女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第九十五話「シャドーボックス」

 そうして、「それ」が発表される。

 玻璃、及び陽弥より触れの形で出されたものは、二人の用意した兵一人に勝たば、帝の座を譲渡する、というシンプルなもの。

 加えて──その兵とは楽土より帰りし神子であると、その場で言ってのけてしまった。これは私の想定外だったけど、そっちの方が余計な気を起こす者が減って良いのだとか。

 

「良かったのですか? 要人護衛二人を青州へ帰してしまって」

「こちらにいると、立場が難しいからな。帝となった時、改めて雇うさ」

「そうですか。……ところで、祆蘭」

「ん?」

「勝敗は関係なくてよいのですが……他の州君を下したあと、私とも戦っていただけませんか?」

 

 ……んー。

 まぁ、願ってもない話ではあるが。

 

「黄州の民を納得させるため、という建前はいいとして、本音は?」

「あなたの魂は、日に日に美しくなっていっています。間近で見たい、と思うのは……不思議なことでしょうか」

「さぁ。私はお前の楽土出身じゃないし、盲目でもないからな。不思議かどうかは知らんさ。だが、構わん。四州君を下したあとに、踊ろうか」

「ええ」

 

 墓祭りでも使われていた「お披露目の場」が「試合会場」に改造されて行くところを見届ける。本来玻璃は人前ではもっと厳かな口調なので、本当に小声で。しかも私の姿を隠した状態で喋っているとか。

 だから。

 

「母に祆蘭よ。……その、もう少し、施工者たちから目を逸らしてはくれないかな」

「なぜですか?」

「緊張してしまっている。私はよく視察に行くから問題は無いけれど、母は違う。滅多に顔を見せず、見せる時は我関せずでどこかへ浮いていく母が、此度の施工をまじまじと見つめている、というのは……」

「いいじゃないか。手抜き工事がないのは良い事だ」

「それはそうなのだけどね……」

 

 ここが黄州だからか、あるいはこの場に私と玻璃しかいないからか。

 強者の気配を漂わせる陽弥はどこにもいない。いるのはただの苦労人だ。……いやほんと、まぁ裏でやることやってたとはいえ、十一年間あの州君たちを相手にし続けて来て……お疲れ様というかなんというか。

 

「しかし、赤積君は来るのかな。正直今は自州のことで手一杯になりそうなものだけど」

「だからこそ、見習い三人娘やら何やらがその背を押すだろうさ。帝のいる州を赤州へと戻してから諸事情を解決しろ、とな」

「そのようなものか。……黒州はあの二人がなんとかするだろうからいいとして……緑涼君は、相手があなただと知れば、辞退する、ということもあるんじゃないかな」

「前にも言ったが、今の緑涼君は発言権がない。民に慕われているというだけで、政に口を出せるほどじゃない。とあらば、絶対に来る。やる気であるかどうかはともかく、来はする。……加減をしてくれるのならばそれでもいいさ。私は容赦なくやるつもりだ」

 

 だからまぁ、一番悩むのは鈴李なんだろうなぁ、って。

 もちろん来ないという選択肢はない。だけど、そのために私を痛めつけるのは……とか、めちゃくちゃ迷ってそう。

 

「悪い顔をしていますね。見えませんが、わかりますよ」

「あいつは心のどこかで私を庇護対象に見ているからな。鼻を明かしてやるつもりだよ」

「先ほどの母と戦う、という話もそうだけど、四州君全員を軽々と下す気でいる、というのが……私には信じられないよ」

「なんだ、虚言に聞こえるか?」

「聞こえないから恐ろしい。遮光鉱を使う気はないのだろう?」

「当然だ。というかそれで勝つと、平民の蜂起が怖い。弾圧されるにせよなんにせよ、余計な血が流れるだけだ。この形式にした意味がなくなる」

 

 御前試合は天染峰全土に中継されるそうで。才華競演であった中継ディスプレイみたいなやつが、各所に展開されるらしい。現地入りできるのは選ばれた貴族のみで、たとえ黄宮廷の貴族であっても御前試合を生で見るのは難しいのだとか。ライブかな? アリーナー! とでも叫んでやろうか。

 

 とまぁ、雑談はこれくらいにして。

 

