女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
第百一話「パッチワーク」
濁戒が取って来てくれた蚕と羊毛。それらを処理していく。
まず蚕。正確には蚕繭だ。これを鍋で煮る。沸騰させてから体感一分くらいで火を止めて、その湯につけたまま櫛で繭を擦っていく。すると次第に糸がほぐれていって……糸の先端が顔を覗かせる。
蚕の糸は完璧な一本であるので、糸の先端さえ捉えてしまえばあとは簡単。直径十厘米ほどの六角柱の木材に糸を括りつけ、木材をくるくる回していく。これで蚕糸は採取できる。……七から八本ほどの蚕糸を撚り合わせ、生糸にする。これを繰り返し、さらにさらに撚り合わせることで太さのある糸にしていく。
糸にできた生糸は水に溶かした石鹸へと浸け込んで精錬。あとの乾燥工程は輝術で。
次に羊毛。不揃いであることは承知の上で作業するつもりだったけど、祭唄と夜雀が頑張って揃えてくれた。浮遊の輝術の応用だとかで、軽い物体を移動させることはそこまで難しいことでもないんだとか。いつぞやの酒蔵の蔵主を思い出す話だ。
こちらの羊毛も石鹸水にドーンして、そこからぬるま湯にドーンして、もう一度石鹸水へ、そしてもう一度ぬるま湯へ……を何度も繰り返す。
洗い作業を終えた羊毛へは油を垂らし、歯の細かい櫛で毛をほぐしていく。ただ毛をほぐすというよりは、櫛と油で毛の一本一本へ油のコーティングをする、という意味がある。
これらを撚り合わせ、ロープ状に。
ロープ状の羊毛を八本組み合わせて、さらに櫛で、今度は削るようにして引き延ばしていく。この時にゴミ……不純物も取り除く。特に多いのは植物系の不純物なので、見逃しが無いようしっかりと作業。
ここまで来たら、またぞろ何本も何本も同じ工程の糸を作り、さらにグループ分けする。このグループ分けは染色用のグループ分けなので、品質とかは関係ない。
本来であれば精紡機も作っておきたかったのだけど、脳内設計図があやふやすぎて断念した。ミシンと似たノリで行けるとは思うんだけど……うーむ。
ま、後は撚って蒸して螺旋状に二本を絡ませれば出来上がり。先程のグループ分け段階で染色をしていれば、その色になった毛糸ができるってわけだ。
「見えるか?」
「はい。……嬉しいですね。……もし、余りが……あったら、私も縫い物や編み物に挑戦してみたいです」
「縫いは危険だな……私に針を作る技術がないから。だが、編み棒くらいならあとで作ってやるから、それで我慢してくれ」
「ええ、ええ。勿論我慢いたします」
で、まぁ作りたかったのは糸そのものじゃあない。
これから作るのは、根気のいる作業且つ主婦or独身女の趣味オブ趣味こと──パッチワークさんである。
絵柄はシンプル! けれど幾何学模様をいくつも組み合わせて、なんかいい感じにバラバラな配置をするだけで、なぜかオシャレ!
