「海だー!」
燦燦と日光が降り注ぐ浜辺に元気な声が響く。その発信源は竜司だった。夏の日差しに眩し気に目を細めた祐介が煩そうに顔を顰める。
「朝っぱらから元気だな」
「海まで来てテンション上げないのもちがくね? なぁ、モナ?」
「ちょっと癪だがリュージにワガハイも同意だな。それにレンやアン殿の水着が楽しみだ!」
怪盗団の男手プラス猫一匹は女性陣の着替えを待つ間、そうして雑談に興じる。夏休みも終わりを目前に控えた8月29日。怪盗団の面々は、怪盗お助けチャンネルの依頼もひと段落したこともあり、こうして学生らしく夏休みを楽しむことに精を出していた。認知世界を利用する何者か、そして怪盗団の敵か味方か分からない徹のこともあれど、今日はそういった難しい話を考える場ではなかった。
「にしてもアイツら遅すぎじゃね?」
「女性の着替えには時間が掛かるものなんだよ。リュージは分かってねえな」
「んだと! 猫のくせになに言ってんだ」
「猫じゃねえし!」
「おっ待たせ~!」
いつも通り、と言える竜司とモルガナの口論を遮るような明るい声が、彼らの耳に届く。その声に視線を上げた竜司、祐介、モルガナの二人と一匹は目の前に広がる光景に言葉を失った。
「どうどう? この前買ったばっかのおニュー!」
エメラルド色の下地に、トロピカルな花柄をあしらったビキニ。シンプルな形状故に着ている者のプロポーションを強調し、その魅力を最大限に引き出す。現役高校生モデルである杏の魅力は、ワーワーニャーニャー騒がしかった竜司とモルガナの口を閉じるのに十二分な威力を持っていた。
「待たせちゃってごめんね」
白一色ながら、胸の中央に配置されたリボンがアクセントになっているフリルスカートタイプのビキニに身を包んだ真。本人の真面目な性格を反映した色選びながら、素材の良さを引き出すその水着は、恥ずかしさからか少しぎこちない表情も相まって男子の脳を破壊する。祐介はほう、と呟いて女性陣を両手の人差し指と親指で形作ったファインダーに収めた。
「何を呆けてるの?」
そして怪盗団のリーダーである蓮。彼女は黒い生地に赤いラインの入ったハイネックビキニ。普段の物静かな彼女からは想像し難い装い、パレスやメメントスでの挑発的なジョーカーとしての側面を知っている怪盗団の面々もしばし目を奪われる。
鼻の穴を膨らませて目を丸くしている竜司の表情が、男子二人と猫一匹の感想を言葉以上に雄弁に物語っていた。
「少しは見直した~? このこの」
杏などは竜司のそんな表情にしてやったりな笑みを浮かべ、からかうように突いている。祐介は怪盗団の女性陣三人を見渡した後、首を傾げた。
「そういえば、双葉はどこに?」
「……ここ」
祐介の言葉に蓮がスッと一歩横に退ける。その後ろから現れたのはバスタオルで顔を完全に包んでプルプルと震えている双葉の姿。
黄色いフリルのついた可愛らしいビキニを身に付けているものの、てるてる坊主と化した肩より上の部分が余人には近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「着替えまでしたのにここに来て恥ずかしがってる」
「びびび、ビビってなんかないからな!」
呆れたようにため息をついた連に抗議するように、タオルの奥からくぐもった双葉の声が響く。それを見た他のメンバーは口元を緩めると、双葉のもとに集まる。
「大丈夫よ、双葉。誰も笑ったりなんかしないわ」
「そうそう、私が選んだんだし、バッチリ似合ってるよ!」
「う、うぅ~~!」
真と杏に促され、双葉はうめき声をあげて逡巡していたものの、タオルを解く真の手を払うことはしなかった。そしてタオルが完全に解かれた中から現れたのは、気まずげに伏し目がちになった双葉。
「わ、笑いたきゃ笑え……」
