「儂は人としてやってはならぬことをしてしまいました」
その言葉と共に始まった斑目の緊急記者会見を見ようと、渋谷の街頭モニターには人だかりが出来ていた。個展の最終日に合わせて急遽セッティングされたそれは、当初は斑目の次の個展に関するサプライズニュースだと思った人が大半だっただろう。
個展最終日となった6月5日。その日に斑目が口にしたのは、あらゆる人の予想を裏切ったスキャンダルだった。
「儂は弟子から着想を盗み、自分の作品として発表することを繰り返して参りました」
粛々と自らの罪状を自白する斑目に絶え間なくフラッシュが焚かれる。日本を代表する芸術家の口から放たれた爆弾発言を、あらゆる報道機関が一瞬たりとも逃さぬとばかりに待ち構える。
「儂は、いつしか芸術というものを見失い、俗世に染まり堕落してしまいました……」
弟子のアイデアを盗むばかりか、住み込みであることを良いことに虐待紛いのことまで繰り返していた。自分が良いと思った絵は世間にも受ける。そこに斑目というブランドが冠されていればなおさら。
最初は生活に困窮し、たった一人の弟子に土下座までしたという。膨らみ続けた罪悪感はしかし、それで得られた偽りの称賛に塗り潰され、かつては自らを高めるために磨いた審美眼はいつしか虚栄心を満たすことにのみ使われるようになった。
かい摘まんで話される言葉一節一節を切り取ろうとしているかのようなフラッシュの量。それに晒される斑目は眩しさに顔をしかめることこそあったものの、しかし最後まで取り乱すことはなく机に額がくっつかんばかりに頭を下げた。その瞬間に一際大量のフラッシュが焚かれた。
「現在のお弟子さんである喜多川君からも作品を盗んでいたということでしょうか!?」
「今まで被害に遭ってきた元弟子の方々についてはどう思われているのですか!」
「何故今になって告白しようと考えられたのでしょうか!」
矢継ぎ早に投げ掛けられる記者の質問にも、斑目は大きな動揺を見せることはない。ゆっくりと頭を上げた彼は、報道陣を見渡すと再び口を開く。
「仰る通り、唯一残ってくれた祐介からも儂は盗作を繰り返していました。見下げ果てた人間です。これまでの弟子にも、謝罪だけで足りぬことは重々承知ですが謝罪したいと思っております」
そこで一拍の間が空く。
「今さらなんと愚かなことを、と思われることでしょうが。犯してきた罪を今になって自覚してしまったのです。この罪を誰かに裁いてほしい、裁いてもらわねばならないと思ったからです」
そこまで言いきった斑目の頬に一筋の涙が伝う。顎髭に達し、そこで初めて気付いたように斑目の顔が歪む。涙を流す自分の浅ましさを忌々しく思うように乱暴にハンカチで顔を拭うと、再び頭を下げた。
「儂は芸術を汚し、人の道を踏み外した外道です。大変、申し訳ございませんでした……」
その言葉を皮切りに記者団の質問がさらに加熱する。そこで僕はモニターから視線を外した。彼は最後まで毅然として自らの罪を受け止めようとしているように見えた。少なくとも僕にとってはそう思えた。当事者の喜多川君や、斑目の元弟子達にとっては許せることではないのかもしれない。それは当然の話だ、芸術家としての将来を絶たれた元弟子にしてみれば斑目が一度謝ったくらいで自らの人生を歪めたことを許せるはずがない。だから斑目はそれに向かい合って償い続けなくてはいけないのだろう。たとえ許されないとしても。鴨志田先生と同じように、彼もまた考えることを止めて、ただ裁かれるのを待つだけではいけない。
モニターに目を奪われていた人々は、熱を帯びた口調で口々に先程まで見ていたものについて語る。
僕はポケットに入ったスマホが震えるのを感じて取り出してみれば、クラスのグループチャットが鴨志田先生の時と同じような今回の事態に大きな反応を見せていた。
「海藤くん……?」
「おや、新島さん。奇遇だね」
聞き慣れた声がしたと思えば、僕の前には剣呑な表情の新島さんが立っていた。
「相変わらず騒ぎの渦中にいるのね。紛らわしい真似をしないでほしいわ」
「なんで休日に顔を合わせて早々に僕は怒られてるんだろう……」
中々に理不尽なことを言われているのだけれども、新島さんはやれやれとまるで僕が悪いかのようにため息をついた。何故僕が問題児かのように扱われているのだ。いや、問題児かもしれないけれども。