アメリカンキルトほどの大きさにするつもりはないし、布を作ったわけでもないのでできることは限られているけれど、ここばかりは私のデザインセンスに火を噴いてもらう。
パッチワークだ。
こんなに「符合の呼応」に向いたものも中々ないだろう。
そういうものを幾らか作って、玻璃に編み棒を渡して使い方を教えて……とか。
色々やって。
ついに、その時が来た。
「……祆蘭。なんで身体を動かしてるの?」
「赤州へ行くからだ」
「ダメ」
「いや、ダメじゃない。──玻璃」
昨晩入った凛凛さんからの報せ。
これを受けて、赤州の事情を明るみに出す覚悟が決まった。
「はい。既に桃湯らの位置は把握しています。いつでも向かえますよ」
「単身での突撃はしない。二人とも、私を守ってくれ。その上で……奔迹」
「え、俺!?」
「ああ、お前だ。お前についてきてほしい。陽弥、濁戒ここの守りは頼む」
「無論です。ただ、どうかお気を付けを」
「御意に、かな。新帝の命だからね」
濁戒はいつも通り頼りになるけど、陽弥、それ言ってみたかっただけだろ。
「今潮が帰ってきたら──」
「彼には向かうように伝える。なんせ友が一堂に会するのだからね」
「ああ、良い理解だ」
機は熟した。
後顧の憂いは、一網打尽にするが吉だ。
赤州が
「……人が減ったな」
「まー、連続殺人があの宿の外にまで波及したからな。加えて毎夜起こる派手な戦闘音。活気がいつも通りって方がおかしいだろ」
「祆蘭。私は空から全体を見ます。祭唄、夜雀。凛凛の位置は捕捉し続けていますね?」
「はい」
「はい!」
「背後から近づく者などが無いよう、空で監視をしておりますので──祆蘭を守るのはあなた達と奔迹になります。いいですね。
二人の喉が鳴る。
あくまで助けないつもり、と。いいね、そうでなくちゃ。
「俺も遊撃の方が良かったり……?」
「お前は智者枠だ。小物のなりきりなどで遊んでいないで、知識を寄越せ。私に足りぬものだ」
「いやぁ、それなら神門様の方が……」
「奔迹。私は、任せました、と。そう言いましたよ」
「……はい」
空に上がっていく玻璃を見送る。
背後から、とか言っていたけど……多分、最も警戒しているのは空なのだろうな。
刹那、炎が迸る。
気持ちの切り替えなどさせぬ、ということか。玻璃を飲み込むためではないそれは、立ち上がり、そのまま炎の怪物としか言えないものを作り上げた。
「うわー、凝り性だな」
「輝術か、これは」
「穢れの気配は感じないからなー。お嬢さんたちで対処できる?」
「できる。けど、私達は祆蘭の護衛」
「気を逸って突撃しに行くようじゃダメだから……お願いできますか?」
微かに。
本当に微かな変化だったけれど、奔迹の口角が上がったように見えた。
「智者枠は戦闘までさせられるのか。いやぁ──重労働だね!」
瞬時、弾け飛ぶ炎の怪物。
火砕流にも似たそれが私の方まで飛んでくるけど、そこは祭唄と夜雀が対処する。
「空気は送り込めるのに、酸素を奪うことはできないのか」
「おろ、流石お姫様。一発で見抜いちゃうとは」
「利敵行為?」
「祆蘭の危険を考えて攻撃してください!!」
「……あれ、もしかして今俺味方いない?」
どこまでも手の内を明かさない奴だ、と思う。
鬼火で空気の通り道を作り、ピストンの要領で空気を炎の怪物の中へと押し込んで内側から爆発させた。
桃湯の音、濁戒の砂、結衣の蝕のような……そういう鬼火以外の特異性を、この男はまだ出していない。全て穢れと鬼火で完結させている。
陽弥も何かしらを有しているはずだけど、見せない。
身内と呼べるかは怪しい、といったところかね。
「しかし……今の炎、
「折居が解放されている?」
「凛凛さんたちとの連絡は?」
「それが、熱丸に来てから繋がらなくなって……。ただこの感覚には覚えがあるというか、青宮廷の火事の時も同じことがあったと思う」
「……妨害か」
チャフが撒かれている、と。
ただそれは、敵方の輝術師にとっても痛手なんじゃないのか。
「いや待て、だったら今の炎は」
「うん、さっきも言ったけど、穢れで作られているわけじゃなかった。……つまり敵さんには、遮光鉱を無効化した上で輝術を使う方法がある、ってことだね」
それを聞いて思い出すは
