女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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幕間「のこしたいもの」

 わかっていた。

 知らされていた部分もある。黄征君が緑州へ「蓋」をしに来た時、緑涼君はそれを聞かされていた。

 

 聚光(しゅこう)の呼応。

 彼女……祆蘭にはそういう力が備わっているらしい。他にもいくつかの「世界を揺るがす力」を有する彼女は、けれどそれを己が意思で制御できていない、と。

 ただ、それが彼女の怠慢というわけではない、との話だ。穢れの主……点展の乗る「竜」なるものの、本来の姿。というより本来の存在の意思によりかき乱されるこの世界における錨、あるいは発輝源。祆蘭という少女はただそういう役割を持つが故にそれら力を有し、その力が無ければこの世は前に進めない。

 

 曰く。

 彼女の周りでしか。彼女がいる場所でしか、事態が進まない。

 馬鹿げた話だ。あらゆる場所で、あらゆる人々が息づいているというのに、彼女が来ないと結果に表せない。

 馬鹿げた話だと笑い飛ばすことができれば良かった。だけど実際、彼女が来るまでは膠着状態にあったのも事実だ。此度の緑涼君と点展の話だけではない。以前の誘拐事件、及び点展の鬼化の時だって、彼女が来る前にそれを終わらせていれば……あるいは「もっと悪い結果が」、点展的には「より良い結果が」生まれていたかもしれないのに。

 

 祆蘭が来たその瞬間でしか、緑涼君も点展もその他……平民や睡蓮塔、混幇の輝術師たちも、「結果」を残すことができなかった。

 

「続きますぞ、若様」

「……みたいだな」

 

 去っていくあの少女の背を見送って、緑涼君は言葉を続ける。

 

「本当におれとお前だけじゃ、この物語を終わらせることはできないのかな」

「ほほほ……。……今まで多くの者が様々なことを企て、それを実行に移してきました。ですが、それが歴史へと刻まれることはありませぬ。儂も若様に隠れて……秘密裡に運ぼうとした"事"がいくつもありましたが、実を結んだのは彼女が来てから。彼女がその地へ、事象へ聚光を行わない限り、我々には何もできませぬ」

 

 けれど、と。

 緑涼君も、点展も……同時に歯を剥いて笑う。

 

「それじゃあ、つまらない。そうだよな」

「ええ、儂らもこの世に生きております故」

 

 であれば、行わなければならない。

 

「していたつもりは無かったけど……もう手加減はしないぞ、点展。おれはお前の命を奪うつもりで行く!」

「つもりなどと、生温い言葉を使ってくださるな。儂は緑州の膿に対しても、若様に対しても──初めから殺す気でいます故!」

 

 落雷があった。

 ……そう確信するほどの轟音と、真っ黒な極光。

 緑涼君が()()()を振り向けば……空から、数多の「竜」が降り注いでいるところで。

 

「ッ……!」

「あれら竜は、儂の意に従うもの。若様が想像している以上に蔓延っている緑州の膿……その全てを穢れで冒し、その身を食い尽くすものです。そしてそれは、平民に対しても同じ。安心なされよ、しっかりと区別をつけるよう躾てありますじゃ」

 

 まだ少年らしさの残る手を翳す。どれほど離れていたところで、緑涼君の輝術は届く。州君にはそれぞれ得意とすること、しないことが明確に分かれているけれど、緑涼君の長所はその速度にある。

 想像してから実行するまでのズレが欠片もない。故にその輝術は必ず当たる。

 

「良いのですかな、若様」

 

 ただし……妨害されなければ。

 

「あれら竜は既にその体内へと人間を取り込んでおりますじゃ。潰すなり、斬るなり、お好きにされるとよろしいが……当然中にいる人間も」

「……」

「そこで構わない、と言えないのが若様の弱さですなぁ。あの少女であればすぐに切り捨てたでしょうに。あれほどの穢れに冒されている時点で救うことは不可能に近い。よって、中身の人間ごと竜を殺した方が良い、と」

