2月はまさに逃げるようにして過ぎ去った。そして2月、会社には鬼しかいなかった

そんな風に振り返ってしまうくらいに四面楚歌な1か月だった。Skypeでメンションされないか、上司や同僚のキーのたたく音におびえながら、毎日を生き延び、かかわりを極力避けながら怯えながら過ごしたのが2月だった

今日は2月最終日、短くも激動の2月の最終日を終えて、ゆったりした気持ちで家路についた。来月から新しい中途採用者が入ってくる。いい刺激にもなるし、脅威でもある。今日はそんな新メンバーがまだ入って来ない最後の貴重な時間で会った

一昨日の午後半休で大分気持ちが楽になった。その兆しは先週の3連休中に芽生えた。やりたいことやればいいじゃないか。そんな気持ちが育ってきた

そして、路地裏が持っている仕事も動き出しつつある、少し早い啓蟄と春の予感により、塞ぎ気味だった気分もやや良くなってきた

今夜はそんな1か月の終わりと3月へのささやかな願いをこめて晩酌した


ブリの刺身、卵焼き、タラの芽の天ぷらと鴨肉の芽葱添え、湯豆腐である

最近陽が伸びてきて気分も前向きになった気がする。一方で路地裏のゴールデンタイムの朝5時台について、夜明けが早まるのは寂しい。夜明け前という一日が動き出す前の貴重な時間が徐々に奪われていく気がする

この1か月で自分の仕事の幅が広がったかと言われればNoである。しかし日々仕事をする中で気づきがないわけではない。それがすぐに上司の評価に直結するものでもない

上司や同僚が全く気にならないわけではない。でも彼らを変えることなんてできない。それなら、仕事以外の部分で自分の気の持ちようを変えていくことの方がストレスは少ない

色々と新しいことは構想中であり、一部実行しているのもある。それが書けるタイミングになった時、ブログで紹介したい

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もうすぐ春ですね

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今日は午後休みを取り、三女を連れて幼稚園の入園説明会に参加した


半ドンで帰宅する。平日の昼下がりはこんなにも穏やかなものなのか


この幼稚園は昨年3月まで次女が通っていた。卒園式からの一年ぶりの来園である。あの日も今日と同じくらいに暖かな日だった

教室も廊下も1年前のままだ。この春三女がまた3年間お世話になる。口が達者な三女だから賑やかに楽しく通ってくれるだろうと思う

入園前の心構えや何を持ってくるか、幼稚園のルールの説明などがあった。しかし3人目となれば慣れたものである

16時過ぎに入園説明会が終わった。そのあと家族と夕飯をとなるところ、1人時間をもらって外へ出かけた



最初に来たのは荒川の河川敷、まるで金八先生の世界だ。10年前に路地裏が事業再生支援の仕事で担当していた町工場のクライアントもこの近くにある。暮れなずむ町の、光と影の中とまさにその光景が広がる

心が洗われるような夕暮れに見えた。一日の労をねぎらうのが夕日なのかもしれないが、路地裏にとっては新しい季節の訪れを知らせる希望の夕焼けに見えた




土手の近くの熱帯植物園を訪れた。子供たちがまだ小さい頃によく来た。大人260円中学生以下は無料という良心的な植物園である


大人げなくもスタンプラリーをした。そして期間限定の苔展が開催されていた。やはり緑は心を落ち着かせてくれる

そのあとは銭湯に行ってゆったり湯船に浸かった。体中のこわばりが少しは楽になったかもしれない



湯上りの後は、近所の居酒屋へ行った。もともと空き地だったところ、店舗も備えた低層の集合住宅に生まれ変わった


日本酒バルという面白いコンセプトの店だ。料理も凝っており、うまい日本酒を取り揃えていた。やや高めであるがそこは理解ある大人向けの店ということだろう


〆は歩いてすぐのラーメン屋へ、ラーメン一杯1000円の時代だが、1000円払ってでも食べたければ食べればいい。スープ割りまで飲んで満足した



程よく酔い、満腹の後は近所の公園で桜を見た。夜となると寒いが、凍えるような寒さではない。まだ一分咲きだが一気に開花が進むだろう

なんのことはない午後半休だが、心ゆくまで楽しめた。寒さも相まって1月早々から気分が落ち込み今月は特に塞ぎ気味であった。それが先週末の3連休を機に、少しだが気持ちが少し楽になってきた

