女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百八話「上塗り」

 月織(ユェヂー)と旅をすること三日目。

 道中の休憩やら野盗の襲撃やら乗り越えて、ようやくクンユンなる山に着いた。

 とはいえ山越えは然したる支障にはならず。というのも幽鬼である月織がしっかりと危機察知をしてくれるので、想像以上にスムーズな進行に。ワニ……大赤というらしいソイツの居場所も普通に知っていたし。知っていたなら先に言え、とは思ったけど。

 

「しかし、結構いるな、幽鬼」

……(そうらしい)……(だが、皆自我が)

「ああ。お前のように明確な自我を持ち続けられる害のない幽鬼は少なかろうよ。……可哀想には思うが、使わせてもらおう」

 

 見つけた幽鬼の全てを消費していく。

 必要なことだからな。

 

 切り立った崖のようになっている箇所であろうと、先に月織が登ってから蔦で私を引き上げる、なんて連係までできるようになった。

 幽鬼ゆえに力持ち、というよりは私が軽いだけのようだけど。

 

 そうして迎えた山頂……に思うところなど欠片も無いので、下山する。

 山越えはな、下山が一番危ないんだ。基本的には月織に命綱……命蔦を持ってもらって、私が先に降りる。地が崩れたのならすぐさま跳躍し、引っ張り上げてもらって別の道を探す。

 下山……青州側に入ってから山の斜面が崩れやすくなっているように感じるのは……ただのプラシーボ効果か? 水に秀でるから、とか思ったけど、結局氏族の色分けでしかないのなら関係ないだろうし。

 

……(祆蘭)

「どうした」

……(これを見てほしい)

 

 もう少しで下山、というあたりで、月織に呼び止められる。

 なんだなんだ。綺麗な石とかだったら流石に殴り飛ばすぞ。

 

……(骨だ)

「骨? ……ああ、確かに。しかも人骨だな。……まぁ村八分なんぞ珍しくもないだろう」

 

 水生では無かったけど、ある村にはあってもおかしくなかろうて。

 でもまぁ埋めるまで行くのは用意周到だな。捨てる、だけでいいのに。野生動物が食べてくれるから。

 

「なんだ、供養でもしたいのか?」

……(この者は、いつ死したのか)

「お前はそればかりだな。……帝であった頃、他州の名も知らぬ村で誰かが飢え死にしたとして、あるいは殺されたとして、それを気に病むような性格だったのか?」

……(いいや。余は前と先ばかりを見ていたよ)……(見えぬものを見ようとは)……(しなかった)

「そういうものだ、人間なぞ。見えないものやことは存在しない。山の裏側で誰かが殺され埋められようと、赤州でそれらの事件は起こっていなかった。過去にあった事実はそれだけだ」

……(世界を出る)……(それが為された時)……(世界はより良くなると)……(そう思えるか、祆蘭)

「いいや」

 

 即答する。

 輝術の使えなくなった輝術師は途方に暮れるだろう。今まで虐げられてきたと……勝手な恨みを抱く平民は貴族らを襲うかもしれない。

 鬼だけに利益があるとも考えていない。氏族の意思を強く受ける鬼が、世界の外へ出た時にどうなるか。……知るものか。それくらいは自分でなんとかしろ。

 

 一つ言えるのは、世界結界のなくなったこの世で、初めに立ちあがった者が指導者となるのだろう、ということくらいかね。

 

「より酷い世になろうとも、その結果全ての憎しみが私へ向こうとも、それは摂理だし、道理だよ」

……(負う必要ない咎を)……(なぜ)

「今生こそは都合よくと決めたからだ」

 

 全ての憎しみが向くことを「不都合」だとは思っていない。

 ただそれだけの話。

 

……(貴女は強いな)

「強い弱いの話じゃない。どう在ろうとするかだ……なんて青臭い話をしていたら、来たぞ」

「……?」

 

 来た。ま、やはり、といったところか。

 ──雲海を越えた向こう。青宮城のある方向からこちらへ急接近してくる五つほどの人影。

 