彼は遮光鉱のマスクを被った上で輝術を使っていた。本人曰く、弱体化こそすれ、つけたままに使うことには慣れた、などと言っていたから……完全に使えなくなるわけではないのだろう。青清君らも「急流を発する石を身に付けているような不快感」と言っていたから、それを乗り越えさえすれば。
「考え方を変えると良いよ、輝術師のお嬢さんたち。大気中に遮光鉱の粉末があるというのなら、輝術でないもので吹き飛ばせばいい」
「輝術でないもの?」
「固まった頭を柔らかくほぐすんだ。お姫様であればすぐに思いつくことを、君達は先入観が邪魔して中々思いつけない」
……ああ。
なるほど。確かにあれ、軽いからな。
「風を起こせばいい。起こした風には干渉しないで、強風だけを起こす」
「でも……それだと、制御できないよ?」
「する必要はないのさ。とりあえず俺達と桃湯の間にあるものさえ無くしてしまえばいいんだから──あっちの空に向かって、暴風を頼むよ」
二人は顔を見合わせ、意を決したように……その手中に風を溜め始める。
物体操作の応用になるのかな。風を生み出しているのか、それとも輝術の斬撃の応用か。それらを使う感覚の無い私には理解のできないものだが──。
「制御しない以上、どちらかが遅れたら左右に逸れる。夜雀」
「うん。わかってるよ……
「
こちらでいうところのせーの! みたいな掛け声。本来はもう一音入るはずだけど、多分どっちかの使い慣れた方に合わせたのだろう。あれね、せーの、せ! でいくか、せーの! でいくか、せーの、せ、休符で行くか、みたいな。あるある。
果たして──二人の手に溜まっていた暴風は、完全なる同一タイミングで放たれる。身長差がほとんどない二人だからこそ、射出箇所にもほとんどズレがない。
横向きの竜巻を思わせるそれは凛凛さんたちがいるという方向の大気を大きく蹴散らしていく。陽光に照らされてキラキラ光る粉末こそが遮光鉱だ。
「ん」
「っと、そもそもが陽動か」
──気を付けろ、囲まれている。
──おやおや。彼、本当に有能なようだね。祆蘭の感知は最早良く分からない域になっているけれど、どちらも媧より早いなんて。
囲まれている。
こいつらは……結衣の墓碑付近で見た連中だな。
「俺と神門様が行った黄州地下にも出てきたよ、こいつら。笈溌と紊鳬の双方の外法で操っているみたいね~」
「……先ほどの炎は陽動ではなく折居一派のもので、笈溌一派は笈溌一派で私達を邪魔しに来ている、と?」
「祆蘭、人気者」
いや……笈溌が協定を反故にするとは思えないんだよな、なぜか。
なぜか信じている私がいる。であるならば。
「もう協力はしない、との話だったが、どうだろう。利害の一致、というのはあるんじゃないか?」
「……チッ」
一瞬悲鳴を上げかける夜雀。ま、グロテスクだからな。
私達を囲んでいたヒトガタ。その口や耳、目といった場所から出てきた……無数の虫。ミミズなどだけではない。多種多様な虫が溢れ出して、形を作る。
「おレ達の秘密基地を壊しておいテ、その上デ協力しろッテか」
「困っているのだろう?」
「……」
「二人の話では、お前達は既に赤州入りをしているはずだった。だが、今になって尚も折居一派は倒されておらず、連続殺人も……"
「理解ハ、それだけカ」
「赤い空」
鬼とならずとも、信念ありし者ならば。
ただ徒に人を殺したいわけではないのなら。
理由があって陽弥の部下でいて、理由があって彼を裏切ったのだろう。
「……最近、雲ノ動キがおかしイ。明らカに……何かヲ行う前兆に思えテ、仕方がなイ。俺達にとっテ輝術師も平民もどうなロうと知ったことじゃねェが、己を好き勝手に操られルのは気にくわねェ。紊鳬は違う理由ダが、点展の方は似タ理由だ」
「話が長いぞ、笈溌。利害は一致している。そうだな」
「あア。……赤イ雲の影響ガ、平民や貴族の選別ヲしているカどうかハ──なってみルまではわからナい。時間はナい」
自我無きヒトガタ達が一斉に矢を弓に番える。その矢には火がついていて。
彼らの狙う先にあるものは──熱丸の街そのもの。
「いないのか、もう」
「確認した限りでハ。いたラお前達ガ救え。得意だろウ」
「良い言葉だ。──行動を開始しろ」
「指揮下に入っタ覚えはナい」
