女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
この世界の州、その色分けは単なる区分だ。
五行思想のそれではない。……ただ、五という数字は存在している。気がする。
「木、火、水、土、風……ううん」
五行思想であれば、木、火、水、土、金であるはずなのだ。
それがそうなっていない……上に、方角も何も無い天染峰。だとして、この「風に秀でる」に何の意味も無いとは考え難い。
別になんでもよかったのだろうに、わざわざ風にした理由はなんだ。
考えに考えて……私が今まで遭遇した事件を書き出してみることにした。
日本語で、だ。だからある程度は祭唄にも読めるだろうけど、別に構いやしない。
あの時。巨虎を殺す時、無意識に浮かんだ考え。
氏族が一枚岩ではない、という考えが……妙に脳裏をちらついて仕方がない。
「まず、穢れ。『穢れ』であると考える」
「いきなり穢れなの? 輝術は?」
「輝術は神族の力だ。今考えているのは別軸でな」
なお、もう当然のように祭唄がいる。前回良いとこ無しで終わった、と考えているのか、鈴李共々「何か役に立ちたい!」という顔をしているけれど、これは私の思考整理なのでどうにもならないと思う。
「次に月。これも『月』と置ける」
「……見て、祆蘭」
「ん?」
久方振りに見るマグネットボード。そこには漢字で『月織』と書かれていた。
いや、織の字をしっかり書くことができているのはすごい……んだけどさ。
「祭唄。構って欲しいのはわかるが、今は静観せよ」
「う」
鈴李の方が大人だった。彼女は彼女で私の書く日本語を興味深そうに見ているけれど。
「だとすれば太陽は『太陽』だろう」
これらが天遷逢における構成要素。
さらにここへ、『雲』と『尾』を書き足す。
「初期化や世界結界は全体のものと考えて……やはり五つ。これが本来の……」
一枚岩ではない。ただの一族。
尾の出現は過誤で、雲も月も太陽も簡単に日和る。穢れには穢れの干渉……多分私が一瞬でも氏族化した時のあの思考がそう。
「この五存在が、天染峰に手を出してきている氏族。……当てはめるのなら」
簡単に札を作る。『木』、『火』、『水』、『土』、『風』と、『穢れ』、『太陽』、『月』、『尾』、『雲』の札だ。
これらがそれぞれに対応するとしたら。
「……『尾』は、『木』?」
「どうしてそう思う?」
「地面から出てきたから」
ああ。……確かに。
まぁ今は何の手がかりもないからな、仮置きでいい。『尾』と『木』をペアにする。それを『黒』のエリアに置く。黒州だから。
「なら、風は太陽か月、か?」
「『雲』かも」
「候補が沢山あるものは除外する。消去法で考えればいい。次、『火』」
「『火』は……なんだろう。対応するものがないように思う」
「この中にはなさそうだな」
「ん、なんでだ。『太陽』など最たる例だろう」
「……?」
不思議そうな顔をする二人。
ん……なんだ。
「なんで太陽が火なの~?」
「そりゃ燃えてるから……って、夜雀! 入ってきたら危ないぞ」
「もう今更でしょ。……この前のことで自分が自分じゃなくなったのは自覚してるよ。これが……あの時言ってた覚悟の一部なんでしょ。……で、まぁ、その辺りのこと詳しく聞くのは怖いから、一旦おいておく。その上で教えて。なんで太陽が火なの?」
度胸があるんだかないんだか……。
まぁいい。漏れる兆候があったら全開の威圧で浄化すると共に、祭唄と鈴李に彼女を持っていかせれば……って。
「なんで進史さんと蜜祆さんまで入ってくるんだ……」
「今更、だからな。加えて頭脳労働であれば、私達も負けはしない」
「そうそう! 水臭いですよ小祆。私達知らない仲じゃないんだし、協力させてください」
いや、守る者が増えれば増えるほど……って。
一切気にしていない様子の鈴李と祭唄。もしかして、覚悟が足りていないのは私だけか、これ。
