女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百三話「逆さだるま」

 いつもの大声は鳴りを潜め、静かに語り始めた紊鳬。

 懺悔のようではない。ただ事実を並べているかのような語り口。

 

「今までも何度か言われて来ただろ。早められると困る、って。それは何も、"(とこしなえ)の命"による穢れ増幅のためだけの話じゃないのさ」

 

 もう一度シュレーディンガーの猫をやるための穢れ……では、ないと。

 違う目的があると。

 

「気付いてんだろ、ちっこいの。まだ時じゃないことくらい。というか、気付いたから折居のジジイと遊ぶのやめて、こっちに来たんだろ」

「……」

「そう……まだ早いんだ。それは数百年、数千年から見たらちまっこいズレなんだけどさ。今を含めてあと三つ月。次の天遷逢にならないと、ちまっこいの含めた全員の悲願は叶わない。どころかその前に初期化されちまう。──さて、これは多分ちまっこいのの平民の血がそうさせたんだろうけどさ。()()()()()()()って、一度も興味を持たなかっただろ」

 

 な……に?

 そういえば。……何千年前とかのワードが出てくる割に、私は……今が何年なのか、というのを聞かなかった。

 聞いても意味が無いから? なぜ意味が無い。なぜそう思う。

 

「あー、自分を責める必要はないさ。そういう細かい意識に干渉してくんのが平民の血ってやつらしくてさ。あたしも笈溌も苦労したもんだよ。拐ったやつらの意識を操ろうとすると、肉体側から反発があるんだ。こっちは輝術と脳から肉体を掌握してるっていうのに、勝手に骨が折れたり皮膚が裂けたり心臓が止まったり……。どーにも平民の血ってのには自壊機構みたいなものが組み込まれてるらしくてさー、穢れの意思以外が操ろうとするとそうなっちまう」

「それは吾も感じていたぞよ。何度か引き留めようとした輝術師がいたんじゃがのー、なぜか勝手に死んで」

 

 ぱく。

 余計なことを言うな。

 

「ん、なんだ今の火の玉。……華胥の一族か? まぁいいや。で、そういう仕組みだから、ちっこいのは今が何年か、という話に触れなかった。──盤古閉天から一万五千年を四度。四度の初期化を経て、今が五度目の天染峰。六万年の月日は華胥の一族にさえも惰性を与え──だからこそ、智者が現れ始めた。平民の血を持つ智者が。明らかに多いんだよ、五度目の天染峰における鬼の数は。黄征君……神門が逃し得る人数を優に超えた鬼が発生している。ま、そりゃそうだ。この五度目においてはもう、一万四千九百九十九年が経っているんだから」

「……」

「馬鹿みたいな"機"だろ? でも、この"機"にならないと、青清君はお前を見つけられなかった。それ以前に見つけられたら困るから、あたしたちが妨害してた、ってのが正しいか。月織だけじゃないよ、あたしたちはずーっと前から調節している。穢れの意思が世界を見限る一万五千年。見限る。あるいは、それ以上経てば世界の外に出得るものが生まれてしまうと危惧した年数。だから調整と調節をした。まだだ、まだだ、ってな」

「……次の天遷逢で、丁度、と? ……ああ、十三つ月のせいか」

 

 ふわり、と。……紊鳬の隣に降り立つ者があった。

 玻璃だ。

 

「なんだよ黄征君。今珍しくあたしがしっとり話をしてるんだ、邪魔すんなよ」

「せぬよ。……手向けだ。飲め」

「お? へぇ、酒じゃん。……あっはっは、顕も黄征君も甘いよなぁ。最期くらい気分良く、ってか? ……ああ、貰うよ」

 

 瓢箪。その口を開けて、中身を呷る紊鳬。

 彼女……玻璃は紊鳬の隣に座って、ただ黙す。

 