「使い方は教えた通りだ。二番煎じだが、お前ならば生き延びて辿り着けると信じている」

「……」

 

 以前黒州でやった時と同じ。ただし今回糸を引くのは私になるが。

 さぁ──全力疾走の時間だ。少女の幽鬼と成人男性の幽鬼の重さがどう違うかだけが懸念点だが、まぁ落っこちたら落っこちたでなんとかするだろう。

 

 凧へ乗れ。そして雲の上を目指せ。

 合流がいつになるかは知らんが、必ずそこへ行こう。

 

「そして私は、その殺意を全て受け止めよう」

 

 急襲してくる輝術師。「目標発見!」みたいな声はない。伝達でやり取りをしているのだろう。

 殺意を受け止める、とは言ったけど……無いな。生け捕りにしろ、とか言われているのだろうか。それとも平民相手だから輝術を使おうとしないだけ? そもそも気付いていないと思われている?

 よくわからん……が、月織に意識が向くのはマズいので、五人全員へ剣気を当てる。

 

 直後斬撃の輝術が飛んできた。

 ……故意にしては狙いが甘い。驚いて放ってしまった、とかそんな感じか?

 

「青宮廷所属の遠征兵か、それとも輝霊院の調査員か!」

 

 声を上げて問いかければ、動揺が伝わってくる。

 御前試合の全てが記憶から抹消されていないのだとしたら、平民に輝術の知識があってもおかしくはない。ただしそこまで詳しく知られているとは思っていない。だからこそ図りあぐねている。そんな感じかね。

 

 なら。

 

「私の名は祆蘭! 元帝陽弥、及び黄征君。並びに各州の州君より新帝と名乗ることを認められた者!! ゆえ、青清君への言葉を伝えるよう──」

 

 言い切る前に攻撃が来た。

 今度は私を狙ってのもの。だから、避けるのではなく打ち払う。

 

「──それは新帝へ対する青州全ての敵意と見做すが、構わないのだろうな?」

「妄言はそこまでにしろ、平民。その新帝よりお前の人相における輝絵情報は全輝術師に伝わっている。新帝の寝床へ侵入し、何かを盗み出した罪も、だ! 青清君への言葉だと、敵意だと? ──笑わせるな。今や輝術師、いいや、平民の全てがお前の敵だ。敵意なぞ初めから」

「私が聞いているのは、お前にそのような権限があるのか、だ。新帝と青州の戦争を決める決定権がお前にあるというのならば良いが、そうでないというのなら下がれ」

「なんと粗野な言葉か……! ……もはや言葉も聞くに値せ──」

 

 威圧する。リーダー格らしき輝術師個人へ向けて──最大限の威圧を向ける。

 途中で言葉を止めた彼に、周囲の輝術師たちもおろおろとし始めた。……ああ、絞りが甘いのか?

 

「もう一度だけ聞くぞ、輝術師。──お前に、そのような権限が、あるのか」

 

 答えは。

 

「──屈するな!!」

 

 屈強な拳による一撃、だった。

 

 

 鋸でガードしつつ、後ろへ跳んで勢いを殺す。

 そのまま全力疾走を開始した。ピン、と伸びる糸に気を向けられないよう、その拳を放った男にも剣気を当てる。

 

 男。ああ、見覚えのある男だ。

 

劾瞬(フェァシュン)か。ハ、お前と戦うのは色々と思うところがあるな!」

「おお!? 俺を知る者か──それはそれは、元武官としては光栄だが!! 許せ! 俺はお前の子細を知らぬままに、お前を捕まえる! それが新帝の命なれば! そして新帝を騙る盗人が相手ならば、だ!!」

「相変わらずの大声だ。完全に恢復したようで安心したよ。しかし、まさか遠征兵だったとはな。輝霊院所属でないことは知っていたが……」

 

 拳と鋸が、拳とトンカチが激突する。

 といっても正面から受けることはない。全て往なす。受け流す。必要のない力を使うこと無く、時折吹き飛ばされることで速度と飛距離を稼ぐ。

 