「はぁ。……わかった。……。話を続けるがな、太陽とは燃えているものだ。燃えている天体。それが……」
「燃えていないぞ、あれは」
確かに。
……確かにそうだ。
地球と同じ太陽じゃないんだ。灼熱の火の玉、じゃない。というかもしそうなら蘆元と作った合金雲砲弾なんかジュッだっただろう。
「火はどれにも対応しない……?」
「尾以外は対応するものがない、あるいはあり過ぎるように見えるな」
「港育ちからの意見を言わせて貰うなら~、木は雲かな、と思いますね」
「木が雲? なんで?」
「植物は水で育ちますから。けど、こっちの札と同じ札は対応させられないっていうんなら、やはり雨を降らせてくれる雲が木と対応するかと」
もう一組札を作る。
そして『木』と『雲』をペアにして、黒のエリアに置いた。
「じゃあ、火は穢れとか? 鬼火の印象が強いし!」
「あぁ、確かにな。穢れは燃えるし、燃やすものか」
言われてみれば、だ。『火』と『穢れ』を赤のエリアに。
「『水』は『月』かもしれない。……どちらも、透明。見た目は違うけど」
「へぇ、あれって透明なんですねぇ」
良い調子だ。仮置きだからな、案出しは自由にしてほしい。
札……頑なに漢字しか口にしない祭唄に苦笑しながら、『水』と『月』をペアに、青のエリアに置く。
「蜜祆の言う通りなら、土は尾、になるか? ……まぁ土から生えてきたものではあるが」
「そうなると風が太陽? うーん、なんか……しっくりこないねー」
確かにしっくりはこない。
来ないけれど、何かが引っかかった。
「『風』が『太陽』……」
口に出しながら、その札の組み合わせを黄のエリアに置く。
……なんだ? 私は今何に引っかかっている。
「『風』……風は、何に言い換えられる? ……空気?」
「ふむ。風といえば、か」
「寒い!」
「押し戻される」
「斬撃、ですかね?」
それはそうなんだけど。いや最後のは違うと思うけど。
そうじゃなくて。
「……空、か?」
顔を上げる。
言葉を発したのは進史さんだ。
「風が空。ほう、中々詩的ではないか、進史」
「いえ……その、私の出自的に、そう思う部分がありまして」
「そういえば
「だから
あまり聞かなくなった要人護衛の二人か。
いや、申し訳ないけれどそんなことよりもだ。
空。
「『空』が『太陽』……は、しっくりくる」
「確かに。それならしっくりくる」
「祭唄、今小祆はなんて?」
「空が太陽なら、と言った」
「あぁ~」
改めて『空』の札を作り、『太陽』とセットにして……色味ではなく、位置として一番上に置く。
「……『五行思想じゃ、ない』」
違う。これは……違う。
色味は適当だと、間違っただけだと。
つまり氏族にとって色味がなんでもよかったとするのなら。
あるいは、本来意味のある色があって、けれどそれが天染峰の位置に関係ないとするのなら。
「……『空が太陽。木は雲……豊穣? 火が穢れで、争い……水が月……むしろこっちが豊穣で、なら木こそが死……いいえ、再生。最後に土が尾で死。わかりやすく……』」
「難しい。……空は太陽。木は雲で再生を意味する。火が穢れで争いを意味し、水が月で豊穣を、土が尾で死を意味する。……合ってる?」
「『少し待って。今、考えを纏めている最中だから。……私は知っている。この区分けを。でも、だとすると色味は……』……青清君!」
「ぬ、お、おお。どうした」
脳内の考えを飛ばさないように浮かべ、別の思考を起動する。
思い出すのは才華競演だ。あれで聞いた言葉に違和感を持った。
「才華競演の時、私が聞き慣れないと言った楽器。全て挙げてくれ」
「よくわからぬが、わかった。あの時お前が聞き慣れぬと言った楽器類だな。それぞれ、
「……! 『先入観を外して聞けば、カーヌーン、ウード、ナーイ、ダラブッカ、タールにしか聞こえない。あぁ、音に合わせて漢字を当てはめる方法の翻訳が仇になった……そして、それなら』」
