「私は教師としてあるまじき事を繰り返してまいりました……」
5月2日。ゴールデンウィークを目前に控えたこの日、臨時に開かれた全校朝礼の場に突如として現れた鴨志田は壇上で静かに語った。
自身が今まで行ってきた暴挙の数々。それは生徒への暴言やバレー部員への体罰、女子生徒への性的な嫌がらせ、エスカレートした挙げ句、鈴井さんへの性的暴行未遂に至ったこと。
「私はこの学校を、自分の城のように思っていた。気に入らないというだけの理由で退学を言い渡した生徒もいます。もちろん、それは撤回します……」
涙を流し、肩を震わせながら話す彼の声は小さなものだったが、それすら体育館中に響き渡るように思えるくらい、今の体育館は静まり返っていた。
「私は傲慢で、浅はかで……、恥ずべき人間、いや人間以下だ……」
そう項垂れる彼に、いつものエネルギーに満ちた元メダリストでカリスマ的な人気を誇る教師としての姿は微塵も感じられなかった。
「鈴井さんにも、そして高巻さんにも、どのようにお詫びをすれば良いか……」
更に彼の口は止まらない。自身が両者を互いに人質として関係を迫ったことまで明かした。これには体育館内が一時ざわつきを見せた。かくいう僕も状況を冷静に分析しているようでいて動揺を抑えきれてはいなかった。
あの自信に満ちた鴨志田がいったいどのような心変わりをすればここまで一変した雰囲気を身に纏うのだろう。彼がここまで自身を卑下することなど、恐らく生まれてから一度も無かったのではないか。
「私は本日限りで教職を辞し、警察に出頭いたします。私のこれまでの行いは、賢明なる生徒のお陰で容易に立証出来るでしょう。私などにお手間を掛けて申し訳ないですが、どうか協力してください……」
そう言って全校生徒を見回した彼の目は、僕と合ったところで止まった。その目には深い悔恨の念が溢れており、とてもではないが彼の芝居であるようには思えなかった。むしろ、この告白をしてまで僕の握っている証拠を握りつぶそうとする意味が無い。
僕は呆気に取られたまま、でも彼の求めの通りに頷いた。それに対する鴨志田の反応は、これまた驚くことに安堵の表情だった。まるで自分に罰が下されることに対して心底安心したかのような穏やかな表情を浮かべたのだ。
「どなたか、警察を呼んでくれ!」
その言葉と共に俄に騒ぎ出す生徒達。これは放っておくと収拾がつかなくなると感じた僕は、わざと大袈裟に足音を立てながら壇上に上がり、マイクを片手に全校生徒を見下ろした。
「本日の全校朝礼は以上。生徒達は速やかに教室に戻ること。担任の先生方は生徒の誘導をお願いします。……よろしいですね、校長先生?」
「あ、ああ……」
まだ混乱の渦中にある生徒達は、それでもいち早く出された指示に盲目的に従う。それは脳が混乱している中で唯一秩序だって下された指令だからだ。先生方もたかが一生徒の僕の言うことだというのに律儀に生徒の誘導をしている。
ただ出口に向かいながらも壇上の鴨志田を見ながら話す生徒達のざわめきが徐々に熱を帯びはじめている辺り、動き出すタイミングとしては最適だったと自分を褒めてやりたい。これ以上放っておけば体育館から生徒を出すだけでも倍近く時間がかかったはずだ。
「ありがとう……、海藤君」
「鴨志田、先生……。一体どうされたのですか……?」
鈴井さんの件以来、彼のことは内心で呼び捨てにしていたが、今はそうすべきでないと感じた。今の彼は欲に溺れた鴨志田ではなく、鴨志田
「自分のやっていたことの罪深さに気付かされたんだよ……。あの日、私を止めてくれて本当にありがとう。私はもう少しで、本当に取り返しのつかないことをしてしまうところだった。思えばいつも、君は私が道を完全に踏み外さないように押し止めていてくれた」
鴨志田先生はそう言って弱々しく笑みを浮かべ、僕を見る。鴨志田先生からこんな感謝の念を向けられるようなことをした覚えも無ければ、むしろ何故ここまで急変して聖人染みた言動をするようになったのかが不気味で仕方ない。けれども、少なくとも彼が自らの行いを恥じ、罪を告白して償おうと考えているのは良いこと、なのだと思う。
「鴨志田先生、僕は僕がやらなければいけないと思ったからあなたを止めたに過ぎないですよ。感謝される理由は無いです。それに、あなたがこうなったのは必ずしもあなただけのせいではないと僕は思いますから」