「本当にやりにくそうだ。奥に下がってやろう」

「あらあら。なんだかんだ言って優しいですね、祆蘭は」

「助かるよ、新帝」

「もう少しばかり苦労をかけるぞ、現帝」

 

 軽口を叩いて。

 奥に……というか、そのままの足で黄金城へ連れ去られる。足で、というか浮遊して、なんだけど。

 

 ただし、黄金城も今リフォームの真っ最中だ。リフォームっていうか掃除っていうか。

 もうすぐまた浮上する予定だからな、この城も。だから使えるようにしなければいけない。

 

 と言っても天守閣には誰も入ってこないので、そのまま私は例のファンシーな……パステルカラーな部屋へと通された。

 

 通されて、開口一番。

 

「……残念です」

「え、何が?」

「見られないのが、です。……此度ほど盲目を呪ったことはありません。あなたの勇姿をこの目に焼き付けられないことが悲しい……」

「まー……どう、なんだ? 中継を再度輝絵情報に戻すことで、お前の脳にぶち込む、とかはできないのか?」

「そもそも眼球機能が失われている、というのはそうなのですが、色を認識する部分も壊れてしまっているようで……。勿論記憶にある色はわかりますが、輝絵の情報も白黒に見えるのです。……まぁそれでも十分なので、誰かにやってもらいますか……」

 

 ふむ。

 ……ふぅむ。

 

 今日のモノ作り、何にしようか、って考えてたんだよな。あんまり試合結果に影響を及ぼすようなものは作りたくないし、けどなんか作らないと落ち着かないし、って。三泊四日も温泉旅行をしてきただけに、いやまぁ途中で作ったものはあったとはいえ、本業が。

 

 だから……前に約束したものでも作るか。

 

「シャドーボックスをな、作ろうと思っている」

「……聞き取れませんでしたが、音の響きからして、いつか私に作ってくれる、と約束していただいたもの……ですね?」

「ああ」

 

 といっても私に絵の才はない。だから今並か祭唄がいると助かったのだが。

 

「知り合いに絵の上手い奴はいるか?」

「絵画でしたら、陽弥の趣味だったはずですよ」

「え……あいつ、絵なんか描くのか」

「私も知った時には驚いたものですが、今になって話を聞き直せば、昔はそれくらいしかやることがなかった、とかで」

 

 ああ。そうか、帝になる前は……暗躍していたとはいえ、暇していたわけだし。

 信念もないからそれにくべる薪も無くて、むやみやたらに趣味を増やしていた感じのアレか。長寿だとそうなりがちだよな、何かと。

 

「あの時の話を思い出すに……もしや、陽弥の描いた絵を、私が見る、ということができるのですか?」

「少し違うが、概ねそうだ」

「あらあらまぁまぁ……! ではすぐに陽弥を呼んできましょう。ええ、それは……ふふふ、私達親子にとって、とっても嬉しい事ですから」

 

 とか言って、ぴゅーんと飛んで行ってしまう玻璃。

 ……せめて材料とか生成してから行ってほしかったな。手持ち無沙汰になるじゃない──。

 

「連れて来ました!」

「母よ、母よ、何か嬉しいことがあったのはわかるが、今は色々な体裁が」

 

 早。

 

 

 と言っても、今までの工作ほど大層な仕掛けはない。

 陽弥の描いた絵を斬り刻んでいくだけの作業だ。

 

「……色々と思うところがあるね」

「安心しろ、悪いようにはせん」

「己の描いた絵に刃物を突き立てられる、ということが悪い事でないのならば、まぁ、大抵のことは悪い事ではなくなるね」

「安心しろ、今までお前のやってきた悪事に比べれば大したことはない」

「……何も言い返せないよ」

 

 禁止カードか、流石に。

 

 シャドーボックス。あるいはシャドーアートは、何が奥にあるか、何が手前にあるのかを理解すればそれだけでいい。

 此度陽弥が持ってきた絵は、黄宮廷と浮いていた頃の黄金城を全て収めた絵。陽弥が帝となる前に描いた一品だそうで、なるほど「絵を描いている」というだけの腕はある、と言った感じだ。……デザインのできないやつが何言ってんだか。

 

