「今日は本当にありがとうねぇ、副店長」
「まあ人がいなくて困ってるなら出来るだけ助けますよ。あと副店長じゃないですから」
テスト期間が終わり、花火大会があるとのことで老若男女問わず通りが賑わっているであろう今日という日。僕は以前に店長からお願いされたということで人手の足りないバイト先のヘルプに駆り出されていた。
花火大会には屋台も出るので、多くの人はそこで腹を膨らませるものだと思っていたが、花火が始まる前に腹拵えを済ませて場所取りに向かおうと考えるもの、暑い中で屋台に並ぶことを嫌って涼しい店内で食事だけは済ませようと考えるものもいたようで、店内はそれなり以上の賑わいを見せていた。それでいて店側の人数はいつもより少ないのだから忙しさは推して知るべしだ。
「毎年この時期になると人手不足でパンクするんだよねぇ、うち。そりゃ駅前の立地だから仕方ないんだけどさ」
「学生バイトが主力だとこういうときに人手を集めにくいから大変ですね」
今は客の入りも一段落し、昼過ぎから入っていた僕も少しの休憩を摂ることが出来ていた。冷房の効いた休憩室内で、店長と取り留めの無い世間話に興じる。
「そう言う意味じゃ海藤くんは良かったの? 誰かに誘われたりとかしなかった?」
「あー、誘われはしましたねぇ」
「だったら別に休んでも良かったのに」
「とはいえシフトに入るって言ってしまった後でしたし」
「うぁー、これは私が悪いやつだなぁ」
「いえ、別に店長が悪いわけじゃ」
店長が決まり悪そうに頭を掻くが、シフトに入ると決めたのは自分だし、それで後から友人に誘われたからと先約を反故にしてしまうわけにはいかないだろう。
「君は本当に責任感が強いねぇ。でも、まだ高校生なんだからさ、もう少しワガママになってもバチは当たらないよ。高校生の友人達との花火大会なんて一生に三回しか経験出来ないウルトラレア体験だよ? ……私は体験出来なかったけど」
「最後に悲しいオチをつけるのやめましょうよ……」
途中まではカッコいい大人に見えたのに、最後の一言で急に悲しさが増した。僕は店の前にある自販機で購入したは良いもののまだ開けていない缶コーヒーをそっと店長の前に差し出す。
「とりあえず、これどうぞ」
「うう……、優しさが心に沁みる。これで君が学生じゃ無ければ……」
「はいはい、そんなこと言ってないでそろそろ戻りますよー」
店内が少し騒がしくなってきた。次のお客さんの波がやって来たのかもしれない。過去のトラウマを自分で掘り起こしておいて機能不全に陥っている店長を引っ張りながら僕は休憩室を出た。
もう少しワガママになっても良い。両親からも似たようなことを言われた覚えがあるけれど、どうにも僕は年相応の振る舞いが中々苦手らしい。
ふと耳を澄ましてみれば、窓の向こうから微かに雨音。どうやらせっかくの花火大会だというのに夕立が来てしまったみたいだ。これは……。
「店長」
「嫌だ、聞きとうない」
「雨降ってきましたよ」
「聞きとうないと言ったのに……」
「一緒に頑張りましょうね」
「……あーい」
夕立が降り始めて一時の雨宿りのために店内に入る客、そして屋台で食事をし損ねた人々が押し寄せたこともあって一時的に戦場の様相を呈した店内を店長が目を回しながら、僕も珍しくヘトヘトになりながら捌ききった後、ようやくこれまた波が一段落して一息つけるようになったので、僕はフラフラと休憩室に引っ込んだ。
「疲れた……」
今日ほど分身出来ればと思ったことはないかもしれない。流石に三つのテーブルに同時に出現して注文を取ることなんて出来ないし、だからといって店内を走るわけにもいかない。だけど何とか捌ききったのは偉いぞ、僕。
そう思っていると、休憩室の入り口からげっそりとした表情の店長が顔を覗かせた。
「海藤くん、今日は本当にありがとね。疲れただろうし、上がっても良いよ」
「良いんですか? まだお客さん多いでしょう」
「大丈夫大丈夫、もうすぐ次のシフトの子達も来るし、一番忙しいところは乗り切ったから。雨降ってるし、私の置き傘持っていきなよ。黒だから男が使っても違和感無いし」
