女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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後日談「神といふもの」

 楽土より帰りし神子というものがいる。

 彼らは時折楽土──異界より来たりては、新たな知識を齎し行くもの。ただし彼らの元居た異界はてんでばらばらで、仮に同じ異界出身であっても時代が違うなど、様々。

 だからこそ──神族と氏族それぞれにおいて、「そう在るように」と名付けた存在がいたとするのなら。

 それもまた、楽土より帰りし神子なのだろう。

 

「なぜ来たりし神子ではなく帰りし神子なんだ?」

「諸説あるが……"誤魔化したから"というのが通説だな」

「……誤魔化した?」

 

 流星群のような戦争を背後に、見た目がそっくりな神族二人が会話をする。

 媧と祆蘭。なお、媧はやろうと思えば本来の形に戻ることができるらしいのだけど、当分はこのままでいるつもりなのだとか。……昔のお淑やかな媧を知る溶けていた神族がそれはもう悔しがったとかなんとか、そういうのはどうでもいい話である。

 

「お前もそうだったが、どうにも異界より現れる者は己の出自を隠したがる。この世に初めて現れた神子もまた同じで、"異界から来た"のではなく"元からこの世にいた存在で、別の世界に行ってから帰ってきただけだ"というような誤魔化し方をした……というのが神族の見解だ。正確にいうと氏族に伝わっている話を神族が聞いた結果、そうだろうな、と断定した、というべきか」

「あー」

 

 ちょっとわかるな、と思うは祆蘭。なんとなく異世界出身である、という言葉を明言したがらないのは、どこの世界生まれでも同じなのか、と。

 

「最初にそれが現れたのは氏族側だったのか」

「ああ。そいつは那尔迈(ナルメル)と名乗ったらしい。お前の知識にあるか?」

「……」

 

 言葉を躊躇う祆蘭。その様子を見て、媧は「知ってはいるが、言いたくないのだな」と判断した。

 実際には「聞いたことはあるようなないようなだけど……ああ、これだから世界史って……!」となっているだけの祆蘭であるが、意図しなければ神族同士でも心情は流れ()でないものなので問題ない。

 

「しかし、そいつは帰りし、だったのか。……戻りしじゃないんだな」

「私達の発生以降は帰りしばかりだが、それ以前の記録となると知らぬ部分も多い。これも議論の分かれるところだが、氏族の方が神族よりも発生が早いと言われているからな」

「あー、まぁ」

「それも納得の反応なのか」

「そうだなぁ。ま、楽土より帰りし神子が名付けたというのなら割合納得できる部分もあるが、……美索不达米亚(メソポタミア)印度(インダス)はどこへ行ったんだ。ダイグラフィアじゃないから弾かれたのか? それとも単純にこの世界に来なかっただけか?」

 

 とかく。

 彼女がずっと感じていた「なぜ」の部分は解消されたらしい。

 

「先史文明にもやっぱりいたのかな、楽土より帰りし神子は」

「いたのやもしれんが、確認のしようがないな。そいつが先史文明を滅ぼした可能性もあるし、無理矢理に文明を引き上げようとして殺された可能性もある。時の循環というものが存在する以上、いつかそこを解き明かすものが現れるやもしれんが……同時に今はどうしようもないことだ」

 

 ひと際大きな流星が飛ぶ。

 いや……二人の方へ向かってくる。

 それは彼女らの前で静止した。

 

「サニウエン。ウレも、一度は戦線に出てミロ。その闘争心があレバ、良い戦士に育つだロウ」

 

 蚩だ。彼は祆蘭へそう声をかけ……そして一気に不機嫌になった媧から目を逸らす。

 

「そういえば、サニウエンはどういう意味なんだ、蚩」

「なンダ媧。氏族文字を研究していタト記憶していタガ」

「氏族文字……聖刻文字とかいうやつか」

「アア。サニウエンは"守護者"、あるいは"存在を保護する者"という意味ダナ」

「……聞いた時点でもしや、とは思っていたが……それ本気で言ってるのか」

「ム?」

「む?」

 

 祆蘭は頭を抱える。当然だ。だってそれはつまり、ヒエログリフを日常会話レベルで使えている、ということだから。

 地球に知識を持ち帰ることができたのなら、どれほど、なんていう俗な考えが浮かぶほどには貴重なものだ。

 

 そして……その時代からの曳航者がいるのなら、やはり、とも。

 

