでも何のヒントも無い中である程度頼り出来るものはこれくらいです」
「……」
奥村氏は依然として難しい顔をしたままだったが、それでも僕の話を荒唐無稽と切って捨てるのではなく、顎に手を当てて何か思案しているようだった。オクムラフーズという会社は奥村氏が三代目社長として就任してから急速に飛躍した。
冴さんの調べで、その裏には精神暴走事件による競合の不祥事があったとしても、常人では見逃してしまいそうな些細な違和感やチャンスを見抜き、商圏を拡げてきた彼の能力は本物だ。
「馬鹿馬鹿しいのは変わらんが、こじつけにしてはまだ良く出来ている。学生にしては良く話せるものだ」
そんな奥村氏が一笑に付すこと無く、少なくとも頭の片隅に可能性を過らせた。そこまで持って行けただけで只の高校生としては大金星だろう。
これで自分はある程度の仕事は出来ましたかと隣の冴さんに目をやれば、冴さんもこちらを見て微かに、されど満足そうに頷いた。
「そんな怪盗団の情報源と思しきサイトで、ここ最近奥村社長を次のターゲットにと言う声が増えています」
冴さんが僕から説明を引き継ぐ。きっかけは冴さんが作ってくれた。僕はそれに乗っかって少し口先を回しただけだが、それでも多少は助けになっただろうか。
「この程度であれば毎日のように受けているがね」
「かもしれませんが、警戒するに越したことは無いかと。もしこれで思い過ごしであれば私達のことを無能だと宴席の話題にして頂ければ。怪盗団が心を盗もうとしていると大真面目な顔でふざけたことを検察が言って来たと」
「……」
怪訝な表情を隠そうともしないまま、それでも奥村氏は冴さんの言葉をすぐさま否定しなかった。それどころか、そのこめかみがピクリと僅かに反応を見せる。
「……は」
奥村氏は何を言おうとしたのだろうか。一度閉じられた彼の口がもう一度開こうとした瞬間、僕達のいる部屋にノックの音が飛び込んできた。その音に、奥村氏は顔を少し顰めると視線を僕達から逸らす。
「誰だ?」
「僕です。少しお話ししたいことがあります」
扉の向こうから聞こえたのは若い男の声。その声に、どこか引っ掛かるものがあった。
「少し失礼する」
男の声に奥村氏は腰を上げると扉へと向かう。奥村氏がこちらに背を向けたのを確認してから、冴さんが僕の肘を微かに小突いた。
「……食いつくかしら」
「どうでしょうね。不発に終わるかもしれません」
「不発に終わったなら当初の予定通りよ」
「そうならないことを祈ります」
そう言って机に落としていた視線をチラリと冴さんの方に向けてみれば、僕の予想に反して冴さんの表情は柔らかいものだった。
今日のこの場を設けてもらったのも、半ば僕のワガママのようなものだ。冴さんには要らぬ苦労を掛けたし、何より下げる必要のない頭を下げることになったことは想像に難くない。そうすることが、今の冴さんの立場では弱みになり得ることだと分かっていてなお、それを求めておいて成果を確約出来ない僕に対し、冴さんがそんな表情を向けるとは想像していなかった。
「損な性分ね。私を気遣う必要なんて無いでしょうに」
「要不要じゃないですよ。そうしたいってだけです」
横で冴さんが微かに肩を揺らして笑っているのが分かる。そんなに笑えるようなことを言っただろうか。
首を傾げそうになった僕のもとに、荒々しい足音が近づいてくるのが聞こえる。それに視線を上げてみれば、何やら見覚えのある白いスーツが目に入る。
「コイツ! コイツですよ奥村社長!」
「あなたは……」
座る僕を憎々し気に睨みつけていたのは、いつだったか路地で奥村さんと揉めていた男。
奥村さん、奥村春。思わず目の前の男をまじまじと見つめてしまった。どうして思いもしなかったんだろう。奥村春は奥村邦和の娘。婚約者なんて話が出てくるのも彼女がオクムラフーズの社長令嬢だからだ。どこか浮世離れしたフワフワとした印象を彼女に持っていたのは、本当にお嬢様だったからだ。
「コイツが春の男、海藤です!」
そして僕にとっては最悪なことに、怪盗団は奥村氏を改心させてしまうだろう。それは大衆の圧力もあるだろうがそれ以上の理由がある。
怪盗団は、いつだって目の前の困っている誰かの為に動いて来たのだから。
「結局、あの後はまともに話にならなかったわね。こっちの目的は達したから良いけど」
帰りの車の中、呆れたように冴さんは肩を竦めて言う。奥村さんの婚約者という男は、こちらの話を聞くこともせず、奥村氏に一方的に「これは裏切りだ」、「春はオレのもののはずでしょう」と言い募るばかりだった。僕が何を言おうと火に油を注ぐことになるとしか思えなかったので、冴さんになんとか取りなしてもらいながら奥村氏の自宅を後にすることになった。
「ところで、あの男の言っていたことは本当なの?」
「誤解ですよ。彼と奥村さんが揉めているところに通りかかったから仲裁しただけです。そしたら何故か彼氏と誤解されたんですよ」
「仲が良い人間でも無ければ喧嘩の仲裁をしようなんて思ったりしないもの。誤解されても仕方ないかもしれないわね」
「だからって知り合いが絡まれているのを無視するのはダメでしょう。それがここでこうして繋がるなんて思ってもみなかったですが」
僕はため息を吐いてシートに身体を沈める。それを横目に冴さんは少し微笑んだかと思うと、ドリンクホルダーに差し込まれていた未開封の缶コーヒーをこちらに差し出す。
「今日はありがとう。お礼、にしては安いけれど。今日のところはこれで」
「僕からお願いしたことですから。むしろ無理を言ってすみませんでした」
「構わないわ。あなたの為、と言いながら私にとっても有益だった」
缶コーヒーを手に取れば、ひんやりと冷たい。指先に微かに触れた温かさは冴さんの手だろうか。
「あなたは私の切り札よ。あなたのくれた情報、無駄にはしないわ」
「ええ、お願いします」
その言葉と共に車が目的地に着いたのか停止する。そこは渋谷駅の近く。僕はお礼を言うと扉を開ける。九月も半ばをとっくに過ぎたのに、まだまだ夕方は暑い。
「家まで送って行くわよ?」
「大丈夫です。ちょっと歩きたい気分なので」
冴さんの気遣いをやんわりと断って別れた後、冷えた缶コーヒーを片手にセントラル街を歩く。少し何も考えずに歩きたい気分だった。
怪盗団は奥村氏を改心させるだろう。そしてその先に、敵による罠が待っている。過熱する怪盗団人気は、反転してしまえば容易に苛烈な排斥に繋がる。
「……僕はどうしたいんだろうなぁ」
ふと口を衝いて出た言葉は益体も無い自問自答だった。怪盗団の味方だと嘯きながら、こうして彼らの邪魔をしようとしている。それは僕にとって譲れないものの為であるはずで。
「オイ」
僕の取り留めの無い思考は、無遠慮な声によって遮られた。しかし、僕の前には人影は無い。
「下です」
続いて聞こえたのは感情の起伏が読み取れない平坦な声。それに従って視線を下げていけば。
「……双子?」
「キサマか、妙な来訪者というのは」
「なるほど、不可思議な気配を感じます」
青いシャツに黒いネクタイ、黒い半ズボンと年齢に見合わぬ服装。鏡合わせのようにそっくりな容姿の二人の女の子、それも右目と左目にそれぞれ眼帯をした金色の一対の目がこちらを見上げていた。
「……ハロウィンには一か月早いんじゃないかな?」