金城との電話の後、この件の扱いをどのようにしようかと考えた結果、ひとまずは明智君に相談しようという結論に至り、席に戻った僕は早速電話のことを切り出した。
「金城から直接連絡が……?」
どういう繋がりで、というところは新島さんが関わっているということを教えるのは気が引けたため相談を受けた生徒から連絡先を聞き出された、という内容で誤魔化すことにした。この件は冴さんにも共有することになるだろうし、今の冴さんがこれを聞けばまた新島さんと喧嘩になるんじゃないかということを危惧したためだ。
「……クソが」
僕の話を聞き終えた後、明智君の口から飛び出したのは普段の彼からは想像もつかない言葉だった。思わず彼の顔を二度見してしまう。
その視線に気づいたのか、彼の表情が分かりやすくしまった、というものに変わる。
「珍しいね、君が口調を荒げるなんて」
「……油断したよ。外じゃ出さないようにしていたんだけどね」
僕がにやりと笑って指摘すれば、彼も諦めたように笑って自分の失言を認めた。
「メディアに出ることも多いからね、普段の口調は余所行きだよ。本当はこんなお行儀の良い喋り方じゃないよ」
「なるほどね、ということは実は一人称も僕、なんかじゃなくて俺だったりするのかな」
それに対して言葉を返すことは無かったものの、肩を竦めて目を逸らした明智君の反応で答えは聞くまでもなく分かった。
「そんなことより、今は金城の件だよ」
一度咳払いを挟んで空気を切り替えた明智君は、気を取り直して表情を引き締める。
「僕の嫌な予想が思った以上に早く現実になってしまったね。やはりこれ以上の深入りは厳禁だ」
「もうこの上なく深入りしてしまっていると思うけど?」
「今は金銭要求による圧力に留まっているけどもし彼らが僕の推理通り怪盗団と繋がっていたとしたら、最悪は君が精神暴走事件のターゲットにされるかもしれない。その可能性は看過出来ないね」
明智君の言葉に僕はなるほどと頷かざるを得なかった。明智君は怪盗団が精神暴走事件と改心事件の犯人だという線で推理している。その場合、金城は怪盗団を僕にけしかけて僕を警察の知り得ない方法で排除することも可能だと考えられてしまう。彼が僕を心配そうに見ているのはその可能性が彼にとって現実的に思える程度には今の僕が危うい状況にいるからだろう。
「君が個人的に行った調査だけじゃなく、僕とも繋がっていることも向こうは知っているのかもしれない。だからこそこうして金城自身が動いて牽制してきたと僕は考えているよ」
「……なるほど、尤もな言い分だ」
「この件は本格的に僕や冴さん、警察に任せて欲しい。さっきの電話は録音しているよね?」
「もちろん」
明智君の言葉に頷く。金城、という名前が聞こえた瞬間にスマホの録音ボタンを押していた。相手が僕に接触してくるというチャンスを得たのだから。とはいえ録音したとしてもあまり有力な手掛かりにはならないかもしれないという思いが僕の中にはあった。
「でも惜しいことに金城は用件だけ伝えてさっさと電話を切っちゃったからね。居場所の手掛かりにはならなさそうだ」
「その辺りは相手も考えていただろうしね。金城が昼間の根城にしているのは部下からの接触を考えれば昼間は営業していないクラブやバー辺りかな。そういうところは防音もしっかりしているから外の音も入ってこないし、易々と居場所のヒントを与えるようなことはしないだろうね」
それに分かったとしてもその場所はもう二度と使うことはないだろうし、と僕が呟いた言葉に明智君も肯定の意を返す。明智君に明かすつもりは無いが、新島さんが金城の下に乗り込んだのであれば、いくら脅したとはいえ彼女が警察に駆け込んだときのことを考えて金城は再び地下に潜ったことだろう。それもあったから金城は電話越しとは言え僕と直接言葉を交わそうと考えたのだ。どうせ今いる場所に戻ることは無い。ならば周りを飛び回るうざったい羽虫にもついでに釘を刺しておこう、そんな考えで。
「居場所の手掛かりにならないとはいえ金城を検挙した後の有力な証拠にはなるさ、その録音は。後でデータを僕に送っておいてくれないかな?」
「もちろん。冴さんには?」
「そっちにも僕から共有しておくさ」
僕の録音はどうやら冴さんにも共有されるらしい。となれば新島さんを示唆するようなところは削っておきたいが。
生憎と機械に疎い僕では録音したデータを違和感無く編集するだなんて芸当は不可能だ。このデータはそのまま渡さざるを得ないかもしれない。
「ところで、話は変わるんだけどさ」
と、僕の意識は明智君のその一言で思考の海から現実へと引き戻された。
「金城は間違いなく法律的に、道徳的に悪事を働いている。君の協力のお陰でそう遠くないうちに金城は捕まることになる、いや僕と冴さんで必ず検挙してみせる。ただ、例えばの話、君の考え通り怪盗団と金城が実は敵対していたと仮定したとして」
金城が鴨志田や班目と同じように改心した場合、君はそんな金城にも許される機会は与えられるべきだと思うかい?