「それで、サニウエン。来ないノカ?」

「私が足を運んでやる必要がどこにある。くだらん役割を私へ押し付けておいて、剣気に対して過剰反応して、それでもまだかかって来すらしない奴らのために動く足はない」

「フム。勝手に我々の戦争に巻き込ムナ、といいたいわけダナ」

「察しが良いな、神族の癖に」

「おい、それはどういう意味だ」

 

 祆蘭も媧もその場を動かないと判断したのだろう。蚩はもう一度だけ少女を一瞥し、また戦線へと戻っていった。

 

「……中々終わらんのだな、戦争というのは」

「ああ、まぁ。……昔から小競り合いはずっとあったのだ。それが、十万年程前に氏族側からの宣戦布告があって……そこから私達は戦い続けた。そして、七万年前の盤古閉天で罠にかかり、世界のほとんどが氏族のものになった。……だから、今行っているのは元の領地を取り戻すための戦いというべきか。光界を出た時は大口を叩いたが、その実氏族を全滅させる、というようなことは不可能に近いだろうな」

「なぜだ。穢れとの相性は良いのだろう」

「奴らがどのようにして発生しているのかが未だによくわかっていないのだ。一部地域を殲滅したかと思えば、次の瞬間には大軍が押し寄せてきている、とか。殲滅したはずの宙域から新たな氏族が生まれ出でている、とか。詳しく研究しようにも、核を潰されない限りは死なず、核を潰さないで放置しておけば当然戦いに戻るから……調べようがない」

佩普(ペイプー)……道破(ダオポォ)の方が通じるか? アイツを調べればいいだろう」

「お前が復活した後から誰もアレの姿を見ていない。恐らく同じことを考えたのだろうな」

 

 それではまぁ、それもどうしようもないことだ。

 神族氏族関連はどうしようもないことばかりなのだ。

 

 どうにかしようがあるのは、やはり人だけ。

 

「奔迹の氏族研究を引き継ぐのもいいかもしれないなぁ」

「お前は大きさの面で言えば人間とそう変わらんからな。目を欺くという点でも優れている。止めはしない」

「そうか。過保護な媧はもういないのか」

「今のお前を過保護に守っていたら、お前はどうにかして氏族に突撃しにいきそうだからな。適度な自由が必要だと判断している」

「……」

 

 理解されていること。

 それが……。

 

「お前になら、悪い気はしないよ」

「む?」

 

 彼女は手を振って、その場から姿を消した。

 

 

 

 斉心(チーシン)の宮殿……帝宮と呼ばれている場所の屋根の上に座る男女。

 片方は輝きすぎていて陽光にしか見えないけれど、確り男女だ。

 

「珍しいな、お前が陽弥のそばにいないなんて」

「……あァ」

 

 しおらしい。男……普段の顕からは考えられないほどにしおらしいその様子に、ぷっと吹き出す少女。

 

「お前が戦線に加わらず、陽弥の守護と題して玻璃のそばに居続けたのは、陽弥のためだろう?」

「ンだよ……気持ち悪ィな、相変わらず。問答すっ飛ばして核心突くんじゃねェっての」

「無駄な問答だからな、"何があった"なんて問いは」

 

 二人とも察している。

 彼らの知り合いが……あと少しだ、ということくらい、もう。

 

「玻璃が死んだら、陽弥は死を選ぶだろうな」

「そこはせめて疑問形にしろや」

「お前も同じことを考えているのにか?」

「……チッ」

 

 図星だった。それ以外の何物でもなかった。

 顕の心を占めるのは陽弥……彼からしてみれば、ただただ被害者であっただけの少年だけ。

 そのために彼は玻璃の近くに居続けた。そうすれば、陽弥が目的を見失わずに済むから。

 

 けれど……どう頑張ったって、永遠の命を与えることはできない。

 何より陽弥がそれを望まないだろう。

 

「お前が元居た楽土では、そういうことは経験してこなかったのか」

「あン? ……ああ、オレのいた楽土か。……まぁ、ままあったよ。年がら年中戦争してるみてェな世界だったからなァ。むしろこっちは平和過ぎるっつゥか、老衰で死ねるなんて夢のまた夢、みてぇな世界でよ。まぁ……そうだな。そう考えりゃ、全ての死が些事になるってのは……わかるが」

