女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百五話「化合」

 惨憺たる有様がそこにはあった。

 老若男女……ではなく、若く元気である男女の肉体……その残骸。そして骨。骨。骨。

 血湧き肉躍るという表現があるけれど、まさかそれが文字通りであることは中々ないだろう。

 恐らく個室だったそこ。部屋だったそこを埋め尽くす肉片の山は──けれど。

 

「ぬぅ……!」

「やれやれ。学ばないねぇ、州君となっても、輝術師はずっと同じ」

 

 部屋の持ち主であろう者に劣勢の印象を与えない。

 先に辿り着いていたらしい赤積君のその身に、大量の傷が刻まれているがゆえに。

 敵。敵は……まぁ、恐らくは張衡(ヂャンホン)だろう。楽土より帰りし神子。……ただ、気になることはあるんだよな。

 

 あのクールビューティ高位輝術師……道破(ダオポォ)に翻弄されていた者ではない方のやつは、「玻璃様やあなたとは同郷ではない様子」と言っていた。

 それが単なる無知ゆえの勘違いなのか、それとも別の理由があるのか。

 

「──そうか、そうか」

「っ!?」

 

 赤積君と戦っていた青年が大きくバックステップをした。……ふむ? あのドワーフの身体も別に本人の身体ではないのか。

 慣れている、ように見える。若者の身体を使うことに。

 そして、バックステップなど何の意味も無い。避けた先で、青年が()()()()()になる。──直後、肉片が骨に纏わりついて、一人が起き上がった。

 

「む……玻璃か。いや、黄征君……」

「苦戦しているとみた。どれ、手伝ってやろう」

「必要ないわい。それよりお主ら、ここの真下にいる者を追え。この楽土より帰りし神子は頭ではない!」

 

 一瞬視線が絡む。楽土より帰りし神子、張衡。

 口角が上がる。それが分かる程度には──惹かれるものがあった。

 

「莫迦者。戦力差を考えるのなら、追うも任せるも無駄だろう。赤積君、合わせろ。私が前に出る」

「好戦的だねぇ、君は。話し合いをしに来た僕を殺してしまうほどの野蛮さだ。それも頷ける。加えて、『日本語』ではしっかり話すことができていたのに……こっちの言葉は難しかったのかな?」

「何分、教師が野盗と酒飲み爺なものでな。粗野になろうも仕方なかろう。──そら、行くぞ」

 

 合図と共に踏み込む。今まで幽鬼や鬼相手に使ってきたような小細工は通用しない。紙鉄砲なんか見たって驚きはしても訝しむには至らないだろうから。

 だから、ハナから飛ばしていく。

 

 張衡。その足を狙った斬撃。子供の身体なれど、鋸による傷は効くだろうと思われたソレは、しかし避けられない。

 

「ふふ。平民として生まれたということは、兵としての訓練も受けていないのだね」

 

 これは……痛覚がないのか? まぁ、肉体を乗り換えることができるのなら、不要か。あれは今の肉体に対する警鐘のようなものだから。

 

「娘子、突っ込むのはやめい! そいつは鬼やら幽鬼とは違うぞ!」

「同じ人間ではあろうさ!」

「『ネーミングセンス』が無いと言っていたけれど、なるほどね。そもそもの想像力に欠けているのか。それは……憐れでさえあるな」

 

 迫る蹴り。それを鋸の腹でガードしつつ、大きく蹴り飛ばされる。

 着地する壁にはべったりと肉片がついていて気色悪いけれど、良いクッションでもある。

 

 風切り音。

 

「このっ!」

 

 刹那、眼前に薄い岩の板が出現する。ああ、それがパカンと真っ二つに割れていなければ、私がそれに気付くことはなかっただろう。

 肉の壁をずり落ちて、一度赤積君の近くにまで戻る。

 

「輝夜術の攻撃輝術、といったところか」

「面白いだろう? けれど残念ながら、僕の配下の輝術師や、これを劣化再現した輝術師たちはこれを使わないんだ。こんなに便利なのに」

 

 左腕を伝う液体。……何かと思ったら、斬れている。……輝術の斬撃とは範囲が違う、のか?