虫が散っていく。
同時、火矢が放たれた。一斉掃射だ。
それらは当然熱丸の街に刺さり……大火を齎す。
「奔迹」
「ああ……多分、いないな」
「いないって……なにが? 平民が?」
「夜雀。そもそもの認識が違った、という話」
燃え盛る熱丸の街。
けれどそこから逃げてくる者は……誰一人としていない。悲鳴を上げるものさえも、だ。
「もう全てが、"
「嘘……普通の人は」
「いないなー、この感じ。連続殺人は始まりじゃなくて大詰めだったんだよ。だから折居一派もボロを出した。ヒトって奴は、何かを達成する前が一番油断するものだからな。……敵の本拠地の可能性が一番高いってのに、赤積君が熱丸をあの抽選機にかけなかったのはこれが理由だろうな。──全員アタリが出るんじゃ、やる気も失くすって」
何の断りも入れずに、熱丸の街に向かって剣気を飛ばす。
帰ってきたのは──殺意高めの輝術だった。
「なに、やって!」
「小祆!? やるなら一言言って!!」
二人が前に出て、それらを弾く。あるいは打ち消す。
「つまり、不本意に"
「笈溌とて、ハナから燃やすことが目的ではなかろうさ。これは奴なりの優しさだろうよ。状況を理解できていない生き残りがいたのなら、ここで逃げ惑え、とな」
「祭唄祭唄。小祆だけじゃなく、奔迹さんまで説明してくれなくなっちゃった……」
「頑張るしかない。祆蘭も頑張ってる」
「俺は!?」
燃え盛る……今の今まで燃え盛っていた街へ入っていく。
視線。視線視線視線。二階の窓から、戸口の隙間から。瞳だけがこちらを覗く街へ──踏み込む。
直後、景色が一変した。
「おっと、早速か」
「……輝夜術」
黒だ。街全体が黒く包まれているかのように錯覚……いや。
本当に包まれていないか、これ。……こんな大規模にもできるのか。
「来るぞー」
間の抜けた奔迹の声と共に、私へ突撃してきたものがあった。
跳躍と共に鋸を使って位置調整を行い、黒い膜たる輝夜術の壁に降り立つ。
突っ込んできたのは……童女。とあらば当然。
「夜雀!」
「わかってる!」
二人の輝術が空へ飛ぶ。
だからソイツは着地する前にバラバラと崩れ落ちて……再度、形成された。
頭蓋と球体関節の手足だけの人形。そして金棒を持った童女。
「これ……!」
「量産型だからな。いっぱいるだろうさ」
「余裕だねぇお姫様。それと、君今どうやってその壁に立ってんの?」
「御前試合で見せた通りだが?」
壁を駆け降りる。そのまま、金棒の取り回しに迷っている童女の頭部にトンカチを当ててその身を倒す。頭と胴のそれぞれを踏みつけ、首筋に鋸を宛がい……思い切り引く。
"
さらに隙を与えず、ギコギコと鋸を動かしていけば、簡単にぽとりと落ちる童女の首。
「うわ、すっごい絵面だな」
「前回分解してわかったんだがな。頭部にもそこそこの機構が集まっている。視覚らしい器官や機関はそこになかったが、全身を回すための軸受けが頭部にあった。つまり」
バク転を挟んだバックステップで童女から離れる。すると童女はゆっくりと立ち上がり……手に持つ金棒を引き上げて、再度私に身体を向けた。
そうして金棒を振りかぶり──そのままぐるぐると回転し始める童女。
「軸受けには留め金もあったからな。それがなけりゃ、永遠に回り続ける。こいつの作りは単純なんだよ」
「祆蘭、その小さい鬼は全部任せる。私達はこれを片付ける」
「いやぁ? 君達お姫様の護衛なんだから、たとえ彼女が戦えるのだとしても、彼女の助けに入ってやんなよ。こういうデカブツとか数のいる相手ってのは俺の独擅場でさ」
金棒を持ち、急襲してくる童女四体。
その全てに意識を向けずに、奔迹を見る。
だから、気持ちを切り替えた二人が私と童女の間に入ってきた。
「ッ、夜雀! 躊躇しないで!」
「初めからしてないよ!!」
関節部などの弱いところを狙って放たれた輝術の斬撃。あるいは小刀による斬撃。
それらは的確に童女を切り裂くけれど、闇の中からこれでもか、これでもかと童女が出現する。
「手伝いは?」
「要らない。祆蘭はやりたいことをやって」
言葉はそれだけでいい。
全幅の信頼を預け、奔迹の戦い方を観察する。
轟、と青白い火柱が上がる。
「見られながら戦うの恥ずかしいんだけどなぁ」