極めつけは、
鬼達のことをそう呼ぶ媧。
いや、だから、巨虎は真実スフィンクスで、なれば光閉峰とは。
「祆蘭、祆蘭。無理、そこまでは翻訳できない。まだ学び終えていない」
「『ごめんね、祭唄。もう少しだけ考えさせて』」
知っている。これに当てはまる神話を。
もう答えのようなものだけど。
「『エジプト神話……ああ、だから同音異義語が沢山あるの? ダイグラフィアの……』」
脳裏だけじゃない。周囲全てが情報に見えてくる。
神族と氏族の関係性。他は適当……解像度が低いのに、言語に関してだけは並々ならぬこだわりを感じる「作り」。
剣気。威圧。
「……理解した」
「何を……? 後半、全く聞き取れなかった」
「なぜ初期化が起きないのか。なぜ氏族は私に"次点の決定権"などというものを渡しているのか」
「して、その理由とは?」
どうやら彼らは。
「私を墓守にしたいらしい。奇しくも策が被ったな。フン、墓を暴いて荒らす墓守がいるかどうかは知らんが」
古代エジプト語……セム、あるいはコプトから類推すると、恐らくは、だ。
私の拙い……というか観光で覚えた現地語の、さらに「今そんなの誰も使ってないよ」と言われた言葉からの推察なので正しさは知らん。
けれどしっくりきた。来てしまった。
あるいは媧の与えられた役割もそうだったのかもしれないが……。
「祆蘭」
「ん?」
「智慧をな、出し合ったのだ」
「ああ、ありが──」
「どういう思考を経てその結論に至ったのかくらい、教えろ。無論私達がわからぬ部分も多いだろうが、それでも何も説明せずに己だけで納得するのはやめろ」
あー。
「……祭唄、出来得る限りの翻訳を頼む」
「が……頑張る」
大分無理があると思うけど、頑張って。
久方ぶりに自己へ没入する。
そんなに久しぶりでもないか。自分から来たのが久しぶりなだけで。
「燧」
「開口一番、何かな」
「お前、知っていたな。氏族が何者か」
「……」
「あと、最近姿を見ていないが、伏も知っていたのだろう。逆に顕、媧、祝は知らなかった。そうだな?」
その顔面が横合いから殴られた。
「知っていることを吐け、燧。思わせぶりな態度を取るなこの役立たず」
「……それを言うのなら、君だってそうだよ媧。氏族にある程度の知識は渡されているんだろう? 奥多徳の意味とか、教えてあげればよかったじゃないか」
「それは……」
喧嘩っ早くていかんな。
話が進まん。
「二人を拘束するぞよ?」
「できるのか?」
「勿論じゃ! 華胥の一族の中でなら、吾が一番戦闘に長けているぞよ。えいっ」
えいっ、と。
業火が火の玉幼女から吹き出し……取っ組み合いの喧嘩をする二人を掴んで引き剥がし、持ってくる。
……。いやこの世界怪我とかしないからアレだけど。
絵面よ。
「何をする、祝」
「熱くはないけれど、自由がないのは嫌だねぇ」
「愛し子がこの世界に来たのには理由があるのじゃろうし、吾らが無駄な諍いを起こしてその時間を奪うのはどうなのじゃ? と思ったまでぞよ」
「──……! ……おい、燧。私の感情が伝わるか」
「ああ、私も驚いているよ。いつも余計な時に出てきて、本来は言ってはいけないことや言わない方がいいことしか言わない祝が……ここまで。私は嬉しく思うよ、我が子の成長を見ているようだ」
「熱くないじゃろうけど、炎を体内や眼球の中にいれることも可能ぞよ?」
温順しくなった。
ちゃんと嫌なんだ。
「それで……まぁ、黙っていたことは、確かに多かったね。けれどその確認に何か意味があるのかい?」
「いや、素直に話すかどうかを試しただけだ。……最後の一人の居場所を言え。
「前にも行ったけど、蚩は伏と同じで誰の中に入らずとも活動できる。だから、どこかにいるんじゃないかな」
「感じ取れないのか?」
「無理だね。私達は対等。だからこそ互いの居場所はわからない」
……。
……そんなこと、あるか?
