女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第九十七話「トンネル」

 鈴李こそいないけれど、天染峰の最高戦力がここに集っている、と見て良いだろう。

 どこまで開示するかについては……おや、視線が集中している。

 

「すべては君の采配に任せるよ、新帝」

「そうか。ならば……そうだな。各州君。そして進史様……進史さん、にしておくか? 体面を色々気にした上で」

「好きにしてくれ。必要であれば、私も言葉を改めよう」

 

 OK。そういう柔軟性は嫌いじゃないよ。

 

「じゃあまず、烈豊」

「ああ」

「お前にとっては、元帝……陽弥は敵だ。その認識は今でも変わらないか?」

「変わらない。おれの愛した緑州で好き勝手やっていたこと。他の州でもそうなのかもしれないけど、少なくともおれは緑州しか把握できないし、守れないから……その怒りは持ち続けている」

「ならばそれは過去のものにしろ」

「……っ、どういうことだよ……!」

 

 どういうことも何も、である。

 その禍根、邪魔なんだよ。割り切れないなら外れてもらうしかない。

 

「この場においては、だ。今から話すことにおいて、個人の怒りを持ち込む、あるいは過去のものにできない、割り切れない……そういった感情を持ち込むのであれば、去れ。新帝命令だ」

「……。……わかった。今は、飲み込む。ただ……情報を持ち帰ったあと、おれは君に蜂起するかもしれない。それは構わないのか?」

「ああ、構わない。この場では収めろ。それだけでいい」

 

 正直でいいね、本当に。

 嘘塗れの小娘には眩しいよ。

 

「なら、隠れている意味もないだろう。桃湯、結衣、奔迹、今潮、濁戒。出てきてくれ」

 

 部屋の奥から出てくるは……五人の鬼。当然のように警戒する烈豊と進史さん。

 だから、目だけを向ける。余計な気は起こすな、と。

 

「別に、嫌われ者の鬼は嫌われたままでもいいのだけど? 輝術師をたくさん殺していることに変わりは無いわけだし」

「そこに関していうのなら、私も同じだね。憎まれるだけのことをしてきた自覚がある。緑涼君の怒りはもっともだよ」

「うるさい。それについてやいのやいの言うと話が進まんから、この場においては収めろ、と言ったんだ。憂さ晴らしも禍根の清算も、全てが終わってからやれ」

 

 では、と。

 左目だけの視界を、蒼穹と草原のものにする。

 

「……?」

「目の色が……翡翠色に」

「ああ、何度か試したらできるようになった。……今から全てを話す。口を挟むな」

 

 話す。

 私が楽土より帰りし神子であり、鬼子母神に乗っ取られかけて、けれど捻じ伏せたこと。

 四千七百年前から行われていた陽弥による暗躍。"(とこしなえ)の命"の真実について。

 鬼とは何か、輝術とは何か、華胥の一族とは何か。

 そして今直面している物事についても、全て。

 

「ふぅ……」

「はい、お水」

「ん……本当に付き人のようだな、陽弥」

「四千七百年の間には、給仕をしていたこともあったからね」

 

 へー。

 いやどうでもいいんだけど。

 

 さて、反応は。

 

「……ま、ボクは凛凛と蓬音(ポンイン)からある程度聞いていたからね。受け入れられるよ」

「知らない事ばかりで……混乱してるよ。おれ……そうか、本当におれは、何も知らなかったんだな……」

「緑涼君。私もあなたと同じ立場です。青清君は理解している側にいたのでしょうが、私も何も聞かされていませんでした」

「ブァッハッハッハ! ……赤州に巣食う、本物の敵、のぅ。……ああ、頭が痛くなるわい」

 

 とりあえず「おかしく」はなっていないらしい。

 精神力の問題かね、この辺は。

 

 ただ。

 

「進史さん」

「どうした?」

「あんたに関しては、今の言葉に嘘があっただろう。──あんたは、天染峰の成り立ちを知っている。そうだな」

「……」

 

 度々思うことではあった。

 忘れはしないことだし、おかしいことだし。

 

 彼だけは……ずっとずっと、一歩離れた位置にいる。

 

「通説を知っている、というだけじゃない。天染峰の成り立ち……盤古閉天(シェングービーテン)そのものを知識として有しているだろう」

「進史。──いいですよ、話しても」

 

 ……思わぬところから援護射撃が来たな。

 玻璃だ。

 

「お言葉ですが、玻璃様。青清君の意識が戻らぬうちに、というのは……」

「話が進みませんから。あなたが存在からして特殊である理由を、どうぞ」

 

 予想外が重なる。

 一体何の話をしている?