「誰も笑わない」
「笑うわけね―じゃん。頑張ったな、双葉!」
チラチラと伺うように蓮達を見る双葉に、蓮と竜司は柔らかく微笑んで彼女の健闘を称える。人前に出ることを怖れていた双葉が、ついに海水浴に参加するまでになった。自分達とそこまで絆を深めることが出来たと。
「よし! それじゃ遊ぼうぜ!」
「賛成! まだ人少ないうちにビーチバレーとかしちゃう?」
「まずは場所取りしましょ。もう人も増え始めて来てるし」
「早く日陰に入りたい……」
「いや早すぎるぞフタバ……」
「俺はこの景色を記憶という名のキャンパスに焼き付けなくては!」
それぞれが思い思いに話しながら、浜辺を駆けていく。それを見送るリーダーである蓮の表情は、彼らとは違って夏の海に相応しくない曇ったものだった。
思い出すのは数日前、秀尽学園の正門前でたまたま徹と出会った日のこと。
「真以外も引っ掛けてる」
「引っ掛けてるって言い方酷くない……?」
鈴井と二人でいるところを偶然目撃してしまった蓮は、渋る徹を引っ張って駅前のカフェに連れ込んだ。徹が怪盗団の敵か味方か、信じたいと思う蓮と冷静に判断すべきだと囁くジョーカーが彼女の中に存在していた。それをはっきりさせたいという思いもあったことは否定しないが、鈴井と二人で並んでいた徹の姿に、言い知れない焦燥感を覚えたのも確かだった。
「鈴井さんに頼まれたからね、ちょっとした手伝いで来てただけだよ」
普段と変わらない様子で告げる徹に、また胸がざわつく蓮。
「真と気まずくなったって聞いた」
「気まずい、というよりはちょっとした意見の不一致だよ」
ちょっとした、で済ませるには蓮達の中に生じた疑惑の芽は大きすぎるものだと喉まで出かかった言葉を蓮は何とか飲み下した。これまで徹は何度も蓮に自身は味方だと告げて来た。それを疑いたくは無いが、認知世界で出会った他とは一線を画す存在感を放つ徹のシャドウ、意味深な発言、何より怪盗団と敵対する明智、冴との繋がりは、徹の発言の信憑性を失わせるのに十分な不安材料だ。
だからこそ、蓮は踏み込んだことを聞くことが出来ない。既に徹は蓮との会話を通じて怪盗団のことをそれなり以上に知っているが、怪盗団最大の秘密を、認知世界と改心方法を徹に知らせてしまえば、それが致命的な事態を引き起こすかもしれない。
信じたい、でも不安。
「少し目を離すとすぐに他の女の子の所に行く」
「その言い方は人聞きが悪すぎる!」
蓮のジト目を前にしても流石に聞き流せなかったのか、徹は頭を振って否定する。
「頼られたら出来るだけ応えてあげたいじゃない?」
「だからって副会長はお人好し過ぎる」
「自覚はあるけど、そういう性分だからね」
これは何を言っても無駄だと蓮は小さくため息をつく。徹のそういう所に自分も助けられていると分かっているが、それだけにもどかしくもある。どうして自分だけがこうやきもきした気持ちにならなければならないのかと半ば八つ当たりのような怒りが蓮の中に湧いてきたため、自然、蓮のジト目は鋭くなり、徹の頬に冷や汗が伝う。
「副会長がそんなだから真も苦労する」
「あまり心配かけないようにしようとは思ってるんだけどね」
違う、そうじゃないと言いかけた口を噤む。これ以上喋ってしまうと真に対して申し訳ないことになりそうだ。
「この手口で何人を落としてきたの」
「誰も落としたりしてないよ?」
嘘をつくな、と言いたかったが本当に本人としてはそんなつもりが無いのだろうから質が悪い。
「けど良かった」
「? 良かったとは」
ホッと息を吐いて不可解なことを呟いた徹に、蓮は首を傾げる。
「僕としてはあまり気にしてないんだけど、真と少しぎくしゃくしちゃったからね。それで雨宮さんともそうなったら嫌だったけど、こうして話してくれるっていうのは嬉しい。出来れば連行されたくは無かったけど」
