女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百二十七話「巫女」

 光界の中にいた時とあまり変わらない竹簾の奥で、玻璃(ブァリー)は盛大な溜息を吐いた。

 人気投票なるものであれよあれよの間に民たちのリーダーとして担ぎ上げられたのが三年前。輝術も使えない、目も見えない自分に何を求めているのか、元州民……今は街人と呼ぶべき者たちはまだ彼女を離そうとしない。彼女のことを気に入らぬ者も多いとは聞くのだが、その噂を聞いた次の日かその次の日くらいには噂の出所ごと噂が消えている。

 

 彼女の視界は相変わらず真っ暗だ。

 ……ただこれも相変わらず……鬼は映るので、まぁ、下手人が誰か、というのは理解しているのだが。

 

 今の彼女の心の拠り所は遺物だけ。既にあの少女が綯った糸は在庫が尽きてしまっていて、新たに作られた織物はやはり見えずじまい。

 だから、競争……とは行かないまでも、祭唄とは遺物集めで対立しているような節がある。勿論譲渡し合ったり物々交換し合ったりと、仲が悪いわけではないのだが。

 

「玻璃様ー?」

「おや……どうしましたか、夜雀(イェチュェ)。私はここですよ」

「あ、良かった。あの、御側付きの件なんですけど」

「ああ……別に誰でも構いませんよ。というか要りませんよ」

「そういうわけには行かなくて。……それで、えっと、二人いて」

「……? あなたの姉妹、ですか?」

「一人はそうです。二姐(エァジェ)夕燕(シーイェン)。そしてもう一人が……こちらです」

 

 こちらです、と言われましても。

 それが玻璃の心境である。だって見えないのだし。

 

「ん゛ん゛っ……。……夕燕の妹よ。黄征君は目が見えぬのでしょう。こちらです、ではなく……」

「あ、あ、そうでした! えっと、元青宮廷の三妃……雪妃様です!」

「……はあ。ええと……よろしくお願いしますね?」

「あ、あ、わかっ……違う、その……お仕えさせていただきます」

 

 バッドコミュニケーションである。この何とも言えない空気にあわあわおろおろしているのは夜雀だけ。

 もう一人は──それはもう、ニヤッニヤしている、など。

 

「ほら、雪妃様。妃名はもうあってないようなものなのですから、改めての自己紹介をどうぞ。練習した通りに、ですよ」

「れ、練習とか言葉にするな! ……あ、いや、申し訳ありません、突然叫ぶなどとはしたない真似を……」

「いえ、ですから……私、今はもう何の力もないので、そこまで怖がらずとも。むしろこれから私のお世話をしてくれるのでしょう? よろしくお願いしますね、二人とも」

「あ、いえ、は、ははい、じゃなくてその、一応私にも名前がありまして」

「ああ……ごめんなさい、遮ってしまって」

 

 バッドコミュニケーションである。夜雀が夕燕にゲシゲシと蹴りを入れていること以外は先ほどの焼き増しである。

 

「コホン……改めまして、私の名前は──」

 

 

 

 街。名を斉心(チーシン)。どうしてもこの名前がいい、と玻璃が言って名付けられた街だ。

 そこの茶屋にて二人。とんでも美人が仲良く団子を食べていた。

 

「いや……あの雪妃がなぁ。確かに相談された時冗談半分でそういうのも良いんじゃねぇの、とは言ったが」

「冗談半分だったのですか? 彼女、夕燕と離れたくないがために必死で作法やらなにやらを学んで……可愛らしかったですよ」

「今の流れで可哀想じゃなくて可愛らしいって感想になるのが既に、だよ。……まぁこんくらいじゃねぇとあのチビと親友にはならねえか」

「いえいえ。彼女の前ではもう少し大人しい女性でしたよ、私」

 

 一人は長い髪を後ろで纏めた長身の女性。足を組んでガツガツと団子を食べる様は荒くれもののそれ……だけど、美人であることが諸々を打ち消している。

 隣に座るもう一人はどこか不可思議な……ミステリアスな雰囲気を持つ女性。一言で言えば近づき難い二人。二言で言えば金を積まれても近づき難い二人。

 