「良い酒だな。陽弥の酒蔵から持ってきたのか?」

「作った。我が楽土の酒だ。……続けるがよい」

「へぇ、これが。……ああ、そうだな。話を続けるよ。……世界の初期化の"機"。黄征君が肉体を得ちまった今、もう神門も作れない。だからあたしらは動くしかなかった。此度を至上と定め、世界を出るに足る楽土より帰りし神子が現れることを待った。……あっちにいる爺さんは、ダメだな。出る気が欠片も無い。だから……不安はあれど、そのちっこいのに賭けることにした」

 

 さて。

 

「話を戻すよ。なぜ記憶を奪うのか。……月織は賢いやつだった。だから、やつは自分が何をすべきであるのかを理解していた。各地に気付きのきっかけとなるものを遺し、本来変わらないはずの宮を改編した。死霊院が輝霊院に併合吸収されたのはあいつのせいだ。っとに余計な事ばっかりするやつでさ。もしあいつの記憶が残ったまま代替わりが起きていたら……鬼のうちの誰かが、というかあそこにいる奔迹とか桃湯って鬼が行動を起こしていただろう」

「私がいたから、か」

「そーだよ、黄征君。ま、鬼子母神はあんたを選ばなかったから助かったけどさ。……そして、仮に黄征君を立てて世界の外を目指す動きがあったら、やつらは世界の初期化を早めていた。たかだか数十年の話だ。やつらにとっちゃ危険な芽は潰せるに越したことはない。だけど選ばなかった。その理由は……鬼子母神本人が知ってんだろ。そのために鬼となったんだろうし」

 

 ──……。

 ──媧? そうなのかい?

 ──水臭いぞよ~。

 

「だから、どうして、問われたら、致し方なく、が答えになる。奪いたくて奪ってるわけじゃない。……これで満足かい、夜雀」

 

 夜雀の声は聞こえない。この隔離はなんのためだったのか。それもよくわからない。

 ただ、紊鳬の声はやっぱり悔恨には満ちていなかった。懺悔ではないのだ。

 

「なぜ秘したのか。それを聞いて、最期としよう」

「……。……信用ならなかったからだよ」

「私が秘密を漏らす、と?」

「違う。先々代帝、月織。及び先々代赤積君羅轟(ルゥォホン)。黄征君、あんたは羅轟を打ち破り、赤州から黄州へ帝の座を移した」

「ああ。お前がまだ私の付き人だった時の話だ」

「その時さ、あたしと、もう一人……月織の側近だった奕隣(イーリン)に席を外させて、何か話しただろ。あんたと月織だけで」

 

 ……奕隣が、先々代帝の側近?

 え、何それ知らないんだけど。

 

「そこで何を伝えられたのか、あたしは知らない。わからない。けれど不確定事項である以上、月織の記憶を消す以上……あんたにゃ秘さなきゃならない。あんたは強いし賢いから、あたしらのやろうとしていることを、長年の調節をぶち壊しにして……力業での突破をしかねない。だから黙っていた」

「あの時の会話に恐れを為した、か。……ふふ、良い、良い。……死途の手向けだ。あの時の会話を聞かせてやろう」

 

 光が集まる。

 それはいつか見た、玻璃の再現輝術。色味の無い玻璃と……見たことのない男性が、縁側のような場所に座って空を眺めている。

 

「"妃をな。取ることができなかった。……それが心残りだ"」

「"早い内に世継ぎを考えないからそうなる。……次の帝は私とするか?"」

「"お前に帝は似合わぬだろう。養子を取れ、玻璃。余は母となるお前が見たい"」

「"なれば取る養子は男子(おのこ)にすべきか。一応問うておいてやろう、月織。五州十五妃。どの妃が好みであったか"」

「"そうさなぁ……"」

 

 あまりにも普通の会話。雑談でしかないそれに、紊鳬も目を白黒させている。

 