「……」

「黙って耐えている暇はありませぬ。ここで倒れている平民も、我が竜の餌食としてくれましょう」

 

 ──風が吹く。

 

 暴風が来る。

 

「ほ……」

「別に……黙って耐えていたわけじゃないさ。さっき祆蘭が凄まじい規模の威圧をしてくれたおかげで、空気中の遮光鉱粉末が多少減っていたことに助けられた」

 

 嵐が、竜巻が、豪雨が。

 緑州全土へと齎される。

 

「なんと……」

「これは輝術の風じゃない。おれが輝術を使ったのは起りだけ。……あとは自然消滅を待つしかない災害だ」

 

 雨は遮光鉱粉末を叩き落す。

 竜巻は竜の身体を削ぐ。

 嵐は──本物の雷を呼ぶ。

 

「良いのですかな。儂の策よりも……より死人が出ますぞ」

「そのために貴族がいる。お前の竜とおれの嵐。この二つを前にした時、どれほどの悪人でも身を守ることを考えるだろう。見えぬ悪でも、真っ当に生きる善と手を取り合う。実際、あの尾とやらが出てきた時も一丸となってその対処をしたんだ。──人間の二面性なんて今更お前に説く話じゃないと思ってるけど、おれは一つの大きな力に対して立ち向かう人々を信じる」

「たとえ一時の、それも利己的な共同戦線であっても、ですかな」

「ああ。たとえそれが泡のように吹けば割れ消える意思であっても、善意を有したという事実が、誰かと手を取り合ったという事実を重視する。……平民が貴族へ向ける苦手意識がそれで緩和されたら嬉しいけど、そこまでの高望みはしていないよ」

「そうですか、なら……、っ!」

 

 点展の乗っていた竜が、真っ二つに断たれる。

 穢れの塊でしかないそれを、何度も何度も切り刻んで雲散霧消させていく。

 

 風切り音。同時、緑涼君は障壁を展開しようとして、既のことで回避に切り替えた。

 

「ホホホ……感覚を研ぎ澄ませておりますな」

「遮光鉱! そりゃ使うよな、鬼には関係ないんだから!」

「ええ、その通りですじゃ。そして、儂の蹴りも拳も必殺。かつて鬼子母神の心臓を貫いた技、とくとご堪能くだされば」

 

 手甲、靴、その他様々なところに仕込まれた遮光鉱。

 緑涼君の輝術をかき乱すだけでなく、輝術師が自然に行っている身体強化を無効化する代物。

 

 そこから始まったのは埒外の応酬だった。

 

 弾ける。弾ける弾ける弾ける。

 点展とて全身を遮光鉱で覆っているわけではないから、弱点は存在する。

 けれど、緑涼君の思考速度と同等の速度で放たれる不可視の攻撃の全てが叩き落される。歴戦の勇士。その名は伊達ではない。

 

 対し点展の攻撃もまた当たらない。

 緑涼君の制動能力は長年付き添った彼でも舌を巻くもので、加えてしっかり周囲を把握している。まだ落とされていない粉末塊に緑涼君を誘導しようとしても、読まれる。竜を用いた奇襲も読まれる。穢れや鬼火を使った小手先の技はそもそも通じない。

 

 結果として起こるは断続的な破裂音だ。緑涼君の輝術。点展の攻撃が大気を叩く音。

 それらがぱちぱちと音を立てて周囲を騒がせる。

 

 威圧で気を失っていた平民らが目を覚ました時に見る光景は、果たしてどんなものになるのか。

 

「それでも! こうしている間にも、たくさんの命が失われてゆきますぞ、若様!」

「そのための足止めにきたことくらいわかってる! でも……おれにできることはこれが限界だ。あとは緑州を信じる!」

「……若いですのぅ、相変わらず。それが眩しくもありますが……ですが、儂が、そして膿がこの州へと行ったこと、その全てを若様は理解しておられぬ」

「あの赤黒い空! あれをお前達が呼んだ、ってこととかか!?」

 

