女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第百話「感情記憶」

 報告を待つ。

 待つ。

 待つ。

 待つ……。

 

「いや、やっぱり赤州へ」

「ダメ」

「小祆。まだ半日も経ってないよ?」

「ぬ……」

 

 凛凛さん、蓬音さん、結衣、桃湯という割とドリームチーム感ある四人が赤州への調査へ繰り出したのが今朝。

 今昼。

 

「なんだか懐かしいな。昔の私を見ているようだよ」

「……お前も、十一年前はそうだったのか」

「ああ。あなた達にとっては聞きたくもない話だろうけどね。帝となりて……できることが一気に増えた私は、あらゆることに着手した。御史處の設置や、各州における腕の立つ、けれど野心的な者の招集。先帝州である赤州から齎された"(とこしなえ)の命"や成り済ましの術……"(もやいぶね)の体"の研究。輝夜術の研究もそうだし、世界各地に残されている庫や『山灰庇炉處(シャンフゥイビールーチュ)』なんかも調べに調べたよ。……調べさせた」

「なるほど、お前は動けないか」

「そう。私が知りたいことだというのに、私が動けば騒ぎになる。……母も、盲目であるというだけ、だったからね。動くには文でのやり取り以外は無理だった。だからずっとずっと、私は黄宮廷にいた。彼ら彼女らが必ず成し遂げてくれると信じて……何もできないままに」

 

 信じる、ね。

 成程、難しい言葉だ。

 

「唯一黄宮廷を出ることができるのは、妃へ会いに行く日だけ。ただ、各地に潜ませてある者と会うことはできなかった。護衛という名の監視がずっとついていたから」

「ほう。もしや祭唄と夜雀も、青清君に言われて私の監視などを」

「するわけがない。あんな子供に命令されて、従うことはない」

「あはは……私には何度か情報伝達をしようとしてたみたいなんだけど、大姐が伝達の割り込み、っていう高等輝術を使って守ってくれて……」

「その隙に抜け出してきたわけだ」

「ぅ……」

 

 伝達の割り込み。

 そんなこともできるんだなぁ。

 

「立場を得ると、誰にも命令されないけれど、自由はなくなる。……無論、あなたであれば、そのような法則は破り捨ててしまいそうだけどね」

「元帝。祆蘭を焚きつけるようなことは言わないで」

「陽弥と、そう呼んでほしいかな。元帝はもう意味のない名だから」

「……わかった」

 

 信じて待つ。

 座して待つ、か。……うーむ。

 

 こういう時は。

 

「モノ作りでもするか」

「うん。時間を潰すにも、気を紛らわせるにも、祆蘭ならそれが一番だと思う」

「足踏み式研磨機、だっけ。あれ、持って来られたらよかったね」

「設計図は頭の中にある。別途で作ればいいさ」

 

 というか、面倒だから……ついでにあれも作るか。

 

「結衣ー。上の林借りるぞー。いいわよー」

「……まぁ、良いと思う」

「金属は必要かな? 鉱石の類であれば、私が黄金城から取ってくることも可能だけど」

「材料系統は要相談だな。いつまでも黄州に頼っているわけにはいかんし。だが、今回は頼む」

「ああ、任されたよ」

 

 んじゃ、ちゃちゃっと。

 

 

 まず、ペダルグラインダーを作る。こっちはもう慣れたものだ。だから効率的な作業となった。

 そしてもう一つ作る。ペダルグラインダー……の、途中までを。

 

 グラインダはークランク機構を回転運動に変えるものだったけど、こっちはさらにそれをもう一度クランク機構に変換し直す。ただし、周期の違うものにする。

 仕組みはペダルグラインダーよりも単純だし、使う部品も少ない。ただし精確性のより問われるものなので、拡大鏡の輝術を使ってもらいながら慎重に作業をする。

 

 そうして完成するは──ペダルミシンである。

 

「足踏み式縫機だ。これで多少は裁縫が楽になる」

「そういえば……少し前から桃湯が着ている、黒い旗袍。あれ、もしかしないでも」

「ああ、私の手縫いだ。……そうか、玻璃は私の作ったものなら見えるらしいから、玻璃に作ってやるのもありだな」

「あなたが糸を結ったとして、それで作り上げた衣服は母には見えるのだろうか」

「……ふむ。面白い実験だな。結局魂を込めて作ると見えるようになる、というのも玻璃の言動頼りだが……、まぁあの涙を疑うほど無粋でもない」

 

