東ドイツの面影「ベルリンの鉄道」、写真で振り返る90年代の記憶 戦前製電車が「壁」で寸断された路線を走った街
1989年11月、東西冷戦の象徴的な存在だったベルリンの壁が壊され、翌1990年には東西ドイツが統一を果たした。 【貴重な写真を一挙公開】旧ソ連製の機関車が牽引する長距離列車が走り、路線が「ベルリンの壁」で寸断された市街電車「Sバーン」では戦前製の「485系」電車が活躍。東西ドイツ統一後、社会主義時代の面影を残す1990年代のベルリンを走った列車の貴重な姿 かつて、世界各国の鉄道を紹介した小学生向け図鑑の東ドイツのページには「写真の撮影は厳しく制限されている」と書かれ、駅で撮影したスナップのような、しかもピントが合っていない写真が1枚掲載されているだけだった。西ドイツへ行くことはあっても、東ドイツへ行くことなどまずない、とまで思っていた。
そんな秘密のベールに包まれていた東ドイツとベルリン。しかし東西統一の数年後、筆者は思わぬ形でベルリンに滞在することになった。まだ「東側」社会主義時代の面影を色濃く残していたころのベルリンの鉄道を紹介したい。 ■「壁」で寸断されていた市内の電車 筆者がベルリンに滞在したのは1996年。大学でドイツ語を学んでいた筆者は「ベルリンでの語学研修」という掲示に飛びついたのだ。かくして、東西ドイツ統一から6年が経過したこの街を訪れることになった。
【写真】旧ソ連製の機関車が牽引する長距離列車が走り、路線が「ベルリンの壁」で寸断された市街電車「Sバーン」では戦前製の485系電車が活躍。東西ドイツ統一後、社会主義時代の面影を残す1990年代のベルリンを走った列車の貴重な姿 Sバーン(市街電車)の駅で市内へ向かう電車を待っていると、轟音と共にインターシティがやってきた。牽引しているのは「ルドミラ」の愛称で親しまれている、旧ソ連(現ウクライナのルハンスク)製の232型ディーゼル機関車だった。これが、筆者がドイツで撮影した最初の鉄道写真となった。
ドイツでは都市部の市街電車・近郊鉄道を「Sバーン」と呼ぶ。ベルリンのSバーンは、ベルリンの壁によって市内が分断されたことで路線が寸断されており、統一から日が浅かった当時はまだ各所で路線がズタズタの状態だった。 市内を1周する環状線もまだ環状運転は復活しておらず、途中駅止まりで折り返していた。壁があった部分は線路が撤去され、路線網の再構築が行われていた。 【写真】かつて中央駅と呼ばれていたベルリン東駅に停車するSバーンの電車