女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
色々な事情を……特に
彼も、一人で考える時間が欲しい、とかで……緑州へ帰っていった。なぜ青州ではないのかと言えば、要人護衛をやめたから、らしい。
……要人護衛、一気に三人も……。
なんて他人の憂慮をしていたのも束の間のこと。
体力を戻すために毎日のようにトレーニングしていた私のもとへ、おかしな話が舞い込んできた。
「……え、幽鬼? ……新帝になってまで?」
「そういう反応をするとは思った」
「でも、小祆にしか解決できなそうで……とりあえず会ってみてくれない?」
幽鬼絡みの事件。
まぁ、そりゃ当然というか。別に私が新帝となったからって幽鬼が減るわけでもないので、それがあること自体への驚きはないんだけど……新帝たる私に来る依頼とは。
「ええと、まずどこに?」
「廟の上」
「天染峰全体を見渡せる場所に、ずっと立ってて……」
「害のある幽鬼、というわけではないのだろう?」
「うん、だけど……」
「見覚えのある幽鬼だけに、手が出せなくて。今は玻璃が監視してる」
「???」
なんだ、見覚えのある幽鬼って。幽鬼に見覚えとかあるのか。
……いやまぁ行くけど。幽鬼の唇を読むことができるのは、今に至って尚も私だけだし。
しかし廟の上とな。それはまた、随分と高いところに現れたものだ。
他の城と同じように雲の上。そこを生前まで強く眺めていた、ということは、極々最近死したもの、ということになるけど……。
まぁうだうだ考えていても仕方が無いので、その場所へと向かう。
城のような風や気温を操作する輝術の張られていない廟の外。日照時間が減ってきたこともあって、結構な寒さを誇り始めたそこに……確かにいた。
玻璃と……肩幅で男性とはわかるけれど、女性のように髪を長く伸ばした幽鬼。
「おーい玻璃、来たぞ……と?」
なんだか。
歓談……ではないけれど、「一緒にいられるだけで幸せ」みたいな雰囲気を壊したような罪悪感が。
というかよく見ないでもこの幽鬼……先々代帝じゃないか? 確か名前は
ああ、だから誰も手を出せなかった、と。
「来たか、祆蘭」
「ん、ああ。……もう少し後の方が良かったか?」
「いや、私が呼んだのだ。良い」
帝の母御モードなのは、月織の前だからかな。
再現輝術で再現された"最期の会話"も確かこの口調だった気がする。
入れ替わるように。立ち替わるように。
ふよふよ浮く玻璃とすれ違い……月織の隣へ行く。
──雲海。けれどそれは、この廟を避けるようにして広がっている。
だからこそここからは天染峰が見渡せる。広く広く……小さな天染峰が。
「
「ああ、私が祆蘭だ。……お前が呼び出したのか。今、玻璃は自分が、と言っていたが」
「
「見栄? 玻璃が?」
訝しむ顔をすれば、豪快に笑う月織の幽鬼。
笑い声は当然届かないけれど……成程、玻璃のやつ、私に見せていない一面がある、ということか。
それで。
「それで、何用だ。先々代帝」
「
「案内人? ……すまない、私には学がない。詩的な言い回しは上手く読み解けない」
「
ぐわん、と。世界が揺れる。
違う……これは、眩暈か? ……今、何かされたのか?
「
立っていられない。視界があやふやになる。
いや、違う。
これは──夢?
目を覚ます。
「あ、起きた! 祭唄、起きたよー
「すぐ行く。けど、怖がらせるから、大声は出さないで」
「それもそっか~」
……夢だ。リアリティのある夢だった。
ただ、なんだか嫌な予感がするので、小物入れを確認する。……布団の隣に置かれてはいるけれど、中身に問題はない、か? ……包帯はしっかり左腕に巻かれている。うん、これなら。
して、ぱたぱたと駆けつけてくる二人。
「大丈夫?」
「ああ、問題はない。なんだ、私は魘されでもしていたか?」
問えば、示し合わせたかのように顔を見合わせる夜雀と祭唄。
なんだそのきょとんとした顔。
「あ……そっか、小さい子って」
「うん。気にしなくていいと思う」
「……?」
「えっと……元気そうならよかったよ。私は夜雀、っていうの。あなたは?」
「──なに?」
おい。どういう状況だ。
おい、おい? ……なぜ答えない。意志の届けられない状況にあるのか?