なんて嘯きながら、彼は己が爪を鋭利に、そして長く伸ばした。
穢れ、鬼火、伸縮自在の爪。特異なところのない普通の鬼の特徴。
ただ、量が尋常じゃない。
鬼火の量だ。人魂程度のそれではなく、火柱。
「生前の俺はさ、輝術の学者だったわけ。相学者ねー。……で、死んで鬼となって、当然輝術は使えなくなったわけさ」
無数の球体関節手足による攻撃。それらすべてを鬼火で往なして行く彼。
焦り顔の一つも見せない。語りをやめない余裕がそこにある。
「だからまぁ、今度は穢れを研究したよね。今潮とか良い線行ってるんだけど、彼は肉体の方に興味を示したからさぁ、穢れについて語り合える学者系の鬼が欲しかったんだよなぁ」
鬼火は死骸以外を焼かない。ただ、焼かないだけだ。
それはそこに存在する。
だから人形鬼のパンチも受け止められるし、往なせるし──それを意趣返しのように拳の形に変えて、繰り出すこともできる。穢れもそうだ。こちらはパンチを受け止めることはできていないようだけど、雲散霧消することなく染み渡っている。黒い穢れと青白い鬼火。どちらもを自在に大量に操り得る彼。その処理能力は果たしてどこまでを許容するのか。
無数の手足のそれぞれと相対する彼の手足は。
「鬼火は物質を通り抜けることはできない。それは物質側も同じなんだよ。だから壁になる。そんでもって、鬼火は穢れを燃やして作るものだから──その火を消してやれば、鬼火は穢れに戻る。さて、あとは簡単だ」
穢れが満ちていく。敵の体内に入って尚制御を奪われなかった穢れが。拳を受け止め、そのまま火を消して拳の中へと入っていった元鬼火が。
その身に、浸透し尽くす。
「身体に浸透した穢れがさ、一斉に鬼火となったら、どうなるでしょうか」
パンと柏手を打つ奔迹。
瞬間、球体関節鬼の全身が鬼火で溢れ返り──バラバラなって崩壊した。
「殺してないよ。あとはお好きに、お姫様」
「……ち、愚者枠に押し込めるかと思ったのだがな」
「そっちの方が俺としては嬉しいんだけどね。俺の研究対象は穢れだけじゃないから」
崩壊した人形。燃えることはないけれど、もう、再度くっつくことはないそれら。
口などないのに、口々に放つは「私」「俺」「僕」「返して」「まだ」などの言葉。
「了承を返さなかったの者の末路、か」
「だろうね。今いる生き残りは、けれど賢い選択をしたんだろう。これを見せしめとして見せられて、なるかならないかを選ばされて」
……どこに、どんな信念があるのだとしても。
私はこれを善行には思えない。
威圧を解放する。ただし他者を圧倒するものではなく、水のように沁み込む威圧。零れ出でる水のように、その場の全てを私の魂へ浸していく。
「ここは苦しかろう。……楽土など無きものよ。であるならば、せめて次を願うが良い」
バラバラになった球体人形を。集合体の信念無き鬼を。
「……興味深い。この人形の魂は確かに幽鬼の集合体だったけど、ガワである人形は確実に物質だった。それが……君の消費によって、砂粒のように崩れ去っていく。これはある意味、物質生成とは真逆のことだ。州君の使う生成及び消滅は相学での説明ができるけど、君のこれは」
「もっと観察したければ、もっと倒せ。働け。そら、次が来るぞ」
「ん。……そうだね、そうしよう。──俺は流離いの奔迹。なれば、流浪の魂に対しては優しくするさ。君達を導く天火の少女がここにいるのだから」
うむ。
おちゃらけるな、と言ったのは私だけど、もう少しチャラチャラしててくれた方がいいな。
こいつがシリアスすると、シリアスになり過ぎるから。
そうして、猛攻が終わった。
結構な人数を消費したからな。もしかしたら、"
「で、この輝夜術は何のためのものだと思う?」
「外で起きていることを俺達に悟らせないため、じゃないかな。共闘する流れになった途端これだし」
「これほど大規模でも事前準備無しに使えるのか」
隣を見る。
そこには、肩で息をする夜雀と……遮光鉱ではない方の刀の手入れをする祭唄が。
……やっぱり地力というか、体力差が出ているな。祭唄の特訓には意味があったということだ。穢れ耐性以外にも。
「なら、この輝夜術を破ったら、既に殺されている笈溌や紊鳬、点展がいるかもしれないな」
