感想を食べて生きていると言って良いくらい。
ルブランでの喜多川君との邂逅から数日、意外なことに世間はいたって穏やかな日常を送っていた。雨宮さんは斑目を次のターゲットにしたと言っていたが鴨志田先生のときのように予告状が出ることもなく、今日も斑目画伯の個展は開催されている。
ただそんな何事もない一日が過ぎていくというのは僕にとっては結構嬉しいことだ。今日も今日とてバイトが無い日の常、僕は放課後を生徒会室で過ごしていた。
「何を見てるの?」
「んー? いやちょっと気になったことがあって調べものをね」
いつもと違うのは日課の読書ではなく、自分の中に生じた疑問を解消するために調べものをしていたこと。僕の手の中にある冊子が気になったのか、対面に座っていた新島さんが僕の手元を覗き込んでくる。
「学園の生徒名簿? なんでそんなものを?」
「まあ僕のしょうもない疑問の解消のためだよ。知りたいことは知れたから大丈夫」
僕は新島さんの質問をはぐらかして名簿をパタリと閉じる。僕が言うつもりが無いということが分かったのか、新島さんは不機嫌そうに頬を膨らませてこちらを睨み付けてきた。
「あなたってそういうときは絶対に何も話してくれないわよね」
「うーん、まあこれはそんなに大した話でも無いからね」
場合によっては大した話になるのかもしれないけど、こういうときは大抵僕の勘違いで話が終わったりもするものだ。発端は僕の些細な勘違いなわけだし。
それを伝えても新島さんは納得した様子を見せてはくれなかった。それどころかますます彼女のご機嫌は傾いていく。
「こっちには散々お節介を焼くのに自分のことになると自分だけで抱えようとするのはずるいわよ」
痛いところを突く彼女の指摘に、僕は苦笑いを浮かべる。そういえばついこの前に一人で突っ走ってしまうのは僕の悪い癖だと謝ったばかりだったっけ。
そうは言っても彼女は彼女で怪盗団の正体を突き止めようだなんて案件を抱えているわけで、僕としては自分のせいで彼女の捜査が進んでいないことを自覚しているのでこれ以上の面倒事に巻き込むのは気が引けた。
「僕がお節介焼きなのはどうにも改善できない性分みたいだから諦めてお世話されてくださいな」
「もう! そうやってはぐらかしてばかり……私だって力になってもらった分は力になりたいと思ってるんだから」
「まあどっちかと言えば今の僕は新島さんの悩みの種そのものだけどね」
「そう思ってるのならさっさと白状して私に協力して!」
僕が茶化すように言うと新島さんは呆れたように大きなため息を溢した。なんかこういった気の抜けたやり取りをすればするほど彼女に嘘をついているのが心苦しくなってくるな……。でも僕が緩衝材になってないと真面目な彼女のことだから抱え込みすぎて前の三島君のように雨宮さん達に高圧的に当たってしまうかもしれない。僕としてはそれはお互いにとって良くないんじゃないかと思うので出来るだけそういった苛立ちや怒りは僕に向いて欲しいところだった。
僕はまあまあと新島さんを宥めながら棚に名簿をしまうために席を立つ。そしてそのまま生徒会室を出ようと扉に手を掛けた。後で戻ってくるつもりなので荷物は部屋に置いたままだけど。
「あら、どこに行くの?」
「喉乾いたから飲み物でも買いに行こうかとね」
「珍しい、いつもならコーヒー飲んでるのに」
「コーヒーはつい最近お気に入りの店が更新されてね。インスタントは我慢してるんだよ。たまには高校生らしく炭酸ジュースでも買おうかと」
「へぇ、あなたがそこまで言うなんてよっぽどなのね」
「うん、今度新島さんも一緒にどうかな? 美味しいコーヒー屋を紹介するシリーズ第二弾ということで」
「ええ、楽しみにしてるわ」
そう言って互いにクスクスと笑いながら、僕は生徒会室を出た。向かう先は体育館だ。今日は確かあの部活が使用している日のはずだから、僕の目的の人もいるだろう。
僕は頭の中で先ほどまで見ていた一年生の生徒名簿を思い返していた。僕の勘違いなのか、あるいは裏にこれまた面倒な事情が隠れているのか。どちらか判断はつかないけれど、出来れば僕の勘違いであって欲しいと思いながら僕は体育館へと歩を進めた。
