雨宮さん達に別動隊となってもらった日から、少なくとも表面上は穏やかな日々が流れていた。鴨志田と僕の確執はたった一日で学園中に広まったらしく、僕は学生からも先生からも遠巻きにされる存在となっていた。
去年のゴタゴタがあった際にいじめに近いことも受けたが、それに何の反応も示さなかったためか今回は嫌がらせを受けるわけでもなく、単純に僕との関わりを避ける形で分かりやすく孤立することになった。
「でもそれだけで怒りが収まるわけが無いよな」
そう呟く僕の視線の先にはバレー部員達の姿。皆、いつにも増して生傷が増えている。大会が近いという口実で普段以上のしごきを課しているようだ。僕はといえばそれの抑制で体育館に行くことも出来なかった。単純に処理しきれない雑用を名指しで頼まれるようになっていたからだ。あまり鴨志田に関わらないようにという校長の計らいなのだろう。悲しいくらいにやることが二人とも似通っている。
そして僕が満足に動けない間は雨宮さん達が何やら動いてくれていた。何をしているのかは教えてくれないが、僕が鍵を渡した空き教室をよく利用しているらしい。
そんな彼らを頼もしく思いながら、僕も僕で何とか動けないかと色々模索を続けていたある日。僕は雨宮さん達から空き教室に呼び出されることになった。
放課後になるのを待って教室に向かえば、そこには既に雨宮さん、坂本君、高巻さんの三人が揃っており、扉を開けた僕を迎えてくれた。
「遅くなったかな、ごめんね」
「大丈夫ッス。こっちも今来たとこっすから」
坂本君に促されて僕も椅子に座れば、雨宮さんが早速といわんばかりに口を開く。
聞けば、あの後高巻さん伝いに鈴井さんから詳しい話を聞き、三島君やその他の鴨志田の標的になりやすい生徒からどうにか話を聞き出した三人は、去年の僕と同じように鴨志田に直談判しに行ったらしい。僕に怪我を負わせたことについても問い詰めたそうだ。
しかし結果は空振り。どころか、三人揃って次の理事会で退学させるように働きかけると脅されたらしい。やってることが僕のときと全く一緒だな。それを報告してきたということは彼女達も手だてが無くなってきて苦しくなってきたのかもしれない。
「それで、君達の方でも手詰まりになったって感じ?」
「いや、そうじゃない」
心配から零れた質問は、自信ありげな雨宮さんの声で否定された。
「あくまで最終確認だった」
「最終確認?」
何を確認したかったのかと首を傾げるが、小さく笑みを浮かべた彼女が教えてくれそうな気配はない。坂本君や高巻さんにも視線で問いかけるが、何も言わず、けれども諦めた様子でも無い。ということはまだ何か隠し玉があるということなのだろう。
「何をするつもり……って聞いても教えてくれないんだろうね。こっちが協力できることはあるかい?」
「大丈夫。後は任せて欲しい」
僕からの申し出に返ってきたのは短く、されど頼もしい言葉。この様子だと僕に出来ることは無さそうだ。
「それじゃあ僕は君達がやろうとしていることが上手く行くように祈っておくよ。話はこれで終わりかな?」
「それだけじゃないです」
この報告だけで終わるのかと思えば、そうでは無かったらしい。高巻さんが差し出したのは通話状態になっている彼女のスマホ。促されるままにそれを耳に当ててみる。
「あ……、副会長さんですか?」
「その声は鈴井さん?」
電話口にいるのはどうやら鈴井さんらしい。鴨志田に襲われかけた日から休んでいるとは聞いていた。連絡先を知らないし、鴨志田と同じ男である僕だとかえって怯えさせてしまうかもしれないと特に連絡を取ろうとはしていなかったけれど、いったいどうしたのだろう?