「しっかし、雨慧(ユーヒ)ねえ。良いのかよ、雨の名前は嫌いだったんじゃなかったのか?」

「嫌いでしたよ。大嫌いでした。ただ……あの日、彼女がわざわざ幽鬼の雨を降らせたことを考えるに、当て付けかな、と」

「そんなつもりねぇと思うが。……いやだとして、尚更なんで偽名をそれにしたんだよ。当て付けなら全く別の名前にすりゃいいのに」

「なんだかんだいって見つけてもらいたいから……と言ったら、私のこと、いじらしい女だと認めてくださいますか?」

「今からはどう頑張っても無理だな……」

 

 長身の女性の名は朝烏(チャオウー)。不可思議な雰囲気の女性は雨妃……もとい、雨慧。

 本名を有する雪妃、雲妃と違い、雨妃は雨妃になるべくして生まれた存在。元の名前など存在しない。だから、自分で名付けたのだ。

 

「彼女は帝として私を妃に迎えると約束してくださいましたから。私である、とわかるような名前にしておかないと、彼女は逃げかねません。"お前など知らん"なんて言って……そのまま青清君と、なんて」

「いやー、あれに割って入るのは無理だろ。男がいねーなら紹介してやろうか? 輝霊院の馬鹿共は未だに私を副院長だのなんだの呼んできてんだ、邪魔臭いったりゃありゃしねーから、一人くらいどうだ」

「間に合っています」

 

 啜られるお茶。

 彼女らの前を駆け抜けていくは、そういう「雰囲気」とかわからない子供達。

 

「……子供は良いですね」

「やっぱり欲しいのか」

「何も考えなくていいから、です」

「ああ、そういう」

 

 ま、と。朝烏は……引き継ぐように言葉を吐く。

 

「それが特権だからな、あいつらは」

「……」

「自分には無かった、ってか?」

「ええ……嫉妬が無いといえば、嘘になりますよ。……帝の妃になるためだけに生まれ、育てられ、生きてきて……新帝同盟なるものが台頭し、妃が必要なくなり……今度は彼女の婿となる者を生むための指導を受けていたら、世界から追い出されて……妃制度は疎か、雨妃という概念さえも無くなる、とは」

「自分の人生はなんだったのか、って奴か」

「そうですね。……随分と振り回されてしまいました」

 

 普通を求められ続けた雨妃という存在。

 そう在れと願われ続けた存在。そうでないことを許されなかった存在。

 

「にしちゃ、顔に憎悪の一つも無いんだな」

「お友達ですから」

「へえ。……ちなみに、死んだって話だが」

「生きていますよ、彼女は。というより生きていないとおかしい、と言いますか」

「そりゃどういう意味だ?」

 

 くすくすと……今度はミステリアスではなく、可愛らしく笑う彼女。

 幾つ人格があるのかは、彼女のみぞ知るところだろう。

 

「この程度で死んでいるのならば、もっと早くのどこかで死んでいただろう、ということです。残念ながら私達にはあの日の真相は……彼女の行動の全てを読み取ることは適いませんが、そう簡単に彼女が諦めるとも思えませんし。仮に一度意識が消えるなりしたとて、それでも、と這い上がってくるのがあの子でしょう」

「……想像に易いな」

「ですが、生きているのならば早く会いにきて欲しいものですね。あの子の感覚だと……私達はお婆さんになるまで待たないといけないかもしれません」

「あんなに生き急いでいた奴がか?」

「だからこそですよ。あの子が現れてから、全てが終わるまでにかかった年月はたったの半年。比べてどうですか。今もう三年が過ぎました。……あと何年待てば、などと言っている内に……世界はどんどん変わっていくでしょう。私もあなたも、そしてあらゆる人々が……そのままではいられません」

 

 それも確かなことだ。

 今はまだ混乱から抜け出し切れていないから、表面上の平和がある。

 無論山賊に身を窶した者達もいるし、元々の怪我や病で命を落とした者も多くいる。

 

 そして……起きるはずだ。

 混乱が収まれば、誰かがそれを言い出せば。

 

