女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百十五話「愛」

 そこは、なんでもない。彼女の部屋……天守閣だった。

 あの時。……私が尊瑤(ズンイャォ)と穢れを同時に展開した時、彼女は固定の輝術を使った。

 私がそうさせた。まぁ、そうかもしれない。……守らせたのは、守ってほしかったから、だろうか。

 

 部屋に飾られているものを見て回る。

 水中花。陽弥へ贈ったらしい逆さオイルタイマー、その試作品。バランスバード。水飲み鳥。回転灯篭に扇子、段返り人形、ヨーヨーもある。尺時計やラジオメーター、バラバラになった金櫻蟲切鈴、望遠鏡。

 雑多も雑多なそれらの中で……最も作りの粗いもの。

 他人に献上する、なんて考えの無かったそれは、細い細い枝の上に立って、こちらをじっと見つめている。

 

「……そなたは、誰だ」

 

 背後から声がした。

 少しばかりの緊張の滲む声。振り返ると、長い髪が揺れる。あれ、入社する時にかなり短くしたはずなんだけどな。

 入社? ……いつの話だ。そこからもう十余年以上の年月が経っているだろうに。

 

「見ない……恰好だな」

「……」

 

 声が出ない。いつかの雨妃事件を思い出す……ああそうだ、入社も何も、死んだんだろう、私は。

 そしてこちらへ来て。

 だから彼女と出会って。

 

「幽鬼、か?」

「……」

 

 問われて……身体を見る。

 どこか青白く。どこか半透明に見えなくもない、ぼやけた身体。

 ああ……少し記憶がはっきりしてきた。そうだ、私は(チー)と戦って……けれどあの世界から弾き飛ばされて。

 

 だから……肉体を置いてでてきてしまったのだろうか。

 

「……」

「待て、今……幽鬼の言葉のわかる者を呼んできてやろう」

 

 部屋を出て行こうとする彼女。

 その手を掴む。掴んで止める。

 

「む……なんだ、どうした?」

 

 言葉は伝わらずとも良い。首を振って……彼女が良く座る長椅子へと促す。

 

「ふむ……。……わかった、座ろう」

 

 何を納得してくれたのかはわからない。私も何がしたいのかはわからない。

 ただ、彼女は長椅子へと座り。

 私は対面の……いや、彼女の隣へ座る。

 

「そなたはなぜ私の部屋に? 何か……未練があるのか」

 

 未練。そんなものを遺す人生を歩んできた覚えはない。

 けれど……蚩に本音を吐いた時、違うとわかった。

 

 やる気、か。感情か。道理だの摂理だのを説いておいて……私は何か、まだ、「やり残している」と考えているのか。

 

「……本来は、逆なのだろう。あの子であれば、幽鬼の言葉を聞いて……そなたを楽土へと送ってくれるのだろう」

「?」

「どうだろうか。そなたが私を引き留めるというのなら、少しばかり私の話を聞いていってはくれぬか?」

 

 頷く。

 幽鬼に何を話すというのか。誰にも聞かれたくない話か。けれど……話し相手はほしい。ああ、まぁ、そういうこともあろう。

 

 虚空へ向けられた目。柔らかく開く口から零れ出でたのは──。

 

「後悔をな、しておるのだ」

 

 悔恨、だった。

 

 

 彼女は続ける。

 

「後悔……ああ、後悔だ。沢山の後悔があった。……私には力がある。だというのに、つい最近まで使ってこなかった。使うことを嫌がって、その上で"未知があった方が楽しい"などと嘯いて……結果、あの子を私達の世界へ連れてきた」

「……」

「責任を覚えているというのなら、私こそそうだ。私が契約を結ばせた。私があの子を手元に置いた。……結果、どれほど……あの子は傷ついたのだろう。親代わりの祖父母から引き離され、得体の知れない者達と対峙し、罪を覚え、咎を背負い、己が心の傷も認識できぬままに走り……それを止める手立てもない」

 

 誰のことを言っているのか、なんてわからない私じゃない。そこまで察しの悪い奴であるつもりはない。

 けれど、心の傷とはなんだろうか。

 

「私はな、大人なのだ。大人のいない環境で育ってきたから、幼子のよう。……ふふ、あぁ、あまりにも可笑しい言い訳だ。私には外界を知る術があった。余計なことをして、怖くなって、その触覚を閉じた私が……何を被害者ぶる。大人であるべきだった。……あの子の方が大人だった。その特殊な事情は無論考慮すべきだが、それでもこの世を知らぬという点では子供であるのだ。それを」

