きっかけは新島さんからの一通のメッセージだった。
《試験前だし、良ければ一緒に勉強会でもどうかしら?》
毎度試験期間前となると彼女と放課後にテスト対策をするのは何度かあったことだが、こうしてメッセージが来るのは珍しい。僕としては断る理由は無いので了解の返事をしつつ、どうかしたのかと聞いてみる。
既読はすぐに付いたけれど、そこから少し間が空いてから返事が書き込まれる。
《ちょっと手がかかる後輩もいるから……、助けてくれると嬉しいわ》
彼女のメッセージ、それと最近の彼女が誰とよく一緒にいるだろうかと考えてみれば、自ずと浮かぶ顔は限られてくる。なるほど、そういうことなら臨時の教師役としての務めを果たすとしよう。
《それじゃあ去年の過去問も持っていくようにするよ》
《助かるわ》
たった四文字だけれど、スマホを片手に頭を抱えている新島さんの姿が目に浮かぶようだった。
それから時間と場所を聞き、僕は早速とばかりに引き出しの中を漁る。忘れないうちに鞄に詰めておこう。
そして明くる日、放課後になると僕は新島さんから聞いた場所へと足を運んでいた。ご丁寧に地図のリンク先も送信してくれていたが、その場所は僕にとっても馴染みのある場所だったので迷うことはなかった。何ならちょっと前にも来たことがある場所なのだから。四軒茶屋駅を出てすぐにある純喫茶。扉を開けば来客を告げるベルの音が鳴る。
「いらっしゃい……、ってお前かよ」
「遠慮無いですね、佐倉さん」
カウンターの奥にいる佐倉さんは僕を見るとそう言って手元の新聞に目を落とした。それに対して苦笑を返していると佐倉さんはあっちあっちと言うように奥の席を指差す。そこにはこっちに手招きしている新島さんと目を丸くしている坂本君、高巻さんがいた。学校が違うけれど喜多川君もいるらしい。
「ちょ、真の言ってた強い助っ人って副会長のことかよ!」
「そうだけど? 私だけじゃ坂本くんと杏の二人は手に負えないもの」
「そんなバッサリ言う!?」
新島さんに散々な評価をされているらしい坂本君と高巻さんは二人してぎゃーぎゃーと抗議しているが、あんまり騒がしいと佐倉さんに怒られるよ、とカウンターを指差せば眼鏡の奥から鋭い眼光を向ける佐倉さんを見て二人とも不承不承ながら口を噤んだ。
「さて、それじゃ助っ人も来たことだし、始めましょうか」
二人が口を閉じたのを見計らって新島さんが空気を切り替えるように手を叩いた。そうしてテーブル席で男女に分かれ、僕は喜多川君も含めた男性側を担当することになった。自分の試験対策も並行しながらとなると結構忙しいが、何とかなるだろうと僕は高を括っていた。
それが間違いだと気付くのにそう大した時間は掛からなかったのだけれど。
「だぁー! もうワケ分かんねぇ!」
「まあまあ落ち着いて、坂本くん。数学って公式の使いどころを覚えるのが定期テスト対策みたいなものだからさ、過去問見て類題を解けるようにしておこうか」
「ちょっと良いか。俺もここが分からなくてな」
「どれどれ……、英語かぁ。特にこの構文はややこしい……まずは主語をはっきりさせることからだけど……」
「構文か、俺にはさっぱりだ」
まさか坂本君だけでなく喜多川君まで勉強が割と苦手だったなんて思いもしなかった。喜多川君に関しては得意と不得意がはっきり分かれている感じだが、不得意に関してはほんとにさっぱりと言った具合だった。坂本君? 彼に関してはノーコメントだ。とりあえず過去問だけでも完璧に仕上げてもらおう。僕自身の試験対策はいつもの予習復習の延長でしかないからまだマシだ。そこでふと気になったので女子グループの方へと目を向けてみると、新島さんが高巻さんに教えている最中だった。あちらも中々苦戦していると見える。端に座っている雨宮さんは特に躓いた様子も無く淡々とこなしているところが救いと言えるだろうか。