 糸を結う、か。

 やってみるかね。

 

「幸い祭唄も陽弥も絵がうまい。夜雀は……」

「宮女経験があるから、裁縫はできるよ。なんなら、一から服を作ることもできる……と思う」

「いいな。じゃあその方向性で行こう。まずは羊か、あるいは蚕が必要だが……心当たりのある者は?」

 

 ……応答なし。

 そもそも今ここに人がほとんどいない、というのもあるけど。

 

「緑州でよろしいのであれば、養蚕場を幾つか知っていますよ。……無論、緑涼君の許しが必要でしょうが」

「きゃ……あ、い、いえ」

「夜雀。鬼は輝術の気配を発していないんだから、突然現れても不思議じゃない。慣れないとやっていけない」

「それはわかってるんだけどね……」

「……失礼いたしました。怖がらせるつもりはありませんでした」

 

 濁戒(ヂュオジェ)か。

 案内役として最適だが、鬼だからなぁ。烈豊の反応が……。

 

「ここで颯爽と現れる俺、俺、俺、れ、れ、れ……! そう、その名も」

奔迹(ベンジー)なんだ、秘密の養蚕場でも知っているのか?」

「……小祆。君さ、実は俺のこと嫌いでしょ」

「嫌えるほどお前を知らん。で、何を知っている」

 

 大きく溜息を吐く奔迹。だから肺機能は……まぁいいけどさ。

 

「良い養蚕場。羊飼いの知り合いもね」

「社交的だな。鬼だろうお前」

「鬼だから、ですよ。私達鬼は平民にはそうであると気付かれにくいので、基本的には平民の街に溶け込んで暮らしています。ですから、そういった付き合いも多い。……そうですね、それならば……私は緑州の養蚕場。その知り合いに、少し糸を分けてもらえないか頼んでみます」

「俺も、その二つを当たってみるよ。だから」

「ですから」

 

 陽弥も、祆蘭も、外に出る必要はないから。ないですから。

 

 そう言って……五千年前組の鬼は去っていった。

 

「……お前、私を利用して外に出ようとしていたな?」

「折角自由の身になったのだから、昔のように天染峰を歩き回りたい、という欲求は当然だろう?」

「そんなもの輝術……は、そうか」

「ああ。流石にそんなもので駆逐されることはないけれど、痛い事は痛い」

「土塊の"(もやいぶね)の体"は?」

「あれは笈溌がいないと作り得ないものだよ」

 

 成程。

 つまり──。

 

「私もお前も、誰かの助けなしには出歩けない存在で、且つ助けが皆出て行くな、と念を押している、という状態か」

「そうなるね」

 

 ……難儀だな、それは。

 

 

 

 色々作った。

 竹ヘビ、木ひき人形、まわりねずみ、豆人形。

 鯉の滝登りや開花折り紙。

 

 身近なものなのに作っていなかったものとして、算盤も作ってみた。使い方を教えたら、「頭で考えた方が早い」と言われたので、夜雀にはピラミンクスやピラフォミクスの魔方(ルービックキューブ)を渡しておいた。……陽弥は「面白い考え方だね」と言ってくれていたので、もうね。

 玻璃と陽弥だけだよ、私の工芸を必要としてくれるのは……。って、なってる。

 

 ちなみに夜雀にそれをあげたら、当然だけど祭唄も新しい脳トレパズルが欲しいと言ってきた……ので、紙に絵を描いてある遊びを教えておいた。

 八*八の盤面と、縦横斜めへ無限に動ける八つの駒。そう、エイトクイーンである。答えは九十二パターンあると嘯いておいたので、躍起になってくれるだろう。……見方を変えれば一緒じゃん! を省くと十二通りしかないんだけどね、あれ。

 

 しかし……材料までも待ち時間とは思わなんだ。

 需要と供給。需要がある所に供給を入れたいと思うのは当然だろうに、この欲がなぜ満たされないのか。

 

 ……。

 

「祭唄、夜雀。一つ頼みがある」

「外なら、ダメ」

「他ならなんでもいいよ~」

「なんでもいいんだな。──んじゃ、私を殴ってくれ」

「へ?」

 