 

「進史さん。すまないが、今は」

「いや……そうだな。ここまで睨まれてまで隠し通すことではない。話そう」

 

 彼の口が開く。零れ落ちる言葉は。

 

「私は、天染峰の生まれではない」

「……楽土より帰りし神子、ということか?」

「違う。……説明が難しい。だが、私は……あー……。……実をいうと、()()天染峰の進史は、既に死している。今ここにいる私は、()()天染峰の進史だ」

 

 どういう……ことだ。

 よくわからない。

 

 ここにきて問題を増やすのはやめてくれ。

 

「そう大した話ではないのですが、そうですね。進史では説明が難しいでしょうから、私が話します。構いませんか、祆蘭、進史」

「ああ、私は良い」

「申し訳ありません。お願いいたします」

 

 はい♪ と、どこか楽し気に語り出す玻璃。

 

「結論から言うと、進史はこの時代に再構成された者です。本来の彼は、一度目の天染峰に生まれた人間。華胥の一族の方々。盤古閉天から、天染峰は四度の滅びを迎えている。この認識は正しいですか?」

「是。初期化は四度あった。今は五度目の天染峰だ」

「あぁ、間違いねェよ。この中にいる何人かは覚えてんだろ。地からせりあがる溶岩をよ。あれが世界を覆うんだ。それを滅びというし、初期化という」

「はい。そういうことで、この進史は一度目の天染峰に生まれた進史なのです。ただ……何が起きてそうなったのかは私にもわかりません。ですが、彼の身体は一度分解され、この五度目の天染峰にて死した進史の肉体を資源とする形でこの世に再構成されました。一度目の天染峰では盤古閉天のことがしっかり語り継がれていましたからね。進史が知っているのもおかしくはないのです」

 

 ん。

 

「待て、よくわからん、という部分には大いにツッコミたいが、玻璃。なぜお前もそれを……盤古閉天のことを知っている? お前はこの……今の天染峰生まれだろう?」

「言ったはずですよ、祆蘭。私には古き鬼の部下がいる、と。その中には、初期化を生き延びた鬼もおります」

「だからこの人は神門様って呼ばれてんだよ」

「奔迹? それは言わなくていいことでしょう?」

 

 待て。おい。

 もう話を畳む段階……整理する段階じゃないのか。

 ここにきて新たな謎を増やすな。エマーソンか。

 

「玻璃」

「……ええと、そうですね。……どうしても話さねばなりませんか?」

「当然だ」

「そう、ですね。……その、信じられないとは思うのですが──私、生まれる前から意識があったのです」

「そんなに溜めることか? つまりなんだ、この天染峰に生まれ出でる前から意識があって、それは何万年も前からで、初期化から鬼達を守ってきた、とかそんな感じか?」

 

 沈黙。

 口を開こうとしていた伏までもが……異常なものを見る目で私を見ている。

 

 ん?

 

「え、えっと。祆蘭? もしやあなたのいた楽土では、それが普通だったのですか?」

「それ、とは?」

「産まれる前から意識がある、ということです」

「楽土では普通じゃなかったさ。だが、私達楽土より帰りし神子は全員生まれる前から意識があっただろう。……違うのか?」

 

 まぁすさまじく長いということは認めるけど、そんなの個人差だろう。

 地球での死後どこを通ってこの世に生まれ出でたのかは定かではないが、私の意識は在り続けたんだ。私がそうで、他が違う、というのは……まぁあり得んことじゃないだろうが、中々ないんじゃないか? だから、ここまでの沈黙を生むことでもないだろう。

 

「え……ええ。まぁ、そうですね。ですから私は、玻璃として生まれるより遥か昔から意識があって、輝術によって鬼を救ってきました」

「あ、思い出した! 吾の中で妙に言うことを聞かない意識塊! あれそちだったんじゃな!!」

 

 ぼっと出てくる祝。……普通に出て来られるのか。

 

「作る輝術の防護っつーか棲み処がまるで門みたいだった。だからついたあだ名は神門様ってな! で、そこの輝術師は多分、神門様が作った隧道を上手い事通り抜けてきた魂なんだと思うぜ。流離いの奔迹の名推理によると、だけど」

「はい。私もそうだと思って……青清君から一連の件についてを相談された時に、責任を覚え、同時に異常なことであるため、二人に口封じをしました」

「なぜ私の身体が突然分解したのか、そして死した進史の身体で再構成されたのかはわからずじまいだが、とりあえず私が天染峰の成り立ちを知っている理由はこれだ。満足したか?」

「理解はしたが納得は……まぁ、あとでする。……ちなみに何歳くらいの話だ、それは。それと親御さんには」

「幼少の話だ。家族には話してあるが、玻璃様の命のもと話さぬように、と言ってある」

 

 ……。

 ……。

 ……ええいキャパオーバーだ!!