「媧、祝。お前達はどうなんだ」
「すまぬ……真の役立たずは、私やもしれぬ。……もう何もわからんのだ」
「吾もわからぬぞよ。ただ、輝術師の感知できる範囲にいれば必ずわかるのじゃ。逆に言えば」
「輝術師のいない空間にいる、と。……だが、世界全土には既に凛凛の継草が根を張っている。ほぼ世界全土を感知できていると言っていいはず」
だとすると……遮光鉱に閉じ込められている、とか?
遮光鉱。遮光鉱か。
「……そういえば、遮光鉱関連で一つ不可解なことがあったな」
「なんだ。これでも歳だけは重ねている。疑問は私に聞け、解消してやろう」
「お、おお。そこまでがっつかなくともいいのだが。……いやな、御前試合があっただろう」
あの時。
鈴李に勝った時……というか烈豊が棄権し、全州君が私を新帝と認めた時の話だ。
「私が新帝とされた瞬間、黄金城が浮かび上がった。……あれはなんだ?」
「何、とは?」
「……」
「あ! 燧がだんまりじゃ! こやつ何か知っておるぞ!!」
だろうな。
「あの時、周囲の輝術師たちは"世界が私を新帝だと認めた"、"だから浮層岩が浮かび上がった"などと言っていた。……が、この世界が私を新帝として祝福する、というのは……まずあり得んだろう」
「まぁ……そうだな。言われてみればそうだ」
「愛し子は"次点の絶対決定権"とやらがあるのじゃし、祝福もあり得るのではないか? のじゃ?」
「あり得ないよ。そんな細かいことをしてくれる奴らじゃないからね」
そうだ。御前試合自体把握していなかったはずだ。
だとするのならば、あれは世界の祝福などではなく。
「そもそも、浮層岩は巨大な遮光鉱。だが、浮いているのは輝術によるものだと誰もが知っていた。しかし誰が浮かせているのかは問うても誰も答えてくれなかった。──知識として知っていても、下手人を知らない。そういう現象に心当たりがある」
「あー」
「私と顕と伏。少し見せすぎたかな」
そうだ。
「どれの中なのか、あるいは全ての中にいるのか、はわからんが……城を浮かせているのが蚩。そうだな、燧」
「……参った」
「参った、ではない! なぜ隠していたのだ!」
「本人たっての希望だからね。彼女が己で辿り着くまでは言わないでほしいと頼まれていたんだ」
「そこの"なぜ"は、本人から聞け、ということでいいか?」
「良いと思うよ。……そして、そうだね。今まで役立たずだった分も兼ねて……蚩のところへ繋がる道を開いてあげよう。丁度城にいるんだ、良い機会だよ」
確かに。
廟にいたら……できなかったことか。
祝に目配せをすると、彼女は燧を離してくれた。……媧はなぜか掴んだままに。
ちゃぷ、と……水音が鳴る。
水?
「開いたよ。蚩のいるところへ行ける隧道だ」
「……心象世界から行くのか?」
「むしろここからしか行けないかな。私が君の中に入ったのは、これが理由でもあるから」
「吾も久方振りに蚩と会いたいぞよ」
「それは後で、だ。……祆蘭。彼は少しばかり気難しいところがある。……君が私達を外に出してくれる存在だと知って尚、頑なに接触してこなかった。それを鑑みればわかるだろう」
「ああ。だが、新帝と認められた時にそこにいることを主張した。話の通じない相手ではないと考えている」
言葉に。
……全員が、目を逸らす。……え、そんなに?
