女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
世界を見てまわる。
どこもかしこも見たことの無い……まぁ正確にいうと有るような無いような、な街並みだ。ファンタジー知識がどうしてもね。
和洋折衷どころか中華和風洋風よくわからん民族風が折衷&折衷している街並みで、その理由を聞けば「お前の遺物がそうさせた」らしい。遺物とは私が作ったもののことらしい。あーね、って。
国ができていた。村の跡地みたいな場所があった。争いの痕跡があった。
そして……墓も、あった。
まだこの世界が惑星であるかどうかわからないからなのか、葬法は基本土葬らしい。そして墓碑には個人名が刻まれる……墓石の形はちょっと洋風。
「……まー、十五年は長かったか。……生きている内に帰ってきてやれたらよかったんだがな」
無造作に花を投げつける。
書かれている名前は、私の祖父母のもの。……規格文字じゃなくて新帝文字……つまり漢字で書かれているため、一瞬誰の名前だろう、とはなったけれど。
十五年だ。そして、医療技術の観点から見ても平均寿命の観点から見ても……生きてはいられなかったらしい。
墓の前で、胡坐をかく。
「爺さん、婆さん。……私の名前は、祆蘭という。神濫とも言うらしいけれど、まぁそれはどうでもいい方の名前だ。あんたたちの可愛がった私の名前はこっち」
両親ともそうだけど。
私と家族の間に多くの言葉は必要ないように思う。地球でのそれが劣悪だったから、とかではなく。
全て、行動で示してきたつもりだから。
「達者でな」
手を合わせるでも、頭を下げるでも、
楽土かどこか、冥府か天国か。あるいは私のようにあの暗く暖かい洞穴のような世界へ行ったものと見て……別れを告げる。
時の循環の果てで、また会えたのなら、今度は私が……なんてな。
つまるところだ、と。
話を切り出す。
「神族になった……ですか」
「不本意ながらな。光界に残してきた"祆蘭"という墓守と違って、私には何の縛りもない。だというのに十五年間何をしても出て行けなかったのは、どうやらこの外の世界と光界が繋がっていなかったからみたいなんだ。鈴李や進史さんがそこを繋いでくれた……私の行為をなぞってくれたおかげでパスができた。それが第一の条件。私のしてきた行為が唯一無二ではなくなる……私という存在が必要なくなること。それが光界を出るための第一条件だった」
正確にいうと、外の世界に入るための、かな。
光界に対しては外の世界からの外圧のようなものが存在していて、私という存在が外の世界に入るためにはそうやって中和をしてもらわないといけなかった……らしい。
「第二に、奔迹のやってくれたこと。私の肉体を再構築してくれただろう。あの肉体が動くことはないけど、この世界に"祆蘭"という存在がいたことになって、且つ死んだことになった。この世界は開けているから幽鬼の存在を許さないけれど、神族としてならば存在できる。世界に祆蘭という枠が無かったことが、今まで外に出られなかった一因だった」
HDDを増設してくれて、そのHDDがフォーマットされたことで私の入る隙間ができた。
もしこれで中世の錬金術よろしく再構築祆蘭ちゃんに生命が宿ってしまっていたらマズかった。一生出られなかったかもしれない。
とまぁ、これが第二の条件。
「そして第三の条件が、お前の元結だ」
「……やはり、縛っていましたか」
「ああ。私自身は魂だけになっていたからな、元結なんかついていないのに、どうしてだろうと思っていたら……幽鬼の祆蘭ちゃんにはしっかり括りつけられていたよ。おかげで解放に手間取った。幽鬼に触れることはできても、幽鬼の衣服を脱がせる手段なんぞ知らん。過去の経験から言って幽鬼本人に脱いでもらうくらいしか方法が無いんだが、幽鬼の祆蘭ちゃんが起きないんだこれが。ま、第一、第二条件が整わない限り第三条件が整っても出られなかったみたいだから、解放にかかったのが十五年だったことには何の問題も……というか作為性を感じるまであるんだけど、そんな感じ」
初めに玻璃が私へと贈った元結。
いつか燧や媧が感心していたように、あれは意味のあるものだった。
つまるところ、髪留め。神止めなのだ、あの元結は。
私が勝手に鬼子母神化することを防ぎ続けていたアレは、まぁ……私の外し忘れで最終的に足を引っ張りまくってくれた、と。