 さて、シャドーボックスで活躍するもの。

 それは工具の鑢……ではなく、鱗木(リンムゥ)である。今潮に教えられてからというもの、要所要所で使って来たこれ。元が植物であるから画材との相性も良く、細かい所を削りに行けるのでアートそのものとも相性がいい。

 これを使い、斬り刻んだ絵画のフチを綺麗にしていく。余計な切り欠きやバリがないよう、じっくりと。

 また、切ったパーツごとに断面を塗ることも忘れない。細かい話だけど、塗っていない断面は目立つからな。基本的には輪郭と同じ色で断面を塗る。影となる部分は少しだけ濃い色に変える。変え過ぎないのがポイント。

 

 パーツ裏には三重にした竹の皮を貼り付ける。クッション材兼厚みを作るためのもの。糊と竹の皮は相性がそこまで良くないので、時間があるならお手製和紙の方が良い。今持ってきてないから竹で。

 あとはこれらパーツを奥から順に並べて行くだけ。重ねて行くだけ。

 

「本当に……器用なものだね」

「ん? 今更だな」

「その器用さは生来のものなのかな。それとも、楽土の頃から?」

「楽土の頃からだなー。なんならこれ自体も楽土で作った経験があるよ。……私のいた楽土では、巨大なものを作るには専用の資格が必要だった。だから、私のような素人はこういう小物ばかりを作っていたのさ」

「ものを作るのに資格、ですか。……私のいた楽土では考えられない話ですね。そもそも私の楽土では、モノ作り自体が廃れた行為ではありましたが」

 

 そういえばそんなことを言っていたな。

 なんかディストピアみたいな世界だった、って。パステルカラーのメルヒェンのディストピア。

 

「望めば全てのものが手に入り、描けばあらゆるものが実現する。その代わりに他者と触れ合うことはほとんどなく、その一生が終わるまで"他者"が"隣人"であったことに気付けない世界……だったか」

「ええ、よく覚えていますね。……あなたの楽土は、どんなところと言っていましたか」

「立ち並ぶ石と鉄の塔。地もまた石で塗り固められ、その上を……六十公理(km)を一刻で駆け抜ける鉄の塊が跋扈し、その隙間を縫って十万程の平民が下を向いて歩く。黒の衣に身を包んだ彼らの明日に光は無く、ただ今日をどう生きるかに必死で余裕も消える。孤独ではなくなる道具を楽土全土に普及させた結果、人間というものの悪意が露呈し、手が付けられなくなった。人々は日々、当たり前のように悪意を他者へぶつけ、その鬱憤をまた他者へぶつけることで生き繋ぐ。孤独さを消す道具はそれほどに中毒性があり、快楽を生じさせ、依存性の高いものだったんだ」

「……ええと」

「それが、あなたのいた、楽土」

「ハ。……真に受けすぎだ、莫迦者。これは悪い面をより悪く言っただけだよ」

 

 そんなものだろ、インターネットの普及って。

 

「良い面もあったさ。平民の全てが情報伝達を使うことができる。それは技術力を飛躍的に向上させ、天染峰の何千倍も何万倍も広い土地にあってなお、誰も彼もが繋がり得た。それは……先に述べた悪い面も呼んだけれど、奇跡のような出会いを生むこともあった。普通に生きていれば会わざる者であった他者が、隣人となったのさ」

 

 それがまさに私と親友だ。その妻も。

 普通に生きていれば……まず出会わなかったやつだしな。

 

「ただ、やはりヒトというのは悪意の方が強い。私もまた悪意に踊らされた人間の一人だった。それに屈しまいと意地を張って、そうして最期を迎えた。……もう少し我が身を省みていれば、などという分岐(IF)を考えたことがないと言えば嘘になるが、ふん、悔いはないさ。私も私を殺した者も、同様に被害者で、同様に弱かった。強かに生きる術を知らなかった。……ガキだったのさ、どこまで行っても」

 

 私は悪くないから、態度に出す必要はない、などと。

 その場しのぎにでも謝る態度を見せておけば、あるいは、などと。

 

 くだらんくだらん。それもまた摂理だろうさ。そのIFを考えるのなら、あんな会社に入らなければ、になるし、あんな大学に行かなければ、になるし。

 人生にIFなんてないよ。全てが地続きだ。だからやり直しという言葉はくだらない。そうだろう、大親友。

 

「お前は、どうやって死んだんだ、玻璃」

「……。そこは、そうですね。核心ですよ」

「なに?」

()()()()()()()()()と言えば……今まで私があなたに言ってきた言葉の意味、わかりますか?」

 

 ──……。

 ああ。そう、なのか。

 

 媧。……そうなのか?