 持っていた工具を置いて、材料なんかを端に除けて。

 待つ。

 

「頼む。ああ、身体強化はやめてくれ。多分死ぬ」

「……必要なこと?」

「そうだ」

「わかった」

「ちょ、ちょっと祭唄?」

 

 既に殴りモーションに入った祭唄……を、止める夜雀。

 まぁ、いきなり過ぎたか。

 だけど、説明した後だとな。余計鈍る可能性があるから。

 

「頼む」

「夜雀、どいて」

「だーめ。……代わりに──えい」

 

 ゴッと……結構良いのが頬に入る。

 決して「えい」なんて掛け声で放たれていいものじゃないパンチが。

 

「……ひゃあ、心が痛い」

「だから私がやるって言ったのに。夜雀じゃ耐えられないだろうから」

「耐える覚悟をしない覚悟をしたんだもん。こういうことは、私がやるよ。祭唄ばっか仲良くなるの、ずるいしさ~」

 

 うむ。人を殴った後の会話としてはほんわかすぎるが……良い。

 

「ありがとう。邪念が消えた」

「邪念?」

「いやなに、青清君やら他多数に対し、大義の前に些事を云々といった"ご高説"を垂れておいて、今の私は欲深かったな、と思ってな。──何が暇だ。よーし吹っ切れた」

 

 ペダルグラインダーが「符合の呼応」として「足踏みすることで世界を回す」、という「事象の呼応」を引き起こしたのなら。

 ペダルミシンの呼応は何になるのか、考えよう。

 

 足踏みをして裁縫をする。……なワケはないので……なんだ、布地に……地に縫い付ける?

 何かを?

 縫い留める、縫い付ける……を取り出すのなら、いくらでも考えられる。あの、名前の聞けなかった神子一派を縫い付けて私達は外に出る……というのであればありがたいかぎりだけど、「符合の呼応」は大抵悪い結果の方を残す。

 

 この場合は。

 

 ──ここで足踏みをし、お前達が縫い留められる、か?

 ──なんじゃ、面白い術じゃの~。愛し子にはそんな術が備わっているのぞよ?

 

 ……ああ、最悪だ。

 その線が濃厚すぎる。確かに今縫い留められている。……やはり「これは予兆である」は本当、か。

 

「一つ、聞きたい」

「ん、なんだ」

「祆蘭の言う策。陽弥とあなたしか知らないそれは、どうして機を待つ必要があるの? ……二つ目もあった。どうして、何も教えてくれないの?」

 

 ──それは吾も気になっていたぞよ~。思考からさえ隔離するとは流石は愛し子じゃけど、吾らにも手伝えることはあるぞよ?

 ──祝。であればなぜ答えないのか、は明白だと思うけれどね。

 ──ぞよ?

 

「やっぱり、死──」

「死ぬ気はない。生憎とお前達のために命を懸けるほど私は優しい人間にはなりきれん。だが、傷つきはする。だから、詳細を話せば止められる」

「止めない。わかっているはず。そのために祆蘭は帝となった。止めないし、止められない。……なのに、ダメ?」

「……」

 

 詭弁は……もう、そろそろ通じなくなってきたか。

 

「祆蘭のやることなすことなんて……だいたい危ないこと。あなたが傷つくことはわかっている。私達は護衛として守りたい気持ちはあるけれど、無理なこともある。……だから、あなたが傷つく覚悟もできている。……それでも話したがらない。それは、内通者を気にしているとか、何かを警戒しているとか、そういうことではないように感じる」

「私も祭唄と同意見かな。……小祆、ずっとつらそうで、ずっと苦しそう。顔にも声にも出してくれないから全然わからないけど……ずっと、何かを我慢してる……よね」

「……。夜雀を引き入れたのは、間違いだったか。ああ、そうだ。私は──」

「嘘吐き」

 

 ……──。

 

「まだ、何も……言っていないだろう」

「今から言うこと、全部嘘だった。わかるよ。……祭唄ほどじゃないけど、私も祆蘭の友達だもん。……祆蘭はずっとそうだね。嘘を吐いて、関係ないことを話して、話題を逸らして、ずっとずっと……自分を見せない」

