「このまま奥村を次のターゲットにしても良いのかしら……?」
修学旅行から帰った翌日、怪盗団の面々は溜まり場としているルブランの屋根裏、蓮の部屋に集まっていたものの、各々不安げな表情で手の中のスマホを覗いていた。
そこに映されていたのは怪盗お助けチャンネル、そこには匿名の投票によって怪盗団の次なるターゲットを希望する改心ランキングなるものが表示されていた。そのランキングのトップをここ数日独占している名前こそが奥村。
「なんか、変な圧力感じてるのは俺だけ、じゃねえよな……?」
疑問を感じているのは真だけでは無かった。竜司ですら、スマホを見ながら頬に汗を伝わせている。そこには怪盗お助けチャンネルの掲示板。
『早く奥村を改心させろー』
『次のターゲットは奥村で決まりか』
『これで奥村が改心したら怪盗団ヤベーな』
『何にせよ次はどんな風に改心が起こるか楽しみ』
掲示板に並ぶのはランキングトップを飾る奥村への改心の期待。そこには怪盗団の次のターゲットは奥村になるだろうこと、むしろ奥村でなければならないという無形のプレッシャーで溢れていた。
国内外問わず急速な拡大を見せるオクムラフーズ、その社長に対し、大衆は黒い何かを嗅ぎつける。そこに信憑性の有無は関係なく、ただ無形の圧力となって怪盗団にのし掛かる。
「私達の改心がショーか何かだって思われてるみたい……」
修学旅行で向かったハワイ。そこでも怪盗団の名前が知れ渡っていることに杏の中に生じていた誇らしさは、気がつけば萎縮していた。
それは杏だけでなく、怪盗団の皆が感じていること。
「おいおい、何ビビってんだよ! ワガハイ達が大衆に認知されてきた証拠じゃねえか!」
ただ一人、モルガナを除いて。
「モナ、でもこの掲示板の連中、ヤバいよ。私知ってる。これメジエドでも同じことになったんだ。新しい連中が増えれば増えるほど、勝手なことを言う奴らが出てきて。皆変になっていくの」
怪盗団の面々を叱咤するように声を上げたモルガナに、双葉は視線を床に落としながらそう呟く。
モルガナと双葉は修学旅行には行けなかった。だからこそ、その分長い間怪盗お助けチャンネルの掲示板に目を通すことが出来た。そこで両者が感じた印象は真逆。
方や大衆への認知が浸透してきたことへの満足感。
方や大衆の怪盗団への期待が暴走し始めたことへの言い知れぬ不安。
「だからってこの掲示板で苦しいって言ってる連中を無視するのか? ワガハイ達は怪盗団で、それをどうにか出来るってのに?」
「だがこの掲示板の連中は俺達にとって顔も知れないまま、訳知り顔で俺達を論評する連中だ。画壇にも似たような奴らはいた。全員ロクでもなかったがな」
モルガナがどうにか奥村への改心を他の面々に促そうとするが、祐介も否定的な色を隠すことはしなかった。
「それに、徹も言ってたわ。今の怪盗団支持の流れは何かおかしいって」
「……っ! また、トオルかよ。ワガハイ達にとって今一番怪しい人間の言うことを真に受けるのかよ?」
真が口にした徹の名。それは今のモルガナにとっては地雷となる言葉だった。
怪盗団の前に、現実、認知世界問わず現れ、意味深なことを言っては核心を突くことは無いまま姿を消す男。何かを知っているだろうことは確実なのに、最も接点のある蓮や真はそこに切り込もうとはしない。蓮が肩に担ぐ鞄の中で、かつてこれほどまでに一般人に自身の言葉が通じないことを歯痒く思ったことはないくらいだ。
記憶が無いモルガナにとって、自身にとっての手がかりがあると目されるメメントス深奥への足掛かりとなる大衆の認知を稼ぐことは死活問題だ。怪盗団による改心、世直しは、そのまま自身の目的を達成することに繋がる。逆を言えば、怪盗団の活動が鈍化し、大衆の認知が薄れてしまえば、今まさに足を踏み入れることが出来ているメメントスの階層からも弾き出されてもおかしくない。そうなったとき、モルガナ単独で再び同じ階層に辿り着くことはほぼ不可能だろう。