「……もしかして、名前を思い出せない?」
「大変……! それだと、家族もわからないかも?」
「いや……私は、祆蘭。青州が水生で生まれた平民だ」
「青州? なら、どうしてここに?」
少し話を合わせる。いきなり威圧しても何の解決にもならなさそうだから。
この現象は以前の
「どうして、と言われてもな。ここが私の……家だからだ」
「違う。ここは新帝の廟。その……差別をするわけではないけれど、平民がいて良い場所ではない。あ、何の関係もない平民が、と言うべき」
「そだねー、
華胥の一族に反応はない。
ならば、と伏を探すも……いない? 影が薄いから皆忘れがちだけど、ほとんど定位置にいる彼がいない。
「その新帝が私だ」
「……」
「……」
「……夜雀、ここは笑いどころかもしれない。平民と私達では感覚が違う」
「確かに、道破さんのやることなすこと、笑えば良いのかよくわからない時あるし……」
というか、そうだ。
輝術師である二人がこうでも、輝術に関係のない鬼や平民であれば。
「今潮や陽弥を呼んでくれ。それで話は進む」
鋸を抜く。
それは首元へ突きつけられかけた小刀に間に合い、火花を散らした。
「ちょ、祭唄!?」
「……ただの平民の子供かと思って油断した。何者?」
「だから新帝だ。輝術師では話にならんから、鬼を呼べと──」
──音。それに合わせて身を捩りつつ、何も無い空間へ打撃も入れる。風切り音が鳴る。
「ほら見なさい。殺しておけばよかったのよ、侵入者なんて。この廟は私の音と輝術で四重の防護をしてあるのだから、そう易々と"迷子"で入ってこられる場所ではないの」
「でもすごーい。今、桃湯の音と蓬音の稚拙な輝夜術を軽々避けたわ、あの子。平民なのに!」
鬼まで忘れているとなると、話が変わってくるな。
これは帳尻合わせの方か? なんにせよ分が悪い。さしもの私とて、この人数を捌き切る自信はない。
ここは──これだ。
小物入れから取り出し、投げつけるは紙。
久々の登場、紙鉄砲さんである。
それはパァンと乾いた音を出し、その場にいた全員を身構えさせることに成功した。
「信じるぞ……!」
小物入れを掴んで装着。身を翻して壁に手足を付けて、上りながら移動することで壁を走る。
背の低い夜雀と祭唄の上を抜けて階段へ。逃げるのならば下だけど、夢を信じて上を目指す。──追い縋る蝕は左腕の包帯で殴り、足を絡め取ろうとしてくる植物は全て避ける。
来ていないのは砂と鬼火か。まぁどちらも敵じゃない。
人影。
……陽弥か。こいつは何をしてくるかよくわからんから、要注意だが……。
「あなたを傷つける意思はないよ。現状の矛盾に思考を巡らせば、理解は追いつくからね」
「そうか。ならば通せ、陽弥」
「私とあなたは、親しかったのかな」
「ああ。お前がお前の仲間を裏切る程度には──ッ!!」
鋸で斬撃を入れるは空中。
けれどそれは掴まれた。……歯の削がれる前に引き戻し、下がる。
「テメェ……どこの誰かは知らねえが、陽弥になんてことを」
「
「ほう、顕が力を貸すのか?」
「いいや。──奔迹、少女を魔の手から逃がす程度の協力はしてくれるね?」
「げ」
……いたのか。
気付かなかった。こいつ、ここまで気配を消し得るのか。……どちらも敵じゃない、は嘘だな。少なくとも奔迹は危なかったやもしれん。
「あー、えーっと。ん゛っん゛、そう俺は流離いの奔迹! 驚いたかな少女、そう俺こそが、が、が……!」
「初めましてだ、流離いの奔迹。背中は任せるぞ」
「……俺、君みたいな子苦手だ」
「安心しろ、私は今まで一度たりともお前を小物だと思ったことはない。──しばしの別れを享受しろ」
返事は聞かずに進む。進んで進んで……目的の場所へと辿り着く。
着いた、はずだった。
「……玻璃」
「平民に名で呼ばれる謂れは無い。……ここなるは新帝の廟。何が目的で侵入し、何を得た。何もせずに逃げ帰るのであれば、危を冒して入る理由なぞなかろう」
「そうか。であれば
威圧が来た。……まぁ、以前のそれ……紊鳬の死の際に感じたものと比べればそよ風のようなもの……でもないな。
結構本気だ。
加えて結界が張られる。廟への影響を考えたか。つまりそれだけ強い輝術を使う、ということだ。
「屈さぬか、平民」