「その、お礼を言いたくて」
「お礼?」
「そう。あの日、私を助けてくれて、ありがとうございました」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。むしろもっと早く助けてあげられなくてごめんね。部活での様子も目にしていたのに事前に動けなくて不甲斐ないよ」
「ううん、そんなことないです。私が何も言えなかったのに、副会長さんはいつも助けてくれました。この前だけじゃなく、今まで何度も」
最初は緊張からか、もしくは怯えからかぎこちなかった喋りも次第に流暢になり、彼女は僕への感謝を述べてくれる。最悪の事態は避けられたとはいえ、彼女にとってはトラウマになってもおかしくない出来事だったのに、こうして話せるようになってくれて何よりだ。
「あのとき私に掛けてくれたブレザー、借りっぱなしでごめんなさい」
「ああ、それは気にしないで。予備もあるし、捨ててくれても良いからね?」
「そ、そんなことしません!」
そういえば鈴井さんに掛けたブレザーもあったな、と今さらになって思い出した。気にしなくとも良いのに、クリーニングして返してくれるという。学校に来られるようになって、余裕が出来てからで良いと伝えておく。その後も何度もお礼を言ってくる鈴井さんに、ゆっくり休むように伝えるとスマホを高巻さんへと返した。高巻さんも少し会話を交わすと通話を切る。
「ありがとう、高巻さん。わざわざ話をさせてくれて」
「良いんですよ。志帆にお願いされましたし。それに、私もちゃんと言えてなかったから。ホントにありがとうございました!」
「高巻さんまで……」
「私は何も知らなかった。志帆がバレー部で何をされてるかなんて。私が鴨志田の相手をすれば志帆がレギュラーになれる、私の方が志帆を守ってるんだって自惚れてた。ホントは志帆にも守ってもらってたのに……」
そう言って高巻さんが頭を下げる。
「二人には謝ったけど、先輩にもちゃんと謝っておきたくて。前は最低な態度を取ってごめんなさい」
「前……?」
「ほら、中庭の自販機のとこの……」
坂本君が横で耳打ちしてくれて思い出す。そういえば高巻さんに初めて話しかけたときにすごく警戒されていたっけ。ただまあ、あれに関しては急に話しかけた僕も良くなかったというか。いや、確かに怖かったんだけどね。そのことを伝え、気にしないでと言っても彼女が頭を上げようとしなかったので、謝罪を受け入れ、普段通りに話してくれるようにお願いした。高巻さんに頭を下げさせてるなんて噂になったら彼女のファンから怒られるかもしれない。
「あはは、何それ。私にファンなんかいませんよ」
「そうかな。高巻さんくらいの美人だったら性別問わず憧れる人はいそうだけど」
高巻さんは照れたように笑う。うん、警戒されたり、恐縮されたりするよりもこっちの高巻さんの方がよっぽど親しみやすい。雨宮さんも坂本君も安心したように表情を緩めていた。
「さて、それじゃ僕はそろそろ帰るよ。何か策があるみたいだし、君達に任せる。退学を決定するとしたら次の理事会、5月2日だね」
「それまでに鴨志田のヤロウを何とかしてみせますよ!」
「期待してて」
何をしようとしているのかはさっぱり分からないけれども、そう言う坂本君と雨宮さんに頷きを返して教室を後にする。
教室を出る瞬間、微かに猫の鳴き声が聞こえたような気がした。
それから数日が経ち、休日明けの4月25日。学校中に貼り付けられた予告状に校内は騒然とした。
鴨志田卓殿。
抵抗できない生徒に歪んだ欲望をぶつける、
お前のクソさ加減はわかっている。
だから俺たちは、お前の歪んだ欲望を盗って、
お前に罪を告白させることにした。
明日やってやるから覚悟してなさい。
心の怪盗団より