そしてそれ以上に、モルガナにとって怪盗団は唯一の居場所だ。そこに紛れこんだ異分子が、怪盗団の秘密を共有してもいない部外者が自分達にこうして影響を与える。それはモルガナにとって許しがたい侵略だった。自分の居場所だと思っていた場所が、気付けば自分の知らない場所に変わろうとしているようで。
「お前らどうしちまったんだよ! いったいいつから怪盗団は腰抜けの集まりになっちまったんだよ!?」
だからこそモルガナは蓮達に足を止めて欲しくなかった。それも、徹などというモルガナの世界にいない人物のために。
「おい、何だよその言い方……!」
だが、その焦りはモルガナから強い言葉を引き出す結果となり、それに反応してしまう人間がここには居た。
「リュージは良いよな。カモシダが改心して学校に居場所も出来た。そしたらそれでハイ終わりか? 他に困ってる奴を助けるよりも今くらいに有名になってチヤホヤされたら満足なんだもんな!」
「モナ! てめぇ!」
「竜司落ち着いて! モナも!」
モルガナの言葉に激昂した竜司を杏が悲鳴のような声を上げて押さえる。
「何だよ、図星突かれて怒ったのか」
「お前……!」
一度火が着いてしまえば、もう口を閉じることは出来なくなった。普段から煽り合うようなコミュニケーションを取ることが多いモルガナと竜司。互いのボタンが僅かに掛け違えてしまえば、仲間としての信頼に基づくラインが崩れてしまえば、残るのは尖った言葉の投げつけ合いしかない。
「そうやって単純な人間だからトオルとかいう奴に簡単に丸め込まれちまうんだよ!」
「ふざけんな! お前が何知ってんだよ! 鴨志田の野郎に陸上部が潰されそうだってときにあの人だけが味方になってくれたんだぞ! お前が一人で何も出来ない間に、副会長は何とか解決しようとしてくれてたんだ」
竜司にとって、蓮が来るまで唯一の拠り所となった人間。自分が鴨志田に手を上げたばかりに陸上部を廃部にされかけたところを、なんとか活動の一時自粛という形に収めた。そのことは、竜司の中では消えない恩として残り続けている。そこに不用意に手を突っ込まれることは、自分の仲間を、周囲の人を自分以上に大事に思う竜司だからこそ許せなかった。
その一方、自身の力不足を薄々感じていたモルガナにとっても、竜司の言葉は抜けない棘となって突き刺さる。
「何も出来ない、だと? ワガハイの助けがなきゃカモシダパレスで何も出来ずに死んでたのはお前の方だろ!」
「牢屋に捕まってたのを俺達が助けなきゃ何も出来なかったのはそっちも同じだろうが!」
「二人とも、止めて」
これ以上は言葉の応酬では終わらなくなる。そうなりかけたところで、蓮の小さいながらもハッキリとした声で竜司とモルガナの口が閉じられる。
怪盗団の女リーダー。複数のペルソナを操るワイルドの力を持ち、言葉少なながらも、常に怪盗団の中心となって全員を引っ張ってきた。
「ジョーカー、お前はどうすべきだと思う? 怪盗団のリーダーはオマエだ」
モルガナはそう言って蓮の意見を仰ぐ。モルガナにとって、蓮は常に一緒にいる相棒と言っても差し支えない。怪盗団という居場所が、徹の存在に侵食されているのであれば、今のモルガナの拠って立つ場所は蓮の相棒としての居場所しかない。蓮は自身と意見を同じくしてくれる。怪盗団の足を止めるようなことをしない。徹よりも自分の味方だと思う、思いたい。
他の面々も、蓮の言葉を待つ。戦力的にも、心情的にも、全会一致を原則としているがリーダーの蓮の言葉は他よりも重たい意味を持つのだから。
「……怪盗団は有名になるために改心を始めた?」
暫しの間を空けて蓮が発したのは問い掛け。
