女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
それは
空へと浮き上がり、今まさに飛翔せんとしている私達の……というか私の視界の隅に、ソレが映る。
「……少し、待ってはくれないだろうか」
「構わぬが、どうした?」
「なになに~?」
「あそこへ行ってほしい」
指を差した場所にあったもの。それは。
斜めに倒れた木に気を付けながら、そこへと入っていく。
石で囲まれた土地に、廃れた家屋。
「寺院か。……何をする気だ?」
「青清君、あの時みたいに何枚か板材を頼む」
「……直す気か。だが」
「うーん、直しても……整備する人がいませんから、いずれまた」
「そこはあまり関係がないだろう。生成に力を使うというのなら、その辺の木から切り出すよ」
「いや……出してやるが」
輝術。光から生成される板材はいつも通りの……なんというか試行錯誤のしづらい高級そうな素材感。
まぁ私も手慣れたものだからな。況してやお得意のDIYとくれば、流石に失敗はしない。
寺院。幽鬼や鬼が迷信とされている平民の中にも、一応そういう「民俗信仰」のようなものはある。私も最初は墓祭り含む祭事は全部そっちだと思っていたくらいだ。ああいや、墓祭りだけは輝術師含めて「そっち」なのかもしれないが。
ただ仏さんがいるわけでも十字架があるわけでもない、こうやって囲いを作って家屋を作って、「何かがいる」ことにして守ってもらおうという魂胆。守ってもらおう、というか、困った時の当て付け先と、幸運が恐ろしい時の感謝先だろうがな。人間、降って湧いた幸運というのは根拠が無ければ無いほど信じ難いものだから。
トンテンカントンテンカンと小気味いい音が響く。
雨風に晒された壁はほとんどが打ち直し……レベルの問題じゃなくなっていて、リフォームというかもう新築にしているようなもの。建築関係の知識が無いから、元からあったものを素材交換しているだけとはいえ、結構な作業量だ。
たださすがに見かねたのか、蜜祆さんも鈴李も支えやら釘、板の交換やらを手伝ってくれているから楽ではある。一人でやっていたら日が暮れていたことだろう。もう暮れ始めているのはそうなんだけど。
案の定というべきか当然というべきか、寺院の中にはほとんど何も無かった。あったのはお皿が一つ。……お供え物でもされていたのやもしれんが、虫が食ったか行き倒れが食ったか、とかく祀られるべき何かが食ったわけではないのは明白だろう。野盗が、という可能性も無きにしも非ずだが、ああいう群れる奴らは一人が得をするような場所には立ち寄らない。不和の原因だからな。
一応腐食対策として手持ちの防腐剤を屋根に塗布したけど、量が足りたとは言えない。が、青宮城から取ってくるような熱量もない。
子供が乗っても大丈夫な耐久性ではあるけれど、雨風がどの程度かもわからん。……ま、また壊れたら、また誰かが直すのだろう。でなければ廃屋となっていようと原型が残っていた理由がわからんしな。
「流石に早いな……これで大工仕事は独学なのであろう?」
「生活の知恵だ。独学というほど学んではいない」
これ以上の廃屋で、けれど人が住んでいる場所、なんてのは水生に腐るほどあったからな。早急にトンテンカンしなければ命にかかわる、なんて場所を直していたら、いつのまにか身についていたスキルだ。地球での私はDIYなんてやっていなかったわけだし。
皿……は。
「供える物を持っていない。無礼を許してくれ」
「え、なに? 誰に謝ったのですか?」
「知らん。知らんが、見えずとも感じずとも、あることにするものには礼を尽くすものだろう」
たとえ楽土など、本当は存在しないのだとしても。
たとえ神も幽鬼も、想像とは全く違うのだとしても。
たとえそこに意味が、欠片たりとてないのだとしても。
「すまんな、時間を取らせた。帰るか」
「……ああ」
私の後味のために、直ってくれたことを感謝する。
さて、夜。
望遠鏡で月を見れば……口角も上がる。
──傷がついている、ようにみえなくもないな。
──いつも通りのようにも見えるけれど……。
「節穴かお前達。どう見ても元気がないだろう」
──……元気?
