「朗報かどうかは分からないけど、調べてきたよん」
そんなメッセージと共に僕はいつも彼女が入り浸っている店、バーにゅうカマーへとやって来ていた。
まだ日も沈んでいない時間だけど、店の扉はあっさりと開く。
「アンタ……、そろそろホントに怒るわよ?」
入り口に立つ僕を見た店主のララさんは、呆れたような怒ったような目でこちらを睨む。
「すみません。学生が入り浸るなんてお店の評判にも良くないとは思ってるんですが」
「そうじゃないわよ。危ないことに首突っ込んでるのに怒ってんの。友達や家族に心配ばっかかけて」
頭を下げる僕に向かってララさんは今度こそ呆れた様子を隠さずに口を開いた。そして店の奥を指差す。
「一子はあっち。珍しく酒も飲んでないわ」
それに従って進めば、店の入り口からは見えにくい席に大宅さんが座っているのが見えた。机には、彼女のものであろうスクラップブック開かれている。そこには彼女が集めたのであろう新聞記事やネットニュースの印刷が貼り付けられていた。
「ご無沙汰してます。大宅さん」
「や、海藤くん。待ってたよぉ」
いつも通りの飄々とした様子でこちらにグラスを掲げて挨拶する大宅さんだったけれど、そのグラスに入っているのはビールでは無くウーロン茶。真面目な話ということだろう。
「これまた面倒な依頼だったけど、きっちり調べてきてあげたんだからね」
大宅さんに促されて隣に腰を下ろせば、彼女は早速とばかりにスクラップブックを膝に載せてパラパラと捲る。全国紙だけでなく地方紙まで、果ては週刊誌の切り抜きまで。そこには、小さな文字でびっしりとメモ書きが加えられている。実際に彼女が足で集めた貴重な情報だ。
「ここ一年の裁判記録と、それに付随する大小の記事。後はあたしが接触できた証言者の記録。とはいえ、証言者の方は全員って訳じゃ無いから注意ね」
どうしてゴシップ誌の記者をやっているのか不思議になるくらい、彼女の集めて来た情報は精緻なものだった。
「本っ当に搔き集めるだけ搔き集めたから関係なさそうなのも混じってて見辛くてごめんねぇ」
見辛い、とは言うものの、関連しそうな情報を近くに配置し、色分けも駆使して分類している。ただの謙遜か、はたまた彼女の記者としてのプライドか、自身に対する採点が厳しい。
「それで完全に調べきれてないけど、なぁんかおかしいんだよね、最近の事件は。ひき逃げ、通り魔、誘拐事件、ニュースにもなるような事件に大体顔を出すのが明智吾郎」
彼女の説明に従ってスクラップブックが捲られ、そこに貼り付けられていた新聞記事にはインタビューを受けているであろう明智君の写真。
「これだけならまだ分からなくもない。探偵王子の再来ってね。でも」
検挙された犯人が獄中でことごとく変死っておかしくない?
その次のページには、新聞の片隅に掲載されたような小さな記事。獄中で起こった変死事件。検挙されて日が経ってから、自らの行いを悔いるかのように獄中で自殺、あるいは全身から出血しての変死。
ここ最近から遡るように記録されていたスクラップブックを閉じると、彼女はそれを僕に差し出す。それを受け取ろうと掴んだものの、スクラップブックを持った彼女の手が離されることは無かった。
「ここ一年って君は言ってたけど、もっと根深いよこの問題は」
そこには普段の飄々とした大宅さんはいない。敏腕記者としての大宅一子が、鋭い視線で僕を射貫いている。
「はっきり言うけど、ただの高校生が手に負えるものじゃない。君は怪盗団じゃないんでしょ?」
どこか確信を持ったような口調で、彼女は僕が怪盗団じゃ無いと言った。その言葉に、そういえば最初に出会ったきっかけは彼女だったっけと思い出す。
「怪盗団でも無い君が、ただの高校生でしかない君がこんな危ない橋を渡る必要は何?」
今の彼女に対して嘘は通用しない。それに、嘘を言う必要も無いと思う。
スクラップブックを互いに手に持ったまま、僕は彼女の目を正面から見つめ返した。
「友達の為ですよ」
「怪盗団の為じゃなく?」
