女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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幕間「竹蜻蛉」

 気に入っているか気に入っていないかで言えば──難しい、と。そう答えてしまう自信が彼女にはあった。

 

 朝烏(チャオウー)。青州青宮廷輝霊院副院長の肩書きを有する彼女には、最愛の妹と、まぁ愛してやらんこともない妹と、大事な両親がいる。

 下位貴族として生まれ、けれどそれぞれがそれぞれの道へと出世を果たした朝烏ら三姉妹にとって、「そうであること」を許してくれた両親はかけがえのない存在だった。

 だから──隠羊(インヤン)という隠喩の為された少女、祆蘭に対して、心からの感謝の反面、両親に近付くことは避けてほしい、という思いがあったのは事実なのだ。そう考えてしまっている己が情けなくとも、事実は事実。

 隠羊。「表面上は穏やかであり善人であるようだが、内に秘めたるものがなんであるかはわからない」。

 散々助けられておいての輝霊院が出した、祆蘭への最終結論。そう見ることを良しとしない者も多数いたが、功績込みで、この隠喩が使われることとなった。その秘したるものが悪意であるかどうかはわからないからだ。ただ、何かを隠しているのは事実だと……それは、満場一致で。

 

 ただし彼女は青清君のお気に入り。青宮城に監視を出すわけにもいかず……ゆえにこそ、青宮廷へと降りてきたのならば、最大限の監視をつける。

 人数と質、どちらもが必要と……院長はそう判断を下した。

 

 つまり、朝烏が彼女ら一行を尾行していた理由は最愛の妹夜雀のためではなく──祆蘭の監視にあったというわけである。

 

 もう一度。

 気に入っているか気に入っていないかで言えば、やはり難しい。朝烏から祆蘭への評価はこれに尽きる。

 妹を取られそうだから、なんて話ではない。身も蓋もないことを言うのなら、夜雀には昔から恋人が何人もいた。それらにいちいち目くじらを立てているようでは日常生活を送ることもままならない。だから、彼女の……夜雀の気持ちが祆蘭へ向いている、ということは、実はどうでもいいことなのだ。

 問題は、その所業。

 輝霊院のお株を奪う、なんてのは輝霊院(こちら)の練度不足だから良いにしても、明らかに彼女が来てからおかしな事件が起きすぎている。

 彼女が何かをしているのは間違いないと誰もが言うし。彼女が来たから世界が動き出した、なんて世迷言を言う者まで出る始末。

 

 ……その理由の根拠の一つとして、「彼女の現れていない場所では通常通りのことしか起きない」というのも挙げられている。

 事件は起きる。諍い、争い。言い争いから謀り事まで様々。青宮廷では少ないものの、青州全域で見れば殺人事件や幽鬼・鬼による被害も出るところには出ている。

 けれど、「複雑ではない」。

 例の黒い輝術が使われている、だとか。

 壁に死体が埋まっている、だとか。

 不浄によって認識が混乱する、だとか。

 

 そういう「異常事態」には、決まって祆蘭が近くにいるのだ。

 

 無論調べて行けば、彼女が原因と何ら関係ないことはわかるけれど──それでも。

 偶然と偶然を無闇に線で繋げてしまうのが、人間というものである。どれほど関係のない事象に見えても、重なれば重なるほどに怪しんでしまう。

 だから彼女は監視対象となった。「隠羊」などという……本来は推定危険人物への調査などに使われる符牒までつけられて、だ。

 

 ──副院長、子供達の再捕捉できました! 上空四百米!

 ──精査が定期的に引き千切られます! 恐らく遮光鉱です!

 

 情報伝達にかかる速度は刹那。入ってくるもの全てを処理しきって、彼女は指示を飛ばしていく。

 

 ──まだ上昇を続けているか!?

 ──はい! 未だ高度は上がり続けています!

 ──"ソレ"はあくまで飛び続けるモンじゃねぇ、いつかは必ず落ちるそうだ! だが……州境を越えられると面倒臭ぇ、兆候が見えたら壁を張れ! いいか、絶対に──。

 ──子供達は守ります!

 ──ああ!