──どういう……どういう感覚だ、それは。
「なんだ、感じていなかったのか? 月も太陽も、常に私達を見ている。睨みつけている……監視している。そこには意思があって、だから気力のようなものが存在する。私が剣気を向けようものならそれが荒れ狂うし、今にして思えば天遷逢の時はどこかじっとりとした視線だったように思う。それが、今は控えめだ」
効果アリ、ということだろう。
……ただ状況が特殊過ぎるのがなぁ。確かにしょぼくれてはいるけれど、媧の言う通り傷がついているかと言われると怪しい。遮光鉱の矛がどこに行ったのかもわからんし、明確な穴も見当たらない。
破壊となるとまた別途何かが必要、と。同時に、光閉峰も世界結界も絶対のものではない、というのが証明された。
「祆蘭……一応全員分聞いたけど、何の話だ、って」
「ああ、それならいいんだ。ありがとう、祭唄」
「うん」
部屋に戻ってきた祭唄は、憔悴もしていなければ苦しそうでもない。ただ不思議そうではある。
そりゃそうだろう。普段私とは接点のない貴族たちから、「私の粗相についてを聞いてきてほしい」などと言われたらその顔も納得だ。
蜜祆さんがいなくなった時の暴走。あれの被害者全員への聞き込みは、「そもそもそんなことは起きていない」に落ち着いた。これも世界改変なのかは知らんが、有難い限りだ。
だって。
「……近づいている、か」
「なにに?」
「さてなぁ」
「……まだ頼れない?」
う。
……うーん。
「ごく最近のことだ。……感情の昂りが抑えられない程となると……私は無意識に貴族たちを"輝術師"と呼んでいることに気付いた。鬼に対しても似たようなもの。つまり……名前ではなく、種族で他者を呼ぶ」
「そんなこと、あったっけ」
「あったんだ。……気掛かりなのは、その特徴がとある人物……というかとある存在に非常に近しいということ」
「それは」
「
──……。
──……それは。
最初。本当の最初に媧の影響で身体を乗っ取られた時に近い。
天遷逢で媧が表出したとき、私はほとんど無意識に彼等を種族名で呼んだ。いや、私の無意識なのか媧の意識そのものだったのかはわからないが……なんというか、あまり口にしたくはない言葉ではあるが。
「見分けがつかなくなる、ようなんだ」
「そう……」
「平民は"同一因子"にしか見えなくなる。貴族は"輝術師"にしか見えなくなる。恐らくは鬼も神も同じだろう。……そして此度、お前の覚えていない少しばかりの刹那においても……進史様とお前の区別がついていなかったように思う。一括りに輝術師と、そう扱っていた」
"輝術師"に命令し、"輝術師"の顔を掴み、"輝術師"の攻撃を避けて、"輝術師"を撒いた。
あの時の私の認識はそれだった。それだけだった。
「祆蘭は、それが悲しいの?」
「どうなのだろうな。初めは……登城してすぐの頃は、同じ認識だった。輝術師と鬼の区別がついていなかったくらいだ。どちらも不可思議な術を使う人間ではないもの。そう考えていたから。……だが、まぁ、なんだ。……輝術師も鬼も、それぞれがそれぞれに存在することを知った今、見分けがつかなくなる、というのは……心地の良い事ではないのだろう」
──……であれば、モノ作りをやめろ、祆蘭。
──媧? それは。
──お前が世界を回すことをやめて……事象の呼応だけに対処し続ければ、世界が前に進むことはない。お前はお前のまま大人になり、お前はお前のまま最期を迎えることができるだろう。
なんか。殊勝なことを言っている鬼子母神さんがいらっしゃいますが。
莫迦者め、そんな楽な道を選ぶはずがないだろう。それに、その先で待っているのは次なる楽土より帰りし神子への憑依、なのだろう。
誰が苦を他人に押し付けるというのか、莫迦者めが。
「祆蘭がそうなっても、私は逃げないから安心して」
「そうならないよう共に努力しよう、ではないのか?」
「そうなる道しか選べないから秘そうとしたんじゃないの?」
「……お前が要人護衛に来てくれてよかったよ」
まぁ、なるようになる。
全ての事象には足る理由があるんだ。見分けがつかなくなることにも足る理由があるのならば、その先で私が新たなる可能性を掴む理由さえ用意できれば、今度は事象の方がついてくるだろう。
何が必要かはさっぱりだ。一番の経験者が諦めをオススメしてくるのだからな。
──……すまぬ。
揶揄ったが責めているわけではない。
もう少し胸を張っていろよ、先達。後進の活躍を指をくわえて見ていると良いさ。