 あの風切り音は輝術の斬撃でもよく聞くものだけど、便利というんだ。何か違う効果を有していると見るべき──。

 

 ──私の眼前へ、赤積君が躍り出る。

 そしてその身に無数の傷痕が刻まれた。

 

 風切り音。

 

「……なるほど、効果が先にくるわけだ。見えない代わりに存在している輝術の逆を行き、存在しない刃を放つことで見えるようにする……察するに見せる箇所は任意。確かに便利だな」

「へえ、耳が良いね。そう、まさにその通り。便利だろ。でも輝術師(彼ら)は使おうとしない──なぜだと思う?」

「自ら発展できないから、だろ。同一因子のせいで」

「ま、その辺りの知識はあるか。──だから僕が刺激を与えてあげるんだ。そうしないと彼らは一生檻を抜け出せない。この世界はそうでもしてあげなければ一歩も──」

「聞き飽きたよ、それは。赤積君、助かった。もう限界ならそのまま休んでいろ」

 

 燧。玻璃と凛凛さんと笈溌への伝達は可能か?

 

 ──可能か不可能かで言えば可能──。

 ──いいからやれ役立たず。それ以外やることないだろうお前。

 ──そうじゃそうじゃ!

 ──いや、可能か不可能でいえば、祝だってできるだろうに……まぁ、可能だよ。それで?

 

 楽土より帰りし神子とて、こいつも"(もやいぶね)の体"を使っている。そうである以上、私が消費できる。

 故、どんな手を使ってもいいから、私と奴を……奴の骨を接触させろ、と伝えてくれ。いいか、どんな手を使ってもいいから、だ。

 

 ──わかったよ。一字一句違わずに伝えてあげよう。

 

 トンカチで打撃する。──その後、風切り音が鳴った。

 

「なに?」

「結界を見ている時から思っていたが、輝夜術というのは輝術と比べて脆弱だな。簡単に壊し得るし、複雑な操作もできない。神の御技を本来の用途以外で使うんだ、そうなっても致し方ない部分はあるだろうが──」

 

 私達が通ってきた通路。そこから無数の蟲が現れる。それらは肉片という肉片を食い漁り、そして死んでいく。

 地面からは茨のようなものが生え伸び、それら死した蟲を地の底へと引き摺り込む。

 左腕の出血が一時的に停滞し──その左腕を振るって、全ての「不可知」を叩き落した。今度は風切り音ではなく、轟、という面による空気を押す音が遅れてやってきた。

 

「どういう……理屈かな、それは。これら気色の悪い蟲や植物はそこの二人にしても……君のやっていることは、理屈が通らないよ」

「便利であるのに使われなかった。それがなぜか。簡単だ、弱いからだ。彼らの発展性の問題ではなく、輝術師という純粋なる戦士から見て、輝夜術は戦闘に耐え得るものではなかった。だから使われなかった」

 

 鋸を頭上で平にし、その腹をトンカチで打つ。

 それにより、本来起きるはずだった事象が先んじて破壊され、「破壊された」という結果だけが追いついてきた。

 

「ここで敵である君に塩でも送っておこうか。私はいつか、彼女をして"人を愚かであると定義した時の推理力が頭抜けている"と評した。けれどそれは訂正すべきものだったよ」

「『ハンロンの剃刀』……? 馬鹿な……なぜ、八十年代後期の『ジョーク集』を、君のような幼子が……僕が生まれてすぐに出たあれを……。……あれ、そういえば君……()()()()()()()()()?」

「祆蘭、彼女は──」

 

 動く。私の身体も、張衡の身体も。当然合図などなしに、だ。「そら、行くぞ」なんてわざとらしい合図はない。

 玻璃が操作しているのだろう二つの肉体はぶつかり合い──その左腕、肘から先の肉が()()した。

 

「"相手を愚かであると定義した時の行動力が、人智を超えている"。こう表現すべきだったよ」

「『ビジネスシーンですもの──握手で終わらせましょう。あなたの好きな握手で、ね』」

()ゥ……!?」

 

 トンカチを捨てて、その骨を握る。握りしめる。

 そして消費を開始する。いいや──「変換」を。

 