「秀尽は授業の進みも速くて中々ついて行くのがしんどいよね。覚える公式も多いけど、テストで頻出のものだけでも覚えておけば赤点は回避できるよ」
「……うーっす。やるしかねえか」
坂本君も喜多川君も根は真面目だから、やるとなると頑張ってくれる。苦手ゆえに集中力が続かないところはあるけれど、そこは適宜こっちがフォローすれば良い。二人から来る質問に答えながら、僕は教科書とノートを簡単に見返していく。基礎的なところは押さえられているから後は先生方のたまに出るマニアックな知識を頭の片隅に詰め込んでいく作業だ。
そういった調子の僕はともかく、新島さんは自分の勉強もあるだろうし、少しくらい助け舟を出した方がよいだろうか。というか新島さんもこっちをチラチラ見ている。僕は坂本君に過去問とその類題をどっさり渡してげんなりさせておいてから、高巻さん達のいるテーブルへと向かう。
「高巻さん、新島さん。今は何をしているの?」
「ああ、古文をちょっとね……」
ちょっと疲れたような様子の新島さんが僕の方にテキストを差し出してくる。
「もうさっぱり。同じ日本語なのにどうしてこんなに違うのよ~」
高巻さんはと言えば、全身で疲れたことを表現するように机に突っ伏していた。なるほど、クォーターの彼女にとっては日本語だけならまだしも古文になるとお手上げらしい。まあ1000年もすれば言葉なんて変わり過ぎてもはや異国語だからね。それを高巻さんに伝え、教科書に目を通す。
「古文は動詞、形容詞、敬語、助動詞を覚えれば、まあ何とでもなるさ」
「覚えること多すぎ!」
「あはは……、最低限の暗記は仕方ないよ。これも過去問を見て出題されそうなところを集中的に覚えようか。とりあえず定期テストを乗り越えられるように対策すれば良いから」
そう言って早々に教科書を閉じて過去問を広げる。後は問題を解きながら、分からなければ都度教科書を開いて確認しながら進めてもらおう。
「……ありがとう。過去問を持って来てくれて助かったわ」
僕の前に座る新島さんが自分の勉強を進めながらそう言う。もちろん新島さんも過去問を持っているだろうけれど、坂本君と高巻さんの二人分となるとコピーまではしてられなかっただろう。
「どういたしまして。いつもより賑やかなテスト対策になって楽しいね」
「そうね、でも手がかかるのは考えものよ……。ところでここなんだけど」
その言葉と共に新島さんが差し出してきたノートに視線を移す。新島さんは文系科目を、僕は理系科目をどちらかというと得意としているため、互いにテスト前になるとこうやって不得意分野を教え合ったりする。
「……なるほどね、助かるわ」
「いつも理解が早くて教える側としては助かるというか手が掛からなくて少し寂しいというか」
簡単に解説してみればすぐに理解してしまう新島さんは本当に優等生だと思う。手が掛からないから大人にも頼りにされちゃうんだろうけど。そういう意味では僕は坂本君や高巻さんのように手が掛かる子の方が可愛いと思える性質なのかもしれない。
そう思っていると、肘を突かれる感触がする。そちらに目を向ければ隣に座った雨宮さんがじっとこっちを見て教科書を差し出していた。
「副会長、ちょっと教えて欲しい」
「はいはい。雨宮さんも数学か……」
こうして質問に答えているうちに、今度は坂本君が音を上げ、そしてついでとばかりに喜多川君も質問を持ち込んでくる。そしてひと段落したと思えば今度は高巻さんが自分の番だと過去問を僕の前に広げる。
あれよあれよと言う間に僕は男子と女子のテーブルを行ったり来たりして教える羽目になっていた。なるほど、塾の先生ってこんな感じなのかもしれない。自分の勉強がそこまで切羽詰まってなくて良かったと今日ほど思ったことは無い。
「終わった──!」