「本当に見分けがつかなくなったら、『漢字』で会話する。そうすれば、見た目は関係ないし、私だってすぐにわかる」
「ああ、それはいいかもしれないな。ではそろそろ必要だと思って用意した『常用ではないが私が良く使う漢字一万選』を」
「望むところ」
らしくない感傷だった。
さて……蜜祆さんも帰ってきたことだし、しようとしていた"行動"を、明日から始めるとしますかね。
物凄い声が黄州の庫を貫いた。
「……ふぅ。……もう一度言うけど……はぁ!?」
「なぜもう一度言ったんだ、凛凛」
「アンタ、
「あなた達には上下も、崇拝も、存在しないのだな」
「フツーに会話に入ってくるな!! 怖いでしょうが!!」
「ふん、上下が欲しいというのならば私が一番上だ。それ以外は同等。当然であろう、
現帝、陽弥。
新しく
……のである。と説明したら、凛凛さんがカンカンになった次第なのだが。
「……」
そして、こちらはこちらで。
桃湯、今潮。
二人は言い知れぬ顔で彼を見ている。当然だ。だって。
「"
「ああ」
「あれの製作を止める気は、ないのよね」
「新規にはもう作らない。彼女が気に入らないそうだから」
「……あなたが鬼となった経緯は聞いたし、そこへの同情はある。けれど……同じ境遇の鬼を増やそうという発想は、理解が及ばない」
「同情は必要ないし、理解も不要だよ。私は私のできることを、できる範囲で行った。……他に穢れを増幅できる
「……」
人工的に鬼を作る、という所業は、鬼にとって吐き気を催す邪悪。それを鬼が行っていた、というだけでも許せないというのに、桃湯は妙に倫理観があるから、責めるに責め切れない。その境遇が……あるいは、と。
だから、謎も禍根も残さぬために、聞いておくべきだ。
「まずは話せ、陽弥。四千七百年前に何があり、お前が鬼となったのかを。──そこで姿を消している母親も聞きたがっているようだしな」
「あら? 青清君の使っていた偽装輝術の改良版で、完全に世界と同化していたつもりだったのですが……あなたの目には敵いませんね」
「母よ、それは人が悪い。息子の恥を眺めたかったのか?」
「知っての通り、盲目ですから。……本当に鬼なのですね、陽弥」
「あーあー、親子の語らいは帰ってからにしてくれ。全員、抜け出していられる時間は限られているのだから」
各所から「情緒」とか「余韻」とか「人の心」とかよくわからん呟きがぼそぼそと上がるけど、知らん知らん。
そういうことをしているから進めないんだ。理解してくれ。
「承知したよ。新帝の言には逆らえないから。……では、話そうか。私がなぜ生まれたのか、という話を」
彼の口が言葉を紡ぐ。朗々と……聞き取りやすい声で。
「当時の私は、これといった特徴のない子供だった。
全くの同意見だ。私も青清君から声をかけられるまではそうだと思っていた。働ける年齢になれば出稼ぎに行き、そこから外れたら水生に戻って老後生活。
結婚願望も無かったからな、老いてからでも細工はできるだろうと、なんの展望も無かった。懐かしい話だ。
「……その日はおかしな日だった。太陽が出ているのに暗く……いや、黒く。見上げた太陽は赤く。母親から言われた言葉は、決して外には出ない事、というものだけ。そう言われて己が家に押し込まれた後……彼女の断末魔が聞こえた。彼女だけじゃない、大勢の知り合い。大人も子供も関係なく、石枯の全ての人間の悲鳴と断末魔が響き渡った。……母親の言付けを守ることができなかったのが、全ての終わりだったのだろう。私はそっと家屋の……木材の隙間から外を見て」
言葉を切る彼の口元は、わずかに歪んでいる。
今でも後悔しているような感情。初めて見せた感情だ。今までの上っ面だけのものではないもの。
「
「……どういうこと?」
「石枯は野盗の集団に襲われたとか、戦争に巻き込まれたとか、そういうわけではなかった。村人の全員が農具を持ち、互いに互いを傷つけ合い、己で己を傷つけ回り、殺し合い……いや、
同情の声は上がらない。凛凛さんだけが怪訝な顔で何かを考えているだけだ。
「そうして……私は幽鬼となった。他の皆もそうだった。平民であるというのに幽鬼となりて、立ち尽くしていた。当時の私の知識には幽鬼というものも、幽鬼とは貴族がなるものであるというのも無いものだから、ただただ"狂乱が収まっただけ"なのだと認識したものだよ。なんせ、凄惨に散らばっていたはずの肉体がどこにもなかったからね」
肉体が残っていない、というのは……おかしな話だな。
回収された? 誰に?