 

 ──まぁ。……そうだな。今までの楽土より帰りし神子は、死んでいない。気付いたらここにいた、というものばかりだった。

 ──私はそれほど多くの楽土より帰りし神子を見たことがあるわけではないけれど、少なくとも彼ら彼女らは死を極当然のように恐れていたと思うよ。

 

「いいさ。良い話が聞けた。であればなおさらに、この道を突っ走る意義ができたというものだ」

 

 シャドーボックス。立体感のある絵は、次第に完成していく。

 最初は私の話の方へ興味を向けていた玻璃も、次第に絵の方を注視していくようになって──そして。

 

「完成した。……どうだ、見えるか」

「……」

「母よ……()()()()()()()()()()()?」

 

 ん。

 顔布があったからか。ようやく……ようやく滴り落ちて来たそれに気付くことができた。

 

 ぽと、ぽとと。

 

「……己で、何もかもを……判断するべきでは、ありませんね」

「何の話だ」

「色です。……見えます。見えますよ、祆蘭、陽弥。……色を判断する機能が壊れているなどと……ふふっ、お笑い種でした。……見えます。ああ……これが、黄宮廷。黄金城。そして……この世の空の色」

 

 陽弥が玻璃を抱きしめる。

 抱きしめ返す彼女の姿を見て……少しだけ。

 

 いいじゃないか。偽りの親子だとして、そこに愛があるのなら。

 そんなもののない本物より、よっぽど、だよ。

 

 ……しかし、何が違うんだろう。

 扇子やオイルタイマーだって私が着色している。それとこれは、何が違う?

 それとも単純に私の力が強くなった的なあれそれか? 実際結衣曰く日に日に美味しそうになっていっているらしいしなぁ。

 

「そうとわかれば、だ。陽弥」

「……ああ、そうだね」

「この帝になる関連の騒動が終わった後は、もっとたくさんの絵を描いてやれ。お前が玻璃に見せたいと思う景色を。あるいはお前の想像した絵でもいい。帝となれば、色々環境も変わるだろうからな。色々な時間を玻璃に費やしてやるのも悪くはないさ」

「ふふ……それでは、青清君にまた嫉妬されてしまいますね」

「わざとさせているくせに、今更だろう」

 

 未だ泣き止まない様子の玻璃に、なんというか……こいつもちゃんと人間だったんだなぁ、なんて感想を抱く。

 いや、浮世離れしていたからさ。どうしても……色々、別枠に思えていたけれど。

 

 本当にちゃんと、って感じでいいね。

 

 それじゃあ、あとは。

 

 

 

 御前試合。その会場に立つ。

 選び抜かれた貴族と言えど、噂話は絶えないようで。「平民じゃないか」とか「だが楽土より帰りし神子だと言われている」とか「輝術も無しに州君を……?」とか「とんだ見世物もあったものだ」とか、色々言われている。

 

 けれどその喧噪も、彼らが現れたことで一気に静まり返るものとなった。

 

「なんだ、お前達。仲良しだな。四州君揃い踏みとは」

「久しぶりだね、小祆。……顔は、伏せないんだね」

「必要があるか? これより下す相手だぞ」

「ブァッハッハッハ! 陽弥の坊が触れを出した時は何事かと思ったが、どうやら本気らしい。お主には絶大なる借りがあるが、それはそれ、これはこれだ。容赦はせぬが、良いのだな」

「余裕も大概にしておけ老骨。衰えた武人になど負けるものかよ」

 

 好戦的な二人と……反面、少ししんみりというかどんよりしている二人。

 

「緑涼君も、久方ぶりだな。私と戦うのは嫌か?」

「いやに決まってるだろ。おれにとっても君は大恩ある存在だし、なにより子供だ。……甚振りたいとは、到底思えない」

「舐め腐ってくれるものだ。お前が必ず勝てると言わんばかりの言動は、流石の私も腹を立てるぞ」

「……祆蘭」

「おっと、緑涼君よりもさらに辛気臭いやつがいたな。──青清君。私と戦うのは、嫌か」

 

