女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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幕間「黒州天才四人衆」

 巨大な花。赤紫色をしたそれは、ゆっくりと空を見上げる。

 蟲。蟲だ。その大群が……穴の開いた空を、その穴が閉じないよう絡みつく黒き蛇を守っている。

 

黒州(ヘイシュウ)牡丹(ムゥダン)。……いつマで経っテも女々シいなァ、凛凛(リンリン)

「アンタこそ、一番多い蟲は金亀子(ジングゥェイズー)じゃない。黒州にいるのは珍しい珍しいって、興味のない私や今潮(ジンチャオ)に見せびらかしてきては騒いでたでしょ」

「……なるホど、お互い様カァ」

「なによ、気付いてなかったの? 笈溌(ジーボォ)アンタ、昔からそうよね。結構大雑把というか、ずぼらというか。仮にも貴族だってのに、服のほつれも気にしないやつだった」

「細かイところニ気付き過ぎルやツダよ、オマエは」

 

 黒州牡丹。

 黒州の至る所に自生している花であり、同時に黒根君が決して「花」と呼ばないもの。

 それは誓いの花だ。二十五年前、笈溌と今潮が黒州を去った時に交わされた誓い。今潮六歳、凛凛と笈溌が五歳であった時分の話である。

 

「私はこの花を頭につけて、天染峰一の植物学者として名を馳せてやる」

「俺ハこの花を踏ミつけテ、天染峰一の益虫学者トシて名を知らシメる」

「今潮は、なんだったかしら」

「僕はこの花を薬用にして、天染峰一の製薬技者として名を上げてやる……だよ。もっとも、私は"僕"なんて己を言い表すことはなくなってしまったけれどね」

 

 青い夢だ。

 くだらない夢だ。

 今にして思えば、誰もがそれを達成していないし、する気もない。やるべき事が変わってしまったから。

 

「結局来たノか、今潮」

「来たよ。今の私は鬼だからね。特異な身体となった君達とも張り合える」

奔迹(ベンジー)に何もかも劣っているのだから、素直に任せてきたらよかったのに。祆蘭の方が私達より気に入っているんでしょ」

「おや、嫉妬かな? 流石だね凛凛。背丈が少女並みなこともあって、考えも子供染みているとは」

「考エがガキ染みてんノはオマエだロ、今潮。自分の娘ヲこさエておいテ、やりてェことガできタラそれに熱中。結果置き去リとハな、昔かラ変わってネぇ」

 

 雑談だった。今眼下で起きている全てを無視した雑談。

 ──いや、無視せざるを得ないのだ。それよりもあり得ない事が起きてしまったから。

 

「それ。竜、だっけ? もうどっかにやっていいんじゃない? 役割は終えたでしょ」

「俺の言葉を聞クわケじゃねェからなァ。こいツにはもう充分ナ自由意志がアんだヨ。点展がいりャ話も違っタんだろウが、今のコイツは既にコイツの意思でこレをやっていル」

「私には言葉も何も聞こえないけれど。これは、心を開いてくれていないのかな」

「ダろうなァ。鬼なラ多かレ少ナかれ、声は聞こエるはず、らしいカラなぁ」

 

 ありえないこと。それは。

 

()()()()()()()()()()()()()のだから、どんな異常事態になっていても今更でしょう。……あの子、大丈夫なの?」

「止血剤、筋弛緩剤、麻酔、その他あらゆるものを使って動き続けようとする彼女を止めて、応急処置をしてきた。剣先が心臓に軽く触れる程度まで入り込んでいたところで、その剣が上から真っ二つに折られたんだ。その傷がどれほど広がるか、なんて想像に易いだろう?」

「生きテんのガ不思議なくらイだな。輝術師でもねェなら、即死でもおカしくはねェ」

「そこを生かすのが私の手腕だよ。医師になったつもりはないけれどね。……ただまぁ、あのままいけば心臓が貫かれていた、ということを考えれば、要人護衛の彼は最大限の仕事をしてくれたのだろう」

