女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第五話「スポットライト」

 奔迹(ベンジー)は鬼である。

 彼は「小物な言動をしつつも実は有能」という立ち位置に憧れる一般鬼であり、決して、決して! 輝術研究の権威だとか、桃湯以上に鬼や世界について詳しいとか、祆蘭の身に起きている「呼応」についての理解が高いとか……そういうことは一切ない、流離いの奔迹である。

 

「……だからさ、神門様。俺と一緒に調査、っていうのは……こう、荷が勝ち過ぎているっていうかさ」

「あら、私では能力不足である、と?」

「いやいや俺俺! 俺俺俺俺!」

「仕方がないではないですか。陽弥では目立ちますし、彼は祆蘭の近くにいるべきです。であれば、黄州の調査及び()()は私とあなたが適任。そうでしょう?」

「そうかなぁ! 本当にそうかなぁ!!」

 

 実際、本当にそうだったりする。

 戦力的には申し分ない新帝同盟だが、唯一の弱点は人手不足である。

 赤州にかかりきりである四人。養蚕場探しに逃げた濁戒。天火の少女の護衛である二人と、今しがた述べられた陽弥。

 

 これを抜くと、玻璃、奔迹、あといつもどこかをふらついている今潮くらいしか残っていない。

 そして今潮には少しばかりの「役割」があるため、自由なのはこの二人だけ。

 

 さらに役割分担としても、この二人は丁度いい。

 輝術最強の玻璃と鬼の中でもかなり冷静に物事を考えられる奔迹。

 これから行う調査及び殲滅には、最も適した人員であると言えた。

 

 そう──殲滅である。

 

「はぁ……。いや、なんつーか、俺は数えないにしても……神門様が本腰を入れた、っていうのは不幸だよなぁ」

「そうでしょうか? 泳がせてあげていた方でしょう」

「まぁそうなんだけどね、実際」

 

 殲滅対象は、かつて陽弥の胴であった者達。

 混幇とそう呼ばれる黑手党。今のところ在籍している者で判明しているのは、点展、紊鳬、笈溌の三名。

 全員が全員、裏切り者である。

 

「……いいんですか、ホントのところ。紊鳬って輝術師は、神門様の付き人でしょ? 情とか……」

「罪が確定するまでは信じますよ、私は。だから、実際に会って話をしてみるまでは、まだ信じる側でいるつもりです。ただし……その上で敵であると認識したのなら、容赦はしません」

「あー……。んで俺は、点展っつー鬼の対処、か。……緑州の州君が決着付けたがってた覚えがあるんだけど、倒しちゃっていいのか……? 俺後で変に恨まれないか……?」

「余裕ですね。生まれたばかりの鬼など恐れずに足らず、ですか?」

 

 問いには、「まぁ」と答える奔迹。否定はしない。

 

「一応、前回顕現した鬼子母神を倒した勇士のうちの一人、ですよ」

「んなこた知ってますよーっと。……けど、神門様は知ってるでしょ。俺に武術とかそういうの意味ない、って」

「ええ、知っています。ただ、油断は禁物ですよ」

「その辺も大丈夫大丈夫。俺は流離いの奔迹なんでね、油断とかしたことない……っと、お、当たったみたいだ」

 

 蹴り。

 壁へ向けて放たれた彼の蹴りは、その奥にあった空間を発見する。

 そもそもここがどこか、と問われたら──。

 

「崩落したはずの『山灰庇炉處(シャンフゥイビールーチュ)』。やはり復活していましたか」

「まー崩落したにしては明らかに人為的過ぎましたし、後から考えてみれば元から備わってた自衛機構と考えるのが自然ってことで」

 

 玻璃の通れるよう、開いた穴を好い感じの大きさに広げていく奔迹。そういうところが小物っぽくない、というのは誰も指摘してあげない。

 彼女ならば自分でこじ開けられるだろうそれを、わざわざ広げて、しかも再度崩れることのないよう圧し固めて、さらには着物を引っかけることのないようにとがった部分なども全て丸めて。