「僕は欲張りですから。怪盗団だけじゃ満足できません」
「……怪盗団だけじゃ、ってことは」
彼女の目が驚きで見開かれる。視線が僕の顔をスクラップブックを行き来する。
「相手は大量殺人犯だよ?」
「それでも、僕の友達なんです。それだけじゃない」
そんな彼を利用してのうのうと逃げようとしている人物がいる。色んな人を巻き込んで、その上で逃げおおせるつもりでいる。自分だけは沈みかかった船から逃げ出せると、そう思っている黒幕がいる。
「預けて頂けませんか」
「……死なないでよ?」
その言葉と共に、スクラップブックから彼女の手は離された。
「それと、ついでにもう一つ情報あげる」
スクラップブックから手を離した大宅さんは、そう言うといつもの掴みどころのない雰囲気に戻って僕に一枚のメモを渡してきた。
それを開いて中身に目を通せば、今回の調査の中で彼女が手に入れたもう一つの情報。
「本当だとすれば、救いようが無いよねぇ」
「……ええ、本当に」
「いきなり呼び出したりしてごめんなさい」
大宅さんと別れた後、僕のスマホにメッセージが入っていた。指定された場所に足を運んでみれば、そこに停まっていた一台の車。僕の姿を見つけたのか、運転席の窓が下がり、顔を出したのは冴さんだった。
乗ってと促された僕が助手席に乗り込めば、彼女は膝の上にノートパソコンを開いていた。
「この前は大変だったわね」
夥しい数のファイルと、精神暴走事件に関わっただろう人々をまとめた資料。それをスクロールしながら、彼女はそう言った。この前、その言葉が指すのは僕が取り調べを受けた日のことだろう。
「収穫はありました」
そう伝えれば、冴さんは少し口元を緩めた。そして目的の情報を見つけたのか、僕にノートパソコンを手渡してくる。
「これがあなたの情報と私の情報をもう一度分析し直した結果。これまでの精神暴走事件、役人や企業重役の不祥事。それによって利益を得たと考えられる者たちのリスト」
画面には個人名から企業名まで、ずらりと並べられたリスト。普段の業務の傍らこれを整理しなおしたというのだから、冴さんの恐ろしい程の捜査能力が垣間見える。
「捜査線上に浮かびあがった一つ、オクムラフーズが第一候補よ。近年海外進出も順調で、急速に頭角を現している企業。それに更にきな臭いのは怪盗団のターゲット候補になっていること」
冴さんの言葉に、僕はスマホの画面を操作する。画面に表示されたのは怪盗お助けチャンネル、その中のコンテンツの一つ。
「改心ランキングの現在一位が、奥村邦和」
「怪盗団が次のターゲットにするとしたら、敵はどう動くと思う? 怪盗団人気に押されて、怪盗団は動かざるを得ないとしたら」
冴さんの問いに、少しだけ沈黙する。今の怪盗団に対する支持は過熱している。日夜、掲示板には怪盗団に助けを乞う声が寄せられているほど。その中には、ムカつく相手を懲らしめて欲しいであったり、些細な喧嘩で友人や親の改心を求めるものといったこれまでのような切実な声以外のものも散見されるようになっていた。僕はそれを見て顔を顰めてしまう。
怪盗団は、大衆の些細な不満のはけ口にされてしまっている。
怪盗団が何故鴨志田や斑目、金城を改心させてきたのか。それは改心対象によって消えない傷を負わされた誰かを救うためだったはずだ。それが気付けば、大衆が無責任に自身のストレスを吐き出す為の対象にされてしまった。これを怪盗団への支持が高まっていると見ることも出来るのかもしれない。大衆に認知され、怪盗団という存在が認められたが故の現象だと。しかし、僕には怪盗団がただのコンテンツとして消費されているように思えてしまう。今の怪盗団を支持している声の多くは、何となく、周囲が噂していることに乗っかっているだけのもの。であれば、怪盗団の敵はどう動くか。法で裁けぬ悪を裁く義賊という、大衆の好む偶像を敵はどう利用したいか。
「怪盗団を正義の座から引き摺り下ろすと共に自らの罪を擦り付けるでしょうね」