「……本当に、そういうところが悪い」
どうしてそういうことをサラッと言ってしまうのか。人の気も知らないで。こっちが色々と複雑な気持ちでいるというのに、真っ直ぐな言葉で貫いてくる。だからこそどれほど疑わしく見えても信じたくなる。その言葉の裏に意図するところなど無いと。彼は純粋に善意の人なのだと。
「……怪盗団は、副会長を信じきれない」
だから蓮に言える精一杯のことを伝える。疑いの目を向けられていることを。味方だと言うなら信じさせて欲しいと。
「だろうね」
しかし、徹からは蓮の期待する言葉は返ってこなかった。
「でも仕方ないかな。僕自身、怪盗団に敵視されるのも已む無しと思って動いてる。僕は僕の事情で、一連の事件から手を引く理由を失ったから」
「それは何?」
「僕の友達が関わっているから、とだけ言っておくよ」
「友達というのは私や真のこと?」
「それもあるね」
ということはそれ以外もあるということだ。蓮に心当たりは無いが、心に引っ掛かるものを感じる。徹が言うその友達に、蓮の中で嫌なざわつきが広がった。
「副会長は秘密主義過ぎる。それに、何も話してくれない」
「それはお互い様だよ。お互い限られたことしか言えない中でギリギリまで相手を信用するか、見限るかを迫られてる。僕は雨宮さんを信用すると決めてる」
そう言った徹の目は揺るぎなく蓮の目を捉えていて。蓮の目は徹の視線に絡め捕られたように動かせなくなる。何も確信に至ることを言っていない。なのに、どうしてこうもこっちの心を強く捕えて離さないのか。
「……なら、また一つ信用出来るように取引をしたい」
「……何だい?」
だから蓮は取引と口実を付けて切り出した。
「互いに名前で呼び合いたい、徹」
それは些細な取引。取引と言うまでもなく、友人として時間を過ごせば自然とそうなっていたかもしれない。けれど、蓮には徹がそうならないように一線を引いているように見えて、だからこそ取引という口実でその一線を今越えておかないといけないと思わされた。
「……分かったよ、蓮」
蓮の言葉に眉を少しだけ上げた徹だったが、すぐに表情を和らげて蓮の名前を呼ぶ。蓮の中に広がったざわめきが静まっていく。
「──ん? ──蓮?」
「ッは」
蓮の意識は何度も名前を呼ぶ真の声に現在へと焦点を戻す。パラソルで作った日陰の下、砂が付かないようにと敷いたシートに腰を落ち着けた真が、隣に座ってぼんやりとしている蓮の肩を揺さぶっていた。遠くからは真と祐介、杏と双葉がビーチボールをぶつけあっている喧騒が聞こえてくる。
「どうしたのよ、ボーっとして」
「……なんでもない」
顔を覗き込んで来る真に、先ほどまで思い返していた内容もあって気まずげに目を逸らす蓮。そこで、何故気まずさを感じているのかと蓮は内心首を傾げた。
「……真」
「なに?」
「……なんかごめんなさい」
「え、急にどうして謝るの!? 私が知らないうちに何かされたの!?」
自分でもどうしてか分からない罪悪感に促されるようにして蓮は頭を下げる。もちろん何も知らない真はオロオロとするばかりだ。
蓮はそっとスマホを取り出すと真の水着姿を写真に収める。
「お詫びに真の水着を副会長に送っておく」
「それは何のお詫びなのよ!」
「何してんだよ二人とも……」
唐突な蓮の奇行に一瞬呆気に取られた真だったが、すぐに気を取り直して自身の水着写真を送信されまいと蓮からスマホを取り返そうと動く。パラソルの下でわちゃわちゃと始まる二人のキャットファイトに、本物のキャットであるモルガナが二人にしか分からぬ呆れた言葉を漏らした。
結局、蓮と真両方の水着写真が徹には送信され、唐突に送り付けられたそれに首を傾げつつも良く似合ってると返事をしたのは徹のアルバイトが終わる夕方のことであった。