 

 天火の少女が見れば言うだろう。「気遣いの鬼……ああいやそっちの鬼じゃなくて」、と。

 

「……うへぇ」

「何かありましたか?」

 

 して、改めて奥の空間を見た彼の第一声がそれである。

 

「神門様が見えないってことは、輝術は通ってないのか……。糸ですよ糸。多分蜘蛛の糸。それが……空間全体に張り巡らされてる」

「ただの糸なら、適当に払いましょうか」

「ああいや……止めた方が良いな。これ……ああ、そういう仕組みか」

「ふむ? ……おや。成程。……糸に何かが触れ、それがもがくと、別の仕組みが作動するようですね。何か……毒性の気体が充満する上、高熱の……」

「神門様、この部屋はいいかもだけど、他の部屋では精査もしない方が良いかもしれない」

「輝術に反応する仕掛け、ですか?」

「ご名答。多分穢れを留め具に使ってんな。……ほー、面白いことを考えるもんだ。穢れが輝術で駆逐されたら作動する、ってか。若い鬼にしては穢れの使い方がうめー……ってよりは、笈溌って輝術師の発案がいいのか? どうにもどの仕掛けも一人が考えた感じがすんだよな、っと」

 

 彼が後ろを振り向かないことをいいことに、にこにこする玻璃。無論元々顔布で彼女の顔は見えていないのだけど、それでも彼は「何笑ってんですか」と見抜いてくるので、あくまでこっそり、だ。

 

 奔迹。桃湯が大局を動かすことに長ける鬼であるのなら、彼は目先の問題解決能力に長けた鬼である。調子に乗りやすい……乗せられやすい上、余計なことを言いやすいことが玉に瑕、だろうか。

 

「何をしたのですか?」

「ちょいと鬼火でね。ま、この辺は理解度の差ってことで」

 

 鬼火。死体しか燃やさないはずの青い火は、けれど蜘蛛の巣のことごとくを燃やし尽くしていく。その作動を起こさせないままに、轟々と。

 

「ふむ。ですが、私に言ってくだされば……こういうこともできますよ?」

 

 留め具になっていた穢れ。そしてそれが外れることで作動する仕掛け。

 これらの機構が、瞬時に()()となる。零れ出ようとしていた熔かされた鉄や可燃性の気体など、全て、関係なく。

 

 生成──ではない。

 

「置換、といいます。"物質(ウェイ)"を"物質(ルー)"に変換する。生成の亜種ではありますが、殺傷能力を有するという点で、生成に勝る輝術ですね」

「……外術の転置と同じか」

「ええ、その理解で正しいですよ」

「い……今の無しで」

 

 殺傷能力。つまり、やろうと思えば「輝術師の頭」を「土塊」にすることだって、「内臓の一部」を「空気」にすることだって可能、というわけだ。

 神門様。その恐ろしさたるや、である。

 

「ちなみに州君なら誰でもできたりするのか、それ」

「いえ、できないと思いますよ。青清君ならあるいは、程度では?」

「おー怖」

 

 だとすれば、そんなものを頼ろうとは思えないわけで。

 やっぱり玻璃には何も言わず、ずんずん突き進む奔迹であったとか。

 

 

 その後に続く空間も、悪辣で悪趣味な仕掛けが広がっていた。

 皮膚の爛れを引き起こす粘液に溢れた空間。異臭と腐臭の広がる空間。輝術が走ると遮光鉱がしたたり落ちてくる空間。

 また、酒精蔓延る空間まで。

 

 つまるところ、鬼対策もしている、ということだ。

 

「……無言に耐えられないので、一個聞いて良いですか、神門様」

「なんですか?」

「陽弥……あの鬼、ずっと見えていたんでしょ。それなのに実際に確かめるまで信じられない、みたいな口振りだったみたいじゃないですか。あれは……なぜなんですか」

「ああ、簡単なことですよ。幼い頃から彼を見ていたから、です」

「どういう……」

 

