女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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間章「水」
第一話「ジグソーパズル」


 先代青清君が不祥事により退位したその日に、少女は──私は発見された。

 他と隔絶した輝術の才を持つ幼子。己を手放した家族の顔がどうだったかなど、覚えていない。ずっと地面を見ていたから。

 無論今になってようやく家族の愛は実感できたものの……あの時の私には、ただ、漠然と……捨てられたのだ、という思いだけが残っていた。

 

 青宮城。青宮廷に住まう貴族であれば、誰もが一度は夢見る城。天空の城。

 そこに連れられて、今までとは比べ物にならない豪華な……けれど独りぼっちの部屋を与えられた。周囲の大人は皆忙しかった。当然だ。先代青清君の退位理由は不祥事。引継ぎなどできるはずもなく、だから、「不在であるのは困るから」という理由で設置されただけの新たな州君になど構ってはいられない。それが幼子ともなれば、況してや、だ。

 衣食はある。何もしていなくても出てくる。棲み処は定められた。自由に外へ行って走り回ることはできない。元から私はそういうことをしない子供だったけれど、できない。

 世話役。付き人。そう称される者が来ても、それは同じ。むしろもっと自由は狭まった。檜武(グゥイウー)を名乗る男は、根こそ善人ではあるものの、話し相手にはなってくれなかった。子供が苦手だとか、小声で話すのは苦手だとか、色々な理由をつけて……彼は。

 

 だから、世界の外へと思いを馳せるようになるのは当然だったと言えるだろう。

 連れてきたくせに私を見ようともしない内側よりも、私が向き合えばそれに応えてくれる外に、強い憧れを抱いた。

 青宮城の最上階。そこから見える世界は広く、広く、広い。

 

 それが幸いにして、であるのかどうかはわからない。

 けれど、私には本当に州君たるだけの才があった。遠くの音を拾うことができる。遠くのものを感じ取り、己が手の中に生成することができる。

 輝術。その真髄、その深奥へと辿り着くのに、そう時間はかからなかった。

 ……だから、その時に抱いた感情は……しまっておくことにした。

 

 呆れ。研究機関まで作られておきながら、なぜ彼らは輝術を理解しようとしないのか。"世の理"をなぜ、彼らは己が手にしないのか。

 

 そんな……全てを見下すような感情は、悪感情であると。

 幼いながらに、気付いてしまったから。

 

 もう一つ。

 感情をしまった理由はもう一つある。

 

「今代の青清君はまだ幼子らしい」

「心配だ」

「青州は落ち目になるだろうな」

「良くないことが起きなければいいのだが」

 

 拾う音の選別がまだ難しかった頃だ。

 家族との接触は禁止されていた。無論あの頃は捨てられたと考えていたから、自ら近付くようなことはしなかっただろうけど、できるにはできたことだった。

 青宮廷の音を拾う。会話を拾う。

 

 己に対する不安を拾う。

 

 そこにはさらに知らない世界が広がっていた。

 

 誰が誰を妬んでいる。誰が誰を快く思っていない。誰が誰を──殺した。

 幽鬼というものがいる。知識として知っていても、見たことのないもの。それに殺される者がいた。生前、恨みを買ったから。

 鬼というものもいる。資料は少ない。大勢が束になってかかり、ようやく討滅し得るものらしい。

 

 死を、理解した。感情を理解した。理不尽を理解した。

 そして、それらが起こるたび……民の声に混じるものがあるのだ。

 

「州君が代替わりしてから、ろくなことがない」

「今日もまた幽鬼が出たそうだよ。害ある幽鬼。……輝霊院で、死傷者多数だって」

「先代の頃は平和だったのにな。まったく、新たな州君というのは……少しも責任を覚えないのかね」

「まだ子供だっていうし、仕方がないでしょう?」

「それでも州君だ。俺達よりできることはたくさんあるはずなのに、何もしない」

「だから、子供なのだから──期待するだけ、無駄なのよ」

 

