女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第四話「復讐」

 彼にはかつて、恋人がいた。

 職場の同僚にも、友人にも、誰にも漏らしていない秘密の関係。禁断の恋であった、とかではなく、単純に弄られることを嫌っての秘密。唯一、豪快に笑う「親方」にだけは見抜かれてしまったけれど、それ以外には完全に秘していた関係性がそこにはあった。

 

 優しい人だった。貴族にも平民にも分け隔てなく接する女性。理不尽とされることには果敢に立ち向かい、不正を許すことはない。

 

 だから。

 

 彼女は、殺された。

 ……彼女によって不正を暴かれ、死罪に問われ……けれど逃走し、その果てにて死した者に。

 首を落とされずに死んだがゆえに、幽鬼となって出て。

 彼女は、殺された。

 

 受け入れられなかった。

 それはいつか、彼の護衛対象となった少女の言い放った言葉。

 

 ──死んでまで祟られる悪事を為した奴が悪いだろう。なぜ私が悪人のために幽鬼の恨みを解かねばならん

 

 どれほど品行方正に生きていようと、ことによっては恨まれる。

 どれほど正しい行いをしようと、相手が悪人であれば祟られる。

 

 摂理だと言った。可哀想だと言った。命数尽き果てるまで抵抗すると言っていた。

 

 だけど。けれど。でも。

 

「……それができる、人間……ばかりじゃ、ない」

 

 今までひた隠しにしていた輝術を大っぴらに使い、天染峰全土へとその様子を放映した「御前試合」。

 単なる平民が州君に勝るという「大事件」は、けれど彼女は楽土より帰りし神子である、ということを理由に蜂起へは至らなかった。それでも綱渡りな作戦であったと言えるだろう。

 実は貴族は輝術というものを扱い得て、州君とはそれを扱う者の中で最も強き者で、けれど平民には勝てぬ、という事実は……情報開示の順序によっては、反乱をも引き起こしていたかもしれない。

 

 あの少女は導く才には溢れよう。

 だが、決して統治者ではない。為政者ではない。先を見据える力は持たない。

 あくまでその場しのぎ。起きたことに対処するだけで、これから起きることを防ぐ者ではない。

 

 同じだ、と。そう思えてしまった。

 正しく生きる。品行方正に生きる。

 我が道を行く。その覇道をすすむ。

 性格としても人物像からしても真反対に位置する二人は、けれど同じだ。

 

 その行いがどれほど義に満ちていても。

 誰も彼もが、彼女らのような強さを持っているわけではないのだから。

 

「……」

 

 墓碑に花を添え、荷を背負い直す。

 祭唄、夜雀の抜けた要人護衛は、けれど通常通りだった。あの二人が要人護衛にとって大事な存在であるかと問われたら、そんなことはない。数いる要人護衛の内の一人二人でしかない。

 そしてそれは彼──玉帰(ユーグゥイ)も同じこと。

 

 退職の受理は恙なく行われた。

 護衛対象である少女が青州にいないのだ。その任から外れることに文句を示すような上ではない。

 

 ただ、「お前も行くのか?」という問いには、否を返した。

 

「……正しきお前は、……今の、俺を……糾弾する、だろうか」

 

 既に楽土へ向かったであろう彼女は地の下にはいない。

 それくらいはわかっている。けれど、彼女が死んだあの日から、害ある幽鬼に惨殺されたあの日から……玉帰の夢中には、血塗れの彼女が出現するようになった。

 幻影であることくらいわかる。心理創傷であることくらい当然わかっている。だから仕事へと打ち込み、ある一時より「単なる要人護衛」から「危険存在・隠羊の護衛」に変じたそれも、離れることなくついてきた。あの少女と共にいると、通常では考えられないほどに危険な目に遭う。幽鬼、鬼。そして輝術師。

 それでも、それでも、夢の中で……いや、次第に起きている時にさえ聞こえつつある「声」から逃れられるのなら、と。

 

「『玉帰様、玉帰様』」

「ッ……!」

 

 呼ぶ。呼ばれる。

 

「『わたしはここにおります。あなたの足の下で、あなたに紅を、踏みつけられて──』」

「散れ……散れっ! 彼女は……言わぬ、そのようなことは……!」

「『駆け付けてくださったあなたに見せた、最期の顔。わたしの顔。……覚えておいででしょうか』」

 