先週は特に食事も風呂も面倒と物ぐさになっていた。なので今日は意識していろいろと動き回るようにした。いい気分転換になると同時に何かフッと気持ちが少し軽くなった気がした

とりとめのない内容になってしまったが、もうすぐ春ですね、新しいこと始めてみませんか?と心の底が路地裏に話しかけているように聞こえた

もうすぐ3月、少しづつでいいから前向きになれればと思う

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立春も雨水も過ぎて日が長くなってきた。あいにくの風の冷たさだが、近所の河津桜は開花していた。そして鶯が何かを啄んでいる



もう早春だなあと実感する。そして天気が変わり易いのもこの時期によくあることだ
 

閑話休題、本日は路地裏の母の喜寿の誕生日である、なので妻子お供に実家に帰ってお祝いをした


母は苦労人である。30年近く前に祖母が亡くなるまで、祖母がいた介護施設によく足を運んでいた。その後、路地裏の父が心臓を患うようになってからは、パートを掛け持ちして家計を支えていた

路地裏が大学卒業を控えた20年前の1月、父が脊椎損傷で下半身不随となった。必死の看病の甲斐もなく、翌年6月に亡くなった

路地裏はその翌年、実家を出たが、家には大学受験に失敗して司法試験に挑む兄がいた。兄は択一式試験にすら合格できず、また受験仲間との仲も悪くなり撤退し、定職については会社の倒産などもあっていくつかの職を転々としていた

その後、兄は公務員試験に合格し市役所で働くようになった。母は大変うれしそうだった。

兄も家を出て行って、ようやく落ち着いたという矢先、今度は母が乳がんになった。少し進行していたステージ2Aだったと聞いた。切除手術と抗がん剤による闘病生活が始まった

一方で路地裏に長女が生まれた時は初孫を抱けてたいそう喜んでいた

がん治療も落ち着いてきた折、今度は叔母夫婦が不仲で、衰弱した状態で叔母が母のところに頼ってきた

その叔母もかなり弱っており、入院して2カ月足らずで肺炎で亡くなった。叔母が遺した田舎の不動産は誰も引き取り手がいないままであったので地元の顔が利く司法書士に相談して売買をあっせんしてくれた

ホッとした矢先に今度は兄の結婚問題が持ちあがった。ちょうどコロナ禍の時である。兄の新婚生活は1か月と持たなかった、そのあと嫁は実家に引きこもってしまい、義母も娘が戻ってきてくれたうれしさから、兄のマンションには帰らなくてもいいと言っていたそうだ

兄は程なく離婚したが1年近く手続きに時間を要したらしい。そしてその1年後、別の女性と結婚した。結婚式を明治神宮で挙げた。母は大喜びだった。

路地裏もそのころ留学を控えており、ある意味心配をかけてしまった。しかし、母も築44年の実家を取り壊して新築の家を建てると決めた。この時母は74歳である。


新築の母の家が完成したのと同じくして路地裏は渡米した。1年の留学を終えて帰国すると、母は新しい家で元気に暮らしていた

そして今月10日は最後のがん検診を受けたようだ、経過は良好で再発も認められないとのことだった。10年前のがん手術から10年、ようやく母も一つの区切りが訪れたのではと思う


一大決心して家を建て替え、倅も帰国し、がん治療も完了した、ようやく母に穏やかな日々が戻ってきた


3人の孫娘の顔を見て顔がほころぶ。同世代ではもう亡くなっている人もいる。まだ母には父や母について聞きたいことがある、だからこそできるだけ少しでも元気に長生きしてほしい

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