「続いてのニュースです。昨日に引き続き、メジエドを名乗るハッカーによる企業へのサイバー攻撃が続いており……」
渋谷はセントラル街の街頭モニターに流れるニュースは、ここ最近急速にその名を知らしめているハッカーの話題で持ちきりだった。
メジエド
古代エジプトは死者の書に登場する謎に包まれた神様の名が由来であろうそのハッカーは、連日様々な企業や銀行の隠された不祥事を暴いてはこうしてニュースに取り上げられていた。
警察のサイバー部門もお手上げなハッキングの腕を持っており、メジエドという名以外は何もかもが闇の中にあるハッカーはなるほど、その原典をよく表していると僕は暢気なことに感心していた。
そして僕はと言えば、今日は日曜日ということもあってアルバイトの帰りだった。夏休みなので昼間から学生であろう人もチラホラと店内には見受けられたが、あいにくと僕の知り合いに会うことは無かった。そろそろ日も傾きかけた時間になり、シフト交換の時間になったので帰ろうとしたところで流れたのが先のニュースだった。
「また、メジエドは今回のサイバー攻撃に際しても声明文を発表しており、様々なメディア宛に次のような声明文が届けられています」
我らはメジエド
法の目を逃れる悪を我らは見逃さない
狡猾な悪よ、我らを怖れよ
我らはどこにでもいて、どこにもいない
姿なき正義の目を逃れること能わず
街頭モニターに映し出されたのは黒い背景に緑色の無機質な文字で綴られた声明文。その構成、文面にどことなく既視感を覚えた僕は、道の端で少し立ち止まって記憶を遡る。
そこで思い至ったのは怪盗団の予告状だ。既に三回も目にした彼らの予告状は黒い背景に赤のアクセントが入り、新聞の切り抜き文字が並べられたようなそれは、今回公開されたメジエドの声明文と似た印象を与えるものだ。彼らの声明文の内容も、怪盗団を意識しているのではないかと思わせるところがある。
僕がそう感じてしまうのはあるいは、あの日明智君に言われたことに引っ張られてしまっているからかもしれないけれど。
「……怪盗団には死んでもらう」
明智君は無機質な表情でそう言った。
「俺の、彼の計画に怪盗団は邪魔な存在だ」
「けれど同時に、好都合な存在でもある?」
そう問い返してみれば、明智君は微かに唇の端を捲らせて笑った。
「どうしてそう思う?」
「怪盗団は精神暴走事件と同じ手口で改心事件を起こしている。考えるまでもなく身代わりに最適じゃないか」
「……それを企てて、可能にしてしまうような相手を敵に回すことに怖れは無いのかい?」
「味方がいれば、怖くとも進めるかもね」
「俺にそれを期待するのは止してくれ」
僕の視線を振り払うように、明智君は
「君は自分をモラン大佐だなんて嘯くけど、モリアーティじゃないってだけじゃないか」
「何……?」
「君は自分をモラン大佐だと思い込んでるホームズかもしれない。僕にはやっぱり、ホームズの役は荷が勝ちすぎるからね。ワトソンの方が性に合ってる」
訝し気な表情を浮かべていた明智君だったけれど、僕の言葉に微かに目を見開くと、また不機嫌そうな表情に戻ってしまった。
「……怪盗団の名声は邪魔だ。だからこそそれを失墜させるか、あるいは利用するかでまだ揺らいでる」
そして僕から視線を外し、まるで独り言のように小さな声で呟いた。
「…………僕がホームズだというなら、その助手を探偵自身の手で始末させないでくれ」
付け足されたその言葉は、普段の彼からも、そして自分を
それは、彼にとって僕が簡単には切り捨てられない存在だということを明らかにしてしまうもので、本来なら彼が見せてはいけないはずの一面のはずで、だからこそそれを僕に見せる程に、彼自身も揺らいでるのだと僕には思えた。
「なら、僕の手を借りなくともライヘンバッハの滝から帰ってきて欲しいな。221Bで君を待つだけじゃ、素直に帰ってきてくれなさそうだからね」
「……怪盗団に対して手をこまねいているばかりじゃない。既に蜘蛛の巣は張り巡らされてる。絡め捕られないようにしなよ、海藤君」
「徹、とは呼んでくれないのかな?」
明智君は僕の言葉に返答することなく、それだけ言うとダーツバーを後にした。
その日以来、明智君は僕に連絡を寄越すことは無くなった。僕からのメッセージを読むことすら無くなってしまった。