「屈してほしいと願っていたのか? それは慈悲深きことだな。──来いよ、黄征君。あの日やれなかったことをやろう」
剣気を向ける。威圧や
ただ、かかってこいよ、と。
「不遜。しかし、意気だけではなかろう。……良い、良い。相手をしてやろう。だが、ただ潰すだけでは面白みがないから──」
「余裕だな?」
「っ!?」
驚いたことだろう。
私の声が間近で響いたのだから。彼女の視界的にも、私という光が瞬間移動したように見えたはずだ。
蹴りを入れる。側頭部へ。
……届かない。何かクッションのような……輝術だろう緩衝に阻まれた。
だから
「!?」
「そういえば、答え合わせをしていなかったな。……よっと」
玻璃の首を踏み台にして身体を持ち上げ……結界の天井に立つ。
私の正確な姿が見えているわけではないのだろう彼女は、けれどしっかりと訝しむような声を出した。……蹴りのダメージはほぼ入っていないか。ま、当然。
「その魂の大きさ……平民にしてはおかしいと思っていたが、輝術師だったのか」
「成程、確かにこれは見栄張りだ。納得したことにして、理解したことにして、解き明かせぬものを嚥下したことにする」
もう一度行く。別に傷つける気はないからな、殺傷力のあるものを使う気はない。
使う気はないけれど──女児キック、女児パンチを以て、本気で殴らせてもらうつもりだ。
「お前達が教えてくれたことだぞ、輝術師。結界とは中のものを閉じ込めるためのものである、と。ただし性質は固定の輝術でしかない。つまり現状保存、状態維持の輝術だ」
だから、簡単な話。
強く蹴りを入れたのなら、相応の力で跳ね返される。結界はびくともしていないけれど、そういう反力が発生している。
そして……この結界という名の固定輝術は、外からの衝撃にも同じ反応を返す。よって。
「壁走りと同じで、足裏で結界を掴んで引っ張ろうとすると、結界側が私を引っ張ってくれる」
ちなみにこれ、「言うは易く行うは難し」みたいなことではない。結構簡単にできる。
結界へ触れて掴もうとすると吸い付く感覚があるのだ。ま、それを自覚できる輝術師はいないだろうが。……生涯で輝夜術しか使った事のない輝術師であればあるいは、くらいか。
「なれば結界を解けばいいだけのこと」
「ああ、そうだな。そうされて、暴風を生む輝術でも使われたら何もできない。──使われたら、の話だ、玻璃」
小物入れから、「ソレ」を取り出し……彼女の顔、というか目元に巻きつける。
「陽弥『デザイン』の『タペストリー』だ。極彩色に呑まれておけ」
白黒の世界に現れたそれ。
たくさんの配色……陽弥の描いた「空から見た天染峰」をタペストリー化したもの。
抽象的なデザインも多く、私もその全てを理解できているわけではないけれど、私を忘れた彼女の目にはあり得ないものとして映るだろう。
ちなみに初手で私が瞬間移動したように見せることができたのはこれのおかげだったりする。
私の魂の配色数よりこのタペストリーの方が色数多いからな。玻璃の視界では小物入れの方を私本体と思ったことだろう。
……さて。
「頼りにして来たが、アテはあるのだろうな、月織」
「
「誰かな、とか。貴女が祆蘭か、とか。そういう小ボケは要らん。陽弥と奔迹でも稼ぎ得る時間は限られよう。何も策がないのなら置いていく」
「
「余裕がある時ならばそれでよかろうさ。──アテがあるのか、ないのか。はっきりしろ」
「
だから、と。月織の幽鬼は、私に手を差し出してきた。……取れ、と?
……エスコートされるのは癪だな。だから、差し伸べられた手を取らず、手首を握る。接触をあまり好まない文化だ。驚け驚け。
「
「嫌いか?」
「
「成程、唯一焦がれた女と同じか。惚れてくれるなよ?」
「
ならばお前は爺過ぎるよ。
行くぞ。
歩く。まさかここへ来て徒歩とはなぁ、なんて考えながら、だだっ広い天染峰を歩く。
多分……黄州のはずれ。もしくは赤州のはずれ。確証などない。ないし、人っ子一人いないから確認のしようもない。
「で、アテとは?」
「
「
「
ふぅん。……鈴李がアテなのか。
奕隣は予想してたけど、なんでこいつが鈴李を知っているんだ。
というか。
「今、私は何の後ろ盾もない平民で、お前は幽鬼。……どうやって青宮城へ上がり、どうやって青清君に会う」
「……」
「おい黙るな。アテがあると言ったのはお前だぞ」
え、ノープラン?
