女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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幕間「彼と彼女と少女と彼女」

 雨の降る日だった。

 天候の調整された青宮廷では珍しい雨。ただ単に暑さを抑えるためだけのその雨に、けれど、ただただ打たれ尽くす者がいた。

 

 外套を纏い、脚を抱えて、俯いて座る少女。

 誰も寄りつかない。誰も話しかけには行かない。青宮廷に平民が入り込むわけではないから、というのも勿論あるけれど、その少女の醸し出す存在感があまりにも圧倒的で、だから誰もが理解していたのだ。

 あれは、あれなるは、今代の──。

 

「どこか、悪いのですか?」

 

 声があった。声をかける者が。

 雨は止んでいない。ただ、少女に降り注ぐ滴はない。輝術が屋根の代わりを果たし、それを遮っているから。

 

「……」

「ああ、失礼いたしました。私は輝霊院第七十一期生学徒、進史という者です。あなたは?」

「……」

「名前が無いのですか? それとも言いたくない。あるいは……私と、そして他者と話をしたくない。そんなところでしょうか」

「……」

 

 答えない。少女は答えない。進史と名乗った少年を見ることさえしない。

 そこから時が経つ。沈黙だ。ずっとずっと、ずーっとずーっと。

 

「……口で言わぬと、伝わらぬほど……間抜けか、そなた」

 

 ようやく開いた口から出た言葉は罵倒。

 

「何分、他者との距離の詰め方を知らないもので」

「遠巻きに見ている……者共。あれらから、伝達を……受けていただろう」

「そうですね。おかげであなたの名を知ってしまいました」

「ならば疾く失せろ。……そなたの話しかけて良い存在ではない。そなたの心配してよい存在ではない」

「お断りします」

 

 一層重くなる重圧感。

 遠巻きに見ていた貴族も、恐らく少年の友人だろう者達も……逃げていく。ヒトが心底恐ろしいと感じるような威圧感が、少女にはあった。

 

 それでも彼はその場を動かない。

 

「もう一度聞きましょう。どこか、悪いのですか?」

「……。……機嫌」

「医院にお連れいたしましょうか? それとも輝霊院?」

「どちらも好ましくはない。余計に……嫌な気分になるだけだ」

「人が多いから、ですか?」

 

 反応があった。少しだけ、俯いていた顔を上げた。上げかけた、が正しいか。

 

「人が多いと、奇異の目で見られる。畏怖の目で見られる。不要な期待と恐怖。……大変ですね、州君というのは」

「……そなたに何が分かる」

「ええ、何も。私は幸運なことに友に、師に、環境に恵まれて育ちました。私にも無用な期待と恐怖が向けられることがありますが、それに応えられる自負もあります」

「そうか。ならば、やはり()()ね。……目障りだ」

 

 雨が降っている。

 けれど、地を打つ水は二人に寄ってこない。

 

「お断りいたします」

「……私が州君であると、知って尚か」

「ええ。あなたはどう見ても州君の恰好ではありませんし、偉い方にも感じません。……加えて、ほら。私が雨を遮りましたから、もう隠せませんよ」

 

 遮られた雨。せき止められた水。

 それでも落ちる滴は、どこから零れるものか。

 

「他者との距離感。私が最も苦手とする分野ですが……とりあえず、あなたのような子供を見て見ぬふり、というのはできませんので」

「私のような、とは?」

「雨空の下で一人泣いているような、です」

 

 雨が降っている。

 雨が降っている。

 

「……ふん、気に障る。……そなたは、幾つだ」

「今年で十に」

「なんだ、私と同じじゃないか。……格好つけるのならば、せめて年上であれ」

「年齢は天運でしょう。──それで、まだ、どこか悪いのですか?」

 

 雨が降っている。

 けれど、彼は時の停まったかのような錯覚を起こしたことだろう。

 今まで周囲に向けて放たれていた威圧。近付くなと、関わるなと振り撒かれていたそれが──個人に。彼一人に向けられたのだから。

 存在からして少女と彼は違う。それを魂の根本に叩き込むかのような圧。

 

 少年に対抗手段はない。彼は普段から「威圧感のある表情をしている」などと言われることがあるけれど、それは威圧感を自在に操り得るわけではない。

 だから──少年は、ただ。

 

 たじろがなかっただけだ。

 冷や汗はあった。顔も青くなっていたかもしれない。いや、それは初めからだ。少女に近付いた時から、少年の顔は蒼褪めていた。しっかりと恐怖を覚えていた。

 