 覚えている。目を閉じることも叶わずに死した彼女。

 首を斬られるのではなく、千切られる、というのは……ああ、どれほどの苦痛だったか。四肢を潰され、腹は捌かれ。

 覚えている。顔を覚えている。転がってきたその生首と……目が合ったことを、今でも、ずっと覚えている。

 

「『どこへ行かれるのですか、玉帰様』」

「『わたしを置いていかれるのですか』」

「『悲しゅうございます、悲しゅうございます』」

「『あなたもわたしを忘れて、悪しき道を辿らんと──』」

 

 幻聴は続く。少女の近くにいる時はほとんど聞こえなかった幻聴が、ずっとずっと聞こえてくる。

 どれほど振り払っても、自傷することで意識を逸らしても、己が影のようについてくる。

 

「『玉帰様──』」

「あれ、兄ちゃん。なんか死にそうな顔だけど大丈夫か?」

 

 は、と顔を上げる玉帰。

 既に青宮廷から随分と離れた山中。青州から黒州、そして緑州へと続く山道で……随分とみすぼらしい恰好の女性と出会った。声をかけられた。

 

 ただ、申し訳ないけれど、彼の気分は今他者との交流ができるほどの余裕がない。

 だから会釈だけをして通り過ぎようとして──その眼前に差し出されたものへ、反射的な迎撃姿勢を取った。要人護衛として叩き込まれたその反射攻撃は、「うわっと!?」なんて声と共に避けられる次第となる。であるならば、と警戒を強める玉帰。彼は輝術師としては決して強い部類ではないけれど、それでも宮廷外の輝術師に負けるつもりはない。

 

「ちょ、落ち着けって兄ちゃん! これ! これよく見ろって! 剣じゃなくて団子! 団子!!」

「……団子?」

 

 団子だった。串に刺さった団子。真白のそれ。

 

 女性は……両手に八本の団子を持っていて、その一本を玉帰へ差し出したようだった。内二本は既に食べ終えた形跡がある。

 

「……すまない。……気が、立っていた。……構わないで……くれ」

「冗談だろ! 確かにあたしは世捨て人だけどさ、そんなあおっちろい顔してる兄ちゃんをこのまま山中に放り出せって!? 自殺は罪だってこの州もあっちの黒州も定めてるよ、知ってるだろ?」

「自殺など……する気はない」

「信じろって無理無理。──それに、とりあえず自分の浄化でもしたらどうだよ。頭ん中に穢れを留めておける才能は大したモンだけど、留めておいていい事なんか何にもないと思うぞ~」

 

 穢れを留める。

 何のことだろうか、と……ただ、一応己の精査をして。

 玉帰は驚愕に目を見開いた。

 

 確かにある。脳の一部に穢れが存在する。それは増殖することなく留まっている様子で、けれどそんな場所に残る穢れを放置するなど、死に至る病を放置するに等しい。

 すぐに穢れの浄化を始めて──始めたその瞬間。

 

「『玉帰様、玉帰様』」

「『ああ、玉帰様、わたしを忘れてしまうのですか』」

「『──()()を消してしまえば、わたしの声が、聞こえなくなってしまいま──』」

 

 浄化する。

 輝術を送り込み、駆逐する。

 

 同時に、幻聴が聞こえなくなった。

 

「いつの間に……!?」

「あ、故意じゃなかったんか。いや最近の輝術師はすっごい挑戦的なことすんなぁ、とか思ってたけど、ま、なに? 結果良ければ全て良し!」

「……助かった。……だが、今……俺は……礼が、できない。……少しばかりの、路銀で良ければ……受け取ってくれ」

「いやそういうのは要らないよ。あたしは世捨て人。世俗には関わらないから銭を使うこともない!」

「ならば……その、団子は? ……明らかに……茶屋の……商品、だが……」

 

 ──沈黙が流れる。

 玉帰が腰の剣、その柄へと手を当てる。

 

「や、やだなぁ兄ちゃん。これは……善意! そう善意のお裾分け! いやぁ気のいい店主でさ、八本も譲ってくれちゃって──」

「では……今しがた、お前の来た、道。……そこから……怒り心頭で、走ってきている平民、複数人。……なんと、説明する?」

「嘘、追ってきたのか!? い、いいじゃんか団子が八本消えた程度だろ! そんなに怒らなくても……って、あ」

 

 要人護衛はやめた。青宮廷からも出てきた。

 それでも玉帰は悪を成敗する義のある輝術師だ。況してや生活の苦しいだろう平民から盗みを行う者は──。

 