「"好ましきはお前のような女ぞ。ゆえ、新たな子の妃はお前になるよう、母親に愛を注ぐような息子に育てガフッ"」

「"このような時にふざけるでないわ。……だが、そうだな。私を好くような男はお前しかおらぬ。ゆえに、養子の名はお前が決めるといい"」

「"……みぞおちに蹴りを入れておいてこうも平然と……む、ほう? それは余の求婚を……おお、待て待て。殺される前に死ぬぞ、お前の輝術は威力が高い"」

 

 男性が……空へ手を伸ばす。

 そこにあるのはどちらの天体だったのか。

 

「"そうさなぁ……余よりも更に明るき名。……陽弥(ヤンミィ)が良い。余とお前の愛の結晶だ。……む、思っていた衝撃が来ないな"」

「"ふん。存外良い名だったが故に興が削がれただけだ。……良い。陽弥だな。養子を取り……その子に陽弥と名を付け、帝とする。名付け親がお前であることは"」

「"どうせ覚えてはいられまい。教えずとも良い。──さらばだ、玻璃。余の唯一焦がれた女"」

「"()く眠れ、月織。……お前と飲む酒は、甘美であったぞ"」

 

 光の粒が雲散霧消する。

 ……うん。

 ただの……なんだ、イチャラブ記録を見せつけられただけだった。あと陽弥の名付け秘話を。

 

「最期ゆえ、やつとは二人きりで話したかった。それが誤解を与えたな。……席を外させていなければ、紊鳬……お前は、私に全てを打ち明けたか?」

「無い。平凡な会話であったことには驚いた。でも、やっぱり甘いよ、黄征君は。"いずれ全て潰える悪事"、だっけ? ……あんたは、他者を命を何とも思わない、ってのができない。だから向いてなかった。……あたしや笈溌みたいな人でなしじゃないと、これは無理なんだよ。無理だった」

 

 彼女は瓢箪の中身を全て飲み干す。最後の一滴まで、全て。

 

「けじめだ。──じゃあな、黄征君! あんたに仕えた日々は、大変なことも色々あったけど──楽しかった!!」

「ああ、私もだ。──さらばだ、紊鳬」

 

 首が落ちる。

 一思いに、か。

 

 けれど、笑顔な彼女の首が落ちたその瞬間、玻璃は頭を抱えて仰け反った。

 

「……ぐ、余計なことを……しますね、紊鳬!!」

「ん、どうした?」

「あの子、最期の最後に私達から自分の記憶を……私につらい記憶を残すまいとしたのでしょうが、そんなの……!!」

 

 祝、結界を解いてくれ。

 

 ──のじゃぞよ!!

 

 輝術の薄膜が弾ける。同時、輝夜術も解けたようだった。

 駆け足で玻璃へと近寄れば、額に手を当てて……初めて見るほどに焦っている様子で。

 

「忘れたくないんだな」

「当然です! ……輝術である程度把握できるとはいえ、盲目であった私がここまで来ることができたのは、彼女の……ああ、ああ! 彼女の名は!? 誰か、誰か覚えている者はありませんか!? ……修復を! 誰ですか、あれをやったのは! お願いします、すぐに彼女……彼……? ……ダメです、消えてはいけません……私の大切な、ああ!」

 

 なんとかできないのか、お前達。

 

 ──手法がわからぬのじゃ。輝夜術でもない外法のようじゃからの~、吾にはわからぬぞよ。燧は?

 ──無理だね。私はそもそも輝術へは深く干渉できないし。

 ──どういう仕組みだ、この術は。……私達もわすれかけているぞ。

 ──恐らくじゃけど、輝術そのものの記憶……つまり吾の記憶に干渉しているのじゃ~! ありゃあららら……吾も頭がぼんやりしてきたぞよ……?