 

 知るか! 普通にタイムスリップじゃないか! 組成どうこうよりずっとタイムスリップじゃないか!!

 知らん知らん知らん! なんだその重要そうな話! もっともっとずっとずっと前にしておけ!

 

 ああもういい、今は目先のこと!!

 

「というわけで、諸々はおいておいて、私たちは新帝同盟(シンディトンモン)を名乗り──この世界からの脱出を目的に動いている」

「……確かにお主の言う通り、天には一定高度より輝術の使えなくなる領域がある。海底の方は試したことがないが、理解はできる。そして光閉峰。……これらが世界結界……世を取り囲んでいる、という概念は、……理解、できなくもない」

 

 だが、と。

 問おう、と。

 

「現在、まさに儂の州で巣食っておるやつらに同調するわけではないが……世界を出る必要性は、どれほどあるのだ」

「必要性を感じないのならば、用は無い」

「だが……お前達のやっていることは、全世界に影響することだろう? ……仮にお前達が世界の外に出た時、私達に何か災厄が降りかかる、ということはないのか?」

「前はあった。私が無くした」

「無くなったと、確実に言えるものなのか?」

 

 ふむ。

 まぁ、正直。

 

「正直な話をしよう。進史さん。──私が帝となった以上、私の言葉は絶対だ。そのための御前試合だったわけだしな。そして私が帝となったのは、こういう無理無茶無謀を押し通すためだ」

「……帝とは、全州を治める者の名だぞ。そこには当然責任が伴う」

「だったら奪え。少なくとも新帝同盟の全員が世界からの逸脱を望んでいる。この閉じられた世界で信念を持った者を己が尖兵とし、文化の発展を制限する。その上、面倒になったら初期化する。そしてそうでなくとも……陽弥の発生のように、命を数として見る。そんな奴らに支配される世を私は拒絶する。唾棄する」

 

 確かにそこには溝があるのだろう。

 私は為政者ではない。民を守るという気持ちには、欠けているのやもしれない。

 

 それでも。

 

「その上で私は、平民も輝術師も神も鬼も幽鬼も、等しく幸を掴み得るよう……その機会を与えられるよう動くつもりだ。掴むかどうかはお前達に任せるがな」

「少なくとも私達鬼は世界の外に出たい。それを邪魔するというのなら、容赦はしない」

「今度こそ討伐されたふりなんてしないで、人間を殺し尽くしてもいいのよ? 美味しくなさそうな魂は見逃す主義ではあったけれど、邪魔をするのなら話は別だもの」

「ち・な・み・に! 華胥の一族も同意見じゃ!」

「勝手に代表すんじゃねェよ祝。……ま、その通りだがな。オレ達はテメェらみてェに監視されたまま己の状態もわからねェままにのうのうと生きていられるほど呑気じゃねェ。オレも代表するつもりはねぇが、華胥の一族の総意と受け取ってくれて構わねェ。こちとら閉じ込められてんだ、出られるっつゥんなら出て行くさ」

「あ、じゃから、残るかどうかは好きにすればよいが、輝術は使えなくなると思えよ、輝術師。なんせ輝術は吾らの力。吾らが出ていく時、そちらの力は失われるのじゃ」

 

 ぱく。

 ……この炎ロリ、まだ喋っていない部分まで喋りやがって。

 

 さて、沈黙が落ちる。

 今この場で決め切ることなどできないからだろう。帰って吟味せねばならない話とあれば、一度お開きに──。

 

「なぁ。それってさ」

「ん……」

「もう神子は生まれなくなるし、平民とか貴族とか関係なくなる、って認識で良いのか?」

 

 烈豊が問う。

 ああ……この子は、本当にいい子だな。

 

 デメリットだけじゃない。

 メリットを見ることのできる子だ。

 