 

 言葉が切れる。嗚咽によって言葉が出なくなった、とかではない。

 ただ何かを探すように……また、小さく口を開いた。

 

「それを……それに、甘んじてきた。そして……最後の最後まで、甘んじることになる。……精一杯で当然だ。他のことを考えられなくて当然だ。あの子がここへ来てからまだ六つ月を経ていない。それでいて……あの子は、どれほどのものを背負っている。一年間、好きな時に玩具を作って提供するだけ。それだけのはずの関係に、何を乗せている」

「……」

「わかっておるのだ。……ああ、わかっている。……私があの子に抱く感情全て。幼稚な恋心も、責任感も、罪悪感も……重荷でしかない。邪魔でしかない。私はいつからかずっと、ずっと……彼女を邪魔し続けている。あの子が、彼女が進む道に、障害を置いて、足を引っ張って……あの子が望んだ世界ではないのに、私を含めた皆があの子に全てを押し付けたのに」

 

 滝のように零れ続ける言葉。

 ──だから、少しイラっときて、人差し指でその口を塞ぐ。唇に封をする。

 

「……!」

 

 押し付けられたとか、望んだ世界ではないとか。

 何を言っているのかさっぱりだ。

 私は誰かに意思を強制された覚えはない。もしや別人のことを話しているのだろうか。だとすれば謝ろう。

 だけど、私のことなら。

 

 ……ああ。そうか。

 私のことなら……私も、勘違いしていたじゃないか。

 

 何が「これからは削ぎ落としていかなければいけない」、だ。

 世界を出るなんていう些事に……そこに詰められた感情の重さに流されて、いつのまにか己の許容量を見失っていた。

 

 別に、できるだろう、お前。

 

「『皆の背を押しながら、恋愛に現を抜かす程度……問題なくできるでしょ』」

「……そなた、今声を……」

「『心を動かしたかったのでしょう。羨ましかったのでしょう、あの幸せ夫婦が。……いつまでも強がっていないで、無視していないで……言えばいいのに。折角くれると言っていて、あなたも……満更ではないのでしょう』」

 

 言葉はけれど、私の言葉ではない。

 この口が発するのは私の言葉ではないのだ。

 

 ただ、あの日死んだ「未練」からの……「不都合」からの贈り物。

 

「『わかっているのでしょう? やじろべえが呼応しているのは、バランスじゃなくて』」

「──どこにでも立つことができる、という。ただそれだけの話、か」

 

 天守閣。その戸の奥から、声がした。

 そう。そうだ。私は……やじろべえと呼応する。

 

「祆蘭?」

「『……誓いは言葉だけのものじゃない。あなたが前を照らし続けるのなら、同時に後ろも照らしてあげなきゃいけない』」

「わかっている。……礼を言う」

「『ええ。それじゃあね、祆蘭。あとの全ては、あなたのすべきこと──』」

 

 消える。

 いや、今度こそ目を覚ましたのだ。

 瞼を開ければ、戸があって。……それを開く。

 

「お、おお。祆蘭、起きたのだな。そうだ、今幽鬼が……ぬ?」

 

 いないだろう。

 もう消えたさ、そいつは。

 

「鈴李」

「ぁ……う、うむ。なんだ」

「お前が私に恋愛感情を向けてきた時、私は是も非も返さなかった。……いや、何度か非は返したやもしれんが」

「……丁度今、その話を」

「愛された経験、いや、感覚というものが……無い。それにようやく気付けた」

 

 彼女の話を遮る。無視する。

 

「わからない。親愛を、友愛を向けてくれた人は、過去にも大勢いたのだろう。けれど私はそれに気付くことができていなかった。……虫のいい話なのは自覚している。けれど……まぁ、なんだ」

 

 心臓に溜まった穢れを魂へと移し替える。

 そう簡単には出て来られないよう封印を施す。

 当然私の中に……魂に住まう華胥の一族には少しばかり狭い思いをさせるだろうけれど。

 

 ──気にするな。長い間共にあったものだ。

 ──これらでどうにかなるなら、神族とは呼ばれていないよ。

 ──存分に、じゃ!

