女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百二十八話「女帝」

 後継者が決まった。

 何がって、巫女の、だ。

 

 光界追放から十五年の月日を経て、かつて青清君と呼ばれていた女性……鈴李は四十歳となった。

 今日……真天歴と改定された暦における"四の月の五日"は、光界時代から続く墓祭りの日。今日のこの祭りを以て、鈴李は巫女の役を降り……のんびり老後ライフへと移行するのだ。

 ……とはいえ、引く手あまたというべきか、彼女の引退を惜しむ声は大きいし、後継者と定めた娘からも「あと二十年お願いします!」とせがまれてはいるのだが。

 

 それでも辞めるつもり満々だった。

 本音からして、「五十歳にもなったら山登りも難しくなるだろう!!」というのがある。加えて「とっとと独り立ちしろ!」というごもっともな建前も。

 

 墓祭り。光界で行われていた帝へのあれそれとは違い、遺物の一つである『回転灯篭』、あるいは『走馬灯』と呼ばれるものを使って各地で燈火を灯し、楽土での幸福と、そして現世を心配するな、という気持ちを伝える祭りだ。どこか一か所に集まることはなく、全国の村、街、国がこれを行う。

 光界の外に出てからというもの、幽鬼というものが出現することはなくなった。その辺に詳しい鬼曰く、そもそも幽鬼が現れていたのは閉じ込められていたからである、とかで……鳥籠の中ではないこの世には必要のないシステムであるそうなのだ。

 

 それでも墓祭りを行うのは、やはり楽土にいる死した者達へ、自分たちは楽しくやれている、ということを伝えるため。

 

 ──そして、ここを楽土と誤認しないため、だ。

 

 知っている。誰もが理解している。

 光界から追放された時……全員が、一度死んだ。あの少女に命を奪われた。

 同一因子なる肉体を殺され、外に出てきた時には別の身体になっていた。今まで使ってた身体の同一因子を、ごっそりと別のものへと入れ替えた……新たな身体。

 

 わかっている。そうする以外氏族の支配を抜け出すことができなかった、ということくらいわかっているから、彼女を責め立てる者はもうほとんどいない。たとえ輝術を奪われようとも、たとえ住処を奪われようとも、たとえ、たとえ、たとえ──平穏が去って争いの時代が訪れようとも。

 新帝同盟と対立していた者達も散り散りになっていった。戦を経て、対立を経て、交流を経て……神々を目の当たりにして。

 あの少女が本当にどうしようもないものと戦っていたことを思い知らされて。

 

 だから、一度死んだことを受け入れた。

 だから、ここを楽土であると誤認しないように。

 だから、……光界を出た後に死した者達を、忘れないために。

 

 皆墓祭りだけは欠かさずに行うのだ。

 

「青清君」

「……底意地の悪い奴だな。今になってその名を呼ぶか。もう……忘れられて久しい名だぞ」

「申し訳ありません。私にとってあなたは、いつまで経っても青清君でして」

 

 そんな墓祭りの様子を高い建物の窓際から見る鈴李。彼女に声をかけた音は……進史。

 どうしても。どうしても……この墓祭りに参加できない二人。いや二人だけではなく、彼女の存在を知っている者なれば、墓祭りにはあまり参加したがらない。それは、彼女を追い払ってしまっているような感覚があって……どうしても。

 

「子供はどうした」

「家で妻と墓祭りを楽しんでいますよ。ああ、恋人同伴で」

「……早くないか?」

「そんなものです。緑涼君と奥方のお子さんがそろそろ成人するのですよ、と言えば……ここまでの日々が如何に長いかわかりますか」

「ああ……長いな、確かに」

 

 長い日々だった。

 待ち続けた日々だった。十五年を経ても、彼女は戻ってこない。迎えに行くと言われても……鬼達が、神族が、いくら研究を重ねても。

 

 世界は変わった。変わり続けた。今も変わっている。

 けれど鈴李は止まったままだ。いや、巫女の任を解かれたことで、逆戻りしたというべきか。

 今でも待ち続けている。あの日のままに、あの日、焦がれたままに。

 

「一つ、解せぬことがある」

「神妙な顔つきで切り出しておきながら、どうせ玻璃様の容姿が若々しくて羨ましいとかくだらない話でしょう」

「な……なぜわかった!? まさかお前、まだ伝達を……!」

「わかりますよ。何年の付き合いだと思っているんですか。……確かに玻璃様は、未だに求婚が絶えないとは聞きますが」

 

 楽土より帰りし神子、玻璃。

 その成長が遅い、ということは知っていたけれど、老いていく自身や周囲を見るたびに……鈴李の口からため息ばかりが出る。

 羨ましい、と。

 