 彼女が……鈴李が、「当然だ」と口を開きかけたその瞬間。

 

 黄宮廷全てを覆い尽くす範囲で、剣気を放つ。

 

「……!」

「帝の座。欲さぬ者は下がれ。消えろ。今私は、元黄征君(オウヂォンクン)玻璃、及び現帝陽弥(ヤンミィ)の代理としてここに立っている。心配も愚弄も、そのまま二人に向かうものと知れ」

 

 思わず輝術を放つ態勢になってしまった者。剣や弓などを抜きかけた者。大量の冷や汗をかきはじめた者。

 莫迦者め。莫迦者たちめ。

 

 現帝が出した触れだぞ。

 見世物であるものかよ。

 

「ぶ……ブァッハッ、ハッハッハッハ!! 良い! 良い剣気だ!! であれば儂も、本気で行くとしよう!!」

「初手はお前か。お前は何の駒だ、赤積君」

「そうさな、(ピン)であろうよ。四州君の中で最も弱き者。だが! 我が意挫かん障害あるというのなら! この斧槍で、全てを撃ち砕こうというもの!!」

 

 新調したらしい斧槍を大きく振るう赤積君。

 その風圧だけで死人が出そうな勢いだ。

 

「黒州、緑州、青州! 先鋒は貰うが、良いか? 儂で終わる可能性も十二分にあるぞ?」

「弱腰じゃあないか赤積君。可能性、とは。平民の小娘一人を叩き潰すのに、お前で終わらせる気概さえないとは──かかってこいよ、腰抜け。そちらが挑む側であることを思い知らせてやる」

 

 身を叩きつけるは威圧。

 いや……これは、闘志かな。

 

 否を唱える州君はいなかった。

 それぞれがそれぞれ、試合会場に張られた結界の外へと出て行く。玻璃の張った、本気の結界。間違っても州君の輝術が貴族に向かないようにするためのものであり、そして外部からの干渉を受けないようにするためのものだ。

 

 真実、この場には二人だけ。

 

「名乗りは必要か、勇迅(ヨンシュン)

「その名で呼ぶのであれば、必要だとも。──儂は赤州(チィシュウ)が州君、赤積君(チィジークン)! では問おうか! 平民の小娘よ、お主の名はなんぞや!」

「祆蘭。全ての者の前で火を持つ者。天を示す者。幽谷の狭間にて、清逸を恣にする者の名だ」

 

 銅鑼が鳴らされる。

 試合開始の合図は──その直後、私と彼の立ち位置を変える結果となった。

 

 結界へと押し付けられた私と押し付けた赤積君。

 ただし……私は結界に足を向けていて、彼はその左腹を手で押さえている。

 

 何が起きたのかを判断でき……ない者は、いない。ここにいるのは輝術師だけだから。いるとしたら、中継で見ている平民くらいだろう。

 

「儂が……お主を殴り飛ばす前提の、姿勢……! 加えて、それはなんだ……!」

「ん? ただのトンカチだが。ハ、痛かったか? 脆弱な身体だな。その筋肉は見せかけとみた」

 

 だから次はこちらの番。結界を蹴って赤積君へ肉迫し、丸太のような腕へ纏わりつく。

 それを振り払おうとする赤積君は、けれど顔を歪める。声を上げなかっただけ充分だ。

 

 激痛、だっただろうから。

 

 いつまでも張り付いていられるほど私に腕力が無いので、そのまま弾き飛ばされる。

 

「それなりの力で殴打したのだがなぁ、腐っても州君か?」

「っ……!」

 

 肘の内側。軟骨の関係で、関節の一部が皮膚を突く場所。

 俗に言う痴漢撃退スポットと呼ばれるポイントの一つ。そこをハンマーで殴打されたのだ、脂汗で済むのがおかしいのだけど、まぁそんなことを言ったって全てが今更。

 というより、赤積君としては「そんなことより」だろう。

 

「お主……どういう、理屈だ」

「何がだ」

「輝術の気配はない。穢れでもない。……なればお主は、どういう理屈で──天に立っている!」

「言っただろう。私は祆蘭。天を示す者。名に天を有する私が天に立てなくてどうする」

 