 

「恋も愛もわからぬ身空のままに、折角仲良くなれた人々との別れを経験したくはない。……いずれ別れの時がきたのなら、つらくなるだろう。苦しくなるだろう。……それでも」

「当然だ」

 

 言い切る前に言い切られる。

 

「それでも私の心は変わらぬ。……愛を告げる。祆蘭、私はお前を愛したいと思っている。……だが、私も愛恋に関しては初學者も良い所だ。こちらも探り探りになるが、それでも良いか」

「……よろしく頼む」

 

 頷いて。

 

 ──……微妙な空気が流れ始める。

 互いに、「あー」とか「え、っと……」とか言うだけの空気。

 

 なにせ、お互いに恋愛初心者なので。

 

「と……とりあえず、私の隣に来い、祆蘭」

「わかった」

 

 言われた通り、隣に行く。先程まで『私』が座っていた場所へ。

 

「……何かないのか。黒根君から健全なやり方は聞いているのだろう」

「いや……その、"どうオトすか"とか"どうしたらいい雰囲気にできるか"は教わったのだが、成就後に何をすべきかは……」

 

 ふむ。えーと、私の知識は、と。

 とりあえず家で一緒にゆっくり……のパターンもあれば、映画館へ行くとか、ゲームセンターに行くとか、まぁ、あとは……あの夫婦は確か、己が最も大切に想う場所へ向かった、とか言っていたか。

 む、ぬぅ。……このまま何もしない、というのもアリなのだろうけど。

 

 ちょっとこの、掴みあぐねている空気、嫌だな。

 

「一般的なことをする必要があるのか、私達」

「いや……」

「なら……鈴李。私を連れて、外へ行ってくれないか。あ、一応前置きするぞ。他の女の名を出す。で、えーと、そう。前に玻璃と共に空を飛んだのだ。日没まで、ずっと。……あれがやりたい。今度は鈴李、お前と……もっともっと長く」

「前置きをすれば何をしても許されると思うでないわ……」

「どうせ玻璃は私にそっちの感情は持っていないんだ、いいじゃないか」

「前も言ったが、わからぬだろうそんなこと……」

「あいつは月織が好きだったらしいぞ。私の前で月織に告白していた。ああいいや。消えてから、だが。ははっ、臆病者なのかもな、案外」

 

 あっけらかんとしてはいたけど、「好きでしたよ」って……そういえば見栄っ張りなんだっけ、あいつ。

 

 とかなんとか考えていたら、担がれる。そのまま体が浮いた。

 

「はぁ。名前を出すに飽き足らず、他の女のことを考えてそのような笑みを見せるとは」

「……ならば上塗りしてくれ。戦では先導者やもしれんが、愛に関していえば手を引かれる存在なのだろう。いいな、ああ。良いかもしれない。互いに初學者なれど、此度はお前に手を引いてもらおう。別に失敗しても構わんから──私に世界を見せてくれ」

 

 ぎゅ、と。少しだけ強めに握られる手。

 

 連れ出される──。

 

 

 

 高空を行く。

 

「……全ての事には足る理由がある。だから、一目惚れなどありえない。……前に私がお前の愛を否定した言葉だ」

「ああ、そんなこともあったな」

「一目惚れに関しては今でも否定派だが……お前と私に関して言えば、一目惚れではなかったのかもしれない」

「……お前をこの世に呼びつけたのは、私なのだろう?」

 

 あれ。

 自力で辿り着いたのか? 凄いな。

 

「ああ、らしい」

「都合がいいからな、あまりにも。……進史の出現も、お前という存在が私の前に来たことも」

 

 飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。

 雲の少し下を、天染峰の全てが見渡せる高度を。

 青州のすべてをみて、黒州のすべてをみて。

 

「迷惑に思うか、とは問わぬよ」

「おお危なかったな。抓る所だった」

「ふふ……ならば私も前置きをしよう。他の男の話題を出すがな、進史に同じことをして、"失礼します"という言葉とともに頬をはたかれたのだ。その後、"私が不要であると感じたのならすぐに言ってください"ともな」

「私の心は広いから、誰を出されたところで嫉妬などせんぞ」

「そこはしろ。しないことに嫉妬する」

 

 ふん、狭量だな。

 

「恵まれている。来てくれてよかった」

「呼んでくれて良かったよ。失意の底に沈むより、神意に包まれて世界を渡った方が心地よい」

 

 緑州に入る。各地で行われている復興作業……尾による被害の修復を見届けながら、さらに飛んでいく。

 