「そうは言いますけど、青清君も齢四十にしては若々しい方だと思いますよ?」

「む。……まぁ、どうにも神族が関係しているらしい。神族の……恐らく輝術の何らかを浴び続けていると、その間だけ老化が遅くなるようなのだ。それで、少しばかり……気持ち程度、私は他の四十代より若いのだろうな」

「成程。……確かに、あの頃の輝術師たちは、その年齢に見合わぬ若さを持ち合わせていたような気もしますね」

 

 けれど玻璃には敵わない。輝術も浴びていないだろうに、なぜ。……と考えるたびに、楽土より帰りし神子だから、という答えが返る。

 自問自答は完結しているのである。

 

「ならば尚更、巫女をやめるべきではないのでは? 若さが損なわれますよ」

「……進史お前、どうにか思いとどまるよう説得してほしい、とでも頼まれたか?」

「ええ。鈴李様は進史様の意見しかまともに聞いてくださらないので、お願いします、と。泣きそうな目で頼まれました」

「はぁ……まったく……」

 

 無論。

 荷が勝ち過ぎていることくらいは理解している。後継者の少女はまだ若い。成人はしたとはいえ、……もう少し支えて行く必要があるかもしれない、ということくらいは、まぁ、多少は、少しくらいは……理解している。

 けれど、と。鈴李は(かぶり)を振った。

 

「鬼が使い物にならなかった以上、私が捜しに行くしかないだろう」

「使い物にならなくて悪かったわね」

 

 声──は。

 もう警戒する二人ではない。

 

「……桃湯」

「何よ」

「鬼は……ずっと若々しくて、良いな……」

「は?」

 

 タイミングがタイミングなだけに罵詈雑言が飛んでくるものだと身構えていた桃湯は素っ頓狂な声を出す。

 八千の齢を持つ鬼である。今更若さについて羨ましがられるなどとは欠片も思っていなかった。というかそういう雰囲気だとは思っていなかったのである。

 

「え……っと?」

「青清君は、玻璃様……黄征君の若さを気にしているだけだ。羨ましい、妬ましいとな」

「ああ……。まぁあの方が楽土より帰りし神子だ、というのもあるけれど、あの方の周囲にはずっと神族がいるのだから、老化が遅くても当然じゃない?」

「……なに?」

「気付いていないの? あの方がいるのだから、当然近くには陽弥がいる。陽弥がいるのだから、当然周囲には(シィェン)がいる。だからあの方だけじゃなく、夜雀と……あの、あの子の姐に、もう一人の人間も若々しいままなのよ。彼女の周囲は輝術的空間と言って差し支えないから」

「私は巫女だぞ……」

「そりゃ年に何度か会うだけの奴とじゃ、比べ物にならないでしょうねえ」

 

 あまりにも取り繕われない言葉に鈴李は撃沈するしかない。進史も目を瞑り、首を横に振るしかない。

 だから、まぁ、せめてもの情けで……進史は助け舟を出すことにした。

 

「桃湯。何か用があって来たのではないのか?」

「ああ、そうそう。奔迹が研究成果を挙げたから、報告にね」

 

 がばっと起き上がる鈴李。

 奔迹の研究。それは即ち。

 

「肉体の再構築自体は成功したわ。だけど、肝心の魂がどこにもないから、これ以上はお手上げ。やっぱり"テンセンフォン"か"グァンビーフォン"と呼ばれる山を見つけるしかないのだけど……神族ですらその位置はわからない、なんていうのだから、私達にもどうしようもなくて」

「そ……そうか。いや、朗報ではある。折角見つけても受け皿が無くてはまた別離を経験するだけになっていただろうからな」

「ええ。……ただ、おかしいと思わない?」

「む?」

「む? ではなくてですね、青清君。桃湯、それは……山が見つからないことが、ということがだな?」

「ええ、そう。鬼である私達が十五年をかけて捜索して、神族も戦争の片手間とはいえ捜索に捜索を重ねて……見つからない。確かにこの世界の全てを見て回ったというわけではないからなんとも言えないけれど、ここまで探して見つからない、というのは……何か秘されたものがあるとしか思えないのよ」

 

 何か。そう、何か──トリックが。

 それを聞いて、鈴李は。

 

「ならば、あの子に倣ってみるというのはどうだ?」

 

 なんて提案をするのである。

 

 

 

