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生成AIの発展が遅れたのは「物理学者あるある」のせいだった!?…原理はわかっていたのに生成AIをつくることができなかった2つの理由

物理学者の「思い込み」

物理学者が生成AIの成功に至れなかった、もう一つの理由は、物理現象をシンプルな方程式や法則で説明しようという志向のようなものがあり、「世界は単純な少数個の法則で書けるはずだ」という思い込みが働いたからだろう。

それが災いして、物理学者はどれだけモデルを簡単にしても本質が失われないかということに目がいってしまい、現在の生成AIのようにやたらと複雑で何をやっているのかチンプンカンプンだが、アウトプットの精度は素晴らしい、みたいな方向には目が向かなかったというのも大きいだろう。理学と工学の違い、理学の限界ともいえるかもしれない。

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学習プロセスを実装できなかったために、20世紀末にはダイナミカルモデルで現実をシミュレーションすることはできなかったが、うまくやればできることは知られていた。現在の生成AIはその延長上にあると見ることができるだろう。このような観点からすると現在の生成AIは我々の大脳と同じように現実世界のシミュレーションを巧妙に実行している機械システムだと考えることができるだろう。

『「ぐにゃぐにゃ曲がる椅子」を生成してしまうAI…オープンAIの動画生成ソフト「SorA」が生みだす動画の“中途半端なリアルさ”の謎』へ続く。

知能とはなにか ヒトとAIのあいだ

「AIは人類を上回る知能を持つか?」

「シンギュラリティは起きるのか」。

今世紀最大の論点に機械学習に精通した物理学者が挑む

チャットGPTに代表される生成AIは、機能を限定されることなく、幅広い学習ができる汎用性を持っている、そのため、将来、AIが何を学ぶかを人間が制御できなくなってしまう危険は否定できない。しかし、だからといって、AIが自我や意識を獲得し、自発的に行動して、人類を排除したり、抹殺したりするようになるだろうか。この命題については、著者はそのような恐れはないと主張する。少なくとも、現在の生成AIの延長線上には、人類に匹敵する知能と自我を持つ人工知能が誕生することはない、というのだ。

その理由は、知能という言葉で一括りされているが、人工知能と私たち人類の持つ知能とは似て非なるものであるからだ。

実は、私たちは「そもそも知能とはなにか」ということですら満足に答えることができずにいる。そこで、本書では、曖昧模糊とした「知能」を再定義し、人工知能と私たち人類が持つ「脳」という臓器が生み出す「ヒトの知能」との共通点と相違点を整理したうえで、自律的なAIが自己フィードバックによる改良を繰り返すことによって、人間を上回る知能が誕生するという「シンギュラリティ」(技術的特異点)に達するという仮説の妥当性を論じていく。

生成AIをめぐる混沌とした状況を物理学者が鮮やかに読み解く

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