「い……痛み、だって!? あり得ない、"(もやいぶね)の体"に痛覚なんか──」

「神経科学においては、夢と現実に違いはない。実のところ神経系統で感じている刺激は、夢であろうと現実であろうと幻覚であろうと一切の違いがない。古典的な"頬を抓って痛くないから夢だ"は通用しないんだよ。なぜなら人は記憶している。痛みというものを記憶に刻みつけている。悪夢から目覚めて、それが夢で良かったと喜んだことはないか? あるいは失ってしまったものとの幸福な夢から覚めて、その喪失を惜しんだことはないか?」

 

 ジュウジュウと何かの焼けるような、蒸発するような音が響き渡る。

 

「痛みは、記憶だ。さて──ならば。楽土より帰りし神子よ。私と同じく楽土では別の肉体を、別の脳を持っていた誰かよ。"(もやいぶね)の体"によってさらに渡り歩くようになった者よ!」

「は……離せ、クソ!」

 

 輝夜術だけじゃない。普通の輝術による攻撃も飛んでくる。

 けれど、同じく輝術が、斧槍が、植物が蟲が爪が、私を守る。

 

「記憶とは、どこにあると思う。私達のような稀有な体験をした者達は、記憶をどこに収納し、どこから引っ張り出していると思う?」

「ギ……ぁ、ァアアッ、あ、ああ!?」

「答えは簡単、魂だ。なれば大問に立ち返ろう。痛覚を通していないその身体に走る痛みは何の痛みだ。いや、気付いているだろう。痛みを覚えているのは身体などではないと、今、お前が痛みを訴えている場所は」

 

 魂だ。答えは同じく、な。

 

「か──く、なるうえ、は」

「させねぇよ」

「これが新帝命令だから」

 

 自身の腕を落として逃れようとしたのだろう張衡。その身体にまだ肉の食い足りていない蟲が、植物が絡みつく。

 私を抱き込むようにして。そして蟲は、張衡の肉をも食っていく。至る所で骨の露出が増え。

 だから私も、抱き着いてやるのだ。アメリカンだろう、ハグで挨拶はさ。

 

「喜べ、()()()()()だ。──不老不死になりたかったのだろう?」

「ま、さ──か、こお」

 

 消費し尽くす。

 あっさりしているけれど、これで終わり。

 周囲を見ればあれだけあった肉片の全てが平らげられているし、骨もまた全てバキボキに折られている。

 

 だから、まぁ。

 

 

 笈溌へと向き直る。

 彼もまた、当然のようにこちらへ来て……その身の中から、恐らく特別なのだろう蟲を出す。私では見分けのつかないものだけど……多分、これが。

 

「祆蘭?」

「何をしているの?」

「──ぶぇっくし!! げほ、けほっ! り゛──凛凛、今潮!! はや゛ぐ、止め゛ろ! 使われ゛る゛!! ぶぇっくし!!」

 

 回復したわけじゃないだろうに、来たか。存外信念のあるやつだな。

 

「玻璃」

「……はい」

 

 けれど彼女は、ビタンと止まる。通路に敷かれた結界で。即座に懐から取り出されるは月色の紐。

 

「遮光鉱ですか。申し訳ありませんが、そのような弱点は克服しましたよ」

「は、ぁ゛!?」

 

 叩きつけられた紐によって刹那的に砕け散った玻璃の結界は、直後に戻る。

 まぁ、輝術のことはよくわからん。そっちは任せた。

 

「……なるほど。笈溌、君がわざわざ己を集めてここへ赴いた理由はそれか」

「なに? ……アンタ、死ぬために来たわけ?」

「あぁ。言っただろ、俺と紊鳬はここで死ぬってよ。"(もやいぶね)の体"の構造を見た時から考えていた。これを根絶するにゃ、俺を殺すのと同じことをする必要がある、ってよ」

「げほっ……げほ、ごほっ……! 笈溌、早まんな! あたしがなんどがじでや゛っがら゛──」

「張衡は絶対にまだ何かを残している。仕込んでいる。……想像通り、周囲一帯の地中にこれでもかってくらい骨が埋められていた。肉塊もな。凛凛、お前も掃除しただろ」

「ええ。……そう、そういうことね」

 

 蟲。それが一匹、私の掌の上に乗った。

 一瞬……地黒の肌が見える。けれどそれは現出することなく。

 