店長はそれだけ言うとヒラヒラと手を振って再びホールに戻っていってしまった。店長なりに気を遣ってくれたのだろうか。とはいえ今から帰っても花火大会帰りの客でごった返した電車に乗ることになりそうだけど、まあここで僕が残っても店長に余計気を遣わせるだけだし、甘えておくとしよう。そう考えて僕は更衣室に行くと、手早く着替えを澄ませる。
「……まだ時間あるだろうし、ルブランに寄って行くのもアリかもしれない」
着替えながらふと思い立ったことだけど、意外に良い案かもしれない。ルブランならあまり混んでないだろうし、お腹も空いてきたからついでにカレーが残っていたらそれを食べて帰るというのも良い。
そうと決まれば善は急げだ。僕はさっさと帰り支度を済ませ、ホールを早歩きしている店長に傘の御礼を一声かけてからファミレスを後にした。
予想通りと言うべきか、駅には雨に降られて帰ろうとする花火大会客達で混み合っていた。皆雨に降られたせいか濡れており、それもあって駅構内は温度、湿度共に中々のものになってしまっていた。うーん、これはやっぱり時間をずらすべきだったかもしれない。
「──海藤くん?」
そう思っていると、聞き覚えのある声に背後から呼ばれた。そういえば彼女らも花火大会に参加していたんだった。たまたま帰る時間が被ったのだろうか。凄い偶然もあったものだ。
「奇遇だね、新島さん……って、結構降られたみたいだね」
「まぁ、周りの他の人と同じくね。傘も持ってなかったし、コンビニの傘も売り切れてたから、このタオルだけでどうにかしてた感じ」
そう言って手に持ったタオルをヒラヒラと振る新島さん。なるほど、結構な雨だし、花火大会の人が殺到したらそうなるか。それにしても災難な。
僕は手に持った傘に視線を落とす。店長から借りたものだから流石に又貸しはマズイか。ルブランに行くのはまたの機会にしよう。
「最寄り駅から歩くなら送ろうか? 借り物だから又貸しは出来ないけど、それ以上濡れて帰ると風邪ひきそうだし」
「良いの? それは助かるわ」
僕の提案は新島さんに快く受け入れられ、僕は新島さんと電車に乗り、最寄り駅から彼女の家まで同道することになった。
「今日は花火は見れた?」
「見れはしたけど、その後にこれだから最高の思い出ってわけにはいかないかも」
駅からの道すがら、彼女と今日の花火大会についての話が弾む。
「蓮と杏も浴衣が似合ってて可愛かったわよ? 来れなくて残念だったんじゃない?」
そう言って新島さんがからかうように目を細めて笑う。確かに、あの二人なら浴衣もよく似合うだろう。とはいえ、今僕の隣にいる新島さんも相当の浴衣美人だからそれを見れただけでも僕は割りと恵まれている側じゃないだろうか。
「そういうことさらっと言うの、本当に良くないと思うの……」
新島さんは自分が褒められるのに慣れていないのかそう言うと顔を赤くして目を逸らした。濡れた浴衣が彼女の身体に張り付いてしまっているのであまりジロジロと見るのは憚られたが、まあ視線を下に向けてないからセーフだと自分に言い聞かせた。
「ま、こういう機会がまたあったら次は出来るだけ参加したいと思うよ」
「言ったわね? 言質取ったから」
「新島さん、言い方が冴さんみたいだよ……」
抜け目無いところとか特に。やっぱり姉妹なんだろうなぁと考えていると、新島さんが一転して不機嫌そうな目で僕を睨んでいるのに気づいた。あれ、僕何か怒らせるようなこと言ったかな。
「そういうところ、良くないわよ」
「えぇっと……」
僕が口ごもっていると新島さんはますます顔をしかめていく。唇も尖らせて私不機嫌ですアピールを始めていた。新島さんが怒るようなこと、もしかしたらと思い当たるのは一つだけ。まさかと思いながらも口を開く。
「冴さん……?」
「……」
確かめるために再度口にすると、新島さんは気まずそうに目を逸らした。最近の新島さんはお姉さんの話が出るとこうなる。いや、僕が新島さんに隠して冴さんと怪盗団に関連する情報のやり取りをしていたから思うところは当然あることは分かっていた。だけど今はただの世間話の範疇だと思うのだけど。
「というか! どうしてお姉ちゃんは名前呼びなのに私は名字なの!?」
「それは冴さんに名字だとややこしいからって……」
「それなら付き合いが長い私の方を名前で呼んでも良いんじゃない?」