 劾瞬に当てまいとしているのか、先程の輝術師五人が攻撃してくる様子はない。

 

「良い……良いな! 昔から子供は苦手だったが、お前のように強き者であれば──」

「往なしてばかりと油断するべきではないぞ、輝術師」

 

 突き出された拳。それに対し、往なすでも避けるでもなく、絡みつく。──そして、彼の脇に鋸を宛がい……大きく引き抜いた。

 いや、引き抜こうとした。

 

 空から降ってきた不可視の突撃を避ける必要があって、それを中断したのである。

 今のは……斬撃ほどの幅はないけれど、地面を見るに貫通力のあるもの。さしずめ輝術の槍か、千本かな。

 

「助かったぞ!」

「え!? あ、はい! そのように伝達と同時に叫ばれなくとも聞こえております!」

「ハハハ、気分だ! 許せ!!」

 

 何もしてこないわけじゃない。今みたいに止まったら攻撃が来る、か。

 しかし良いのか? 生け捕りにできる威力じゃなかったが。

 

「そうだ、名を聞いておこう!! これほどの武人に対し、盗人や罪人呼びは俺が嫌だ!」

「祆蘭だ。新帝と呼んでくれても構わんぞ」

「立場が無ければそう呼んでやっても良かったのだがな! 俺にも立場があり、何より友人に迷惑をかけることができぬ!! 許せ、祆蘭!」

「今更お前がどのような行動を取ったところで進史さんの顔が汚れることはなかろうに」

「ほう──進史のことまで知るか! ちまっこいとはいえ女だな! 進史のような顔は、お前さえ魅了するか!」

「莫迦者め、私から進史さんに向ける感情があるとしたら親心か友情くらいだ。世には恋愛感情以外の絡む関係性があるのだと理解しろ」

 

 糸を離す。無事、雲の上へと辿り着けたようだから。

 あとは私が死ななければいい話。あるいは捕まらなければ、か?

 

 捕まった方が青宮廷へは早く辿り着けそうだけど、青宮城へはどう頑張っても行けないだろうしなぁ。

 

「考え事か!?」

「ああ、どのようにして青宮城へ上がるかをな。劾瞬、お前はどう思う? 罪人、盗人と呼ばれている平民で、全輝術師から敵対されている私が青宮城へ辿り着く方法」

「む! むー……。……わからん! 何かあるやもしれんが、俺はそういう小難しいことを考えることに向いていないからな! そういうものは進史か」

周遠(ヂョウユェン)に、だろう?」

「わかっているではないか! ……しかし、もしや祆蘭お前……俺達──」

「第七十一期生の追っかけ、などではないから安心しろ」

 

 ふと、身を屈める。

 拳が来たわけでもない、輝術が飛んできたわけでもないけれど──私が頭の位置をずらした直後、柏手のような音がその場所で鳴った。

 

 今のは。

 

「避けるか! 素晴らしいな!」

「……輝夜術か? 誰が……って、ああ奕隣(イーリン)か。なんだあいつ、結局協力しているのか」

「知り合いか!?」

「ああ、今は一方的に、だがな。奕隣にも会いたいのだが、その様子をみるに結構な重要な人物になっていそうだな」

「無論だ! 輝夜術……俺には小難しくて使えぬが、一部貴族はものにし始めている! 唯一の伝道師とあらば、重要人物にもなろう!」

 

 となると、最悪奕隣も青宮城にいる可能性があるな。

 青宮廷にいてくれたらなぁ、やりようはあったのだけど……これは、月織に雲の上から糸を垂らしてもらう作戦を決行するしかないか?