 

 三人の視線の先にいる少女は、衣服を剥かれ、包帯をこれでもかと巻かれている。

 彼女の周囲には輝術による結界が敷かれ、その中で二人の輝術師……要人護衛がなんらかの処置を続けているようだった。彼女らの前に立って流れ弾の全てを弾く男こそが今潮の上位互換──知識も力も勝っているという件の鬼である。

 

「こっチの神子も、よくワからネェことをシやがルもんダな。──アレが死ねバ、何が起きルか。わかってネえってコトもねェだろウに」

「何よ。なんか知ってるの?」

「あァ? ……オマエたちも知らねェのカよ。あれハ穢れの意思ノ代行みテぇなモンだかラな、それガ死に絶エりゃ、当然本物が出てクる」

「彼女が……穢れの意思の代行? それはおかしいな。実際今、反旗を翻しているというのに」

「……。アぁ、オマエたちガそんナに信用されテねェのはわかっタよ。……自覚はシてるはずダぜ。でなキゃ、新帝になゾなるもノか」

「ちょっと」

 

 雑談の最中、運ばれてきたものがあった。

 音。それは声と鬼を連れてくる。

 

「今潮あなた、弱いのだからさがっていなさい。この規模の戦闘だと、普通に死ぬわよ」

「それ以上高度を下げないでね。私の蝕、もう見境なしだから。範囲内に来たら全て分解してあげる」

「私の蔦まで分解するの、やめてくれないかしら。一応味方よね、私達」

「あの子の味方かもしれないけれど、あなたの味方ではないから。じゃあね~」

「あ、ちょっと結衣(ジェイー)! 飛び降りるなら言いなさい! 新しい足場を作らないといけないでしょ! ……ということで、弱い鬼は邪魔だから、どこぞへなりと消えなさい。最大の窮地は祆蘭がどうにかしてくれたとはいえ、未だに敵戦力は衰えていないのだから──」

「心配性だねぇ、桃湯(タオタン)。けれど大丈夫。私にも私の目的があるからね。もしものことがあっても、こんなに弱い鬼の一人程度の損失は些末な問題だろう?」

「大問題よ。私、奔迹苦手だから。上手くのし上がって奔迹より強くなりなさい。じゃ」

 

 言うだけ言って、鬼も音も消える。いや、戦場に戻ったというべきか。

 

 戦場……暴風と人影と蝕と音の吹き荒れる大戦争。

 並の輝術師では一瞬にして蒸発するだろう暴力の竜巻も、敵方の技術である"(もやいぶね)の体"が戦場を混沌へと貶めている。

 

「……と言われてもね。私としてはこの同窓会をもう少し続けていたいのだけど」

「気持ち悪イな。そんなタチじゃねェだろウ」

「本心でしょ。──アンタと言葉を交わせるのは、ここが最後なんだから」

 

 沈黙が落ちる。

 数瞬のそれを破ったのは、溜息だった。

 

「はァ。……紊鳬(ウェンフー)は満足しテ死んだ。まァ、あレに使われタようだガ……元からもう、用済ミだったかラな。……そシて俺モ」

 

 蟲が集まっていく。集まって集まって……長身痩せぎすの男を作り上げた。

 

「結局アンタたちは時間稼ぎをしたかっただけ、って認識でいいの? 紊鳬とか、満足して死んだって言われても……私には無駄死ににしか見えないけど」

「ン゛、ンン゛ッ……ああ。あー。……その認識で……あぁ、合ってる。馬鹿馬鹿しい話だがな、気付いた時にゃ遅かった、ってやつだ」

「詳しく説明をする気はないのかな、笈溌」

 

 笈溌。その男は笈溌だった。紛う方なき笈溌。けれどその形成を見れば、誰もが理解することだろう。

 