 立っている。正確には結界に。

 そして、サカサマに。

 

 無論このままでも良かったのだけど、頭に血が昇るので降りる。

 さて。

 

「私は未だ無傷だぞ、ご老体。武の州君の名が泣こうよ」

「……()との戦いでは、手を抜いていたとでも?」

「いいや。しっかりとお前が弱いというだけだ」

 

 (ピン)など烏滸がましい。

 お前は駒ですらないよ。何者にも成れぬのならな。

 

 

 

 戦いは続いている。

 だけど、観客は……そのあり得なさに、口を閉じることが適わなくなってきている。

 

 傷を負う。疵を負う。創を負う。

 斧槍が振るわれるたびに、少女へと巨漢が肉迫するたびに、凄まじい輝術が使われるたびに。

 

 赤積君が、傷を負っていく。

 

「武、のみならずか! まったく、なんだ、お主のその危機察知能力は! 輝術だぞ! 儂のは他の州君より些か劣るものとはいえ、輝術! それを避けるだけでなく、剰え──」

 

 飛んできた斬撃に()()()()()()()()()

 私を圧し潰そうとする輝術の壁を()()()反撃のチャンスにする。

 とうとう生成してきた炎を、氷を、風を──全て避ける。避ける上に、そのコントロールを奪ったと言わんばかりに赤積君へぶつける。

 

「嘆かわしいことではあるのだろうな」

「……何がだ」

「たかだか八千年で知識の継承が途切れた事、だ」

 

 あの組成の赤積君は、輝術がなんであるかを知っていた。

 今の私も知っている。

 

 だけど、祭唄や赤積君は知らない。

 知らない内は……私には、勝てない。

 

「もっとわかりやすくしてもいい」

 

 鋸を腰に佩き直し。

 小物入れにトンカチを入れて。

 

 凛凛さんの包帯だけを右拳に巻いて……ファイティングポーズを取る。

 

 唖然としたのは赤積君だけじゃない。観客や、州君たちまでもが目を瞠っている。

 

「……その状態は、それこそ奴にずたぼろにされた時と同じであろう」

「だがお前は奴ではない。そうだろう?」

「……」

 

 ふぅーっと。

 大きく深呼吸をする赤積君。思うところはたくさんあるのだろう。あるいは体裁を一瞬でも気にしたのかもしれない。

 己の斧槍を見て……けれど、離さなかった。

 

 離さなかったのだ。

 

「儂のあらん限りを、この一撃に込めよう。娘子の一人であれば、肉片すらも残らぬ威力となる」

「そうか。つまり、肌に止まった羽虫を叩き潰す程の威力、ということだな」

「……ブァッハッハッハ!! そうさ! そうだとも──なれば、儂は全力で羽虫を潰しにかかろうさ!!」

 

 踏み込みとか、予備動作とか、そういう話じゃない。

 気付けば目の前にいた彼は、気付けば斧槍を振り下ろしていて。

 

 だから気付けば──その斧槍が、()()()()()()()()のである。

 

「娘子。お主と儂の違いは?」

「自己信頼」

「ハ……ハッハ。なるほど……それは勝てぬわけだ」

 

 柄だけになったそれをカラァンと捨てて。

 それでも、と向かってくる赤積君を殴る。その顔面を、思いっきり殴り飛ばす。

 激しい音がした。あるいは鼻の骨が折れているくらいの音はしただろう。

 

 そうして大きく吹き飛んだのは、赤積君の方。私は微動だにせず、彼の方がぶっ飛んで……結界に磔となる。

 

 ……タフだな。まだ意識があるか。

 なら、と……すたすた歩いていって。

 

 顎を蹴る。うん、こっちの足が痛いな。

 

 でもまぁそれで、ようやく落ちてくれた。

 

「御前試合、第一。現帝代理、祆蘭対赤積君の戦いは──」

 

 あ、実況いたんだ、なんて感想を抱きつつ、インターバルのために宮の方へ……玻璃と陽弥のいる方へ帰っていく。結界は玻璃が開けてくれた。

 

「──祆蘭の、勝利です!!」

 

 歓声なんだか怒号なんだかわからんものを背にして。

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