女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第三話「信用」

 夜中の工房街は静かだ。

 客が来ないから露店の商品も引き下げられていて閑散としている。本当に時折聞こえる甲高い音は、鉄が鉄を打つ音だろう。夜遅くまで作業している者もいなくはない、ということだ。

 果たして、龍画(ロンファ)を追って黒根君のやってきた場所。そこは……静けさに包まれていた。

 

「っとと、速く走り過ぎたかな……?」

「いや、いるよ」

「とわぉう!? ……っすよね、輝術師ですもんね……」

 

 欠伸が出るほどの遅さだったよ、とまでは言わない。

 これが行政関係者などであれば言ったかもしれないけれど、相手は平民で、しかもこちらに協力的な相手。皮肉や嫌味を言う相手ではない。

 

「んじゃ取ってくるっすね」

「うん」

 

 入る気はない。彼には彼の生活があるだろうし、突然家に州君がやってくる、など、中にいるのが誰であれ腰を抜かしてしまうだろう。

 そういうところはきちんと弁えているのが黒根君だ。八千年前とか現代とかにいた常識知らず君とは違う。

 

「っと、これです」

「これは……風車の模型、か」

「はい。前にこの店に平民の……とんでもなく縁を感じる子が来たんですけど、その子が作ったらしいやつで。で、ここ見てください」

 

 ここ、と指示された場所。

 輝術で光源を作り、そこ……模型の板材の端のところを見れば、確かに。

 

「……似ているね」

「よ、良かった。俺の勘違いじゃなくて」

 

 似ている。何か、細い細い線の上に描かれた絵。等間隔で書かれている線の上に描かれたそれらは、形こそ違えど……どこか似ている。

 龍画の示した場所以外にも、至る所にその絵は刻まれていた。

 あまりモノ作りに詳しくない黒根君とて、わかる。

 

 これは長さなどを表しているのだ、と。

 

 けれど。

 なぜ祆蘭が、月織と同じ絵画を描き得るのか。

 月織が楽土より帰りし神子であった、という話は聞いたことがない。ただ先見の明のある帝で、いくつもの災害を未然に防いだ、などの逸話を持つ御仁だ。

 五十一という若さで亡くなりこそしたものの、思い出せば思い出す程彼の残したものは多い。

 例えば、今は使われていない蝋結染などは彼の作り出した染色法である。なぜ今は使われていないのかというと……。

 

 明確な答えがない。他にも刺繍や織物など、彼発案の、けれど今は使われていない服飾系のものが数多く──。

 

 ──黒根君。思い出しました。彼の君……月織様は、私達に変面の技術や、輪鼓を教えてくださっておりました。

 ──……輪鼓は、祆蘭が教えたものじゃなかったのかい?

 ──はい。ですが、今は引退した団員が覚えておりました。彼発案の芸にそういうものがあった、と。私も……恥ずべきことですが、たった今思い出した次第で。

 

 想起する。

 なんでもない雑談だったはずだ。しかも黒根君的にはあまり好印象ではなかった会話。

 

 そう、確かあの時、黒根君は祆蘭に「何か……見たい演目があったけど、それが無かった。そんな顔だね」と尋ねた。そしてその答えは、「……どうだろうな。多分、思ったより郷愁を覚えなかった、というのも大きいと思う」だった。

 青州出身の彼女が覚えるはずのない郷愁。覚えるはずだと思っていた郷愁だ。

 そのあとの凛凛の反応も含めて……現状を含めて。

 

 点と点が、線で繋がり行く。

 

「これ……複製してもいいかな」

「え、あ……すげぇ、そんなことできるんですか……じゃねぇ、いいっす、勿論!」

 

 絶対に叫ぶと思ったので予め張っておいた消音輝術が龍画の声を吸収する。

 して、許可を得られたので。

 

 その風車の模型を精査し……全く同一のものを生成した。

 

「ぅあ……たまに演者さんのを見せてもらうことあるけど……っとにすげぇ……」

「これ、複製代。多すぎるって思うかもしれないけれど、ボクにとってそれだけ意味のあることだったから、貰っておいてほしい」

「へ? ……いやいやいや! 貰えないですよ! 多すぎるとかじゃなくて、俺は俺の家にあったものを見せただけ! んで、俺は黒州の州民なんで、黒根君に尽くすのは当たり前っす! そうじゃなくても見せてたし……だからこれは受け取れないです!」

 