 

 なんとかできない、と。

 了解。なら、いいよ。

 

「……祆蘭。私はなぜ、涙を流しているのですか」

「退け、玻璃。……祭唄、夜雀! 今から絵面的に、そして倫理的にあまりよろしくない行動を取る! 玻璃を押さえていろ!」

「え、あ、うん。わかった」

「了解」

 

 すぐ隣にあるというのに、玻璃はもう彼女の死体を見ない。

 ただずっと、なぜ、なぜと……言葉を繰り返すばかり。

 

 ま……デモンストレーションだ。これもな。

 

 首の落ちた死体。その胸元の布を取り払い、サラシも全部取る。

 

「祆蘭? 戦場とはいえ……死体で何かをする、というのはよくありませんよ」

「黙っていろ。というか精査を切れ。思い返した時に吐くぞ」

「……? あ、ダメですよ。その方、女性ではないですか」

「祭唄! 遮光鉱を玻璃に! 夜雀は自分と祭唄の目を塞いでおけ!」

「……それはわかったけど、一応、同意見だから。その女性の死体で……何をするつもり? "(もやいぶね)の体"対策なら、奔迹を呼ぶけど」

「小祆? 何を……する、つもりなの?」

 

 ──おい、何をしている。……鑿など取り出して……待て!

 ──……いつから君はこんな野蛮になってしまったのかな。

 ──愛し子。吾はまだ、忘れていないぞよ。大丈夫……大丈夫。

 

 乳房上部に鑿を打ち、肉を穿つ。

 できた通り道に手を突っ込んで、肉を掻き分ける。邪魔な肋骨は工具を使って落とし、この小さな手が通るようにする。

 

「首を落とされた死体は幽鬼にならない。それが通説だ。……だが、それならば魂はどこへ行く。どこへ消える」

「小祆……どう、しちゃったの……?」

「隠すのも奪うのも砕くのも好きにしろ。だが、消え去ることは許さん。……何より、友をこれ以上泣かせるなよ」

 

 心臓を掴む。

 まだ暖かい心臓を。そして。

 

 消費、する。

 ジュウジュウと音を立てる何か。心臓そのものではない。別に焼けているわけでもない。

 ただ、私の手で覆われた箇所から……魂が、「そうではないもの」の材料として消費されていく。

 球体関節人形の鬼もそうだ。消費するには触れる必要があった。触れて、超簡易シュレーディンガーの猫を再現するために。私の手で覆って、その中をやつらに見せないようにするために。

 

「奔迹!! 来い!!」

「ん……っと。……え、小祆何してんの? 死体処理なら俺がやるけど」

「ああ、今すぐやれ」

「お、おお。じゃあ離れてくれ」

「いや、離れない。まだ終わっていない。……鬼火は生物を殺すことはないのだろう。であれば、私ごと焼け」

「……ダメだ。それはできない」

 

 チ。使えん鬼だな。

 私の事情に気付いてやがるのか。

 有能すぎるのも考え物だ。

 

「だったら鬼火で私達を囲え。祭唄、いいな! 玻璃から遮光鉱を外すなよ!」

「……よくわからないけど、なんか真剣だな。……わかった。んじゃ──」

 

 轟、と。青白い火柱が私達を囲む。

 ああ、これなら壁になる。精査も遮光鉱があれば届かないだろう。

 

「すまんな、巻き込む」

「別に死体に何してたって俺達はなんとも思わないからいいけどさ。……それ、これから君がやろうとしていることの一端だよね」

「気付いても構わんが、言いふらすなよ」

「言いふらさないよ。……けどそっか。……じゃあ、君とは会えなくなるわけだ」

「……本当に、無駄に有能だな、お前。華胥の一族が私の中にいる、ということを忘れてないか?」

「あ、ごめん」

 

 幽鬼となってから日の経った存在じゃない。

 今しがた死したばかりの彼女の魂は膨大だ。だから消費に時間がかかる。

 あまり……あまり、時間をかけたくはない。やつらに見つかる可能性はどうでもいいけど、グラデーション式に消費すると、玻璃が余計な気付きを得る可能性がある。

 