 全員がそうではない。ただ、拾ってしまう少数の声に、打ちひしがれた。

 だって仕方がないだろうと。己は外に出ることもできず、何も教えてもらえず、だから、責任もなにもあるものか。

 お前達が弱いことが悪い。輝術を有しておきながら研鑽を積まないお前達が。私は悪くない。私は悪くない。

 

 けれど……。

 

 

 雨の降るその日に、私は計画を実行した。

 己の部屋の戸に固定輝術をかけ、その裏に「青清君」と呼ばれたら「うるさい」と返す輝術を編んで設置。

 自身には生成した黒い外套を纏わせ、青宮城の外へ出る。

 

 暑さ対策のために降っているその雨は、小さく、黒いその身を隠すにうってつけだった。

 

 運良くか。運悪くか。

 その日……青宮城の端の方で、害ある幽鬼と輝霊院が戦いを繰り広げていた。そんなことが起こっているとは露知らず、己の輝術の痕跡だけを隠すに必死で、ただ音に誘われて現場付近へと辿り着いて。

 

 死を、見た。

 

 数多の兵士。二体の幽鬼。

 人とはこれほどに脆いものかと、容易く引き裂かれていく彼らの肉体。赤が飛び散り、黒が吐き出される。

 光が舞いて幽鬼を縛る。腕を千切り、脚を千切り。

 声なき者であるはずなのに、激昂が聞こえるかのようだった。怒りと悲しみ。恨みと苦しみ。

 二体の幽鬼は。

 

 知った顔の、男女だった。

 

 ああ、勝手に知っているだけだ。拾った情報にいただけの二人。

 

 処理される。何が起きたのか。今まで無造作に拾い集めた情報から、背景が想像される。

 それぞれの父親が属する派閥。明かされていない横のつながり。脅しをかけられたが故の決断。けれどそれは苦渋ではなく、持ち得る駒を差し出した程度のもの。

 他に崩せるものなどいくらでもあっただろうに──ただ、二人は好き合っていたから、という理由で、差し出された。

 親の意向に従わず、幼馴染同士で婚姻を進めたがったから。いいや、そこまで行かずとも、そこに行くまでの間、共にいたがったから。だから……不要であるとされて、取引の材料にされて。

 

 そのまま、死んだ。暴行。抵抗。気色の悪い笑み。嘲笑。

 拾う必要のない情報まで拾っていた。理解ができてしまった。世界を知ってしまっていた。

 

「応援を呼べ! このままじゃ、居住区画に入る!」

「これ以上犠牲を出すな! 戦えぬ者を守れ!」

「避難勧告を!」

 

 勇敢な者。責務を果たさんとする者達。

 

「い、嫌だ……やめてくれ、死にたく──」

「くそ、明らかに目的を持って居住区画に向かってる! こいつら──」

「どうなっている!? もう何度も身体を千切っているのに、なぜ消えない! なぜ祓えない!!」

 

 死にゆく者。理不尽を嘆く者達。

 

「……!」

「……。……!!」

 

 そして、声なきままに、叫び立てるそれらを見て。

 

「もう……もう良い。休め。──休め」

 

 手を下した。

 その類稀なる輝術の才を以て、他と隔絶した力の全てを解き放って、幽鬼を滅したのだ。

 感触など残らない。武器を扱う輝術と違い、こうした輝術に感触はない。

 

 ただわかったのは、死ぬべきでない人間がたくさん死んで、恨みを持つ幽鬼が消えて、死ぬべき人間が死ななかった。その事実だけ。

 何が起こったのかと周囲を探す輝術師に、私はあっけなく見つかった。捕まった。

 ただ、咎めは無かった。感謝の言葉と。

 

 ようやくか、とか。いまさらか、とか。

 もっと早くに、とか。そんなことができるのなら、自分たちの存在意義など──とか。

 