おいおい、先見の明がある先々代帝じゃないのかコイツ。輝術師じゃなくなった弊害でポンコツになったとかか?
何よりの話をするなら。
「そもそも青州まで保たんぞ、私が。お前は良いが、私は食料と水が無ければ生きていけないんだ。それを理解しているのか?」
「……」
「おい」
こ、れは。
大ピンチ……というやつでは?
戻るのはまず無い。ぶっちゃけここまで逃げ切れたのは奇跡だ。多分陽弥と奔迹、あとは顕がなんとかしてくれたのだろうけど、今の廟では私は侵入者。しかも何かを盗んだ、情報を抜き取った者として見られていることだろう。……私がいない状態で、だとどうなるかわからないけど、人相書き……輝絵とかいう完璧人相書きシステムで触れが出されるかもしれない。
そうなるとお尋ね者まっしぐらだ。
……これが帳尻合わせだとすると、平民ですら私を忘れている可能性がある。だから黒州の龍親子や……水生の皆ですら頼れない。まぁ辿り着けない時点で、ではあるんだけど。
「何があったんだ、これは。なぜ輝術師以外も私を忘れている? お前、意味深な夢を見せてきたんだ、何か知っているんじゃないのか」
「
「なんだ、敵かお前」
「
「だから……詩的な言い回しはやめてくれ。読み取れん」
今のニュアンスはなんだ。待っていただけ、と言ったように見えたけれど、違うような気もする。
「……まぁ良い。青州へ行けばなんとかなるのだと信じる。だから……それまでの間、獣でも狩って食つなぐか」
「
「そうかい。見世物じゃあないんだがな。……適当な木と糸で弓を……いや、鋸でいける、か? そもとしてどこにいるんだ獣」
朝烏さんの時を思えば、森の中にはわんさかいる、というイメージだったけど。
今、ほとんど荒野なんだよね。……鼠や野良犬は……流石に危ないだろうし。釣竿でも作って川魚を……なんてことするくらいなら素手で掴んだ方が早いわな。
「
慣れた手つきにもなろうというものだ。
弓は一度作ったし、舞錐式火起こし器で上手く木を鋭くさせる技術は磨いたし。圧気発火装置を使えば火起こし器の煩わしさ無しで火を起こすこともできる。
野良犬山猫は相当数狩っているので野生動物も問題は無く……加えて月織が幽鬼であるから、食事は私一人分でいいと来た。
「
「不要だ。これは私が生き延びるための行動。死者が手伝ってはいけないことだよ」
「
「なんとでも言え」
やってみたい、なんて理由で命を奪うなよ。
命を繋げるのも同じ理由でダメだ。理解しろ、先々代。
あと気を付けるべきは野盗だなー。
防衛戦での野盗退治とこういう場所での野盗退治は勝手が違う。かといってこいつを動かすわけにもいかんし。
……寝る時は樹上にするべきか?
「
「ん、なんだ」
「
こいつ。やることないからって雑談を振って来やがった。
そしてなんだその話題。使い古されているにも程があるだろう。
「誰からも忘れられた時、という普遍的な答えが欲しいのか? 今の今まで……恐らくは十一年ほどは忘れられていた死人」
「
「紊鳬や笈溌あたりが覚えていたからじゃないのか。死なば痕跡の全てが消えるはずだからな。紊鳬の外法が世界の全てに作用するものであれば、お前の記憶を修復したところでお前の痕跡は消えたままだっただろうよ。……あれ、待てよ。……そういえば」
そういえば。
あの時。紊鳬の死の直前の話だ。
……あの時、鬼である奔迹も紊鳬のことを忘れていなかったか?
なぜ? 紊鳬の外法は輝術師や華胥の一族にしか作用しないものだったはず。
月織の雑談などどうでもいい。……似てやしないか? 今の状況に、酷く。
輝術師も鬼も私を忘れて……幽鬼であるこいつだけは、私を覚えている?