「今、そいつに……俺の本体を食った蟲と、張衡だろうもの全ての肉を食わせた。知っての通り寄生虫だからなぁ、逃げようとするやつを追いかけるのは簡単だった。──あとはどうやって処理するか、が問題だったが、丁度いいごみ処理施設が来てくれて助かったぞ」

「よく言うものだ。そのために奔迹と玻璃に痕跡を見せたのだろう? 新帝同盟である二人が私へ報告を入れることを見越して、さらにお前と紊鳬と張衡一派が一堂に会するこの機会を私が狙わんはずがないと知っていて。でなければあんなにも連係ができるものかよ」

「フン、気付いちまったモンの宿命だよ、こんなものは。陽弥もそうだ。誰もがそうだ。張衡の言う通り、俺達は俺達だけでは進めない。だからどうしても必要だった。時間と機が。……お前の出現は、あるいは一個人に願われたものかもしれないが……俺達の悲願でもあったんだろうさ」

 

 殊勝なことだ。

 以前対混幇の時にあっさり退いたことを思い出す。……やはりこいつらに悪意らしい悪意はないのだろう。

 全てが……ただ一つの目的のために。

 

「言葉を落とす時間くらいはくれてやる。幼馴染なのだろう? 加えて、そこの道破なるものは」

「くだらねぇ。要らねえよ、そんなもん。──十二分に語らった。もし仮に遺す言葉があるとするならば、こっちには来るな、ってくらいか」

「……馬鹿ね」

「黄州で働き始めると聞いた時には一番の出世をしたと思ったのだけどねぇ。まさか最も早く死ぬとは」

「一番早く死んだのはお前だろ。……いや凛凛か?」

「輝術の意思と一体化することを死と定義するなら、そうなんじゃない?」

 

 にやり、と。長身痩せぎすの男は……笈溌は、私にだけ見える笑みを見せた。角度的に他の二人には、玻璃にも道破にも見えない笑み。

 

「見ての通りだ、"シェンラン"。これ以上は十二分を超える。──やれ」

「仲の良いことだ。──感謝する」

「あァ、存分に、しや、がれ──」

 

 ばらばらに。

 ぼろぼろに。

 笈溌の身体と思われていたものは無数の蟲へと分解され……それも全てが死滅した。寿命を迎えたように、ころりと。……ひっくり返って、だ。

 つくづく赤い縁起物に縁があるものだな。赤べこで発覚し、ダルマで副次的に、か。加えて赤州で。……今日のラッキーカラーは緑だったのだろうよ。

 

「笈溌!!」

 

 悲痛な悲鳴。

 それはもう届かない。

 もう使い切った。もう笈溌という魂はここにいない。私の魂を通し、存在しない楽土へ向かった。

 

「……確認したわ。空にいた蟲も全てが落ちた。『継草』の感知できる範囲でもそうね。あいつの蟲はもういない」

「やれやれ、悪なら悪らしく、なんて考えてしまうのは、『輝園』のあった黒州出身だからなのかな」

「一緒にしないでくれる? そもそもアンタほとんど青州の人間……鬼でしょ。帰属意識持たれても困るわー」

「雑談はそこそこにしておけ。下に行ってやらんとな。……で、この筋肉塊は生きているのか?」

「失血で気を失っているようですが、命に別条はないでしょう。今潮、止血剤の類はありますか? なければ固定の輝術でもかけておきますが」

「あるけれど、私が持ってきたのはお姫様の分だけだからね。ここで使うべきではないよ」

「そうですか。では固定しておきましょう」

 

 扱いよ。一応、というか結構な命の恩人ではあるし、彼のおかげで張衡の輝夜術の仕組みに気付けたから良い仕事したと思うんだけど……まぁ。

 気絶者はオブジェクト扱いか。……今までの私がそうか。今潮に運ばれたり祭唄に運ばれたり桃湯に運ばれたり……。

 

 固定の輝術がかかる。それにより、全身の傷口にかけられたそれは、血が出て行くことを強制的に停止させた。……あー、そういう使い方もできるのか。まあ今回は赤積君が気絶しているが故だけど。

 