道破(ダオポォ)とは会ったか?」

「ああ……少し前に再会した。紊鳬と同じくらい見た目の変わらぬ女だが……確かに私の焦がれの根源を覚えた。お前と重なるところ。そして真逆にしたら進史になりそうなところ」

「感謝すべきかね、アレにも」

「意図はないだろう。加えて、少しでも下手に出たら……食物を集られる。だから優しくするなと、凛凛から取扱情報を得ていた。ゆえに突き放したよ」

「良い仕事だ」

 

 緑州から一度黄州へと入り、黄州から赤州へ行く。

 

「恵まれているのは私の方だろうな。……友にも人にも恵まれた。あ、そうだ。今言うべきではないことかもしれないが、一つ約束してほしいんだった」

「なんだ」

「この恋物語の終わり、天遷逢。その後に二度目の才華競演があるだろう? 当然大混乱が起きるだろうから、延期になるの已む無しではあるんだが……今並のことを考えると、二度目もやってほしくてな」

「本当に今言うべきことではないが……ああ。輝術を失った後の私にどれほどの権限が残されるかはわからぬが、必ず開こう」

「ありがとう」

 

 赤州から青州へ戻る。その時、視界の端に「竜」を捉えた。

 ……あの二人はまだ何かやっているのだろう。けれど、私が行かない限りは……なんて考えていたら、ぐい、と顔を引き戻される。

 

「今は余計なことは考えるな。私との……逢瀬に集中しろ」

「すまんな、視界に入るものすべてを考えたくなる性質なんだ」

「はぁ。……これは本当に逢瀬なのか? やはり今からでもやり方を聞いた方が……」

「他人に倣う必要はないだろう。これが私達の逢瀬だよ」

 

 誰がなんと言おうと、だ。

 これが、私達の在り方だ。……同じ位置から、違う視点で、世界を見る。

 

 それが。

 

「……逃げなかったな、お前は」

「お前から、か?」

「ああ。それに、思ったより多かった」

「ならば見込み違いも甚だしい。私含め、そう簡単に逃げるものか」

 

 ああ。あー。

 悪い癖だなぁ。もう九年も吸ってないのに……。

 

「鈴李。煙管が欲しい」

「子供がそんなものを吸うな。毒だぞあれは」

「楽土では毎日のように吸っていた」

「お前……こ、この後せ……接吻する、つもりでいたのに。口をあんな味にするつもりか」

「接吻くらいいつでもしてやるよ。……というか味を知っているのか」

「いや、原材料から、それを燻らせることで発生可能な味を理解しているだけだ」

 

 また無駄に高度なことを。

 煙管、というか煙草がいい。コンビニでいいから。

 ……昔はどこの自販機でも買えたのになぁ、とか。

 電子だとあんまりなんだよなぁ、とか。水は……シーシャは……とか。あ、いや、シーシャはシーシャで美味しいから好きだけど、とか。

 

 面白いものだ。勝手に切羽詰まっていただけなのだということがわかる。

 余裕を自覚したら、こんなにも「やりたいこと」が浮かんでくるなんて。……あるのかなこの世界、シーシャ。無かったら作りたい。

 

「ダメか?」

「ダメだ」

「そんなに悪いものでもはないだろうに……」

「いや、毒でしかないぞ。……お前、酒は毒だとかなんとか言っていなかったか? 同じようなものだろう」

 

 あいつと同じような言葉を吐くんじゃあない。

 

「酒は思考を鈍らせるから嫌いなだけだ。毒煙はただの毒でしかないんだからいいだろう」

「自分で毒だと言っているではないか……」

 

 口が寂しい。こういう雰囲気の時は吸いたいのに。

 

「く……口が寂しいなら、私と接吻をだな」

「飛びながらか? 流石に落ち着かないだろう」

「なら、すぐにでも青宮城へ帰るぞ」

「情緒も風情もないな、まったく」

「どちらがだどちらが」

 

 赤州と青州の間にある山。

 月織と共に越えたそこ。あの時彼が言っていた固有名詞は……今思い返せば、崑蘊(クンユン)と言っていたのだな。

 

 あの時は見つけられなかった場所。

 

「……夜には帰ってきて、私と共に眠る。それを約束するなら……良い」

「別に今日でなくともいいさ」

「抱えられたままでは恋路も曇る。……待っている間、私は黒根君や祭唄、夜雀から色々聞いておくから……その悩み、解消してこい」

「悩みではないが、まぁ、そうするよ」

 