 聞く必要のない情報を拾ってしまう。

 

 だから、逃げた。逃げることは容易だった。輝霊院と名乗っておきながら、輝術への理解の浅い者達など。

 簡単に撒くことができた。だけど、けれど、それでも、なのに。

 城に戻る気にはなれなくて……一人、青宮廷の一角で座り込む。

 痕跡消しを行っていなかったからか、情報伝達が為されたからか、すぐに己が青清君である、ということは伝わったらしかった。私に気付いた周囲の貴族たちを見て。

 

 近づいてくるな、と。

 睨みつけることさえせずに。

 

 もう情報は拾わない。もう世界は理解しない。雨が降る。雨が降る。

 ここで路傍の石となれたらどれほど良かったか。病となりて、そのまま死せばどんなに良かったか。

 

 ──足音があった。

 再度念を強める。近付いてくるな、と。

 それでも足音があった。

 

「よう、あんたも宿無しか?」

 

 声は……青宮廷ではまず聞かない、粗野な口調のもの。

 女性であることはわかる。ただ、輝術師であるかはわからない。

 雨を弾いていないのだ。遮ることもしていない。

 

「ん……言葉を違えたか。ま、なんだ。人生悪い事ばっかじゃないと思うぞ~」

「……」

「あんたはまだ若いんだし……というか、幼い? ガキなんだ、もっと奔放に生きろよ。そら」

 

 目の前に何かが落ちる。顔を上げる気力もないから、それを見る気もない。

 けれど、あろうことか女は、私の足の間に手を突っ込んでまでそれを見せてきた。

 

 ──食い千切られ、泥の付着した餅のついた、串。

 

 去れ。近付くな。消えろ。

 それ以外の感情が生まれなくなる。あるのは嫌悪だけ。

 

「おお、怒った怒った! やっぱガキだな。感情押し殺して塞ぎ込んでるよりそっちの方がよっぽど健康的……って、まずい」

 

 女が立ち上がる。

 

「この辺りだけ兵士がすくねーからって逃げ込んできたけど、こりゃ誘い込まれたか? 周囲を……あー、面倒だなぁ。いいじゃねーか、団子を二本かっぱらっただけだろ、そんなに怒ることかよ」

 

 女は。

 

「ま、ガキ。人生っつーのは割と何とかなるもんだ。もしどうしようもなくなったら助けでも求めてみな。百人が無視したって、百一人目が手を差し伸べてくれらぁさ。んじゃーなー」

 

 立ち去っていった。

 言葉を交わしてもいない。言うだけ言って、彼女は消えた。その後がどうなったのかも、そもそも誰だったのかもわからない。

 私は情報の収集をやめていたから。

 

 でも、感情は確かにあった。

 結局あの女も私には興味が無いのだと。

 

 もういい。もういい。

 

 ああ、けれど。

 それでも世界は──私を見放しては、くれなかった。

 

「どこか、悪いのですか?」

 

 

 

 進史の淹れた茶を飲んで、ひと息つく。

 見慣れた部屋。自室。

 そこから見える真白の世界。

 

「落ち着きましたか?」

「……ああ」

「それは良かった」

 

 一時の激情。

 ああも感情に流されたのは、祆蘭絡み以外ではいつ以来か。

 無論今回も祆蘭絡みではあるのだが……ああも他者に噛みついたのは、本当に久方振りであるような気がする。

 

「嫉妬、か」

「でしょうね。理屈抜きに、羨ましかったのでしょう? あなたは……もう、彼女と戦っている間には、己のどこが悪かったのか、については理解が及んでいた。それでも引き下がれなかったのは、ずるいから」

「……」

 

 そうだ。その通りだ。

 己でつけた要人護衛でありながら、その立場に己がなりたいと思ってしまった。

 いつから嫉妬していたのかはわからない。ただ……。

 