「で、そいつはどうするんだ」

「……道破老師。そもそもあなたはここへ何をしに来たのかな。祆蘭を阻みに来た……だけとは思えないのだけどね」

「けほっ、……ああ、だが……ぞの、嬢ちゃん……の、やってる゛、ごど……わ゛がっでん゛のが」

「さぁ? ろくでもないことなのでしょうけど」

「少しは、だね。そして何をしているかを聞く気はないよ。彼女は約束をしてくれたから」

 

 約束。誓い。

 ああ、そうだとも。

 

「──私達を導くと。その言葉に嘘偽りがなかったから、今こうして私はここにいる」

「……はぁ」

 

 溜息。

 そこに濁りはない。……こいつ。

 

「なんだ。あたしの思い違いか! いやー、楽土より帰りし神子はその全員が妙な統率力を持ったやつが多いから、ころっと騙されてんのかと思ったけど……今潮も凛凛も、ちゃんと自分で考えてついていってんだな。……笈溌も、死んだのは……目的のためか」

「おや、咽ていたのは演技でしたか」

「匂いですぐに秀玄(シゥシュェン)の香辛料だってわかったからなー。あたしみたいに何年も盗人やってるやつにかかれば、咄嗟に口と鼻を布で塞ぐくらい朝餉前だよ。んでまぁ、これも」

 

 玻璃の結界に……ピシリ、と。

 今までのものとは違う罅が入る。

 

「へぇ、その爪……」

「輝術には壊し方ってもんがあんのさ」

 

 ばらばらに砕け散る結界。

 爪紅のように塗られているラメっぽいの、まさか遮光鉱か? いやだとしてもじゃないか? 紐は対処できていたのに。

 

「まーまー、あたしのことはいいから! 追おうぜー、本当に倒すべき敵ってやつをさ」

 

 道破。……要警戒対象……か?

 

 

 

 下へ下へと降っていく。

 順路通り……なんてことはなく、玻璃と凛凛さんの掘り進める直下の穴を、だ。

 道破は今潮の首に手を……というか肩を組んでいるのだけど、なぜか穢れは彼女を侵食していない。曰く輝術軟膏なるものを塗っているらしいのだけど、輝術師も華胥の一族も「なんのこっちゃ」みたいな顔をしているから多分本当に意味の分からんものなんだろう。

 

「かなり降るな」

「対象は捕捉しています。逃げる気は無いようですし、のんびり行きましょう」

「……そうだな」

 

 急ぎたいとは言ったけど、多分。

 私が行くまで、誰も死なないだろうし、決着もつかないだろうから。

 

「待ち構えている、ということ?」

「罠の類は精査できませんでしたが……どうでしょうね」

「穢れもないようだし、ただ待っているだけ、という可能性もあるんじゃないかな」

「……。……あ」

 

 道破がその「あ」を呟いた瞬間、私も同じ音を出していた。

 だから、止まる。止めさせる。

 

「凛凛」

「玻璃、待て」

「……どっちも、どんな嗅覚してやがる」

 

 現れるのは光り輝く地黒。

 さっき一瞬だけ笈溌の最期を見届けに来た彼は……直下を降りる私達を遮る形で、水平に立っていた。

 

「海底か、そこからは」

「あァ。……だから、輝術師も鬼も行けねえ。行けんのは平民だけだ」

「……敵の"お頭様"は輝術師ではないのですか?」

「輝術師だが、輝術が使えねえことを理解した上で降ったみてーだな。……テメェらにその覚悟があるなら話は違うが、そうじゃねえならここから先はやめておけ」

「ふむ」

 

 玻璃が……生成をする。

 それは綱だった。

 

「祆蘭、命綱です。頑丈に作りましたので」

「ああ、危険が生じたら引っ張るよ」

「黄征君、あたしにもくれよ。あたしもいけるからな!」

「あげませんよ。あなたは監視する必要がありますから。凛凛、今潮。あなた達もここに残ってください。彼女を知る者がいた方が良さそうなので」

 

 目配せは玻璃から。

 ……お前、盲目なのに目配せとか……いや待て私。いまなんで彼女の目配せを感じ取れた。顔布あるのに。

 

「嬢ちゃんを一人きりにするのか? そっちの方があぶねーだろー」

「まだわかってないの? アンタの方が危険視されてるのよ、老師」

「そういうことだね。これも日頃の行いというやつだ」

「いやいや! さっきまでのは嬢ちゃんの気にアテられていないか、って試験で……な? な?」

 