 降りる。

 それなりに探しても見つからなかったその場所に、上空から。

 

 ──不思議な色をした液体の溜まる湖。

 

「ではな」

「ああ」

 

 去る彼女を見送って。

 溜め息を一つ。

 

「──出てこい、奥多徳(オグダァド)

 

 ここは瑤湖。初めに私が媧の存在を認識した場所である。

 

 

 

 わらわらと出てくるは、なんだかもう懐かしき顔ぶれたち。

 角栄(ジャオロン)旧蓮(ジゥリェン)、その他……申し訳ないけど名前を知らない鬼達複数。

 

 背後でカラカラと音が鳴る。

 ……骨? が、椅子の形に組み上がった。そういう力を持つ鬼がいるのだろう。

 折角なので座る。座って頬杖をつけば、瑤湖の畔に様々なものが降り注いだ。

 

 砂と、音と、蝕と、鬼火と。

 各々……らしくもなく片膝の()を取る彼女らに、「ハ」なんて軽い笑いが出る。

 

「それ以上近付いて来ないのか」

「吸われちゃうからね、これ以上近付くとさ」

「お許しください。あなたの手足でありながら、そうあれない私達を」

 

 五千年前組は口が軽いね。

 おかげで空気が少し和んだ。ありがとう。

 

「この中で、一番年若い鬼は誰だ」

「この中で、となるとやはり私かな」

 

 声は背後から。……なんだ、有象無象の中にいたのかお前。

 

「点展は?」

「呼び出し無視だよ」

「そうか。鬼は縦社会だろうに、生意気なやつめ」

「……で、一番古い鬼は? 桃湯じゃないだろう」

 

 問えば……視線は()()()を向く。

 瑤湖を。

 

 依然どういう成分であるかわからぬそれは、うねうね、ぐねぐねと動き……持ち上がった。

 ただ……言葉を発することができないのか、大きな口を動かすばかり。

 

 媧、こいつの名は?

 

 ──巫山(ウーシャン)だ。

 

「巫山。まだ自我はあると見ていいのか」

 

 名前を呼べば、嬉しさを隠せない、というように身をくねらせる巫山。

 ……ああ、ようやく理解した。

 ここの液体、全てがこいつの術か。

 

「あの方……神門様の配下である鬼は、皆こういう……ヒトガタではない鬼ばかりよ。そうではない鬼も幾らか残っているけれど」

「人の形を保てなくなった……あるいは保つ必要が無くなったから。それでも捧げた魂を捨てることなく、しがみついてでも己で在り続けている。こうなっちゃったらもう魂も食べられないから、古い鬼とされる鬼達はずっとそう在り続けるのよ」

「そうか」

 

 感情が伝わってくる。

 役に立ちたい。救われてほしい。守らなければならない。

 それは私へ向けられたものでも、媧に向けられたものでもない。

 神門……玻璃に向かう強い感情。

 

「出たい、では……ないのだな」

 

 魂の封を取り、穢れを心臓に戻す。

 巫山の身体を波立たせる圧。それを抑えることなく解放する。

 

「お……おお」

「これが……」

 

 一瞬にして周囲が穢れに満たされた。鬼火と同じく、穢れをそれに変換する、という仕組みであるはずの瑤湖……巫山の身体は、しかし。

 

「変換が……間に合っていない」

 

 浸かったそばから紙さえも溶かす何かに変えるはずのその身体。

 けれどそれは、濃縮された穢れに圧されて……どんどん退いていく。

 

奔迹(ベンジー)

「ん」

「零したら、なんとか対応してくれ」

「無茶言うなぁ。……良いよ、勿論だ」

 

 湖底へ穢れを潜り込ませる。使()()()は奔迹や今潮を見て覚えた。

 もしかしたら輝術もこうやって使うのかもしれないけれど、今はどうでもいい。

 

 それは両手のように。

 瑤湖の液体を──全て、掬い上げる。

 

 あとに残ったのは……一人の少女。

 

「これで言葉は交わせるか?」

「……うん」

「そうか。ただまぁ、聞くべきことは一つだけだ」

 

 果てしなく重い液体。もし穢れがあの液体に変換され、穴でも開いたら大惨事だろう。

 直感でわかる。あれは本当に、あらゆるものを溶かす「ナニカ」だ。

 

「もう、いいか?」

「あなたがあの人を、助けてくれるのなら」

「約束する」

 

