女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
天染峰の植生はよくわからない。
結衣の霊廟上にある山。そこに生えている木々は多種多様。その中でも驚くべきものがあったので、葉を数枚拝借して持ってきた。
ヤシの木である。
久方振りの、結衣に連れられての飛翔。左腕に巻いている凛凛さんの包帯がバタバタしてうるさいので、首にでも巻いておく。むち打ち対策兼工具引っ掛け場所。
「この高速の中でよくそんなに手を動かせるものね」
「まぁな。もう慣れた」
草を編む。葉を編む。
長方形に切ったヤシの葉二枚を用意する。端から七
一枚を腰に巻いて、片方を。そっちが終わったらもう片方を、という風にやっていく。
折り紙手裏剣と同じように四等分したヤシの葉を折り、折り伸ばした先でもう一度手裏剣折り。中央が正方形になるよう調整する。
そこからするするとヤシの葉の滑らかさを利用して「絞り」を加える。互いの切れ込みが重なり合うような位置まで近づけてることができたらOK。
上下でびらびらしている二対八本を持ち上げて織り合わせ、ここも引き絞る。織り合わせられたヤシの葉はパインアップルを思わせる形にまで萎んでいき……ぎゅ、と結べるほどにまでなったらこの工程は終了。
あとは上の方のリボンを纏めて結び、結び目にほど近い部分を斜めにカット。
七厘米ほど残した部分は上向きに反らせて、下の方のリボンはさらに何本もにカットして。カットしたものを鋸の柄に巻きつけてカールを作れば……はい、完成。
「なにそれ。……鳥?」
「
「ふぅん。それがどういう意味を持つの?」
「今は未だ何も。とりあえず降りよう、目的地だから」
降りる。降り立つ。
その場所は──件の旅館、から遠く離れた地。
荒野といって差し支えないその場所に散乱しているのは、人の手足……ではなく。
「……人形?」
「ああ。これが此度、私達に敵対して来た鬼だった。頭蓋に無数の手足がくっついた鬼。聞き覚えは?」
「あるわけないじゃない。……というかそれ、本当に鬼だったわけ? ……知っての通り、鬼は人がなるもの。たかだか人形がなれるものではないの」
「だが、鬼だった。わざわざ桃湯が無関係を示してくる程度には鬼だった。言葉を操り、穢れを発し、私の魂を美味そうだと言ってのけた。……鬼ではないと言えるか?」
「鬼の……能力である可能性は、勿論あると思う。鬼が操っていたものである、とか。けど……これは鬼じゃない。いえ、人ではなかった、というべきかしら」
まぁ、そうだよな。明らかにそうだ。
人が肉体の檻を脱し、信念を以てなるもの。それが鬼。
であれば、この頭蓋と球体関節な手足のくっついた……出来損ない、と表現する以外にないものはなんなのか。
「だが、"
「……人工的に鬼を作る。それが……その亜種が、これ、って?」
「今のところ、私の足りない頭で考えつくのはそれくらいだ。だから鬼の意見が聞きたくてな」
彼女はじぃっと残骸を見る。彼女なりに真面目に考えてくれているのだろう。その口から次に飛び出す言葉がどれほど荒唐無稽なものになるかはわからないけれど、あるいは鬼への理解の深まった私なら、そこも理解できるのではないかと──。
「少し、離れていなさい」
「ん」
理由は聞かないままに下がる。
下がって……それを見届ける。
確か、蝕だったか。結衣の扱う鬼火以外のもの。それらしきものがざわりと溢れ出す。蝕……恐らく腐食。つまり分解の役割を持つ微生物を操っているものと思われるけれど、それで何をするつもりなのか。