「予告状の出たあの日、あなたが斑目の個展に居たのを見た人がいるのよ」
「あー、うん。それについては色々あったというか……ね」
誰かに見られていたのか。ふと気になったことが裏目に、いやこの場合は疑いを逸らせて良かったというべきなのだろうか。
「ハァ……私はあなたが怪盗団じゃないってことを証明しようと頑張ってるのに当の本人が自分から疑われるようなことをしてるなんて……」
「そんなことを言われてもですね……」
新島さんは相変わらず僕を怪盗団にしないようにと頑張ってくれているらしい。自分から疑われるようなことを言っておいてなんだけど僕は怪盗団じゃないので彼女が心配するようなことは無いのだけれど。それを言うわけにもいかないので僕は曖昧に笑うしか出来なかった。
「これで怪盗団は世間でも一躍有名になったわけね。これもあなたの思い通り?」
「さらりと自白させようとしてない? 思い通りも何もないんだけど」
「私の見立てだとあなたは怪盗団そのものじゃなくともそれにかなり近くて怪盗団の動きをある程度把握出来ていると思うのよね。だからあなたは怪盗団を庇えるし、私の動きを牽制出来る」
困った、僕の同級生があまりにも鋭すぎる。殆ど見抜かれてるじゃないか。僕の人生経験、と言って良いか微妙なところの記憶がなければあっさりと動揺が表に出てしまっていたことだろう。というか今でも結構背中には冷や汗が浮かんでいる。
僕は表情だけは平静に、新島さんに笑いかける。
「まあまあ、そんなに疑わしいなら場所を移してじっくり話でもしようか?」
「ぐぬぬ……そうしたいところだけど今日は他に用事が……」
「あらら、それは残念」
新島さんは悔しそうに口の端を歪めていた。僕はそう返してそれじゃあと一言告げる。どうしてこのタイミングで会ったのかと思ったが、彼女も用事があってこの辺りに出てきていただけらしい。
尚も後ろ髪引かれていそうな様子の新島さんだったが、僕はそれに苦笑しながら踵を返し、駅へと向かう。
「儂の中にまだほんの一欠片でも、芸術家であった頃の心が残っていることを思い出させてくれた人がいました。身勝手な話ですが、儂はその人に恥じぬように生きねばなりません……」
背を向けたモニターから流れる斑目の言葉。彼が言う人とは喜多川君のことなのだろうか。もしそうなのであれば斑目は今度こそ自身の納得がいく絵を描いてほしいと思う。彼自身も傑作だと自慢できる作品を、今度は見てみたいと思ったから。
「そこの君、ちょっと良いかな?」
彼女と別れて駅に着いた僕の肩を、その言葉と共に誰かが叩く。今日はよく声をかけられる日だな。一体誰がと思って振り向けば、そこにいたのは茶色い髪を肩まで伸ばし、もうそろそろ暑くなってきた頃だというのにブレザーと黒い手袋、そしてアタッシュケースとかっちりした格好の青年だった。にこやかな笑みを浮かべた彼を周囲の人々が何やらヒソヒソと噂しているような気配で遠巻きに眺めているあたり、もしかすると有名人なのだろうか。生憎とテレビもあまり見ないので芸能人だったとしても分からないので大変申し訳ない限りだ。
「えぇっと、誰かと間違えてませんかね?」
「いやいや、間違えてなんか無いよ。秀尽学園の海藤徹くん、だよね?」
一方的に顔と名前を知られている、というのは案外気分が良くないものなのだと僕はそのとき初めて知った。僕が警戒した雰囲気を感じ取ったのか、目の前の青年は慌てて手を振った。
「あっと、いきなり話しかけてごめん。僕はこういう者なんだけど」
そう言って僕に差し出された名刺を見てみれば、『明智吾郎』の文字。これは、世間に疎い僕でも名前くらいは知っているぞ。確か、最近話題の高校生探偵、だっけか。
名刺を渡せばなんとかなると思っていたのか、目の前の明智青年は困ったような笑みを浮かべていた。
「高校生探偵の明智吾郎さん、ですか。名前くらいは知ってますけど」
「あ、はは。これでもちょっとは有名になってきたと自惚れてたんだけど、まだまだだなぁ」
明智君は苦笑しながら頭を掻く。それで、その高校生探偵が僕にいったい何の用なのだろう。それを聞いてみれば、彼は気を取り直すように咳払いを一つ挟んで口を開いた。
「心の怪盗団、君ならそれについて何か知っているんじゃないかと思ったんだけど。良ければどこかで座って話でもしない?」