「詳しい説明は紊鳬がしただろ。ったく、陽弥のやつめ。あっさりアレにつきやがってよぉ……。世界を救い得るならなんでもする、ってのがあいつの口癖だったが、まさか寝返りまで含まれるたぁ恐れ入ったよ」

「……その身体。私の植物とは、わけが違う。……もう存在しないのね、あなたの肉体は」

「今更かよ。あァ、そうだ。俺の肉体はとうの昔に無くなった。蟲に食わせたのさ。その蟲が子を産んで増えて、今じゃ──」

 

 集合していく蟲。それらはそれぞれに長身痩せぎすの男を作り上げる。

 全員が寸分狂い無く笈溌。

 

「こんな戯法(シーファ)までできるようになった。俺の肉体情報を遺伝構造として覚えた蟲さ。生憎と輝術は使えねえがな」

「それくらいなら私でもできるわ。できないのは今潮くらいでしょう」

「そんなに言うなら、私の鬼火以外の術は分身にしようかな?」

「やめとけ。戯法だって言っただろ。使い道がねぇんだよ、これ。……まぁ、だから、この蟲が全て死ねば……俺はいなくなる」

「なら一匹くらいどこかへ逃がしておけばいいじゃない」

「くだらねぇ。わかりきってることを言うんじゃねえよ。ねぇだろ、お前達も。生存願望なんかよ」

 

 大花がその蔦を使って肩を竦めたように見えた。今潮はもう必要ないだろうはずの眼鏡をくい、と上げる。

 

「たかだが三十数年。傍から見りゃ短ぇ生も、充分に濃かったし、充分に満足した。十二分に堕ち切ったしな」

「アンタたちと一緒にしないでくれる? 私は州君の付き人っていう立ち位置にいるから、堕ちたつもりないんだけど」

「私も鬼とはなれど、堕ちたつもりはないかな」

「同調しないで。アンタは堕ちたわよ。がっつり」

「凛凛とお前はちげぇだろ。お前はなんなら俺より堕ちたよ、今潮」

 

 一息。

 ……雑談は、これくらいで充分だった。

 

「一頻り"昔をなぞる"自傷行為を終えたんだ。そろそろ問題解決と行こうじゃないか」

「仕切んな」

「歳が一個上って程度でずーっと偉そうだったわねー、昔から」

「……皮肉を言い合うのをやめよう、と言っているんだよ。そろそろアレ、どうにかしたいだろう?」

 

 アレ。暴風やらなにやらのことではない。

 その先にいる……その先でニヤついたまま戦場を見ているだろう、「お頭」なる存在のことだ。

 

「一応、確認しておこう。笈溌、君の狙いは本物の"(とこしなえ)の命"や"(もやいぶね)の体"を成り立たせている外法、ではないね?」

「当たり前だ。んなもん手に入れて何になる。むしろ逆だ。──その根絶。それが俺達の悲願。混幇なんて組織に潜入してまで手に入れた、この世をここまでくだらなくさせた根源」

「アンタたちの作った成り済ましの術やら劣化"(とこしなえ)の命"はなんだったわけ? 再現したかったんじゃないの?」

「再現しようとしたさ。何が使われてんのか知らねえと根絶なんてできねぇだろ。んでわかったのは、使われている術式が明らかに俺達とは発想の違う何かだってことだけ。輝夜術は俺達でも使える外法……つぅか奇術に近いそれだったが、その二つに使われているモンは違う。輝術の範疇を越えた何か、だ」

 

 だから、と。

 

「あっちの神子。そいつが楽土より持ち込んだ技術、あるいは発想。それが根源だろう。……聞けばあのガキとあっちの神子は同郷らしいが、何か知らされてねぇのか」

「特には。ああでも、観察した限りでは、ただの輝術師よ。州君ほどの力を有しているわけでもなさそうだし、遮光鉱で簡単に無力化できたみたいだし。ただその神子自身も"(もやいぶね)の体"を使っているから、いくら殺したところで、でしょうけど」