「……そう、ね。"
「なぜわかる?」
「あれ、肉塊だったでしょう。……この人形の中にも、ヒトらしき何かの肉片がへばりついてる。……焼けてしまっていて元が何だったのかの断定は難しいけれど、多分ヒト。ヒトの塊。……この身体そのものは、鬼じゃない。けれどこの大きな頭部の中に入っていたものは……」
「なるほど、そういうからくりか」
つまり動力源、と。
……童女人形はその最深部に穢れの主の卵があり、鬼人形は"
ヤシの葉で編んだ鳳凰を見る。
二枚の葉が重なって籠を作り、残った部分は翼として、首とならなかった部分は尾として役に立つ。
「となると、双方が双方に……」
「静かに」
ん。……おっと。本当だ。
何かいるな。地中に。
「
「チ、なんデ気付キやがル。……ああイイ、長ク話スつもりハ無ぇヨ」
地面から顔を出したのは無数のミミズ。それが人の口のような形を取って、軋むような声を上げる。
はぁ、その声本当にどうにかならんものかね。
「おまエの読み通リ、俺たチは帝の庇護下にありナガら、別の目的を持っテ動いてイル。だからコソの情報開示ダ。此度ノ件、俺たチは関わっていなイ」
「ここにいる鬼が、人工的な穢れの主を見た、と言っているが」
「制御ヲ外れタ……正確にいうト、奪われタ奴が一匹いル」
「あくまで故意ではなく、疑いを向けられる筋合いはない、と」
「その理解でいイ」
ふん。桃湯も笈溌も、やけに慎重だな。
そうまでして私に疑われたくない理由でもあるのか?
……以前赤州へ来た時、桃湯は何か暗躍をしていた。前の「帝のいる州」が赤州だったことも含めて、ここは何か特別だったりするのか?
それで……私に余計なことをしてほしくないと。双方私の影響力を……世界への影響力を理解しているから。
「担保を寄越せ」
「はァ?」
「なんでもいい。現状、現帝の下にいるお前達が最も不透明だ。疑うにあまりに適した者が揃っている。証拠含めてな。だから、お前達が関わっていないというのなら、それを証明するものを寄越せ」
「……」
こいつは無駄な争いは避けられるタイプだ。だから、「その程度でいいのならば」と何かを考えているはず。
それが何よりもの証拠だ。こいつらは関わっていない。となると赤州の鬼の単独行動ということになるけど……それもしっくりこない。
"
この二点に繋がるものがこいつらしかいないからだろう。他の勢力がいるのであれば、証拠を示してもらわなければ。
「ほらヨ」
地面が開く。そこから出て来たものは……籠、らしきもの。被っていた土は全てミミズが食って、それらが引いていく。
穢れの気配はない。輝術は知らん。
「私が開けてあげてもいいけど」
「いや、いい」
開ける。開けて……見る。
中にあったものは。
「心臓、か? いや……だが、小さいな」
「最小ノ"
「ああ……そういうことか」
心臓。これは恐らく赤子の……もしかしたら、胎児の心臓。それくらいの大きさのもの。
これが最小サイズの"
だってこれ、
「お前達はこれを作ろうとした。だが、できなかった。それら失敗作は遺棄される予定だったが……別の用途を思いついた。別の用途が見つかった、というべきか」
「俺たチでモ、というベキか」
「はじめにやろうとしたのは、そうだな。そうだろうな。お前達では年齢が合わないものな。……ナルホドナルホド。順序が完全に逆なのか」
「ソれの出所ハ、もう言わズともわかルだろ」
「盗んできたのか?」
「あア。──気付かれねェよう、匣にでモしまっテおくんダな」