「少し前の私が先程の私を見たのなら、祭唄と同じ反応をするであろうな……」

「周囲の一切に期待していなかった頃の"少し前"ですか? それとも大義のためには些事など已む無しと考えていた"少し前"ですか?」

「どちらも、だ。……私はそこまで変わっておらぬよ、進史」

 

 行動は変えた。感情を抑えなくなった。そこはそうだ。

 けれど、本質を変えたつもりはない。

 

「祆蘭は……今、危機と向き合っている。私達が想像もしていなかった危機だ」

「はい。何も知らなかった危機です」

「当然目障りであっただろうな。その祆蘭の隣にいて、彼女を止めることのできない立場にある祭唄からすれば……あの場で吐くべき言葉は、違うものであるべきだった」

 

 ──私の気持ちを理解していると、お前は言った。それでもなお……その要求を突きつけるのか。

 落ち着いて省みれば、あまりにも自分本位な言葉だ。祆蘭の選んだ荊棘の道を聞いて尚、なんたる我意の言葉か。

 私の恋心を知っているくせに、祆蘭を止めろと、嫌われろとお前は言うのか、なんて。

 

「死なないだけである策に、己を殺して付き合っている者に吐く言葉ではなかった。……私だけではできそうにないから、お前も協力してくれ、くらいは言えないものか。本当に、己から咄嗟に出る言葉というのは、あとから考えると理解し難いな」

「それで、我らが青清君はこの後どうするおつもりで? まさか祭唄の言う通りの悪役を演じると?」

「無理だな。私の演技など、たとえこれよりどれほどの者に指導を受けたとて、あ奴には通じぬよ。お前にすら見抜かれるのだ、祆蘭相手であれば誰が提案したのかまで理解されそうだ」

「想像に難くないですね」

 

 なれば、やることなど一つだけだろう。

 まずは──。

 

「情報収集だ、進史。私達が知らないことを知るぞ」

「既に、新帝同盟の場で話されていたことについての裏付けはある程度取ってあります。幸いにして青宮廷にも頼りになる者がいまして」

奕隣(イーリン)停谷(ティングー)か。まぁ停谷に関しては名も身分も変えようとしていたようだが」

「……さすが、知っておられましたか」

「あ奴が輝霊院へ潜入した時にな。……呼び出しには、応じるだろうか」

 

 進史から伝達が飛ぶ。

 刹那、戸を叩く音があった。……強かになったものだ。

 

「失礼いたします、青清君。名乗りは、不要でしょうね」

「……あー、桃湯のいねぇ今、余計なことをしたくはねぇんだが……ま、いいか」

 

 今話題に出した二人。奕隣と停谷。

 奕隣の使う黒い輝術で気配を消し去っていたらしい。

 

 黒い輝術。……今の一瞬で、大体の仕組みは理解した。

 だから、試しにと──この部屋全体を黒で覆ってみる。

 

「!?」

「おやおや……戸の裏で見せただけなのですが、使い方をもう理解したのですか?」

「ああ、感覚的なものではあるが。……さて、そなたら。私のもとで働いてくれはせぬか」

「俺は、鬼だぞ」

「私は桃湯と手を組んでいる。一応、今もな」

「はぁ? ……ったく、あの秘密主義者め。そういう大事なことは下っ端たぁ言えこっちにも回せってんだ。……あー、で。いいよ、桃湯が手を組んでるってんなら、俺もあんたの傘下にあるようなもんだ。本来鬼は人間に与し過ぎるのはよくねぇんだが、今はそれどころじゃねぇ。どうとでも使えよ、青清君」

「即断、感謝する。……して、そちらは?」

 

 鬼。鬼とはいえ、個人だ。

 私は知っている。それらが現象ではないことくらい、わかっている。

 

「幾つか言葉を交わしましょう。それ次第です」

「良かろう。進史、停谷へ……今送った資料についての説明をしておいてくれ」

「……あのですね青清君。何度も言っていますが、この規模の情報を一度に頭へ送らないでください。上限情報寸前ですよ」

「だからその量にした」

 