「オレが手伝ってやる。テメェは消費に集中しな」

「……覚えているのか?」

「ちぃっとだけだ。祝にさえ作用する外法はオレにも効くが……それでもオレは、仲間を忘れねぇ。たとえそれが、仲間の最後の願いであったとしても」

「大体察したよ。小祆が今何をやっているのか。……その人の全てを、神門様たちから隠せばいいんだな」

「いや、それは顕にやってもらう。お前は穢れの球体を作ってこの心臓を囲め、奔迹。小型の匣を作る」

 

 そうだ、その方法があった。それなら……気付かれるかもしれないけど、いける。

 私の言葉を聞いて、何を言うことも無く言われた通りのことをしてくれる奔迹。囲まれた心臓は、しかし穢れない。恐らく彼が穢れを完璧に制御しているが故だろう。

 良い厚みだ。良い濃度だ。

 これならば──使える。

 

「月織から陽弥。そして祆蘭、だ。天火を受け継ぎし私に従えよ、同一因子」

 

 握る。握る。握って……握り潰す。

 彼女の心臓を。それらは泡のように溶けて、消えて。

 

「っ、そういうことか! 燃やすから退いてくれ、小祆!」

 

 今度は大人しく退がる。瞬間、悲惨としか言えない姿となった紊鳬の肉体を焼く奔迹。

 ──凄まじいまでの威圧が私達を貫く。大きな音も、だ。加えて……金切り声。いや、悲鳴。

 

「壁を外に作ってあるが……早く燃やせ、鬼。いつまで保つかわからねぇ」

「最速で焼いてるよ。俺だって神門様の涙は見たくないんだ。……一度つけたけじめを、気持ちの切り替えを……再度、より悲惨な形で見せつけられる。それは多分……苦しいことだから」

 

 また、威圧。

 私は大丈夫だけど、奔迹が膝を突きかけている。……鬼火を消す、とかやらないだろうな。

 

「退きなさい。退いて! さもなければ──『Simennesemzengieteteniamamarueocnomaetnolovamazenev──』!」

 

 聞き取れなかった。なんだ、今の。

 発音は英語に似ているけれど、ほとんどが母音のように聞こえた。恐らく玻璃の……彼女の元居た世界での言葉。

 そんなものが漏れ出でるほどには──。

 

 ……左手を伸ばす。まだ血の少ないほうである左手を。

 それは、丁度。鬼火を突き破ってきた玻璃の額を……首を掴む形で、ぶち当たった。

 

「すまねぇ、神門様! ……丁度終わった」

「あ……」

 

 鬼火柱が消える。体内に入った穢れは浄化して……ふぅ。

 手に、涙が落ちる。顔布に吸われることのないほどの量の涙が。

 

紊鳬(ウェンフー)……紊鳬、どこですか?」

「使わせてもらった」

「……そう、ですか」

「首は残っている。お前が落とした首だ。……"(もやいぶね)の体"の材料としては使えないよう加工した。だから、好きなところに埋めるなりなんなりするといい」

「そう、ですか」

「ああ、そうだ」

 

 まだ戦いは終わっていない。だが、デモンストレーションとしては最上だった。

 調整、調節をしてきたというのなら……ああ、受け継ぐよ。初期化されないように、けれど初期化に間に合うように。

 

 無駄にはしないから。

 

「祆蘭」

「なんだ」

「ありがとうございます。……友を二人も失わずに済んだことは」

「上っ面の言葉は要らん。今すぐにでも私を切り刻みたいことくらいわかっている。剣気でも闘志でも威圧でもない、殺意が零れている」

「……」

「私はお前の友の死体を辱め、その魂までもを弄んだ。嫌うなら好きに嫌え。お前とはまだ戦っていないからな、向かってくるならしっかり叩き潰してやる」

 

 じゃあな。ゆっくり友を偲んでおけ。

 

 

 

 さて……カオスな戦場へ一歩足を踏み入れる。

 吹き飛ばされた。祭唄にキャッチされた。

 