「是」

「そォなるな」

「そうじゃな!」

 

 そして、嘘偽りなく、華胥の一族がそれを返す。……この幼女また出て来やがった。

 

「んじゃおれは乗るよ。夢見てたんだ、そういう世界。今はたまたまおれに力があって、……でも、皆を守るなんて到底言えなくて。それでも出来得る限りをしてきたつもりだけど、……ああ、いいや。おれの悔恨なんてどうでもいい。そうじゃなくて……もう神子が生まれなくなることも、権力の差がなくなることも、何もかも良い事しかない」

「……緑涼君。あなたは」

「少なくともおれはそう考える。だから、おれは祆蘭を応援する」

「協力してくれるわけではないのだな」

「ああ。申し訳ないけど、元帝……陽弥のどんな境遇を聞いたって、おれは陽弥を許すことはできない。点展との決着もついてないしな。だから、敵対も反対も邪魔もしない。だけど、協力はできない。それでいいか?」

「無論だ」

 

 爽やかだな。素晴らしい。

 

「ふむ。そこについてはボクも同意見だよ。ボクに関しては更に、だ。想い人を殺されているんだ、同調なんてできない。……ただ、ボクも神子という存在は気に入っていないし、貴族も平民も関係なくなればいいのに、と思っているから……邪魔はしない」

「一つ付け加えるなら、笈溌、点展、紊鳬たちはこの元帝より離反……造反? しているみたいだから、復讐相手はそっちになるんじゃない?」

「ボクとしては、凛凛と蓬音(ポンイン)がそっちについている、ということ自体が心の痛い話ではあるのだけどね……」

「アンタが勝手に拗らせて、アンタが勝手に引き摺ってる相手のことなんかどうでもいいわよ」

姐姐(ジェジェ)、私もそうだね。申し訳ないけれど、記憶にもない相手だから……うん」

「えぐえぐ、身内が冷たすぎる」

 

 つまり、緑州、黒州は干渉しない、と。

 では赤州は? と目を向ける。

 

「未だ計りかねる、と言っておこう。とりあえず折居(ジェァジュ)一派のことが片付いてから考える。儂にそこまで多くのことを考える頭は無い!」

「赤積君も質が落ちたわね~。私を見習いなさいよ私を!」

「お主を見習ったら赤州どころか天染峰が火の海に包まれそうだわい。……ということで、儂は保留にさせてもらう」

「そうか。承知した。だが、あまり時間はないと思えよ。お前の悪夢……実現する、という可能性もあるのだから」

「……ああ」

 

 では最後に、と。

 進史さんの方へ目を向ける。

 

「……確かにお前を新帝として認めはした。代理人として。だが、……こればかりは、青清君の意見を仰がねば、何も言えない」

「だろうな。なら青州も保留か」

「そうなる」

「ただ……一つだけ、聞かせてほしい」

 

 声が真剣だった。神妙だったのかもしれない。

 

「お前はもう、青宮城へは帰ってこないのか?」

「……」

 

 ま。

 そこ、だよな。進史さん的に気になるのは。

 鈴李の気持ちの問題もあるし、青宮廷との繋がりだってある。それを……たったの数日で断つのか。

 

 その問いには。

 

「元より倉庫だ。好きに潰せ」

「……っ!」

「以上だ。これより先は新帝同盟の会議。参加の意を示さなかった者は立ち退いてもらう」

 

 色々あるさ、私にだって。

 雨妃にも会いたいし、祭唄や夜雀とのあれそれもある。

 

 だけど……本当に時間が無い事を、私は知っているから。

 

 だから、背を向けるのだ。

 

「達者でな、と。青清君に、伝えておいてくれ」

「……ああ」

 

 同調の意を示さん限りは、女帝には近づいてはならないのさ。

 

 

 

 人が減ってすっきりした黄宮廷。

 そこからさらに北……と私が勝手に名付けているだけの方向へ向かって、辿り着く。

 

「ここが結衣の霊廟ねぇ。……まずは掃除から、かしら」

「その前に!!」

 

 今より我が城となるここ。

 そこへ足を踏み入れようとした瞬間、結衣からストップがかかった。

 

「なんだ」

「なんだ。じゃないでしょ!? 魂を舐めさせてくれる! それが条件の一つ!!」

「ああ。……そういえば」

「そういえば、じゃない! それが楽しみであんな茶番に付き合ってたんだから! あ、どうせなら桃湯もどう?」

「……普段なら遠慮しておくわ、と言うのだけど……実際、興味はあるのよね」

 