 消音輝術が役に立つ役に立つ。

 と同時に……黒根君は辟易した。……黒州の住民でここまで純粋な者がいたのか、と。戦慄ではない、辟易だ。

 

「いや、あのね」

「俺は腐っても職人で、商人だ! 俺の力で稼いだ金以外は要らねーっす!! そもそもそれ、あの嬢ちゃんの作ったもんだし。他人の作ったモンで金を取るとか最低野郎のやることだ。……こ、これは、たとえ黒根君が相手でも譲れないです! う、……打ち首にされてもいいです! そ、そそ、それでも受け取る気はないんで!!」

「……」

「……!」

 

 欲が無いわけじゃない。商人だ。金を稼ぎたい、という欲はあるはずだ。

 だというのに──なんだ、これは。

 

 彼女の脳裏に思い起こされるは、御前試合での彼。

 緑涼君とかいうどういう経緯があればあそこまでまっすぐな子が生まれ、そして州君になるのかが不思議で不思議でたまらない子の言葉。

 

「"大人たちの都合に振り回されて嫌なことをするくらいなら、おれはおれを貫いて、おれであることを選ぶよ"、か」

「へ? あ、いや、大人の都合とかは考えてなくて……」

「ん。今のは独り言だよ。そして、わかった。君の心意気は受け取った。このお金は……そうだね。工房街の治安維持なんかに使おうかな」

「あー……そ、それなら少しだけお願いしても……いやいや、何言ってんだ何言ってんだ俺」

 

 お、やっぱり欲を出すのか。

 なんて気持ちで……己の頬を叩いている彼から話を聞いて。

 

 黒根君は、もうふらっふらになりながら黒犀城へ帰還したという。

 

 

 彼女の自室……ではなく、件の模型のある小屋。その近く。

 

「……馬鹿じゃないの?」

「心に傷を負ったよボクは……。彼、最後に……工房街に薬屋とか、それに類するものを作ってほしいとか言ってきて……うぅ、ボクは汚されてしまった……」

「確かに無欲に聞こえるけど、ただの馬鹿よ、あいつ。ま、良い奴なのは認めるけど。……あと緑州っぽい気質、ってのも認めるわ」

「うん……よく黒州で育って来られたよね……」

 

 黒州の密告気質や隠蔽体質は、何も貴族に限った話ではない。

 平民ですらそのケがあるのだ。勿論州君が黒根君である、というのも大いにあるが。

 

「それで、心理創傷を負ったから、慰めてほしい、で合っているかしら」

「半分はね……。ただ、妙なものを見つけたから、祆蘭に確認を取ってほしい、というのもあるかな」

「妙なもの? ……っと、はいはい。……へぇ、絵画に模型に……月織? ああそういえばそんな名前だったわね、先々代」

「どこかの誰かが情報体を修復したらしくてね。おかげでたくさんの記憶が蘇ったよ。また壊されると面倒だから、情報体へ強化をかけておこうかと思ったんだけど、固定輝術に似たものが既にかけられていてね。かなり腕の立つ輝術師だと思うんだけど、心当たりはあるかい?」

「まず全州君はないわね。忙しいだろうし興味ないだろうし。青清君が一応できはする、って程度だけど、失恋の悲しみでそれどころじゃないだろうし」

 

 気になる言葉が聞こえた。

 聞こえてしまった。

 

「失恋……? え、彼女……祆蘭に」

「あの性悪女、青清君の気持ちを知っておきながら明確な答えを言わずに去ったから……まぁ青清君が余程の楽観主義じゃないなら、あくまで失恋したわけじゃない、と思っている可能性は無きにしも非ずだけど……」

「そういうところは現実的だよね、彼女。……落ち込んでいるだろうなぁ」

「ま、良い薬にはなったんじゃない? 正直色ボケ州君が二人とか、戦力低下もいい所だし。あんたもとっとと立ち直って、こっち来なさいよ。私達今、赤州の問題でかなりてこずってるんだから」

「凛凛と蓬音と……鬼二人、だっけ。そっちの人員。それだけ揃っていて苦戦するのかい?」

「搦め手搦め手搦め手搦め手、唐突に単純に強い輝術師、時々意味わかんない輝術師と鬼、その後また搦め手搦め手搦め手……」

 

 苛立ちが『継草』を通じて伝わってくるかのようだった。

 相当性格の悪い相手を敵にしているらしい。

 

「つまり、あんた向きの相手なのよ」

「んー? それはボクが陰湿である、って言っているように聞こえてしまうけど」

「そう言ってんのよ。……あ、ちょっと。……はぁ? ……アンタそんなに大姐っ子だっけ? まぁいいけど」

 