「動き回ることができるのは私だけだった。誰とも会話はできない。己も声が出ない。だから、助けを求めて石枯を飛び出して、現状を知った。──行く村行く村。時には貴族街でさえも……同じ状況だった」
「……それは、もしや」
「そう。後の世では……今では、『大霊害』と呼ばれる事件。私の行くことができた場所は黄州近辺だけだけど、恐らくは全州の各所で同じことが起きていたのだろう。肉体が残っていないから、突然現れたように見える幽鬼たち。輝術師に祓われたが最後、魂が消え去って……全て忘れ去られる人々。当時あった村のいくつが完全なる消滅を迎えたのかはわからない。……ただ、幽鬼にも、生存本能……いいや、恐怖、という感情はあったらしくてね」
そこでまた言葉を切る。疲れたように。
彼は自らの胸へと手を当てて……もう一度。
「祓われるくらいならば、と。数多の……数えきれぬほどの幽鬼が、私に向かって来たことを今でも覚えている。私を食らおうとしたのではなく、私に
昔、桃湯に説明された、鬼への成り方。
数多の幽鬼が食い合いを起こしてなる鬼。そういうものは大抵理性を残さないと彼女は言っていたけれど……このケースは、想定外か。
「鬼となったあと、けれど途方に暮れていた私は……私の身から零れ出でる穢れなるものを辿る輝術師から逃げに逃げた。勝手に警戒して、勝手に敵対してくる彼らには恐怖と憎悪を抱いたものだけど、どこまで行っても私はただの子供。鬼ゆえに強い力を持つようになった、なんてことは知らないから、逃げに逃げて、逃げに逃げて……その先で、不思議なモノと出会った」
「それが、
「是を。……人の形をした、光るもの。輝術師とは違うと本能的に理解して、けれどその光が己を傷つけるものだとも理解した。ただ……」
撓む空間。だから、鋸を抜いて突きつける。
「"ンだよ、ガキ。迷子かなんかか"ってな、聞いてやったンだ……っと、オイ。鋸なんざ他人の首前に置くんじゃねえよガキ」
「私達の秘密基地に無断で入る方が悪い。──この同盟を他言する気は?」
「無ぇよ。陽弥の損になることをオレがするわけねぇだろ」
「ならば黙っていろ。他者の視点が入ると、昔話は長くなる。すまないな、続けてくれ、陽弥」
「……ああ。すまないね、顕」
「オウ。割り込んで悪かったよ」
ぬるっと顕が新帝同盟入りした気がするけど、そんなことはどうでも良くて。
「そう……彼は私を否定しなかったし、排斥しなかった。"
ほー。
……このピカピカヤンキー、私達と同じ主義か。
「鬼の存在。幽鬼の存在。輝術とは何か。神とは何か。穢れの意思とは何か。……そして此度起きた『大霊害』が、どういうものであったのかも」
「我々でも知り得ぬことを、知っていたのか、顕」
「うぉ、
「どうでもいいことで話を中断するな。質問も疑問も後から聞け。まずは陽弥の話を全て聞いてから、だ」
「……承知」
普通に最初からいたけど、だんまりだったからな。だんまり度合いは祭唄や今潮も同じだけど、伏は気に入ったのか庫の中の座敷に座っているから気付き難いのも理解できる。
「『大霊害』については、では後から話すとしよう。……私はその話を聞いて、ようやく信念を抱いたよ。世界を抜け出し、穢れの意思を殺す、と。……だから、そのためであれば、どのような非道でさえ働くと」
強い意志の感じられる言葉。
貴族でもなければ鬼となるつもりもなかった少年の決意。
故にこそ、なのだろう。輝術師も鬼も、同族としては扱わないのは……彼が幽鬼だったから、なのだろう。