「君達の理解渡はその程度か。なら、私が遅刻してきた意味もあるというものかな」

「んだよ、勿体ぶりやがって。なんか知ってんならとっとと吐け」

「そうよ、アンタいちいち面倒臭いのよ。先に情報吐きなさい。そして、どっかへ消えなさい。弱いんだから」

「……うん、気にしないよ。私は何も気にしない」

 

 悪ガキに拍車がかかっているなぁ、なんて。今潮は考えていない。ニコニコと笑顔を貼り付けて「接客」を再開する。

 

「──君達は、脳波、というものへの理解があるかな」

 

 自信たっぷりに。

 

 

 

 結衣の操る蝕に分解されないよう気を付けながら、笈溌は言われた通りのものを集め切った。相当神経をすり減らす行為だったようで、蟲の集合体でしかないはずの彼の眉間には深い皺が刻まれている。

 

「……認めたくはねェが、あぁ、一致した」

「良かった。それなら反撃に打って出ることができる」

「へー。奔迹に何もかも劣っている鬼、じゃなかったのね、アンタ」

「……うん、気にしないで話を進めるよ。……これは昔祆蘭が私に話してくれた概念でね」

 

 今潮は流暢にそれを話す。曰く、桃湯に恥を掻かせるためだけにいつか作りたい装置、と少女が言っていたものについての、簡単な概要。

 少女はそれを、『蓄音機』と呼んでいた。

 

「音を溜め込む……ねぇ。それくらい輝術なら簡単にできるけれど、輝術を使わずに、ってあたりがあの子らしいわ」

「んで、輝術と音には似た性質がある、ってのがお前の研究成果、と」

「ああ。桃湯の音について調べている時に気付いたんだ。できることもできないことも、酷く似ている、ということに」

 

 音。あるいは、波。

 そもとして、常駐型の輝術、というものもある。結界がまずそうだし、他、貴族街には様々なそれが使われている。眼下の暴風もそうだ。

 これらもまた「輝術を溜め込む術」であると考えた今潮は、天染峰全土にある常駐型の輝術を片っ端から調べ尽くした。

 

 その結果。

 

「どうやら常駐型の輝術は、同一の輝術であっても術者によって微差としか言えないような差がでるようだ、ということ。この微差が何なのかを調べるために奔走していたら、いつの間にか新帝同盟やらなにやら話が進んでいて驚いたけれど、ようやく掴むことができたよ」

「その微差は他の輝術にも表れていたとかそういうこったろ。相変わらず話の長いやつだな」

「加えて、情報伝達時の個人特定にもその微差が使われているってことね。私達は無意識に使っているけれど、穢れを撒くことで輝術の痕跡を浮き彫りにできるようになった、ってところかしら」

「うん、君達は私の苦心した研究成果の悉くを奪っていくね」

 

 ただ、その通りであった。

 今潮の調べた結果、輝術師の放つ輝術は力量差ではない部分の差が存在する。情報伝達の一つを取ってもそうで、斬撃や打撃、あるいは州君の物質生成に至っても「個人ごとの微差」が存在した。

 それらは薄く撒いた穢れに波紋のようなものを作る。だから今潮はこれらを「波」と、そして輝術師しか使っていないものを絡めて「脳波」と名付けた。

 

「……なに? アンタ、脳使ってないわけ?」

「そのようだね。同胞……鬼達の身体検査や自分自身への実験を繰り返した結果、脳の稼働はない、ということがわかった。より正確にいうなら、血管以外はまともに動いていない、が正しいかな。鬼は物を見る時に顔を動かす。それは眼球が機能していないからだ。鬼は喉を潰されたとて声を出すことができる。それは喉が機能していないからだ」

 

 笈溌と凛凛は、少しばかり己の記憶を探って……そういえば、と。

 各々が会ったことのある鬼を思い浮かべて頷いた。

 