 何かもぞもぞという音が聞こえて。

 そして。

 

「大姐? 大姐、聞こえるかい?」

「やぁ、蓬音! って……もしかして凛凛の改造を受けてしまったのかな……?」

「してないしてない。これは一時的にできるようにしただけ。ま、私は疲れたから寝るわ。蓬音、その蓋を被せたら、会話は終わるから」

「うん、ありがとう凛凛」

「はいはい。姉妹仲が良くていいわねー。んじゃ」

 

 凛凛の……その歩幅の狭い足音が離れて行く。

 

「大姐、邪魔しちゃったかな? 大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ」

「もう……姉妹二人きりなんだから、その変な喋り方やめてよ、藺姐(リンジェ)

「ふふ、ごめんなさい。つい癖で。……ね、大丈夫なの? 凛凛は特別だけど、あなたは普通の輝術師。鬼に囲まれて……意地悪されたりしていない?」

「藺姐は心配し過ぎ。大丈夫だよ。鬼も……片方は旧知の鬼だし」

「桃湯、ね。……でも油断はしないこと。相手は鬼なのだから」

「そこを気にしていると新帝同盟じゃやっていけないよ。それに、話してみると……案外普通の人だよ。結衣(ジェイー)だけちょっとぶっ飛んでるけど」

 

 会話に花が咲くとはこのことを言うのだろう。

 仕事ではない、報告でも共有でもない。

 ただの仲良し姉妹の、遠距離会話。

 

「そっちではどういう生活をしているの? ちゃんと食べている?」

「だから、心配しすぎ。そっちとそこまで変わらない生活だって。……確かにこっちの方が戦う機会に恵まれているのは事実だけどね」

「恵まれている、って……。あなたのその強者好き、中々治らないわね」

「あはは、これは八千年前から変わらないものみたいだから、許して」

「……ねぇそれ、流行っているの? 凛凛も八千年前がどうこう、って……」

 

 流行するにしてもおかしな言葉であるが。

 八千年前が流行るとは。

 

「祆蘭と凛凛と、玻璃様と桃湯と私。この五人だけの秘密の話、かな?」

「大姐には教えてくれないのね……」

「話してもいいけど、絶対に信じないし」

「可愛い妹の話よ? 私が信じないわけないじゃない」

「……実は私、藺姐の妹じゃない、って言ったら」

「それは信じない。だってわかるもの。私が手元に残した数少ない家族よ?」

「うん、じゃあ無理そう!」

 

 前にも聞いたことだ。というよりあちらが言い出してきた。

 おじおじとしながら、「もし……もし私が、藺姐の妹じゃなかったら、どうする?」と。思わず抱きしめてしまったほどに可愛かったけれど、どうやらそういう……不安定な時期にあるらしい。

 実際あって仕方がないとは思う。

 

 新帝同盟の面々を考えれば、自信を失くす、なんて当然のことだ。

 元帝、玻璃、複数の鬼、凛凛、青州の過激要人護衛、そして祆蘭。この中だと蓬音は普通過ぎる……というか周囲が濃すぎる。決して蓬音が没個性ということではなく、周りがとんでもなさすぎるのだ。

 

「……ね、蓬音だけでも私のところに帰ってくる、というのは」

「それは、ダメかな。私は……少なくとも私くらいは、祆蘭の行く末を見届けなきゃいけないから」

「……」

 

 蓬音と祆蘭は仲がいい。

 前に祆蘭を黒州へ招聘した時からそうだった。けれど最近のそれは、そういう「仲の良さ」だけでは説明できないものである気がする。

 

「強くなるよ」

「……どうしたの、いきなり」

「小祆を……祆蘭を見ていて、思ったんだ。今の私は彼女より強いのに、彼女に守られているなぁ、って。ううん、天染峰全土の民が……今、彼女に命運を握られつつある。あの子、一人で全部を背負おうとしてる。……なんとなくの勘だけどね、なんとなく、わかる」

「会合での口振りでは、この世界を出て行くとかなんとか、しかわからなかったけれど……それ以上があるのね」

「詳細を聞いたっていう護衛の二人が泣いてたし、多分ね。……私達にも確かなことを話してくれないのは……多分」

「聞いたら止めるようなことをしようとしているから、ね。はぁ、あの子は……突撃癖というか、死ななければなんとかなる、みたいに想っている節があるところだけが玉に瑕よねぇ」

 