僕にそう問いかける明智君は、柔和な笑みを浮かべた瞳の奥に灼け付くような光を忍ばせていた。その問いの中には、恐らく明智君にとって譲れない何かがある。彼の価値観の根本となっている何かに基づいて、今彼は僕にこの問いを投げかけているのだと感じさせるほど、彼の放つ光は強烈なものだった。
その問いに対して曖昧で適当な答えを返すことは許されない。今までも僕は問われたことに対しては僕なりに誠実に返答してきたけれど、今回は求められるレベルがまた一段違っていると思わされた。
僕は少し黙って机の上で組んだ両手に視線を落とす。視線の先で親指同士をくっつけたり離したりを繰り返して思考に没頭する。
「僕は何があろうと許されない、許されちゃいけないと思っているよ。探偵としてだけじゃない、僕自身の価値観としてだ」
黙っている僕に対して明智君は言葉を重ねる。
「悪に堕ちた以上、相応しい落とし前を付ける必要はある、もちろん程度はあるけどね。だけど悪事に手を染めた人間が自分は許されたいと思うだなんて、そんな都合の良い話は無いだろう?」
被害者も犯人に許しを乞うたはずなのに、それを聞き届けなかった人間が同じ立場になったときに許されるだなんて甘い話があってはいけない。
明智君の言葉はおおよそ多くの人が法や倫理の観点はともかくとして感情的には同意できるものだ。被害者にしてみれば、加害者がいくら同情を誘う背景があったとしてもそれを許さなければいけないなんて通るはずもない。そしてそんな悪を許せないからこそ、明智君は探偵として事件を解決し、被害者を救おうとしているのだろう。
「……僕はどうもこの手の話になると理想論や概念論に終始する癖があってね。それでも良いかな?」
「……聞かせて欲しい」
僕が言うと、明智君は口元で手を組んでこちらを半ば睨みつけていると思えるくらいに強く見据えてきた。それほどまでに、この問いは彼にとって重たいのだ。だからこそ適当なことを言ってしまわないように、僕はいつも以上に言葉を選んで口を開く。
「許すべきか、許さないべきか。感情面でいえば、被害者は一生許さないと言うと思う。僕だってそれを否定する気は無いよ。けれど、それと加害者が許されたいと思うことは矛盾しない。許される機会を与える誰かがいても良いんじゃないかとも思うよ」
「そう考えた理由は?」
「金城の件もそうだけど。僕は金城の犯罪者としての面だけを今見ている。僕は今金城に脅されていて、金銭的にも社会的にも被害を受けそうになっているし、既に被害を受けている人もいるからそれに対しては然るべき裁きが下される。けれどそれは僕や被害者が下すんじゃない。この国というシステムが裁くんだ」
「今の世の中では不当に重い罪や軽い罪にされている、上級国民や汚職、裏取引だなんて話もあったりするよね?」
「世の中に溢れている言葉のどれほどが確たる根拠に基づいた主張なんだろうね。結局人は自分の見たいものを見たい側面で、自分の価値観に沿った解釈で切り取ってしまう。僕だって、君だってそうだろう? そして僕は悪人を裁くのは怪盗団でも探偵でも無いと思っているよ」
僕は悪人は正義によって裁かれる。生憎とそんな幻想を抱いてはいない。悪人を裁くのは正義などという曖昧な概念では無い。
「だからこそ、罪を裁かれた後に許されたいと思うことは誰も否定出来ないんじゃないかな」
「その意見はむしろ被害者の心を無視しているんじゃないかな」
「被害者が加害者を許したくないと思うことも否定しないよ。ただそこに正義、という概念は入り込めない。そんな錦の御旗が無いと持ち続けられない感情は、持つだけその人を苦しめてしまうと僕は思うから」