 そんなにか。

 

 一応、同じようなものを見ているのだろう鬼や玻璃へと目を向ければ。

 

「まぁ、美味しそうであることは認めるよ。私も鬼だからね」

「純正なる鬼ではない私から見ても、あなたの魂は綺麗だよ」

「美味そうだけど、美味そう過ぎて怖いって感じだなー。釣りの気分。俺が魚になったって視点で」

「……意見は控えさせていただきます」

「んだよ濁戒、素直になりゃいいのにさー」

「私はあなたほど己を省みることができないわけではありませんので」

 

 ああそういえば。

 奔迹と濁戒は、同期鬼か。なんか仲良さそうだな。

 

「結衣。どの道ここは使っていいのでしょう?」

「ん、ええ。まぁ、好きにして」

「じゃあ掃除と、一部住みやすいよう作り替えるわ。蓬音とそこの鬼四人、手伝いなさい」

「……凛凛。私達はともかく、陽弥は一応元帝だよ」

「だから何よ。今更敬意を払えって?」

「いや、切り替えが早いなぁ、と」

 

 実際。

 スケジュール管理とか、『継草(連絡網)』とか……凛凛さんがいてくれて本当に良かったな、って。

 掃除とリフォームを自ら買って出てくれるところもそうだけど、面倒見がいいというかなんというか。本人に言ったら「あ、当たり前でしょ! 最年長なんだし!」とかってそっぽ向かれて、年長者なのに何もできない鬼組が居心地悪くなるんだろうなぁ、って。

 

「それじゃ、私と桃湯と祆蘭は奥で」

「信用はしていますが、酔ってしまう、ということも考えられますので、私も同行しますよ」

「そう……ね。それは良いと思う。これほど甘美な香りの魂は初めてだから……自制ができていないと思ったら、容赦なくお願いするわ」

「はい」

 

 結衣により姫抱き、ではなく俵抱きにされる。

 いやあの、私一応新帝で。女帝で。そんな荷物みたいに。

 

 うわー。

 

 

 

 その。

 これをR18、あるいはR15と表現すべきなのかどうかはわからない光景が……頭上で繰り広げられている。

 

 恍惚の表情で舌を伸ばす二人の美女。だけど、そこには何もない。私の魂があるらしいのだけど、頭上数厘米(cm)のところを熱心にぺろぺろしているばかりで……感触は一切ない。

 不快感がある、との話だったけど、本当に一切だ。

 

 ──恐らく、魂が大きすぎるせいで、多少舐められた程度では感覚として返ってこないのだろうな。

 ──本来舐められているはずだからか、唾液がぼとぼと落ちてきているねぇ。媧、鬼の唾液に何か害は?

 ──無いな。まぁ穢れは含まれているだろうが。あとで流水で頭を洗っておけ。

 

「美味しい、のか?」

「と~~っても。……あふぅ、溶けちゃいそう……だし、実際に弛緩するような感じがあるわ……夢みたい。食べてみたら、どんな味がするのか……あ、ちょっと痛い、冗談よ冗談!」

「まったく、油断も隙もない……。けど、本当に……美味しいわ。舐めているだけでここまで満たされる魂は初めて。……甘くて濃くて、深くて……」

「……私にも見えているわけですけど、実は私も舐められる、とかないでしょうか」

「やってみれば~?」

「やってみます!」

 

 ぺろり、と。

 玻璃の舌が、頭頂付近を掠める。

 

「……ダメでした」

「鬼の特権ってことねぇ。……ああ美味しい。ね、他のところも舐めて良い?」

「他のところ、というのは?」

「だから、この辺とか」

 

 結衣がパントマイムをする。肩口から、これまた数厘米(cm)離れた空間。……えーっと。

 

「まぁ、いいぞ。特に何も感じないし」

 

 ──そもそもの許容量的に、吾、燧、媧を収容できている時点で感触が無いことは理解できた話じゃろ。……それより、このような淫靡な光景を見せられては、吾らも乳繰り合うしかないじゃろ、媧!