 

 もちろん何の冗談だとは思った。

 新開発の五重偽装を見破られたこともそうだが、その後に彼女の護衛から来た、「さっきの子供達に監視をつけておいてほしい」という要請。理由のないそれは、断るには充分過ぎる「不確かさ」であったけれど、護衛と祆蘭がその直前に発した言葉が朝烏に緊張を齎したと言える。

 聞き取ることができなかった。

 彼女は腐っても輝霊院副院長。知識量も輝術についての造詣も、独自に調査している黒い輝術への理解も深まっている。

 だから、知っているのだ。

 

 己らが「それ以外の言葉を知らない」という事実を。

 

 衝撃だった。祆蘭はまだいい。「隠羊」が今更何を隠していたところで驚きはしない。

 ただそれを、護衛と共有できているという事実が。

 そして……恐らく秘さなければならないそれを、これほどの人数の前で晒してまで「子供達に監視を付けてほしい」などと言ってきた事実。

 

 動くに充分すぎる状況証拠だ。

 

 だから、「隠羊」に回していた監視人員を馴染みの子供達の監視へと回し──そのすぐ後に、あの二人が誘拐された、という報告が入ってきた時には頭を抱えたものである。

 またも後手。事前に知らされていたにもかかわらず、だ。

 

 ──目視した! 輝術師は!?

 ──それが、見当たりませんで! 恐れながら……あの子たちは、自分たちの輝術で飛んでいる、としか……。

 

 誘拐ではなく脱走、あるいは家出だというのか。

 それとも。

 

 ──追加情報。止まれなくなっている可能性は高い。"竹蜻蛉(ヂュチンリン)"は最初こそ力が必要になるけれど、後は自動で飛ぶ。……焚き付けた者がこちらの近くにいるかもしれない。警戒をしておく。

 ──他、注意するべきはなんだ!

 ──まだ見つけることができているわけではないけれど、自身で止まることができない、というのは明確であるはず。

 ──良い情報だ! 何かわかったらどんどん繋げてくれ!

 ──承知。

 

 夜雀の友人でもある要人護衛との伝達。

 どのようにして情報を得ているのか定かではない内容ではあるものの、事実がそうなっているのだからそう対応するしかない。

 

 焚き付けられた可能性。だとするのならば、あの二人は暴走状態にある可能性がある。

 

 ──輝術の力量は生まれてから死ぬまでに変わることがない。

 だから、子供であっても大人並みの力量を持っていることなどいくらでもある。そしてだからこそ、こうして……暴走してしまうこともまた、なのだ。

 輝術は術者の思いのままに発動する。考えるままに、想像するままに、だ。それら扱いを教えるのは親の役目であるが……時折生まれてしまう事故の一つがこれ。

 つまり、親より子の方が力量が高い、という場合に起こりやすい、「親の想定範囲外の輝術行使」である。

 

 ここまでしかできないから、ここまで強い思いをぶつけて良い、とするような教育だと、親の想定以上の結果を出してしまい得る子供が出てくる。やってみたらできてしまった……なんてことが罷り通るのだ。

 そして、そうなった場合の制御方法を子供は知らない。教えられていないのだから当然に。

 ……「だから全貴族は学び舎に子供を入れろってんだよ」と内なる声の出そうになった彼女も、結局は(かぶり)を振るう。なんせ朝烏ら三姉妹とてほとんど同じ境遇で、輝霊院には通っていないのだから。

 下位貴族にとって、輝霊院の学び舎に入る、なんて話は……金銭的な面で難しい部分が大きい。とはいえ州に補助を頼む、なんてわけにもいかず。

 

 ──副院長! 上限情報は……。

 ──馬鹿野郎、ガキに上限情報は毒だ! 間違っても使うんじゃねえ!

 

 上限情報。輝術師が輝術師を無力化するための最も基本的な手段ではあるが、当然脳への負担が大きい。

 大人からの上限情報は子供の脳には負担が大きすぎる。加えて、輝術師が無意識に使う「上限情報」に含まれる情報の中には、大人が知っていて当然の、けれど子供が知るべきではない情報が含まれていることもあるから──やはり使うべきではないのだ。

 だけど、それ以外の手段というと……あの竜巻を相殺するような輝術の行使も……正直、迷われる。

 輝術の止め方にも様々があるけれど、未だ暴走中であるものを止めると、さらに大きな被害……子供達を傷つけかねない。

 まずは落ち着かせること。それが大事ではあるのだが──。

 

 ──遮光鉱が……伝達を阻んで。

 ──くそ、なんであの子たちの輝術は阻害されないんだ!