どうやら彼の用件は先程からモニターで中継されている斑目の件に絡むことらしい。彼が懐から取り出したのは、僕も持っている赤と黒のカード。ちょうど先週、それと同じものがあちこちにばらまかれていたところだ。僕も一枚持っている。
そのまま明智君に促されるまま駅前のカフェに連れ込まれた僕は、コーヒーを片手にワッフルを頬張ってニコニコと笑う彼と向かい合っていた。
「いや、ごめんね。朝から何も食べてなくてさ。これが今日初めての食事なんだ」
「はぁ、そうなのね」
聞きたいことがある、と言いながらワッフルをもふもふと食べ進める明智君を眺めながらコーヒーを啜ること数分。ひと心地ついたらしい彼はコーヒーを飲んで満足そうに息を吐くと、アタッシュケースを開いて一枚の紙を取り出した。
「お待たせ、聞きたいことっていうのはこれのことなんだ」
「これは……」
机に並べられたのは先程明智君が懐から取り出したのと同じ赤と黒のカード。そこに記されていた名は、鴨志田先生の名前。
「秀尽に通う知り合いから手に入れたんだ。この予告状、そして心の怪盗団というワード。君は確か、鴨志田が出頭したときにテレビでインタビューを受けていたよね? それに斑目の個展でもインタビューを受けていた。鴨志田と斑目の件、君はどちらにも関わりを持っている。君なら色々と話を聞けそうだと思ってさ」
つらつらと語る彼はなるほど、探偵らしくよく調べられている。新島さんとは違って表情こそにこやかだけれど、その目の奥には油断ならない光が宿っているのが見て取れた。それは彼が敢えて隠さなかったのかもしれないけれど。
「話、ね。それならここのコーヒー代くらいは持ってくれるのかな?」
「確かにそうだね、もちろん払わせてもらうよ」
「よし、それじゃあ僕もワッフルをもらおうかな」
「え……?」
げっ、という表情をした明智君をよそに僕はワッフルやスコーン、おかわりのコーヒーをずけずけと注文する。何せ初対面でいきなりカフェに連れ込まれたんだから、これくらいは許されても良いだろう。
「さて、じゃあ聞かせてもらいたいな。鴨志田と斑目、この二人が急に自分の罪を自白して世間を騒がせている事件。僕はこれを改心事件と名付けて調査してるんだ」
「改心事件、ね」
なるほど、言い得て妙だ。確かに二人とも人が変わったように、改心とでも言うほどの心変わりを見せていた。
「心の怪盗団。団、というからには複数人なのかな。彼らは予告状の中で歪んだ欲望を頂戴する、と言っているよね。これについて、事件に近しい位置にいた人間として何か思い当たることは無いかな?」
「思い当たること、と言われても。正直に言うとさっぱり分からないな」
「まあそうだよね……。じゃあ君から見て鴨志田と斑目、両方と因縁のあった人もしくは人達に心当たりはあるかな?」
「因縁か。鴨志田先生とはむしろ僕が一番因縁が深いと思うけどね」
これについては恐らく本当だ。流石にあそこまで鴨志田先生と揉めた生徒はそういないと思う。斑目と因縁のある人、と言われてもピンとくる人はいないと答えた。喜多川君の顔が浮かんだものの、それを彼相手に口に出すのはまずいということくらい僕でも分かる。
それからも明智君は二つの事件に関して様々なことを根掘り葉掘り聞いてくる。それに対して正直に答えることもあれば、少しぼかしたりして、のらりくらりと会話を続けていく。
3杯目のコーヒーが空になるくらいでようやく彼の質問は尽きたのか、満足そうに4杯目のコーヒーを注文していた。
「ありがとう、色々と参考になったよ。コーヒー代を払う甲斐は十分にありそうだ」
「そんなに大した話はしてない、と言うと奢りの話が無しになりそうだからどういたしまして、と言っておこうかな」
運ばれてきたコーヒーを口に含んで一息つく。このカフェは前までお気に入りだったのだけど、ルブランを知ってからは少し物足りなくなってきた。
「そういえば、これは雑談なんだけどさ。君は春先から騒ぎになってる精神暴走事件について知ってるかな?」
「それくらいなら、新聞でもよく取り上げられてるしね」