 その願いが、「外に出たい」ではないのなら。

 

「あたしの想い(穢れ)、受け取って」

 

 瞬時、あれほど重かった液体が雲散霧消する。

 代わりに膨れあがるは穢れ。そして……強い強い魂。幽鬼。

 

 穢れは吸い込み、幽鬼は……使う。

 

「大丈夫。玻璃にはもう、家族がいるから」

 

 だから、と。

 いや、もうわかるだろう、と。

 

 振り返る。

 そこには数十名の鬼が()を行っていた。

 

「言わなくてもわかるのか」

「はい。一度、御身を煩わせてしまった身であれば」

「"八千年前の組成"は事故のようなものだがな。……名を遺すか?」

「いいえ。それは誰かが……私達を想う、酔狂な誰かが、遺すでしょう」

 

 ここにいる鬼の男女は、「外に出たい」という願いを有していない鬼だ。

 既に目的を叶えた鬼。もう叶わないと悟った鬼。そして鬼子母神に報いたいという鬼。

 

 代わるか、媧。

 

 ──否。全てを言葉にする必要はない。

 

 そうか。

 

「ならば寄越せ、お前達の信念。私が使ってやる。全てのもののために」

 

 穢れが攫う。穢れで浚う。

 濃度の高い穢れは彼ら彼女らの身を薙いで……その内側の穢れを根こそぎ奪い取った。

 そうなれば鬼は、鬼として在れなくなる。

 幽鬼となる。

 

 鬼とは幽鬼が「信念(穢れ)」を被ったものなれば。

 

 そしてその全員を、使う。消費する。変換する。

 

 時間にして三十秒もない。

 数十名の鬼が……一瞬で消え去った。

 

「して! 残る鬼は全て、これより先の戦にて戦意を示すものと見るが、良いのだな!」

「当然にございます」

「結果的にヒトを守る結果となろう。それを良しとするのだな、奥多徳! お前達を人という社会から追放したものもいようが──関係なく戦えると!」

「今更気にしないよ~。なんせ俺は、あ! さ、流離いの」

「なればこれより天遷逢までは、何もするな。力を蓄えろ。世界の外へ出たその瞬間、お前達はお前達に力を与えた者と戦うことになる。……あぁ、一応言っておくか」

 

 挑発的に笑って。

 

「逃げても構わんから、気楽にやれよ」

 

 その"時"まで、あと少し──。

 

 

 

 帰宅……帰城? した。

 

「戻ったぞー……っと、待った!」

「ぬ」

「う」

 

 近づいてこようとした二人を止める。

 

「膨大な穢れの中にいて、今もその力の一端で飛んできたからな。どう考えても穢れている。……ので、私は湯を浴む」

「じゃあ私も入る」

「では私も入ろう」

「言うと思ったがダメだ。ちょっと今日は一人で入りたい気分だからな」

 

 そうまで言えば、二人は諦める。

 よーし。

 

「なんて引き下がると思った?」

「え?」

「一人で入りたい気分など、何か落ち込むことでもあったのだろう。もう悩ませんぞ」

「ぁえ?」

 

 ……連行された。

 グレイみたいに。

 

 

 カポン……は当然鳴らないとして。

 三人でお湯に浸かる。

 

「一人で入りたい気分だったのだが」

「だから、なぜそうなったのかを話せ。……鬼達と何かをしてきたのだろう?」

「崑蘊の方で膨大な穢れを感知した。そして祆蘭が穢れ塗れで帰ってきた。飛べもしないのに。何かあった以外の何物でもない」

 

 いやあったけど。

 良いじゃん一人の時間くらい。

 

「……外に出たい。その願いを持つ鬼以外を……殺してきた」

「嘘吐き」

「嘘だな。大方、代わりに背負ってきたとかその辺りだろう。……そうか。外に、か」

 

 丁度いい機会ではある、か。

 

「御前試合のあと、お前は……青清君は気絶していたから聞けていなかったが……最早流れとして"そう"なっている現状を、どう思っているんだ」

「世界の外に出たいかどうか、という話か」

「ああ」

「……わからぬよ。恐らく大半の輝術師がそうだろう」

 

 やっぱり、そうだよな。

 張衡(ヂャンホン)一派だって、やっぱり間違いじゃないんだ。

 この世を楽園に思えば……初期化さえ乗り越えられる力があれば、ここは楽園でもあり続けられる。

 