 進史の上限程度把握しているからな、気絶までは行かせぬ。……などと考えていたら、そちら二名からなにやら不機嫌な目線が。

 今覚えた黒い輝術で隔離をしておく。

 

「では、始めましょうか」

「ああ」

()()()()()。この名に聞き覚えは?」

「無い」

「……では次です。この札を見て、何が書かれているか読み取れますか?」

 

 札。奕隣の出した札には……絵が描かれている。

 書かれている文字は一つもない。読み取るもなにも……。

 

「結構です。では最後。──仮に私を雇ったとして、あなたは私に何を差し出しますか? 給金であれば不要ですよ。私は充分に稼いでおりますので」

「不屈」

 

 もう。

 もう、諦めない。もう屈さない。

 人にも環境にも状況にも、だ。……祆蘭を止める気はない。だが、女帝の座は諦めない。悪役となるつもりはない。だが、彼女を失う気はない。

 省みたとも。省みてなお、決心した。

 

 愛恋も、大義も、荊棘も。

 全て私のやりたいことだ。

 

 ──もっと奔放に生きるのだ。

 

「……ふふ。良いでしょう。落第寸前でしたが、その答えは素晴らしい。ではまず、最も苦しいものをお教えいたします。不屈であるというのなら、耐えてください」

「望むところだ」

 

 何かが投げ渡される。奕隣の裾から出てきたそれは……絵筆、だった。

 

「黒い輝術……輝夜術の壁は汚れても問題ありませんからね。その絵筆で、(イーヂーシィェン)を書いてください」

「それは不可能だ」

「おや……意外な回答ですね。なぜですか?」

「私達は定められた筆と定められた紙にしか文字を書けぬ。そなたが見せてきた先程の札。それも絵にしか見えぬが、文字なのだろう? なんと書いてあるのかはわからぬし、描いてあるようにしか見えぬが……それぞれの絵に、あまりにも法則性があり過ぎる。文字数こそ少ないが、これらは決められた法則と培われた文化によって形成されるものだ。……そして、恐らくは祆蘭の書いた文字。そうだな」

 

 昔、文字を調べたことがあった。

 わかったことは、これら文字に「形成理由が存在しない」ということ。まるで初めからそうであったかのように、私達の使う文字には歴史が無い。

 

「驚きました。ええ、はい。これは黒州にて彼女が書いた文字。その複写となります。……ですが、その事実に気付いた時、自己認識が曖昧になることはなかったのですか?」

「ある時を境に行わなくなったが、かつての私の趣味は情報収集でな。そなたの家にある自決用の剣の在り処まで知っておるぞ。遮光鉱製ゆえ、簡単に見つけられた」

「なるほど、測り損ねていたのはこちらでしたか。──今までの無礼、謝罪いたしましょう。私の名は奕隣。かつて()()の御史處に属しておりました、一介の輝術師にございます」

 

 雰囲気が変わる、とはこのことを言うのだろう。

 今まで醸し出していた胡散臭さは鳴りを潜め……そこにいたのは、一人の老兵。世が世であれば智将と呼ばれていたやもしれない覇を覚える立ち姿。

 

 いや。

 いや、違う。

 

「よくもまぁ、ぬけぬけと……そのような嘘を吐けたものだな」

「嘘ではありませんから。赤州の御史處にいたことも、一介の輝術師であることも」

「では、その時の役職名を言ってみよ」

「ご命令とあらば」

 

 ──先々帝の側近、にございます。

 

 

 

 出るわ出るわ、だった。

 

「赤州は……このようなことを、どれほど昔から……!」

「凡そ四千年前。四千七百年前に生まれたある鬼を中心に、赤州は力をつけました。その間に何度も帝のいる州は変わりましたので、赤州は、というよりあれらは、という方が正しい表現でしょうが」