「私は困っている誰かを助けるために、怪盗団を始めたつもり。その困っている誰かは、顔も知らない誰かじゃない」
鴨志田のときには竜司、杏、志帆を。班目のときには祐介を。金城のときには真を。その他の改心も、蓮が絆を繋いだ誰かを助けるために。掲示板に投げ掛けられる切実な依頼も、聞き込みを重ねて。いつだって怪盗団は自分達の周囲の人たちを助けるために改心を起こしてきた。
「私達は、私達の美学に従う。そこにランキングの結果は関係ない。違う?」
いつか、徹と交わした会話が蓮の中に甦る。怪盗団は、自分達の為したことに責任を持つ必要がある。その結果が望むものであろうとなかろうと。
かつての徹との会話は短くとも、蓮の怪盗団としての自分を律する言葉となって残っていた。だがそうであっても、蓮が発した言葉は紛れもなく蓮自身の考えである。
しかし、モルガナにとってはそうではなかった。蓮が、ジョーカーが、秘密を共有する自身の相棒すらもが、怪盗団以外の人間に深く侵食されてしまったことを印象付ける結果となってしまった。
「……そう、そうかよ。結局、レンもトオルって奴の言いなりかよ」
「モナ、それは違う」
「いーや、違わないね! さっきの言葉だってトオルって奴の受け売りだろ!? なんだよ、揃いも揃って情けないよな!」
モルガナはそう言ってテーブルから窓枠に飛び移り、怪盗団を一瞥する。
「見損なったぜ。怪盗団が敵かもしれない奴の言葉を真に受けて二の足を踏んじまうような腰抜けだったなんてな。ワガハイは一人でもやる」
メメントスの深奥に近づいていることは感じている。このまま行けば、霞掛かった自分の正体に、アイデンティティに手が届くかもしれない。空っぽの自分に、何も確たるものの無い自分を満たす答えに指先が掛かった状態で、足踏みをしろと言われて待てるような人間はそうはいない。
モルガナはそうして他のメンバーが止める間も無く窓から飛び降りて姿を消した。
「……どうすんだよ、モナ行っちゃったぞ」
双葉が心配で瞳を揺らしながら、ベッドで膝を抱える。
「…………悪かったよ、俺がケンカ売っちまったから」
双葉の言葉に、竜司が罰が悪そうに頭を掻く。
「モナの言葉にも言いすぎな面はあった。次に顔を合わせたときに謝れば良いだろう。それより、これからどうする?」
祐介は分かりやすく悄気てしまった竜司をそう言ってフォローしながらも、怪盗団の次なるアクションを決めようと話を振る。
「どうするって言っても……」
「……奥村を次のターゲットにするかどうかはともかく。情報を集めておいて損は無いと思うわ。パレスがあるかだけでも、とかね」
口ごもる杏に対し、真は指針を示す。竜司とモルガナの言い合いを止めなければと思いつつ口を出せなかった。口を出してしまえば、どうしても徹に傾いてしまうと自覚していたから。そうすれば、モルガナを更に追い詰めてしまいかねないと考えた故、真は沈黙を選んだ。
「怪盗団は全会一致で動く。モルガナが帰ってくるまではターゲットを決めない。だが、そうして足踏みをすることが副会長の、敵の狙いかもしれんぞ」
「祐介……!」
「状況を考えれば副会長が敵に近しいと考えることはおかしくない」
徹を仮想敵として話を進めようとする祐介に、竜司が再び火が着きそうになるが、それよりも先に祐介の鋭い目が竜司を貫いた。
「神出鬼没、なのにメメントスでは影も形も見当たらない。パレスも探したが無い。俺達の行く先々に現れ、何かを知っていそうなのにそれを伝えない。あまつさえ、俺達を追う明智に協力しているときた。これを信用出来るわけがない。個人的に、そうではないと思いたいが。だからといって頭から信用できる人物じゃないのは確かだろう」
その上で、と祐介は言葉を続ける。