 問いに、点展の息が詰まる。

 心底驚いた、という彼の目に映るは、緑涼君か、それとも背後に見えた誰かか。

 

「なぜ、そう思ったのでしょう」

「別に……根拠らしい根拠なんかないさ。ただ、その竜とかいうやつは、お前達が作ったとはいえ穢れの意思の赤子みたいなものなんだろ。仮にそれが窮地に陥るなりなんなりすれば、穢れの意思も黙っちゃいないんじゃないかって考えただけだ」

「あぁ……なるほど、お優しい若様ならではの発想ですね。……ええ、あの空は我々で呼んだもの。ただし、竜の救難を察知した穢れの意思がアレを寄越したのではなく、竜の集合を危惧した穢れの意思があれを起こし、竜ではなく鬼へと転じさせようとした、が正しい背景になりますじゃ。未知の赤子は生まれる前に殺す。それが彼らのやり方故」

 

 斬撃が飛ぶ。

 しかし、それは輝術由来のものではない。

 

 砂だ。

 

「ほ……おや、同胞に刃を向けられるとは、心外ですな」

「いえ、氏族は私達鬼の敵ですので──目的のためとはいえ、それを利用せんとする方に同胞呼ばわりされること自体不満があります」

 

 濁戒。そう名乗る鬼だ。

 あの少女へとついていったはずの彼がなぜここにいるのか。

 

「……余計なことを知っていそうな口ですな」

「今しがた緑涼君へ向けて己が手口の全てを明かさんとしていたように見受けられましたが」

「若様は公明正大なお方ですから。信念を言い訳とし、他者を食い物にする同胞へ向ける態度とは、当然変わりますじゃ」

「やれやれ、これだから若い鬼は。"母"の言より、我々は嘘を吐かぬよう生きることを定められているというのに」

「ほっほっほ、この爺よりも歳を食った鬼が、今になって尚媽媽の言いなりですかの。それはなんとも痛ましい」

 

 突然始まった煽り合い。

 対し、緑涼君は……今の内に、とこの場から平民を退かしていく。全力戦闘を行うにはあまりに()()だから。意識の有無にかかわらず、遠くへ。

 

 そして煽り合いの隙を突くのはもう一人。

 

 ──俺を使え、緑涼君。隙を作る。

 

 突然の伝達。その後、濁戒の背後から彼が現れた。

 未だに煽り言葉を吐きながら、しかし点展の腕がぶれる。硬質な音。いつの間にかその手に掴まれていたものは……刀。振るった者は彼……玉帰だ。

 明確な殺意を以て振るわれた刀は、けれど点展の掌の薄皮一枚さえも切り裂けていない。

 

「今度は青州の輝術師。はて、儂との直接的な接点はなかったように思いますがの」

「俺達を……利用、した。……理由は、それだけで、充分だ!」

 

 充分だった。

 だから、どちらも充分なのだ。

 

「ッ──玉帰、逃げろ!!」

 

 肉の千切れる音がする。刀の折れる音がする。

 

「若様といいあなたと良い──甘くて甘くて、嫌になりますな。どうですかな、同胞の方。色々な事情を抜きにして、輝術師という生き物に対しての感想は」

「同胞とは認めていないと言ったはずですが。そして、有象無象の生死についてなど興味はありませんので、感想など生まれるはずもなく」

 

 落ちる。

 あまりにも簡単に。

 

 ああ──血の抜けた彼は、ようやく思い出すのだろうか。

 鬼とは、遭遇したのならば、逃げるべきものであると。討伐例は数えるほどしかなく──その討伐例においても、多大なる犠牲を払ってのもの。

 長く居過ぎた。

 

 鬼も幽鬼もものともしない、彼女の近くに。

 

 なれば彼は同じことをすればいい。彼女と、少女と、同じことを。

 

 ──肉の焼ける臭いが漂う。

 

「……無策だったことは、認める。だが……この命、既に使い果たしたもの、なれば……」

 