「そんなことはないさ。私は」

「弱いから。そう言ってそれ以上を探らせない。自分の……自分がどうしてそういう考え方をするのか、も……多分、誰かには話してる。だから、それが全てに見えるから……見えることを知ってるから、根っこの部分は隠したまま」

 

 まったく。

 桃湯といい夜雀といい。……あとは玻璃もか。加えて、八千年前の彼女ら、も。

 

 予想外の時に、予想していない言葉を言い放ってくる。

 

「止めないと、今ここで誓えるか?」

「……」

「そこで黙るなら、ダメだな」

「違う。何に誓うのかを迷っていた。……華胥の一族の実態を見た後だと、誓う気にもなれない。青清君の有様を見た後だと、敬意が湧かない。元帝……陽弥は鬼で、悪事に手を染めていて、新帝は祆蘭。あなたは嘘吐き」

「指針が無いか」

「じゃあ、私に誓ってよ祭唄。私も祭唄に誓うからさ~」

 

 軽く。いつものノリで。ありのままで。

 ああ。……夜雀を引き入れて良かったよ。

 

 祭唄の心の負担は、彼女が半分持ってくれるだろうから。

 

「わかった。誓う。止めない。……ただ、苦しみは、する。誓いを破りそうになるかもしれない」

「私も~。誓いを絶対に破らない! って言えるほど、強くないから」

「なんだそれは。意味がないじゃないか」

 

 意味が無いけれど。

 

 誓いを此処に。

 

「──いいよ。ま、大した話じゃない。死ぬ気なんてサラサラないし、そこまでの大怪我をする予定も無い。その辺は敵次第だしな。ただ──」

 

 ただ、まぁ。

 

「お前達とは、会えなくなるつもりだ。会わなくなる、じゃなくてな」

 

 私の末路など、決まっているから。

 

 

 

 一人、夕暮れ時の風を浴びる。

 持ち上げられた霊廟の上。そのまま持ち上がった林の先にある、崖っぷち。

 ここからでは見えない光閉峰(グァンビーフォン)を眺めながら、コト、と隣に置かれた皿の団子を食う。

 

「……まだ許可していないのだけどね?」

「なら私の隣に置くな。帝への献上品だと思うだろう」

「実際そうだよ。独りぼっちの新帝へのお土産だ。長らく住んでいた繁華街へ別れを告げてきてね。……その時に貰ったよ」

「そうか。浮気か。今並に聞かせてやろう。良い感じの輝術で魂まで焼き尽くされてくれ」

「何か嫌なことでもあったのかな。いつも以上に手厳しい」

 

 今潮。

 どこへ行っていたのかと思っていたら、成程。

 こいつにも生活が、ね。

 

「久方振りに……泣かれたな、と。そう思ってな」

「泣かれた?」

「ああ。一度事故で泣かせてはいるが、今回のは違う。……別れを惜しまれて泣かれたのは、二度目だ。ああいう泣き顔は……私の人生で、最も見たくない顔だよ」

 

 愛情故、ではなく。

 惜別が溢れて、というのは。

 

 ……私のようなものに向けるには、あまりにも……あまりにも、眩しすぎる。

 

「嫌になるな。こういう時、天にて光る星々の小ささに、(おお)きさに……手の届きそうな近さに、不確(とお)さに……想いを馳せて、ちっぽけな己を空想するものだが……あれらが全て敵とは」

「詩人だねぇ。……おや、そのように言う、ということは、君のいた楽土では、星々があって……そしてそれがなんであるのか、も解明されていたのかい? それとも穢れの意思ではない者達?」

「ただの光る岩だ。あるいは光る気体。もしくは……砕け散った時の、燃え尽きる直前の、最期に見せたゆめまぼろし」

「……あれらが生きていて、私達を好いように操っている、というのも気に食わないけれど、そちらはそちらで夢が無いね」

「むしろ夢しかないさ。(そら)の向こうにさらに広大な(うみ)があるなど、……ああ、あと四十年、五十年もすれば……一般人でも、なんて言われていたのだがなぁ。大金がかかるだろうから、どうせ私はいけなかっただろうが」

 

 別に天文学者だったわけじゃないし、ロマンチストでも夢想家でもプラネタリウムの製作者でもなかったけどさ。

 

 これは未練かねぇ、なんて。

 