 空間へ仕掛けられた罠類を解除する手に焦りや滞りはない。雑談しながら、彼は完璧な対処を行うことができている。

 

「私には、御史處よりあの子を引き取った時からその姿が見えていたので、彼を鬼だとは思いませんでした。つまり、"そういうものもいる"と考えていた、ということです」

「いや……他の輝術師が見えていなくて、鬼ははっきり見えるのに?」

「お忘れですか? 私も一応楽土より帰りし神子であり、盲目でもあるのです。……私は知らないのですよ。この世界の何がどんな色をしていて、どれがどのような性質を有しているか、を」

 

 見たことがない。盲目。

 世界を知らない。生物がどのような見た目なのか。輝術師がどういう性質を有しているのか。鬼とはなんなのか。己に見え得るものとは、果たして本当に、例外はないのか。

 万能に近い輝術の才を有していようと、華胥の一族にさえ取り込まれない意識を持っていようと。

 

 見えぬ、というだけで、どれほどの──。

 

「流石に面倒になってきましたね」

「はい? ……まさか、居場所を掴んでいるので一直線を作ってしまいましょう、とか言わないよな?」

「おや、奔迹。私の心が読めるようになったのですか? ──退いてください」

「……──今までの俺の頑張りの意味!! あと気遣い……ちょ、ちょちょちょっと、退くから! 退くから待って!」

 

 突如、穴が開く。口を開けたのではない。穿たれたのだ。

 地盤沈下が起きぬよう固定輝術のかかる天井。直後、「居場所」までの全ての空間が消滅した。させられた。

 

 鬼となってなお……底の見えぬ暗闇を、恐ろしいと感じるんだなぁ、なんて考えていた奔迹。そんな彼の背がトン、と押される。

 

「は?」

「いえ、輝術で運ぶと痛いでしょう?」

「いや自分で飛べるから────────!!」

 

 消えていく。暗闇の中へ。

 彼の声は、そうして、玻璃には届かなくなった。

 

 

 何事も無く底へと着地する。

 この程度の高さは何の障害にもならない。ただ、奔迹一人を先に行かせた「理由」について思い当たる節があったので、彼は溜息を吐いて……そちらを見た。

 

 三人……ではない。

 三十を超える輝術師たち。五色の上に赤を塗った袈裟を着る彼らは、どこか虚ろな目で奔迹をねめつけている。

 

「んー……よくもまぁこんなたくさんの使い方を」

 

 首を傾け、飛来する矢を避ける。

 ナニカのついた矢は途中で掴んで投げ返し、見えている方向とは逆から飛んできた袋は足裏で蹴って集団の中へ放り込む。

 話には聞いていた、結衣の墓碑付近で祆蘭たちを襲ったという「ヒトガタ」。恐らくはこれもそうだろう。

 虫を用いて自我を奪い、けれど自律行動もさせている。不浄使い……菌を使っていた鼬林だってここまでの操作は行えない。

 ヒトがヒトを操る外法。その極致。

 

 彼らが、ぐしゃり、と潰れる。

 

「……へ?」

「なにが"へ?"ですか。私の接近に気付いていたくせに」

「ああいやそっちじゃなくて……落とされたから、俺のやるべきことをやらされるのかな、って思ってたら、普通に来るから……」

「はじめはそのつもりでした。ただ、祆蘭の製糸が既に始まっている可能性を思うと、こんなところで時間を潰しているわけにはいかないですね、と」

「流石にまだなんじゃないか……!?」

 

 でも、理解できなくはないことだった、かもしれない。

 彼女はずっと待ちの姿勢だった。すべてのことを「いずれ潰される悪事」と見做し、静観し、あらゆる些事を遠巻きに見ていた。

 そうするだけの理由があって、そうするだけの力があったからだ。

 

 けど──突然現れたあの天火の少女によって、世界は大きく進んだ。

 否応なしに当事者となった彼女は、さらに己の世界までもを上塗りされた。見えなかったものが見えるようになる、という感覚がどれほどの意欲を与えるのか。実感こそできずとも、理解はできる。奔迹は……彼もまた、生前は病を患っていたから。全く別の病なので、同じ視点を持つことはできないとはいえ。