 砂に溢れた地面に捨てられるは右腕。肘から先。

 その先を炎で焼いて止血を施し……左手で刀を持ち直す。中ごろから折られたその刀を再度持って。

 

「俺の死をなど気にするな……殺せただろう、今。お前が……本当に、州君であるのならば」

「ふむ。まぁ概ね同意ですね。私との会話の間、緑涼君がしていたことは新帝を殺そうとした平民を逃がすという無駄な行為。竜を点展が操っている以上、彼を殺さねばあの災害は続くというのに、なぜそうも悠長なので? ──あらゆる状況の変化を己がために使いなさい。鬼を殺すとは、そういうことですよ」

「ほほほ……あまり若様を虐めてくださるな。非道になれぬが故の輝きですので」

「つ……使え、なんていきなり言われて対応できるわけないだろ! そもそも誰かを犠牲にするつもりなんか」

 

 ない、まで言い切ることはできなかった。

 また玉帰が猛攻を再開したからだ。それに合わせて砂が波打つ。何か思うところがあったのか、それとも別の理由か。

 濁戒なる鬼もまた、点展を殺そうとしているようだった。

 

 隙は、確かに生まれていた。玉帰の攻撃は欠片も気にしていない様子の点展であるが、濁戒の攻撃は警戒すべき威力を有しているようで、それの回避、及び迎撃に集中力を裂いている。

 如何に鬼子母神を殺した勇士といえど、齢五千を持つ鬼と州君の攻撃には耐えきれないだろう。今緑涼君が彼を殺そうと思えば殺すことは可能だ。

 

 ……ああ、けれど。

 どうしてか、その気が起きない。緑涼君は……ただ、呆けるように三人を眺めるしかできない。

 

 正々堂々。一対一。信じる。

 それらは青臭い理想論だ。実際にそれができるのは、それを成し得る力を持つ者でなければならない。力と意思の双方を兼ね備えたものでなければ。

 では果たして、彼が。

 

 緑涼君がそうであるか、というと──。

 

「ごめん、これ……おれの我儘だから」

 

 邪魔、しないでくれ。

 

 世界が、隔たれる──。

 

 

 

 結界。内と外を隔てるそれは、誰を巻き込むこともなく、点展と緑涼君だけを隔離する。

 遮音、固定、その他様々の用途を組み込まれた結界は、外界の光景以外の全てを二人の間から消し去った。

 

「輝術……だけではなさそうですな。輝夜術も織り込んでおられるようで」

「ああ。遮光鉱対策と考えるとそれしかなかった。全てを理解したわけじゃないけど、遮光鉱に耐性がある、というだけで充分だ。そこの要素だけを抽出して、おれの輝術に組み込んだ。……誰かを守るために使うつもりで作ったけど、こういう形で使うことになるとは思ってなかったよ」

 

 手。緑涼君の手に……槍が生成される。

 金属製らしきその槍を軽々と振り回し、彼は独特な構えを取った。穂先に近い部分を左手で掴み、柄底を右手で被せ持つ……どの流派にもない構え。

 

「……なんのつもりですかな」

「お前を、殺す。そのつもりだ」

「儂が聞きたいのは、完全な遠距離型……徒手空拳に輝術を織り交ぜることはあっても武器というものをほとんど使わぬ若様が、なぜそのような得物を持っているのか、というところですじゃ」

「わかりきっていることだろ、そんなの」

 

 あくまで冷たく。冷徹に。

 

 轟音が響く。──反応はその少し後に帰ってきた。

 驚愕の反応だ。点展が……勇士が見せる、初めての顔。

 

 だって、気付いた時には……彼の右わき腹に小さくない穴が開いていたのだから。

 

「……なんと」

「さっきの鬼が、なぜそこまで悠長なのか、って聞いてきたけど……違うんだよな。おれが……今までの全てをかなぐり捨てた全力を出すには、平民も玉帰も鬼も、邪魔過ぎるんだ。……二人きりになったっていうのに、外した。一発で仕留めきれなかった。それくらいこれは狙いが甘くなるから……集中できる空間を作りたい」