 だとして雲の上からも結構な高さにあるんだよな、青宮城。

 

 大ぶりな拳や蹴り、その間に挟まる普通の輝術、威力は低いものの感知の難しい輝夜術を全て避けながら考える。

 ちなみに全然、全く、無傷ではない。掠り傷が至る所にできている。気にしていないだけだ。クリーンヒットは未だにないしな。

 

「……不思議だ!」

「ん、どうした突然」

「本気で殴ることができん! 俺の中の何かが……お前を殴ることに、躊躇いを見せている! なんだ、やはり俺とお前は知り合いか、祆蘭!」

「輝術師が誰かを忘れることなどあり得るのか?」

「いや、あり得ん! ……つまり気のせい、他人の空似か!」

「だろうよ。でなければ説明がつかんさ」

 

 だから。

 一切の受け流し、往なしをやめて……無防備になってみる。

 

「……!」

 

 ──彼の拳が、止まる。

 鼻先三寸で、ピタリと。その後暴風が肌を撫でるけれど……輝術が飛んでくる様子もない。

 

「どうした劾瞬」

「……謝罪する!」

「何を?」

「少し、気になった! お前との心躍る戦いの最中でありながら、気になってしまったので、上の先遣隊に聞いたのだ! 戦いの最中に余計なことを考えたことをまず謝罪する!」

「まず、ね。それで?」

「して──輝術師が誰かを忘れる事例はあった、とのことだ! 言われてみれば俺も、先代青清君や閣利(グァリー)様、月織様のことを忘れていた! 最近思い出した! ──お前もその類と思い至った!!」

「だが、新帝の触れが出ているのだろう。たとえ私が誰も彼もに忘れられた存在といえど、新帝の廟に侵入し、何かを盗んだ、ということは変わりないのではないか?」

「いいや! お前は新帝を名乗った!! そして──俺は、新帝なる存在が誰なのか思い出せん! ゆえにお前が新帝であると認めることにした!」

 

 ……頭が良い、のか? これは。

 上の輝術師はかなりおろおろしている。まぁそうだよなぁ、屈するな、って言ったのこの人だし。

 

「進史さんの顔に泥を塗る結果にならないのか、それは。もし違ったら、を思えば」

「うむ! その時は共に首を刎ねられよう!」

「……突然信用し過ぎだろう、お前」

「反論の言葉は無い! だが、俺は俺の感覚を信じる! なぁに、進史ともこれで友となれたのだ! 俺の勘は当たろうさ!」

 

 なるほど。

 進史さんが苦手に思い、けれど大切にするわけだ。

 

 ドのつくレベルの善人だな、コイツ。……雨妃の事件で進史さんがああも固まっていたのにもようやく納得が行くというか。

 この男が女の肉を食っていたら、そりゃ理解もできなくなるって。

 

 

 

 特に何の制限もかけられることなく、浮遊の輝術をかけられて飛翔している。

 逆に月織が追いつけるか心配になる速度だ。彼がいないと奕隣への説得が至難になるのだが。

 

「輝術での飛翔にも慣れているな! やはりお前は、忘れられた誰かなのだろう!」

「輝術での飛翔に慣れた平民はおかしいか?」

「む? むー……。……む? ……おかしい、のか?」

「あ、はい。おかしいです」

「おかしいらしいな!」

 

 あんまり平民と関わらないから知らないって感じだな。

 それで遠征兵が務まるのだろうか。

 

 あと……ここまで長時間の飛翔が彼らにできるということも驚きだ。

 なら青宮城でも働けるんじゃないか、って。確かそういう条件だったような。

 

「劾瞬」

「どうした!」

「先ほど奕隣と協力していると言っていたが、鬼とはどうだ」

「鬼は倒すべき敵だ!」

「そうか。ならすぐに離脱しろ」

「なにを──」

 

 その巨体を蹴って、距離を取る。

 直後青白い熱線のようなものが地上から放たれた。……鬼火光線?