 その上で彼は、ずっと彼女の前にあったのだ。

 

「……もう一度、名を聞かせろ」

「進史と」

「……。輝霊院、だったな。……どの職に就くかは決めているのか?」

「いえ。ただ、家族に大恩がありますので、彼らが心から健やかに過ごせるよう、良い職に就くつもりです。……あと五年、されど五年。高い目標を持つのなら、もう動いておけ、という言葉はごもっともですが──」

 

 威圧は続いている。

 それでも少年は普通に話し続けた。冷や汗を流し、唇を青くさせて、激しい動悸に苛まれながらも──呼吸を荒げない。

 

 この空間で日常会話を行うということが、どれほど難しいか。

 

「……輝霊院に、伝達を入れた。()()の就職先は決まった。……五年間、せいぜい己でも磨いておけ」

「それは……申し訳ありません。やはり私は、他者との距離感がわからないようです。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」

 

 不興を買ってしまったのだと思うことも仕方がないだろう。

 州君という存在の大きさは。それに近付いた者の末路は。

 

「ああ。残る五年、()()に残された自由はそこだけだ。……さらばだ、進史」

 

 少女の身体が浮き上がる。そうして、遥か高空へと飛んでいく。

 腹いせだろうか。上空にあった雨雲を大きく吹き飛ばし……雲の上へ。

 

 少年が彼女を見送って、だから少しだけ見えたもの。

 雲の上に浮かぶ巨大な岩と城。

 

「──進史!!」

「ん?」

「おい、大丈夫だったか!? って、すんげー顔青いぞ! 劾瞬(フェァシュン)、進史担いでくれ! 医院に連れて行かなきゃだ!」

「おお任せろ!!」

「いや、私は別に、お、おい!?」

「馬鹿進史、お前がすげーのは知ってるけどよ、ああいう時は俺達のことも頼れよ! 周遠(ヂョウユェン)のやつなんか、血相変えて院長に相談しに行ったぞ! どうにか罪を軽くしてくれるよう頼んでくる、とか言って!」

 

 騒がしさが戻る。

 子供達だ。まだ齢十そこらの子供達が、青宮廷の異様な静けさを取り払う。

 

 ああ、けれど。

 助け出された少年は、担がれた、医院に運び込まれた少年は……ずっと、心ここにあらずだった。

 ずっとずっと、空を見上げて。

 

 彼は己の就職先を、見定めたのである。

 

 

 

 男は檜武(グゥイウー)と名乗った。

 いちいち声の大きい男で、どこか彼の友である劾瞬を彷彿とさせる言動をする者であった。根の良さまで同じだと彼が考えるほどには、似ていた。

 

「苦労はするだろう! だが、同い年であるのならば! ……任せられる! そう判断した!!」

「はい。努力いたします」

「っ~~~看上(カンシャァァン)!! あの子のことで何か困ったことがあったら、すぐに伝達を! では──」

「おい、檜武。うるさいぞ。早く出ていけ」

 

 ──それが再会である。少女は十五となり、大人になった。少年も十五となり、大人となった。

 

 二人の再会は。

 

「酷いことを言うな、鈴李!! 新たな付き人の前であるのだから、少しは取り繕うということを!!」

「そなたこそ名で呼ぶでないわ。ここは仕事場。役職名で呼べ」

「……このように毅然な態度であるがな! その実この子は」

「青宮城から放り出されたい、と。承知したぞ、爺」

「ではな!! 頑張れ、少年!!」

 

 まぁ、嵐のような前任者が居はしたけれど……適ったのだ。叶い、適った。

 少女が望み、少年も望んだからこそ成立したことだった。どちらかが途中で飽いていれば、諦めていれば、こうはならなかった。

 

「……入れ」

「はい。失礼いたします、青清君」

 

 少女……いや、彼女の自室。

 そこは豪華な部屋だった。雲海の向こう側までを一望できる大窓や、幾つかの調度品。装飾の一つをとっても煌びやかで。

 

「一つだけ、聞きたい」

「なんでしょうか」

「……後悔は、しておらぬか。これまでに聞いてきたであろう。私の……噂は」

「ええ。青州始まって以来の我儘州君。守り人としての気力は疎か、書類の一つもろくに書くことのできない者。青清君のせいで滞った事務は数知れず、今も溜まりに溜まって積もりに積もっていく一方である、と。そう聞き及んでおります」

「事実だ。そしてその片付けはお前がやる。──後悔は」

「していませんよ。……五年も経ったというのに、まだあなただけ雨模様のようですし、書類仕事ができないことも無理はありません。大事な書類が濡れてしまうでしょうから」

 

