「次のニュースです。昨日、警視庁サイバー犯罪対策課に怪盗団を名乗る連絡がありました」
店に置かれたテレビから流れるニュースは昨日も速報であらゆるメディアが取り上げていた内容だ。
「そこにはメジエドを名乗るハッカーの情報が記載されており、更にその通報から今まで予告されていた新たなサイバー攻撃は行われていないことから、怪盗団によるメジエドへの報復であるという見方が……」
「これでまた、怪盗団は名を上げたわけね。これも誰かの思惑通りなのかもしれないけれど」
漏れ聞こえてくるニュースキャスターの声に顔を顰めながら、僕の前に座った冴さんは飲み物が入ったグラスを傾ける。
昨日、夕方のニュース速報で怪盗団によるメジエドへの報復が報道されてから、警察も検察も事件の裏取りに大騒ぎだったらしい。そもそも、メジエドの正体だとされる男の情報は警察だけでなく検察などにも無差別にばら撒かれていたらしく、混乱で情報共有も儘ならなかったらしい。それを冴さんと明智君が検察、警察両方で互いに連携を取りながら収拾をつけ、メジエドを逮捕して警察の取り調べの最中とのこと。
僕はと言えば、そんな冴さんのガス抜き兼情報整理の為にこうしてまた冴さんが贔屓にしている店に呼び出されたのでノコノコと足を運んでいるというわけだ。明智君と袂を分かってしまっている現状、僕の確実な伝手は冴さんだけになってしまっているのでこの繋がりは何とか保ちたいところだ。
「これで怪盗団の改心事件はますます畏怖を以て語られるようになる」
「怪盗団を名乗る特殊詐欺はまだ被害の鎮静化には至っていないようですけどね」
むしろ、メジエド騒動によって世間の怪盗団熱が高まったことで、より詐欺集団にとって稼ぎやすい状態になってしまったようにも感じる。何なら、僕のスマホにも怪盗団を名乗る不審なメールが届いたくらいだ。すぐに削除してアドレスを変えたけれど。
「怪盗団はメジエド相手にも有効な対抗手段を持っている。しかも改心以外の方法を。だったら何故詐欺の方には手を付けないの? メジエドで手一杯だから?」
冴さんがそう言って少し苛立たし気にテーブルの上の料理を口に運ぶ。冴さんのお気に入りのお店は相変わらず学生の僕には少々お高いので気後れしていたのだけど、冴さんがお構いなしに色々頼むものだからテーブルの上には様々な料理が並んでいた。遠慮する僕に気を遣ってくれているんだとは思うけど、冴さん自身もストレスが溜まっていたりするんだろうか。
「メジエドで手一杯、なのはそうかもしれないですけど。怪盗団はそもそも現状まだ詐欺集団に有効な対抗手段を持っていないのかもしれませんね」
遠慮せずに食べろと目で促された僕は、それならありがたく頂こうと自分も料理を突きながら、ぼんやりと考えていたことを口にする。
「サイバー攻撃を繰り返すメジエドよりもケチな詐欺グループの方が厄介だってこと?」
僕の言葉に興味を惹かれたように冴さんが少しこちらに身を乗り出して問う。
「あくまでも僕の勝手な想像ですけどね」
「それでも良いわ。聞かせてちょうだい」
冴さんに促されるままに、僕は一度飲み物で口を湿らせてから口を開く。
そもそも、今回のメジエドはこれまでの改心事件とは性質が異なる。今までの怪盗団が関わる事件と言えば、犯人がその罪を自身の口で自白、自首していた。怪盗団は何らかの方法で対象の心を変えてしまえるというわけだ。それに対し、今回怪盗団が用いた手段はメジエドと思しき人物の情報をばら撒くこと。犯人自体にはその謎の力は何ら影響を及ぼしていないことになる。つまり、
「怪盗団はメジエドを改心させたわけじゃない」
「……そうね、メジエドは自白なんかもしてない。だけど怪盗団はハッキングのような電子工作にも長けているというだけじゃないの?」