ま、まぁ。気を取り直して行こう。
「祆蘭。蚩は戦好きだ。……事と次第によっては戦いになる。心象世界では傷を負うことはないが、疲弊はする。……気を付けろ」
「ん、助言感謝するよ」
じゃ。
行ってきますか。
暗い道を歩く。
真っ暗な道だ。足元も覚束ないような、というか道になっているかどうかすら怪しい場所。
時折見えるのは鬼火にも似た青白い火の粉。それが辛うじての明るさを保ってくれている。
「別にこのまま歩き続けるのもいいのだが、そういう距離や時間とは無縁の世界だろう、ここは」
声を響かせても……何も返って来ない。
頑固者タイプか。
歩く。歩き続ける。
周囲の景色が変わることはなく、明暗さえも変わらない。
けれど、振り向かずに歩く。……振り向いたその瞬間に攻撃してくるか、一歩下がると目的地に着くか。
ファンタジー知識がそういう邪魔な思考を入れてくるけれど……戦好きなんだろ?
そこまでの卑怯を好むかね。
まぁ卑怯こそが戦の道という考えもあるが。
歩く。歩く。歩く歩く歩く歩く歩く歩く。
走ることはしない。止まることもなしない。
ただただ、ひたすらに……。
歩く。
「……馬鹿の一つ覚えも大概にシロ」
「ん、なんだ。堪え性勝負では私の勝ちだな」
「燧が余計なことを言ったノカ。別にオレは勝負好きというわけではナイ」
姿は見えないままだ。
声は……男声だけど、少し高め。虫の軋りのない笈溌の声に似ている。
「用件を言え、我らの寵愛を受けるモノ」
「最後の最後まで姿を現さんのは不気味だし、私の脳内翻訳を考えるとどこかで裏切ってきそうだ、と思ってな。先にケリを付けに来た」
「……面白いことをいうもノダ。ウレはオレ達を世界の外に出すのだロウ。裏切る要素がナイ」
「だがお前、鬼は嫌いだろう?」
ピリッと来た。
剣気だな。一瞬で抑えたたようだけど、方向はわかった。
「お前はこう考えている。閉じ込められた己らとは違い、同一因子とはいえこの世に生を受けた者達。それがこの世の枠組みを気に入らず、しかし普通の生き方を望めずに鬼などという超常の力を手にした存在。それらがなぜ私の力を借りて外に出るなどという──くだらない考えを吐けるのか、と」
「妄想ダナ。そんなことを言った覚えはナイ」
「そしてこうも考えている。そもそも矮小な人間に外へ出してもらう、などという考えが甘い。燧も祝も媧も顕も伏も、お前以外の全員が甘っちょろくなった。同一因子に意識を熔かした他の神族もまた、だ」
「素晴らしい想像力ダナ。物語でも書けばいいんじゃなイカ」
「生憎と読み書きはできなくてな。──さて、そう考えたお前は、けれど矜持も高かった。だから燧に頼んだのだろう? 私がお前に辿り着けぬようなら用は無い。外に出る、などという企みを、浮層岩を用いて潰してやろう、と。浮層岩の謎を放っておくままに外へ出ようとする者などたかが知れているしな」
私が向かってきているのがわかったからだろう。
もう隠さずに……ビリビリと、激しい剣気を叩きつけてきている蚩。
「お前が私に興味を持ったのは、半年前。私は浮層岩へ話しかけたつもりだったが……言葉はお前に届いた。そうだろう?」
モビールを作った時だ。
もしかしてお前もなのか、と。私は明確な意思を以て話しかけた。
「それからずっと見ていただろう。浮層岩の中から、私の行動をずっと」
「証拠はあるノカ、その言葉」
「無いが、何か問題でもあるのか」
「何もないというのナラ、謂れの無い因縁をつけられることを良しとはしナイ」
「良しとはしないのならどうする、戦好き」
無論、と。
声は──正面から聞こえた。
「追い返すまデダ。──ウレよ、己が名の意味を知る者ヨ。ここまで来たのなら、黙っていないでそろそろ名乗るがイイ」
「氏族の目の届かぬ心象世界であれば嬉々として明かしたのだがな。ここは半分ほど浮層岩の中だろう。──だが、賭けをしないか、蚩」
「賭ケ?」
暗闇の中にいた。いる。いるのは……黒だ。
黒い光を放つ、何か。身体は人の形をしているけれど、顔は牛のようで、全身のあちこちに金属が埋め込まれているように見える。
異質。今までの華胥の一族を見ても、あまりにも。
「賭けだ。お前が勝てば私が名乗ろう。私が勝てばお前に聞きたいことを聞く」
「裏切らせぬよう隷属さセル、ではなクカ?」
「負けた相手に大人しく従わないのか、兵主神」
知っているさ。
鬼子母神と同じくらいには有名だぞ、お前は。
……そういう意味では媧もちょっとは知っていたんだけど。
剣気を叩きつける。相手の剣気を押し流す勢いで、だ。
「……!」
「どうした。今までの私を見ていたのなら、知っているだろう」
「そのようなことはしていなイガ──荷鲁斯との戦い以来ダ、この高揚感ハ!」
「それは光栄なことで。──精々、名に負けぬ戦いをしてやろう」
右手にトンカチ。左手に包帯と鋸。
心象世界なので輝術的意味合いはないけれど、これが私だ。
対し、蚩の持つ武器は矛。対処法は、知らんな!