 

 天火の少女。幽清の少女。

 よくもまぁ、あの名を子につけられたものだ、と。

 奔迹の調べた限りでは、天火の少女の肉親は皆平民だった。出稼ぎに出ている、と言われていた両親も嘘偽りなく出稼ぎに出ていて、彼女を送り出した祖父母も少し肝の据わったところはあれど、普通。その他、平民なだけあって記録はほとんど残されていなかったけど、遡れるだけ遡った血筋の中に違和のある者なし。

 

 突然なのだ。過去に相学の権威だった彼からしてみれば、人々が「そぐわぬ名をつけること」や「名の意味と同じ生を辿る現象」は然程珍しくはない。ただしそれは、輝術師の話だ。

 平民はむしろ相反することの方が多い。ありふれた名をつけられた、才ある平民。貴族と聞き違えるのような名を持つ愚鈍な商人。そしてそれらが歩む、名の通りの生と……見合わぬ能力差による転落。用意された道を歩むには、その力があり過ぎても、無さすぎてもいけない。

 五千年前の相学者は決まって『精神與存在間(ジンシェンユーツンザイジェン)接哲學概論(ジェヂェァシェガイルゥン)』という本から文章を引用するものだけど、それに倣って奔迹が天火の少女を言い表すのなら、"来る時は風のようにふるまい、留まれば嵐となって、去る時ばかりは雷光が如しである"となるだろう。いいや、"朝露の命は短い"かもしれない。

 どちらも「なんでもないことかのように突然現れて、多くの人やものを動かし、己自身は儚く消えゆくものがいる」という意味合いを持つ引用であるが、天火の少女はまさにその体現者だろう。

 

 平民──同一因子の強制力は油断ならないものだ。

 それは無意識に作用する。たとえ鬼となろうと幽鬼と堕ちようと、その支配からは抜けられない。肉体の檻があるのなら尚更に。

 だから我が子に「祆蘭」という名を付けることができるのは、そんな「支配から逃れるようなこと」ができるのは、それに見合う道を歩んできたものでなければならない。

 奔迹の目からみて、申し訳ないけれど、彼女の両親はそれに見合う人物ではなかった。

 

 天火の少女自体も同一因子の影響がほとんど見られない。

 それはあり得ないことだ。少なくとも五千年、「奴ら」を敵視するだけではなく、ずっとずっと研究に明け暮れていた奔迹からしてみれば──平民に生まれた楽土より帰りし神子とて、肉体の檻に逆らうことができた者はほとんどいなかった。そして仮に逆らい得たとしても、周囲の同一因子に弾圧される。力を持たぬということはそういうことであり、だからやはり、力を持たぬのにそう在り続けられた彼女の奇妙さが際立つのだと──。

 

「奔迹? 置いていきますよ?」

「いやいやいや。あんた輝術の通ってない罠とか見えないでしょ! 俺が先を行くから、そんな焦らないでくれ、あんたになんかあったら俺小桃(シャオタン)に何言われるか」

「……ふふ」

「え、何笑ってんの怖」

 

 確かに今考えるべきことではない、と意識を浮上させ、「居場所」へ突き進んでいく。もう目と鼻の先であるそこへ。

 

「いえ……あなたのことを紹介してくれた時の桃湯を思い出しまして」

「え、めちゃくちゃにかっこいい鬼です、とか言ってくれてたり──」

「"話のできる鬼ですが、苦手な相手です"とか、"私の方が年上なのに、私を子供扱いするんです!"とか……可愛らしくって」

「あー……。まぁ、小桃は精神が子供というか、鬼ってそうだからなぁ。鬼になった時の精神から成熟するってことがないから、俺にとっちゃいつまでもあの子は小桃だよ」

「知っていますよ。だから可愛らしいんじゃないですか」

「それは同感です、っと。──ついたみたいですね」

 

 壁を蹴破る。その奥に……人影が、あった。

 

 