 小競り合いから、戦へと。「新帝同盟」と「反新帝同盟」という大きな溝を起点に、貴族と平民、嫉妬と羨望、所有の有無……あらゆる差が罅となって、この光景は失われる。

 

「自業自得だろ、私達の」

「ええ、その通り。ふふ……ですから、仮に彼女が生きて戻ってきたとして……再会できる者は、誰が残るのでしょうね」

「不謹慎が過ぎるだろ……」

「現実的なお話かと。無論、あなたと私も、ですからね」

「わーってるよ。……それまでに、色々整えねえといけねぇってわかってるから……動いてる奴もいるんだろうさ」

「あら、何か心当たりが?」

 

 朝烏が答えることはない。ただ肩を竦めて……団子の最後の一本を手に取った。雨慧の「あっ」という声をちゃんと聞きながら、突き刺さった三個の団子を一気に食い千切り。

 

「勘定は私がしておいてやる。またな、普通のお妃サマ」

「ええ……また。貰ってくれる方のいなそうな副院長様」

「アァ!?」

「きゃあ、怒らせてしまいました。怖い怖い」

 

 もしこの場にあの流離っているやつがいれば、「また台詞取られた!」と言うのだろう。

 

「店主、釣りは要らねえ! やっぱあの性悪とっちめてやる!!」

 

 とか。

 三年前より発行された貨幣を充分量以上支払った朝烏が斉心の街を駆けずり回るまで……結局雨慧を見つけられないまま終わるまで、あと数刻。

 

 

 

 トンテンカンと釘を打つ音の響く田舎村、活性(フォシン)

 そこには今、珍妙な旅人が足を休めに来ていた。

 

「よ、鈴李(リンリー)。二年ぶりだな!」

「……そなたはいつもいつも元気よな、烈豊(リィェフォン)

 

 烈豊……つまり、元緑涼君。そして。

 

「初めまして! 烈豊の恋人の恋猫(レンマオ)です!」

「私も久方振りになりますね、青清君」

咲着(シャオシー)……そなたはそろそろ弟子離れしたらどうだ。こやつら、どちらも成人済みであろう」

「まさにその話題で来たんだよ」

「?」

 

 つまり、緑涼君一行である。

 もう緑涼君という役職を捨てた烈豊は、恋人である──紆余曲折あったらしいが、もう認めることにしたらしい──恋猫、そして師である咲着と共に色々な村々を回っていたらしいのだが、ここにきて。

 

「師匠の足腰がさ、そろそろ……厳しいらしいんだ」

「だから、この活性の村に身を寄せようと思いましてね。力仕事は無理ですが、勉学であれば力になれますから」

「それは……ありがたいが。……私が言っておいてなんだが、大丈夫なのか。そなたら……まだ二十にも満たぬのであろう?」

「私は二十過ぎてるし、そもそもどっちも成人はとうの昔に通り越したし……オ・ト・ナの……愛、というものも、やりたいし! それには師匠が邪魔なのです!!」

「というわけでして」

 

 ああ、と。

 まぁ、一応。時折文を送ってくる元黒根君……が、今みたいなしおらしさを持っていなかった頃に、散々、色々、教えられてはいるので。

 鈴李にもわかる。恋猫が何を言いたいのか。

 

「そうか……応援するぞ」

「ありがとうございます!」

「……おかしいな、鈴李ってこの手の話題は苦手だって聞いてたのに……」

「私もいつまでも初心ではない。加えて言葉を返すが、そなたこそこういう話題は苦手であっただろう。何をまんざらでもないという顔をしている」

「いや……まぁ、もう何度か……あー、いや、なんでもない」

 

 察した。だから鈴李は、シッシッと、小動物を追い払うかのような仕草で二人を追い出す。

 育ち盛りの少年少女である。これ以上話を聞けば胸やけすると、鈴李は知っていた。……この村でもそれなりの男女がソウイウ関係になっていくが故に。なんなら進史が真っ先に……。

 

「それで……青清君。今作っているものは?」

「もう青清君ではないが、まぁそちらで呼んでも構わぬか。……今作っているものは天体望遠鏡だ」

「天体望遠鏡?」

「うむ。あの子の作った遺物の中に、望遠鏡というものがあってな。そして、新帝同盟に残された圖案書(ずあんしょ)の中に天体を……氏族を、ではなく天体を見るための装置として、望遠鏡の巨大なものが書き記されていたのだ。今はそれを作っている」