 それは別に、恋とか、愛とか、そういうものではないけれど。

 ただ──彼女に、初めての友達ができた瞬間だったのかもしれない。

 

「輝霊院第七十一期生主席卒業、進史。これより青州が州君、青清君の付き人の任に就かせていただきます。あなたのお世話も、書類仕事も、報告相談連絡も、そしてあなたの……愚痴も文句も」

 

 彼はそこで一度言葉を切って。

 

 そして続けるのだ。

 

「降る雨は全て私が遮り、零れ落ちるものはすべて受け止めて参りますので、ご安心ください」

「……だから、格好つけるのなら、年上になってからにしろ」

「ではまずあなたが年下になっていただいて」

 

 軽口を叩き得る間柄。

 それが彼と彼女の、特別だった。

 

 

 

 彼女の目が開いたことを確認して、彼は大きく伸びをする。

 

「……ここは」

「青宮城ですよ。医院の見解では特に処置する必要はない、との話でしたので、自室に運びました」

「どういう……。……ああ、いや。……負けたのか、私は」

「はい。完膚なきまでに。今は新帝の誕生にお祭り騒ぎですよ。それと、あれほどの大言壮語を吐いておいてどういうことだ、と行政がお怒りのご様子で」

「……なんと返した?」

「相手が楽土より帰りし神子である時点で厳しい戦いになる、と……私は初めに言ってありましたからね。それを聞いて尚、あなたの意向に了承の意を返したのは彼らです。その辺りを上手く丸め込んだら、まぁ納得はしていないようでしたが、お帰りになってくださいましたよ」

 

 行政。あるいは行政区画。

 青宮廷の四分の一を占めるそこに勤める者達は、残念ながら総じて「ソウイウ方々」ばかりだ。新帝となった少女が見れば、剣気を吐き出して鋸で斬りかかり、「これ以上私に関わるようなら次はない。問答無用でその命を奪う」……なんて脅しを使いそうなほどには面倒臭い「お方々」。だから彼も彼女も少女を行政には近づけなかった。

 それがまさか、こんなことになるとは。

 

「緑涼君は?」

「彼は戦う前に降参しました。傷だらけの少女と戦うつもりはない、と。州から怒られるというのならそれまでだ、と。彼らしいですね」

「……。……そうか」

 

 緑涼君が慕われる、という理由は、その全てがあそこに詰まっていたと言えるだろう。

 ──大人たちの都合に振り回されて嫌なことをするくらいなら、おれはおれを貫いて、おれであることを選ぶよ。

 青い、と捉えられかねない発言だ。けれどその青さが……眩しいと思う程度には、彼も大人になってしまったのだろう。

 

「……おらぬ、か」

「祆蘭は、新帝となりました。今は黄州でしょうね」

「戻ってくる気はない、と……そういうことか」

「"元より倉庫だ。好きに潰せ"、と」

 

 彼女は。

 まだ、仰向けのままに……雨を零す。

 当然だ。だってそのために彼女は今までしてこなかったことをして、けれど。

 

「私が帝となり……あ奴の願いを叶える、では……だめだったのか。どうして……どうしてだ。あ奴が頑固であることなど百も承知だが……そんなに、嫌か」

「判断できかねます。とりあえずあなたが意識を失ってからのことを共有いたしますので、受け取ってください。……受け取り準備は大丈夫ですか?」

「ああ……頼む」

 

 覚えているすべて。

 記憶したすべてを情報として彼女へ送る。全てを思い出す必要があるから、当然彼の唇も硬く噛み締められることとなるけれど……ああ、けれど、だ。

 顕著だった。彼女の顔の変化のほうが、一度乗り越えた彼よりも。

 

 信じられない話が多く在った。

 何より、何よりだ。

 

「──知らぬ。知らぬぞ、祆蘭。……なぜだ。なぜ……私に、相談を……なぜ私達には何も……!!」

 

 ああ、そうだ。彼もそうだった。

 彼もその思いを経験した。だって、誰よりも近かったはずなのに。

 

 少女のやらんとしていることは大それたことだ。そして……ヒト一人が背負うには、あまりにも大きすぎるものだ。

 なぜ分けてくれないのか。なぜ、なぜ、と。

 

「好かれるようなことを、していませんからね」

 

 だから彼は、夜じゅう考えた答えを出す。

 答えなど明白だった。それでも考えなければならなかった。──そうではない、ということを信じたかったから。

 