「私が聞いているのは、誰かを看取り、そして作った大切なものを手放す経験のことだ」

「……ああ、無かった。大切なモンなんぞ作っちまえば次の日には壊されているような世界だったから……オレはそういうモンに期待するのはやめた。……だから、救いではあったンだろーな。光界に閉じ込められたことも、陽弥と出会い、あいつに物事を教えたことも……オレにとっては大事な救いで、成長だった」

 

 盛大な溜息。

 楽土より帰りし神子として神族となった顕は……恐らく、前の世界とこの世界、そして前の己と今の己の違いに悩まされ続けたのだろう。

 少女には無い……というより今になってようやく経験し始めているその葛藤に──言葉をかける。

 

「存分に味わえ」

「そこは慰めの言葉とかじゃねーのか」

「ふん。そんなものが私の口から出た試しがあったか? 莫迦者め。……大切なものを作るという行為も、それと行う別離も、恐らく他の神族では得難い経験だ。私達だからこそできるもので、私達だからこそ悲しめるもの。それを味わわずしてどうする」

 

 そして少女は、ニヤリと笑う。

 

「泣いてくれてもいいぞ。盛大に笑ってやるから」

「……もし世界に……楽土より帰りし神子を選ぶ意思みてェなのがあるとしたら、盛大に文句を言ってやりてェよ。なんてモン連れ込んでんだ、ってな」

「私は戻りし神子故な。私を呼んだのも鈴李だから、それは冤罪というやつだ」

「なんでこういう比喩の冗談には真面目に返すんだよ」

 

 次に出た笑みは、極悪なもの……ではなかった。

 ふわりとした笑み。子供を見るような笑みだ。

 

「私にじゃなく、陽弥に泣きつけよ。みっともなくとも感情を吐き出し切った方が……後悔せずに済むぞ」

 

 ただ、それだけを。

 

 

 

 斉心から遠く離れた旅點(リュディェン)という国。その領内にポツンと存在する廃墟。

 植物の絡みつきまくったそこには「人を食う鬼」が住んでいるとされ、親は子に「夜道で幼い少女に出会ったらすぐに逃げろ」という教えを残す。その少女は()で、暗がりには今か今かと獲物を待って大口を開ける鬼がいるから、と。

 

「そういう噂を流し続けたら、誰も寄り付かなくなったわ。事情を知っている一部の人間以外」

「凛凛さんらしいよ」

 

 その鬼。そして廃墟の主は、何を隠そう凛凛である。

 彼女は元々モノ作りに然したる興味が無いし、神族モドキであることで成長の止まった身体が気味悪がられることを知っている。だから早々に人里から離れて、そういう噂を流して、一人楽しく自家栽培の老後ライフを送っている。

 果たして凛凛の寿命がどれほどであるのか、については神族ですらわからないとか。そんな例が今まで存在していなかったから。

 

「異例も異例らしいのよね、今の私って。ほら、あんたが同一因子を死滅させてくれた時……光界追放があった時、私と私の中の輝術は切り離されるはずだったのよ」

「らしいな。けど、輝術側……この場合は神族側か? それが凛凛さんにしがみついたと聞いた」

「誰から?」

「燧だ」

「ふぅん。……お喋り野郎ね、アイツ」

 

 祆蘭を驚かせたかった、というオーラを出しながら……彼女は己が家をぐるりと見渡す。

 幾つもの硝子製の容器。そこに入った様々な植物。中には植物とは思えない見た目をしたものもあって、だからそれは。

 

「これ……氏族の、肉片か?」

「ええ。研究の際に拝借して、色々やってみてるの。培養して植物と融合させて……私の血肉の一部にできないか、って」

「悪趣味過ぎないか。穢れだぞ」

「だからこそじゃない。光界の中にいた時は私の身体も同一因子だったから、穢れの侵入を防ぐこともコントロールすることもできなかった。けど、奔迹が今熱心に研究しているように、大陸には人間、ないしは知性を持つ生命体が文明を築いていた形跡がある。わかる? いつまでかはわからないけれど、神族という穢れを祓う存在が閉じ込められて尚、氏族ばかりの、穢ればかりのこの世を生き続けた何かがいたのよ」

 

 少し興奮気味に話す彼女に、幼馴染がいなくなったこととか、親愛なる者達と長年会っていないこととかの悲愴感は欠片もない。

 彼女はちゃあんとマッドサイエンティストなのである。

 

「わかる? つまりあんたが用意してくれたこの肉体は、穢れに対してどうにか抵抗できるポテンシャルを秘めている可能性があるってこと! 勿論今のままだと侵蝕されて終わるだけだけど、何らかの方法があるってわかっただけで十二分。あとは鬼が先住民を見つけるなりして……どうにかして研究できたら最高よね」

