僕の言葉を聞いた明智君と冴さんはしばらく一言も発さずに黙り込んでしまっていた。
それもそうだろう。自分でもとんでもないことを言っている自覚はある。けれど、考えれば考える程、嫌な方向に糸が繋がっていくように感じてしまうのだ。
そして最悪の方向に繋がってしまう前に、僕はこれを二人に打ち明けることにした。
「……海藤君、あなたはこの事件の背後、精神暴走事件にはこの国の政治が関わっていると主張するのよね?」
「ええ、その通りです、冴さん」
「だけど、だとしたらどうして怪盗団はここまで野放しにされているの? 精神暴走事件の首謀者からすれば、怪盗団は明確な脅威よ。自分達の手口を知り、それを利用している。いつかは自分達のやっていることにも気付くかもしれないのだから、さっさと潰してしまおうとするのではなくて?」
冴さんが顎に手をやりながら考えを述べる。僕もそこに関しては悩んだところだ。精神暴走事件の犯人が怪盗団の手口を知ったとすれば、それを野放しにして得られるメリットとは一体何だろうか。僕が思いついた考えはそこまで多くは無い。
「怪盗団に罪を被せてしまうつもりではないか、と思います。怪盗団を潰す、というか捜査するのは今まさに僕達や警察が進めてますからね。捕まえた後は精神暴走事件なんかも余罪として被せてしまって真犯人は逃げおおせる、といった算段じゃないかと」
「手口を知るものが少ないからこそ出来る手、という訳ね」
僕の言葉に納得のいったように冴さんは頷いた。冴さんに関しては僕はあまり説得が難航するとは思っていなかった。むしろ、この場で最も反応が見たい人間が未だに沈黙を保っている。
「君はどう思う、明智くん」
僕は敢えて問い掛ける。これが明智君を不用意に刺激するようなものだと分かってなお。
かつて僕は彼に言ったじゃないか。たとえモリアーティだったとしても、見捨てないと。
だから僕は目を逸らさない。僕の考えが正しいとしても、まだ彼には別の道を採る選択肢だってあるはずだ。
明智君は目を閉じていた。誰とも目を合わせたくないと言わんばかりに、固く。けれど、僕の言葉に観念したように小さく息を吐くと、その瞼は開かれ、僕と視線がぶつかった。
「君の推理に関して、否定出来る材料は僕には無いかな。怪盗団は精神暴走事件とはまた別軸で話すべき、かもしれないね」
「それだけじゃない。精神暴走事件の背後にある繋がりについて、君はどう思う?」
「……僕から言えることは、君の推理が正しいとすれば僕達全員が今すぐこの事件の捜査から手を引くべきだということだけだよ」
明智君はどこまでも高校生探偵としての仮面を被ったままだった。
「政治が絡んでいるとすればその闇は僕達が想像するよりも深い。そんなの、一介の高校生二人と検事一人で何とか出来る問題じゃない。見なかったことにして、闇に葬るのが正解だ」
「ちょっと待って、まさか見逃すとでも言うつもり?」
事件から手を引けという明智君に対し、冴さんが語気も荒く詰め寄るが、明智君は一歩も引かず、むしろ冴さんがたじろぐ程の眼光で睨み返した。
「じゃあ逆に聞きますが、冴さんは守り切れますか? 感知できない方法で精神を弄り、廃人にしてくる人間を相手に、後ろ盾のない高校生二人と自分自身を」
「それは……」
明智君に問い返され、冴さんは言葉に詰まる。明智君の言う通りなのだ。僕達は今、非常に危ない橋の上にいる。普通に考えて、僕の妄言が確かならもうこれは一介の探偵や検事の手に負えるものじゃない。ドラマや映画じゃあるまいし、僕らだけで解決できるような規模じゃなくなってしまっているのだ。
けれど、そうやって当たり前のことを言っているような明智君の表情が、僕にはどこまでも痛々しいものに見えた。それは僕が彼に対して先入観を持ってしまっているからかもしれないけれど。
「明智君、僕らの手に負えないと言うけど、君ももう手を引くということかい?」
「……精神暴走事件についてはそうせざるを得ないだろうね。怪盗団を追いかけることに専念するよ。改心事件も精神暴走事件も、僕の正義に照らして許せない」
「だけど、そうすれば怪盗団は精神暴走事件という謂れのない罪を擦り付けられることになるわ」
「じゃあ怪盗団からも手を引きますか? 冴さんはそれで良いんですか? 上に上がるためのチャンスでしょう?」
会議室内には重たい沈黙が漂う。明智君の言葉は見事としか言いようがない。僕が穿った見方をしていなければ、明智君の言うことには一分の隙も無い、だから冴さんも口を閉ざすしかない。
「海藤君、君にももう手を引いて欲しい。いや、こういう言い方だと良くないな。もうこれ以上は深入りするな。これ以上は、冴さんも、僕だって庇い切れないからね」
明智君の鋭い目は次に僕の方に向けられた。彼の言葉はどこまでも正論だ。これ以上は一介の高校生が分け入って良い領分ではない。本当ならここで手を引いておくべきなのだろう。けれど、僕は止まらない、止めれない。
「……無理だよ、明智くん。ここまで知ってしまったら、もう止まれない。それに僕の友達がそれに巻き込まれようとしてるんだ」
「……それは捜査資料にもあった雨宮さんや坂本君のことかな?」
明智君の探るような視線が僕の一挙手一投足を逃さぬと言わんばかりに僕を射抜く。探偵として働く中で培った観察眼を駆使して、僕の些細な反応から全てを詳らかにするために。
「違うさ。巻き込まれようとしているって言うのは君のことだよ、明智くん」
「僕……?」
けれど、僕の言葉に明智君は驚いたように目を丸くした。そこまで意外に思われるようなことを言った覚えは無いのだけれど。