自我の薄い幽鬼の緩慢な動作で元結をなんとか外させて、ようやく、と。
「申し訳ありません」
「神族になること自体が予想もしていなかったことなんだ、謝る必要はないさ。……とまぁそんな感じで条件をクリアして、いつでも出られる状態になった私のもとへ現れたのが
「此奴の存在を感知した瞬間、私達神族は一堂に会し、祆蘭の神化を行った。それ以外に無垢な魂を留めておく術を知らなかった、というのもあるが、光界から此奴を出す術の中で一度は研究されていたことなのだ。祆蘭の魂を神族として迎え入れることで、神濫の力の押出と共に祆蘭を外に出す、という研究が。……まぁお前達も知っている通り、光界が見つからなかったが故に断念された研究でもある」
凛凛さんや森封が言っていた通り、光界とこの世界はあくまで隣り合った世界なのだ。確かに世界結界によって神族と同一因子を閉じ込めはしたけど、世界という単位ではこの世界に属していなかった。
例えとしてわかりやすいのは多分、液晶画面についた傷だろう。画面内ではあるし、傷ついた部分は確かに存在し、範囲もあるけれど、ゲームや番組といった「液晶の中のもの」からはその存在を確認することができない。
光界の中にあったあらゆる存在を「ゲーム画面の傷」から「ゲーム内」に放り出せたのは、私が彼らを殺して転生させたことに起因する。完全な別存在になったから……というか「正しいデータ」になったから、彼ら彼女らはこの外の世界に出ることができた。
同じく私もこの世界ナイズされた存在になることでフォーマットされて出てくることができた、と。
「魂の神族化、というのは……簡単にできるものではなさそうですね」
「ああ。だが此奴は十二分に信仰されていたからな。楽な部類ではあったよ。……私達の神話大系は元々英雄や多くに篤く信仰された者が神となるシステム故な、祆蘭はその条件に合致していた、というわけだ」
改めて挨拶を交わした神族らはもう既視感のある名前ばかりだった。決定的だったのは
どうやらそういう「人間から神格化された神族」は早い段階で人間に混じっていったそうなのだ。曰く、「見ていられなかったから」。氏族の奸計とはいえ、あらゆるものを制限されて、知識や記憶まで奪われて生まれてきた同一因子……という名の人間。
神族には光界に閉じ込められても尚、人間には関わらない選択肢もあった。城という神族用の住まいに住み続けていれば、人間が空を飛ぶことなんてなかったのだから。
ただ、そんな彼らを憐れに思った者達が人間へと混ざって行き……そうして取り残されたのが華胥の一族、というわけだ。
「というわけで……鬼達がやってくれていたことも、鈴李たちがしてくれていたことも、媧らが研究してくれていたことも、何一つ無駄ではなかった、ということを伝えたかった」
「ええ……ありがとうございます、祆蘭」
今更だけど、ここは
なぜか玻璃が帝になっていて、当然のように陽弥がいて顕がいる……よくわからん世界にしては古代中華風味を色濃く残している場所であると言えるだろう。
集まっているのは玻璃、鈴李、媧、桃湯、私……に、玻璃の側仕えになったという夜雀となぜか夕燕、雪妃。ただし後者三人は色々察して席を外しているが。
「神族になった、ということは、祆蘭。あなたの寿命は」
「ほぼ無限だそうだ。余計なことをしてくれた、とは思っている」
「そう言うな。これしかなかったのだ」
あいつに大爆笑されそうだ。
異世界に生まれ直しただけでも笑われたのに、異世界で神をやっている、など。「お前の御利益はなんだ? 縁切りと不都合と滅多刺し祈願か?」とか煽られそう。
とはいえ、というか。
「……」
「あら……なんでしょうか。見えないはずなのに視線を感じますね」
「……なぁ媧。玻璃の実年齢って、実際どれくらいなんだ」
「魂の年齢で言えば七万を超えるし、肉体年齢も……重ねた年数だけで言えば百を優に超えるだろうな。お前が聞きたいのは"本当に人間か?"だろう? ……驚くことに人間なのだ、此奴は」
「輝術が使えなくなったことで、普通の盲目らしくなったといいますか。聴覚が鋭敏になっていまして、こそこそお話しされていても聞こえていますよ」
無論、彼女の老化の遅さには顕が大きく関わっていそうだけど。