 

「今のは──警戒態勢! 警戒態勢だ!」

「い……いえ、劾瞬様。情報伝達をよく聞いてください」

「なにを……ぬ、む? 進史……いや、だが!」

「申し訳ありません!」

「ぬお!?」

 

 なんか情報伝達であったんだろうなー、とは思うけど。

 進史、と言葉を吐いた後、百面相をした劾瞬が……周囲の輝術師たちに何かをされて、引き摺られて行く。

 多分その鬼は味方だ、とか。引き摺ってでも連れ戻せ、とか。

 情報伝達の内容が想像に難くないのは面白いな。

 

 で。

 

「奔迹かと思ったら、お前が出てくるのか停谷(ティングー)

「……俺のことを知ってんのか。こっちの内情にやけに詳しいって話だったが、存在を秘匿されてる俺のことまで、ってなると……」

「なると?」

「その情報源を吐かせなきゃいけねーな!」

 

 雲を突き破ってきたのは、隻腕の男。

 その無くなった腕には鬼火が密集し、まるで義手のような形を作っている。

 

 正面。溜め無し。ほとんどノータイムで放たれた熱線を、鋸で割断する。

 若い鬼であることも知っているし、正面切って戦うタイプではないことも知っている。何より奔迹というそっち方面の極致と共に行動をしていたせいで、弱火に感じる。

 

「鬼火を斬った……?」

「死体しか焼けぬ鬼火で鋸の刀身が溶かされるわけなかろうに」

「よく……そんなこと知ってんな。輝術の気配も穢れの気配もないが、まさか同胞ってことは」

「無い。ただの人間だ」

 

 雲に降り立つ。浮遊の輝術が効果を失ったのだ。……劾瞬のやつ、己の輝術の効果範囲ギリギリまで術をかけ続けてくれていたらしい。

 なんというか義理堅いというか。

 

「一つ聞く。お前が青宮城と協力しているのは、桃湯の差し金か?」

「……いや」

「ふぅん。まぁ、良い。鬼が出てきたのなら話は早い。──従え、奥多徳(オグダァド)

「!?」

 

 翡翠を瞳に宿す。

 限定的に尊瑤(ズンイャォ)を解放する。

 

鬼子母神(グゥイズームーシェン)……!?」

「ああ。といってもお前の知らされている鬼子母神とは別だがな。……どうした、奥多徳。従えと私は言った。退かぬのならば、敵と見做すぞ」

「っ……ああクソ! なんで毎回俺はこういう損な役回りを……!」

 

 鬼火を消す停谷。その義手となっていた鬼火もだ。

 そして……雲の上、空中でありながら、()の姿勢を取った。

 

「敵意も、反意も……無い。ただ、生きている年数として、俺は鬼子母神を見たことがなかった。……反応が遅れたことを謝罪する」

「構わん。それで、私が従えと言った。従う気はあるか、停谷」

「無論……鬼となった以上、それは使命に近い」

「ならば私を青宮城へと連れていけ。──そこでこちらを窺っている幽鬼もな」

 

 そこ。

 私達のいる場所から離れた場所。雲と雲の隙間。

 

「……はぁ!? 月織様……の、幽鬼!?」

「青清君と会うには、充分な理由だろう?」

「どういう異常事態だよ、これ……!」

 

 よーし足ゲット。

 さーて。久しぶりの青宮城へ向かうとしますかね。

 

 

 

 なんでも停谷の存在は完全に秘匿されているとかで、そのまま直で天守閣へ……鈴李の自室の窓へ入った私達。

 そこには厳戒態勢、というか迎撃準備が敷かれていた。

 

 鈴李、進史さん、奕隣に……お、蘆元(ルーユェン)もいる。なんだあいつ戦えたのか。

 

「停谷。これはどういうことだ」

「俺だって何が何だかわからねぇよ。わからねぇが……新帝を名乗る嬢ちゃんだけじゃなく、月織様の幽鬼まで一緒にいるんなら、連れてくるしかねぇだろ」

「……。……月織、様?」

 

 糸目の奕隣。その目が見開かれる。

 彼の様子に月織は後頭部を擦り……豪快に笑った。

 

 当然幽鬼なので笑い声は響かない。

 

……(すまぬな奕隣)……(あれほどの別れの言葉を吐いて)……(まだこの世を去らなんだ)

「格好つけて別れの言葉を吐いたが、まだこの世に未練があったこと謝っている。心当たりは?」

「そなた……幽鬼の言葉がわかるのか」

「青清君、みだりに会話をすることはお控えください。幽鬼の言葉を解するということは、その者もまた楽土に近しき者です」

「ハ、それで楽土へ連れて行かれると? 随分と可愛らしい迷信を信じているじゃないか、進史さん」

 