再見(ジョイギン)!!」

 

 何か、丸薬のようなものが地面に叩きつけられる。

 その瞬間──その丸薬から、「雲」が生成された。輝術で発生させることのできる雲だ。それらは凄まじい勢いでの広がりを見せ、瞬く間に空へと上がっていく。

 その雲の一つに乗って女が逃げていく──のが、見えたので。

 

「ふぃー、危ない危ない」

「何が……だ」

「どわっ!?」

 

 当然、玉帰もそれに乗った。乗らずとも飛翔は可能だが、未知の敵を相手にはあまり脳の演算領域を割きたくない。

 彼は夜雀のような感覚型でも、祭唄のような並列処理型でもない。あるいはあの少女のような愚直さや蛮勇は持ち合わせていないが、代わりに勝る点が一つだけある。

 

 しぶとさだ。

 いや、しつこさ、でもいい。根気のいる作業や、誰もが根を上げるようなこと。

 それをやってのける強さがある。

 

「お、おーい兄ちゃん。よく考えなよ、あたしは一応兄ちゃんの命の恩人だよ? 穢れをあのまま放置してたらどうなってたか……ってさ」

「認める……だが……お前を逃がすことは……よく、ない。礼はする……だが、裁きは、受けろ……!」

「頭の固い兄ちゃんだな! 前に会った嬢ちゃんはあたしのことになんか一切興味が無いって感じだったのに、こっちはしつこいと来た! なら、これでも食らえ!」

 

 まただ。また、丸薬が投げつけられる。

 真白のそれ。雲の上という不安定な足場から投げられたそれは、けれど玉帰へとまっすぐに投擲され──避けられた。

 

「あー!! 避けんなよ、弾けないと中身が出ないだろ!?」

「やはり……そういう、類か。俺が、剣で……叩き切っていたら……危険なものだった。そう……だな?」

「危険かどうかは時と場合によるな! なんたって五十種類の調味料をふんだんに混ぜ込んだあたし特製丸薬だ! 兄ちゃんが咳と鼻水と涙で大変になって、雲から落ちちまうなら大変だったかもしれないけど……とわぁぁ!?」

 

 輝術による不可視の斬撃。それも剣を振らぬ状態で放ったそれは、けれど避けられた。

 ふざけてはいるが高位の術師なのだろう。玉帰の脳内にあった穢れに気付いたことも含めて、感知にも優れるのだと見える。

 

「お、おま、兄ちゃんお前、人の話は最後まで聞け!」

「聞くに……値する、なら」

「しないってかウッヒョォォォオオ!?」

 

 斬撃ではなく短針に切り替える。あまり好まれはしないが、輝術はこうして短い針を飛ばすような攻撃もできる。

 鬼や幽鬼に然したる効果のあるものではないが、相手が防がずに避ける輝術師であるというのなら、こういうのもアリだ。

 

 だが。

 

「あ、あぶな、あっぶな!?」

「……針と針の間は、四厘米もない。……今、どのようにして、避けた?」

「言わない言わない! そう簡単に手の内は明かさない! そんでもって──じゃあな、危ない兄ちゃん!」

 

 女の姿が消える。変装輝術か、偽装輝術か。

 違う。

 

 落ちたのだ。このまま山中へ、森の中へ逃げるつもりなのだろう。

 

「させる、か──」

 

 であればと、負けじと雲を降りる玉帰は……目の当たりにすることとなるだろう。

 今まで彼女が乗っていた雲。それに棒状のものを引っかけ、ぶら下がり、玉帰へ手を振っている女の姿を。

 

 彼が己に浮遊の輝術をかけた時にはもう遅かった。

 再度雲へ飛び乗った女はとんでもない速さで雲上を駆け、瞬く間に彼方へと消えてしまっていたのだ。

 盗人は逃げ足が早い。その体現者である。

 

「……」

 

 嘆息し、諦める玉帰。

 いくら彼がしつこいと言えど、あれは無理だ。

 それに……今は、やるべきことがある。

 

 感覚で居場所を掴むに、ここは黒州と黄州の境。丁度いい。

 このまま緑州へと抜けさせてもらおうと、玉帰は浮遊の輝術へ新たな推進力を与え──。

 

 ようやく、違和感を覚えた。

 

「……あの、女」

 

 一度も輝術を使わなかったような。

 

 

 