僕はそう言って壇上でなおも立ち尽くしている校長を鋭く睨み付ける。鴨志田先生のもたらす甘い汁に目を曇らせ、彼がここまで増長することになった一因は間違いなく校長にもあるからだ。校長が庇うから、他の教師も何も言えない。学園の理事にも輝かしい業績ばかりを報告し、その裏で数多の涙と血を握りつぶしてきた。校長が強いリーダーとして鴨志田先生を抑えられていれば、この事態は防げた可能性もあったのだ。
僕の視線の意味に気付いた校長がギクリと身を震わせ、それから逃げるように体育館を出ていく。気がつけば、体育館に残っていたのは僕と鴨志田先生だけになっていた。僕はへたりこんだままの鴨志田先生の隣に腰を下ろす。
「警察が来るまでの短い時間ですけど、少しお話しませんか?」
「ああ……、君にはぜひとも聞いておいて欲しい」
それから、鴨志田先生はたどたどしくはあるものの、語ってくれた。
元メダリストということで周囲から掛けられる実績への期待に押し潰されそうだった毎日。選手として一流でも、教師としてはまだ半人前なのに周囲はそんなこと関係ないとばかりに一流の指導者で一流の教師であると持て囃し、褒めそやす。自身の経験をうまく言葉に出来ず、部員達の能力が伸び悩むことに眠れなくなるほど悩んだ日々。
そしてある日、彼の中の暴君が目を覚ました。試合で対峙する相手選手を全身で威圧していたときのように振る舞えば、部員は以前よりも必死に練習に取り組むようになった。かつて自分がゲロを吐き、泣きながらこなしたメニュー、水すら飲むことを許されないような命の危機すらあるような非効率的なシゴキ。自分が指導者だったらこんな非効率的なことさせてなるものかとまで思ったそれをいつしか当然のように部員達に課すようになった。
全ては周囲から掛けられる期待に比例して大きくなった恐怖心によるもの。教師として、指導者としての自分の拠り所が不安定なために過去の選手としての栄光に過度に依存した結果だった。
「そうして実績が上がれば、周囲はさらに褒めそやし、しかもそれで終わらない。次を、もっと上をと言外に求める。それに応えるために更なる地獄を部員達に課す。そんな繰り返しだった」
そうやって大きくなり続ける恐怖が見つけた逃げ場所が、絶対強者としてこの学園に君臨する歪んだ悦びだった。
「最初は些細なことだったんだ……。ちょっと疲れて授業が億劫だから、休みたいとワガママを言ってみた」
するとそれがあっさりと通ってしまった。体育教官室で一人、彼はそのことに思いを馳せたという。
それからは些細なことが徐々に積み重なっていく毎日。授業を休むだけじゃなく、次は部活動の予算配分のこと、体育館のバレー部の優先使用、一つ一つは些細なそのワガママが、気付けば我欲を満たすようなものへと変貌していたのに気付いたのはいつだっただろうか。
「ああ、誰も私に何も言えないんだと思ったんだ。実績さえ出せば、満足して好き勝手しても許される。そうやって私は、『俺サマ』になった」
秀尽学園を我が城と見なす王の誕生は、しかし歴史の常たることのように半ば周囲から望まれるようにして成った。王となることにより、鴨志田先生はより自由に、より活発になり、それはバレー部の輝かしい実績を生んだのだから。
「そんな中、君が真っ向から私に対立してきた。意外かもしれないが、最初は安心したんだ」
「安心、ですか?」
「ああ、私が間違っていることをこうして敢然と示してくれる人間がいる。君という諫言者を通して、私は自身の行いを省みる切っ掛けを得られた」
だが、それも程なくして終わる。陸上部の顧問を臨時で受け持つようになったことが端緒となった。バレー部が実績を上げるまでは頼もしく感じ、実績を上げ始めてからは焦りを、そして自らが王となってからは疎ましく感じていた陸上部。
ちょっと厳しくシゴいてやって部活を辞めさせようと思った。だが、そうやって標的にした人間は愚直に自身が言うメニューをこなし、ついには選手生命を絶たれてしまった。種目は違えど同じスポーツ選手として、その絶望が如何ほどのものかを分からない自分ではなかった。その取り返しのつかない罪の大きさを自覚する前に、逃げた。
「私が正しい、間違っているのは向こうだと背を向けた。そうして坂本君を挑発し、問題を起こさせ、退学させようとした。そうすれば私の罪の象徴は私の城からいなくなるから」
鴨志田先生は自身を止める最後のチャンスを失った。そこからは欠片ほどの良心は消え去り、残ったのは暴君と化した己の欲望のみ。そうなれば諫言者はたちまち目障りな障害にしか見えなくなった。
「そうして今になって死ぬほどの後悔に襲われているのさ。本当に、愚かだ……私は……」