 

 灯濫会(ドンランフゥイ)睡蓮塔(シュイリィェンター)混幇(フンバン)など……どれもが小物だ。

 歴史が浅い。いや。

 

「ええ、睡蓮塔だけは歴史の長い組織です。時代と共に名を変え仮面を変え、生き延び続けた組織。最初に元帝へと接触し、その力に目を付けた者達」

「……今、そなたが共有してきた記憶。()()()()()()も混ざっているようだが……そなた、幾つだ」

「私自身は齢五十の若僧なれど、人一人の記憶や感情を輝夜術を通して受け継いで生き永らえる……それが睡蓮塔のやり方でしたので。ま、私は受け継いだ記憶に自我が勝ってしまって、御史處送りとなったわけですが」

「その見た目で齢五十か。紊鳬もだが、何か特別な若返りの法でもあるのか?」

「ええ、ありますよ。ですから赤州の御史處や睡蓮塔に属する者は、若い見た目であることが多いです。あるいは年老いていてもそれを感じさせぬ若さを有している、など」

 

 紊鳬が玻璃をも裏切っていた、というのは聞いている。

 あれほどに気の良い者が、という気持ちはあれど……決めつける心は捨てた。

 

 足りない。情報を収集し尽くしてからでなければいけない。

 感情に押し流されて動けば、二の舞を演じるだけだ。

 

「睡蓮塔の頭目。あるいは赤州の御史處の頭の名は?」

「どちらも私の知識には。恐らく誰にも教えていないものかと」

「用心深いな。……先々帝の名を思い出せないのは」

「紊鳬の術にございます。ただ、私が覚えているので、聞けば思い出すものかと」

 

 先代青清君の名も、付き人閣利のことも忘れさせられている。

 輝術師は記憶を共有しあっているものだ。だから、忘れるということがまずありえない。自らその繋がりから外れているものでもなければ、誰かが完全に忘れてしまったものを思い出すことは至難だ。

 

月織(ユェヂー)と。思い出されましたか?」

「……いや。朧気にしか……無理だな」

「つまり、紊鳬は未だそれらの知識を危険と判断しているのでしょうね。記憶を消す理由は、その者や、その者に関連することを思い出されては困るからです」

「どのような者だった?」

「月織様は賢い方でした。己の置かれている環境にいち早く気付き──当時黄州の州君となったばかりであった玻璃様と秘密裡の会合を。十一年前、赤積君と黄征君による戦のあと、帝の移譲処理が何の障害も無く終わったのはこのためです」

「その者は、そなたらのように悪事へと手を染めていたのか?」

「いいえ。むしろ是正する側でございましたね」

 

 思い出せない。

 だが、朧気な輪郭がある。

 

 ──であるならば、収集範囲を広げる。繋がりを持つ輝術師らが無意識下に有していると言われている部分、記憶湖も漁る。この湖底にもなければ紊鳬の手腕は大したものであるが──。

 

「青清君?」

「見つけた。……少し待て、今から修復を行う」

 

 人々の噂。感情。悪感情も好感情も、忘れてしまった者達が抱いていた全ても。

 それら砂粒が如き記憶を見失わぬよう貼り付けて行く。朧気な輪郭でしかないそれに、鮮明さを取り戻すための作業。

 

 記憶だけでは不十分だ。だが、恐らく記録からも消されている。

 けれど……公的なものから消されているだけで、個人所有のものはそうは行かない。特に制御された文字ではなく、絵画となれば。あるいはそれを基にした文学などであれば、収集対象として扱い得る。

 

「外見の情報を、事細かに」

「月織様は小柄な男性にございます。背丈は百六十一厘米ほど。左顎に黒痣が二つ。普段から大きな紅寶石のついた腕飾りをつけておりました」

「つまり……これと、これと……これもか」

 