人を許す、許せないという話に登場するのは当人たちの感情だけであって外野が持ち出す正義とやらはただのノイズでしかない。
では何故正義が持て囃されるのか。誰もが正義を語りたがるのか。あるいは加害者でさえも、正義に裁かれる自分を語ってしまうのか。
「人ってやっぱり楽したいじゃない。正義ってさ、楽なんだと思うよ。考えなくても良くなるもの、自分の行いがどういう結果を齎すのかを。自分が悪人だと自覚している人も、どうしてそれをしているのか。何故し続けているのかを考える必要が無くなるんだよ。いつか正義が裁いてくれるから。けれどそこで思考停止せず、悔やみ続け、贖い続けた人に一分の報いも無いなんていうのは少し悲しいかなって思ったりもするね」
「……だから悪人にも更生の機会は等しく与えられる?」
「それで許されるかどうかは分からないけれどね。でも死ぬほど悔いて、その後の人生を捧げてでも贖おうとしている人がいたとして、それを踏み躙る行為は部外者には許されない。この国の法は少なくともそれを許してはいない。正義と悪という簡単な二項対立に逃げ込んでしまうとそこで思考停止してしまう。僕はそうなりたくないってだけだよ」
こんなこと言っているから僕はどっちつかずで中途半端な人間なんだろうけどね。と言って自嘲するように笑う。僕のこの考えは多分僕の中にある前世と呼ぶべき記憶に由来するものは間違いない。
誰だか分からない人の一生を、その人の目を通しているのに客観的に見てしまっている。常にここでは無いどこか別のところに、まるでもう一人の自分がいるような心地になる。言ってしまえば僕は僕自身を過剰に客観視してしまっている。現実味が薄い、と言っても良い。
少しずつ擦り切れて色褪せてきているものの、この記憶は僕の人格形成に多大な影響を与えたまま今日に至ってしまっていた。
「……例えば、例えばの話だ。僕みたいな一見普通の高校生が、裏では何人も殺していたとして」
僕の言葉を聞いて目を瞑って何か考え込んでいた明智君だったが、再び口を開いた彼の表情はもはや普段の人当たりの良い笑顔など欠片も無くなっており、ナイフのような、どこか冷たい印象を与える無表情で語る。
「その動機が他人からしてみればとてもくだらない子供の癇癪のようなものだったとして、それでも君はその子が心の底から悔いていると言えば許されても良いと思うのかい? 君の近しい人、それこそ生徒会長さんがソイツによって犠牲になっていたとしても」
彼の言葉に僕の脳裏に新島さんの顔が浮かぶ。例えば彼女が僕の知らないところで犠牲になったとき、僕はこんな冷静な気持ちでいられるだろうか。恐らく不可能だ。許せないと思うし、復讐したいと思う。けれど、
「僕は僕の復讐心に正義、なんていうレッテル貼りを許すつもりは無いよ。許されたいと思う気持ちを否定しない。けれど僕は許さない」
「例えその犯人が僕だったとしても?」
僕の答えに、明智君は意地悪な笑みを浮かべて言葉を重ねる。本当に意地悪な質問だ。新島さんは大切な友人だけど、それはそれとして明智君との関係も今の僕にとっては心地良いものなのには違いないのだから。
「君が? もしそうだったのなら君はホームズじゃなくてモリアーティだね。そのときは僭越ながら僕がホームズになってライヘンバッハの滝に一緒に飛び込んであげるさ」
「そっか……。君はそう言う、言ってくれるんだな。ま、そうはならないだろうけど、万が一そんな状況になったら、
「……君が俺って言っても今までのイメージとのギャップが酷いよ?」
唇の端を吊り上げて笑う明智君は、確かに悪役のような雰囲気を一見醸し出してはいた。けれどどこかホッとしたような様子にも見えたのは僕の気のせいだろうか。