斑目一流斎殿。
権威を笠に門下生から着想を盗み、盗作すらいとわぬ、芸術家。
我々は全ての罪を、お前の口から告白させることにした。
その歪んだ欲望を、頂戴する。
心の怪盗団『ザ・ファントム』より。
斑目の個展も一時の熱狂ぶりがやや落ち着いた頃となった5月末のこと、個展が開催されている会場の至るところに貼り付けられた予告状により、その熱狂は再燃することになる。
「予告状。鴨志田先生のときと同じか」
僕はと言えば、休日だけれども珍しくバイトのシフトも入っていないので本でも買おうかと渋谷にまで繰り出してきたのだけれど、そこでこの騒ぎを目の当たりにすることになる。
個展会場に続く廊下や、果ては建物の外にまで、とにかくやたらめったらに貼られたそれは個展に興味の無い通行人すら足を止めて見るほどのものだった。
「何これ? 盗作? あの斑目一流斎が?」
「歪んだ欲望を頂戴するってどういうこと?」
「心の怪盗団?」
「そういや最近変なサイトが出来てたよな? SNSで誰か呟いてたぞ」
道行く人が予告状を眺めて口々に怪盗団、というワードを呟く。そして手元のスマートフォンに目を落とし、操作を始めるのだ。恐らくは怪盗団の名を検索し、あのサイトに辿り着くのだろう。なるほど、センセーショナルな宣伝だ。
僕はそれを横目に個展会場へと足を向ける。チケットも無いが、運が良ければ当日券もまだ買えるかもしれない。そう思って急いでみれば、会場の入り口近くに見覚えのある男の子が立っているのが見えた。相手も僕のことを覚えてくれていたようで、こちらを見て一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに小さく微笑むと手を上げて僕を呼んだ。
「やあ、今日も来てくれたんだな」
「おはよう、喜多川くん。ちょっとこんなものを見かけてね」
怜悧な目を和らげて歓迎の意を示してくれる喜多川くんに、僕はここに来る道中で拾った予告状を見せる。彼はそれを見ても大きく表情を変えることはなかったけれど。
「そうか、確かに会場の外にまでばらまかれていたからな。じきに他の関係者も騒ぎ出すだろう」
「その言い方だと君の、というより君達の仕業だったりするのかな?」
「あなたには俺の心を救ってもらった恩がある。だが、悪いがこれについては教えられない」
僕がいつ喜多川君の心を救ったのかはよく分からないけど、知らないとも分からないとも言わず、教えられないと言った彼の口ぶりからどういうことかは十分に理解出来た。
鴨志田先生のときのことを考えれば、数日以内にでも斑目は自らの盗作を暴露し、世間に向けて謝罪することになる。世界的に有名な芸術家の醜聞に世間は大きく揺れ、この出来事は多くの人の記憶に残るだろう、心の怪盗団の名前と共に。
「今日は個展を見に来てくれたのか?」
「ああいや。表でこれを見つけたから様子を見に来ただけだよ。チケットも無いし」
「そうか……。いや、良ければ今日も見て行ってくれ。俺と一緒なら入れるからな」
喜多川君はどうやら僕を招き入れたいらしい。僕の考えすぎかもしれないが、この予告状を出したことによる騒ぎを僕にも見て欲しいということなのだろうか。
僕としてももう一度個展の絵を見てみたいと思っていたところだ。盗作が事実だと分かった今、本当に斑目が描いた絵に対して僕は何を感じるのか、それが少し気になったから。
「良いの? それならありがたく入らせてもらおうかな」
「ああ、是非見て行ってくれ。今日は取材で斑目も来ている」
他の人の目が無く、事情も知っている僕だけれど、弟子である喜多川君が師の斑目を呼び捨てにしているのを聞くとぎょっとしてしまう。彼に案内されるままに個展会場を歩いていけば、テレビカメラと業界人らしいスーツ姿の男性に囲まれた斑目の姿が目に入る。
「今日も個展は大盛況ですな!」
「流石は日本画の大家、斑目先生です」
「次の個展はパリになるかもしれませんな」
口々に斑目を褒めそやす業界人達の関心は、誰一人として彼の描いた絵には向いていないように見えた。絵の良し悪しが分かるだなんて口が裂けても言えないけれど、それでも彼が描いた絵が誰にも顧みられていないように思えてあまり気分が良い光景ではなかった。
「どうした、海藤?」