僕を捜査から外すという名目で連絡を絶ったと冴さんには伝えたらしい。そして冴さんとも連絡を連絡をあまり取らないようになったと冴さんがため息交じりに電話で話してくれた。
「怪盗団を排除する為の蜘蛛の巣。それがメジエド?」
誰に聞かせるでも無く呟いた僕の言葉は、スクランブル交差点の雑踏へと消えていった。
しばらくぼんやりと街頭モニターに映されたニュースを眺めていると、ゲストとして呼ばれたのであろう明智君の姿が映し出された。
「メジエドは怪盗団とやや似ていますね。どちらも正体を隠し、法で裁けぬ悪を裁くと表明しています。またやり方も企業、あるいは個人の不祥事を何らかの手段で暴露するといった手口。強く怪盗団を意識しているものと思われます」
「確か過去にもメジエドと名乗るハッカーが様々な企業にサイバー攻撃をしていたんですよね?」
「ええ、その通りです。ただ、そのときは今回のような声明文を出すことも無く、ただサイバー攻撃で得た情報をばら撒いたり、あるいは企業に対して身代金を要求したりと愉快犯のような一面が強かった。そういう意味で今回のメジエドは怪盗団を強く意識していると言えるでしょうね」
キャスターの質問に淀みなく答える明智君は、まさに多くの人が憧れる探偵王子の姿だ。少し前にも似たような高校生探偵が活躍していたのをテレビで見た気がする。確か、白鐘、という名前だったような。
などと益体も無いことを考えながら駅に向かって歩いていた僕は、雑踏の向こう側に見慣れた人影を見た気がして足を止めた。
「今こそ、私達は若者が安心して暮らしていける世の中を作っていかねばなりません。その為に出来ることを、私はしていく所存であります!」
駅前でそう声を張り上げているのは街頭演説をしているのであろう議員先生。のぼりに書かれている名前は吉田寅之助。確か、数年前に不祥事を起こして政界から半ば追放されるような形で身を引いた政治家だったような。いや、そんなことよりもだ。僕の視線は演説をする吉田さんの隣でプラカードを持って立っている彼女に向いていた。こんなところで何をしているんだ、雨宮さんは。
思わず駆け寄ってそう言いそうになったけれど、街頭演説の手伝いをしているのであろう彼女に声を掛けてしまうと吉田さんの邪魔をしてしまうことになるので、ひと段落がつくまでは見守ることにしようと僕は群衆に紛れて彼の演説に耳を傾けていた。
「私は過去に多くの間違いを犯してきた恥ずべき人間です。しかし、そんな私だからこそ、伝えられるもの、変えられるものがあると私は考えています。信じてくれなどとは言えません。ただ、今の私の姿を見て、私の言葉を聞いて欲しいのです。私と考えを同じくする人が一人でも増えてほしい、そう思って、私は今ここに立っています」
語る内容はどこまでも抽象的な内容だ。政治家であれば何を変えるのか、どう変えるのかをもっと説明すべきだと感じられても仕方ないと思ってしまうほどの。けれど、内心はどうあれ背筋をピンと伸ばし、ハキハキとした声で話すその言葉は、聴衆の心に引っ掛かる。
よく見れば、彼の足元に置かれた段ボール箱には小さな冊子がぎっしりと詰められていた。なるほど、そこに彼が目指す政治の姿が具体的に綴られているのだろう。街頭での演説はあくまで聴衆の耳を、心を惹きつけるためのもの。そして気になった人間は冊子を手に取り、彼が語る理想とは何かを具体的に知ろうとする。その時点で、ただ雑踏に向かって自身の考える政策を喚き散らすよりもよっぽど深くその人の心に吉田寅之助という存在は刻まれることになる。受動的に聞かされるのと、自発的に手に取ったのとでは記憶への残り方が違うからだ。
見れば、彼の周囲で彼の演説の手伝いをしているように見えるのは雨宮さん一人だけだった。ということは政党に所属していない、かつ後援会なども無い本当に個人で戦っている人なのだろう。だからこそ他とは違う攻め方をする。そうじゃないと組織の差で、資金の差で負けてしまうから。
「……本日はここまでとさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました」
気が付けば最後まで彼の演説を聞いていた。まばらな拍手が飛ぶ中、僕はプラカードを抱えた雨宮さんの下へと向かう。