 前の時も、今も。

 御前試合もそうだ。まぁあれはかなり卑怯な手を使っていたとはいえ。

 

「何かあったら、すぐに相談しなさい。凛凛も、頼りになるでしょう?」

「勿論わかってる。……ん、ちょっと話せて……落ち着いたから、私も寝るね。明日も調査で忙しいから」

「はいはい。頑張って。……怪我したら、私、怒るから」

「久しぶりに大姐に怒られるのもいいなぁ。姉妹喧嘩、久しくやってないし……」

「その戦闘狂なところをまず直しなさい。はい、おやすみ」

「うん。大姐も無理しないでね」

 

 声が途絶える。

 

 良い。良い植物だ、これは。

 心が癒された。

 

 浮遊する。黒犀城へ帰り……良い気持ちで眠る……前に。

 

「書庫……片付けないと……」

 

 書庫担当の"華"は怒りはしないだろうけど、真面目に仕事のできる"華"を困らせるのは本意ではないから。

 黒根君は、遠隔で本を棚へと戻しながら、明日の予定を組み立てにかかるのだった。

 

 

 

 そしてその予定は、ガラガラと音を立てて崩れることとなる。

 

「……えっと。いや、……前にボクが青宮城へ同じことをやりにいった手前、強くは言えないんだけどね?」

「うん。ごめん」

「うーん。まぁまずは……そうだね。後ろの二人に湯浴みをしてきてもらおうか。君はこっち」

 

 緑涼君。そして、先代緑涼君咲着(シャンシー)、また、緑州でも会った、緑涼君の幼馴染だという少女、恋猫(レンマオ)

 この三人が突然黒犀城へ来たのである。

 流石の"華"たちも騒然だ。仕事のできるできないに関わらず。ここの滞りで人を評価するほど黒根君は厳しくはない。想定外が過ぎるから。

 

 とりあえず、緑涼君だけを自室へ招き入れる。

 本来男子禁制ではあるけれど、彼の年齢ならまぁ問題はないだろう。先代緑涼君も……州君であった、という情報は大きい。とやかくは言われないはずだ。

 一部の男嫌いな"華"によって消毒はされるかもしれないが。

 

 座ってもらう。

 

「ええと、何用かな」

「しばらくの間でいい。あの二人を匿ってほしいんだ」

「……ああ」

 

 大体察した。

 緑涼君の置かれている現状と、彼にゆかりのある二人。

 風に秀でる緑州と言えど、「どうなるか」は想像がつく。

 

「あの二人が拘束されかけた……君への交渉材料にされかけたわけだね」

「うん。おれへの叱責は甘んじて受け止めるつもりだったけど、貴族がそういう行動に出るとは……考えてなかった。愚行過ぎるから。……今回は師匠がなんとかしてくれたからいいけど、恋猫だけの時が危ない。師匠ももう歳だから、万が一もある」

「だからボクのところに? 自分で言うのもなんだけど、黒州こそ……そういう風当たりは強いんじゃないかな」

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「へえ」

 

 ただ純粋なだけの少年じゃない。

 ちゃんと考えているらしい。

 

 そうだ。その通りだ。御前試合で実力を見せなかった緑涼君は、けれど民から好かれている。彼を御すことができれば、緑州を意のままに、と考えるのは……何も緑州の貴族だけではない。

 筆頭は黄州貴族、青州貴族。赤州も此度の様々で力を失っている貴族が多いから、万一があり得る。

 その点、黒州は特に被害を被っていないし、野心家が少ない。なぜって黒根君の密告政治が機能しまくっているから。

 

 この州においてはもう、「どう日々なんでもなく過ごすか」が大事になっている。祆蘭が来る前にあった、「どう黒根君の目を掻い潜って悪事を為すか」という考えは消え去っているのだ。

 なれば、他州の州君の身内を利用してやろう、などという考えを持つ者が現れるはずも無く。

 

「しばらく、と言ったね。それは、どれほどの間かな」

「おれが行政の風通しを良くするまで」

「……君は力を揮うことを嫌っていたように思うけど?」

「おれにも限度はある。今まではおれに対してだけ色々やってくる連中だったから、どうでもいいと思ってた。けど……師匠と恋猫を狙うなら、容赦はしないよ」

 

 おや。

 おやおや。幼馴染。おやおや。

 なるほどなるほど。

 