 二人だ。

 一人は。

 

「時とは面白いものだな。私の在任期間では……あなたと過ごした日々は、駆け足で去り行くものだった。だが、しばらくというほどの時を開けていないというのに、その心が手元になかっただけで……こうも久しく、長らく会っていなかったものだと感じるとは」

「よぅ、黄征君。相変わらず唐突だな! しかも……もう隠さずに鬼を引き連れてきやがって! 笈溌が用意した罠類が台無しじゃんか!」

「……第一声から、それか。……つまり、認める、と。そういうことでよいのだな」

「あぁ? くどいんだよ、黄征君。俺とこいつが共にいる時点で事実は明白だろう」

「あ、黄征君は目が見えないんだよ! だからそう言ってやんな、笈溌!」

 

 一人は、元黄征君の付き人紊鳬。

 そしてもう一人は──今紊鳬が名を呼んだとおりであるのならば、長らく不明なる者であった輝術師、笈溌であるらしかった。

 

 水晶の枝を思わせる男だ。小さく活発な凛凛、意欲的だが見た目は普通な今潮。そして、長身痩せぎすで、不健康を通り越して奥が透けて見えてしまいそうなほどである笈溌。

 この三人が、黒州一の相学者。

 

「その程度はわかっている。だが、見えてもいるはずだろう。俺の体に巣食う無数の虫を。輝術を食らったこれらならば、盲目の黄征君でも視認可能だろう?」

「ああ、見えるとも。──既にヒトとは言えぬその身が」

「おいおい、黄征君! 酷い事言ってやるなよ! 笈溌はこれでも人間だぜ! ちょっと痩せてるだけだ!」

 

 ゆっくりと。

 玻璃が、その手を……掌を上に、腕を前に突き出す。

 その掌中に、光が零れ始めた。

 

 否。

 

「ちょ……なんですか、それ……!?」

「剣呑だなぁ、黄征君。ソレは──言うなれば、『御業の力場』とでも言い表すべきものか」

 

 ああ、ああ。その通りだ。笈溌の言う通りだ。

 輝術とは神の御業の具現。先導する力ではなく、不可視の力こそが輝術。今玻璃は、神門様は、その力場のみを掌中に出現させている。

 それでも光が零れ落ちて行くのは、収束に耐えきれなかった力が純度を失い、世界へと溶けていている証。

 

「理解が浅いな、相学者。これなるは『力場の集束』。輝術そのものの集束ではなく、それが放つ力場を無理矢理にまとめ上げたもの。──して、これの制御を解いたのなら、何が起こるか──わかるか」

「全部吹っ飛ぶな!」

「珍しく理解が早ぇな、紊鳬。そうだ、あんなもん、黄征君の制御下になけりゃ……この地下はおろか、黄宮廷の半分が吹っ飛びかねねぇ」

「いやいやいやそれ俺も吹っ飛ぶ俺も吹っ飛ぶ! つか消し飛ぶ!! つーかどうやってんの!? 力場は力場だよ、集束とかできないって!」

 

 なんて言葉を吐きつつも、冷静に敵の出方を観察する奔迹。

 片や虫遣い。結衣の蝕よりは大きくも、目に見えぬ大きさの虫が呼吸を伝って胃に入り、悪を為す、ということは聞いている。その肌の細胞一つ一つにまで目を光らせていなければ、いつ、と。

 片や記憶に干渉する輝術師。奔迹自身は輝術師ではないからその影響を受けることはないとはいえ、たとえば隣にいる玻璃から奔迹の記憶が消されたのなら……部分的な消去が為されたのなら、どうなるか。

 

 厄介さで言えば輝術師の方が上だ。何が発動の兆候なのかがわかっていない。

 

 そして──。

 

「っ、神門様!」

「気付いている。そして、既に殺している」

 

 背後。無数の足音と共に寄ってきた意思なき兵士たちは、奔迹が感知すると同時に消し飛んだ。

 その掌にある『力場の集束』なるものを維持しつつ、まだ余裕がある、ということだ。

 