 そうしてようやく、玉帰は緑州へと辿り着く。

 生憎と天候の悪いらしい州境。とはいえ輝術師に雨など関係ない。あまり目立たないよう、己が身体へ撥水輝術をかけ、そのまま歩く。

 彼にとって、歩くという行為は好ましいものだった。「彼女」が散歩好きであった、というのもあるだろう。飛ぶことなく、歩く。ゆっくりと歩いていくことでしか見えない景色が存在する。

 

 遠くに見えるは農村。各州に当然のようにあるそれらは、けれど緑州のものが最も良質であるといえるだろう。

 緑州の村々には飢えがない。政には干渉しない代わりに、と打ち出されている緑涼君の施策により、平民の暮らしは豊かなものとなっている。

 彼は州の秀でる風と同じように、緑州の風の子となって州全土を回り、「働き方」を教えているのだ。

 その土地で採れる農産物。あるいは海産物。もしくは鉱脈など、様々な自然資源。それらをどう扱い、どうすれば自分たちの収入源とできるのかを教えて回る。無論、それによる衝突が起きぬよう呼び掛けて回るし、それでも起きる軋轢は緑涼君自らが諫めにいく。

 

 武勇に優れるのが赤積君なら。輝術に優れるのが青清君なら。美貌に優れるのが黒根君なら。

 緑涼君は、人望に優れるのだ。その人柄も、やることなすことも。

 

 ──ゆえに、玉帰が見つかったのは、当然のことだったのかもしれない。

 

「おい、おーい! そこのやつ、大丈夫か!? こんな嵐の中、傘もささずにどうしたんだよ!」

「……」

 

 空より降りてくる緑涼君。同時、高いところで雨が遮られる。

 

「って……あれ。……輝術師か? 墓祭りで顔を見たことがある、ような?」

「略式で……失礼、いたします。私は、玉帰。以前、青清君と共に、墓祭りへ赴いた次第です」

「ああ、青州の。え……で、どうしたんだ? わかってると思うけど、ここ緑州だぞ?」

「はい。緑州へ、用事がありまして」

 

 空気が張り詰める。

 膝を折ってしまいそうになるほどの重圧が玉帰を襲う。

 

 威圧、ではない。

 これはただの警戒だ。単なる存在感だ。

 

「……何用で、だ。今緑州は……ちょっとごたごたしててさ。他州の者を歓迎できるほど、おれに余裕がない」

「復讐」

 

 さらなる重圧がきた。

 今度こそ……威圧だ。だけど、曲がりなりにも彼は少女の要人護衛である。

 これより重いものを何度か経験しているからか、耐えられる。冷汗は出るし、呼吸も荒くなるけど……耐えられは、する。

 

「なら、尚更通せない。殺人予告をされて見過ごせるほどおれは寛容じゃない」

「直接的な……害を、齎す、つもりは……ない、です。……ただ、私の……。……俺の、大切な人の、命を……奪ったやつが、そうなるように……仕向けた者が、英雄視……されている。……耐えられない」

 

 威圧と重圧が消える。

 深呼吸の時間は与えられた。与えられたが。

 

「詳しく話してくれ。……多分だけど、今からおれがやろうとしていることに繋がっている、気がする」

 

 どうやら逃がしてはくれなさそうだった。

 

 

 聞こえる声が消えたからだろうか。

 少しだけ話しやすくなった「事情」に、緑涼君は真剣な眼差しを向けてきた。

 そうして話し終わった彼に、「なるほど」と呟いて……今度は緑涼君の事情を話してくれる。

 

睡蓮塔(シュイリィェンター)の頭目と、腐敗貴族……か」

「ああ。さっきも話した通り、おれの身内がそれらに襲われた。捕縛された彼らを辿っていくと、緑宮廷の貴族へ辿り着いた。……情けない話だけど、緑州に巣食っていた敵は足元にいたんだ。ずっと……気付かなかった」

「それが……俺の、復讐相手、だと?」

「緑州で英雄視されている輝術師、って言えば、品愿(ピンユェン)くらいだからな」

 

 その名が出た瞬間、玉帰は奥歯をぎり、と鳴らす。

 ああ、そうだ。その通りだった。

 

 彼も調べたのだ。害ある幽鬼の仕業であったのは間違いないが、そもそもがおかしかった、と。

 だって、彼の恋人であった女性は、誰かを糾弾する立場になかったのだから。

 そもそも不正貴族と彼女に接点などないはずだった。それが突然現れた。不正を許せない彼女の前に、わざとらしく不正を行う貴族が。魚を釣る餌のように。

 おかしい。その違和感を覚えてから、不正貴族の身辺を洗うこと二年程。掴んだものは。

 