 

 またも生成される槍。独特な構えののち、轟音が響く。

 老人がその二撃目を躱すに至ったのは、勇士としての第六感が故だろう。──躱したと言っても、身体の表面を大きく削り取られてはいるけれど。

 

「爺に隠れて、そのような技を練習していたのですか。ほほほ、悲しいですな。若様が幼き頃より付き人として共に在ったというのに」

「これは師匠といた時に作った技だから。加えて、決して人相手には使ってはならないと念を押されていたんだ。威力が高すぎる上に、制御できていないから」

 

 輝術の力量は生まれた時から育つことが無い。例外を除き、それは絶対の法則として横たわっている。

 その力量とは何を指すのか。これは色々ある。たとえば範囲。たとえば作用させられる物体。たとえば輝術を結果に起こす速度。

 

 たとえば──並列処理できる、量。

 

 州君にはそれぞれ長所と呼ぶべき輝術の分野が存在する。

 赤積君であれば武器を使った輝術。黒根君であれば肉体に作用する輝術。黄征君であれば効果範囲だし、青清君は輝術そのものへの理解だろう。

 

 そして緑涼君は展開速度……だけではない。

 一度に扱うことのできる輝術の量も、全州君の中で抜きん出た才を有する。もしこれが無ければ、咲着(シャオシー)が緑涼君の座を譲ることをあと二、三年は遅らせていただろう。

 それほどまでに特異な才だ。

 

 やっていることは単純明快。

 左手で作った支えに槍を乗せ、右手と槍の間に並列展開した輝術による反発で槍を飛ばす。本当にただそれだけ。

 だから遮光鉱を気にすることなく放てるし、狙いが甘くなる。槍自体には輝術がかけられていないから。

 

 彼が長所とする速度と並列処理。

 その全てを余すところなく、槍の反発……射出に使っている、というだけ。

 数にして十七万。単純な遮音結界を張るのに使う輝術の展開量が二桁に及ばないと言えば、少しはその恐ろしさが伝わるだろうか。

 

「ほほほ……まるで杭打ち工事ですな。打たれる地面は、このような気持ちでしたか」

 

 まさにそうだ。ここに彼の少女がいれば、「パイルバンカーか何かか?」とでも言っていたことだろう。

 ああけれど、それと違うところが一点。

 

「よし……久しぶりに使ったけど、慣れたな。いくぞ、点展。ちゃんと容赦しない。非道になる。それを誓う」

「……儂も、少しでも甘さを見せたのなら、素っ首縊り殺しますので、ご注意を、じゃ」

「大丈夫。そんなもの見えないから」

 

 轟音。轟音。轟音が響く。

 並列処理──展開と速度。閉鎖空間である結界内で行われる絨毯杭撃。

 避ける暇など、躱す隙など、甘さなど──そんなものはない。

 敵を強敵と見定め、心からの全力を込めて行うその攻撃に、若さなど、青さなど存在しないのだ。

 

 さらに言えば、やめない。様子見もしない。

 輝術を使って疲れる、ということがないから……そして点展のつよさを知っているから。

 たとえ点展が肉片となっていようと、砂粒となっていようと、一切やめない。

 

「な、れバ──防御に、意味など無し!!」

「ッ!?」

 

 手元だった。その傷だらけの顔が現れたのは。

 頬の肉が、眼球がこそげ落ちた顔は……けれど確実に緑涼君を狙っている。

 遮光鉱のついた手甲。強く握りしめられた拳。

 

 一撃。緑涼君は……それをまともに受ける。

 

「……今、結界か障壁か。間に合ったでしょう。破られるとわかっていても、勢いを殺すことはできたやもしれませぬ。若様、なぜ……それをしなかったので?」

 

 殴り飛ばされた緑涼君は、けれど、倒れることはなかった。

 己が結界に強く背を打ち付けて、そのまま立ち続ける。

 

 そして笑うのだ。

 