 

 少女の残した遺物の中で、最も知識の宝庫であるもの。

 それが「生活基盤圖案書」と「未來予想圖案書」である。『漢字』の中でも難しい文字ばかりで書かれているこれは、読み解ける者が現状祭唄くらいしかいない。その祭唄がこの村にいて、鈴李に対してそのページを見せてきたがために……では皆で作ってみよう、という次第になった。

 曰く、「更に複雑な機構のものも存在するが、私は知らん」という走り書きもあったので、これはまだ簡易版の延長線上。その複雑な機構のものは……後世の誰かがなんとかするだろう。

 

「天体か……。確か、今見えている空は氏族と神族の争い模様。その裏に本当の星空があるのだったね」

「太陽や月に関しては偽りの無い本物だぞ。まぁそれも、行ってみないことにはわからぬがな」

「行く?」

「ああ。『未來予想圖案書』には『宇宙航行舩』や『ロケット』なるものの存在も描き記されていた。ほとんどが形状と仕組みばかりで、詳しい理論はお前達が頑張れ、としか書かれていなかったがな」

 

 少女のいた楽土。恐らくそこは、この世よりも何世代も進んだ文明があったのだろう。

 同じく楽土より来たという玻璃もまた、進んだ文明を有していたようだが……彼女にはそれを伝える気が欠片も無いらしい。盲目でも絵は描けるし文字も書ける……とは側仕えの夜雀談であるが、あまり自身のいた楽土を好ましく思っていないのか、纏わることの一切を話そうとしない。

 ただそれは、あの少女も同じだったようではある。祭唄曰く、あまり楽しそうじゃなかった、とかなんとか。

 

「平和な村ですね」

「唐突だな。なんだ、道中山賊にでも襲われたか」

「いえ……。ただ、私達を囲んでいた元緑州の民で作られた村は……崩壊しましたから」

 

 日常会話のテンションで告げられたその言葉は……けれど、鈴李とて大声を張り上げるほどに驚くことではなかった。

 

「青清君か黄征君かを選び、黄征君を選んでおいて、しかし空気が肌に合わないと……先代の緑涼君である私を擁立せんとした者達。私達は彼らの引く手を振り切って旅に出ました。そうして……風の噂で、崩壊を」

「原因は?」

「内紛ですよ。始まりは小さな窃盗事件。そこから不平不満が誰にぶつけられることなく積もりに積もり、何がきっかけということもなく争いになって……多くが死んだそうです。元々緑州は貴族と平民の確執の大きな州。そこを烈豊が取り持っていたようなものですからね。彼がいなくなれば、至極当然の流れを辿った、としか」

「くだらんな、と言えたら良かったのだがな。……この村も、祭唄がいなくなれば……どうなるかわからぬ」

「貴女は?」

「私は誰の助けにもならぬさ。……争いが起きるというのなら、どこかの山奥で隠居する予定だ。残念ながら、私はそこまで面倒を見切れぬし、優しくもない。……あの子探しもしたいし、いつか老婆となったとしても……あの子の帰還を待ち続けることができるよう、一人で生きていく術を見つけねばならぬからな」

 

 今はどこも……斉心でさえも、そうなる運命にある、可能性がある時代。

 輝術という大いなる力を失った以上、それは仕方のないことだが、どうにも人間の底を見せつけられているような気がして……誰もが悲しい表情を、そして多くの溜息を吐く時代にある。

 

 だからこそ、なのかもしれない。

 

「青清君。私はこの村に身を寄せるために、一つ手土産を持ってきたのです」

「手土産?」

「はい。……以前、私の中には(スェイ)という神族がいました。その彼が少し前……私にコンタクトを取ってきまして」

「……神族が、人間に、か。それは、誰かに」

「言っていませんよ。弟子たちにも」

 

 世界が変わる話だった。

 だからこそ、だからこそ、だ。

 

「天体望遠鏡、でしたか。無論、神族氏族を観測するためのものではないことは知っております。ですが……遥か彼方の空にいる神族を視ることができる、というのは……巫女としてあまりにもそれらしい理由だと思いませんか」