 酒瓶の中に小さな小さな木片が積み重ねられて行く。

 細長い金属製の箸を用いて作られ行くそれの名は、「ボトルシップ」。

 少女の遺した案の中にあった装飾品の一つであり、輝術の使えなくなった今、「時間があるなら挑戦してみたらどうだ」という文句付きとあらば……挑戦しない理由がなかった。

 

「……ここは別に光界でも無いのだし、私達に"次点の絶対決定権"があるわけでもない。……符合の呼応は起きないと思うけど」

「いや、予兆にするのではなく、推理の材料にするのだ。あの子がよくやっていたことだろう」

 

 元々器用な鈴李である。

 テンセンフォンよりも広い海があるとわかってから作られ始めた舩を、酒瓶の中に作る。それくらい造作もないこと……でもない。

 ちゃんと苦戦している。墓祭りなんかそっちのけで熱中している。

 

 それがなんだか、楽しかった。

 昔に戻ったような感じなのだ。少女に贈られたものを解析して、自分で作ってみる、という行動。あの頃を思い出すから。

 

「はぁ。……まぁ、楽しそうな鈴李は措いて擱いて、進史。あなたはどう思う?」

「難しいな。幾つか思い浮かぶものはあるが……荒唐無稽というか、鬼や神族の探索範囲に引っかかっていそうなものばかりだ」

「それでもいいから言ってみて。もしかしたら見落としがあるかもしれないし」

 

 なんだか建物の下の方で「鈴李様ー!? 進史様ー!? ……えーん、どっちもいなくなるのは聞いてないよ~!!」なんて悲痛な声が聞こえたきがしないでもないけれど、気にせずボトルシップを作っていく鈴李。ちなみに後継者の娘とよく似た声をしていたが、気のせいだろう。

 

「まず、海中という線だ。どうだ?」

「無いとは言い切れないけれど、ほぼ無いわ。穢れで水を操ることのできる鬼がいるのだけどね、その子に協力してもらった結果、それらしいものは見つけられなかった」

「そうか。であれば空中はどうだ」

「それなら神族がすぐにでも見つけるでしょう」

「……となると、私が思いつくのは後一つしかない」

 

 次第に舩が完成していく。その舩は少女の思い描くような舩ではなく、いつか少女や進史の妻と共に乗った漁船ではあったけれど──。

 

「人も鬼も神族も、誰も未だに探すことのできていない場所。それは──」

 

 進史が、指を差す。

 暗がりの墓祭り。夕暮れ時の日差しを背にした向こう側。

 

 ──そして、ドバァン! と音を立てて開く扉。ごろりと転がるボトル。

 

「あー! お二人ともここにいらっしゃったんですね!? そ……れと、わ、綺麗な方……」

「……」

「鈴李様! 良かった、まだいてくれた! あのですね鈴李様、私、考えたんです! どうしたら鈴李様がここに残ってくれるかを!」

 

 気付かない。

 わなわなと震える彼女には一切気付くことなく、扉を開けた少女は矢継ぎ早に言葉を奏で始める。

 それはもうつらつらと、我が意を得たりといわんばかりに。

 

「──鈴蘭(スズラン)

「はい! なんでしょうか、鈴李様!」

 

 進史は身構える。一応、もしこの高さかから彼女が放り投げられでもした時に助けられるように。

 桃湯は溜息を吐く。進史の指差した場所は……今潮や奔迹、濁戒も危惧していた場所であったから。

 

 けれど、次の瞬間鈴李の口から出た言葉は……全く違う内容を考えていた二人の意識を素っ頓狂な場所に飛ばす、思ってもみない言葉だった。

 

「それだ!!」

「……はい?」

 

 逆さまになったボトルシップ。

 頓珍漢なことを並べ連ねる後継者。

 そして──墓祭りの日。

 

 ピースは揃った。

 

 全ての事象には理由がある。仕方のないことは仕方がない。

 そう、だから──。

 

「目指すべきは、中天の月!! あの子は月にいるのだ!! ボトルシップがひっくり返ったことは、つまり中天の月にこそあの子がいることを指し示している!!」

「まさか、天体望遠鏡を描き遺したのはそういうことなの?」

「世界中のどこを探しても見つからないとなると……そうである可能性が高いかと」

 

 符合の呼応があるのなら、そう、これが真実に──。

 

「呆れ。失念していた。あの少女だけが推理素人ではないのだと。……我々が助け船を出すのはこれが最初で、最後だ。あとは(なれ)が自分でなんとかしろ」

 

 直後、全員の意識が落ちた。

 

 

 

 次に鈴李……と、進史と桃湯と鈴蘭が目覚めた時、そこは……「どこか」であった。

 恐らく国の端も端。遠くに墓祭りを行っている村が見えることから、何も無い場所ではないと思われるそこ。

 ただただ遠くまで広がる地平線と草原の美しい……夜であることが惜しいくらいの、自然。

 