「穢れはその主らの指先に等しいけれど、同時に指先の裏を見ることは難しい。穢れが増えて、世界が穢れで満たされたのならそれは、奴らが己が手でこの世を覆うことに等しい。──穢れの主はね、穢れの除去もできない。輝術……神にも勝てず、己が尖兵とした穢れの増減もできない彼らは、だからこそ鬼となり得る者を選別する。誰彼構わず鬼となってしまわれては、見えなくなってしまうことを知っているから……その調節をしている」
選別。
鬼となる儀式。拡大鏡のことだろう。
なるほどなぁ。穢れに増えられ過ぎても困るのか。
そして、その調整弁を非道を以てぶっ壊しているのが陽弥、と。
「祆蘭。あなたには"次点の絶対決定権"が与えられている。それは理解しているね?」
「無論だ」
「あの時は世界を元の軸に戻す程度で終わったけれど──やろうと思えば、たとえば、そうだな。世界中の遮光鉱をかき集めて巨大な槍を作る、なんてこともできた。穢れが世界を覆っている内は、穢れの主たちの目が届かない内は、この世を如何様にするにもあなたに決定権が委ねられる。……そしてあなたは昨日、光閉峰も世界結界も通り抜けて、奴らの本体に攻撃を届かせられる、という証明をした。成し遂げた」
動揺が走る。……まぁそっちが普通だ。なんで当然のことのように知っているのかを彼に問い質したいところだけど、話が終わるまで質疑応答は待て、と言ったのは私だしな……。
「私はもう新規の"
「……罪悪感、ですか?」
「己より遥かに年下の女性。しかも盲目であるあなたに目を付け、
悔恨は後にしてくれ、と頼んだのだがな。
それより大霊害についてを……と口を挟もうとしたら、口元に手が当てられた。
にっこり笑顔の蓬音さん。
いやいや、時間が無いのだから。そう振り払おうとしたら、祭唄に拘束された。
──どうかと思うぞ。
──効率重視も大事だけど、今くらいはね。
……。
だからお前達は大事な話を逃すのだと言うのに。
「陽弥。あなたの悔悟は伝わりました。……ですが、まだ隠していることがありますね?」
「今の話聞いただろ。アンタは仮初の母親なんだ、それが露見した以上、ンな諭すような口調は」
「顕」
「今ここで、立場の優劣をつけましょうか? ──華胥の一族であろうと、負けるつもりはありませんが」
「あァ? いいぜ、真っ向から挑んでくる相手なんざ初め……いやそこのガキがいたが、あんなのは数えねえ。真っ当な輝術師が神に挑むことの愚かさを──」
「双方、刃を降ろしてほしい。そろそろお姫様が機嫌を損ねてしまうからね」
……もう損ねているが。
まぁ、視野の広いやつで助かったよ。
「そして、隠していることはある。言う必要のないことだと思っていたけれど、言おう。……単純な話でね、私はもう、己が陽弥であるかわからない、というだけの話なんだ」
「自我の奪い合い……かしら」
「ああ、桃湯さん。その通りだよ。……私の中へと逃げ込んだ幽鬼たちは、初めこそ怯えていたけれど……顕と出会い、安全が確立されてからは、欲を出すようになった。即ち、己が人格の主導権を、と。私は鬼だから、眠る必要はない。代わりに……四千七百年の間ずっと、己の中で、己を乗っ取ろうとする意識と戦い続けている。……あるいはただの子供でしかなかった陽弥など、とうに食われた後で……この私は別人である、ということも考えられるけれど」
「ふむ。陽弥、私がそんなありきたりな話を聞きたがると思いましたか?」
玻璃の威圧。顕と陽弥に向けてのそれは、余波でさえ……祭唄や凛凛さん達が身を掻き抱くほどの。