「動揺するかい?」
「そこまで慈悲深いやつに見えるのか?」
「いいや。なんなら、その三人じゃなく……小桃たちでも、君は眉一つ動かさない。そんな気がするよ」
「失礼な奴だな。その通りだよ」
たとえ目の前に現れるのが死した鈴李でも。夢で見た大親友でも。あるいは自分自身でも。
私の心は動かなかろうさ。
「じゃあ壊してみようか?」
「まぁ待て。少し試したいことがある」
「試したいこと?」
ああ。
媧。半分だ。
──良いだろう。
「っ……!?」
「っとと……?」
視界が半分心象世界に囚われる。
左目の色は翡翠色になっていることだろう。傍から見れば大したことのない差かもしれないけど、祭唄と奔迹にはわかるだろう。
これがいつもの「力を借りているだけ」のそれではないことくらい。
「お……俺が言うのもおかしな話だけど、大丈夫か?」
「問題ない。此度は祆蘭からの申し出だ。──そっちの二人。今の私は
元結はしたままである。
それでも半分は出せるようになった。そして、それができるのならば。
「この身を守れ、要人護衛。奔迹。本源の強化を要するか?」
「……いいえ。"母"よ、此度もまた、己が意志で」
「良い。お前の火でこの二人を守ってやれ。──全てを圧すゆえな」
果たして、威圧が……いいや、媧の使う「威圧に似たもの」が放たれる。
あるいは天遷逢の際、私が無意識に発したもの。点展らに誘拐された際の威圧。御前試合で見せた、年寄りの観客らを動揺させたソレ。
「
輝夜術に罅が入る。黒に飲み込まれた家々が音を立てて軋む。鬼火による保護にさえ時折凹むような異音が生じ、地面はその悉くが砕けていく。
私を中心として、球状に。
何もかもを従えさせ──立ちはだかる全てに
ばらばらと崩れ落ちて行く黒いドームは、本来の空を見せる。
本来の雲を。
本来の──
「……平民を殺して回り、輝術師の全てを"
「見ろ。この赤空は、赤州上空だけらしい。全体をどうにかするほどの力が残っていなかったか、何か基準があるのか」
「それでも赤州にある平民の村は」
「大惨事だろうな。──行くぞ、奔迹。二人も、落ち着いたか?」
赤州にある平民の村。
……
──祆蘭。酷なことを言うけれど、よく見ておくんだ。何か気付いたことがあれば全て記憶して、考えてほしい。私達では気付けない何かがあるはずだ。君だからこそ気付ける何かがね。
──吾らは媧を支援するのじゃ。一時的ではあるが、愛し子が輝術を使っているように見せることもできるぞよ~!
そんなことはどうでもいいけれど。
ああ、わかっている。そのための交代だ。
直感による感知と気付き。符合の呼応、事象の呼応、そして玻璃が気付いた……
これらの動きには、いつもは見ない空。そこにヒントが……うねりのようなものがあるはずだと。
「天遷逢ではない以上、然程の力は取り戻せぬが……奔迹、お前の働きに期待している」
「仰せの通りに。──んじゃいっちょ派手にやろうか! いつもの俺らしくないことを!」
穢れが広がる。潰された熱丸の街に、いいや、見え得る範囲全てに。
それらが耐性のない夜雀へと届く──その前に、全てが鬼火化した。
全壊する街並み。放り出される人々。
そして──恐らくは件の一派と交戦している凛凛さんたちまでもが、全て見えるようになる。
「祝!」
「のじゃ! あの鬼二つ以外は敵と見做すが、良いな、媧!」
「私につかぬ奥多徳に用はないし、"
「誰に言ってるのじゃ~。吾は盤古閉天の頃より輝術師らと共に戦い続けた輝術の意思! いくぞよ~──えいっ!」
そんな軽い掛け声と共に、巨大な三日月……を思わせる光が三枚形成される。
「いっけー、なのじゃ!!」
射出される三日月。その一枚は、まず凛凛さんと蓬音さんの対峙していた鬼を斬り刻み、彼女らが対応できない速さで二人をもその刃の餌食とし……彼女らの体内にあった穢れを全て排出する。
残る二枚は桃湯と結衣の相手へ、だ。鬼ではなく輝術師らしき男女数名。その身が割断される。
加減を知らないらしい。
──祆蘭。戦場は見ないで、君は空に集中するんだ。
──大丈夫。媧と祝は言わずもがなだけど、君の周囲にいる存在は、皆強いよ。
……ああ。
私は私にできることをするさ。
そのために色々捨ててきたんだからな。