「ま、折角不老長寿になったんだ。いつかは必ず看取らせてくれよ」
「ふふ、おかしな要求ですね。私に死をお望みですか?」
「十五年の不在と、仲良くなった奴が軒並み鬼になったって事情があってな。まだちゃんと看取った経験がないんだ。これからはたくさんの知り合いの死に立ち会うだろうから、その数の内の一つに加えさせろ」
「……やはり、あなたは永遠を望みませんか」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、だ。石や木と同じ、熱量の無い怪物になりたいというのなら止めはせんがな」
いずれ別れが来るからこそ、何度も何度も足繁く通って共に過ごす時間を増やそうと考えるものだ。
終わりのない関係など冷え切ったっておかしくはない。
それは勿論、鈴李とも。
「しかし……神族になってしまった、寿命がない、となると……帝の座をお返しするわけにはいかなくなりましたね」
「ん、ああ。そうか、新帝同盟は」
「ええ。そのために惰性でありながらも続けてきた、という部分はあります」
「いつ解散宣言をしてくれても構わん。それともどうだ、このまま私達と雲隠れでもするか? 先の空車は燧に引かせたが、今なら顕が引いてくれるだろう」
提案に、玻璃は。
「……いえ。もう少し、続けてみますよ。お世話をしなくてはいけない子も増えましたし……ただ、その代わりといってはなんなのですが」
「ん?」
「また糸を綯ってはくださいませんか? 在庫が尽きてしまいまして」
「お安い御用だ。材料があれば絵具だって作れるだろうし、正直出していない知識はこれでもかってほどにある。もっともっと色鮮やかになるよ、お前の世界は」
それと、と。
玻璃に近付いて……顔布に手をかける。それを取る。
「あら……なんでしょうか?」
「これはサプライズだ」
その額に己の額を合わせて──私の心の中にある、あの世界を見せる。
「土地にもいくらか手を加えていくつもりだし、街づくりも面白そうだ。──いつか、絵やタペストリーだけではない……本当の景色というものをお前に見せてやる。それを見てから看取られろよ、お婆ちゃん」
返事は待たない。これまた後ろ手を振って、その場を去る。
夜雀たちをよろしく頼むよ。
第一声は、「老けたな」だった。
「……失礼極まりない」
「いや……老けたよ。今何歳だ?」
「三十六」
「老けたなー」
「そっちは……相変わらず、九歳」
祭唄。活性の国が村であった頃から教鞭を振るい、今でも教師をやっているらしい彼女に会いに来た。
とても慕われているらしく、学徒を引き剥がすのに時間がかかった──学徒の中には
「常に神族が近くにいるらしい夜雀と比べられても困る」
「あと大人になったな。前は子供と見紛う雰囲気をしていたのに」
「まぁ……色々あったから」
「色恋沙汰は?」
「生憎、今は仕事一筋」
「嘘を吐くでないわ。十年くらい前に恋人ができかけておったであろう」
「できかけていただけ。告白の言葉が"木工仕事なんかやめて国で裕福に暮らそう"だったから蹴った。私……私達にとって木工細工がどれほど大切なものであるかわからない人と婚姻を結ぶのは無理」
へー。そんなこともあったのか。
「ちなみにこの"蹴った"は比喩ではないぞ」
「蹴り飛ばした。橋の上から、川に」
「……そこから十年色恋沙汰がないのはそれが原因なんじゃ」
「否定はしない」
進史さんが蜜祆さんと結婚していたことにはかなり驚いたけど、祭唄と夜雀が結婚していないのも驚きだな。結構な優良物件だと思うんだけど。というか女子会であんだけ進史さんのこと扱き下ろしていた蜜祆さんがくっついた理由が謎でならない。
ま、そんなことを……色恋をしている暇がなかった、というのはありそうだ。激動の十五年間だったらしいから。
「それより祆蘭」
「ん?」
「智慧の輪。売れ行きが好調。お金、いる?」
「いらんいらん。結婚資金にでも溜めておけ」
「魔方とか、あとマグネットボードとか。祆蘭発案のもので、売れていないものはほとんどない」
「あー、だから黒板とかホワイトボード通り越してマグネットボードなのか……」
著作権で言うなら地球のお歴々に払いなさい。
いやホント、驚いたものだよ。
村の寺子屋、みたいな場所にまで黒板じゃなくてマグネットボードが置かれているんだから。どういう文化? ってなったよね。