それっきり、鴨志田先生は泣き崩れ、意味を成さない嗚咽を上げるだけになってしまった。一流のスポーツ選手としての強い自我が、歪んだ環境と合わさったことによって普通の大人であれば持ち合わせている自制心を失わせた、と言えるかもしれない。もちろん、大多数の大人はこんなことにはならないだろうとは思う。けれど、学校という閉鎖的で特殊な職場環境、その中で、教師として新米でありながら結果を求められ、周囲には自身を肯定するものしかいない、そんな環境でどこまで人は自制心を持ち合わせていられるだろうか。少なくとも、彼ほどではなくとも生徒に横暴に振る舞う教師には前世でも今世でも覚えがある。
「でも鴨志田先生、あなたはきちんと自白して、償おうと考えているじゃないですか」
僕は鴨志田先生の震える肩に手を置く。そういえば鴨志田先生とは握手すら交わしたことがなかったかもしれない。鈴井さんを助けたあの日と今とで通算二度目の触れあいだ。そう考えれば、僕ももう少し鴨志田先生と向かい合うべきだったのかもしれない。彼が抱えていたプレッシャーを察していれば、本当に手遅れになる前にこうして彼が弱音を吐き出せる場になっていられれば、少しは違った結末もあり得たのかもしれないと夢想する。けれども、教師と生徒という立場がそれはありもしない仮定だと一蹴してしまう。
例え前世の記憶を持っていようが、多少人より勉強が出来て大人びていようが、僕はただの高校生でしかないのだ。そんな僕に鴨志田先生が悩みを打ち明けられたかと問われれば、答えは否だろう。
「あなたのしたことは許されることじゃない。あなたを一生恨む人だっている。だけど蹲ってばかりじゃいられないんです。自分がやってしまったこと、それで自分に向けられる視線も、全てを受け止めて、あなたはまた歩き出さないといけない。考えることを止めて、ただ謝り続けるだけじゃ意味が無いんです。考えて考えて、辛くてもしんどくても考え続けないといけないんだと思います。これから自分が出来ることを。たかが高校生の戯れ言ですけど、でも、あながち間違ってないんじゃないかと僕は思っていますよ。それにバレー部の中には、そんなあなたでも慕っていた生徒がいました」
「うっ……くっ……ああ……、ああっ……!」
鴨志田先生は泣き続ける。泣き続けながらも、僕の言葉に何度も頷く。大の大人を高校生が諭しているだなんてお笑い草だ。社会の苦しさも知らないで、綺麗事しか言わない子供の戯れ言なんて一笑に付して終わりでもおかしくない。それでも、鴨志田先生は笑うことも、否定もせず、ただ頷いて泣き続けるのだ。
それからしばらくして、誰かが通報したのか警察がやって来て、事情聴取をするということで鴨志田先生を任意同行で連れていくことになった。僕は警察と鴨志田先生に促されて鈴井さんが襲われた日の録音データと去年と今年のバレー部員に対する体罰を記録した動画、音声データを提出し、パトカーへと連れられていく鴨志田先生を見送った。
「改めてお礼を言わせて欲しい。ありがとう……海藤君。君のお陰で私は、ただ罪を裁かれることだけに安堵するのではなく、その先のことも考え続けないといけないことに気付かされた。君には教えられてばかりだな、教師として情けない。いや、もう教師ですらないか」
パトカーに乗る直前、こちらを振り返ってそう言う鴨志田先生の顔は、どこか晴れやかな表情をしていた。
「安心してください、今の鴨志田先生ならちゃんとやり直せると思います。いつ、どこでになるかは分かりませんが、また会うことがあればバレーボール教えてください。あんな強いスパイクを僕も打ってみたいですから」
「ああ……。本当に、ありがとう」
こうして怒涛の4月は終わりを告げた。偽りの城の支配者は自らの過ちを認めて王冠を脱いだのだ。
鴨志田先生を乗せて走り去っていくパトカーを見送りながら、僕の脳裏には彼女と初めて出会った日のことが思い出されていた。
「学園かと思ったら城に来ていた、ね」
城と王様。白昼夢と切って捨てられてもおかしくないような言葉が、僕の頭にこびりついて中々消えてくれなかった。
鴨志田を擁護し過ぎかもしれませんが、パレスでの鴨志田シャドウの台詞から似たような経緯を辿ったんじゃないかと思いました。現実でも一年目の新任なのにろくに研修も受けずにいきなり生徒受け持って授業するのが当たり前みたいになっている現状もあったりしますし。そういう意味では、そうした弱音を全て言い訳と切り捨てるのも酷なのかと思ったりします。社会人だと特に。
この辺りゲームやっていたときに皆さんはどう感じられたでしょう。