「酷い事をしてくれるじゃねぇか。あの兵らを作るのにどんだけ時間がかかると思ってやがる」

「雑談に興じることを好むか、虫遣い。──それほどまでに時を要するのか、紊鳬。お前の外法、とは」

「いや? 結構一瞬でできるぜ! けど、本当に酷いな黄征君! あたし対策をしっかりしてきたんだな! こうなるとあたしは、ただの輝術師だ!」

「あァ? オイ、段取りはどうなってやがる。黄征君なら瞬時に無力化できる、って息巻いてたのはお前だろう」

「一昨日くらいかな! 誰かがあたしの外法に修復をかけたんだよ! それで、黄征君は多分自分の覚えているすべてを強化したんだろうな! ほんと、前からそうだけど、何事も力業が過ぎて呆れかえるよ!!」

 

 それが本当なら、最早理解の及ばぬ領域である。

 輝術師の覚えている全て、となれば──それは、全ての輝術師が記憶していること、になる。無論玻璃は視覚情報を持たないし、それを共有されたとしても視覚情報を得ることはできないらしい……ので、紊鳬が壊し得るのはせいぜいがその視覚情報くらいになるのだろう。

 けれど、それだけでは誰かを忘れ去る、などということはできない。顔を失念してしまった、程度に終わる。

 

「これは情けだ、紊鳬。長年私に尽くした者への」

「ん?」

「私の手元に戻ってくる気はないか、紊鳬。今戻れば、その罪の減──」

「ない! あたしはあたしの信念を以てこれをやってんだ! たとえ黄征君でもそれは変わらな」

「では死ね」

 

 放たれた。その『力場の集束』が。

 退避行動など意味を為さないことを知っている。五千年を生きた鬼でも、刹那の間に消し飛ばされるだろう。それでもどうにか逃れようとする奔迹……の身体が、宙に浮いた。

 

 真白。真っ白。目を閉じた暗闇の反転。

 それが視界を埋め尽くす。

 

「い、痛い痛いイタタタタタ!」

「我慢しろ。浮遊や固定の輝術による痛みなど、痛むだけで存在の消滅には繋がるまい」

「そりゃそうだけど! この中に放り出されるよりはましだけど!!」

 

 真白が続く。真白が続く。真白が続く。

 世界を灼き続ける暴虐は──そうして、終わりを迎える。

 

 あとに残ったものなど何もない。ぽっかりと開いた巨大な空間が現れただけ。

 二人の輝術師など、どこにも。

 ぼてっと落とされた奔迹がその大穴を覗き込めば……初めに見た暗闇よりもさらに深い暗闇がそこ広がっていた。

 なんとなく背後を気にする。また背を押されないか、と。

 

「……逃がしましたね」

「え。……今の一瞬で逃げたのか!?」

「元からここにいなかった、というのが正しいでしょう。はぁ、こういう時はやはり盲目は不便ですね。加えて、精査を走らせると罠が作動する、という道中にあった仕掛けもこのためですか。私に精査を行わせないための……」

「あ! あ、クソ、そういうことか!」

 

 そういうことだった。

 つまるところ、初めから人形。いや、玻璃がそれを捉えていたあたり、笈溌の方は虫の集合体で、紊鳬の方はその死骸だったのだろう。

 音は虫が届けていた。ただそれだけ。だから二人は一歩もその場を動かなかったのだ。

 動けばヒトではないと見抜かれるから。あるいは、動く機能は与えられていなかったのやもしれない。

 

「輝術痕跡とかで追えないのか?」

「焦らずに。捕捉はしておりますよ。虫を操るということは、虫と己の間に経路を作ることに同じ。……この方向は、赤州ですね」

「……つーことは、え、出戻り?」

「初めから私達を散らすことが目的だった。あるいは……」

「小桃たちと折居一派とかいうのがぶつかって、疲弊しているところを後ろから、ってことか!?」

「可能性はあるでしょう」

 