「この世界の外の外に、それはないのかな」

「……世界の、外の外?」

「ああ。君や華胥の一族の言葉が正しいのなら、この天染峰という国は、そして光閉峰は、世界結界なるものに包まれている。これが私達の住む世界の全て。けれど、君がそれを破った先に……つまり、穢れの意思らのさらに天上に。君の言う本当の星空が広がっているかもしれない、とは……考えられないのかな、ってね」

 

 偽りの月。偽りの太陽。偽りの星々。偽りの空。偽りの朝に偽りの夜。

 海も雲も天候も、何もかもが作られた世界。州の色分けもただの区分で、ミニチュア……あるいはおもちゃ箱のような世界だけど。

 

 そうか、世界の外には、普通に世界が広がっている可能性だって……大いにあるのか。

 

 改めて夜空を見上げる。

 月は相変わらずあの時から覇気がない。けれどその後ろの星々は、ギラギラと自己主張激しく光り輝いている。

 

「……考えていなかったな」

「鬼も人も幽鬼も救って、自分だけ縫い留められる気だったのかい?」

「なんだ、盗み聞きか?」

「いいや。ただ、ここに上がってくる前に、すすり泣く女の子の声が聞こえてね。何かをこらえるような、ぐっと我慢するような声が二つ」

「仲良くならなければ良かった……なんて言われていたりは?」

「それは彼女らに失礼だよ。君の悪い癖だ。人を愚かなものであると定義した時の推理力は抜群だけど、推理の必要が無い時まで人は愚かであると考えがち。……君が思っている以上に、君は想われている」

 

 知っているさ。

 知っているから、惜別の涙が堪えるんだ。

 

「お前は泣いたか? 妻の死した日」

「君は己の懐には足を踏み入れさせないくせに、他人の懐には入ってくるんだね」

「前の私ならしなかった。が、今は帝だ。命令ができる。答えろ」

「鬼にヒトの法が通じると?」

「言葉を違えたな。新帝同盟の首魁だ。だから命令ができる。答えろ」

 

 団子を一本、手に取って。

 彼は……ゆっくりと語り出す。

 

「泣いたよ。ちゃんと」

「ちゃんと?」

「泣けるか心配だったんだ。私はほら、人でなしだから。……妻も娘も愛しているけれど、その愛が他者と同一であるのかは……わからなかった。一応頼りになると思っていた悪友二人に聞いても、罵倒しか返ってこないからね」

「想像に易いな」

 

 泣く、か。死別でのそれとは、勿論違うだろうけど。

 

「妻は……私の目の前で亡くなった。それも、新たに調合した薬を粥に混ぜ込んでいる最中にね」

「……。……最後の言葉は、聞けたのか」

「"あなたと出会えて、良かった"。……粥を放り出して、その手を握って……私もだ、と返したよ。その言葉は……届かなかったけれど」

 

 思い浮かぶは、私を殺した者の顔。

 泣き腫らした目。雨が降っていたから、泣いていたのかは定かではないけれど……「お前のせいで、お前のせいで」と滅多刺しだ。

 あの時浮かんでいた感情は、家族への愛情だったのか。

 

「その後は、ずっと薬を作っていた。……最初の方は病的だったかもしれない。勉強で徹夜しがちな今並にさえ、そろそろ休んで、なんて言われるほどには……私の心は荒んでいた。……荒んでいた、はずだった」

「……落ち着いたんだな」

「うん。奇妙過ぎるほどにね」

 

 平民だけの村や街に比べて、貴族街での殺しは少ない。明らかに少ない。

 勿論私が出会ったものは多くが殺人事件や自殺事件だったけど、全体から見たら数滴に満たぬ量でしかない。

 輝術師は……お家騒動がある割に、どうにも、死が少ないのだ。

 

「私達は、混ざった者、と呼ばれていたね。……だから、なのだろう?」

「恐らくは、だ。輝術師を増やすために……神の血を薄めるために奴らはこの世界に同一因子を送り込んだ。とあらば当然、血を薄めることのできる輝術師には死んでほしくないはずだ。仮に輝術師同士の殺し合いが頻繁に起きていたら。あるいは陽弥の体験したという死に合いが貴族街で起きていたら、神の血は濃くなる。輝術の総量は変わらないから、必然的に」

 

 ──正しい理解ぞよ。輝術師が絶滅したのなら、吾らは力を取り戻すぞよ。……そうなってほしいとは、思わないぞよ。吾らは人の子を愛しておるのじゃからな、ぞよ!