「こんばんは、雨宮さん」
「あ、副会長」
僕が声を掛けると、彼女はそこで初めて気が付いたような顔で僕を見た。
「おや、友人かい?」
それに気が付いた吉田さんが僕達の所に歩いて来て、人の好い笑みを浮かべて僕に話しかけてきた。
「どうもはじめまして。雨宮さんと同じ学校に通っています。海藤と言います」
「ご丁寧にありがとう。挨拶が遅れてすまないね、吉田寅之助という。しがない政治家崩れだよ。もしかして演説を聞いてくれていたのかい?」
「ええ、最初は知り合いを見て気になってしまったんですが、気が付いたら最後まで聞いていました。良い演説だったと思います。良ければ吉田先生の冊子を一冊頂いても? あいにくと選挙権は無いのでお力にはなれないですが」
「ありがとう。君や雨宮くんのような若者にそう思ってもらえると私としても勇気が出るよ。冊子についてはどうぞ持って行ってくれ。その歳で政治に関心があるだなんて、素晴らしいことだと私は思うよ。投票などということは考えず、是非君の今後に少しでも活かしてくれると嬉しい。それと、先生というのは不要だよ。現役議員ならいざ知らず、今の私はただのしがない議員志望の人間でしかないのだから。先生、などと呼んでもらうような立場の人間じゃあない」
僕の申し出に、吉田さんは嬉しそうに頷くと、段ボール箱から冊子を取り出して手渡してくれた。コンビニかどこかで印刷したのであろうものを自分で綴じたと思しき簡素な作りだけれど、中身は吉田さんの考えが詳しく記載された立派なものだった。
内容的にもここで立ち読み程度で済ませて良いものだとは思えなかったので家に帰ってからじっくり読んでみようと肩に提げた鞄に冊子を丁寧にしまい込む。
「ところで、吉田さんと雨宮さんはどういった繋がりで?」
そして僕は本題に入る。そもそも、僕は演説でプラカードを持っていた彼女を見たから足を止めたのだ。
「ああ、雨宮くんも君と同じく政治に関心を持ってくれていてね。他にも、私の演説技術なんかにも目を付けて色々と教えて欲しいと言うので、こうして手伝いがてら私の演説を近くで聴いてもらっているんだよ」
彼女は結構鋭い意見をくれて私としても演説内容を見直したりと助けられている、と言って吉田さんは笑った。
政治に関心を持っている、全てが嘘という訳では無いけれどどこまでが本音なんだろうかと僕は雨宮さんに目を向ければ、彼女はついと目を逸らした。これは、何か話していない目的があったりするんだろうな。と言ってもそれを暴き立てようだとかそんなつもりは無いけれど。
「そういうことだったんですね。確かに僕も聴いていてすごく内容が入ってきやすい話し方をされるな、と思っていました」
「お、分かるかい? 私の数少ない武器の一つだからね、そう褒めてもらえるのは面映ゆいな」
「あえて内容を抽象的にしているのも、こうして興味を持った人を取り込みやすくする為、と思っても?」
「それは企業秘密、と言っておこうか」
僕が段ボールに詰められた冊子を指して言えば、吉田さんはそう言って片目を閉じた。案外と強かで、それでいてユーモアのある人なんだなと思う。僕や雨宮さんが一般的な高校生に近い価値観を持っているかと言われると、素直には頷けないけれど、それでも若者に好印象を持たれる中年というのは稀有な才能だと思う。
「……副会長、そんなに演説が気になる?」
と、雨宮さんが僕の肘辺り、服の裾を摘まんでクイクイと引っ張る。僕と吉田さんが彼女を放っておいて話しているのが気に入らなかったようで、少しジト目になっていた。
「おっと、私が雨宮くんの友人に構い過ぎても良くないな。私は毎週日曜日の夜にここで演説をしているから、良ければまた聞きに来てくれると嬉しい。気になることがあれば演説中でも質問してくれて構わないから」
「ええ、またお話を聞かせてください」
僕はそう言って吉田さんと握手を交わすと、彼に促されて雨宮さんを家まで送り届けることになった。
「……ところで雨宮さんはどうしてまだちょっと不機嫌そうなのさ?」
「……気にしないで欲しい」
「そう言われても服の裾をずっと摘ままれてるし」
「これは役得だから」
「一体どういうことなのさ……」
結局、彼女をルブランに送り届けるまで、僕の左肘は彼女の可愛らしい拘束を受けることになったのだった。