「……今のは、(フー)、か?」

「うわ……なんだか嫌な予感がするわ。まさかここ、"八千年前の組成"じゃないでしょうね」

「何を言っている?」

「わー……のどかな土地ですねー……」

 

 とりあえず人里に向かうべきである。こんなところに突っ立っていたって、得られるものは何も無いのだから。

 

 ただ……鈴李の視界の端に、ソレが映る。

 

「ふむ。……少し、待ってはくれぬだろうか」

「どうしましたか、青清君」

「はい! 待ちます!」

「何よ」

「あれを直したい」

 

 あれ、と。彼女が指を差した場所にあったもの。それは。

 

 

 斜めに倒れた木を鬼の怪力で退かしてもらいながら、一行はそこへ入っていく。

 石で囲まれた土地に、崩れた廃屋。

 

「寺院、ですかね? 随分と寂れていますが……」

「神族信仰は上手いこと広められたみたいだけど、田舎村だと整備する人間がいないから……結局はこうなるのよね」

「……先ほど退かした木。あれを使うか」

「もしや、直す気ですか、青清君」

 

 当然、といわんばかりに。

 外へ出て……退かされた木を切りに行く鈴李。

 常備している鋸をその幹に当て、ぎーこぎーこと音を立てて、木を切っていく。

 こういう作業も十五年で上達したものだ。そして、それくらいなら進史でもできる。彼もまた当然のように腰へ佩いていた鋸を取り出し──。

 

「あの、なんであなたたち……鋸なんか常備しているのよ」

「知らないんですか、綺麗なお姉さん。活性(フォシン)の国では割とみんな持っていますよ。左に鋸右にトンカチ! 鈴李様が常にそのような姿ですので、真似する国民が絶えなくて」

「……あの子が知ったら盛大に笑い飛ばしそうね」

「あの子?」

 

 手際よく板材に加工されて行く樹木。鈴李と進史。互いに四十を迎えども、まだまだ現役である。

 そして鈴蘭もまた……小物入れから鑢を取り出して、板材を整えていく。活性で育った者であれば、誰もが持っているスキル。木材加工技術。加えてその知識。子供たち自らが「やじろべえ」や「吉兆占師」……もとい「おきあがりこぼし」、「バランスバード」なんかを作る始末である。

 識字率及び「バランストイ」への理解や木材加工の洗練具合はどの国をも超えると言って良いだろう。

 

 もう桃湯は何も言わなかった。ただ、足りなそうに見えたのだろう。木をもう一本折ってきてくれるくらいの優しさは見せてくれた。

 

「鈴蘭、釘はどれほどある?」

「たくさんありますよ!」

「うむ。活性の民たるもの、そうでなくてはな。ではこの寺院を修復するゆえ、手伝ってくれるか?」

「はい! 神族への信仰の場ですからね。巫女として頑張ります!」

 

 寺院。

 隣にいるとはいえ、鬼というものの存在があやふやになり、幽鬼も出ることは無くなった以上……この寺院は「民俗信仰」におけるそれではなく、神族への祭殿である。

 となれば巫女がこれを修復するのは必然。

 

 トンテンカンと小気味いい音が響く。

 雨風に晒された屋根や壁はほとんどが打ち直し……という段階になくて、ほとんど新築するくらいの壊れ具合であったのだけど、そこは鈴李と鈴蘭、それに進史である。

 零から村を興した二人と、そんな人々のいる街、いやさ国で生まれた少女。夜であるとはいえ、寺院の一つや二つ、簡単に作って見せる。

 

 さて……そうなると、手持ち無沙汰になるのが桃湯である。

 彼女はきょろきょろと周囲を見渡し……そして、溜息を吐いてから、背に背負っていたものを取り出した。

 布に包まれていた大きな楽器。

 

「わ……綺麗な楽器ですね」

「琴、というの。昔、ある子から贈られたものでね。……釘打ちのリズムを阻害しない曲を奏でるから、それで許して」

「……許す、とは?」

「い・い・か・ら」

 

 今何もしていない自分、というのがなんとなく許せなくて、やるせなくて。

 彼女の弾き始めた曲は……恐らく曲名の無い、即興のもの。けれど確かに釘打ちの音を阻害しないテンポで、三人は集中しての仕事ができた。

 

 おかげ、だろうか。

 寺院の修復は、夜の明ける前までに終わらせることに成功した。

 

 なぜ夜明け前までに終わらせたかったのかと言えば、まぁ、一行が不審者極まりないからである。

 