 ん。

 

「時間の無駄だ。頼んだぞ、お前達」

 

 命綱を頼りに、降りる。輝術が弾かれるはずなのに、これより先が穴になっているのは……元からそういうつくり、ということ。

 つまるところ、"お頭様"はこの状況まで見えていたわけか。張衡はどこまでも小物だったのかね。ま、知識源が頭であることは少ないか。

 

 するすると綱を伸ばしていく……けれど、中々底が見えてこない。真上の光……(シィェン)の輝きが遠くなっていっているからしっかりと降下はできていると思うのだけど、こうも景色が同じだと時間感覚が薄れるというものだ。

 だから、綱を伸ばす速度をあげる。消防大会も真っ青な速度で落ちていって……行って……。

 

 え……いや深すぎないか……?

 

「もう辿り着いていますよ。足をつけてみてください。──そこが地として認識されますので」

 

 声。その声に従い、地に足をつけてみる。

 しっかりとした感触が返ってきた。

 コツ、という足音にそちらを向けば……暗すぎてよく見えないけれど、それなりに豪華な装束を纏っている。……冥衣、だっけな。日本で言う死装束。

 どうせ"(もやいぶね)の体"だろう、と思いかけて、ここが輝術を通さない深さであることを思い出した。ならば今見えている女性は、彼女本来の姿か。

 

「ようこそ、"シェンラン"。ここなるは世界の底。私達は降幽泉(ジャンヨウチェン)と呼んでいる場所となります」

「まさか、物語に出てくる昇水泉はこことなにか関係があるのか?」

「……成程。"お頭様"も似たようなことを言っていましたが、……あなた方は"音の(かたち)"を基準に意味を図るのですね」

「今更張衡をお頭様、などと呼ばずともいいぞ。お前がそうであることは」

「いえいえ、あの方が"お頭様"ですよ。ただ、あなたもそうであるように……頭が最も賢く、最も強き存在である必要はない、というだけです」

 

 ハ。これは手痛いブーメランを食らったものだ。

 ……ああ、その通りだな。

 

「なら、私はお前をなんと呼べばいい? 名はあるのだろう?」

森封(センフォン)と」

 

 それが偶然なのか恣意的なものなのかはわからない。

 ただ……いや。

 

 森封。そう名乗った彼女は、一言で言えば美人だ。ただしその前に「近づき難いオーラのある」がつく美人。この世界では逆に珍しい黒髪黒目のその姿は、暗闇に溶け込んでいるようにさえ見える。

 

「話を長引かせる気はありません。……私達の目的と、あなたの目的。その双方をすり合わせたのち、お開きといたしましょう」

「お開き、というのは?」

「私を殺すことです。──術者たる張衡こそ死にましたが、素材である私は残っています」

 

 素材。……私も言われたけど……ああ、もしかして。

 

「劣化"(とこしなえ)の命"、及び土による成り済ましの術。それらは本物の"(とこしなえ)の命"や"(もやいぶね)の体"における邪法を再現できなかったがゆえにつくられたもの。なぜ再現できなかったのかは……特別な素材が必要だったから、か」

「はい」

 

 なるほど、それなら一生かかってもつくれないわけだ。

 

「それで、お前達の目的というのはなんだ、森封」

「死、にございます」

「予想はしていた。なんせこんなところで待っているくらいだ。……だが、理由は、いくら考えても思い浮かばなかった」

「私の齢が七万と四千九百九十九であると言えば、察してくださいますか?」

「お前が死にたい理由など聞いていない。どうでもいい。聞きたいのは張衡に協力し、これほどの数の人間を死に至らしめた理由だ」

 

 彼女は……少しだけ黙って、ふわりと笑う。

 

「一人は寂しいですから」

「……ああ。ああ、そういうことか。……私が"(もやいぶね)の体"の敵を"そうではないもの"に変換していることに気付いていたのか。だから……仲間を、と? 馬鹿馬鹿しい。凍れば意識など消える。そんなこともわからんか」

