Persona5 ーRevealedー   作:TATAL

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Profoundness of ignorance

「認知訶学……これまたマイナーなものを知っているんだね」

 

 期末試験の結果も発表され、無事に終業式を迎えた日。僕は冴さんから貰った資料を片手に丸喜先生のもとを訪れていた。

 試験に関しては今回も学年首位の座を守ることに成功した。新島さんは雨宮さん他後輩の面倒を見ていたこと、それに加えて教師陣の容赦のない出題に点数を少し落としてしまったようで、次こそは勝つと息巻いていた。

 

「怪盗団の改心事件に絡んで僕の友人が見つけてきたものです」

 

「改心には認知訶学が関係していると?」

 

 僕が持ってきた資料をパラパラと眺めながら丸喜先生は呟く。

 

「物理的な世界とは別に、その人だけが持つ認知世界が存在する。認知世界はその人の認知によってその様相を変える。裏返せば認知世界を何らかの手段で他者が改変すればその人の認知に影響を与えられる。一色若葉さんのこの論文はその可能性を支持するものだと僕は思っています」

 

「……そうだね。君の考えは概ね正しいものだと僕も思うよ。その可能性をより確実にすることが、僕の学生時代のテーマだったんだから」

 

 カウンセラーである丸喜先生はやはり認知訶学について知っていた。何なら、僕の予想以上に深く知っているようだった。

 

「認知訶学について教えていただいても?」

 

「うーん、とはいえ僕が話せることもあんまり多くないんだけどね。この分野が出来たのってそれこそここ数年、しかもパイオニアである一色博士が既に亡くなっているから……」

 

「亡くなっている?」

 

「そうだよ。それも認知訶学について大きな学会での発表を控えた時期のことだったからね。それもあって今じゃ下火になってしまっているよ」

 

 丸喜先生の話では、元は心理学と認知科学の一分野として派生した学問ではあるが、一色若葉という天才が現れるまでは物好きだけが研究する与太話の類だったそうだ。

 その人の認知によって世界の見え方は変わる。哲学に半分足を突っ込んだ言説に加え、更にその認知が一つの世界を形成しているなどという話は多くの科学者の物笑いの種でしか無かったという。しかし、一色若葉はその世界の存在を確信し、それを外部的に変化させる手段についてまで構想を持っていたと言う。その実績もあり、認知訶学は一躍学会の注目の的になった。資金難に喘いでいた研究機関も、一色若葉の功績によって補助金を受け取ることが出来るようになり、研究の見通しは明るいものになりつつあったらしい。

 

 だけど、その矢先に一色若葉の訃報が届く。それが学会に与えた衝撃はかなりのものだったという。

 

「何せ界隈では一番大きな学会だったからね。一色先生も相当気合が入っていたらしいよ。ただ一方で私生活では追い詰められていたらしくてね、シングルマザーで仕事と育児の両立が難しくなり、育児ノイローゼになっていたかもしれないなんてことを言っているニュースか新聞記事もあったと思うよ」

 

 一色若葉の死により、認知訶学は牽引する存在を失い、再びマイナーな学問に逆戻りしてしまったらしい。彼女が残した研究データやメモもあるものの、それを紐解ける人物も極僅か、更には目立った進捗を生み出せないとなれば、スポンサーが離れていくのにそう時間は必要無かっただろう。そんな認知訶学に丸喜先生が興味を持ったのは、大学の講義の中でその名前を知ったことがきっかけらしい。

 

「認知世界において、その人がどのように世界を認知しているかが分かれば、心理療法は更に適格な手段を以て患者の治療にあたることが出来る。トラウマ治療の為と言ってトラウマを捏造する、ということが無くなるわけだからね」

 

 丸喜先生は心理学を専攻する中で一色若葉の論文を知り、興味が湧いた。しかし、認知世界というものはそもそも観測することも出来ず、一部の研究機関くらいしか専門的な設備を備えていなかったため、丸喜先生に出来たのは過去の文献調査くらいだった。

 

「一色先生は認知世界にはその世界の主、認知している人ともいえる人物がいると言っているんだ。それはその人の無意識の人格であり、だからこそそこで話される内容に嘘は無い。催眠療法よりもよっぽど効率的にその人の無意識に干渉できる手段だね」

 

「ですがそれは認知世界に干渉出来る術を持った人物がいたとすると、非常に危険なことになりますよね?」

 

 丸喜先生の話を聞いて思ったことがそれだ。怪盗団の改心然り、精神暴走事件然り、一色若葉の論文の通りだとすれば、認知世界の主、すなわち無意識に干渉して改心や暴走を引き起こしていることになる。改心と暴走をどのようにコントロールしているのかは分からないが、素人から見ればその二つの間に違いを見出すことは出来ない。

 

「君の言う通り、認知世界を他者から自由に改変されるなんて悪夢以外の何ものでもないね。本人すら与り知らないところで自分の意識が改変されてしまうんだから。その危険性については一色先生も別の論文で言及していたよ。ただ、認知世界はその主を守る防衛機構を備えているはずだとも述べていたけどね。人にはそれぞれパーソナルスペースがあって、そこを他者に侵されると不快に思うように、不快、という感情の動きは無意識での排除機構だという説だね。他には実験的な内容だけど、認知世界に意識的に防衛機構となる存在を置く方法についても検討したものがあった気も……」

 