「……ううむ。三十五点」

「厳しいですね。私は五十点をあげても良いと思いましたが」

「うっ……いえ、三十五点です。……私はまだまだです……」

「え……なに? もしかして木工の点数?」

 

 無論である。

 そして。

 

「はぁ。……伏がどのようなつもりであったのかは知らぬが……これでは、無理そうだな」

「と、言いますと」

「巫女は続けよう。もう少し、鈴蘭が成長するまで」

 

 ぱぁ、と顔を明るくする鈴蘭。鈴蘭という後継者がこの有様では、少女捜しの間にも心配になってしまう、と……そう判断したのだ。対し、もう勝手にしてくれ、という顔の桃湯。

 そして何か……どこか懐かしいものを見るような目の進史。

 

 

「──時に」

 

 

 声に、各々の武器で攻撃を仕掛けようとして……思い止まった。

 あり得なかったからだ。

 

「……え、あ」

「お前……は」

「あなた……」

「へ? へ?」

 

 かつて空車と呼ばれていた乗り物……空飛ぶ馬車。輝術の使えなくなった今、存在するはずのない乗り物があった。

 その縁に座って足を組み、頬杖を突くは、邪悪な笑みを浮かべた九歳児。

 

「なんだ、そう畏まらずともいいだろう?」

 

 長い髪は吹き晒されている。つけていた元結はどこにもない。

 左腰に鋸と、右腰にトンカチを佩いたその姿は……元祖たるそれ。

 

 そして少女の左腕に巻かれた包帯が、ビッと伸びる。まっすぐに飛ぶそれは鈴李の腰へと絡みつき……その身体を宙へと浮かせた。

 

「り、鈴李様!?」

「……青清君」

 

 何の抵抗もせずに持ち上げられて行く鈴李。焦る鈴蘭とは反対に……諦めたような声を出すは、進史だ。

 

「おいおい、無抵抗とは。慕ってくれる国民がいて、まだまだ成長を見届けなければならない弟子がいて。……なぜお前は連れ去られることに抵抗しない?」

 

 偽悪的な笑み。あの時から欠片も変わらぬその顔に。

 

「そ……そんなこと、決まっておろう……」

「声が小さくて聞こえんな。……ま、というわけだ、御一行。お前達の大切な巫女は攫わせてもらう!」

 

 威圧が放たれる。誰もが膝を突きたくなるような……それでいて、誰も傷つけることのない威圧が。

 

「我が名は祆蘭(シェンラン)。新帝同盟が首魁、新帝……いやさ、女帝祆蘭」

 

 だから、もう一度告げる。

 

 二の句が継げぬ状態にある鈴李に。

 

「ダメじゃないか、鈴李。やるべきことがあるのなら……今すぐにでも、女帝からは逃げないと」

「……やるべきことなどない! すまぬ鈴蘭、私はやはり巫女を引退する! すまぬ進史、後のことは頼む! すまぬ桃湯、鬼達への諸々、任せた!」

「ええ、頼まれました」

「はいはい。ただ、あとで事情を聞きに行くから」

「そ……そんなぁ!」

 

 青と碧と、黄に赤と、黒と白。

 其は魂の輝き。そして──どこぞの帝の描き遺した、最後の傑作。

 

「すまぬすまぬすまぬ! だが……私には、何よりも優先したいものがあるのだ!」

「別れの言葉の最中で悪いがな。──情緒も余韻も風情もなく、このまま連れ去らせてもらうぞ、鈴李。話したいことがたくさんあるのだ」

「私もだ! たくさんたくさん、話さねばならぬことが……ああ、それよりも、……夢ではないのだな!」

「当然だろう。夢の私に現実の私が劣るものかよ」

 

 空車が浮かび上がる。どんどん高く、見る間もなく高空へ。二人のやいのやいの言う声は空の彼方へと消えていく。

 

 響き渡るは──奇しくも二人の名前を一文字ずつつけられた、後継者たる少女の嘆き。

 

「──私には連れ去ってくれる素敵な人、まだいないのに──!! 出会いの機会が──!!」

「あなた……引き留めたかった理由、……それなのね」

「巫女というだけで男は近寄ってこないからな。可哀想だが、致し方ないだろう」

 

 さてさて、はてさて。

 これよりここまで、ここに至るまでに綴られたるは──そう。

 

 

 古代中華風っぽいよくわからん異世界に転生した女主人公がDIYしてたら女帝に見つかって連れ去られる……ただそれだけの話であった、とか。






後日談と幕間がもう少しだけあります。最後までよろしくお願いいたします。
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