盤古閉天(シェングービーテン)から長き月日が経ちましたが、理解したことは本当に些細なことだけです。首を落とせど(シン)を突けど、身体を潰されようと消し飛ばされようと……死ぬことのできない身体。張衡からは常勿体ないと言われ続けてきましたが、あれは不死には向かぬ精神をしておりますね」

 

 そうか、具体例がいたから張衡はそれら外法の開発に着手できたのか。

 たとえ「この世界的」ではないとしても、それでも張衡一人で見つけられることではなかったように思うから。

 

「死に怯える者に、不死は似合いません」

「死を欲するものなればこそ、と? そんな高尚な言葉を吐くなよ。お前こそ不死者には向かないよ。木であり石であるものでなければ不死足り得ん」

 

 どこにあっても石で、どこにあっても木であるように。

 熱の無いものでなければ、不死など。

 

「ええ、自覚しております。──ですから、これほどの害を齎したのなら、あなたは必ず私の前に現れる。ここで私を使いきらねば、私は繰り返しますよ。天染峰全土にて黒陽を起こし、平民も貴族も関係なく巻き込み……調節の行われていた天遷逢よりも前に、溶岩の世を引き起こすでしょう。私にとってはたかだか五度目の灼熱にございます」

「迷惑なことだ、本当に」

「利害の一致ですよ。私は死ぬために。そして張衡は私を利用するために意気投合し──彼はいつしか己に酔った。"(とこしなえ)の命"というわかりやすい成果を与えてあげたら、大喜びでしたね。彼が年老いて来た頃、"(もやいぶね)の体"を開示したのなら、彼はいそいそとその肉体を捨て去りました」

「素晴らしい信頼関係だな」

「ええ、あなたと青清君に負けず劣らず」

 

 成程、そりゃ仲が良い。

 

「それで? まだあるのだろう。ここまで深くへ来たのだ、理由があろうさ」

「……そうですね。はい、しっかりとした理由があります。……こちらへ来てください」

 

 促されるままに歩く。彼女の姿を見失えば終わりだろう。それくらい、何も見えない黒がそこにある。

 あった、はずだった。

 

「は……は?」

「ご安心を。ただの幻覚ですので」

 

 幻覚。

 ……この、眼下に広がる真っ青な海と、巨大な山。火山。

 足元にあるこの山は天染峰……というより、光閉峰か。海が広すぎてサイズ感が上手く掴めない。

 

「天染峰の全貌自体なら……見たことは、ある。以前……」

「いいえ、見ていただきたいのは下ではなく上。真実の中天にございます」

 

 上。そこには──無数の星々が()た。

 天染峰の中から見る星空とはまるで違う並び。当然だ、それが当然であると言うかのように、動きまわっている。それが当然であるかのように──こちらを見ていない。

 巨大で、巨大で、巨大で、巨大で、巨大で、巨大な──神と呼ぶに相応しき者達。

 

「……()から目を逸らさせたのは、なぜだ」

「彼らのことはお聞きにならないので?」

「無駄なことはしない。私は私にできることをする。……華胥の一族が搦め手で閉じ込められたと言っていたからな。この巨大さは、やつらにとっては些事なのだろう。であれば気にすべきは足元だ」

 

 促された空から視線を外せば、先程から見えていた真っ青な海が目に映る。

 それはまるで砂漠のようにどこまでもどこまでも続いていて、ぽつりと浮かぶ光閉峰はさながらピラミッドのようで。

 

 だから、そいつがいても……違和感はなかった。

 

巨虎(ジュフー)と、そう呼ばれています」

 

 まるっきりスフィンクス。だけどあれは獅子だったはず。

 虎がいなかったのはここにいたからか? この虎は……この人面と無数の尾を持つ巨大な虎は、光閉峰の足元で何をしている?

 

「お前は、なんだ。誰だ」

「森封……という答えをお望みであるとは思えません。正体、とでもいうべきものを聞きたいのですね」

「当然だ。不死の可能性などどうでもいい今までやってきたことさえも、迷惑なだけでどうでもいい。お前はなんだ。なぜ私にこれを見せ、なぜお前は存在している」

 

 彼女は。明るくなったことでその顔の全てが見得るようになった女性は。

 にっこりと笑う。嗤って、言う。

 

「万象のため、にございます」

 

 そう。

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