その言葉が最後だった。
じゅるりと音を立てて、ミミズが引いていく。……いや。
参ったね。
「今ので全部わかったの?」
「全部とは言えんが、だいたいは。……行くべき場所がある。ついてきてくれるか、結衣」
「勿論行くけれど……説明! どういうことか教えなさい。どこに行くのかも」
「舩に刻みて剣を求む。これもまた剃刀で削ぎ落とせる話だった、ということさ」
ではいくか、と踵を返して。
脇に手を入れられて、持ち上げられた。
「……なんだ」
「なんだ、じゃない。説明しなさいってば! こっちは全然わからないままなの!」
「歩きながらでいいだろう。そこそこ遠いからな」
「ちゃんと……ちゃんと話しなさいよ?」
「ああ」
では。
歩きながら、その「最小の"
「結論から言うと、人工的な鬼、人工的な穢れの主の卵は、どちらもが副産物だ。本来はこの"
「"
「ああ。実際、製作者もその認識だったからな。そうだと信じた。だが、違った」
今そうやって使っているものが、初めからそういう風に使われていたわけではない、ということ。
「……人工的な鬼と劣化"
「同じだよ。"
「単純な……発想?」
そう、シンプルイズベスト。真逆を考えたのだ。
「肉を取り込み死なぬことで取り込んだ穢れを体内で増殖し続ける劣化"
「生きないことで穢れを駆逐し続ける本物の"
「んー、違う。死の逆は生ではなかったのさ。彼らが作ったのは、成長しないことで穢れを放ち続ける本物の"
この小さな心臓はそれだけで生き続けている。何かしらの術がかけられた状態で、生きている。
そして穢れている。穢れに満たされている。だけど死なない。死なないから、穢れを放ち続ける。己のキャパシティをオーバーした穢れを放ち続ける。
彼らはそれを再現しようとした。霊魂として理性なき鬼を作らずとも、穢れを放ち続ける"
製法は従来のものとそこまで変わらない。
違うのは、肉を取り込まないこと。ただそれだけ。だから肥大化しないし、他者の意識を取り込むこともない……はずだった。
「再現できなかった、と言っていただろう。この小さな心臓にかけられた外法を彼らは再現できなかった。だから代わりに、霊魂側だけは従来通りにした。他者の魂を食わせ続け、単なる幽鬼を鬼とする手法。信念無くして鬼を作るそれを最小の"
「人工的な穢れの主の卵?」
「ああ。心臓の形をしていない理由はしらん。赤子の心臓を取り出して生きたままにする、ということができなかったとか、その辺りだろう。──してこれは全く別の扉を開ける。生きているだけの瘤。穢れた瘤。紐付けされているはずの理性なき鬼がどこにいるのかは知らんが、瘤は最小の身で穢れを増幅し続ける。煮詰め続ける」
結果。
「瘤は穢れを放ち始め……ることも、再現できなかった。恐らく紐付けされた理性なき鬼に穢れが渡ったのだろうな。あの瘤を肉体と表現するには些か抵抗があるが、肉体の檻を脱しきれなかった穢れは霊魂を辿って鬼に力を供給する。理性無き鬼に。だから、割ってやる必要が出た」
「……なんていうか、失敗に失敗を重ねた挙句、目的を見失った……みたいに聞こえるんだけど」
「そう言っている。実際、私達が見て来た人工的な穢れの主は大した量の穢れを放っていなかったしな。……ま、こうして出来上がるのが、理性無き鬼にしては知性と果てしない量の穢れを持つナニカと、外部から穢れに晒されなければ己が殻を破ることのできない卵が一つ。"
全部が全部失敗作。だけど彼らは捨てなかった。有効利用した。
そして、此度の鬼と童女が、この失敗作の有効活用品。