「いやあの……それは……」

「なによ。今更あんたが倫理観を説くわけ?」

「いや割と私は人道側にいたような気が……」

「陽弥を容認した時点でそんなもの崩れ去ってるでしょ」

 

 いるかどうかはわからないが、いるとされている先住民。

 それを見つけて交流を図る……ではなく、実験体にする気満々の凛凛。「ここで最悪の未来は摘み取っておいた方が良いのではないか?」と祆蘭が思ってしまうのも仕方のないことだろう。それはまた、彼女のファンタジー知識が故というかなんというか。

 加えて言うのなら。

 

「しかも別にその研究、人類のため、ってわけでもないんだろ」

「は? 当り前じゃない。なんで私がそんな献身精神見せなきゃいけないのよ。普通に、私がより高次の……あるいは混沌に満ちた存在になるための研究よ。ああごめんなさい、嘘を吐いたわ。ぶっちゃけ目的なんてないの。好奇心だけだと思ってくれて構わない。……全く馬鹿よねー今潮も。研究者を名乗るのなら、これほどまでに研究対象に満ちた世界を喜ばないでどうすんのよ」

「ああ普通に触れるんだ……」

「なに? ……もしかして私が今更感傷に浸るような奴に見えていたの? それなら流石に医院を……って、神族用の医院なんか無いか。あ、私に任せてくれたら──」

 

 尚、頑張って凛凛の擁護をするのであれば、彼女はこっちが素である。

 光界では利害の一致や目的の一致、そして面倒を見ていた少女──黒根君のこと──のこともあって協力的であった、というだけで、そもそも「輝術を取り込んだ植物を好奇心だけで体内に取り入れてみる」という蛮行を幼き内に犯した女性なので、光界追放を受けてからおかしくなったとか、暴走しているとか、そういうわけではない。

 そしてそういう観点で見れば奔迹とてそうである。いや、恐らくは光界出身の研究者は……あるいは研究者という生物が大きな括りにおいてそうなのかもしれないが、祆蘭はこれ以上踏み込まないことを決意した。面倒臭いから。

 

「それで、そういう話をしに来た、ってわけでもないんでしょ」

「いや……そういえば凛凛さんはどうしているんだろうな、と思って来ただけだから、特に用事があったわけじゃないぞ」

「そう? なら私からの用事、良い?」

「ん、ああ」

 

 言葉を言い終える前に、彼女は鋸を抜いた。

 背後に迫っていた蔓を防ぐために。

 

「……なんだ?」

「ふぅん。今までの往なしや直感頼りの防御、回避じゃなく……ちゃんと察知して防いだわね、今」

「ああ……神族になって、色々変わったんだ、身体」

「なら、いつか結衣を討ち取ってあげなさい。用事はそれだけよ」

 

 虚を突かれたような、それでいて……諦めたような顔になる祆蘭。

 

「知っていたのか」

「光界にいる時からねー」

 

 蔦が引いていく。

 代わりに、別の蔦が何枚かの紙を持ってきた。

 

 ──凄惨な現場の……血塗られた村々の描かれた紙。否、これは。

 

「写真……?」

「あんたの遺物、ピンホールカメラだっけ。あれから着想を得て、もっと短時間で現場を映し得る機械を開発した集団がいるのよ。……ほら、あんたに最後までついてたお爺さん。蘆元(ルーユェン)だったかしら。アレの作り上げた集団。即时成像相机(ジーシーチォンシャンシャンジー)なんて名前を付けられたそれが、光界で言う輝絵の代わりになってんの。ああでも、思い描いたものを、というのはできないけれどね」

「セピアと白黒通り越してカラーに辿り着くのは最早意味わからんが、がっつりインスタントカメラだな……」

「インスタント。……ああ、何か聞いたことのある単語だけど、まぁいいわ。それ自体は重要じゃないし。重要なのは、撮影された内容。これ、何かわかる?」

 

 これ。山賊の被害にあった村、という様相のそれは。

 

「文脈から考えれば、結衣の被害痕……だろ」

「そう。氏族の核が一番おいしい、っていうのは変わらないみたいだけど、それ以外の残虐性……アレが元々持っていた残忍性が、日に日に隠し切れなくなってきているみたい。アレも結局私達と同じ、人道も倫理も考えず、好奇心と気分だけで動く怪物だから……ま、鬼と人間の関係性を取り持ちたいのなら早く討ってあげなさい」