「いや、何でもないよ」
横を歩く喜多川君が僕の様子がおかしいと気付いて声を掛けてくるが、この内心を上手く言語化出来ないと思った僕は何も言わずに視線を絵に戻す。
「斑目先生、少しお耳に入れたいことが……」
と、群衆の中心にいた斑目にそう言って近づいていく男を視界の端に捉えた。僕と喜多川君は順路に従って絵を見て回りながら、その群衆に近付いていった。
「……だこれは!」
「至る所に……外では結構な騒ぎに……」
小さな声で話しているため途切れ途切れにしか聞こえないが、時折耳に入る斑目の声が、彼の内心に生じた怒りの大きさを感じさせる。
「盗作が事実だとでも?」
「いえそんな、滅相も……」
斑目に予告状の件を報告しに行った男性は彼の剣幕にすっかり肩を縮こまらせてしまっている。
「良いところばかりの人も、悪いところばかりの人もいない。あの日あなたはそう俺達に言ったな」
「……ルブランでのことだよね?」
先程までの柔和な笑みはどこへやら、今は忌々しそうに顔を歪めている斑目を眺めながら、喜多川君は小さく呟いた。
「俺は斑目の心の歪みを見た。斑目は人を人とも思わない外道だ」
「……そっか」
眉間にシワを寄せて斑目を睨み付ける喜多川君からは、今の斑目が抱えている以上の怒りを秘めているように感じられた。何があったかは分からないけれど、ここまで喜多川君が怒りを募らせ、斑目を見限るに至った何かがあったんだろう。
「俺もあなたの言葉を否定するつもりはない」
だが、と喜多川君は続ける。
「悪いところばかりじゃなくとも、その悪いところをきちんと清算してからじゃないと俺は奴の良いところに目を向けられそうに無い。だからこうするしかなかった」
「うん……」
「本当に奴が自身の行いを悔い改めて謝罪をしたその時、俺は初めて奴を曇り無き眼で見ることが出来ると思っている」
「喜多川くんがそう思うのなら、それで良いんだと思うよ」
僕が言えることはそれだけだ。ただの部外者でしかない僕が彼に対して偉そうなことを言える筋合いは無いし、彼もそんなことを求めている訳ではないと思う。
「ねえ喜多川くん。君がそう思うのは、他の誰かからそう乞われたから? それとも、君が君の心に従った結果なのかな?」
「安心してくれ。これは俺がそうと決めたからだ。どこかの誰かを勝手に代弁したものじゃない。俺は、俺達は自らの心に従って決め、その結果を受け止めると決めた」
喜多川君は僕の目を見てそう言った。そこに嘘や迷いは無い。その様子を見れば、僕の心配は無用だと、余計なお世話だということは明らかだった。
「なら僕の心配はただのお節介だったね。変なことを聞いてごめんね」
「そんなことは無い。あの言葉のお陰で一時の感情に振り回されることなく、決められたんだ」
そんなに大それたことは言っていないのだけれど、喜多川君は穏やかに笑った。
斑目に見つかる前に少し抜ける、騒ぎは気にせずゆっくり見ていってくれと言って喜多川君は個展会場を後にした。僕はその言葉に甘えて一枚一枚の絵をじっくりと鑑賞させてもらう。
個展に飾られている絵は抽象画だけじゃなく、人物画や風景画もある。以前来たときは抽象画に惹かれてそちらに時間を割いていたため、今日は風景画の方を眺めることにした。
風景画はどの絵も細い筆を使った繊細なタッチで描かれた絵ばかりだ。木の葉の一枚一枚まで表現した絵は、描くのにどれだけの時間を費やしたのだろうかと思ってしまう。
「すまない、先程までここに長身の男子学生がいたと思うのだが……」
僕が絵を鑑賞していると、背後からそんな声がかかった。
「えっと、喜多川くんですかね? 彼なら少し外すと……え?」
「おや、君は」
答えながら振り向いてみれば、そこに立っていたのは着物に身を包んだ老人。日本画の大家、斑目一流斎その人だった。
「祐介はどこかに行ったのか、まったく……」
「すみません、お力になれず」
はぁとため息をつき、両腕を組んで隣に並ぶ斑目に僕は頭を下げる。
「ああいや、気にしないでくれ。それより、今日も来てくれたのだね」
「はい、前回は風景画にあまり時間を割けなかったので、今日はそれを見ていこうかと」
「なるほど、では今日も聞かせてくれないかね。君はこの絵についてどう思う?」