 ──なぁ、私はお前達を裏切ったんだぞ。加えてお前とは……何度も何度も衝突しただろう。……なんなんだ、その態度は。

 ──衝突なんてしたくてしたわけないじゃろ! 吾はずぅっとそちを想っていたのに、吾らの力を輝術師が使って、それをそちに向けるからそうなっていただけで……吾はいつでも媧を想っておったぞよ♪

 ──やれやれ。流石に居心地が悪いね。伏もここに来てくれないものかな。

 

 こういうの、内憂外患っていうのかな。

 意味は違うんだけど、状況は合っているというか。

 

「祆蘭」

「ん?」

「接吻、しませんか?」

「……なぜ?」

「青清君ですよ。あなたに負けて、進史に運ばれて……事のあらましの全てを聞くことになるでしょう。そうなれば当然、私に問い合わせをしてきます」

 

 まぁ、想像に難くない。

 

「そこで! 返事をする代わりに、あなたの新たな接吻顔を送りつけてあげたら、どうなると思いますか?」

「まぁ……怒り狂うんじゃないか」

「ええ、ええ! ですから接吻しましょう。あ、なんだったら肌を重ねるところまで行ってもいいですよ」

「そろそろ私の貞操を青清君の煽りのためだけに使うのはやめないか?」

 

 外患が増えた。

 ……というか長いな。もう良くないか。まだ条件に合致しないのか。

 

「んんん……もう我慢できないっ! ちょっとだけ、ちょっとだけ──甘噛みするだけ!!」

「あ、馬鹿!」

 

 ガチン、と。

 歯の鳴る音がした。

 

 ……?

 

「嘘……なにこれ、なにこれなにこれなにこれ~!? お、美味しい……甘いし、いえ、そんな……味に美しい、って言葉を使うことってあるの? とにかく……あ、あはぁ……あはは……も、もうちょっと」

「馬鹿結衣! 魂の損傷は、存在に傷を……。……祆蘭?」

「ん?」

「なんとも……ないの? 身体に痛みとか……」

「特には。……別に、どこが折れている、ということもないし……なんだ?」

 

 ボンッ、と火の球幼女が出てくる。

 

「じゃからー、元々の許容量が桁違いなんじゃって。湖の水を口に含んだ程度で、湖の水位が下がるわけないじゃろ。吾と燧と媧。華胥の一族の三人を収容してなお余りある器に、際限なく成長し続ける魂。そち達のような一万年も生きていない鬼がいくら頑張って吸ったところで、祆蘭には何の影響も与えられぬぞよ」

「……食べ放題、ってこと?」

「ま、そうじゃな。その前にそちは満腹になるじゃろうが。……そっちの鬼は、……四倍ほどの許容量がありそうじゃが、満腹になったところで祆蘭は気付きもせんじゃろな。州君らの中身の薄い魂と一緒にするでない。祆蘭の魂は質が違うんじゃよ質が!」

 

 ごくり、と。

 鬼二人の喉が鳴る。

 

 ──媧。祝はこう言っているが、流石にそこまで食われたら。

 ──ふむ。……今総量を見ているが、どうにも嘘はないようだな。祝、どうして気付けた?

 ──そちは祆蘭の中にいるから気付けぬだけぞよ! 外から見れば、祆蘭の魂の異質さに気付けるはずぞよ~。

 

 いつの間にか私の中に戻ってきていた祝が自慢げに話す。

 ええと。

 んーと?

 

「まぁ……鬼子母神曰く、害にすらならない、とのことだから、いいぞ」

「ちょっと、ダメよ! 結衣は本当に節操がないんだから、そんな許可しちゃ──」

「やた! じゃ、遠慮なく!!」

 

 ばっくん、と。大口を開けてから閉じられた彼女の口。痛みは特にない。

 逆に……結衣が、ぱたりと倒れた。

 

「……大丈夫か? 幸せそうな顔はしているが」

「多分、上限情報を食らったのと同じ現象でしょうね。……舐めているだけでもあれだけ複雑な味だったのに、一口でいこうとするから……味を処理しきれなくなって倒れたのよ」

「へぇ……新しい鬼の倒し方だな」

「桃湯♪」

 

 玻璃に名前を呼ばれ、びくぅと肩を跳ねさせる桃湯。

 

「あなたは魂を食べる時に、弓を使いましたよね」

「え……ええ。そうだけど」

「そういえば最近、新しい楽器……弓に似た、けれど違うものを貰った、とはしゃいでいましたね。練習もしていました」

「ちょ、あの」

「音さえ弾き出せれば、魂を食べることは可能なのでしょう? ──どうですか? 頂いた楽器で、練習した楽曲で、魂をご馳走になる、というのは」

 