「
「首謀者は紊鳬か。……だが、というか、こうなることを危惧してあいつの前では声を発さなかったというのに……まさか幽鬼となっても……いや、斬首されたはず。なら……」
「
「斬首だから、か!」
そうか。人間は斬首で死ぬとき、数秒から数分間意識があるという。脳を巡る血液が全て出てからようやく死ぬのだと。
この世界における人の死が、「脳の活動が停止した時」を指すのであれば……確かに私は油断した。死したものと思って、そして玻璃が突然焦り出したから……何も気にせずに声を発した。
あれが原因だというのか。……いや、だとして、なぜこんな後になって発動した。そういう輝術なのか?
「
「無駄なことはしない、と。そう続けるつもりか」
「
笈溌の目的は"
けど確かに紊鳬は……あいつはなぜか現れて、なぜか過去を語って……それだけして死んだ。彼女の目的が贖罪や誘導以外の別の場所にあったとしたのなら。
ならば……これは帳尻合わせなどではなく、意味のある行動。
この時期に私を全員から忘れさせること。それに何の意味がある。私に賭けていると言ったのだ、今更足を引っ張るような真似はすまい。
「月織。天遷逢まではあとひと月ほどだが……これは、緊急事態か?」
「……」
「黙るな。燧もそうだが、これはお前達の問題だろうに、なぜ情報を出し渋る」
「
また……こいつ、操る言葉が詩的過ぎる。
ちゃんと理解できているか怪しい。今まで接してきた貴族が……祭唄や夜雀が如何にわかりやすい言葉で喋ってくれていたのかがわかる。
なんだ? 真実の門番気取りなのか? この異常事態に?
十一年間人々の記憶から忘れられておいて、害ある幽鬼にも鬼にもならずに自己を保ち続けた者。死して幽鬼となりて、今までどこにいたのかは知らんが……その間に何を見た。何を知った。
「
「後ろから来ている野盗のことを言っているなら、気にするな。輝術師の混ざらぬ十数人程度に今更負けん」
「
「なんだ、その辺はもう今更だろう。玻璃の視線を、言葉を、そして顕の現出を察知できている時点で」
はぁ。ここまで言っても話すつもりはないらしい。
いいよ、じゃあ野盗を殺してからだ。食料補給兼物資調達に丁度いいからな。
そのために火を焚いていたのだから、来てくれないと困るというのもあったが。
斬り倒した樹木に座り、果実を食べる。なんの果実かは知らん。野盗の持っていた麻袋に入っていたものだから、食えるものではあるのだろう。
一応毒がないかなどは出来得る範囲で検査したけど、食糧の中に一つだけ毒りんごを混ぜるような知能犯であれば私の命数も尽き果てているというだけだ。
「
「恐れ? ……死にか? それとも襲われることに対してか?」
「
「さてな。青清君に拾われる前までは、これが普通だった。奴らも食うに困って村や旅人を襲うんだ。生存競争に恐れを抱けるほど高尚な暮らしはしていなかったよ。……だから、今の私がどちらなのかは……やはり"さてな"となる」
水生での暮らしは、はっきり言って劣悪なものだった。
腹いっぱいになるまで食えた試しなど無かったし、衣服は常にボロボロ。野犬山猫野盗が昼夜問わず襲ってきて、それを撃退する毎日。ロクな医者も薬師もいないものだから怪我をしたら終わり。致命傷は絶対受けないようにして、仕方のないことは仕方がないと切り捨てる。
……動物に噛まれるのが一番危なかったことを考えれば、野盗の芯無き剣に何を恐れろというのか、という部分はあるが。
羊の干し肉を噛み千切って、ふとある考えが思い浮かぶ。
小物入れの中。隔離してある紙手裏剣。……いや、やめとこ。香辛料は香辛料だけど、全部えげつないもの使ってるに決まってるし。
何より補充せずに使っているからなぁ、そろそろ在庫が。
「
「生まれてすぐだな」
「
「鼻先に止まった蚊を潰した。……なんだその目は。命だろう、蚊だろうと」
しかもしっかり刺していきやがって。
ま、伝染病を持つ蚊がいないことは天染峰の救いかね。
「小動物の命であれば、五歳。人の命もそれくらいだ。貧乏村というのはそれだけ人手不足でな、戦わねば殺される。今にして思えば……子供の売買が少ないのは、輝術師のせいだったのだろうな」
「