 

「その時だよ。私が鬼となることを決めたのは」

「……落ち着いたことがおかしいと、悟ったんだな」

「ああ。そこからは薬を作りながら、鬼となる術を探した。……今並を置いていってしまうことに罪悪感はあった。勿論あった。上の娘も、もう大人とは言え娘だ。ずっと気にしていたよ。だけど……もし、その二人もそうなら、と考えると……恐ろしくなって、憤りが出てね」

「なぜ鬼になろうと思った。鬼は信念の存在であると知っていたのか?」

 

 今潮は、串に刺さった団子の……最後の一つを食い千切る。

 

「そこも、疑うべきだったと。……今、ようやくわかる」

「……ああ、自然なのか」

「うん。恐らくは、他の鬼も」

 

 信念を持たば、鬼となるしかない。

 思考がそうロックされるように仕組まれている。そのために穢れと鬼というシステムがあるのだから。

 

「後は知っての通りだよ」

「なら」

 

 ならば。

 

「鬼となることを決めた時……今並を置いていくことに罪悪感を覚えた時。お前は、泣いたか?」

「やけに……こだわるね」

「必要なことだ」

 

 彼らは。彼女らは。

 

「唇を噛み締めた覚えはある。けれど……泣けなかったはずだ。泣かなかった」

「そうか」

「薄情だね。父親失格だ」

「それは元からだが、……そうか。そうか」

 

 文字も、認識も。

 感情も、か。

 

 燧。前にお前が私に言った言葉だ。同一因子は多かれ少なかれ、意識無意識に関係なく……私を止めようとする、と。

 

 ──ああ、言ったね。

 

 祭唄と夜雀の涙を、どう見る。

 

 ──信じられないのだね。彼女らが本当に己を友と思ってくれているのか。そして、そのことのために泣いたのか。それが……本心なのか、わからない。

 ──そこを疑い出したらもうキリがないぞ。

 ──輝術は感情の発露によって多少は左右されるのじゃ。だから、今、あの二人が輝術をいつも通りに使うことができなかったら、動揺している証拠になるぞよ?

 ──けれど祝。心が魂か肉体かは……また別の話じゃないかな。

 ──肉体は同一因子だ。輝術は魂に宿るもの。……とはいえ、肉体が死なば輝術は離れる。……そのあたりの記憶は私の中にはないな。どうなんだ、祝。

 ──難しい話ぞよ……。確かに輝術は魂に宿る。じゃが、幽鬼は輝術を扱えないし、魂だけの存在であるはずの鬼は奴らの尖兵。輝術は寄り付かない。……吾にもわからないことはあるぞよ。……役に立てなくて、申し訳ないぞよ……。

 

「ああ、なるほど。君は今、あの二人が流している涙が本物であるか図りあぐねているんだね」

「わかるか」

「わかるよ。同じ道を通ったのだから」

 

 ……勿論わかっている。

 本物だとして、偽物だとして。

 だからなんだ、と。それは私の足を止める要因にはならない、と。

 

 でも……苦しくないか。あの二人は、その感情さえも所有権を有せないなんて。

 一個の魂なのだろう。

 それとも……死せば楽土に行くとされ、その楽土が存在しないこの世界においては。

 

 同一因子の魂さえも、消耗品か?

 

 ……わかっているさ。こんな考え、要は哲学的ゾンビをヒトと見るか見ないか、みたいな話だ。

 この場合はあの二人を哲学的ゾンビと見るか見ないか、だけど。

 

 そして……結論の出ない話であることも。

 

「くよくよするのは柄じゃない。とっとと前を向きたい。……今夜で悩むのは終わりにしたい」

「なら、どうするべきかな」

「つまり、あの二人から同一因子を引き剥がしさえすれば……わかるはずだ」

「ということは、一つだけ、方法があるね。彼女らを殺さずに──魂だけの存在にする方法が」

 

 ……──皿にあった残りの団子三本を、全て掴んで根元から全部頬張る。

 うむ。うむうむ。糖分糖分。糯米糯米。澱粉澱粉。

 

 よーし。

 

「ちなみにお前、やり方は?」

「知っているよ。だって、やって見せたじゃないか」

「そういえばそうだったな。安全性は?」

「雨妃の宮に現れた彼女らは、その後意識を取り戻し、今は普通に暮らしているね」

 