「巫女……」

「はい。燧は私に告げました。人間と神族をこのまま切り離すべきではない。誰か、人間を纏める者ではなく、神族の声を聞く者を選出してほしい、と」

 

 その話に乗らない理由は──。

 

「すまぬ。他の者を当たってくれ」

「おや」

「巫女などになったら余計に逃げられなくなるだろう。私はあくまで一村民。重役に就く気は無い」

「逃がさない」

 

 ぬ、と現れるは祭唄。遺物捜しに行っていたはずの彼女が鈴李の腕を掴む。

 

「お、おお。驚くだろう」

「驚かせた。咲着さんは、久しぶり」

「ええ、お久しぶりですね」

「で、鈴李。ここはあなたが興した村。だからあなたが村長。逃げることが許されるわけがない」

 

 圧。圧が凄かった。とても。

 

「い、いやな祭唄。私は」

「私もそろそろ良い年頃。まだ相手は見つかっていないけれど、結婚も視野に入れている。そうなったら村のリーダーではあれない。その点、独り身宣言をしている鈴李は適任。巫女関係の一部始終は聞かせてもらった。(ウァー)とあなたの関係性を考えても適任」

「色々と失礼だな! その通りだが!!」

「何より……チーシンの名前を玻璃に取られて、その上自分が興した村からも追われて……再会した日に原始的な生活をしていたら、がっかりされるんじゃない? "私が教えたことは何も覚えていなかったのか……"って」

「い、いやその手には乗らぬぞ。あの子がそのようなことを言うわけがない」

「気付いていないかもしれないけれど、この村はどこの村、街よりも"先進的である"という特長を有している。あなたが思っている以上に、ここへ学びを得に来る旅人は多い。というか規模的にそろそろ村じゃなくて街になりかけている。鈴李は村の中のことをほとんど見ないから知らないだけ」

 

 矢継ぎ早の説得。というより事実の突きつけ。そして圧。

 回り込まれてしまったようだ。

 

「鈴李。一人で生きていくことは難しい。そもそも進史さんを置いてどこかへ行けるの? 絶対に心配になって戻ってくるでしょ」

「あ、いや……」

「才華競演も毎年ここでやるようになったわけだし、天体望遠鏡もここに設置するし。なのに鈴李がここにいない、は無理がある。……遠方への捜索は桃湯たちが頑張っている。だから鈴李も私も、この大きな陸地で、彼女の帰りを待てるだけの盤石な街を……ううん、国を作っていかなければならない」

 

 ぐぅの音も出ないとはこのことである。

 鈴李の様子に……咲着はくすくすと笑い、そして告げる。

 

「燧の示してきた場所に案内しますよ。心配であれば、祭唄さんも来ますか?」

「……うん、そうする」

「はい」

 

 これが、歴史における一つの転換点。

 此処より始まる長い永い歴史の中に、神子ではなく巫女という存在が現れた瞬間であった。

 

 

 

 活性から少しばかり歩いた場所にある洞穴。

 鈴李と祭唄はその中へ入るよう促され……入った瞬間に、驚きの呼気を漏らす。

 

「え……」

「な、シェ──」

「違う。私だ私。……媧だ」

 

 ああ……という納得に含まれるは落胆の声。

 目の前にいた少女は、あまりにも「その通り」の姿だったから。

 

「ああ、構いませんよ。……ふぅ。人間の身体に入るのは久方振りになるね」

「その……口調は、燧か」

「そうだとも。此度の事情を説明するために来た。ただ……戦いはまだ続いていてね。あまり長居はできない」

「メモを取る。好きに話して」

 

 すぐにマグネットボードを取り出す祭唄。これは遺物の中でも愛用品である。……ただし、ペンの方が中々見つからなくて、途中までは自作のものを使っていた、という経緯があったりなかったりするが。

 

「ありがたいね。では。……私達神族は、人間との交流を絶やさないために、人間の中から巫女という役割を選出してもらって、その者を通じて神族の言葉や意向を伝えることに決めた。といっても政治干渉なんかをする気は無くてね。ただ厄災……嵐の到来や地震、噴火といった、人間にはどうしようもならないことについてを予め伝えることと、その被害の抑えに尽力することを約束する、という内容だ」