火をつけるにも圧気発火装置を使うのが当たり前になっているようで、それなりの頻度でボンボン音がする。マッチ棒のレシピはよく覚えていないけれど、学者連中に投げて作ってもらうか。じゃないと煩いしびっくりするし。みんな慣れているみたいだけど。
同時に……火薬というものがまーったく見られないのもちょっと気になる。もう氏族の知識制限はないはずなのに。
「基本的には新帝同盟が独占している。祆蘭が書いた『未來予想圖案書』にあったものの中で、危険そうなものや争いに使えそうなものは凛凛が軒並み制限してるから、世に出回らない」
「凛凛さんが? ああそういえば神族モドキになったとかなんとか」
「うん。伝達を使える人間がいないからあんまり意味ないけど、大陸中に『継草』は生えている。時折神族が話しかけているらしいから、祆蘭もできるかも?」
「へぇ。初伝達がそこになるか。面白いな」
未だに佩いている鋸を抜く。
ノールックで刃先を突きつけるは……おや。
子供?
「祭唄老師は渡さないぞ!」
「老師はみんなのお姉さんだからダメ!」
「よその子はちゃんとルールに従って!」
皆が皆……鋸やトンカチを持って。
そう、この活性とかいう国、なぜか国民のほとんどが腰に鋸とトンカチを佩いているおかしな国なのである。左手の包帯は流石に無かったみたいだけど、どういう教育したらこうなるんだ。
しかし……面白いな。
祭唄が私に取られると思っているのか。
「みんな、ダメ。私達は今大事な話をしている」
「いや、構わんぞ。誰ぞかかかってくるといい。久方ぶりに身体を動かすのも──」
「相変わらず馬鹿なのは変わっていない。そのすぐ戦おうとする癖やめて」
鋸を──振り下ろす。
衝突するは、祭唄の靴先。「老師!?」という悲鳴に似た声が上がる。……しっかり安全靴なのがなんとも。
「ほー。身体強化はなくなったのだろう。衰えんか」
「あの頃よりは当然落ちているけれど、フェイントもない振り下ろしに後れを取るほど劣った覚えはない」
ふぅん。
「ま、あれだ。ちょっと悪戯けしただけだ。お前達の大事な祭唄老師を取るつもりはないよ」
「そもそも取られる、という思考が不思議。私は普通に男性が好き」
「だ……だって老師、その子が来た瞬間顔が嬉しそうになったし!」
「声もすっげー楽しそうだよな!」
「あの夜雀ってねーちゃんが来た時よりも舞い上がってるぞ!」
へぇ、という流し目を贈れば……微かに頬を紅潮させて、顔を逸らす祭唄。
その頬を掴んでこちらに向ける、なんてこともしてみたくなるけれど、それをすると鈴李が怒髪冠を衝くだろうからやんない。
代わりに。
「残りの三千字と、他の言語の教科書。作ったら読むか?」
「それは……かなり嬉しい。もっともっと、いろいろ教えてほしいし」
「いつかまた、夜雀と祭唄と玉帰さんとでモノ作りをしたいものだな」
「ん……夜雀は呼べば来るかもしれないけど、玉帰は無理かな。どこにいるかわからないし」
「そうか」
当然だけど、青州の人々が全員活性にいるか、と問われたらそんなことはない。
各州の人々が交ざり合い、そして虫食いになって、この「大陸」と呼ばれる土地の各所に散らばっているらしい。また結構な量の島があるらしくて、そういうところに定住した者達は独自言語を練り上げているとか、未だに私へ恨みを抱いているとか様々。
世界らしくなってきたな、と思う反面で……言語が増えれば増えるほど、宗教が増えれば増えるほど争いは増えるからなぁ、なんて達観ぶった感想を抱いてみたり。
いいじゃないか、人間活動。世界には欠かせないよな。
「もし……祆蘭の知っているものの中に、伝達に代わるようなものがあるのなら、教えてほしい」
「断る」
「……ありはするんだ」
「ああ。だがそれは、自然なルートを辿って人類が辿り着くべきものだ」
見たところまだ電気自体が発見されていないようだしな。
まだこの若い文明には早い話だろう。精々不便を楽しめよ。それで起こる悲しい事件も、刻まれるべき人類史だろうから。
「そうだ、雨慧にはもう会った?」
「……誰だそれは」
「ああ。雨妃のこと。名前を変えている」
「いや、会っていない。……そうか、そういえばほったらかしにしていたな」
「うん。怒ってると思う」
……帝になったら妃に迎え入れる宣言したけど、流石に無効だよな?
