尾道舞台のきっかけは志賀直哉の小説が影響 ロケ地にファン殺到、3千枚売れた尾道駅の切符 「東京物語」(1953年)
周吉(笠智衆)から、とみ(東山千栄子)の形見の時計を渡された紀子(原節子)が涙するシーン。末延芳晴は「原節子、号泣す」(集英社刊)で、ジョン・フォード監督の傑作「わが谷は緑なりき」で、モーリン・オハラとのあらぬ噂をたてられた牧師ウォルター・ピジョンがモーガン家から立ち去る際、腕時計を渡すシーンのオマージュだと看破している。
ロケは尾道の住吉神社、浄土寺の崖、足立区にあった通称〝お化け煙突〟として知られる火力発電所(現存しない)、東武伊勢崎線堀切駅、熱海の錦ケ浦などで撮影された。
尾道を舞台にしたのはどうやら志賀直哉の小説が影響しているようだ。当時の東京新聞には「寒い北国ではなく岩国辺り」という記事が載っているが、小津はもとから東北地方には興味がなかったという。脚本の野田高梧には最初から瀬戸内の町がいいと伝えていたらしい。
「尾道三部作」で知られる大林宣彦はこの時、15歳で撮影を見学したと語っている。撮影現場は2000人以上のファンに囲まれ、すさまじい熱気だったとか。なにしろ尾道駅の切符が3000枚も売れたというほどの人気だったという。 (望月苑巳)
■小津安二郎(おづ・やすじろう)映画監督、脚本家。1903年12月12日―63年12月12日、60歳没。サイレント映画時代から戦後までの約35年のキャリアで、サイレントを含めて54本にのぼる作品を撮影したが、うちサイレント17本は現存していない。
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