「彼女の生活を壊し、幽鬼や鬼との事件を無理矢理に経験させ、その精神が負ったであろう傷も……癒すことなく、こちらが癒してもらうばかりで。彼女に好かれるようなことを、彼女に頼られるようなことを……何一つできていない」

「当然、か。……お前の見てきた新帝同盟。……確かに、そうだな。州君は玻璃だけで……ああ、本当だ。鬼も輝術師も……私達より知があり、私達より強き者たちばかり、か」

「ええ。あの場で私が覚えたもの。それは果ての無い無力感でした。反論の言葉が何一つなかった。なぜなら私達は何も知らないから。……彼女が頼りにしたいと思う情報を、何一つも持っていないから。……共有した記憶にある通り、彼女はどの州君も切り捨てています。同調しないのであれば不要である、と」

 

 つまり、それほど、ということだ。

 州君の全てを排してでも……それらに頼まずとも良いほどに頼り得る仲間がいて、そして。

 

「焦っている、な。顔にも声にも出していないが……これは」

「はい。あの場では話さなかった、さらなる深奥。差し迫った脅威があるものかと。そしてそれは、玻璃様以外の全州君を敵に回してでも強行突破せねばならないほどの火急。私達の知らないこと」

「世界の外に出ること……か」

「恐らくは」

 

 考えたことも無かった、と言えば。

 それは嘘になる。だって彼は、知っているから。

 

「……共有した通り、あの場にいた面々には私の過去を話しました。私の知識にある盤古閉天(シェングービーテン)。そして語り継がれてきたこと。私の継承した数少ない事実。……遅かった、のでしょうね」

 

 過去にあった幽鬼の事件記録など見せずに、そういうことを話しておくべきだった。

 知らな過ぎたし、知らせなさすぎた。一線を越えなさすぎた。

 

 それが必要な情報だったかもしれないのに、ずっとずっと怠っていた。

 

「っ……そうだ、要人護衛……祭唄は」

「彼女なら、祆蘭の部屋にいますよ」

「ついていかなかったのか」

「はい。……やるべきことがある、のだそうで。それを終えたら、彼女も新帝同盟へ戻るつもりだ、と」

「戻る。つまり、祭唄は……信用されているのだな」

「共に居た時間が違いますからね。……理由が同じかはわかりませんが、夜雀も少し前から休暇届を出しています。護衛する要人がいませんから、受理していますが……」

 

 馬鹿ではない。彼とて、彼女とて。

 二人は何かを知っている。だから青州へ戻ってきている。

 

 だから、聞かねばならない。彼は彼女に問わねばならない。

 

「緑州、黒州は無干渉を。赤州は保留を選びました。……私達は、どうしますか」

「祆蘭に協力するかどうか、か」

「新帝同盟に同調するかどうかです。鬼と足並みを揃え、長い間悪事に手を染めていた元帝を赦し、祆蘭の言葉を妄信して世界を脱するなどという計画に……伸るか、反るか」

 

 答えは。

 

「……私は他の州ほど元帝を恨んでおらぬ。鬼とも……とある企みのために、友誼を結ぶこともあった」

「そのようですね。私は御前試合で知りましたが」

「華胥の一族とやらは知らぬ。知らぬものはどうでもいい。……だから、禍根はない」

 

 そうだ。無い。彼女は世俗に興味が無いから、そして()()()身内が何の被害にも遭っていないから。また、政に干渉してこなかったから。

 禍根はない。

 

 無いけれど。

 

「進史。……お前の記憶で見る祆蘭は……なにかを覚悟しているようにしか見えぬ」

「同意します」

「あ奴が帝となりてまで……私の配下ではなく、己自身が帝とならねばできぬこととはなんだ! それは……それは、それは!」

 

 誰かに管理されていてはできないこと。

 そんなものは一つしかない。

 

「──己が命を、自由に使う」

 

 声。それは彼のものでも彼女のものでもなかった。

 本来はこのような口調で話すことはない。少なくとも二人に対しては。

 

 だからこそ伝わろうというものだ。

 

「……祭唄」

「祆蘭は、死ぬ気などさらさらないと言っていた。そういうことをするつもりはないと。──ただし、この道は、祆蘭がもっともっと傷つく道だとも言っていた。……私はそれを、死なないだけの道であると解釈している」

「死にはしないだけ、か」

「そう。最近はその傾向が激しい。己の命を奪う理不尽には全力で抵抗するけれど、その過程で発生する損失……怪我や損耗については考慮しない。帝となって、人も神も鬼も導いて、世界の外に出る。そのために必要な代償が必ずあるはず。……だから、無礼を承知で、今、言う」