校内の掲示板に所狭しと貼り付けられた赤と黒のカードに新聞の切り抜きのような文字が印刷された予告状。誰かが気になって足を止めれば、それが更に人を呼んで多くが文面を目にする。ご丁寧に掲示板の前の机にも同じ予告状がばらまかれており、掲示板のように貼り付けられていないそれを手にとって友人に見せに行く生徒もいた。
「なになに?」
「鴨志田先生、何かやったの?」
8時を過ぎて登校する生徒が増えてくると、その騒ぎは到底無視できないものになる。教師も何事かと見に来て、内容を目にすると血相を変えて走っていく。恐らく鴨志田を呼びに行ったんだろう。
程なくして騒々しい足音を立てながら鴨志田が掲示板の前まで走ってくる。その頃にはこの予告状の内容を知らない生徒の方が少なくなっていたけれど。
「誰だ! こんなことをしたのは!」
予告状の内容を見た鴨志田は普段のファン向けの爽やかな笑顔はどこへやら。怒りの形相で近くにいた生徒に次から次へと食って掛かっていた。そしてその視線がふと僕を捉える。
「キサマかぁ!」
ずんずんと僕の前まで来るとその大きな両手で僕の襟首を掴み上げた。首が絞まって息がしづらくなるが、何でも無い様子を装って鴨志田の怒りの視線を受け止める。
「何の話ですか?」
「とぼけるな! こんなふざけたことをしやがって!」
「そんなに焦ること無いじゃないですか。大したことも書いてない、ただのイタズラみたいなものじゃないですか。それとも、なんです?」
何か心当たりでもあるんですか?
そう言ってニヤリと笑えば、鴨志田の顔が大きく歪んだ。このイタズラを仕掛けた犯人は大体想像がついている。もちろんそれを素直に教えてやるつもりはないが。むしろこれを利用して精々引っ掻き回してやろうとすら考えていた。
「この、舐めやがって……!」
鴨志田が今にもこちらを殴り飛ばさんばかりに怒気を纏う。いっそのこと衆人環視のこの場でそうしてくれると僕としても手間が省けるのだが、流石にそこまで冷静さを失っていないようで、ギリギリと僕の襟首を締め上げるだけに留まっていた。更に息が苦しくなるが黙ってやらないし、むしろニヤリと不敵に笑って見せた。
「舐める、ですか。それはこちらの台詞ですよ」
「ナニィ?」
眉をピクピクと震わせる鴨志田の耳元に顔を寄せる。
「子供だからって舐めるなよ。あんたのやってることを必ず明るみに引きずり出してやる」
「こっの……! クソガキ……!」
そう言って歯が砕けるんじゃなかろうかというくらいに歯軋りをする鴨志田だったが、周りの目があるせいか最後までこちらに手を出すことはなかった。
「こんなイタズラを許すなんて情けない生徒会だな! 責任取って全部お前が片付けろ!」
「はいはい、もちろん片付けておきますよ。おっと、そろそろ朝のHRの時間でしたね。昼休みに片付けることにしますよ。サボりは良くないですし。それにこのイタズラで授業が今すぐ出来なくなることもないでしょう?」
僕はそう言うと鴨志田の手を振りほどいて自分の教室へと向かう。後に残された鴨志田は他の生徒にも噛みつき、坂本君達にも絡んだ挙げ句、最後には自分で掲示板に貼ってあった予告状を全て剥がしたらしい。
ここ最近、僕や雨宮さん達が散々刺激したからあんな具体的なことを何も書いていない怪文書だけで動揺したんだろうか。あんなもの、適当に鼻で笑っておけば数日もすれば誰も話題にしなくなるだろうに。あそこまで過敏に反応したせいで今日一日は生徒達は予告状の件を口にしないものはいなかった。ただ、それでも翌日になればこの予告状の熱は冷めたことだろう。普段通りの日々に戻っていれば。
ただそうはならなかった。翌日は誰もが更に興奮冷めやらぬ口調で今日の出来事を話すことになる。
鴨志田が翌日から体調不良で学校に来なくなったからだ。