フラットに考えずとも、リセットせずとも。
「普通に、一考の余地もなく、何のややこしさもなく──お前が製作者だろう、
何かを必死で探す老人に、声をかけた。
ゆっくりと振り向く。その表情は……ああ、日常の顔をしている。
人を殺すことなど欠片も考えないような、考えた事など一度もないような……そんな顔の老人。
「すまんのぅ、娘さんや。ワシは今、とーっても大切なモノを失くしてしまって、探し物をしておる最中なんじゃ。じゃから工房見学は後日にしてくれぬかのぅ」
「こちらこそすまないな。私の護衛がお前の人形を斬ってしまった。一点ものであったのなら弁償もしよう。赤積君が」
「ほほほ、いやはや、まったくまったく──なんのことかわからんのじゃが」
金属音が鳴り響く。火花が散る。
日常会話のトーンで斬りかかって来た彼の二刀。それを私が鋸で受け止めた音だ。
「しらばっくれる気は無い、と。そう判断していいのか、ご老人」
「良い目をしておるとは思っておったが、これほどとは。ワシ、これでも若い頃は勇士の一人に数えられていたんじゃがのぅ」
「ただの火消しではなかったのか」
「ほっほっほ、
ざぁ、と。蝕が集まっていくのが見える。わかる。
「鬼と平民が仲良しこよしとは、時代も変わったものじゃな」
「これからさらに変わるさ。だから、いつまでも過去にしがみついているのはよせよ、ご老体」
「……ほほ」
痛みが来たのは吹き飛ばされた後だった。いや、木に叩きつけられて、そちらの痛みを覚えてからようやく、くらいだ。
蹴られた、らしい。……痛ったいな。老人の脚力じゃないだろう。
加えて二刀にあれほど力を込めている上で……重心があそこまでこちらにある状態で、こんな蹴りを繰り出せるのか。
「丁度いいわ。そこで寝ていなさいな」
「……断るよ」
吐血はない。内臓はやられていないのだろう。やはり子供の身、軽いからな、余計なダメージが入らない。
ただ……ああ。
少し。
「ほっほっほ!
砂塵よりも細やかで黒い粒……蝕が折居へと殺到する。彼だけじゃない、彼の工房へも、だ。
けれど、それを押し留めるものがあった。
手だ。無数の。数えきれないほどの。
いや……手、だけじゃない。
「ちょっと……嘘でしょ」
動く。工房内の人形が……ではない。
周囲の家が、だ。周囲の家々が、だ。
轟音を立てて動く。動いて組み上がる。組み上がって人形になる。
「わたし、ぼく、俺、れ、れが、が、が!」
「魂、色!」
「鬼鬼、鬼……い、い、い」
それだけではない。工房の周囲にいる人間が
元々そうだったのか、今そうされているのかはわからないけれど……直前まで、鬼や幽鬼だとは感じなかったものが。
「分解が間に合わな──」
濁流。手足の濁流など、二度目を見ることがあるとは。
避けることは無理だ。腹部のダメージがかなり大きい。そもそも結衣を置いていくのが無い。
私が巻き込んだのだから、せめてそれくらいの責は負う。
……これらの動力がなんであるかはわからない。
わからないけれど──"
「ほ──ほっほっほ! これはこれは!」
「アンタこれ……!」
「呆けている暇があったら逃げろ! 物量攻めはお前の天敵だ!」
混ぜるものは当然剣気。結衣に向かう濁流のすべてを私に向ける。こちらへ向ける。かかってこいと、睨みつける。
迎え撃つのだ。
さて、保って数秒。鋸の一振りで一秒。トンカチの殴打で一秒。掴まれ、食い千切られるまでの抵抗で二秒。
単なる平民が四秒も戦えたのなら──充分だろう。
心を決めるには、十二分の時間だろう!