体育館に到着してみれば、そこには部活の関係者以外にも何人もの生徒が集まっていた。皆目的とするところは一緒だろうけれど。
ひときわ大きな歓声が上がった方へと目をやれば、僕の探していた人物が体育館の中心で今まさに軽やかに躍動しようとしているところだった。
「すげーよな、芳澤」
「次の大会で復帰だろ? 普段より気合い入ってそうだな」
周囲から聞こえてくる声は耳をそばだてるまでもない。体育館の中心で衆目を集めている彼女こそ秀尽学園が鴨志田先生と並んで全面的にバックアップしているスポーツ特待生の芳澤さんだ。新体操部の期待のホープとして、そして日本の新体操界を担っていく人材としても世間から注目されている。そんな彼女はリボンを使った演技中らしい。意思を持たないリボンが、彼女にかかればまるで生きているかのように動く。彼女の動きに合わせてリボンはうねり、彼女の周りを踊る。
誰もが彼女の演技に目を奪われる。それは彼女が過去に交通事故に遭い、そこから奇跡の復活を果たしたという噂も手伝って見る者の心に何かを訴えかけてきているようにも思えた。
「すごい……」
隣で見ていた女生徒が小さく洩らした。確かにその通りだ。凄いという言葉しか出てこない。とはいえ僕は彼女の演技を見るためだけにここまで来たわけじゃない。僕は彼女の演技から目を外し、体育館の入り口にある自販機のところに向かう。
どことなく、彼女の演技に痛々しいものを感じてこれ以上見ていられなかった、というのも理由の一つではあったけれど。
しばらく待っていると、休憩のためかタオルを片手に芳澤さんがやってきて、先客である僕の姿を見てペコリと頭を下げた。
「おっと、お疲れさま。休憩の邪魔になっちゃったね」
「いえいえ! 大丈夫です!」
白々しく頭を下げると、芳澤さんは慌てたように首を振った。そう返してくれることを見越していたとはいえ、あんまりこういうことはしたくないな。
僕は小銭を取り出して自販機にいれると、スポーツドリンクを買って彼女に手渡した。
「お詫び、というわけじゃないけどどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
芳澤さんは恐縮しながらもスポーツドリンクを受け取り、ベンチに腰かけた。僕も僕で自分用の飲み物を購入して柵にもたれかかる。
「騒がしくてごめんね。練習に集中したいだろうに」
「いえそんな、副会長さんに謝ってもらうことじゃないですし」
「外野で見てても良い気分はしないけれど、僕の自己満足で謝ってるだけだな、これは。ますます申し訳ない」
問題を解決することも出来ないのに謝られても芳澤さんにとっては迷惑でしかないと思い直して頭を下げる。確かに今の発言は我ながら何様のつもりだと言いたくなるものだった。
「ああいえそんな! 頭を上げてください。注目されるのは仕方ないと思いますし、それを誰かのせいにしようだなんて思いません!」
芳澤さんは慌てたように否定してくれる。純粋な彼女にこうまで言われると良心がじくじくと痛む。いや、彼女に危害を加えるようという気持ちは全く無いのだけれども、彼女の貴重な休憩時間を削ってしまっていることが申し訳ない。
「強いね、流石は新体操界のホープだ」
「ホープだなんて……そんなことありません」
彼女はそう言って表情に翳りを見せた。そこには謙遜というよりも、もっと暗い意味がありそうなものに見えた。それが意味するところは分からないが、彼女も重たいものを抱えているのかもしれない。いや、オリンピック候補などと持て囃されている裏側には、計り知れないプレッシャーがあるのだろう。それこそ鴨志田先生に向けられていたもの以上に。
「ごめんね、プレッシャーを掛けるつもりは無かったんだけど」
「いえ、分かってますから……。副会長さんには転入してからお世話になってますし」
