『お前は怪盗団の一員か?』
アリババを名乗る差出人不明のメッセージはそれだけ。だというのにその文面から伝わってくる圧力に僕は思わず手が震えるのを感じた。
もう動きを悟られた? にしてもあまりにも早すぎる。佐倉さんに話を聞いた直後にこのメッセージが来るなんて先ほどまでの会話がどこかで聞かれていたとしか思えない速度だ。あるいは丸喜先生のところからだろうか。だとしても数時間程度しか変わらない。
メッセージを見て固まっている僕にしびれを切らしたのか、僕のスマホに通知音と共に新たなメッセージが届く。
『怪盗団の一員ではないのか?』
『ならば何故認知訶学について調べている?』
『その知識を何に利用するつもりだ』
確認するようなメッセージ。そこに微かな戸惑いと警戒が見えた。
これに対しどう返すのが正解か。顔も見えない相手との文字を介した会話は僕の最も苦手とするものの一つだ。出来れば顔を合わせて話をしたいけれど。
『違います。僕は怪盗団ではありません』
『怪盗団では無いのなら何故認知訶学について調べている』
『悪用を企てているのならば相応の報いを受けてもらう』
相手の反応が速くてついて行けない。スマホで文字を打つのは苦手なんだ。
『認知訶学を悪用するつもりも無いです。調べていたのは僕の友人がこれに関連する事件に巻き込まれているから、何とか助けたいと思ったからです』
『……』
『そうか』
『信用は出来ないが、ひとまずは信じることにする』
『だが、怪盗団の一員では無いと言うことはお前から怪盗団にコンタクトを取ることは出来ないのか』
細切れに送られてくるメッセージを追うので精一杯になる。こんな風に話すのなら直接電話をした方が早いと思ってしまうのだけど、流石に正体も何も分からない相手に僕の電話番号を知らせる気にはなれない。いや、もしかしたらもう僕の番号くらいは知られているのかもしれないけど。
『怪盗団にコンタクトを取りたいのは何故?』
『……』
『お前には関係ない』
『ともかく、これ以上認知訶学を調べようとするのは止めろ』
『今回は見逃すが、次は無い』
僕の方から投げかけた疑問に答えることなく、対話は一方的に打ち切られた。メッセージを送り直してもエラーが出て送信することが出来なくなってしまった。
アリババと名乗る謎の人物。彼あるいは彼女は、僕が認知訶学について調べているという情報を驚くべき速度で捕捉し、更にコンタクトを取ることも出来る存在だ。
だが一方で、アリババ自身は精神暴走事件や改心事件には関与していないようにも思えた。二つの事件に関与しており、尚且つ僕の動きを把握出来る程の人物であれば、僕を見逃すことは無いと思う。それほどまでに、僕は危うい立場にいる。それくらいは僕にも理解できる。佐倉さんにだって釘を刺されたのだから。
「と言っても、僕はそれで止まるような殊勝な性格は生憎としてないんだけどね」
誰に言うでもなく呟いた僕は、携帯をポケットにしまおうとしたところで、再度メッセージの着信を知らせる振動を手に感じた。
「……おっと、これはまたある意味タイムリーな人から」
画面に表示された送信者の名前を見た僕はある意味狙い済ましたようなタイミングだと笑ってしまった。実は彼も僕のことを監視したりしていないだろうな。あながち間違っていないかもしれない。
メッセージを見たのに返信しないでいることにしびれを切らしたのか、今度は着信。なんてせっかちなんだ。
「やあ、今時間あるかな?」
「返信無いからすぐに電話なんて急ぎの用事かい? 明智くん」
電話の向こう側でクスクスと笑っている明智君の顔が容易に想像できた。
「急に呼び出して悪かったね」
「本当にね」
「私まで呼び出すなんて余程のことというわけ?」
明智君に指定された場所に顔を出してみれば、そこには彼以外にもう一人、冴さんの姿もあった。
「こうして三人揃うなんていつ以来かしら?」
「基本的に冴さんも明智くんも多忙ですしね」
オフィス街、貸し会議室の一室だろうか。誰にも話を聞かれないようにと考えるとこういう場はちょうど良いのかもしれない。少し小さめの会議室に僕と冴さんを呼んだ明智君は、僕と冴さんの前に簡素に綴じられた紙の束を差し出した。
「今日二人を呼んだのは僕の方で調べていたことがある程度纏まったから、その情報共有かな」
明智君に渡された紙束の一枚目、そこに簡素な字体で書かれていたタイトルは『改心事件の考察と怪盗団を名乗る一味の正体に関する調査書』。
そこにはどこから調べ上げたのか、鴨志田、班目、金城の三名の聴取結果をまとめた三件の改心事件の詳細な時系列。それに名前は伏せられているものの、関係者への聞き込みも合わせて三人のプロファイリングも込みの資料。