 ──うるせぇ、報告だけを伝達に入れろ。感情や文句は口に出せ。

 

 けれど確かにそれはおかしなこと。

 位置捕捉や情報伝達が遮光鉱によって阻まれるというのに、あの子供達の使う輝術は何ら阻害されていない。

 

 あれを攻略する鍵はそこにある……が。

 

「州境が近ぇな」

 

 州を跨ぐと面倒になる。

 問題になるし、預かりが輝霊院の立場では難しくなる。

 だからなんとしても、なんとしてでも止めなければならないのだが──。

 

 ──追加情報。上か下、らしい。

 ──意味は。

 ──見立てられているのが羽根ならば下。軸ならば上。

 ──わかんねぇよ! ああけど!

 

 要人護衛からの伝達では何もわからないけれど、どちらか、であるのならば。

 どちらも、をすればいい。それだけである。

 

 

 

 無事子供達を保護することに成功した朝烏を待っていたもの。それは。

 

「……なんで私が買い出しなんか……」

「私の監視役なのだろう? 適任だろうに」

「……はぁ。もういいけどよ」

 

 何やら、どこか吹っ切れたような表情の「隠羊」と、いつも以上に穏やかな表情の父親。そして料理を行う母と妹とその友人。

 託ったのは、「買ってきてほしいものがあるの」という言葉。

 なぜかついてきた「隠羊」……祆蘭と共に、お使い、である。

 

「輝霊院の院長は、どういう人なんだ?」

「唐突だな……。……あー、まぁ、政治に長けた、腹の出たおっさんだよ」

「素晴らしい忠誠心だな。輝術師としては?」

「青清君と進史がいなけりゃ、州君だ。そんくらいにゃ強い……が、当人に出世欲が無ぇのと、競争心ってモンが欠片も無ぇのがダメだな。上へ行く気がサラサラねぇんだよ」

「なのに院長なのか」

「前院長に押し付けられたそうだ」

 

 ほう、と相槌を打つ祆蘭。

 顔を伏せているというのにその顔が想像できるようで、見えていないだろうことを確信した上で嫌そうな顔をする朝烏。

 

「時に、今、先代青清君の情報を探っていてな。お前達の両親にも聞いたのだが、断られてしまった。何か知らないか?」

「あん? んだよ、断った、ってのは。……先代青清君についての情報を出し渋った、ってことか?」

「ああ。自分たちが話すべきではない、と言われてしまってな。だが、はいそうですか、と引き下がり得る話でもない。そこで、三姉妹の中で最も年長である朝烏様ならば、と思ったのだが……どうだ」

 

 どうだ、と言われても。

 彼女の記憶にある先代青清君は……。

 

「あー……あんまり、そうだな。あんまり宮廷に降りてこない州君だったよ。守り人としての実力は充分だが、上に立つ者じゃねえ、って感じで」

「覚えているのか」

「つったって私が五つか六つの頃の話だからな。子供が大人に抱く印象なんざそんなもんだろ」

「性別は覚えているか?」

「当然だろ。男だよ男。……顔は、まぁ、良かったんじゃねえのか。いけ好かねえとは思ったが」

 

 わざわざ朝烏に聞かずともわかることをなぜ、などとは思いながらも。

 買い出しへの雑談には丁度いい、というのは間違いない。加えて祆蘭が……「隠羊」の調べていることであるのなら。

 

「先代青清君は、存命か?」

「いや、死んだよ」

「死因は……痴情の縺れか?」

「んだよ知ってんじゃねえか。そうだよ、黄州の誰かと逢引きしてたかなんかで、その果てにその恋人に殺された。……ま、不祥事も良い所だからな。青宮城にいる頭の硬ぇ奴らは教えちゃくれねぇか」

 

 朝烏の言葉に、「ああ、だから彼女は襲われたのか」とか、「つまりあの時の幽鬼こそが……」とか、ぶつぶつと呟き始める祆蘭。

 その姿に──我慢の限界、というものが来るのは、当然の帰結ではあったかもしれない。

 

 展開する輝術は五重偽装。朝烏と祆蘭を囲うように張られたその結界は、周囲から彼女らの姿を消し去る。

 おかしな直感持ちでもない限り、見抜くことはできないだろう。

 

「単刀直入に聞く。てめェ、何企んでやがる」

「世界征服」

 

 咄嗟に退避をしそうになって、既のことで留まる朝烏。

 剣気を当てられたわけでも、威圧されたわけでもないのに……「敵」として、認めそうになった。

 

「冗談に聞こえねえ。どういう意味だ」

「いや何、帝になろう、と思っていてな。今はそのために必要な情報を集めている最中なんだ」

 