「やっぱり好きなんだ、彼女のこと」

「ぶぇぁ!? お、おい! おれは真面目な話を……」

「これも真面目な話の延長線上だよ。幼馴染といっても一州民。君、結構な罪悪感を抱えてきているだろ。だってこの行為は、守るべき州民に()()()()()()()()()()にほかならない」

「……」

「そういうの苦手だろ、君」

「……参った。ああ、そうだ。……おれは、今……最低なことをしてるって自覚はある」

 

 普通のことだと思うけどねぇ、なんて言葉には出してあげない。

 黒根君にとっては別に他州の話だし、緑涼君が今までいい子ちゃんをしてきた結果でしかない。黒根君のように「身内へ手を出したら許さない」という姿勢を示してこなかったのが悪い。それだけだ。

 それだけだけど、それはそれとして、良い恋愛話である。

 

 成人済みとはいえ緑涼君は若い。それが幼馴染を守るためだけに自戒を破り、黒根君を頼ってきた。

 ──ニヤニヤせざるを得ないだろう。

 

「しかし、老いたとはいえ咲着さんは先代緑涼君。守護において彼を勝る者はいないんじゃないかな」

「そこも込めての交渉だ。……黒根君。多分だけど、お前は今起きていることについて……一番情報を持っていない。勿論あの付き人から色々聞いているかもしれないけど、それを加味してもたくさんの情報を集めないといけないと感じているはずだ」

「へぇ……続けて?」

「師匠は先代緑涼君。──知っていることは、おれなんかよりたくさんある」

「ふむふむ。それだけかい?」

「"純血"」

 

 巧い。なぜ知っているのか、という問いに意味はない。

 ただ純粋なだけの子供じゃない、というだけで……充分ではあった。けれど、さらに、か。

 

「師匠は、"純血"について知っている。……恋猫を匿ってもらうために、おれは師匠を差し出す」

「いいね。良い悪さだ。風は爽やかであるだけじゃないからね。時には嵐も引き起こしてもらわないと」

「それは……許可、ってことでいいのか?」

「うん、いいよ。……ああ、ただ。一つだけ確認がある」

「なんだ?」

小恋(シャオレン)は、君の好きな人……というか、恋人ではないんだよね? 前にも姐だと言っていたし」

「あ、いや……その……大事な人だけど、……えっと」

 

 いやね? と。

 全てわかっている上で……蠱惑的に、問う。

 

「ボクに任せる、ということは、彼女を……食べてしまうかもしれないけれど。君の恋人じゃないなら、いいよね?」

「だ──だ、だだ、ダメだ!!」

「おや、どうして? 大事な人だけど、好きな人でも恋人でもないんだろう?」

 

 凛凛の代役を務めている付き人。その一人が恋猫を連れてくる気配がした。良い。良いよ君。ただもう少し待ってくれ。入室の合図はこちらで出すから。

 

「た……食べる、って……いや、そう、恋猫は食べ物じゃないから」

「あははっ、さすがのボクも食人の趣味はないよ。それに……意味が分かっているから、そんなに焦っているんだろ? ──ね、いいだろ? ボク、あれくらいの年頃の子で、現状のボクに何の興味もない子は……一度食べてみたいと思ってたんだ」

「だ、ダメなんだ。ダメったらダメなんだ!!」

「だから理由を教えておくれよ。──ま、ボクが食べずとも、勝手に惚れられてしまうかもしれないけれど。その場合は、もう仕方がない、よね?」

「……。……その場合は、仕方がない」

「へ?」

 

 間抜けな声が出る。

 まさかそこで引き下がられるとは思っていなかったからだ。いや、いやいや、と。

 黒根君は己を奮い立たせた。別に選別目的でもない少女と肌を重ねることには何の興味も無いし、少年少女の恋物語もどうでもいいけど、焦る緑涼君は面白いので。

 

「いいのかい? あの子がボクを好きになったら……そうだな、あの子の肢体に指を這わせて、君の見たことのない彼女をさらけ出させて……」

「恋猫が黒根君を好きになったら、仕方ないよ。おれは……うん。おれは多分、悲しい。悲しいんだと思う。けど、そこを邪魔してまで、とは思わない。……あいつにはさ、幸せになってほしいから」

「いやいや、ボクだよ? 数多の女の子を侍らせて、悪い話ばかりがあるボクだよ? そんな相手に大事な幼馴染を取られてもいいって、君本気かい?」

 

 意外過ぎて変な自虐が混ざってきたけど関係ない。軌道修正軌道修正。そういう話が聞きたいわけではないのだから。

 