そう言って机に突っ伏した坂本君の声を皮切りに、テーブルには弛緩した空気が漂う。気が付けばすっかり日も沈んでしまっている。後半は皆が黙々と自分の勉強を進めていたから今日一日で結構詰め込むことが出来たんじゃないだろうか。
「疲れたぁ、でもこれだけやったんだし、試験もバッチリだよね」
「副会長のおかげで俺もテスト対策が捗った」
佐倉さんが厚意で淹れてくれたコーヒーに舌鼓を打ちながら、高巻さんも喜多川君も満足げな表情で言う。
「僕としても結構頑張って教えたから皆には良い点を取って欲しいな」
「うっす、頑張りまーす! そんでさ、テスト終わったら皆でパーッと遊びに行こうぜ!」
僕の言葉に威勢よく返してくれた坂本君の提案に、口々に賛成の声が上がる。テストが終われば後は終業式を残すのみだし、これから夏に向けてお祭りなどのイベントも増えてくるから高校生にとっては楽しみな時期だろう。
高巻さんがスマホで近場のイベントを検索し、これはどうとこちらに画面を示してくれる。見れば、ちょうど試験期間終了後にこの辺りで花火大会があるらしい。
「良いわね、私も心配事が片付いたし、羽を伸ばしたい気分だわ」
新島さんはそこまで言って僕の方を見る。
「海藤君も一緒に行かない?」
「僕も良いのかい?」
今日は臨時で呼ばれたことだし、お邪魔するのもなあと考えていると新島さんからのお誘いを受けた。
「いやいや、ここまでしてもらっといて誘わないとかありえねーっすから!」
「ああ、この礼は祭りの屋台で奢ることで返そう。竜司が」
「って俺かよ!」
「一番お世話になったのは竜司なんだから当然でしょー?」
喜多川君と高巻さんが結託したことで坂本君の旗色が悪くなる。確かに今日一番時間を取って教えたのは坂本君だと思う。
「副会長、どう?」
雨宮さんがそう言って首を傾げる。せっかくのお誘いだし行けるなら行きたいものだと高巻さんの見せてくれたイベントの日時を確認する。
「ん、この日は……」
「もしかして先約があるの?」
提示された日程がどこか引っ掛かったので鞄から手帳を取り出してパラパラと捲る。新島さんが表情を曇らせているのに心苦しさを感じながらもその日の予定を確認すれば、そこにはしっかりと先約の記載が入ってしまっていた。
「あちゃあ、その日はバイトのヘルプをお願いされてる日なんだよね。毎年絶対人手が足りなくなるからって。そうか、そういうことだったのか」
イベントの日は僕のバイト先で店長から縋られて急遽シフトに入ることになっていた日だった。なるほど、皆このお祭りに出掛けてしまうから人手が確保出来ずにあそこまで焦っていたのか、あの店長は。
自分はお祭りやイベントの日なんてあまり意識しないものだから、言われるがままに予定を空けてしまっていた。
「バイト……、そう、それなら仕方ないわね」
「ごめんね、どこかで埋め合わせはするから」
新島さんはそう呟きながら肩を落とす。高巻さんがしょうがないねと言いながら新島さんの肩に手を置いて慰める。そこまで落ち込まれるとは思わなかったので非常にいたたまれない気持ちになる。どうしよう、店長が泣くこと覚悟でやっぱり休みますと言ってみようかと迷う程度には。
「皆もせっかく誘ってくれたのにごめんよ」
「いや、バイトなら仕方ないっすよ」
「ああ、副会長の分も竜司にはしっかり奢ってもらうことにするさ」
「お前には奢らねえからな!」
「……残念。だけど先に予定が入っていたなら仕方ない」
坂本君と喜多川君は気にするなと笑ってくれる。雨宮さんも少し落ち込んだようだがそう言ってくれた。ううん、皆にも個別で何か埋め合わせを考えておこうか。
「まあ僕のことは気にせず皆で楽しんでおいでよ。せっかくテスト勉強頑張ったんだから、赤点で補習になんてならないでね?」
「センパイ、なんで俺の方をじっと見てるんすか……?」
それは君が一番心配だからだよ、坂本君。