「心臓も動いてはいないよ。だから実は心臓を貫かれたところで問題なく動くことができる。首を斬られても同じ。ただし、血液は零れ出でるから、それで死ぬのだろうね」

「……(シン)は血液を送り出すための装置だろうが。それが動いてねぇのに血液だけが循環してんのはおかしな話だろ」

「事実がそうなのだから仕方がないだろう。私達鬼の身体は血液の循環ありきなんだよ。血液の循環だけが独立して機能している、といえばわかるかな。その他の機能……たとえば爪を伸ばすだとか、食事をするだとか。そういう機能はただのおまけ。鬼の臓器と呼べるものは血管だけで、鬼の生命活動と呼べるものは血液循環だけ」

「……ふむ。鬼か。多少は興味も出たが、最早どうでもいい事だな」

「そうだね。今話すべきはそこじゃない」

 

 今潮の前に十匹ほどの蟲が並ぶ。蟲……それは蛾だった。

 

「話が逸れたけれど、輝術師は脳を使っている。輝術師だけが使っている。平民は……使っているかどうか怪しい、とは言っておこう。あの子ですら、ね」

「本筋に戻したなら話の逸れるようなこと言わないでくれる?」

「せっかちだねぇ。……ま、そういうことで、今しがた笈溌の蛾に取ってきてもらったのは、戦場にいる"(もやいぶね)の体"を使っている輝術師の脳波だ。笈溌、これ以外は全て」

「あぁ、重複があった。同じ奴を省くと、その十人分だけが"今活動している輝術師"になる。……あっちで要人護衛と戦ってる奴を含めると十一人になるが」

「千人はいるんじゃないかと思ってたけど、案外少ないのね」

 

 十人。たったの十人だ。

 その十人が死ぬたびに"(もやいぶね)の体"によって別の肉体を得て、新たな誰かとして動く。

 この蛾の羽。その鱗粉を用いて形成された波こそが、輝術師の「個人」を識別するための波。

 

「で? それがわかったから何よ。十人を一気に殺せば終わり、とかそういうこと?」

「それもあるし、それ以外の方法も取れる。ただ、とりあえず十人を一気に殺してしまおうか。──凛凛、笈溌。君達の植物と蟲は、振動を起こすことができるね?」

「……あァ、そういうことか。……五人分、貰っていく」

「結局私達頼りなわけ? もう……ほんっと、アンタって」

「はいはい文句は後で聞くから。頼むよ、輝術師」

 

 果たして。

 

 突如として、空の蟲と地の花から、輝術の波が放たれる。暴風、音、蝕、人影。

 それらを通過する形で拡散したソレは──人影だけをボトボトと落としていった。

 

 輝術の個人差。それらに逆位相の波をぶつけることで、「定着の甘い脳」の活動を一時的に停止させ、作り物の肉体と借り物の骨との同期を行えなくさせる。

 とはいえ一時的でしかないし、元来の肉体を持つ輝術師には数瞬動きを止める程度の効果しかないが……。

 

 己の研究成果である。うんうん、と満足するように戦場を俯瞰していた今潮──の後頭部を叩く蔦と蟲と音と平手。

 

「私達の成果であって、アンタのじゃないから。満足気にしないでくれる?」

「対輝術師としちゃ使い物にならねぇな。敵が"(もやいぶね)の体"だからこそ使えるモンだ。こんな限定的なモンが研究成果とは、青州の薬師も落ちたもんだな」

「今潮、あなたね、何かやるなら言いなさい。新手かと思ったでしょう」

「私に任せておけば終わったのに! なんで落としちゃうのよ!」

 

 一人方向性が違うけれど、それはこちらの勝利を知らせる言葉でもあったのだろう。

 今潮は勝手にそう結論を下し、そして。

 

「桃湯、結衣。君達は祆蘭のもとへ行くといい。今も尚彼女の側には暗殺者がいる。祆蘭自体も危険な状況にあるから、奔迹の指示に従って何かしてきたまえ」

「偉そうに……。はぁ、もういいけれど。……そっちの……輝術師? 凛凛と笈溌だったかしら。あなた達も大変ね。この男、想像以上に想像以上だったわ」

「ええ、そうなの。……祆蘭が生きていたら、廟で全てを話すわ。それじゃ」

「鬼にまでコイツのダメさ加減が伝わった、ってぇのは胸のすく話だ。死途の土産にゃ丁度いい」

 