 いやまぁとんでもない仇返しには聞こえるけど。

 実際何の被害も無いので、好きにしたら? という感覚ではある。これで少しでも疲労なり苦痛なりを覚えていたら断ったのだけど、本気でなんともない。

 

「練習してくれたのか。というか、はしゃいでくれたのか」

「そ、そんなことはしてな──」

「見て、見て、と。見てください、祆蘭が私のために楽器を作ってくれて、と。あなたも見えるでしょう? 美しい音を奏でるんですよ、と」

「わかりました! わかったからその口を閉じて! ……曲を弾いて、食べる。……ほ、本当にいいのね? 恩……だとは思っていないけれど、鬼に魂を食べられるのは、敵対することに等しい行為よ? わかっているの!?」

「なんで私がお前に怒られているんだ。まぁわかっている。少しでも苦痛なり疲労なりを覚えたら、ちゃんと反応する。……それより玻璃、いつぞやの再現輝術でその時の桃湯を」

「はい、食べます。食べるから。はいはい食べるから。そこまで言われたら食べるから!!」

 

 うむ。

 

 ──なんじゃこの鬼。可愛いぞよ。大昔の媧に少し似ているぞよ!

 ──"子"はそれなりにいるが、桃湯は中でも指折りの可愛さだと思っている。あと似てはいない。祝、お前は相変わらず節穴だな。

 ──自分たちの首魁である新帝の魂が食べられる、という現場にあって、呑気だねえ君達は。ちなみに祝に視覚器官は存在しないから節穴も何も、だと思うけれど。

 ──うるさいぞよお邪魔虫。吾と媧の会話に入ってくるでないわ。

 ──うるさいぞ役立たず。揚げ足取りをし続けるようであれば、祝と協力してでもお前の意識を最小限にまで封じ込めるぞ。

 ──おお! 共同作業じゃな、媧! 是非やろうぞよ!!

 

 うむ。

 ……好きにしてくれ。私はもうキャパオーバーだから。

 

 桃湯のヒーリングミュージックでも聞いて、ここのところの疲れを癒すとしよう。

 

 

 風が吹く。

 あの時は生暖かいとしか感じなかったそれは、けれど……今は、人肌の温もりか何かのように思えてきた。

 

 それが、私から何か掠め取っていく。

 青と碧。黄に赤に、黒と白。

 

 曲は聞いたことのないもの。胡弓との違いもあってか、多少の練度的差異はあれど……うん、製作者の私より段違いに巧いな。

 

 音に耳を傾ける。目を瞑って、音から連想する世界を脳裏に浮かべる。

 

 円を描くような蒼穹。一本の木。なだらかな丘となっているそこから伸びるは、すすき野原。

 それが途切れる場所にあるのは……湖、だろうか。ああいや、この丘自体が湖に浮かぶ小島なのだ。

 

 時間帯は夕刻。だというのに空が青いから、ここが夢幻であるということを伝えてくれる。

 遠くの空は赤紫で、さらに向こうは夜闇の黒で。

 不思議なことに、星々も太陽も無いその天蓋は、雲一つない天膜からは、けれど光芒が……エンジェルラダーが降りてきている。

 

 実際に階梯なのかもしれない。

 だって……誰かがそれを、上っていっているのが見えるから。

 

 天へと手をかける者。

 私はそれが誰なのかを知っている。だから、声をかけようとして。

 

 夢幻が消え去った。というか音楽が止まった。

 

「……ごめんなさい。……もう、お腹が、いっぱい……」

「祆蘭、苦痛や疲れは?」

「特には。……お前、結衣のことを馬鹿にしておいて、自分もか?」

「いいえ……ちゃんと、処理できる範囲で少しずつ食べたのだけど……その……美味しすぎて、久しぶりの甘美過ぎて……食べる手を、弾く指を止められなくて」

 

 ごろんと倒れる美女二人。

 ううん。

 

「まぁ、このままにしておくか。玻璃、二人を見ておいてくれ」

「あら、どこかへ行くのですか?」

「凛凛さん達の掃除を手伝ってくる。家主になるんだ、それくらいはしないとな」

 

 というか家の修繕とか、それこそ私の領分だし。

 霊廟にも木工は必要だろう、ということでね。

 

「……働き者ですね」

「そう思うなら駄賃か褒美か、何か考えてくれていてもいいぞ~」

 

 貧乏暇あり。別に今貧乏じゃないけど、暇があったら動くのさ。

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