隣に立つ斑目が指差したのは一際大きな額に入れられた絵。日本の象徴である富士山を描いた絵だ。墨の濃淡だけで景色を表現する水墨画で描かれたそれは、他に飾られている絵が彩り鮮やかな色彩で描かれているだけに余計に目を惹いた。
山の麓の森、そして山の中腹には雲がかかっており、雲海の上に浮かぶ富士山はそこが人の領域ではない、神域だと思わせる威容を携えていた。
「この絵は儂がまだ若い頃、絵のモチーフを求めてあちこちを歩き回っていたときに目にした光景だよ。今日の個展に合わせて過去の記憶を思い出しながら描いたものだ」
絵を眺めながらしみじみと呟く彼は、どこか懐かしむように目を細めた。
「恐らくこの構図の富士山はどこからも見えない。儂の朧気な記憶を頼りに描いたものだからな。だから写実画ではなく、心象画と呼ぶべきものかもしれん」
「そうなんですね……、記憶を頼りにこれだけの絵を描けるなんて凄いです……素人丸出しの感想でお恥ずかしいですが」
「ハハハ、この程度なら美術学校の生徒でも描けるものだろう。言ってしまえば凡作だよ、これは」
そう言って笑う斑目。どこか自嘲するような色を滲ませるその言葉に引っ掛かりを覚えながら、僕は絵に付けられたタイトルに目をやった。
「届かぬ理想、ですか」
「そうだ。儂の記憶の風景よりも本当の富士山はもっと美しく、人の想像の及ばぬ神秘性を湛えている。それを表現するにはとても足りぬ諦めを表した名付けだよ」
彼の解説を聞いてからもう一度絵を見る。雲海の上に浮かぶ富士山と麓の森、間を隔てる厚い雲は、それこそ彼が言う理想の壁を表しているのだろうか。
人の領域を越えた場所にある富士の山頂、斑目はそこに辿り着こうと森に分け入り、理想と現実の壁で挫折したのだろうか。取り留めの無い妄想が頭の中に広がる。
「君ならこの絵にどのようなタイトルを付けるだろう?」
インタビューを受けた日と同じ問いを、彼は僕に向けた。僕に向けられた彼の目は、僕には読み取れない感情を見せたまま、純粋に僕の答えを待っているようだった。
僕は俯いて深く考え込む。今のタイトル以上に相応しいタイトルが無いと思えるくらい、僕は彼の言葉に納得してしまっていた。けれど、あのときのインタビューと同じように、彼は僕なりの答えを聞きたいのだと思い、考えを巡らせる。
再び視線を上げて絵を眺めてみれば、山の中腹にかかった雲海に細いながらも切れ目があるように見えた。それは僕のただの見間違いかもしれないけれど、
「目指す頂、というのはどうでしょう?」
「ほう、その意味するところは?」
「まだ諦めていない、理想と現実の間にある分厚い壁を認識しながらも、そこに至りたいという気持ちが残っている。これは僕の考えすぎなのかもしれないですけど、ほら、この辺りは少し雲が薄く描かれているように見えたもので。相変わらず素人考えですけどね」
僕が指差した部分を見つめ、斑目の表情に少し驚きの色が混じる。指摘されて初めて気付いた、とでも言うように。
「……なるほど、なるほど。やはり君の着眼点はとても面白い。儂ですら気付かなかったよ、まだそんな思いが残っていようとは」
「いえいえ、素人の妄想ですから」
「そんな素人の妄想ですら、儂のような老いた芸術家には貴重な着想なのだよ。ありがとう」
斑目はそう言って僕に向かって小さく頭を下げた。かの大先生に頭を下げさせた高校生なんてどれだけいるのだろう。周りの目もあってすこぶる居心地が悪いのだけれど、僕は苦笑いで彼の言葉を受け取った。
「あはは、何だか照れますね、そう言われると」
「照れることはあるまいよ。君の言葉は、今一人の芸術家を助けたのだから」
斑目は柔和な笑みを浮かべて僕を見る。今の彼を見ていると、彼が盗作をしているとはとてもではないが信じられない。まさしく絵に描いたような理想の芸術家といった様相なのだから。
彼の弟子である喜多川君の証言と、予告状を見ていた先程の剣幕を知らなければ、僕は今でも彼が盗作をしていることを信じていなかったと思う。
僕は気まずい思いを飲み込んで再び富士山に目を向ける。届かぬ理想。その名が示す意味が、ピタリとはまったように感じる絵だ。もしかするとこの絵は、数少ない彼が自ら手掛けた絵なのかもしれない。
もしそうだとすれば、彼はどのような気持ちでこの絵にその名を付けたのだろう。