振る。左腕を。左手に握りしめた鋸を。それは鬼の指に当たって──弾かれた。離しはしない。だけど、傷一つ与えられない。トンカチの殴打もそうだ。これだけ軽い素材でありながら、私の火力はすでに底値。
強く左足を落とす。踏むというよりは落とす。勢いをつけて落下させる。衝突するは地面ではなく人形の指。だから当然私はバランスを崩し、それが理由となって最初のひと掴みは空を切る。
ああ、けれどそれだけだ。そこまでだ。
殺到する手足の数は捌き切れる量じゃない。物量攻めが天敵なのは、私も一緒だから。
そのまま私は濁流に飲み込まれて──。
気が付けば、暗闇の中にあった。
ま、毎度毎度誰かが間に合うわけではない。無策にも無謀にも突っ込んだ私に落ち渡があったというだけの話。
だが、どういうことだろう。腕も動くし足も動く。指もだ。
私を食うんじゃなかったのかと。これでは──なんでもできてしまうぞと。
「裸であるのは、……けほ、趣味が、悪いと思うがな」
「ほほほ……娘さん。ワシは普段通りの言動ほどの変態ではないんじゃよ。──どこに隠したのかを言えば、殺さずに放り出してやろうぞ」
そう、全裸である。全裸の九歳女児と、推定七十から八十の老人男性。
事案だろう。
「本物の"
「話が早くて助かるの。アレは、ワシにとってと~っても大事なものなんじゃ。悪い事は言わぬから、ほれ、どこに隠したか言うてみぃ。それともなんじゃ、体内をくまなく、なんてことはされたくないじゃろ?」
「赤積君を甘ちゃん呼ばわりしていたが、お前も大概甘いな。ぁ……ぁあ。そう、私は敵なのだから、とっとと腹を掻っ捌くなりして探せばよかっただろうに。ちなみに腹の中にある、と言ったらなにをするつもりだったんだ」
「吐かせるか、排出させるか。あるいは娘さんのお望み通り、その腹を捌いて取り出すか、じゃの。丁度おぬしは工具類を有しておったし、鋸でぎぃこぎぃこ、なんてこともできる」
「ならばやればいい。なぜ……っ、やらん」
「娘さんが
「ハ、全裸にひん剥いておいてよく回る口だ。──ああ、腹にある。飲み込んだからな」
その双眸が、私の腹を向く。イカ腹とはそろそろ言えなくなって来た頃合いの腹だ。
折居は後頭部をポリポリと掻いて。
……腹部に、衝撃があった。
「ぐ、ぅ……!?」
「やれやれ、流血は好かんのじゃがなぁ。これで吐き出してはくれんかの?」
蹴りだ。また見えなかった。
反応速度は勿論、私の直感さえも超える速度のそれは、回避不可能。況してや鋸も無いとなると、衝撃の緩衝材がない。
「それに、今の蹴りでわかったわい。とりあえず胃の中には無いの。とあらば、さて、どこへ隠したのか。……おぬしを置いて一人逃げたあの鬼に託した、とかかの」
「げほっ、が、ふ……ぅ……! ……ふふ、結衣に預けるくらいなら、宿にでも置いてくるさ。遂行能力には長けるが、計画には不向きな鬼なのでな……ぁあ」
「そうかそうか。まだそこまで話す余裕があるか」
「──づ、ぅ゛……!」
また腹部への蹴り。ただし今度は少し下め。腸のあたりを蹴られて、鈍痛が全身を走る。
「助けを待っても来はせんぞ~?
「ェ゛……あー。あー。……徹底しているなぁ。……はぁ、これでも一応少女だぞ。消えぬ痣となれば、責任でも取ってくれるのか?」
「おぬしが協力的になるのなら、それも吝かではないの。若い娘さんは大歓迎じゃ」
「とんだ年齢差だな……ん゛……」
脇腹に蹴りが入る。吹き飛ばされる身体は、けれどすぐに止まる。
……この壁、人形か。なるほど囲まれていると。
「む?」
「ご老体。腹にも腸にもないとわかった上で、腹ばかり狙うのはなぜだ。趣味か?」
「顔は可哀想じゃろう。腕や足に当てれば折ってしまう。じゃから、せめてもの情けじゃよ」
「それが甘いと言っているのだが、言葉の壁とは大きいものよな……あァ」
ピシ、と。脇腹が……裂けた。
どくどくと流れ出る血。はは、いいじゃないか。死に化粧には血がなくてはな。腹への痣だけでは箔がつかん。