「もし本当にそうだとしたら、メジエドからの宣戦布告に対して怪盗団のアクションが遅すぎるとは思いませんか? メジエドだけじゃない。自分達の名を騙る詐欺集団もいるのに、メジエドへの報復が実行されたのは宣戦布告から二週間後。更に詐欺集団はまだ放置です。ネット上では怪盗団への不信感を持つ人も出始めていた。まあ僕にはデジタルの知識なんか殆ど無いので、ハッキングには凄い時間が掛かって二週間でも早い方なのかもしれませんけど」
だとするとメジエド本人の能力が凄まじい。大企業や官公庁のデータベースに不正アクセスし、それを数日おきに公表するまでしてみせていたのだから。
「怪盗団は最初からメジエドへの対抗手段を持っていたわけじゃない?」
「対抗手段を持つ人間を後から仲間に引き込んだ、とも考えられませんか」
僕のこの推理は冴さんの知らない情報も含めて読みを積み重ねたものだ。雨宮さんや高巻さん、坂本君、喜多川君、そして真がハッキングなんていうスキルを持っているだろうか。そして一色若葉について聞き込みにルブランに行ったあの日、直後に僕のスマホにアクセスしてきた謎の人物、アリババ。彼、ないしは彼女は怪盗団への接触を望むような言動を見せていた。怪盗団はアリババに接触し、何らかの取引の結果として今回のメジエドへの報復に至ったんじゃないかというのが僕の見立てになる。
僕の推理の裏付けになっているこれらの情報を冴さんに馬鹿正直に話すわけにはいかないので、これ以上突っ込まれたら何とか誤魔化すしかない。
「……特殊詐欺に有効な手立てが無いというのは?」
顎に手を添えた冴さんが鋭い目で僕に続きを促す。ひとまずメジエド関連についてはあり得ないと切って捨てるには惜しい程度の考察だったらしいと内心ほっと胸を撫で下ろした。それと根拠を深く聞かれなかったことにも。
「それは認知科学というものを冴さんが教えてくれたから思いついたことです。それと今回のメジエドの件も多少関係してますけど」
「どういうこと?」
丸喜先生から見せてもらった論文と、彼と話した内容からも、認知世界はその人の無意識の世界である以上、そこに干渉するにはその人物を知っていなければいけないだろう。場合によっては居所も把握している必要があるかもしれない。何故ならその人が見たこと無い場所がその人の認知世界に存在するとは思えないからだ。存在を知らないものは想像も出来ない。ということは認知世界は本人が認知している範囲に限って存在すると考えるのが自然じゃないだろうか。
そう考えると、顔も、名前も、居場所も分からないメジエドという存在は怪盗団の天敵だったのかもしれない。認知世界があるとしても、それがどこにあるのか、誰がターゲットなのか分からないから。だからこそ、怪盗団はメジエド本人ではなくメジエドに対抗しうるハッカーを仲間に引き込んだ。
そしてより厄介なのは特殊詐欺グループだ。こちらは金城と違って名前すらまだ分かっていない。もちろん顔も、居場所も。メジエドの時のようにハッキングで何とかしようとしても、こういう詐欺に用いられる携帯やスマホは飛ばし携帯のように他人名義のものだったりして追跡しきれないんじゃないだろうか。今でも飛ばし携帯があるのかは僕には分からないけれど。
「……なるほどね。怪盗団は名前と顔、居場所の分かっている人間しか改心のターゲットに出来ない」
「あくまで僕の勝手な見立てです。怪盗団が本当はどのような手段で改心を行っているか分からない以上、妄想でしかないですよ」
「その前提となる認知科学の存在がある以上、そこらの専門家とかいうコメンテーターの言うことよりはよっぽど頼りになる妄想よ。あなたに情報を与えた私の目は曇っていなかったわ。……同時に、私自身もろくでもない大人だってこともハッキリしているけれど」
冴さんはそう言うと自嘲するような笑みを浮かべて氷だけになったグラスを両手で包むようにして持った。
「いきなりどうしたんです?」