そういえば雪妃は見かけたけど、雲妃のその後とか
「みんな、待ってるよ。祆蘭に会えるの」
「らしいな。何がそんなに好きなんだか」
「……やっぱり、祆蘭だね」
「何が?」
彼女は……ふ、と笑う。それは子供の笑みではなく、大人の。
「"お前も待っていてくれたのか"、って……そういう余計なこと、聞かないところ。本当に祆蘭だな、って」
「また会おうと約束をしたからな。ま、会うのが死に目になっていた可能性は否定できんが、どんなことになっていても再会はしただろう。そもを言うなれば、私は鈴李にこそ迎えにいくと、待っていてくれとは言ったけど、お前達に言った覚えはないし」
「本当はわかっているくせに、余計な所をフォローしてわかっていないフリをするのが、本当に祆蘭」
「ハ。こじつけ捏造詭弁小娘なのは今も昔も変わらん変わらん」
そろそろ……行ってやるかね。
あとのことは、子供達が聞いてくれるだろうし。
「またな、祭唄」
去ろうとして。
服の裾を、掴まれた。
「……涙を見ないことが、気遣いのつもり?」
「私の前では"気丈でかっこいい要人護衛"でいたいものだとばかり」
「もう違うよ。……友達の胸の中で泣くことくらい、許してほしい。この十五年間……頑張ったんだから」
振り返らない。抱きしめもしない。
「なら、私と鈴李と共に来るか?」
「……本当に、酷い。こういう時は必ず偽悪的に振る舞うのが祆蘭。私がこの国を、民を、捨てられないってわかっていて……全部理解していて、問いを投げかける」
知っている。
あなたは、責任感の強い……とても良い子だから。
十五年間、頑張ったのなら……もっと当たり散らかしてもいいのに。
「祭唄。お前の名前は祭具の名ではなくなった。お前がこちらの文字での祭唄の名を好きだと言った時……私の中で、それを嬉しいことだと捉えたことを覚えている。なぜだかわかるか?」
「あったね、そんなこと。……なんでだろう。自分の名前を好きになるのは、良いことだから?」
「自分が嫌いな奴は、誰かを好きになることもできないよ。……別に結婚しろとかくだらんことを言うつもりは無いが、もっと我慾を出して……幸せになれよ、祭唄。その名前は、とても賑やかで、とても感傷的で……可愛らしい名前なのだから」
一瞬の力の緩みに手を振り払って、足を出す。前に、一歩。
追ってはこない。子供達もどこか怯えたように道を開けて。
「……そうだな。この国というか世界は……祭りが少ないよ。墓祭りなんて義務みたいなものだろ。もっとたくさんの祭りをやろう。顔を上げるためのお祭りをさ」
そんな言葉を残して……また、手を振って去った。
雨が降り始めた。
なんかやろうと思えば輝術……というか神族パワーで水を弾くことも晴れにすることもできるらしいのだけど、無粋極まるので濡れながら歩く。風邪、引かんらしいからな。
唐傘や和傘などの傘が流れる通り道。ビニール傘はまだないみたいだけど、樹脂の研究は順調だとかなんとか。
歩いて……ある茶屋の前で止まった。
「あら……お客様。ずぶ濡れで、傘を持っていなかったのですか?」
「友の名に濡れるのもオツなものだと思ってな」
茶屋。客のいない茶屋。儲かっていないというわけではなく、ただただタイミング的にいなかっただけだろうそこに……入るか入らないかの位置で立つ。
強くなる雨脚と静かな店内が、くっきりとした境界線を作る。
「申し訳ありません。今、ご提供できるものがなくて」
「であれば幟を降ろしておけよ。雨に濡れても万客を歓迎していたぞ」
「突然の雨でしたから」
顔を見る。
……彼女もちゃんと、歳を取った。