「今、怪盗団が簡単に動けないようにする。それこそが向こうの目的だとすれば、俺達がこうして仲間割れをしている分、向こうに時間を与えることになる。情報を集めるのは良いが、何か次の段階に移るトリガーを決めておくべきだろう。……こういうのは真の領分だと思っていたが」
芸術家としての感性に寄っているため、普段の言動はどこかズレてしまいがちな祐介だが、頭が悪いわけではない。むしろ、自他の内面をキャンバスに表現する芸術家であるからこそ、人一倍鋭い観察眼を持っている。だからこそ、真が常の頭の冴えを発揮できていないことを見抜き、その原因も半ば掴んでいる。ならばこそ、今の自身に求められる役割を祐介はこなす。
「……ごめんなさい」
祐介の言わんとするところを理解した真が、そう言って俯く。
「情報は集める。奥村の明確な被害者が出たら、戻ってきたモルガナを含めて怪盗団としてどうするか決める。後はメメントスの探索もする。今はそれくらいしか出来ない」
蓮がそう締め括り、怪盗団の集まりは苦い結末となって終わった。皆が帰った後、いつもは傍らに寄り添っている小さな温もりの代わりに、双葉と並んでベッドに腰かける蓮。
「モナ、帰ってくるかな……」
「大丈夫、帰ってくる。今日はお互いに熱くなっただけ」
沈んでしまった双葉の肩を抱いて蓮は励ます。怪盗団というコミュニティしか知らないのはモルガナだけじゃなく双葉も一緒だ。故にモルガナとの決裂は双葉にとっても大きな衝撃を与えていた。
「なあ、蓮。さっきは言えなかったんだけど、あのランキングの動き、私おかしいと思うんだ」
「どういうこと?」
双葉がポツリと溢した言葉に蓮は首を傾げる。
「ここ数日、投票が右肩上がりに増え続けてる。それも全部奥村に投票されてる。皆が面白がって票を入れてるのかもしれないけど。こんなにバラけないのってあり得るか? 皆が修学旅行に行ってる間、私とモナはランキングを見てたんだ。時間はバラバラだけど、まとまって大量の票が入ってる時間がある」
それは双葉だからこそ気付けた違和感。ハッキングの知識があるからこそ、まさかと思いながらも頭を過る可能性。
「……あのランキング、操作されてるかもしれない」
「……だとすると、本当に誰かが怪盗団を利用しようとしている?」
「分からない。ちゃんと調べてみないと。だからさっきは言えなかった。……ごめん」
自分の違和感を共有していれば、モルガナと竜司はケンカすることも無かったかもしれない。だからこそ双葉はずっと落ち込んでいたのかと蓮は腑に落ちる。かといって、あの場で双葉が意見を言えたかといえば、それは難しいとも理解している。人とのコミュニケーションをまだ恐れる気がある双葉に、あの険悪な空気の中で確証もないことを言わせることは出来ない。だからこそ、双葉は蓮には打ち明けてくれた。それで十分ではないか。
「大丈夫、言ってくれてありがとう。ランキングの操作がされていたか、調べてくれる?」
泣きそうに肩を震わせる双葉を抱き寄せて蓮は言う。腕の中で、双葉が頷いたのを見て蓮は口元を少し緩めた。
「大丈夫、モルガナは戻ってくる。怪盗団はこのまま終わったりなんかしない」
大丈夫、そう繰り返して双葉の頭を撫でる。その言葉は、双葉だけに向けられたものではないと自覚しているけれども。
多少元気を取り戻した双葉を見送った蓮は、スマホを取り出してメッセージアプリを立ち上げる。そして画面に映る名前をぼんやりと眺めた。
海藤徹。
何を知っているのか、何を隠しているのか。不安な気持ちは蓮の中にもある。けれどそれを表に出すわけにはいかない。怪盗団のリーダーとして。何よりも、信じると決めた。
そう考えを新たにしていたところに、新たなメッセージの着信を告げる通知。送り主は怪盗団を追うと公言する高校生探偵。その彼が送ってきたメッセージに、蓮は更なる混乱に陥れられることになる。
『海藤くんが怪盗団絡みの事件の重要参考人として取り調べを受けている』