明智君が切り出したのは彼の言葉通り春先からニュースやワイドショーでよく取り上げられるようになったワードだ。大人しく、何の変哲もない人がある日豹変して凶悪な事件を引き起こしてしまう。一件だけならともかく、それが何件も連続して、しかし容疑者は誰も繋がりがない不可思議な事件。
「僕は精神暴走事件はどこか裏で繋がっている一連の事件だと考えているんだ」
彼はそう言って話し出す。彼が警察に協力する中で得られた情報、そこで覚えた違和感について。初対面の僕に話して良い内容なんだろうかと首を傾げたくなるけど、流石にそのあたりの情報管理はきちんとしていると思いたい。
「そして、今回の二件の改心事件も変則的な精神暴走事件として繋がっていると、僕は読んでいる」
「へぇ、それはまたどうして?」
「どっちの事件も、容疑者の人格が豹変するという点は共通している。それに手口が全く掴めないこともね」
「それだけで二つの事件を繋げようと考えるのは暴論では?」
「現代の警察は無能なんかじゃないからね、その科学捜査を以てしても手がかりの一つも掴めない事件なんて稀だよ。そこに何の繋がりも無いと考える方がむしろ不自然だ」
「なるほど……」
彼の言うことにも一理あると考える。とはいえ、このまま彼に同意して話を終わらせるのも何だかなぁという気持ちになってしまう。
「じゃああえて反対の立場、二つの事件は無関係という立ち位置で考えてみようか」
「へえ、面白そうだね」
僕は顎に手を添えながら新聞で得た情報を頭の中で整理する。それと鴨志田先生と斑目の二つの改心についても。
「鴨志田先生と斑目の事件はどちらも予告状がキーだと思う。なら予告状が見つかっていない精神暴走事件は浮いてしまっている」
「例えば心の怪盗団の真の目的は直近二件の改心事件で春先の精神暴走事件は彼らが使う手口の試運転だった、とすれば?」
「そう考えると本命の方がより手ぬるい結果に終わるのがよく分からない。彼らが名を売りたいとしても規模が大きな精神暴走事件で声明を出さない理由になるだろうか」
「怪盗団は今回の二つの事件で自らを義賊だと主張したいとすれば大きな被害を出した精神暴走事件ではむしろ名を出したくないだろうね」
「そうなのだとすれば、たかが一学園の教師の醜聞を告白させるのが初陣というのが分からない。精神暴走事件を起こすくらいに実験を重ねたのなら、いきなり斑目クラスの相手を狙った方が名を売るには有効だ」
「精神暴走ではなく改心の試運転、だとすれば?」
「それこそ精神暴走の過程で検証しておくべき内容だろうね。むしろ、鴨志田先生の件こそ怪盗団の真の初陣だと考えた方が納得できない? それで自信をつけたから、世間的にも話題になるターゲットを選んだ」
もちろん本当のところ、怪盗団がどうして鴨志田先生と斑目をターゲットにしたのかについては想像がついている。けれどそれはここで口にすべきじゃないし、今まで表に出ている情報だけから考えるとしたら僕が言った内容になるだろうと思う。
僕の考えを聞いた明智君は少し考え込むように視線をテーブルに落とす。
「ま、あくまでただの妄想だけどね。本職の探偵ならもう考えたことなのかもしれないけど」
「いや、君の考えは非現実的だと切って捨てるには惜しい……」
そう呟いて視線を上げた明智君は再び感情の読めないニコニコ顔になっていた。
「やっぱり君に声をかけたのは間違いじゃなかったよ。名刺に書いてある番号は仕事用だから、改めてこれ、僕の連絡先ね。これからもちょくちょく君の話を聞かせてもらっても良いかな? もちろん僕からも何か協力できることがあれば力になるからさ」
「え……、まあ、話をするくらいなら」
そう言って明智君に差し出されたメモを手に取ると、そこにはメッセージアプリのIDが記載されていた。後で連絡先に追加しておいてくれということなのだろうか。
「いやぁ、こんなに話せる人が僕と同年代にいるなんて嬉しいなぁ。特にこういう推理みたいなことになるとあんまり僕と対立意見を言ってくれる人が最近少なくてね」
「テレビに出るくらいの探偵と張り合える推理力は無いんだけどね……」
まさかこんなところで有名な探偵の連絡先を手に入れることになるとは。
「探偵王子の再来なんて世間では言われてるけど、流石にあの探偵王子もここまで有能な助手はいなかっただろうね」
「誰が助手だ」
なぜか勝手に助手認定までされていた。初対面から距離の詰め方が凄いな、この高校生探偵は。