「特に取り持ちたいとは考えていないから、別に良いかな」

「あら……でも、今の人間だと輝術師よりも無理よ、鬼を相手にするのなんて」

「それならそれで仕方なかろうさ。摂理だよ」

 

 手の内に白い筒……紙巻きたばこを生成する祆蘭。

 例によって煙は一定範囲内で消滅するものだけど、もう完全に癖になってしまっているようだった。

 

「よく私に人道を説けたわね」

「まぁ、確かに。……けど、結衣が勝つも人類が勝つも同じだろう。そんで結衣のことだ、殺しまくって殺しまくって、次の瞬間にはコロリと気分を変えて……氏族狩りにでも出かけていそうだし」

「想像に難くないわね」

 

 言いながら凛凛が取り出すは煙管。そこに瓶から取り出した葉を詰めて、燻らせ始める。

 祆蘭のように範囲内で消滅させる、とかいう考えは存在しない。無論ここは彼女の家なので何も問題はないのだが。

 

「喫煙者だったのか」

「いいえ? ただこういうアプローチも試している、ってだけ。この葉っぱから何か感じない?」

「何かって……。……ん? 穢れが微かに……」

「つまりコレよ」

 

 足先で目線を促すは氏族の肉と植物の絡み合ったソレ。

 ソレがコレである、と。

 

「死に際の氏族。核を抜かれた氏族の肉は、普通であれば雲散霧消する。だけど、核が近くにあると回帰を行おうとするの。……この家の地下には氏族の核が一つあって、だからこの肉片は消えないのよ」

「……危険性は?」

「当然盛大に。輝術を含んだ葉っぱで抑え込んではいるけれど、どれほど完璧に密閉しても肉を回帰、あるいは再生させようとする核を四六時中見張っていないといけないし……けれどこれ以上輝術要素を高めすぎると核が割れちゃうし。研究し終わるまでは睡眠を摂ることも難しいでしょうねー」

「ちなみに今何年目だ」

「三年目」

 

 凛凛の吸う煙管。そこから吐き出される煙の中には、確かに薄い穢れが混じっていた。

 祆蘭の吸う毒煙などメじゃない、完璧なまでの猛毒である。それを、浄化できるから、という理由で肺へ入れ続けるその姿は。

 

「まぁ……凛凛さんらしいか」

「ソレ。製法教えなさいよ。煙管でやるより簡単そうだわ」

「断る。これは私のだ」

「人間には卸さないって約束するから」

「製法なんか教えなくても再現するだろ」

「……モノ作りは苦手なのよ。はぁ、じゃあ学会に投げて……」

「それは人間に卸してるのと同じだろ」

「なら私の前で吸ったのが間違いね。止まる気は無いわ~」

 

 最悪だった。

 尚、「でもこれほど悪ぶっているけれど凛凛は結局のところそういう一線はちゃんと踏み越えずにいるんだろう」という期待は通じない。

 彼女はやる。絶対にやる。

 "知ってしまったが故に"人道に反し、倫理を踏み抜いて散っていった笈溌。

 "知りたくなかった故に"人道に反し、倫理を踏み越えられずに死んだ今潮。

 

 凛凛は、"知りたいが故に"人道を無視して倫理を踏み割っていくマッドサイエンティストである。三人衆の中ではこの女が一番「アレ」なのだ。

 

「まだ何か用?」

「いや……これからも長い付き合いになりそうな、それでいて様子を見に行ったらなんでもないやらかしで死んでいそうな……不思議な人だなぁ、と」

「私はアンタと会った時にそれを感じたけどね」

「あー、まぁ、そうか」

 

 長い付き合いになりそうで、なんでもないやらかしで死んでいそうで。

 少女の姿で煙を燻らせているところも、我が身を省みないところも。

 

「それじゃ、今度は用ができたら来るよ。またな、神族モドキ」

「はいはい。頑張って悪ぶらなくてもアンタの好意は伝わっているから大丈夫よ。じゃあね、新米神族」

 

 そういう繋がりも、あるとかないとか。

 

 

 

 出たのは溜息である。

 

「疑念。理由を欲する。落胆の理由を」

「いや……もうその姿で露店を開く必要はなくなっただろうに……何をしているんだ伏」

 

 ここなるは……まだ名前のついていない開拓村の市場。

 そこにいたのが伏である。当然の如く誰にも見向きもされないこの露店は、けれど売買自体は発生している不思議な場所。

 