 こういう時に役に立つものは、誇張して描く大人ではなく、子供だ。

 子供の絵は素直である。だから──残る。下手であるから、記録と見做されない。けれど特徴だけはしっかりと捉えているから。

 

 さらなる情報源。それは声だ。

 声とは、音とは、余波を残すもの。普通ならばかき消えてしまうそれも……その者しか立ち寄らぬ密閉空間などであれば、痕跡は取りやすい。

 

 範囲を広げる。

 

「なんと……どれほどの、作用範囲を……!」

「"奕隣"」

「!」

 

 充分な反応だ。

 これが正解か。であればこの声紋をかき集める。文字を消すことはできても、響いた音を消し去ることはできない。

 単純な輝術の力量で私が玻璃に劣るというのなら、勝るものを。

 

 理解と、把握。

 それこそが私の。

 

「"奕隣、そこまで心配をするな。余は変わらぬし、世も変わらぬ。……やつらの手の届かぬうちに、青州へと行くがよい"」

 

 再現する。声だ。彼の声。

 忘れてしまった者の声は、どこか馴染みがある。

 

「"青州には古い知り合いがいる。余が帝となる前の知り合いがな。そこに身を寄せろ。……それと、そうさな。お前さえも忘れてしまう言葉を、ここに吐き出しておこうか"」

 

 声紋をなぞっているだけだ。

 けれど……背筋を冷たいものが走る。まさか、と。だって次にこの口が吐き出す言葉は。

 

「"青清君。未だ若き女州君よ。昏迷にして動乱の世にて、余の友を好きに使ってやってくれ。その者は何かと扱いづらかろうが、必ず役に立つ。……あ、だからといって、己が付き人を蔑ろにするでないぞ。くく、余もそうだが、慕われるつもりがないのに慕われる、というのは苦労するものだ。……叶うともしれぬ恋を抱いてしまう、というところまでな"」

「……切り離したはずです。ですが……確かにそこは、私の忘れている──」

「"余は死ぬ。死する。故に言葉を託そう、可愛らしい名を持つ君。──想い人が天ばかりを見上げているのなら、気を付けろ。地にも悪しき者はいる。残念だが、この言葉は消えないよ、お嬢さん"」

 

 吐き出し終えて、もう一度背筋を凍らせた。

 隣にいる奕隣さえも戦慄している。

 

「……二十年前、か。この言葉が残されたのは」

「え、ええ。私が……赤州より亡命した年にございます。……先見の明に優れる方ではありましたが、ここまでとは……」

「先見の明では済まされぬだろう。……だが、今の話し言葉で、──完成したぞ」

 

 再構成する。

 砕け散った月織のすべてを、輝術師の中に。さらに保護までかける。情報体への固定輝術は未だ誰にも明かしていない技術だ。紊鳬とて中々解くことはできないだろう。

 

 何よりやり方は理解した。コツを掴んだ。

 

「奕隣、そこの壁を開いて、進史に記憶の確認を取れ。私はこのまま、忘れ去られた者達の復元を試みる」

「ならばまず、御身や進史様、そして祆蘭をお守りください。この所業はいずれ紊鳬にも伝わります。そうなれば、あるいは御身が誰も彼もの記憶からも消えてなくなる、ということもあり得ます」

「……離れていても使い得るのか」

「輝術によりて、繋がっておりますゆえ」

「良い忠言だ。感謝する」

「新たなる主を見定めたとあらば」

 

 情報体の保護。記憶を確立させ、触れ得ぬようにする。

 そして、その上で──行うは、ある二人の記憶。

 

 先代青清君、そしてその付き人閣利に関する記憶の全て。

 姿形を覚えている者はいる。今尚入院中の妃が。

 

「やるべきことなど決まっている。──祆蘭、お前にできぬことを、私がやるのだ」

 

 青清君は、今此処に。




フレーバーピクチャー

これはこの世のどこかにある絵画。
いいや、探せば見つかる場所にはあるはずだ。

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