 僕の懸念は、一色若葉にとっても自明なものだったらしい。とはいえ、今まさに精神暴走事件、改心事件という形で認知世界を改変した事例がある以上、その防衛機構とやらにも穴はあるんだろう。あるいは怪盗団や精神暴走事件の犯人はそういった防衛機構に対抗する手段を持っているのかもしれないが。

 

「だけど、認知訶学か。確かに言われてみれば……」

 

「丸喜先生?」

 

 丸喜先生はふと何かを考え込むように視線をテーブルに落とした。

 

「……いや、何でもないよ。それより、君の疑問に答えることは出来たかな?」

 

 丸喜先生は思うところがあるようだが、それを口にするつもりはないらしい。僕としても聞きたかったことは聞けたので深く突っ込むこともしなかった。

 

「それより、さっき君はこの資料を友人からもらったと言っていたね?」

 

「え? はい、そうですけど」

 

 僕の答えに、丸喜先生は少し表情を曇らせた。

 

「最初に言ったけど、認知訶学は今となっては学問としては下火、かなりマイナーな分野になってる。そこに目を付けて、尚且つ怪盗団の改心や精神暴走事件との繋がりを見出すなんて普通の人じゃかなり難しいことだと思う」

 

「つまり?」

 

「君の友人は元々認知訶学を知っていたのかな? もしそうだとすればまだ良い。だけど、これだけは心に留めておくべきだよ。君達が、いや君が相手にしようとしているのは人の心を本人が知らぬ間に改変できてしまう力を持つ人間だ」

 

 丸喜先生があえて言葉にしなかったことは、しかし彼が僕一人を指して言ったためにその含意を僕に教えることになった。もちろん僕の思い込み、思い過ごしなのかもしれないけれど。

 

 明智吾郎は怪盗団や精神暴走事件の犯人と何らかの関わりを持っているからこそ、認知訶学についての知見を持っており、それに目をつけることが出来た。

 

「……気を付けるようにします。とはいえ、無意識に干渉してくる相手に僕の警戒がどの程度通用するかは分かりませんけどね」

 

「ああ、十分に用心してほしい。僕は君と話す時間が好きだからね」

 

 その可能性を否定する言葉が僕の口から出ることは無かった。僕自身、あり得ることだと思ってしまったから。

 けれど、それでも僕にとって明智君は信用に値する、信用したいと思える人間であることに変わりは無い。

 

 

 丸喜先生との話を終えた僕は、帰りの道すがら、頭の中で会話の内容を反芻していた。

 育児ノイローゼで亡くなったとされる一色若葉。直接の死因は車に撥ねられたことらしいというのは過去のニュース記事を検索して知ったことだ。当時の目撃者の証言では、横断歩道で娘と信号待ちをしていた彼女は、突然フラフラと車道に飛び出し、そのまま車に轢かれた。程なくして遺書が関係者に公開され、そこには育児について悩んでいたという記述があったことから育児ノイローゼによる自殺ということでこの一件は決着してしまった。

 

「育児ノイローゼ……」

 

 シングルマザーであれば確かに仕事と育児で忙殺されてしまい、精神的に疲弊していた可能性は否定出来ない。僕には想像することしか出来ないが、プツリと糸が切れてしまったようになってしまったのだとしても頷ける。

 

「だけど何だ、この違和感は……」

 

 あまりにも話が出来過ぎていないか、と思うのだ。

 新進気鋭の学者で、大きな学会での発表を目前に控え、それの直前で育児ノイローゼで自殺? 

 更にはそれ以降、認知訶学の研究は下火になった。だというのにそれと入れ替わるようにして精神暴走事件と思しき事件が発生するようになった。一色若葉の自殺は数年前のこと、一方で明智君の捜査情報と過去のニュース、記事の洗い直しで精神暴走事件が発生するようになったのも数年前。この妙な符合は偶然なのだろうか。

 陰謀論と一蹴されてしまえばそれまでの話だけれど、一色若葉の研究が精神暴走事件の犯人によって悪用されてしまったとする。その場合、悪用する犯人が最初に狙うのは誰になるだろう? 僕が認知世界の存在とその力に気付き、悪用したいと考えたとして、最もその邪魔になりそうな人物と言えば、まさしくその研究の創始者であり、対抗手段を考案する人物、一色若葉になるだろう。

 

 だとすると、精神暴走事件の最初の被害者は他ならぬ一色若葉になるんじゃないだろうか。

 

「丸喜先生はスポンサーも離れていったと言っていた。全てが彼女の研究の有用性から目を背けるためのもの?」

 

 考えれば考える程、精神暴走事件の背後にいるのはただの一個人であるなどとは思えなくなってきた。それどころか、一企業で終わるかも怪しい話だ。

 だけど、ここまではまだ僕の妄想に過ぎない。この仮説が正しいかどうかは検証する必要があるし、その検証については明智君にも、冴さんにも、雨宮さん達にも知らせることは出来ない。何かあったとき、僕一人で手に負える話ではなくなってしまった。

 

「最初に話を聞くべきはやっぱり、この人しかいないかな」

 

 僕はそう呟いて足を止める。一度深呼吸して心を落ち着かせる。もしかしたら、いや恐らく確実に話を聞く過程で怒らせてしまうだろうから、その覚悟をするために。そして、意を決して僕は扉を開く。扉に付けられた、来客を知らせるベルが軽やかな音を立て、カウンターの奥にいた人物が眼鏡の奥から僕をじっと見据えた。

 

「いらっしゃい」

 

「どうも、佐倉さん。また来ちゃいました」

 

 ルブランのマスター、佐倉さんはそう言う僕を見て少しだけ呆れたように笑ったのだった。

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