「緑州の……貴族と、内通していた。……そして、品愿という……貴族に、そそのかされた、と」

「一応情報源は聞いておく。誰からだ?」

「……。……鬼」

 

 鬼だ。

 ……ある鬼から、ある真実を聞かされた。

 あの少女との付き合いで鬼との接触機会の増えた彼は、けれどそのずっと前にも一度鬼と接触を果たしていたのだ。

 玉帰がこの件に執心していることは火を見るよりも明らかだった。だから、それは善意だったのだろう。だってその鬼は──先代青清君の付き人だったのだから。

 

 だけど、今の今まで思い出せなかった。思い出すことができたのは昨晩だ。

 何者かが忘れていたそれを修復した。これにより、関係する全てが、教えられた全てが玉帰へ戻ってきた。

 

 青州に尽くし、青清君に裏切られ、けれどそれでも青州に尽くし続けたある鬼からの情報。

 

「品愿は、他の青州貴族にも……手を出していた。その目的は」

「死体が欲しかった、だろ?」

「わかる、のか……?」

「わかるよ。だって品愿が英雄視されているのは、不穏分子とされた輝術師を単身で弾圧したことにあるからな。ただ最近尸體處(シーティチュ)を調べて……わかった。あいつが殺した輝術師の死体が忽然と消えているんだ。他州とも連携して尸體處については調べを回しているけれど、同様の事件が多数起きている。いや、多数なんてものじゃない。ここ数千年における、輝術師同士、あるいは輝術師と害ある幽鬼の戦いで死した輝術師は皆、死体が無い。尸體處で消えたものもあれば、墓を掘り起こされてまで消されたものもある」

 

 要人護衛であった玉帰には窺い知れぬ話ではあったが、青宮城の実質上の最高権力者である進史が青州の尸體處を調べさせていたことは知っている。

 それと関係がある……どころか、という話だろう。

 

「鬼との……戦いで、死したものが、対象ではない、のは」

「多分、魂を食べられるからだろうな。それに、大抵の場合骨も残らないほど無残に殺されるから」

「……骨が、原型を留めていなければ……無事、か?」

「無事という言葉で表すのは良くないと思うけど、多分。少し前、赤州と新帝同盟から情報が齎されたんだ。"(もやいぶね)の体"、という成り済ましの外法には、傷のついていない骨が必要となる。だから綺麗に骨の残っている死体は狙われる、ってさ」

 

 であれば。

 であれば──彼女は、無事、楽土へと赴けたのやもしれない。

 彼女の骨は……原型など、残っていなかっただろうから。

 

「品愿は不穏分子とされた輝術師ら二十余名の全員に対し、背後から正確に心臓を刺す、という手段を取った。遮光鉱の刀を使ったその精密な技術は当時の誰もが舌を巻くもので、不穏分子……おれと行政に反乱を企てようとしていた貴族とはいえ、遺族らに謝意を述べられる程度には慈悲ある殺し方だった。……けどそれが、綺麗な死体を残すためのものだとしたら」

「……辻褄は、合う。だが……品愿は」

「ああ。もう死んでいる。だからお前はあくまで品愿の英雄視を取り下げさせたいだけ、なんだろ? 聞いた限りでは……その、大切な人を含めて、関係者は全員亡くなっているみたいだし」

「そう、だ。……死者は、殺せない。それでも、英雄として、後世に名を、残すのは……許せなかった」

「ならおれと協力してくれ。おれは今から、緑宮廷の貴族の是正を始める。……既に証拠は揃えているし、あとは裁くだけの段階だ。だけど、それだと民は不安を背負う」

「俺が……主に、平民に対し。これから……行われる、緑涼君の大粛清の、真意を……伝えて、回る。品愿という、悪がいた、ということも……」

 

 頷く緑涼君。

 大粛清だ。一歩間違えればどれほど民に慕われる緑涼君と言えど、暴君として認識されるやもしれない。

 そのための認識操作。印象操作。

 必要なことであると同時、緑涼君らしくない手であるといえるだろう。こういう「根回し」は、黒根君のやり方だ。

 