 見逃さない。

 奕隣が柏手を打つその瞬間を。

 

 だから私と月織、奕隣だけが隔離された。……輝夜術のこの結界にも大分慣れたな。

 

「く……」

「案ずるな、奕隣。私はただの翻訳者だ。死者の言葉を生者に届けるのは私の道理に反するが、必要なことくらいは伝えてやる」

……(奕隣)……(心配するなと言ったはずだぞ)……(余は変わらなかったし)……(世界も変わらなかった)……(だが此度、事情だけが)……(些細に変わった)

「こいつは変わらなかったし世界も変わらなかった。心配するなと言ったはずだ、と。そう言っている」

「月織様を疑うわけではありませんが……あなたは疑わしい。二、三質問しても?」

「許さん、と言ったら?」

「……成程。月織様の気に入りそうな女性ですね」

……(奕隣)!? ……(余に幼女趣味はないぞ)!」

「そうだ、私は月織に見初められてな。求婚までされた」

……(祆蘭)!!」

 

 持ち上げられて揺さぶられる。月織、そこそこ小柄な男性だからな。結構良い感じに持ち上げられているし、揺さぶる力もちゃんと加減されているのが何とも面白い。

 そして、そんな私達の様子をみて……奕隣は「フフッ」と、上品に吹き出した。

 

「ああ……我が主君。声は聞こえずとも、わかります。あなた様がこの少女を信じ、そして私へも期待を抱いている、ということくらいは」

……(うむ。迷惑をかけるつもりできた)……(奕隣、余の記憶の修復者は青清君であろう)?」

「そうなのか。……ああ、月織の記憶を修復した者が青清君であるかどうか、という問いだ」

「慧眼にございます」

……(では、この娘の記憶も)……(修復するよう頼んでほしい)……(それが最後の一欠片であり)……(同時に世界を厄災が襲う前触れだ)

「厄災? ……なんの話だ、月織」

 

 皆の記憶に私を戻すことが、世界に厄災を齎すと?

 初期化のことを言っているのか?

 

「月織様は、なんと?」

「ん、ああ。私に関する記憶を青清君に修復してもらいたい、と。そしてそれが……世界が厄災に見舞われる前兆となる、と。なぁ、こいつの詩的な言い回しはどうにかならないのか? 私は見ての通り平民で、粗野な言葉しかわからん。この……なんというか、高位貴族の間でしか交わされないような言葉繰りは読み取りづらい」

「フフ、それは難しいでしょうね。私が側近として仕えていた時から、月織様はそうでしたから」

「だとすると、厄災やら一欠片やらも私が読み違えている可能性があるな。……おい、もう一度──」

 

 月織の足を払い、奕隣の肩を押して頭の位置をずらす。

 私の防御……は無理だな。

 

 とか思っていたら、奕隣が輝術で引っ張ってくれた。ナイス。

 

「……奕隣。どういうことだ」

「申し訳ありませぬ、進史殿。事情が変わりましてございます。元より私は月織様の配下。月織様がこの少女につくというのであれば、私もそのように」

「彼は幽鬼だ。その言葉を理解する者などいるはずがない。新帝から触れの出された、新帝を名乗る指名手配犯。ソレの言葉が全て妄言であるとは思わないのか」

「私が月織様を見間違えることはありません。──忘れることも、二度と」

 

 輝夜術の結界。多少てこずったみたいだけど、進史さんも鈴李も破壊できるようになっているらしい。

 しかし、進史さんが剣を使っているところは久しぶりに見るな。私が桃湯の音の結界に囚われた時以来か?