「避ける必要が……けほっ、無いくらい、お前が弱っているからだよ……」

 

 穴だらけだった。傷だらけだった。ボロボロだった。

 点展の身体は、それが鬼のものであるとは思えない程で。

 

「そんな身体から繰り出される拳なんか、防ぐに値しない……そんなことに輝術を割くくらいなら」

「──ま、た!」

 

 生成されていく槍。今度は同時に何本も生成されたそれを、緑涼君は殴る蹴る殴る蹴る。

 殴打の瞬間に反発の輝術を多重展開し、照準を合わせることなく乱射していく。

 

 防御は無意味。回避も不可能。この乱射に対し、点展は直進するしかない。

 耳が裂ける。頭蓋が削れる。あばらが抉れる。

 

 鬼にとって血液は大事なものであると、誰かから聞いたはずだった。

 そんなことなど脳裏のどこからも消えてしまうほどの……ほどの。

 

「良い、良い、良い──若様! あなたは──」

 

 歓喜、だ。猛攻がどうだと、己が今にも死にそうであるなど、どうだっていい話。

 これだ。これだ。これだ。

 

 この容赦の無さがあれば、──この少年は、外へ出てもやっていける。

 膿の消去などどうだっていい。そんなものはいずれ淘汰される悪だ。

 それよりも優しすぎるだけのこの少年が、大人になったばかりで現実を見せつけられたこの少年が。

 

 いいや、そんな保護者のような心ではないはずだ。

 点展が過去、緑涼君に見たものは。

 

 幼くありながらも、他者を圧倒する存在感。

 思い出しただけだ。聚光の呼応など関係ない。あの少女が来てから点展がコトを起こす決意をしたのは、あまりにも似ていたから、であるのだ。

 

「強く在ることに!! 微塵の恐れもない!!」

 

 ああ、それこそが勇士らの無くしたもの。

 鬼子母神を倒した勇士──点展(デンヂャン)折居(ジェァジュ)秀玄(シゥシュェン)道破(ダオポォ)、そして……名の失われた誰か。

 

 この五人こそが強きの象徴であった。かつての話だ。ああ、ああ、そうだ。

 かつての己を、幼子に重ねて。

 

「若様に……烈豊様に、幸あれと──」

「そんな()()はもう必要ない。おれは、お前のことが好きだったよ、点展」

 

 突き刺さるは槍ではなく、拳。

 狂信者のフリなど、盲信の真似など……しなくていいと。

 

 だから聞かせてほしかった。ただそれだけを。

 

「お前は?」

「……──無論、ですとも。……どうかご自愛くださいませ」

「ああ」

 

 殴り飛ばされる。鋼鉄よりも硬いはずのその身体は、見た目通りに枯れ木が如く飛ばされ、結界へと叩きつけられ……そのまま、動かなくなった。

 

 その身体に、いいや頭蓋に槍を刺して、墓標とする。

 容赦をしない。甘く見ない。絆されない。

 

 鬼であることを考慮し……その死を確定させる。

 

 そうして、結界を解いた。

 

 

 

 崩れ落ちる緑涼君の身体を支えたのは玉帰。

 

「……己の防護も、輝術に回したのか」

「ああ……まぁ、少しでも威力が劣れば……負ける可能性があった。あいつの強さはおれが一番知ってるんだ。だから、こうするしかなかった」

 

 緑涼君の手。焼け爛れたかのような傷は、反発輝術の代償だ。

 あれほどの威力の槍を射出するのだから、当然手の方にも傷が蓄積する。

 

「腕は?」

「……気にするな。俺が……鬼も、州君も、見誤っていた。その……代償を、支払っただけ」

「そっか」

「緑涼君。それではこれにて失礼いたします。私には私の仕事がありますので──緑州の片付けについて、此度は手伝えないものとお思いください」

「初めから気にしていないし、期待もしてないよ。……ただ一個だけ聞きたい」

「なぜ私がここに現れたのか、ですか」

 