 

 彼女──祭唄は、()を取る。

 最大限のものを。

 

「私は彼女の隣にいると決めた。隣で助けになると。……だから、止められない。彼女を止める側に立てない。止めて良いのかもわからない。何も判断できない」

「……」

「あなた達は、力がある。そう、でしょう。御前試合でのそれは、祆蘭が小細工をして勝っただけ。あなた達が全力で彼女を止めれば、止まる。……わからない。止めて良いのかは、本当に分からない。だけど……このままだと、誰も祆蘭の前に立ちふさがることなく、彼女は……遠くへ行ってしまう」

 

 だから、お願いしますと。

 

「青清君。あなたの気持ちはわかっているつもり。進史様も、祆蘭に強い感情を抱いている。勿論恋愛のそれじゃない。どちらかというと恩義のようなもの。……私も同じ。だから、だから……だから」

 

 久方ぶりに時が止まった。

 彼が感じたもの。それは──彼女、青清君から放たれる最高密度の威圧。

 しかも余波だ。全方位に振り撒くものではなく、いつか彼自身が向けられた個人を威圧するためだけのもの。ただ近くにいるというだけなのに、時も音も止まったかのような静寂に飲み込まれる。

 

「己の言葉の意味を、理解しているのか」

「……私は祆蘭の隣にいる。けれど、あなたは祆蘭の敵になってほしい。……私は今、そう言った」

「──ッ……!!」

 

 わかっている、と。理解していると。

 この威圧の中にあっても冷や汗一つ流さない。

 

 無力感があった。新帝同盟の面々を見た時と同じだ。

 彼は……無力感を抱いた。要人護衛、祭唄に。

 

 差がある。何か……強く、大きい差が。

 

「私の気持ちを理解していると、お前は言った。それでもなお……その要求を突きつけるのか」

「……! ……ならば、問い返す。青清君……あなたは、今の己の言葉の意味を、理解している?」

「なに?」

「……話にならない。知らなかった。頼る相手を間違えた。……進史様、申し訳ありません。私は青宮廷が要人護衛を退職いたします。……もうあの部屋を守る意味もなくなりました」

 

 動けない彼とは違う。この威圧の中にあって、しっかりと言葉を吐き、しっかりと拒絶を発する。

 

「今までお世話になりました」

「……待て。お前は……祆蘭のことを好──」

「口を閉じてほしい。……私は、罪人の身となって青州を抜けたくない。……それじゃあ、さようなら」

 

 祭唄が立ち去る。去れば威圧は解ける。解けるけれど。

 解けるけれど、だった。

 

 ──おい、若僧。今良いか。

 

 情報伝達。それは蘆元(ルーユェン)という貴族からのもの。彼に意見することのできる貴重な人材。

 

 ──なんだ、今少々立て込んでいるが。

 ──目の前にいる州君の尻蹴っ飛ばせ。俺は立場上できねぇからな。

 ──……聞こえていたのか?

 ──俺にとっても損失だからな、あいつが青宮城から消えるのは。だからちょいと盗聴してたんだ。

 ──おい、違反どころでは済まされないぞ。青清君の部屋の盗聴など……!

 

 刹那の情報伝達だ。だから、彼女はまだ呆けた顔をしたまま。

 何か言わなければならない。だからこの男との会話を早く切り上げたい。

 

 けれど彼には、妙な確信もあった。

 聞くべきだ、と。

 

 ──お前しか言えねえんだ、言ってやれ。"いいか、青清君。テメェは今、あのガキの使命や背負い込んだ大それたモンより、自分の恋路の行く末を優先したんだ"、ってよ。俺からすりゃ揃いも揃って馬鹿野郎どもだが、青清君の言葉は俺でも腹が立った。

 ──テメェら大人だろうがよ。いい歳こいた大人がガキ一人に全部背負わせて、自分たちは無傷のまんまやりてェことだけやるってか。……ああ、クソ。青州で身に付けた最低限の貴族言葉も出なくなる。……失望したよ、青清君にも、若僧、お前にもだ。

 ──こんな州、あいつに見捨てられんのも当然だな。頼りがいのある大人が欠片としていねぇんだ。……いつまでも腑抜けてんなら、俺も妻を連れて黄州へ戻る。世界を出るとか鬼とか知らねえことばかりだが、頼られて狼狽しないくらいの大人ではあるつもりだからな。