「昔、友と約束を交わした。言葉にせずともいいものを……言葉にしない方がいいものの話をしたあとで、無粋な約束をな」
「そうですか」
「もし……貴族も平民もなくなって、妃というものさえもなくなったのなら。……同じ立場の、同じ目線の誰かとして、初めましてを言いにいく、と」
だから、無粋とわかっていながら、一度だけ使う。
周囲の雨を地に着く前に浮かせて……雨音を消して。
「お前は茶屋の店主で、私は神。……初めましてだが、また立場が違うな」
「そのようですね」
「……あー、なんだ。……。……曖昧な認識のままの方がいいとは……わかっているんだがな」
その問いは……酷、だろうか。
お前が、今──。
「あなたは、仲良くなればなるほど気を遣わなくなりますよね。内廷を出て、色々な方と交流を持つようになって……あなたの人となりを、色々な方から聞きました。私の前では見せなかったあなたのことも……初め。最初。一番の記憶……私を助けてくださったあなたのことも」
「そうか」
「あなたは想像以上に雲の上の人で、あなたは予想よりも遥かに迷い続けた人で……同じ立場の、同じ目線の誰かになる、なんて……到底無理だったのではないか、と思うこともありました」
けれど、と。彼女はカウンターの中から何かを取り出し、こちらに放り投げてくる。
何事かとキャッチしてみたその瞬間、浮かせていた雨が全て降り落ちた。無音が轟音へと変わった。
「あなたは──己が望みを持つことができましたか?」
「神族に……どこで手に入れたか知らんが、遮光鉱なんぞ投げつけて、問う内容がそれか」
「今のあなたにできるかどうかは知りませんが、言いたくないことまで聞かれることも、あなたの本心が漏れ出でることも……私は良しとしませんから」
ふん。
酷な問いをするものだよ、お互いに。
「今でもお前とは友だと思っている。これからもそう在りたいと望んでいる。……これで良いか?」
「ええ」
「それと、別に遮光鉱で力を封じられようとも基礎的な身体能力はお前達より上らしくてな。雨音如きで、赤子の泣き声は消せないよ。……早く行ってやんな、お母さん」
「無粋ですねぇ、昔からですが」
「生憎卑賤な平民の出なものでな」
「今は誰もが平民ですから、全員卑賤になってしまうのでは?」
「なればいい。全員落ちてこいよ。私は神族だから関係ないが」
さて、私も行こう。
彼女は引き留めはしないだろうし。
ああでも。
「お前が今名乗っている
「本当に名前を隠しているのはあなたのくせに、私の偽名を褒めるんですね」
「祆蘭。良い名前だろう?」
「ええ、とても」
これで終わり。
豪雨の中に身を出せば、音は雨音だけになる。
さようなら、身分違いの大親友。
その人生が……もう、操られ、作られたものでなくなっていることを、心から願っているよ。
こんなところだろうか。
無論まだまだ会っていない人はたくさんいるけれど、そろそろ痺れを切らす頃だからな。
「戻ったぞ、鈴李」
「……堂々とした浮気現場をこれでもかと見せつけられた気分だ」
「だいたいあってる」
空車の中で、それはもう拗ねている鈴李の隣に座る。雨水は全て脱水してきた。神族すごい。
しかし、浮気とは心外なことを言われたものだ。
彼女の肩に腕を回して……その頭を私の方へ引っ張ってやれば、抵抗なくごろんとこっちに身を寄せる鈴李。
「愛情の可視化もできないのか、鈴李」
「……ふん。もう輝術師ではないからな」
「私もできないよ。でも、伝わるものはある。……長く、そして短い時間を、これからもよろしくな」
返事は。
そうだな。それも良いよ。
眼下の雨雲と──締めくくりは、小さな湿り気の音と共に。