「……さっきから思ってたんだが、この暴風はなんだ。桃湯の音じゃないっぽいが」

「輝術だと思う。穢れは無いから」

「それはまぁそうだろうが……誰が何の目的で発生させている。これ、敵味方関係なく吹っ飛ばしてないか?」

「輝術師なら飛ばない。死体は中心から弾き飛ばせる。だから多分、敵にとっては重要な輝術。……ああいう常駐型の輝術で、起点がどこかわからないものは遮光鉱による遮断も通じない。だから面倒」

「いきなり知らん単語が出たが……あー。まぁ、えーと。……凛凛さんたちと合流、は」

 

 見る。

 超巨大な植物。空中にいる人間を蔦で掴み、握り潰して切断しているナニカ。

 暴風付近で局所的に発生する鎌鼬。あらゆるものを切り裂くそれは、時折人……恐らく結衣だろうものも運んでいる。

 彼女の周囲には常にザラザラとしたノイズが飛び交い、それのぶつかったものは人だろうと植物だろうと瓦礫だろうと分解されて行く。

 さらに上空では私の剥がした雲と、人工的な穢れの主、そして無数の虫の群れが飛び交い、なんらかの要素で穢れの主に向かいそうになる攻撃や瓦礫は虫が圧し返す。

 

 ううむ。

 

「あれ、入り込める余地あるか?」

「だから私が今までずっと斬撃を飛ばしていたんじゃないか。あーあ、"八千年前の組成"だった頃の私なら、巨大な剣を射出するなりなんなりして戦えたのに!」

「そこまで鮮明に覚えているのか」

「いいや、凛凛から共有されたものを知っているだけ。だけど、あれが私だって自覚はあるよ。考え方が一緒だもん。……だから、ないものねだりをしたって無駄だってことはわかるんだ。輝術の力量は生まれた時から変わらない。……私では、この戦いには参加できない」

「ふむ。……そうだな、三人で頑張ってあの横向きの竜巻を作って、私を射出する、というのはどうだろう」

「だめ~」

「馬鹿?」

 

 だけどこれ、千日手だぞ。

 相手の在庫は恐らく数千年分の骨という骨。術者を殺せども、それさえも新たな身体に移れば生き返る。

 こっちの攻撃力がどんだけ高くたって……。

 

 ……んー。何か、つまり敵の本体を見つけるとか、弱体化させる系の呼応を起こすことができればいいのだけど。

 

「なぁ、奔迹」

「ん?」

「そもそも奴らは何に焦ってこの赤黒い空を起こしたのだと思う?」

「……んー。ま、あちらさんが"(もやいぶね)の体"ってのと鬼を量産し過ぎてるのが問題なんだと思う。結局あれって"(とこしなえ)の命"と同じでさ、輝術師と同一因子を切り離す行為に似ているわけよ。"(もやいぶね)の体"は再度くっつけるから問題ない、とか思ってんのかもしれないけど……やつらはそうは思わない。楽土より帰りし神子に使われるくらいなら、自分たちで使う。そういう単純な思考をする奴らだ」

「仮にこの場を収めたとて、赤い太陽は変わらない、と?」

「そこはちょっと難しい話でさ。今は神門様の蓋があるから大丈夫だけど、いつまでも、ってなると、今度は初期化に踏み切られかねない。だから神門様もそろそろあれを消さないといけないんだけど……そうなるとまた、になる。……だから今回は小を切り捨てて大を取るしかないんだ。もしくはあの太陽をどうにかするか、だけど……それをしたら、そっちでも初期化が来るかもしれない」

 

 起こってしまったら終わりだ、と?

 それは……どうなんだ?