彼女のお世話をしたことなんて転入して数日の校舎案内とその他雑務くらいのものだけれど、鈴井さんと言い彼女と言い、僕と関わりのある女性は律儀というか何というか。
気にしないでと苦笑すると僕は柵から身体を離す。
「さて、あんまり長居しても迷惑だろうから僕はもう行くね。まだ練習すると思うけど、怪我しないようにね」
「はい、ありがとうございます!」
「あ、そういえば芳澤さんって兄妹とかっている?」
休憩所を離れる直前、僕は肩越しに彼女を振り返って問う。彼女は一瞬キョトンとしたような顔を見せたが、
「はい……、妹がいますよ?」
そう答えた。
「妹さんも新体操をしてるの?」
「ええ、そうなんです! いつか二人でオリンピックに出ようって約束してるんです!」
妹さんの話題になると、彼女の表情が明るくなり、イキイキと話し始める。彼女にとって自慢の妹らしく、両拳を小さく振って力説してくれる。
「自慢の妹さんだね」
「ええ、そうなんです!」
「あはは、その話はまた聞きたいね。それじゃ、僕はこれで」
「はい! いつでも話しますよ!」
そうにこやかに笑う芳澤さんを残して僕は休憩所を後にする。あのとき僕に生じた違和感は恐らく勘違いでは無いとして、これについての手がかりを知っている人がいるとすれば、彼くらいのものだろう。
「人が評価するのは作品ではなく儂の名だけ……」
「評論家が訳知り顔で芸術を批評する……」
「何故儂は弟子からアイデアを奪ってまで……」
「これは、斑目の声か……」
あちこちに装飾華美な自画像や自刻像が立ち並ぶ虚飾の美術館。斑目パレスと呼ばれるそこに潜入していた怪盗団は、パレスの外れ、主の認知が薄くなるそこにひっそりと隠れるように配置されていたものを手に取れば、今度は蓮と祐介の頭に声が響いた。
「フォックスにも聞こえた?」
「ああ、何故俺達以外に聞こえないのかは分からないがな」
蓮と祐介が他の面々を見渡してみれば、モルガナや竜司、杏は何を言っているのか分からないと首を傾げて二人を見ていた。
「以前に鴨志田パレスでジョーカーが聞いたというイシの声か?」
モルガナの言葉に蓮はコクリと頷いて返した。モルガナは腕を組んでうんうんと唸り始める。
「分からん……。前はジョーカーだけで今度はフォックスもだ」
「ジョーカーの言ってるイシの声ってこのパレスとは食い違ってる感じだよね。何だか、後悔してるみたいな……」
「後悔……」
杏の言葉を小さく反芻する蓮。彼女の言葉に、蓮の頭には数日前に交わした会話が過る。
「天秤を傾ける……」
「天秤、アイツの言葉か」
蓮が呟いた言葉に祐介が反応する。彼との会話の後、パレスから小さく響く声に導かれた先にあったのがモルガナ曰くイシと呼ばれる物。鴨志田パレスにあったものと同じだ。違うのは蓮が手に取ったときに聞こえてきた声の主とそれを聞き取った人物。
イシの声を聞いた人物の共通点、もしかするとそれは。彼女の頭の中でまた『彼』のことが良く分からなくなる。
「パレスは主の歪んだ認知で生まれるもの。けれどもセーフルームしかり、歪んだ認知に晒されていないところもある。彼と関わることでそれを鮮明に感じ取れるようになった?」
「どうだろうな。単純に俺が斑目と関係が深いから、という線もある」
「ジョーカーの言ってる彼ってのは?」
「副会長のことじゃないの? この前も副会長に会ったって言ってたし」
首を傾げたまんまの竜司に杏がそう返す。蓮も彼女の言葉を肯定するように頷いた。
「鴨志田パレスにいたあの人は他のシャドウとは違っていた」
「アイツが意識してるか否かはともかく、パレスかワガハイ達に何らかの影響を与えてるのは間違い無い。この一件が終われば一度メメントスでアイツのシャドウを探してみるのも良いかもしれないな」
けど今はそんなことよりパレスの攻略だと息巻くモルガナの言葉に蓮達も頷く。気になることはあるが、先にこのパレスを攻略してしまわないといけない。自分達は天秤をどちらに傾けるべきか、そして自分達の天秤は今どちらに傾いているのか。蓮の頭の中には彼の言葉はいつまでも木霊していた。