 

「進史さん」

「気安い言葉を使うな、平民」

「劾瞬からの伝達が入っているだろう。思うところは欠片もないのか?」

「無い。奴の直感は信じいるに値するものだが、お前は鬼と……。いや、話す余地はない」

 

 なれば仕方がない。

 

「言われずとも、だろうが。奕隣、月織を頼む。単なる幽鬼では攻撃手段に乏しいだろうからな」

「御意に」

「御意? 私に使う言葉か、それは」

「月織様が帝と認めた相手となれば、あなたは紛う方なき新帝なのでしょう」

 

 ハ。

 どいつもこいつも、良い根性をしていやがる。

 

 ……思考を冷やしていく。

 区別がつかなくなっていくのを感じる。

 

 輝術師。幽鬼。奥多徳。

 個体名に興味が無くなって……見得る世界が固定されて行く。

 

「いつか、私の隣に並び立ちたいと、そう言っていたな、輝術師」

「そんな言葉を吐いた覚えはない」

「立ちはだかるというのならこれが最後の機会だ。並び立つというのならこれが最後の選択だ」

 

 威圧を広げていく。

 かつての私が無意識のうちにやったように。

 今度は意識的に……青宮城を威圧で包んでいく。

 

「ッ……蘆元! 自我の弱い者を全て城の外へ!!」

「断る」

「なに……!?」

「伝達くらい、自分でやれ若僧。……それより俺は、その小娘に用がある」

 

 ほう。

 悪役面が、何の用だ。

 

「──俺はその手に、見覚えがある。職人の手だ」

 

 口角が上がる。けれど、ああ。

 今じゃないよ。

 

「聞こえているか、青清君。今すぐ部屋全体に固定の輝術を張ると良い」

「ッ! 失礼します、月織様!!」

 

 離脱する奕隣、月織。

 停谷も部屋から飛び出て──直後。

 

 

 最大解放の尊瑤が、青宮城を覆った。

 

 

 物質界に干渉する威圧、尊瑤。

 アテられて気絶したらしい蘆元はふよふよとどこかへ運ばれていった。

 

 この場に残っているのは私と進史さんと……鈴李だけ。

 

「青……清君。お逃げ、ください。……この敵は」

「お前こそ退け、進史。お前では相手にならぬ」

 

 部屋全体を覆っていた輝夜術など塵と化している。この天守閣が無事なのは、私の進言通りの……部屋全体へかけられた固定の輝術が間に合ったから。

 いや、青宮城全体へ固定の輝術をかけているらしい。ま、下階が壊れたらここも、だからな。

 

「しかし……」

「進史。……少し、振り向け」

「できません。この者から目を離すことは、死を意味します」

「私が見ているから、振り返れ。……私の顔を見よ」

 

 その……あまりにもおかしな注文に、進史さんは……恐る恐る、と言った感じで、青清君の顔を見る。

 彼女は。

 

「……泣いておられるのですか、青清君」

「ああ。そう、らしい。……。なぜだ、進史。……私はなぜ涙を流している」

 

 はらはらと零れ落ちる涙。とめどなく、見開かれた目から尽きぬ泪が落ちる落ちる。

 

 胸を打たれた、というのかね。

 進史さんは彼女の様子に戦意を失くしたのか、大人しく下がることにしたらしい。

 そして……胸を打たれたのはもう一人。

 

「紊鳬。お前の狙いが何だったのかは知らない。……ここまで予期していたのなら、素直に脱帽だ」

「そなた。そなたの……口から。そなたの名を、聞きたい」

「あるいはこれが最後の一欠片なのか。であるならば月織、お前も知り過ぎだ」

「頼む。そなたは──誰だ」

 

 予定変更だ。

 媧の声が聞こえない状態でやるつもりは無かったけれど……こうなってしまっては、応じるしかない。

 

 ()()()()()

 

「ッ!?」

「青清君!!」

 

 向かってくる輝術を鋸とトンカチで払いのけ、他、あらゆる障害を尊瑤で消し飛ばす。

 

「そなたは……お前は!!」

「私は新帝。新帝──祆蘭(シェンラン)。……だから、さ。鈴李(リンリー)。こうなってしまったのなら」

 

 名前を呼んで。

 鬼子母神という名の受け継いできた穢れの全てを、解放する。

 

 

「女帝からは逃げないと、だろう?」

 

 

 一瞬にして、青宮城の全てが穢れの球体に覆い尽くされた。

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