「明智君の言ったことは正しかったわ。このまま捜査を進めれば、私達は触れてはならない相手の逆鱗に触れることになる。そうなったときにあなたを守ることが私には出来ない。それが分かっているのにこうしてあなたを巻き込み続けている」
「それについては僕が望んで巻き込まれているというのもありますけどね」
「あなたは以前言っていたわよね。精神暴走事件の背後には政治が絡んでいるかもしれないって。あなたの推理を聞いて、半信半疑だったそれが私の中で確信に変わったわ」
冴さんがそう確信するに至ったのは冴さん自身が先ほど言った言葉。
「「改心は名前と顔、居場所の分かっている人間しか改心のターゲットに出来ない」」
僕と冴さんの声が重なる。改心がそういった縛りの下で成立するのであれば、精神暴走も同じ前提が成立すると考えてもおかしくない。度重なる官僚や政治家の汚職暴露、大企業の不祥事、それらを引き起こしたのが精神暴走事件の犯人だとすれば、その犯人は一官僚の名前と顔を把握し、一企業の社員だって把握できるような立場にいることになる。そんなことが可能な人間は一体どれだけいるというのだろう。それだけの個人情報を横流しして見逃されるような立場にいる、見逃さざるを得ない立場の人間は誰だ。
「私じゃあなたを守れないわ」
そう言った冴さんの顔は、酷く傷ついたように沈んでいた。
「明智君の言う通りだった。これ以上あなたを巻き込むわけにはいかない。だというのに、あなたがいないと手詰まりになっていたかもなんてね」
情けない、と小さく呟いて額に手をやった冴さん。僕が気にするなと言っても社会的な立場がただの高校生である以上、僕は冴さんに守ってもらわなければいけない立場だ。安易に慰めの言葉をかけるのも躊躇われた。だからといって何も言わないままでいるのも不義理な話だ。
「とはいえ、僕は勝手に巻き込まれに行ったと思いますよ。冴さんがいなくとも、僕は僕の伝手を辿って」
これは事実だ。冴さんからの情報が無くとも大宅さんや岩井さんのように他にも様々な事情に通じている大人達がいて、その人達に僕は接触して情報を得ようとしただろう。ここまで深いところまで考えが及ぶような情報は得られなかったかもしれないけれど。
「高校生に慰められると余計に立場が無くなるわ」
「それならこの一連の事件の裏側にいる奴を捕まえて今まで以上の立場になりましょう」
「簡単に言うわね」
「冴さんなら僕の勝手な推理が無くたって同じような結論に辿り着いていたでしょうから。それに腹は決まってるんでしょう? 僕も一緒です」
「……さっきも言ったけど、守ってあげられないわよ? これまで以上にあなたは危険に晒される。いつ精神暴走事件の被害者になってもおかしくない」
「それは冴さんも同じでしょう。一番確実に身を守るためには、一刻も早く真相を解明すること」
僕は既に明智君を通して敵から危険視されている。言ってみれば冴さん以上に危険な立場にいると言って良い。僕自身が身を守る為にも、冴さんと協力体制を続けていく以外の選択肢は実際には無い。
「ここから先は一蓮托生になるわよ? 私か君、どちらがヘマをしても互いの首が絞まる」
「僕は最初からそのつもりですよ。だってワイルドカードなんでしょう?」
覚悟を問うような冴さんの言葉に、僕がそう返すと冴さんは驚いたように目を丸くした後、呆れたように笑みを浮かべた。
「ちょっとした洒落だったんだけどね」
「ワトソンとレストレードの二人で、酔っぱらったホームズを追いかけましょうか」
僕はそう言って空になったグラスを掲げる。その意図したところを察してか、冴さんも同じく空になったグラスを掲げた。
テーブルの上で合わさったグラスは、チンと軽い音を立て、溶けかかった氷がグラスの中でくるりと回る。
「恰好がつかない乾杯ですが」
「どうせなら一杯だけでも飲んで行こうかしら」