「……おぬし」
「なんだ、ご老体」
「やれやれ、流血は嫌いじゃと言ったろうに……おぬしが下手に
「ならば次、どうなるかくらいは……ぅ、わかろうさ、ご老体」
突き刺さる。私のラリアットが、折居の首に。
……ただし、私の左恥骨も砕けているし、左肩も完全に外れた。いや、折れた可能性もある。
そのまま吹き飛ばされて、また人形の壁へと叩きつけられて。
「げ……げほっ、ぐ、ぬ、ぬぅ……おぬし、本当に……」
「ああ……まぁ、そうだったな。立っている意味が無いのだったか」
とんでもない痛みだ。けど、流石に脱臼は邪魔なので、嵌める。
全体重をかけて倒れることで、無理矢理に。
それで、そうして。
四足の構えを取る。
「ホ……その構え。やはり中身は
「莫迦を言え。私は私だ。祆蘭だ。私に捻じ伏せられた弱者の名で私を呼ぶな」
「ほほほほ……ワシら勇士が多くの犠牲を払って倒した鬼子母神を、おぬし一人で捻じ伏せたと?」
「『
「どちらも聞き慣れぬ響きじゃのぅ」
「ああ……そうか、無学の相手をするのは疲れるな。──場所が違えば人も違う。そんな意味だ」
「それを今、ワシに言う意味は?」
ごぼりと上がって来たもの……血液を吐き出す。
流石に内臓をやったらしい。どこをやったかは知らんが、脾臓で賄える血液量であることを祈る。
……地面を足のひっつく壁であると考える。卑怯を覚える。相手の力を使う。
狙うべきは攻撃ではなく──研ぎに砥いだ、過集中を超える──。
「お前の尺度で物事をはかるな、ということだよ」
「──っグゥゥウウウ!?」
あぁ苦しかった。
ずっとずっと。最後には気付かれていたしな。
だけど、効果はあった。
その左目からダラダラと血を流しているご老体を見れば、苦しんだ価値もあろうというもの。
「……喉なのはわかっておったが……ワシの速度を、読み切るに至ったか……」
接敵の瞬間、飲み込まず、けれど決して吐き出すことなく保持していた件の匣。
それを吐きだし、彼の速度を利用してその左目を潰した。どうやら輝術師とて、眼球に金属の匣が刺されば怪我をするらしい。良い情報だ。
さらに汚くなりはしたけれど、もう一度匣を飲む。飲み込まずに保持する。
「二度は……通じぬぞ。その首を蹴り折って、ワシの大事なものを取り返させてもらう」
「もうその蹴りは、ぇほ……当たらん。今までは手加減していたとでも、あぁ、何とでも言うがいいさ」
地を掴む。両手足の指で。
交錯は一瞬。
勝敗は。
「……無益な殺生をさせるでないわ、娘さんや」
首に入った回し蹴りにより──私の負け。吹き飛ばされて、叩きつけられる。
動く気のしない指が捉えるは振動。折居の近づいてくる足音。
「どれ……吐き出しはせんか。全く面倒な」
持ち上げられて……口に入ってくる指。
だからそれを、あらん限りの力で噛み千切ってやった。
「──っ!?」
「ハ……ハハ。なるほど、"
ぺっと指先を吐き捨てる。骨までは千切れていないけれど、指先の肉をこそげただけ充分だろう。
「おぬし、なぜ死んでおらん!?」
「大事なものなんだ。最も硬い場所にしまっておくのが定石だろう」
私の中で、一番固い場所。
そんなの当然──結衣の飛翔時、むち打ち対策に巻いた凛凛さんの包帯。つまり首である。
包帯の中には匣は隠せないと見たのだろう、それは剥がされていなかったのだ。
「さて、もうそろ限界だぞ、私は」
「……じゃろうな。むしろ良く戦ったほうじゃ。……ひと思いに心臓を突いてやる。避けるでないぞ」
笑みが零れる。
誰が。
誰が、お前などに、声をかけるものかよ、と。
「恩義を果たせよ、武芸の州君」
「──嗚呼と、それだけを」
目は瞑らない。
ぼやけた視界に映り続ける赤い
心を決める時間は、充分だっただろう……若僧。
過去とは決別しておけよ、そのための力であると誇示するために。
……どうだ、今潮。
痛みで気絶もできやしない。これで……専門家、卒業だ。
あとは……もう、少し──。