「君は僕のことをただの助手としか思ってないかもしれないけど、僕にとって君は友達なんだ。その友達が危ない目に遭うかもしれないっていうのに、それを知っているのに助けないっていうのは嘘だろう?」
「何を、馬鹿なことを。だって君は……」
その先にどのような言葉を紡ごうとしたのかは定かではない。明智君は冴さんに視線を向けるとまた表情を硬くして口を閉ざしてしまったからだ。
「……取り敢えず、この話については少し時間を置いて各々考えることにしましょう。明智君の言う通り生半可な覚悟で手を出して良い山じゃないわ」
冴さんのその一言で、今日のところは解散となった。場合によっては、今後は明智君からも冴さんからも僕に連絡が来ることは無くなるだろう。ただ、もしそうなったとしても僕は僕で動くことを止めるつもりは無い。立ち止まってしまうと、言いようのない焦燥に駆られるからだ。
貸しオフィスを出て、一人で電車に乗っていると、僕のスマホにメッセージの着信を知らせる通知が鳴った。差出人は、先ほど別れたばかりの冴さんからだ。
『あの話、どこまで本気?』
『全て本気ですよ』
『そう……。だとしたら、本当に私じゃあなたを守り切れないわ』
『目立たないように動く、という段階はもう過ぎてしまったと思います。後はどこまで味方を増やせるかです』
『検察庁じゃ私は出世頭だけどその分やっかみも多いわ。味方は多くない』
『だったら、敵方への離間工作しか無いでしょう』
『誰が敵かも分からないのに?』
『誰もが敵ですよ』
『……本当に、今の私にとってはあなたが切り札ね』
『ジョーカーにしては頼りないですけどね』
そのメッセージを最後に、冴さんからの返信は途絶えた。メッセージを読んだことは分かるので仕事に戻ったのだろう。僕も最寄り駅に着いたので電車を降りる。
「海藤君」
家に帰ろうかと踏み出した足は、背後から掛けられた声でピタリと止まった。
「まさかここまで黙って尾けて来たのかい?」
振り返れば、いつもの柔和な笑みを引っ込め、能面のような表情で僕を見つめる明智君の姿。
「申し訳ないね。だけど、もう少しだけ話がしたかったんだ。君と二人だけで」
「……それなら、少し歩こうか」
生憎と僕の最寄り駅付近にはゆっくりと腰を落ち着けて話せるようなカフェなんかは無く、僕は明智君の案内で彼の行きつけだというダーツバーへと連れて来られた。
「……」
人の少ない端の席を用意してもらい、飲み物を片手に座る明智君は、向こうから誘って来たのにぐっと黙り込んだままだった。
僕も無理に話をすることも無く、グラスに口を付けてゆったりと時間が流れるのを感じる。
「……精神暴走事件の裏には政治が絡む、本気で言っているのかい?」
どれだけの時間が流れたのか分からなくなってきた頃、ようやく明智君は一言だけ呟くように言葉を発した。
「本気だよ。そして、そこには君も関与していると僕は思ってる」
「……それは事件を調査する探偵として?」
「……かもね」
言葉を濁したけれど、その含意は明智君には十分に伝わったことだろう。
「結局、君はワトソンじゃなくてホームズだった、というわけだ」
「それじゃ君はモリアーティだとでも?」
僕と明智君以外が聞いてもおよそ内容の掴めない会話だろう。だけど、僕達二人の間では十分に伝わる。
「ハッ、
明智君はそう言うと片手で自身の前髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。引きつったように片側だけ吊り上げて浮かべる笑み、普段の彼からは想像も出来ない表情だけど、いつもの柔和な笑みを浮かべているときより、明智君は楽に笑っているように見えた。
「ポーロック、モラン、ヘルダー。差し詰め俺はモラン大佐かな」
自分は蜘蛛の巣の中心に座る人物を知っている。暗にそう言う明智君は、目に危険な光を宿して僕を見据えた。
「だけどそうだとして、君が無事で済むわけないよね?」
「……だろうね。だけど、僕は君がポーロックのように手紙を送ってくれることを期待するよ」
「……今更俺がまともな道に戻れるとでも?」
「さあね、それを判断するのは僕じゃない。この国の司法だ。僕はただ、君を待つことしか出来ないよ」
僕の言葉に、明智君は苛立ちを隠せないように舌打ちをする。
「どこまでも、人のことを分かったように……!」
「分からないさ、何一つ分からない」
明智君の言葉を僕は否定する。僕は明智君を理解など出来ていない。だけど、僕は理解できなくとも、信頼している。
「君が裏で何をしているかなんて知らない。僕にとって明智吾郎という人間は胡散臭い笑みを浮かべて、甘党で、頭が切れて、人との距離感が少しおかしくて、たまに似合わない偽悪的な言動をして、そして僕の友人なんだ。その人の全てを理解するなんて出来ないけれど、僕に見えているその面を、僕は信頼するよ」
「……狂ってるよ、君は」
「自分のことをモラン大佐だなんて言う君に言われたくはないかな」
唇の端を吊り上げて笑う明智君に、僕もいつもより悪そうな笑みを浮かべて返す。自分でも似合わないと思ってるけど。
「俺は止まらない。だけど、手紙を出すくらいはしても良い」
「……そう、じゃあ僕はそんな君を止めてみせるさ」
「どうして君はそこまで出来るんだい? 僕と君は赤の他人じゃないか。それもここ数ヶ月の付き合いしか無いようなね」
「僕は人の付き合いって時間じゃないと思ってるんだよね。それに言ったじゃないか」
僭越ながら僕がホームズになって、一緒にライヘンバッハの滝に飛び込んであげるってね。