「見返りはなんだ」

「ん、察しが早くて助かるよ。見返りは信仰だ。知っている者は少ないかもしれないけれど、私達は願われないと上手く動くことができない。だから巫女とは、私達の言葉を伝える者であると同時に、私達へ願いを伝える者にもなる。この重要性は理解できるね?」

「……後継者選びに苦労しそうだ」

「そういうこと。神族への信仰心と巫女の願い。この二つがある限り、私達は人類を守護することを約束しよう」

 

 ここに約定は交わされた……かに思われた。

 異を唱える者が二人、いなければ。

 

「少し待て、燧」

「待て。付け加えたい条件がある」

 

 媧と鈴李である。

 祭唄なんかはこっそり「やっぱり巫女に相応しい」とか言っていたけれど、異を挟むことはしなかった。

 

「人間……じゃない、あー……青州の州君、でもないか。……り、鈴李。お前が先でいいぞ」

「う、うむ。……巫女の年齢に制限を設けるべきだ。下限と上限を」

「ほう?」

「大人の言いなりになってしまわない年齢……これまで通り成人の十五歳から、その役目から解放されて然るべき年齢……四十か五十か、そのあたりの歳まで、と定めた方が……その」

「確かに……巫女として一か所に縛られ続けるような生は、苦しいだけか。……良い案だ。上限の方は、じゃあ六十までとしよう。そして四十になったあたりから後継者探しを始めること。それでいいかな」

「ああ。祭唄、記録は」

「ちゃんとしてる。安心して」

 

 言いたいことはそれだけだったらしい。

 つまりまぁ、巫女の役割にそこまで長く囚われるつもりはない、という鈴李の反抗心なのだけど、この制度の制定は後の世において……というのは、また別の話だろう。

 

 次は媧。

 

「私達は、どのような願いであっても叶える存在、というわけではない。巫女が悪性に染まったとこちらが判断した時、これらの加護は無くなると思え。……と、以前の私ならば言っていたのだがな。人間との交流が無くなって困るのはこちらも同じ。ゆえに」

「ああ、だから後継者選びは慎重に行うぞ」

「違う。……あの村、活性と言ったか? あそこを神祆郷(シンシェンキョウ)と定めたい」

 

 神祆郷。そのあまりにもネーミングに──。

 

「おお! それは良いな!」

「だろう。そして、……まぁ、だから、時折神族が訪れることを許可してほしいのだ。神族と人間では時間感覚が違うから長らく時をあけることもあろうが、巫女との交流は定期的に行うから問題は無かろう。そうすることで、神族自身が人間を見極め……後継者との相性も確かめられる。神族とは華胥の一族と呼ばれていた六柱だけではないからな。他の神族が意思を告げる時、混乱を起こさぬようにするための措置と思え」

 

 燧はにこにこしているだけ。祭唄はノーコメント。

 ただ内心では、「絶対に突っ込まれるってなんでわからないんだろう」とは思っているかもしれないが。

 

「こんなところでいいかな」

「待って、問いがある」

「なにかな」

「信仰心というものは、どうすれば捧げられる? あなた達を崇めること、と言われても……少し曖昧」

「何か祭祀場なり祭殿なり、そういった何かしらを建ててくれたらいいよ。氏族はそれらを受け取ることができないから、必然的にあらゆる方向性の祈りが私達のものになる。ああ、供え物なんかは要らないからね」

「……理解した。各地に散らばっている人達にも協力を仰ぐ」

「信仰によって君達の何かが失われる、ということはないから、気楽にね」

 

 斯うして人と神の約定はここに結ばれた。

 巫女という役割が定まり、活性は村から街へと姿を変え、……そのせいで斉心との衝突が起こったりなんだりがあって、さらに鬼ともひと悶着あったりなかったりして。

 

 それでも世界は進む。時の循環は巡っていく。

 

 どんな役目を押し付けられようと、どれほど面倒臭いことになろうと。

 

 いつか……どうか、彼女と再会できるように、と。

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