「悪い噂を全部信じるほど愚かになったつもりはないし、黒根君。お前はちゃんと相手のことを見ている。決してぞんざいには扱わない。おれはそれを知ってるから──潔く身を引くよ」

「──ま、まぁ彼女がボクに惚れたら、の話さ。とりあえず、そうだな、惚れない前提で、でもつまみ食い程度の感覚で手を出すかもしれない。それはいいのかい?」

「しないよ。お前がやってる政策は、確かに賛否の分かれるものだと思う。でも、つまみ食いとか、腹が立ったからとか、そういう軽い理由で他人に不幸を押し付けるやつじゃない。──おれだって州君だ。人を見る目はある」

 

 黒根君は──うん、と。

 無理だな、と悟った。

 

 そして開かれる戸。入室許可をした覚えはないのに、バァンと開かれたそこから──少女が飛び出してくる。

 

「烈豊────!!」

「どわぶっ!?」

 

 座っている緑涼君の後から。つまり頭部だけに全力の飛びつきをかました彼女。

 そんなことで死にはしないだろうけど、それなりの衝撃が首に来たはずである。

 

「大丈夫! 烈豊、私はこんな……あらカッコイイ。じゃなくて、私は誰にそそのかされても烈豊一筋だから! 私達は愛し合った仲! 裸を見せ合った仲!! 肌を重ね合った仲!!!」

「最後、最後だけは嘘! んなことしてねーって!」

「そんなことないわ! 前、烈豊が州君になる前、風邪を引いたことがあったでしょう? あの時、寒い寒いという烈豊のために私は、一肌脱いだのよ!!」

「覚えてねーってそんな昔のこと! っていうかそれ肌を重ねたって言わないし! ……いや待て、愛し合った仲も嘘だ!!」

「なんてこと言うのよ! 将来結婚を誓い合った仲でしょーが!!」

「だからそれは!!」

 

 以前黒州で見かけた時も思ったことだけど、彼女の眼中には緑涼君しかいないのだろう。

 着物でお淑やかさを醸し出して、藺音(リンイン)として来ていた彼女を見ても、今の黒根君として男装している彼女を見ても態度を変えない。それはそういうこと。

 

 逆に食指が動く、というのはなくはないけど。

 

「だから、ごめんなさいカッコイイお姉さん。烈豊は私のものなので、私もあなたのものにはならないわ! でも助けてくれるのは心から感謝しているし、烈豊が頼る相手、ってだけでもちょっと嫉妬しちゃうし、あ、でもなんか前に会ったことないかしら? 私、人を見る目はあるのよね。なんだか記憶にあるわ!」

「無いと思うよ。そして感情の起伏と言動の支離滅裂さが激しいね。……うん、君は、隠し事とかしたことなさそうだ」

「無い! わね! そう、私は烈豊に全てを見せつけている自信があるの。奥の奥、すべてのすべてよ。あんなところやこんなところまで……!」

「話が進まねえから師匠のところ行っててくれ!」

 

 失笑してしまう。一応真面目な場ではあったはずだし、壊したのは黒根君だけど。

 そのまま……コロコロと、滅多に出ない笑い声が出た。

 

 ああ、まったく。

 昨日からずっとそうじゃないか、と。

 

「純粋だねえ、君達。……ボクに足りないものかもね、それは」

「あら、そうかしら? 私から見てお姉さんは、とっても純情な人に見えるけど。一人を大事に思う人だし、身内を大事にする人ね。そして、結構な寂しがり屋さん!」

「ちょ、おい、相手一応黒根君……!」

「一応って何かな緑涼君?」

「……ま、まぁ! ええと……そう。交渉成立ってことでいいよな!?」

 

 無論。無論だとも。

 少年少女の恋物語には然して興味のない黒根君だけど、久方振りに面白いものが見られたし、緑涼君の知らない一面を知ることもできた。

 そして──咲着との話し合いは、必ず益になる。

 

「充分だ。ただし、しばらく、というからにはしばらく、だけだよ。──早い所片付けて、自分の州を住みやすくしておいで」

「ん。ああ。ありがとうな」

 

 その歳にしては豊満な恋猫の胸に抱えられながら。

 緑涼君は、真面目な顔で頷いた。

 

「……様になりませんね、どうも」

「あ、師匠!」

 

 おや珍しい。

 "華"が黒根君の自室へまで男性を案内するとは……余程雰囲気に圧倒されたかな。

 

 では。

 ちゃんと益のある会談と行こうか。

 

 黒根君は、此処で根を張ろう。

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