「だが聞けば、この世は原初からこの姿だったそうではないか」

「ん……ああ、三古厥のことか」

「というか、文化の話だ。……私が面白い工芸品や芸術を愛しているのは依然として変わっておらぬ。だが、この世が閉じたままでは、この世にいたままでは……世界は進まないのだろう?」

「まぁ、私がいなければ、な。私の寿命は楽土より帰りし神子ということもあって多少長いはずだから、そこに期待するという手も無きにしも非ずだが」

「お前が進ませなければ進まない世界になど居たくはない。というか……私も思いつきたい。ずるい」

「それはそう。私も思いつきたい。何かを作ろうと思うと、すぐに思考が逸れる。魔方(ムーファン)とか、智慧の輪とか、磁砂板とか。……もちろんすべてを自分で、は無理だけど、私だって新しいものを何か作ってみたいと思うようになっている」

 

 そんな子供みたいな。

 ……子供か、二人とも。少なくとも想像する、という力においては。

 

「そもそも祆蘭、実は隠している工芸が沢山あるでしょ。作ろうとしてやめたものとか、今じゃない、として諦めたものとか」

「それなりにはある。九歳女児が思いつく範囲のものしか作っていないからな、私は」

「なんだと。……一年契約を半年にしたのだ。天遷逢までの残りの日数、全てそういうものを作るのに費やせ」

「おい、自分で作りたいんじゃなかったのか」

「お前の頭の中にあるということは既存のものということであろう!」

 

 ワーワーギャーギャー。

 とても大の大人がやるべきではない騒ぎ方をしながら……まぁ、なんだ。

 

 何かを埋め合うように、じゃれる。

 

「……正直に話せ」

「なんだ唐突に」

()()()()()()()()()()?」

「そんなことはないさ。でなければ残りの日数云々、なぞ言わん」

「ゆっくりできるのが、最後。そういう話」

 

 ……ちぇ。

 なんだ、揃いも揃って。

 

「ま、そうだよ。明日から私は天染峰全土にいる幽鬼を探して回る。海底にいる者も、山間にいる者も、害ある幽鬼もない幽鬼も、全てを使う必要がある。そのため、鬼達には待機を命じたし、新帝同盟には準備を整えるよう言ってある」

「私との逢瀬はどうする」

「え、成立したの? ……あ、だから恋が成就した男女が初めにすること、なんて聞いてきたんだ」

「珍しく察しが悪いな」

「男女が、と聞いてきたし、祆蘭が青清君に頷くと思ってな──……なんでもない」

「どうした祭唄。言葉は最後まで言い切った方がよいぞ。うん?」

「わかった。わかりました。そろそろ揶揄うのはやめます。……だからあの、上限になり切らない情報を明滅的に送ってくるの、やめてください」

 

 なんかエグい報復があったらしい。

 緊張感ないなー、本当に。

 

「……一応聞くが、祭唄」

「私が祆蘭に恋をしているか、でしょ」

「む、う……。ほ、ほら。前に……愚かな言葉を吐いた私を、お前は強く糾弾しただろう。あれを考えると、お前も……」

「無い。憧れはあるし、友情もある。でもそれは別物。あらゆる感情を恋愛に結びつけたがるのは、恋愛初學者の証」

「もしくは恋愛とは呼べない経験をし過ぎた"ヒトの成れの果て"とでも呼ぶべき中年の証だな」

 

 酒の席ですぐそういう話をするおっさんは大体そう。

 なおおっさんだけでなくおばさんもする模様。むしろおばさんの方が多かったりする。だーから酒は。

 

「女子会の時にも言ったけど、私は普通に男性が好き。あ、でも進史様は好みじゃない」

「まー、好みは人それぞれだからなー」

「進史……何の脈絡もなく……さすがに可哀想だ……」

 

 さて、話を戻そう。

 

「ということで、明日からは全国漫遊の旅が始まる。いつ広がるかわからん穢れの塊が天染峰全土へ行くことはもう周知済みだから、まぁ何もわかっていない平民が武器を手に突撃して来ることがあるかもしれないくらいの平和な旅だ。──ついてくるか?」

「勿論」

「当然だ。──そして、これは私と祆蘭の逢瀬。恋心がないのなら空気は読め、祭唄よ」

「はいはい。要所要所では外してあげるから、頑張って」

 

 その後、またちょっとじゃれ合って。

 湯を出た後は、三人仲良く川の字で眠るのであった、とか。

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