年末にテレビで映画『人間革命』を見ました。これは集団ストーカー被害者たちが、その加害団体だと考えている組織の創設期に関わる歴史です。続編も見ました。
それなりに興味深く、ところどころ退屈で、この教団の歴史、あるいは歴史として教えられていることが大まかに分かりました。
後で思い起こすといくつかの点で不自然だったり、疑問に感じることも出てきました。
まず、あの戦時期にありながら、刑務所にとらわれている人(戸田)と取調官との関係が悪くないということでした。
キリスト教でもとらわれた人が少なからずおりますが、刑務所は大変過酷です。厳しい尋問、拷問、獄死・・・。
戦争で男手が欲しい中で、囚われる人々はよほどの人々です。国体を揺るがすような思想犯には厳しかったでしょう。
そんな中で、戸田城聖が取り調べ官に軽くたしなめられる程度であったり、理論的なことで説教を受けたり、反対に戸田のほうからも取調官をたしなめたり挑発したりする場面がありました。両者の関係が悪くない、と印象付けられます。
囚人があの時代に、こんなに取調官からやさしくされるなど見たことも聞いたこともありませんでしたので、意外なことでした。
正直言って「いいな」といううらやましい気持ちを抱きました。
入牢は1943年7月から1945年7月だったようです。
日本の戦況も思わしくなく、男手が必要なときで、いつ赤紙が来て召集されるか分かりません。
戦地に行けば過酷な現実が待っており、生きて帰ってこられないかもしれません。
どこを見ても過酷な中に、刑務所内で赤紙が来ることもなく、厳しい尋問を受けるでもなく過ごせたことを羨む心が、恥ずかしながら私の心に生じてしまいました。
そして次に「なぜ?」という疑問が生じます。
その解答は『人間革命』の中にあるように見えました。
戸田城聖は取り調べ官に「牧口先生が転宗したら自分も転宗する」と言いました。そして「牧口先生が転宗することなどない」と付け加えます。こんなことを言ったら、牧口常三郎に対する尋問がさらに厳しくなるのではないでしょうか。
取調官が戸田城聖に対し厳しくなかったのは、この態度を貫いたからかもしれません。思想や宗教のことは良くわからない、神札問題などについては牧口先生がそう教えたから信じている。自分は信条からというより、「師弟不二」でここにいる。だから牧口先生が転宗すれば自分も転宗して良い。
こういう思想であれば、積極的に国体、天皇制に触れる危険思想犯ではなくなります。実はどちらでも良い、ただ師弟不二として先生に従う。
刑務所の自室には日蓮上人全集が置かれていましたが、係りには「こんな堅いものはいらないから小説をもってきてくれ」と小説を所望します。
看守たちは、戸田城聖はあまり宗教に熱心であるわけではないと思ったかもしれません。
取調官と戸田城聖の関係が穏やか見えたのは、そんな理由だったかもしれません。
しかし戸田城聖が牧口先生の名前を口にすればするほど、そして師弟不二を口にすればするほど、牧口先生の立場が危うくなるとは思わなかったのでしょうか。牧口先生への尋問がいっそう厳しくなり心身疲労しないでしょうか。
「先生はお年だからお手柔らかに」と取調官に言ったとしても、「先生が転宗するなどということはありえない」と言えば、取調官の心に火がつくでしょう。
戸田城聖と取調官との間の約束は「牧口が転宗すれば戸田も転宗する」ということになっていたようです。
牧口常三郎が獄死したとき、取調官は戸田に「僕との約束を守ってくれるね」と言って、出獄になったと『人間革命』には描かれていました。
戦争の最も過酷な時期に兵士として招集されることもなく、刑務所で恐ろしい尋問を受けることもなく過ごせた理由は、戸田城聖が何度もおこなわれる尋問の中でぶれることなく「師弟不二」が主要因であることを貫いたからなのかもしれない、という考えが起こりました。
あるいは仏様の特別なご加護があった、ということなのでしょうか。
21/01/12