 

 切断される情報伝達に……彼は、改めて彼女を見た。

 まだ呆けたままの彼女を。

 

 見た、つもりだった。

 

「……青清君?」

 

 いない。

 そして、大窓が開いていることに気付く。

 

「──あの猪小娘!!」

 

 彼女が目の前にいたら。いいや、周囲に誰かがいたら、絶対に言わない罵倒。

 それを吐いて……輝術の痕跡を辿り、彼も彼女を追いかけるのであった。

 

 

 辿り着いた場所は広場となっている場所。

 そう、以前輝霊院院長と副院長が戦った場所であり、他ならぬ彼、進史が「いるとされている範囲全体を掴む」という荒業で解決を果たした場所。それゆえに木々が折れて、広場となっているのだ。

 

 二人はそこにいた。

 

「今更……何用……! もう用は無い!」

「いなくなられては困る! お前と夜雀だけが祆蘭に繋がる糸なのだ!」

「私には関係ない!! もう要人護衛も青宮廷所属も辞めた! 止められる筋合いがない!」

「何が何でもだ! この際州君の権限を使ってでも引き留める!」

 

 額に手を当てる進史。

 収集の付け方を探っているのである。

 

 そして──良いことを考えついた。

 とても単純で、とても効果的な方法を。

 

 

「──やめろ、莫迦者共」

 

 

 輝術で作るは少女の声。

 ぶっきらぼうで粗野で、荒くれものや相当高齢な田舎の老人しか使わないような言葉遣い。

 

 動きの停まった二人は周囲を探し出す。

 そしてほぼ同時に上を見上げた。彼を視認した。

 

「……良い度胸だな、進史」

「祆蘭を騙ることは、進史様でも許さない」

 

 叩きつけられる殺気と剣気。

 目的は果たした。

 

 果たしたが、であった。

 

 ああ、だから……なぜ、この少女は。

 

「いやぁ、突然私の声が聞こえたから驚いたが、成程進史さんか」

「ちょっと! 声を出さないって約束だったでしょ!?」

「あ、すまん。だがいいじゃないか、凛凛さん。役者は揃っているぞ」

「良くないわよ! あとで怒られるの私なのよ!? いつも怒ってるくせに自分が規則を破るとはどういう了見だ、って皆グチグチグチグチ……!」

 

 なぜ、この少女は、来てほしい時に……現れるのか。

 頼ってばかり、など。

 頼りたくなる時にばかり現れる彼女の方が悪い、なんて責任転嫁をしたくなるくらいには、あまりにも潮時に現れる。

 

「祆蘭」

「ああ、進史さん。お忍びでな、少し雨妃の様子だけ見に行きたくて……ん、どうした」

「なんとかして、あの二人を止めてくれ。色々あって仲違いをしている」

「……。それはあんたの仕事なんじゃないのか?」

「私では手に負えない。恥を忍んで頼もう。頼りがいの無い大人ですまないが、頼む」

 

 台無しであった。ここは少しでも頼りがいのある大人を見せるべきだった。

 そんなことは彼にもわかっているけれど……ああ。

 

 頼む、という言葉に、楽しそうに口角を上げる少女を見た。

 

「任せろ。通称、詭弁捏造こじつけ小娘祆蘭の本領発揮だ」

 

 なんと頼もしい、背中だろうか、と。

 

 

「……いや、新帝の通称として最悪でしょ、それ」

「あれに……並び立つには、どうするべきか」

「無理でしょ。アンタ押しに弱いし、いざという時強く出られないし。あとはまぁ、祆蘭とか青清君みたいな強い女を追いかけている方がしっくりくるのよね。ああ、けれど恋愛感情には発展しないというか、いつまでも付き人であり続けるというか。アンタって結構な優良物件のはずなのに、何歳になっても結婚できなさそうよねー。ずーっと振り回されて苦労しているのがお似合いというか。青清君もアンタもだけど、肝心な時には何もできないくせに、その前段階みたいな時ばっかり"らしさ"を見せるせいで、正直祆蘭とは不釣り合いというか。なんというか……そう、アンタって特徴がないのよね、ほとんど。生真面目以外無個性? もうちょっと得意分野とか増やしてみたら? ま、できてたらそんなことで悩んでないでしょうから、一生かかってやっとできるかできないかくらいなんじゃないかしら」

 

 ぐさ。ぐさぐさぐさぐさ。

 

 黒根君が付き人、凛凛。

 彼女の中に、容赦の二文字は存在しないのである。

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