「カカ、カカカ! オレはウレをサニウエンと呼ブガ、構わヌナ!」
「なんでも良いさ──」
正面から、ぶつかり合う。
矛とトンカチ。その切っ先をくぎ抜きの部分で受け止めて、捻る。
予想以上の力だったのか、そんな簡単なことで体勢を崩す蚩。けれどその直後、蹴りを放ってきた。
「ッ……全く間に合わんか!」
蹴りを放ったのは見えたけれど、鋸は間に合わなかった。加えてなんだあれ、鳥の蹄?
おかげで腹を掻っ捌かれたような痛みを覚えたよ。
「カカ! ここなるは心象世界! 祝の甘さのない世界ダ! そう簡単ニ──」
「行くとは思ってないさ!」
不安定な体勢から前転し、その足を鋸で薙ぐ。
ザラザラした脛を撫でる鋸の歯。……ダメージになった様子はない。
またも蹴りが来たけど、今回は防御を間に合わせる。ただし、蹴り上げられたのでそのまま蹴り飛ばされ──。
「心象世界なレド、首を断たれる痛みに耐えられルカ」
仰向けになった体の喉笛に、彼の矛が振り下ろされた。
地面に叩きつけられる。……まぁ、痛いが。
それで……なんだ。
「なぜ追撃せん」
「ム」
「死なぬとわかっているのだ。精神を疲弊させて追い出す以外、相手に勝つ道筋はない。……首を叩き折られる程度の痛みで私が退くとでも」
「意気や良シ!」
反応は欠片もできなかった。
刺さる。眼球に、鳥の蹄が。そのまま口へも蹄が入って……ぐちゅ、と潰される音がした。
だから、掴む。私の顔を掴む足を掴む。
そして膝窩を狙い、鋸を宛がい……その切断を狙う。
「ぎ、ィィイ!?」
「なんだ……神族。何を痛がっている」
思わず、と言った様子で私の顔を離す蚩。けれど私は離さない。この足を千切るまで、握る手を離すつもりは無い。
むしろ蹄を気にせず腹へと抱え込み、太ももの部分にトンカチを突き入れる。
「心象世界。精神世界。夢幻。ああ、言葉はなんでもよかろう。──死なぬのだ。怪我をしないのだ。──ここでなら、真に命数尽き果てるまでの殺し合いができよう」
「な……ンダ、ウレ! 痛みを感じていないわけではないだロウ! オレは見ていタゾ、サニウエン! 各地で怪我を負うウレの姿ヲ! ──痛みも、疲労も、嫌いだロウ!!」
「応ともさ。嫌いだよ。戦闘など基本、労力に見合わん報酬しか得られん。時には代償しか得られん時もある。痛むことも疲れることも大嫌いで仕方がないが──」
ギコギコと。
膝窩から入る……侵入していく鋸の刃。
「道理無き縄張り争いであるのならば、死してやるのは摂理ではない。──元からそうだ。お前は聞いていたはずだ」
私が動いたところでどうにもならなくとも、私がわからないのが嫌だから、モヤモヤするから動いた。
私が関わらずともどうとでもなることでも、私が関わっていないことそのものが嫌で、関わった。
私がやらずとも誰かがやってくれるだろうことだろうと、私がやりたくてやった。やってきた。
「縄張り争いだぞ、これは。私は私の摂理を信じ、全てを外へと導く。お前がそれを阻むというのなら、全霊を持って打ち砕かねばならん」
骨にまで達した……という段階で、もう片方の蹄からの蹴りが来た。