 その他様々な罵声を浴びせて、けれど事態を理解しているのだろう。桃湯と結衣は祆蘭のもとへと向かう。

 それを見送った三人は、改めて、と。

 

「手駒を全て失った親玉は、どういう行為をするかしら」

「臆病なやつなら逃げる。短気なやつなら打って出てくる。──自信過剰なやつなら、だとしても問題ねえ、とか思ってんじゃねぇか」

「"(もやいぶね)の体"、という保険を使いつつではあれど、単身敵陣にやってきて、私達の頭と語り合い、仰々しく何かを演説していた、という話だからね。相当な自信家で、高い矜持を持つ相手だ。とあらば──」

「この、必要のなくなったはずの暴風を起こし続けているあたり、"(もやいぶね)の体"の部下がまだ生きていると思い込んでいる、とか? 認められないでしょうね。ただ一つの輝術で、しかも祆蘭の関わっていないそれで自分の作戦が台無しにされた、なんて」

 

 そうだ。だから。

 

「なら、逃げていない。──さて笈溌。探してきてくれ」

「あァ? 俺の蟲は風にゃ弱いんだよ。それくらいわかるだろ」

「私も蔦や蔓の伸ばせない場所は無理ねー。アンタがいってきなさいよ」

「この中で最も弱い私が行くのかい? 殺されてしまえば情報を持ち帰ることはできないよ?」

 

 また、沈黙が落ちる。

 それを破ったのはまたも溜息……ではなく。

 

「とう!」

 

 ひっくり返った空……雲から降りて、凛凛の葉へと着地した女だった。

 

 

 女。露出の高い女。紊鳬ほどではないけれど、どこか勝気な雰囲気のある彼女は。

 

「……おや、こんなところで幽鬼に会うとは」

「本当ね。今掛け声が聞こえたような気がするし、触れている感覚も幽鬼ではないけれど、確実に幽鬼よね」

「だな。あの女は死んだはずだぜ。とっくの昔に」

「おうおう、酷いなお前達! ざっと三十余年ぶりの再会だってのにさー。しかもあたしは先生だぜ先生。前みたいに道破老師(ダオポォラオシー)って呼んでくれていいんだけど」

 

 道破(ダオポォ)。それが女の名である。

 

「はぁ。……今でも過去の自分が恨めしい。親の言う通りに生きる気は無かったが、なんだって平民の私塾なんぞに通ったのかね、俺は」

「喋っているということは、本当に幽鬼じゃないのね。お久しぶり、になるかしら。こんな姿だけど、凛凛よ」

「久しいね、道破老師。あなたのおかげで今の私達があると言っても過言ではないけれど、同時におかしな話だね。あなたは複数の貴族から食物を窃盗し続けた罪で投獄、そのまま処刑となったと記憶しているのだけど」

「看守から鍵盗んで逃げたよ。それからずーっと盗人生活さ。そもそも別にいいじゃんなぁ。沢山あって、しかも残すんだぜあいつら。だからあたしが有効利用してやったってだけなのに、カンカンに怒って追いかけまわしてよー。この三十余年間もずーっとそうだ。ちろっと団子の一、二本を食っただけであいつら怒りやがって。心が狭い!!」

「俺の生に汚点が一つあるとするのなら、それはこいつの私塾に通ったことだ。お前らもそうだろ」

「まぁ」

「否定はしないわ」

「酷くないかお前達ー!」

 

 なお、その私塾でさえも詐欺……教えることはでたらめばかりで、なんなら「どうしたら役人に見つからないか」や「足音を消す方法」、「片手で相手の注意を引いて、もう片方の手でこっそり別のことをやる方法」など……子供に教える内容ではなかったことも明記しておく。