 

「何かあるはずだ。何か……この現状に対する解決策が」

「……"これは予兆である"」

「!」

「だろ? 何か作ってみるといい。無意識に、直感頼りに。──んじゃまぁ、小祭(シャオジー)小蓬(シャオポン)小夜(シャオイェ)!」

「無視してたけど、勝手な呼び方はやめてほしい」

「私、もうそんな呼び方される年齢じゃないんだけどね」

「私だって成人してるのにー!」

「俺にとっては全員子供! ってなわけさ、あ、流離いの奔迹と輝術師三人! 全力でお姫様を守らせてもらおう! この暴風の中、この暴虐の中!! 君のモノ作りがどこまで通用するか──いざ!」

 

 これは予兆である。

 これは予兆である。

 不幸を呼ぶものではなく、これは、私の作る未来の予兆。

 

 ……素材は大量にある。崩壊した熱丸(ルヴェワン)の瓦礫。木造建築がほとんどだったあの街。

 幾つもの木材を引き摺り出して、鋸による切り出しを行う。石畳の剥がされた地面に図面を引いて、正確に、狂いのないように……。

 下辺と上辺が平らになるよう慎重に削り、側面は丸みを帯びさせる。

 鑿を打つは前面。削りすぎに注意しつつ、「頭巾」を思わせる彫りを入れていく。

 

 ただただ、ひたすらに。

 カツンカツンと音が鳴る。背後で怪獣大決戦が行われていようと、祭唄たちがどんな目にあっていようと。

 無心でそれを作っていく。

 

 形ができたら、色を塗る。カラフルにはできない。だから、黒と……家の漆喰に使われていた白だけ。

 

 これは予兆……いや。

 オイルタイマーを砂時計にした時と同じだ。

 予兆ではなく。

 改変であれ。

 

 背に灼熱。

 その刹那に何かが弾かれる音がした。

 

「え……祆蘭!?」

「なんだと!? 俺達の警戒を掻い潜って……」

「それに……なんで玉帰(ユーグゥイ)がここに!?」

 

 何かがあったらしい。

 背中左。心臓の裏あたりから感じる灼熱は、まぁ、どうでもいい。

 

「……品愿(ピンユェン)……もう、逃がさない……!」

「我が名を知る者……全て殺してきたはずだが、生き残りか?」

「亡き者の……ために、俺は、殉ずる。……お前達は、祆蘭を守って、いろ」

 

 鑿を打つ。鑿を打つ。

 少し明滅する視界。なんだ。

 

「小祆、大変、早く手当てしないと!」

「玉帰が間に合ってくれてなかったら……死んでた。でも、そうじゃなくても……」

「小蓬! 俺と君で防御! 二人は小祆の手当てをしてくれ! 今は小祆だけが頼りなんだ!」

 

 筆を入れる。鑿を打つ。筆を入れる。

 覚えているものを真似るだけだけど、私にとっては難しい。なんたってデザインの領域だ。これを完成させるには、如何に私が記憶を引っ張り出せるかが勝負となる。

 左腕が固まる。……なんだ。また骨折か? ……やめろ、私は忙しいんだ。

 

 ──!

 ──! ……!? ……!!

 ──……。

 

 周囲が静かになっていく。

 世界から音が消えていく。

 

「力が、強い……どうしよう祭唄、これ以上やったら小祆の腕が折れちゃう」

「仕方ない。服を破る」

「そ……れしかないか。ご、ごめんね小祆!」

 

 喧噪も雑音も消えていく世界で、一心不乱にそれを描き続ける。

 また視界の明滅。……おかしい。瞼が重い。ベストコンディションで来たはずなのに。

 

「あっち……まずそうだな。小蓬! あっちの兄ちゃんの手助け行ってやれ! ここは俺だけで充分だから!」

「わかった!」

「祆蘭、聞こえる? とりあえず応急処置はしたけど、出血が酷い。一度手を休めて。でないと──」

「ああもう、なんで輝術は薬みたいなことできないの!? これじゃあ──」

 

 あと少し。

 あと少しで完成だ。……これで、これがあれば、私は……。

 

 ……。

 あれ。

 

 身体が……動かない。

 

「やれやれ。緩慢な気絶専門家は、とうとう自分が気絶しかけていることにさえ気付かなくなったのかい?」

 

 ……莫迦者が。

 私より、今は。

 

 それを。

 

「──ひっくり返せ、今潮」

「仰せのままに。お姫様?」

 

 閉じた。

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