 そう。

 濁戒がなぜ戻ってきたのか。

 玉帰はわかる。彼は現状の……平民と貴族の問題の深刻化に一助を買っているわけだから、責任を覚えても仕方がない。利用されたことを憤ることも理解できる。

 ただ、濁戒に関しては、「同胞とは認められない」というだけの理由だ。それでこのようなことに……濁戒からしてみれば些事に近しいことに、なぜ、と。

 

「挑戦してみたくなった、というのが正しい答えとなるでしょうね」

「挑戦?」

「ええ。聚光の呼応。新帝が来なければ自体が表面化しないという呪い。果たしてそれなるものは、強き意志をも抑えつけられるものなのか、と。……生憎と私は生前から大きな感情というものに恵まれてきませんでしたが、聚光の呼応の子細を知った時には憤りを覚えました」

 

 なぜなら。

 

「この世界がまるで、彼女の……祆蘭様のためだけに用意された世界であるように感じてしまったが故です。……彼女に悪気など一切ないことはわかっておりますし、むしろそれを気にして、積極的に動き回っておられるその姿を見て……穢れの意思への苛立ちが勝りました。ですから、私、そしてあなた方の因縁を利用して、証明してやろう、と。……それは見事に相成りました」

「……良い気分じゃないな、それは」

「でしょうね。……ですから、そうですね。……補填と言えるかはわかりませんが、知識を一つ。現在、天遷逢が近づいていることや、祆蘭様が精力的にこの世からの脱出へ向けて動いていることを受けて、同一因子……つまり鬼、幽鬼、華胥の一族以外の存在は無意識下において祆蘭様の足を引っ張りたくなっているそうなのです」

「平民や、輝術師が……って認識で良いんだよな、その言い方」

「はい。州君ほどに純血へ近づけば話は別ですが、神の血の薄まっているものであればあるほど、単なる平民であればあるほどに、祆蘭様を敵視し、その行動を妨害することになんの疑念も持てなくなる、とのことで……」

 

 きょとんとした顔。緑涼君も玉帰も、二人がそれを浮かべてしまったのは致し方のないことだろう。

 つまりこの鬼は、こう言いたいわけなのだから。

 

「暴動を起こした平民……それも祆蘭を執拗に狙った平民に罪はない、と?」

「無いかどうかはわかりませんが、外部からの干渉を受けておかしくなっていたのは事実でしょうね」

「……驚い、た。……鬼が、人を、庇う……のか」

「他の者がどうかは知りませんが、私も元人間ですので。……それと」

 

 砂が動く。

 緑涼君と玉帰に集う砂はそれぞれの怪我……緑涼君であれば手足、玉帰であれば失った右腕へと集まり、そして固まった。

 

「輝術を通すことは叶いませんが、それは私の穢れから作った砂。遮光鉱の影響を受けません。ああ、穢れの侵蝕は受けませんし、傷口へ入っていくこともないのでご安心を。……あなた方を使って実験を行った代償は、これくらいで釣り合いが取れると考えます。ではどうか、あなた方の贖いが安らぎへと繋がりますよう」

 

 それだけ捲し立てるように言って、ザァっとその身を砂と化する濁戒。ヒトガタなど初めからいなかったかのような空虚が残る。

 ここに濁戒という鬼がいたことの証明になるものは、頭蓋を槍に刺し貫かれた死骸が青い炎に焼かれている事実だけだろう。

 

 鬼の死体は、鬼が片付ける。

 その身の供養は、人間にはさせられない。

 

「……よくわからないやつだな、あいつ」

「鬼など……理解する、必要は……ない」

「そっか。……あー、で。玉帰。まだ動けるか?」

「ああ……丁度、働き口を、探していた」

「じゃあ後処理を手伝ってくれ。空中の遮光鉱粉末、地中の遮光鉱武器、あと上の蓋で伸びてる馬鹿どもの処理」

「些事、だな……」

 

 以上が。

 緑州で起きた事変の……新帝祆蘭がいなくとも完結させることができた「事件」の全てである。

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