「私も同じ意見よ。怪盗団のやり方は敵に既に知られている。予告状を出して、改心させる。それなら最悪のタイミングで事を起こせる」
僕の言葉に、冴さんは頷いてノートパソコンを操作する。先ほどまでのリストが閉じられ、続いて表示されたのは僕がスマホで見ていたものと同じページ。怪盗お助けチャンネルのランキングだ。
「連日ランキングのトップを独占している奥村邦和。あからさまだけど、怪盗団は動くと思う?」
「……正直に言えば分かりません。怪盗団も不自然さを感じていると思いたいですが、それはそれとして動かなければいけない理由が出来たとしたら」
怪盗団は動くだろう。彼らの信念に従って、目の前で傷つく誰かを助ける為に。それが罠だと疑っていたとしても。
「そう、あなたの意見は分かった。もう一つ聞かせて頂戴。あなたは、怪盗団の味方か、私の味方か、どっち?」
「冴さん……?」
突然投げかけられた冴さんの質問の意図が掴めず、膝に置いたノートパソコンの画面から顔を上げれば、冴さんは真剣な表情で僕を正面から見つめていた。
「ここまで協力関係にあるあなたには正直に言っておくわ。私は精神暴走事件の背後にいるであろう敵を引きずり出す為に怪盗団を利用することも厭わない。たとえ怪盗団が明智君の推理通り秀尽生だったとしてもね」
その言葉に籠められていたのはただ己の出世だけを目指す欲望だけでは無かった。一連の事件を引き起こした相手に対する憤り、冴さんの正義感だった。
「怪盗団のやり方は間違っている、これは確か」
「だけど殺人の罪を着せられる謂れは無いはずです」
「それでも、私は奥村を泳がして怪盗団が動き、それに敵が乗じるのを待っても良いと思ってる」
「冴さん……、でもそれは被害が出るのを黙って見過ごすことになりますよ。また一人、あんな凄惨な目に遭わせてしまう」
僕と冴さんに改心や精神暴走を止める手段は無いのだ。怪盗団や敵が動くのを許せば、それはすなわち被害者が出ることを黙認することに他ならない。
僕と冴さんの間に気まずい沈黙が流れる。僕が言ったことくらい、冴さんだって分かっているはずだ。だけどそれを考慮しても尚、精神暴走事件の黒幕への手掛かりが掴めることの価値が大きいと、冴さんの中の天秤は傾いたのだろう。
「怪盗団が窮地に陥り、焦って動いたところを敵は絡め捕ろうとする。その時こそ、私達にもチャンスが巡って来るわ」
「だけどそれは、僕達が採るべき手段では無いでしょう。正しい手段で、正しい目的を果たす。それが僕と冴さんの目指すものです」
「だから選んで。あなたは怪盗団か私、どちらの味方かを」
その目はどっちつかずの答えを許さないと暗に物語っていた。選べるのはどちらかだけだと。
「僕は……」
そう口を開いてから、少しの葛藤が僕の喉を絞め、言葉を詰まらせる。けれど、僕を見つめる冴さんの目は、そんな僕の言葉をいつまでも待っているようにこちらを捉え続けていた。少なくとも僕にとって冴さんの味方であること怪盗団の敵であることはすなわち雨宮さん達の敵であることを意味しない。僕にとっての敵は、冴さんでも怪盗団でも、ましてや明智君でも無い。僕は一度閉じかけた口を開いた。
「あなたの切り札という言葉を違えるつもりはありません」
「……そう」
「ですが、だからこそ奥村を泳がせ続けるのは反対です」
僕の言葉を聞いてホッとしたように緩んだ冴さんの表情が、再び怪訝なものに変わる。しかし僕は怪盗団の味方であろうと冴さんの味方であろうと、このまま座して待つことを選ぶつもりは無かった。
「奥村が精神暴走の被害者になり得る。それが分かっていて見過ごすべきじゃない、それは僕達の心に明確な傷を残します」
「不用意に動いて警戒させれば敵の尻尾を掴めないまま、もっと多くの被害者が出るわ」
「出させません」
僕はそう言い切って足下に置いた鞄に手を入れ、中を探る。
「その為の武器を、手に入れました」
「……それは」
「冴さん、今度は僕の話を聞いてくれますか。僕はあなたの切り札なんでしょう?」