 はい。

 悩むの終了! 私は祆蘭だ。うじうじしている奴がいれば、己のケツだって蹴り飛ばすさ。

 

 だから……すまん。怖いとは思うが、実験に付き合ってくれ。

 

 

 

 差し出すは、青味がかった白い液体。

 

「え……っと」

「もしかして……飲め、って言ってる?」

「ああ。すまん、私の超個人的な納得のためだけに飲んでほしい」

「……食物の色じゃないけど」

「まぁ食物じゃないからな。名前は墨西哥鼠尾草(ムォシィゲァシュウェツァオ)

「毒?」

「薬寄り」

「じゃあ、毒だ」

 

 まぁそうだな。

 だけど、すまん。

 飲んでほしい。安全性は……今潮頼りになるが、どうか。

 

「……飲まない」

「うん、私も」

 

 ……だよなぁ、こんな液体。

 んじゃ、きっぱり諦めるか。

 

 真実がどうとか、関係ない。曖昧にしておいた方がいいこともある。

 うん、彼女の言葉はいつも至言だな。

 

「代わりに──伏。さっきお願いしたこと、やってほしい」

「お願いね、伏さん!」

 

 ん?

 

「是。──意識を保ち続けられるかは、(なれ)ら次第。健闘を願う」

 

 あ、体感時間が、停まって──。

 

 

 

 気付けば、どこかの屋敷の中にいた。

 ものっそい嫌そうな顔をした祭唄と、かなり消耗している夜雀と共に。

 

「ここは……」

「私の……心の中。伏に聞いた。祆蘭に私達の言葉を届けるには、どうしたらいいのかを。そうしたら……これが一番だ、って」

「す……すっごく長い距離を走った気がする……輝術無しに……」

 

 心象世界?

 しかも祭唄の心の中とは、これまた新鮮な。

 

 ああいや、けれど、楽土より帰りし神子以外が来られる場所なのか?

 

「そこそこの無理を……している。多分祆蘭が起きた時、私達は昏睡している。……あるいは数日ほど」

「でも……伝えなきゃ、って。二人で話し合ってさ。……だから、いつもは看病する側だけど、今回はお願いしても良い?」

 

 ……。

 それも足止めの手段に聞こえてしまうのは、最早病だな。

 やめやめ。ここは心象世界。魂しか来られぬ場所。たとえ肉体のある時に決めたことだとしても、ここへ辿り着くまでに決意が保たれ続けていたのなら、それは精神の本音であると信じよう。

 夜雀の言い分を正しく認識するなら、私が最初伏と出会った時のような経験をしたはずだしな。

 

「言いたいことは一つだけ」

「うん。……そう、一つだけだよ、小祆」

「一つだけを言うために、数日昏睡状態になるのか」

 

 異口同音に、是が返る。

 そうか。

 

「なら、教えてくれ。何を言いた──」

「もう会えなくなるとしても」

「二度と会えなくなっても」

 

 抱き着かれる。抱きしめられる。

 涙の二人に、ぎゅ、っと。

 

「友達だから!」

「友達、やめないから」

 

 ……。

 はぁ。十歳以上離れている子に、どこまでの覚悟を強いているのやら。

 

「最初から私もそのつもりだよ。その日までと、その日の後。よろしくな、二人とも」

 

 また、異口同音に「うん」と、返る。

 そうして……世界が崩れ始めた。それよりも先に夜雀が倒れて、いなくなる。……弾かれたな。

 

 祭唄ももう立っていられない様子だった。まったく、己の心の中だというのに、どういうことなのやら。

 ……私のせいだったりするか? 私の魂容量がとんでもない、って確か祝が──。

 

「い、一応。……聞きたくても、数日……話せなくなるだろうから、説明して、おく」

「いやいいぞ、どうせここがお前の実家で、それが己の心象風景だったから嫌気が差してその顔をしている、とかだろうし」

「……説明、し甲斐が、……ない……──」

 

 世界は砕け散り。

 目の前には……重なって眠る少女が、二人。……ああいや成人済みではあるんだがな。

 

「『ゆっくりおやすみなさい、二人とも』」

 

 ありがとう。私のために、言葉を伝えてくれて。

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