「我々は元からこうだ。光界に居た頃は別の目的を持っていたが、元より楽土より帰りし神子を選別するために地上へ降り立つことが多い」

「金はもう必要ないだろう」

「……貨幣は時代や国によって変遷する。我々の数少ない趣味というものだ」

「へえ」

 

 それは驚いた、と……祆蘭が見るは、伏の周囲。

 確かに彼の近くには麻袋が何個かあって、その中には違う種類の貨幣が集められているようだった。気のせいでなければ光界で使われていたものもある。

 

「我々は大きい。そして時間というものへの感覚が薄い。……貨幣は流通するもの故、歴史を象る良い蒐集品だ」

「だとして、なんで売り物がシャーペンなんだ。……ん、こっちのは……まさかボールペンか?」

「是。我々にこれを教えた者は、確かにそれをそう呼んでいた」

 

 他にも沢山の筆が置かれている。そういう露店なのかと思えば、しかしざっくばらんな商品もある。

 祆蘭は早々に考えるのをやめた。伏はそういう存在なので。

 

(なれ)の用向きは、我々が忘れられる、ということに関してだろう」

「……まぁ、そうだな」

「光界でなくてもこの現象は起きる。我々神族を長く覚えていられる存在は少ない。正確には、神族という存在を知っていようと……神族一人一人の個性を覚えていられる者が少ない、というべきだ」

「理由は?」

「恐らくは、馴染まないが故、だろうな」

 

 馴染まない。

 つまり。

 

「凛凛さんのことは例外にして……この世に輝術師が生まれることはもう無い、ってことか」

「ああ。穢れというものを受け入れる受容体のあった同一因子は、我々神族の力とも相性が良かった。ただ、この世の肉体にはそれがない。汝の楽土ではどうだったのかは知らないが、この世における"記憶する"という行為には、"対象を自らの世界に住まわせる"という事象が付き纏う。その辺り、神族は容量が大きい。人間が生きていくためには神族を忘れなければいけない。そうしなければ、むしろそこからの記憶能力に齟齬が出るだろう」

「……やはり記憶は魂に依存するか」

「脳にも多少の領域はある。だが、魂の方が大きな容量を持っているし、主に使われているのはそちらだ。……楽土より帰りし神子はそれを否定しがちだが、この世はそうであるから、どうすることもできない」

 

 その証明自体、祆蘭が行ったようなものだ。

 光界追放。そう呼ばれる事象において、祆蘭は光界にいた全ての命を殺している。脳もまた同一因子で作られていたが故に。

 けれど世界の外へと出た彼らは光界の中で起きたある程度の事実を覚えていた。それはやはり、脳だけが記憶ストレージであるわけではない、ということの証左なのだろう。

 

 無論、楽土より帰りし神子という存在そのものも。

 幽鬼も、鬼も、魂だけの存在となった祆蘭も。

 

 ずっとずっと、覚えていたのだから。

 

「案ずるな、神濫」

「……お前はそちらで呼ぶのだな」

「ああ。我々にはそちらにしか聞こえない。……そして、もう一度言う。案ずるな。……汝が大切に想う人間は、汝を忘れることはない。強く刻まれ過ぎている。ただ……これから先、汝と関りを持っていく人間に関しては別だ」

「そうか」

 

 それは例えば、鈴李の後継者たる鈴蘭だとか。

 友の子や、新たに知り合った者だとか。

 

「都度、初めましてをすればいい。案ずるなというのはこちらの台詞だよ、伏」

「ならば良い。神族への変容は汝の本質へも影響を与えた。それについては謝罪をする。同時に、我々は汝を歓迎する。──これから、よろしく頼む」

「こちらこそ、だ。……そして」

 

 祆蘭は……懐から笛を取り出して、「ピーッ」と吹く。

 音は人間に聞こえるものではない。なれば誰に聞こえるものか。

 

「よくやったぞよ神濫!! そして見つけたのじゃ伏! そち、まーた戦線離脱してこんなところで油を売ってからに……!」

「しっかり捕まえてオケ、祝。そしてこれからも頼むぞサニウエン。伏はすぐに逃げ出ス。ウレの嗅覚がオレ達には必要だ」

「……裏切ったか」

「お前が悪いだろ十割」

 

 とまぁ、こんな締まらない光景が神族の日常である。

 神といふものは、そう簡単には変わらないのだ。

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