「あー、えっと、そうかもしれない、ね?」
突然何か吹っ切れたかのように僕に詰め寄る新島さんに、タジタジになりながらどうどうと宥めすかす。というか目のやり場に困るから本当に落ち着いてほしい。
「とりあえず新島さん、ちょっと離れよう?」
「いーえ、離れないわ! というかまた名字で呼んだわね!?」
「分かった、分かったから! 真、ちょっと離れて! 目のやり場に困るから!」
「目のやり場……? 何を言って……きゃあ!?」
僕の言葉にようやく今の状況に気づいたのか、自分の姿を見下ろした真が顔を羞恥に染めて飛びすさる。雨に濡れないように追いかけて傘の中に入れてあげるが、彼女は僕とは反対方向を向いたままこちらを見ようとはしない。
「はぁ、もしかして名前呼びじゃないから冴さんの話題が出るたびに不機嫌だったりした?」
「う……」
図星だったのか背中越しに気まずそうな声が聞こえる。なるほど、確かに友人が知らないうちに自分の身内と知り合っていて尚且つ自分以上に親密になっていたら思うところもあるだろう。そう考えると彼女の反応も微笑ましいものに思えてきた。
「あー、大丈夫。あんまり下は見ないようにしてたから」
「そこじゃないわよ!」
僕の言葉に真がこちらを向き直って言う。僕は分かった分かったと言いながらハンカチを渡した。さっき傘から出たせいで少し雨に濡れてしまっているし、彼女が手に持ったタオルは既にかなりの水を含んでいるのでそれよりは僕のハンカチの方がまだ用を為すだろう。
「はい、とりあえずこれで水気拭いて。風邪ひいちゃうから」
「あ、ありがとう……。ていうかさっき真って……!」
「やっぱり苗字で呼んだ方が良かった?」
「い、いや……名前で、良いです」
そう言うと真は僕からハンカチを受け取っていそいそと濡れた髪や顔を拭う。
「それじゃ、行こうか。早く帰ってお風呂に入らないとね」
彼女の側に傘を傾けて、また歩を進める。少しむず痒くなる沈黙が流れるが、またポツリポツリと会話が始まる。
「そういえば、お姉ちゃんと仲直り出来たよ。まだちょっと気まずい時もあるけど」
「そっか、それは良かった」
冴さんもきちんと真との溝を埋めようと動いたらしい。
「でも、お姉ちゃんからと……、あなたの話が出てくるのはなんか複雑よ」
「うーん、それについては冴さんと協力関係にあるだけに仕方ないとしか」
「……怪盗団は正義だと、私は思うようになったわ。お姉ちゃんがたとえ怪盗団を捕まえようとしているとしてもね」
「うん、真はそれで良いと思うよ。僕は僕で、怪盗団に頼らなくても良くなるようにしたいと考えてる。それにこうして意見が食い違って、各々の立場が変わったとしても、僕と真は友人だし、こうやって一緒に帰ることも出来るじゃない。怪盗団に関する考え方の違いなんて、日常の雑談ネタの一つでしかないんだから。あんまり深刻に考える必要なんか無いさ」
「雑談、そう……、そうよね。と……あなたの言う通り。私もあなたとの関係がこれで終わってしまうなんて思わない。雑談でちょっとくらい意見が違ったってね」
そう言って真はクスクスと笑う。僕にとって、雨宮さんや真と怪盗団のことで異なる意見を持っていたとしても、それは単なる日常の些細な一コマでしかない。願わくば、彼女らにとってもそうであって欲しいと思う。
そうして真と話しながら歩くうち、彼女が住むマンションまでたどり着いた。
「今日はありがとう。花火は一緒に見られなかったけど、こうやって話せて楽しかったわ」
「こちらこそ、真の浴衣姿も見られたし、僕にとっても良いことがあったよ。次の機会を楽しみにしてる」
「うん。また機会があったら声を掛けるわね。それじゃ……」
とそこまで言って、真は口を閉じて躊躇いがちに視線をあちこちに彷徨わせたかと思えば、一度目を閉じて深呼吸をすると、覚悟を決めたようにこちらを見つめた。
「おやすみ、と、徹」
「……うん。おやすみ、真」
僕が言い返すや否や踵を返してマンションへと入っていく真を微笑ましく思いながら見送る。僕が名前で呼んだお返しに真も僕を名前で呼ぼうとしてくれていたのか。僕が名前呼びで、真が苗字呼びだと不公平だと思ったのだろうか、律儀なことだなぁ。