 とはいえそのおかげで黒州三大狂気的科学者が生まれたのは事実かもしれない。目に見えるものが全てではなく、むしろ目に見えないものにこそ注視しろ、という考え方は、まぁ、彼らの人生に四割……三割……一割五分ほどの影響を与えたことだろう。

 

 今潮、笈溌、凛凛。

 三人が三人ともそれを否定するだろうが。

 

「それで、死んでいなかった老師は、ここがどこで、今何が起きているのか、を理解しているのかな」

「そりゃずっと上で見てたからなー。いやしっかし驚いたよ。空で弟子共の活躍をみてたら、いきなり雲がひっくり返るんだぜ? しかも鏡みてーに太陽の光を反射する雲でさ、光に触れた瞬間なんだか自殺したくなったから、こーりゃ不味いと思って退避してた次第だ」

「そうまでなって生きている、という運動能力の高さと危機察知能力には惚れ惚れするけれど、つまりそれ以上は何も知らない、と?」

「いや? お前達の一番欲しい情報を持ってる。──あたしが何年盗人やってると思ってんだ。ふ、あたしは世捨て人……だがよ、世界の危機とあっちゃぁ、情報の一つや二つだって盗み取るのがカッコいい盗人ってもんだろ?」

 

 長らく切っていないのだろう、そして川くらいでしか洗っていないのだろう髪をかき上げて、なぜか腕を交差して、なぜか足を交差して……そんなことを言い放つ道破。

 誰も相手にしない。ただ、理解はしている。彼女の言葉が嘘ではない、ということを。

 

「楽土より帰りし神子、"張衡(ヂャンホン)"。それがあの奥にいるやつの名前だ。……といっても、自分で名乗った名前みたいだけどなー。本名は知らね。全員死んでたからわからん!」

「上出来だ、道破阿姨(アーイー)

「あたしはまだ五十三だっつーの!」

「充分阿姨じゃない。……情報ありがとう。折角生きていたのだし、養生しなさいよ」

「置いていくつもり満々のようだけど、この人がここまで来ておいていかれるのを良しとすると思うのかい?」

 

 ぴょい、と跳躍し……今潮の首に手をかけ、肩を組む道破。

 

「さっすが今潮! あたしのことよくわかってんな!」

「……あなたは平民だろう。私に触れるのはよくないよ」

「ああ大丈夫、輝術軟膏塗ってるから。んじゃいこうぜ馬鹿弟子たち! あのお嬢ちゃんが目を覚ます前に片を付けるんだ、じゃないと使われちまう!」

「輝術軟膏……?」

「平民のくせに奇妙な手段で輝術の再現をするのは今更だろ。……で、行くってどこに? この風の中に突っ込むのか?」

「悪ぶるようになっても笈溌はずーっと馬鹿だなぁ。地下に決まってるだろ地下に!」

 

 道破がそれを……腰に括りつけられていた鞠を落とす。遥か高空から落ちていくそれは、けれど暴風の影響をうけることなくまっすぐに落ちて──着地した。

 いいや、着弾した。

 

 直後凄まじいまでの衝撃が地を伝う。

 

「そら凛凛、身体小さくしな。突っ込むぜー」

「それはいいけど、今の何よ」

「あたしに向かって放たれた打撃輝術を封じ込めてたんだよ。遮光鉱の粉末を織り込んだ糸で作った鞠でさ、知ってるか? 遮光鉱は輝術を弾くだけで消すわけじゃない。だから、内側で弾かせ続けりゃいざってときに使えるんだ」

「……ほら、二人とも。呆けている暇はないよ」

「そーだそーだ! 行こうぜ、黒州が道破黄塾四人衆ここにあり、ってな!」

 

 色々言いたいことはあるのだろうが──三人は。いいや、四人は。

 その衝撃によって開いた地下空洞へと下りていく。

 

 ()がちらっと「そちら」を見たのは、驚きからか、それとも。

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