 折居一派と笈溌一派は別々の目的がある。だから迎合はしないはずだ。

 だが、折居一派の持つ技術……本物の"(とこしなえ)の命"や"(もやいぶね)の体"に関する外法は手に入れておきたいのだろう。虫さえ飲ませられたのなら、あとはどうとでもなる、というのなら。玻璃の認識範囲外の記憶を操り得るのなら。

 

「奔迹、半歩、後ろにさがってください」

「お、え、あ、はい」

 

 下がる。

 直後、大穴が塞がった。

 

「……外術……にしても、程があんでしょ……」

「このままにしておけばいずれ黄州が沈みかねませんから」

「いや理由の方じゃなくて!」

 

 神門様の前では流離いの奔迹も形無しである。おちゃらける暇が無いのだ。

 

「ふむ。少し時間ができましたね」

「はい? いやすぐに赤州へ向かった方がいいんじゃ」

「まだ時ではありませんよ。一般的な輝術師の飛翔速度も考えてあげてください」

「……?」

 

 何の話かはわからない。

 ただ、今の奔迹は神門様に従う以外道がない。

 

「よくわかんないですけど……んじゃ、また雑談でも?」

「そうですね。……霊廟へ帰りながら、少し話しましょう」

「了解でっす」

 

 一応。本当に一応。

 奔迹は──先程消し飛ばされた死骸に、穢れを流す。仮に生き残りがいたとしても、これで殺し得る、と。

 

「ああ、勿体ない……」

「へ?」

「いえ……存外抜かりが無いのですね、という話です」

 

 彼の耳は捉えるだろう。肉体の半分以上が消し飛ばされた死体の山の中から聞こえた呻き声を。それは間違いなく穢れに侵食される輝術師の声だった。

 やはり生き残りがいたのだ、という己の行いへの安堵と……神門様の言葉。

 

「知り合い、でしたか?」

「いえ、味取(ウェイチュ)という若者ですよ。同一因子の支配を受けて、そして紊鳬の暗躍を曲解し……彼女を止めんがためにその後頭部を殴打した、まぁ、影の立ち役者、でしょうか」

「え゛」

「ああいえ、本人は道化ですから、気にする必要はありませんよ。彼の自分本位の行動が結果的に祆蘭のためになった、というだけです」

「??」

 

 聡明な彼でも、流石に知らないことは知らない。

 味取が同一因子の支配によって「笈溌や紊鳬一派を止めようとしていたこと」や「紊鳬と陽弥の言葉によって引き起こされた集団自殺事件への真相から彼女を殺そうとしたこと」、そしてそもそも「なぜ同一因子の支配が紊鳬らを止めようとしていたのか」など──奔迹の領分ではないからこそ、知らない。

 その辺りの推理は誰がやるのか。あるいは誰もやらないのか。

 

 真実を知る玻璃は一人、くすり、と笑う。

 

「知識で知ってはいても、本人の口から聞きたくての襲撃でしたが……多少は、悲しいものですね」

「えーっと……ああ、紊鳬って輝術師の話か」

「ええ。……裏表のない、底抜けに明るい子。だからこそ彼女も信念を以て私を裏切りました。恐らくは笈溌、そして点展も。……私にも彼女のような……祆蘭のような力があれば、と思わぬ日はありませんよ」

「……"符合の呼応"と"事象の呼応"。……"八千年前の組成"になった時ってのを俺は覚えてねーっすけど、上手く扱えば世界そのものを変えるに足るもの、だとか」

「はい。今この時でさえも、彼女の"符合の呼応"は働いてますよ。……でなければ、こうも各地の出来事が明るみに出ることはありませんでしたから」

 

 頭上へ穴を穿ちながら。共に浮かび上がりながら。

 思いを馳せるように──神門様は。

 

「もう一つ。"聚光(しゅこう)の呼応"とでも呼ぶべき力でしょうね、これは。あるいは……それすらも"符合の呼応"の一部かもしれませんが」

「聚光……。……あの子は、何を照射してるんで?」

「世界を、ですよ」

 

 ただただ、ずっと……悲しそうに、笑っていた。

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