両腕を使っているから、何度も何度も食らう。顔面に、蹄による蹴りを食らい続ける。
眼球に開いた穴はいくつか。そもそも眼光にその球体は嵌っているのが。
鼻や口は裂けていないか。耳はついているか。額や脳は無事か。
私に今、首はついているのか。
「もっと苛烈で在れよ、神族……!」
斬る。斬る。斬る。
土台無理な体勢で、膝窩から先を……鋸で斬り落とす。
「もっと異常で在れよ……」
「ウレは──サニウエン、ウレは、なぜそこマデ!」
「言語を扱う余裕があるのなら、戦いに集中──」
「──傷つきたガル!?」
……不覚。
言われた内容に驚きすぎて、手を離してしまった。
もうちょっとで斬れたのに。
「何を言っているのかさっぱりだ。……怪我もしないのか、この空間。『リアリティ』に欠けるな」
「見てイタ。ああ、見ていタゾ。ウレは……戦いに身を投ズ。戦えもしないくセニ!」
踏み込む。踏み込んで切り上げを行う……けれど、矛によって止められた。
「なゼダ! 戦いを好ましく思っていないノニ、なぜウレは戦禍に身を投ズ! 周囲の心配を見て見ぬふりヲシ、より傷つく道を選ブ! なゼダ、サニウエン!!」
身体を回転させ、裏拳気味にトンカチを叩き込む。
その牛面にハンマーが当たった……けれど、大したダメージにはなっていない。
やはり鋸の歯くらいでしか無理か。
「問いかケニ」
「まぁ。……命数尽き果てるまで抗いたいから、だろうな」
それは、まぁ。
本当の……根っこの部分の、言い訳。
「やる気のない生だった。生まれと育ちと終わりと終わりの後。どれもが"不都合"だったとは言うが、最も不都合だったのは己自身だ。……私はもっとやる気を出して生きるべきだった。親友やその妻のように。華々しく輝いていた友人たちのように。あるいは私を邪険に扱った両親のように。──もっと、もっと、もっと……感情を発露するべきだった」
知らなかった。死ぬまで……その死の瞬間でさえも。
感情を動かすことが、どれほど楽しいことなのかを。
こちらの世界に生まれ直してから、ようやく掴んだんだ。
「私が動くことで何かが変わるのなら、積極的に動きたい。私が傷つくことで何かが動くなら、積極的に戦いたい。何度も何度も口癖のように言う"命数尽き果てるまで戦う"は……そうなりたいが故の願望だ。そうなるほどの窮地を味わいたい。そうでなくては生まれ直した意味がない。このまま上手く策が運んで、鬼も神も人々も外に出して、では、私はどうなる。私の最後はどうなる」
命数尽き果てるまで戦える瞬間は、いつ来るんだ。
「別に戦闘狂ってわけじゃないさ。それ以外の物事で感動できるのならそれでもいい。だからモノ作りには時折心を動かされていたし、この世の真実には逆方向にでも心が動いていた。……手っ取り早いってだけだよ、戦いは。他の何かが、私を、私でなくしてくれるのなら──」
「なラバ」
言葉は、最後まで紡がせてはもらえなかった。
急に冷静になった蚩が……言葉を紡いだから。
「ウレを想う者を無視すルナ。ウレが剃刀とやらで削ぎ落とすべキハ、あちらではナク、こちラダ」
ぴんっ、と。
デコピンを受けて。
私は、目を覚ました。