「僕の推理である金城と怪盗団の繋がり、それは今回の金城の自白で無いと分かった」
資料に目を通しながら、明智君は調査の進捗について話してくれる。
「それについては、僕の推理より君の推理が正しかったということになるね、徹」
「別に推理が当たっていたから嬉しい、という気持ちは特に無いけどね」
「だけどもう一つの懸念。精神暴走事件の犯人が怪盗団と同一人物であるというものについては、今回の調査でよりその信憑性が増したと僕は考えている」
明智君は警察と協力して今回の改心事件の取り調べを進める傍ら、過去の精神暴走事件についても独自に調査をしていたらしい。それによれば、精神暴走によって事件を起こし、明智君によって検挙された人間の証言と今回の改心事件のターゲット三人の証言はいずれも重なるところが多いことが判明した。
「精神暴走事件で犯人になった、されてしまった人は皆、ある日突然自分の中の衝動が抑えきれなくなったと言っているんだ。しかも、その証言をした後に獄中でいずれも死亡している」
「……改心事件のターゲットになった三人は?」
「それに関しては今のところ何も」
「その情報だけ聞くと改心事件と精神暴走事件の差異の一つだと僕は思うけど?」
「怪盗団の世間イメージは義賊だ。そのイメージを保つのに、ターゲットが獄中死したなんてニュースは報道されちゃいけないだろう?」
精神暴走事件を経て改心事件を起こした怪盗団、という犯人像を明智君はあくまで崩す気は無いらしい。
明智君にしては珍しく強情だと思えるほどに。
丸喜先生や佐倉さんと話したからでもあるのだろう。僕にとってその姿は怪盗団に精神暴走事件の犯人であって欲しいと望んでいるようにも思えてしまう。僕の思い込みのせいであると自分に言い聞かせた。
「精神暴走事件の主犯は怪盗団、その推理を否定する気は無いけれど、あまりにも拘っているように見えるわね」
けれど、同じことを冴さんも感じたらしい。資料に目を通しながら、それでも明智君の推理に対して冴さんは彼女なりの疑問をぶつけていく。
「精神暴走事件と改心事件を同一視し続けるのも危険だわ。そもそも今まで精神暴走事件でも十分に社会にその影響を及ぼしてきた犯人がどうして改心事件で知名度を稼ぐ必要が出てきたのかしら?」
「それについては犯人に聞いてみないと何とも……。そもそも動機なんて無い。気まぐれ、という可能性も十分にありますからね」
「その動機を考えるのが裁判における検事の仕事だし、事件における探偵の仕事じゃない?」
冴さんの言葉に明智君が言葉に詰まった。そこで冴さんの視線は僕に移る。
「あなたはどう思うかしら? 精神暴走事件と改心事件の犯人は同一犯じゃないという立場に立つあなたの目から見て、この資料はどう映るかしら」
冴さんは僕にあえて見せつけるように資料を掲げる。ここまで強調するということは冴さんが何を言いたいのかは何となく予想がつく。
認知訶学については伏せろ。
そう言っているのだ。認知訶学の資料を僕に渡したこと、冴さんは明智君に共有していないはず。冴さんにとって僕が認知訶学を知り、独自に調べを進めているのは彼女以外の誰にも知り得て欲しくない切り札ということなのだろう。僕としても、また違った理由で明智君に僕が認知訶学を知っているということは知られたくない。だから僕は手元の資料から得られた情報だけで話を進める。
「最初に言っておきますけど、明智くんの資料はよく調べられていると思います。改心事件のターゲットとその周囲の人間関係を洗い直し、その上で怪盗団の容疑者として疑いのある人間のリストアップまでされている。僕が最も疑わしい人物となっているのは、まあ自分でもそうなるだろうなとは思ってるから何も言えないや」
資料を捲っていけば驚くほどにその資料の精緻さが伝わってくる。ここまでの情報を集めるのにかかった時間も、それを纏める時間も、想像もつかないものだったに違いない。
容疑者のリストアップにも余念が無い。鴨志田先生の改心をきっかけとしたことから秀尽生に焦点が当てられており、そこから斑目、金城と関係性の絞り込みを掛けていく。驚くことに、雨宮さんや坂本君、高巻さんが既に怪盗団の容疑者としてピックアップされていた。
これまでのターゲット三人全員と多かれ少なかれ関わりがあり、その上でその他の疑わしい人物とも関わりを持っている人物として僕が怪盗団の筆頭容疑者になっているのは我ながらあまり否定のしようが無くて苦笑しか出来ないけれど。
「資料を纏めながら僕も頭を抱えたよ。客観的に考えれば考える程、君が怪盗団であると全てがしっくり収まってしまうんだから」