だから、壁を作るように威圧を放つ。それにより、玻璃の威圧は遮られたようだった。……おお、やってみると案外できるものだな。何事も挑戦挑戦。
「……敵わないね、あなたには」
「母ですから」
「ああ……その通りだ。私は元より鬼となる気のなかった鬼。だから、ふと気を抜くと……身体が分解しかける。"
「だろうねぇ。いや、聞きながらずっと考えていたんだ。どうして君は己を保っていられるのか。──私達信念ある鬼でさえ、時折途方もない空虚感に襲われるというのに」
「本物の鬼も、そうなのだね。……ゆえに私は、我が身を引き裂かんとする穢れに記憶を代替として食わせる術を開発した。……輝夜術を知っているね。あれは輝術の裏側を使っているものだけど、穢れにも似たものがある……というより、私の開発したその穢れの裏側を使う術、を転用したものが輝夜術だ」
「外法で外法を編む。代償は己の記憶。四千七百年分の記憶……というワケではないのだろう。そのようなどうでもいいものが代価となるとは思えん」
非道を働き続けた記憶など、いくらなくなってくれても構わないだろうからな。
だから多分、供物となるのは。
「そうだよ。幼き頃の、平穏の記憶。……そして母の子となってからの……偽りでありながらも、静かなる記憶。それらを己が分身として穢れに引き裂かせ、世界を騙す。私は今までそうして己を保ってきた。……残念ながら、そろそろ在庫切れでもあってね。だから」
「だから簡単に譲ったのか、帝の席を。……ふん、とんだ不良品を掴まされたというわけだな」
なればあの時顕が一瞬にして沸点に達したのにも納得が行くな。
──記憶とは人一人が初めから所有権を有する唯一のものだ。命も肉体も他者に委ねられることなど珍しくない世界で、記憶だけが己を己だと認めさせる無二のものとなる。
なるほど確かに、「ンなことは陽弥が一番わかってンだよ」だな。
「お前から記憶を奪おうとする穢れは、誰にでも感じ取り得るものか?」
「……つまり、私が守ればいいのですね?」
「玻璃、話が早いのは良いがな、他の者がついていけない」
超速理解は助かるけれど。
まぁ、そういうことだ。
「陽弥。あなたが年に何度か……一人になりたい、と言って、どこかへ行ってしまうことがありましたが……それは、自らを奪う穢れと戦っていた時、なのでしょう?」
「……是、だ。母よ」
「けれどもう穢れを増やす必要はなくなった。祆蘭のおかげで。であれば、あなたを傷つけようとする穢れ程度ならば、消滅させてしまっても問題ありませんね?」
「今の身の上話を聞いたうえで、まだ息子として扱ってくれるのかな」
「あなたが私を母と仰ぐ限りは、ずっと」
ふむ。よし。
威圧も消えたし、それでみんな委縮しているし。
「そろそろ良いか、親子の団欒は。では話せ、『大霊害』がなぜ起こったのかを」
「……」
「……」
「……正論だ。だが、告げる。我々とてどうかと思うぞ、シェンラン」
いやだから、時間があんまりないんだってば。
……ええいそんな目で見るな。わかってるさ空気が読めていないことくらい。
だけど、私が動き始めよう、と思ったタイミングで天故理が「ああいうこと」をしようとしたあたり、そしてそれが「最も必要な事」であったあたり、もう終局間際と見るべきだろう。
時間が無いというのは抜け出している時間のことだけじゃない。
いつ噴火でリセットされてもおかしくはない、という話をしているんだ。だから──とっとと話してくれ。
どうしようもなくなる、その前に。