「おれらしくないのは自覚してるよ。……でも、いつまでもおれらしくあったから、こういうことが起きた。……お前にも、いいや……他州のたくさんの人に、おれの州の英雄が不幸をばら撒いたんだ。それは、あっちゃならないことだっておれは思うから」

「……いつ、やる、つもりだ。俺が……緑州の全域を、回る時間……待つつもりは、ない、んだろう」

「ああ、無い。それで暴君と後ろ指を指されるのなら、それでもいい」

「良くない。……それでは、俺の、復讐が……意味を、為さない」

「それは、そうかもしれない。でも時が経てば経つほど」

 

 聞こえたのは溜息だった。おかしな表現だけど、溜息を吐き慣れていない、と表現するほかないそれは、二人のほど近くから聞こえてきて。

 咄嗟に剣を抜いた玉帰と臨戦態勢を取る緑涼君の前に、それは姿を現した。

 

 少しばかり角ばった顔つきの、糸目の男。

 

「……確か、濁戒(ヂュオジェ)、だったか。今の話……聞いていたのか」

「ええ、まぁ。雨の中とはいえ、防音輝術も張らずによくもまぁそんな機密情報を話せますね」

「輝術師が近くにいたらおれが感知できる。……お前みたいな鬼に聞かれる可能性を考慮できていなかったのは、確かに……おれの落ち度だけど」

「鬼が、何用だ……」

 

 雨が降っている。強い雨が。

 だというのに、男の声はよく通った。

 

「情報交換と、一種の協力体制を、と思いまして」

「……時間は惜しいけど、聞く。あんた確か彼女と……祆蘭とも付き合いがあったし、新帝同盟の一員だったよな」

「はい。成り行きでしたが」

「ならあんたの情報には価値がある。……待ってくれ、今小屋を生成するから、そこで少し話そう」

 

 であれば、と。

 その寄せ集めの会議が始まるのである。

 

 

 情報。それは。

 

「赤州で、そんな事件が……」

「はい。途中に話していたその英雄と言われた輝術師の手段。似ている、というより恐らく本人であるかと思われます」

「……"(もやいぶね)の体"、か」

「ですね。その輝術師が簡単に死したのは、新たな肉体……より良い骨が見つかったからだ、と考えられませんか」

「品愿が……赤州で、別人となって……殺人を犯している」

 

 また、玉帰の奥歯がぎり、と鳴る。

 到底許せないことだった。許せない。許せない……けれど。

 

 心のどこかに、歓喜もあった。

 

 もう訪れないと思っていた、彼女の仇。それを討ち得る機会が訪れたのだから。

 

 けれど。

 

「いや……おれは、行かない。こちらで……」

「はぁ。なんのために私が声をかけたと……。恩を売るためですよ、恩を。いいですか、平民に周知をする、という役割。私がやってあげましょう。私の砂を使えば、緑州にある村々及び貴族街、その全てで同時に周知を行うことができます。代わりアナタは赤州へ向かい、今問題に対処している方々の応援をお願いいたします」

「どんな恩を売っているのかさっぱりだ。あんたに益が無いだろ、それ」

「ありますよ。まず、私は別に輝術師と手を繋いで歩きたいわけではありません。よって、黒州の輝術師二名、そして桃湯と結衣という二大関わりたくない鬼への応援要請を受けるくらいなら、こういう雑務をした方が性に合います。第二に、私は養蚕場を探しておりまして。というか既にあたりは付けているのですが、緑涼君の許可が必要だろう、ということで許可を欲していまして」

「……養蚕場?」

「できれば羊牧場も」

 

 理解できない、という目。玉帰からだけではなく、緑涼君も同じであるようだった。

 

「あなた方ならわかってくれると思うのですがね……。州君下になくなった我らが姫……祆蘭が、己が手で糸を作りたい、と。糸の原材料をご所望でして。青宮城にいた頃はいくらでも手に入っていた資材類が、今はそう簡単には。ということで」

「ああ……そうか、確かに」

「黄征君がいるだろ。彼女に生成してもらえばいいじゃないか」

「自然素材ではないとダメ、だそうで」

「……なんか、思ったより……苦労してるな。おれ、鬼のことは今でもあんまり好きじゃないけど……ちょっと同情する」

「祆蘭は、確かに素材にはこだわる。作り方にもこだわる。……大変だとは思うが、価値のあるものを作る。応援、する」

「同情も応援も必要ありませんので、養蚕場及び羊牧場への交渉許可と、あちらへの応援要請、受けていただけませんかね」

 

 断る理由は。

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