明智君も僕と同じように苦笑する。そこまで言いながらも、明智君は僕が怪盗団では無いと確信しているらしい。僕もどうして信用されたものだと思う。
「じゃあ僕が怪盗団だと仮定したとして、精神暴走事件が始まったのは僕がまだ高校生にもなっているかいないかって頃だ。そんな時分の人間の行動範囲で精神暴走事件を起こす余地があると思うかい? この容疑者リストはまずその観点が抜け落ちている」
「……続けて」
「精神暴走事件の犯人は怪盗団と同じ力を持っている。それについては僕と君の意見は一致していると思う。その上で違うのはここからだ。精神暴走事件は恐らくその裏に僕らの予想もつかない人物、ないしは組織が関わっている」
「その根拠は何? 根拠が無ければ明智君の推理と何も変わらないわ」
冴さんからも疑問が飛ぶ、というよりは僕が話しやすいように敢えて話題を振ってくれているんだろうな。ただ、僕だって冴さんや明智君から情報を貰ってばかりじゃない。自分の足で稼いだ情報だってある。二人のそれよりはよっぽど少ないけれど。
「冴さんに言われた通り、過去の精神暴走事件をもう一度調べました。新聞記事からネット記事、果ては個人のブログまで。漁れるものはとにかく全部です」
それでも大した情報量にはなっていないだろうけれど、それでも見えてくるものは少しだがある。僕が陰謀論に憑りつかれてしまったというのではない限りだけれど。
「大企業の不祥事、省庁役人や政治家の汚職や醜聞。精神暴走事件は必ずこうした大きな事件とセットで起こっているような気がしました」
「……どういうことだい? そういう類の話は多くは陰謀論の域を出ない。それこそ根拠が無いと話にならない」
明智君が僕を鋭い目で睨む。探偵として、自身の推理に自負があるからこそ、僕が突然打ち出した荒唐無稽な話は受け入れ難いのだと思う。だけど、僕も無根拠にこんなことを言いだしたわけじゃない。
「個人的に知り合った記者がいまして。色々と話を聞けたんですよ」
怪盗団事件を間近で見てきた人間として、その事件に関して私見も交えて情報を提供する。代わりに僕も僕で知りたいことを色々と聞かせてもらった。元々は週刊誌のゴシップなんかじゃなく、社会部で政治家の動きを追ったりもしていた彼女だからこその知見、そして情報は僕にとっては千金の価値があった。
この話が終わればまた大宅さんのお酒に付き合う必要があるかもしれない。
「その話とは?」
「精神暴走事件は当時から週刊誌の格好のネタだったらしくてですね。その記者さんが話を聞きだした官僚が次の日には自分の所属する省庁の汚職について全て暴露する遺書を残して自殺したりだとか、当時の大臣は辞任する羽目になったらしいですよ」
「その一件だけで精神暴走事件には政治が絡んでいると?」
「まさか、これだけじゃただの陰謀論だと思うさ。だけど、君が資料にきちんと書いてくれているじゃないか」
僕はパラパラと資料を捲って目的のページを探し出す。それは斑目と金城の事件聴取の記録。
「斑目は贋作販売で得た資金、金城は特殊詐欺で稼いだ資金を、それぞれどこかに流していたのは確かだ。私腹を肥やしていた分ももちろんあるんだろうけどね。だけどいずれも得た資金の一部は送金していたとある。その先までは言えなかったみたいだけど。君がここに書いている」
「それは……」
「どこまで資金が流れていたかは定かじゃない。本当だとすればいくつも口座を経由している。その大元に辿り着くのは容易じゃない」
もし僕の予想通りだったとすれば、僕の言っていることは全て自分の身を危険に晒す行為だ。
「この国で一番お金がかかる行為って何だと思う? 選挙だよ。選挙には大きな金がかかる。ただの一般人が政治家二世に敵わないのはその地盤があるからだけじゃない。資金力の差があるからなんだ。動かせる人が違う、動かせる物が違う、出会える人が違う。ここまで大規模に金を集める人間だったら考えることはただ私腹を肥やす、といったものじゃない。金で金を集め、金に働かせるんだよ」
「ちょっと待ちなさい。それじゃあなたは精神暴走事件の背後にはこの国の政治が絡んでいると言いたいわけ?」
冴さんが信じられないという表情で僕を見る。
「度重なる政治家、官僚の汚職。明日には誰が自分の醜聞を暴露するか分かったもんじゃない。その中であっても尚威勢よく言葉を発し、周囲の注目を集めている人物。それが出来るのは自分に後ろ暗いところが何も無い人間か、あるいは自分だけは安全圏にいると分かっている人間だけだと僕は思いますよ」
さあ、明智君、冴さん、あなた達は僕の言葉をどう受け止める?
願わくば、妄想に憑りつかれた人間の言葉だと一笑に付して欲しいものだ。