「ああ、宮廷に平民を雇用することはないだろう。となると子供を攫ったとて売り先が花街くらいしかない。ところが天染峰の人口比率は宮廷や貴族街付近に集中している。各村から若者が出稼ぎに行く場所だ、人手は足りているんだよ。私の両親がどこで何をやっているのかは知らんが、商人も力仕事も水商売も、残念ながら飽和状態なのだろう。定職につけるだけ何よりもマシで……そうなれなかったものが、今のような野盗に落ちる」
干し肉をにゃぐにゃぐしながら、果実を鋸で斬りながら。
「ある意味で人種問題か。……まぁ、それも後ひと月のことだが」
「
「だろうな。天染峰の人間は全員が同一因子。平民と貴族の差異は輝術を使えるか否か。神の血を引くか否か、だ。それを人種と捉えるような感覚はないだろうし、同時に平等を訴える心も生まれ出でない」
良い悪いの話ではない。ありがたいが、という注釈の話だ。
「人が本当に死ぬときはいつになるか。……そんなもの、決まっている」
「……」
「生きようと、そう思えなくなったときだ」
忘れ去られようが。
誰からの記憶からも消えて、敵意ばかり持たれるようになろうが。
私に死ぬ気はない。ゆえに……此処に私の死はない。
「
「ふん、死人面でなくなったらそうしろ。明日からはお前も働かせる。私は新帝だからな、先々代だからといって敬意を払うほど優しくないぞ」
「
「いちから覚えろ、莫迦者め」
さて、眠ろう。
焚火の火は……まぁ、いいか。暖を取るのも大事だ。
寝ずの番がいるのなら、任せて──。
翌日。
簡易拠点を全て引き払い、盗賊の持ち物などを全て地の下に埋めたあと、また青州を目指す旅路が始まった。
飛翔してもそれなりの時をかける距離だ。徒歩となるとどうなるか。
「
「陽弥と奔迹がなんとか宥めてくれたか。ありがたい限りだが、それで納得するのも納得がいかんな」
「
「新帝同盟の頭は私だぞ。他に頭を作った覚えはない」
これでは結局陽弥が帝みたいじゃないか。
というか……私の記憶を消す、って。御前試合とかも全部消したのかな。となるとやっぱり平民からも?
幽鬼と、あと天故理くらいだろうなぁ、私を覚えているのは。
この二つだけは性質が違うから。
幽鬼か。幽鬼で知り合い……
他は皆楽土へ送ってしまったからなぁ。存在しない楽土へ。
それに、幽鬼を見つけたとて……協力してくれるか、など。まぁ無理だろう。彼らには彼らの未練があって世に残っているのだから。
んー、結局なんとかして奕隣に月織を見つけさせて、私が言葉を翻訳することでどうにかなるように身を任せるしかないだろうなぁ。
「ちなみに今どのあたりだ」
「
「それは知っているが、お前赤州で帝やっていたのだろう。ここが赤州であるかそうでないかくらいはわからないのか」
「
クンユン? ……どういう字だ。
ああ、やっぱり幽鬼の言葉は固有名詞が入ると途端にわからなくなる。
「とにかく赤州を抜けていないし……あの山まで目算八万
八十キロメートルは長いって。
……それで、そこから青宮城までも同じくらいの距離があるわけで。いやー……まぁ何か月も、とかはかからないけど、野盗や野生動物が尽きたら飢え死にまであり得るな。
山に入れば野生動物はいっぱいいるだろうけど……って。
「まさかとは思うが、鰐はいないよな、その山」
「
いるのかー。
ワニ。鰐か……流石に戦ったことはないし……鰐ってどこが弱点だ? いや、樹上を渡っていけば遭遇しない、か? ……逆に毒蛇とかいたりして。
ジャングルの想像をし過ぎかな。いたとしても猿とか……いや猿でも怖いが。
「
「倍の日数がかかる。こちとら金子がないんだ、街だろうが村だろうが見つけたとて補給のできない以上、いつ来るかわからん野盗をアテにするしかない。それを選ぶくらいなら森の中で野生動物を狩って食い繋いだ方がまだ希望はあろうさ」
「
成程、じゃないが。
くそ、生前輝術師、十一年間幽鬼だと生存本能に欠け過ぎている。話にならん。
先見の明はどうした先見の明は。私にもそれをくれというのに。
「青宮城を目指して『三千里』だな、気分は」
「
「とても遠い距離」
流石に一万二千キロメートルは無いので盛り過ぎた自覚はあるよ。