 偽装結界を張ったことを理解しているのか。

 祆蘭は伏せていた顔を、上げる。

 そこには……薄らと翡翠に揺らめく瞳が──無い。見えた気がしただけだ。

 

「青清君に、反旗を翻す、ってか」

「青州を帝のいる州にするだけだ。青清君には青清君でいてもらえばいいだろう」

「……普段は妄想として流す話だ。だが……洒落にならねぇな、てめェが言うと」

「私を大きく買ってくれているようだが、私はただの平民であることを忘れていないだろうな」

「ただの平民にあそこまで正確な(ヂャン)ができるかよ。……結果的にガキ共は助かったからよかったものの、まだあいつらを焚き付けたっつー下手人は見つかってねえ。……どうなんだ実際。その辺もアタリがついているから、私に同行したんじゃねえのか」

 

 笑う祆蘭。その顔を、素直に「邪悪だ」と感じてしまう。

 やはり友人関係を見直すべきだと夜雀に提案することを決意しつつ、言葉を待つ。

 

「今回はまぁ、『オッカム』であり『ハンロン』だっただけだ」

「……それは、祭唄と話してた言葉か」

「いや、少し違う。……そうだな。まず下手人は、あの子らの親だろう」

「は?」

 

 んなわけがねぇだろ、と咄嗟に反論しようとして、けれど止まる。

 当たるからだ。この小娘の当て推量は。

 

「きっかけは恐らく単純な言葉。"あなた達も頑張ってみたら?"というような類の言葉だろう。夜雀様に祭唄様、そして朝烏様が来たことで……特にお前が高度な輝術を見せたことで、あの子供達は自分たちもああなれるだろうか、と親に相談をした。親は軽い気持ちで頑張ってみると良い、と言った。そして子供達が頑張った結果が」

「暴走、か。……遮光鉱はどう説明する」

「お守りだったのではないか? あの二人の親とて、子を危険に晒したいわけではないだろう。その上で……輝術の力量が己らよりも上であることにうすうす気づいていた。だから、遮光鉱の欠片をお守りとして持たせていた。此度のような暴走が起きないように。けれど」

「子供達は、親の想定以上の力量の持ち主で……運悪く遮光鉱がお守り袋の中から出て来なかった、か」

 

 こじつけではあるのだろう。

 だが、筋の通る話でもあった。

 なんせ輝霊院総出で下手人を、輝術の痕跡を探したにもかかわらず、あの周辺にはそれらしいものがなく。

 そして……今にして思えば、子を返した時の二人の顔は、子がいなくなるかもしれなかった、という恐怖がありつつも、同時に「ここまでの大事にしてしまった」という恐怖の顔にも見て取れたから。

 

 情報を資料化し、今も調査にあたっている部下に送りつける朝烏。

 

 なおその間に、なにやら透明のような白いような板を使って、あの集合住宅の見取り図を描いてきた祆蘭には頷きを返しておいた。

 彼女の描いた通りの構造だったからだ。

 

「すぐに言えば終わった話だ。なんで今まで黙っていた」

「確証がなかったからだ」

「確証ォ?」

「今見せたもの……暫定的に(ヂャン)としてもいいが、これは予知をする力ではなく、これから(きた)る不幸を言い当てる力に近い。ただしその不幸の度合いはわからん。……子を殺してしまうことも、子に親の死を見せることとなる結果も、望ましくなかった。それだけだ」

「つまり私達が失敗するかもしれねぇと思っていたわけだ」

「あれから汚名は返上できたのか、輝霊院」

「……チッ」

 

 やはり、と。朝烏は……思う。

 祆蘭を院長に会わせるわけにはいかない、と。

 

 この二匹の狸は会うべきではないと。

 

 ──ええ、お二人が……白状してくださいました。どういたしますか、副院長。

 ──放っておけ。それと、ガキ共には、輝術の扱いについて、指導できるやつは軽く指導してやれ。

 ──はい!

 

「その伝達は、さては親が白状したか、そのあたりだな」

「……気持ち悪ぃ」

「ク、思考を良い当てられるのが、か? それとも今まさに己が言おうとした言葉を取られたからか?」

「どっちもだよ。……つか、だからこそ……現実味を帯びてくる」

 

 やはり完璧な読みだった。

 であれば、彼女の「帝になる」という夢もまた。

 

「その……お前の野望と、先代青清君のこと。なんか関係あんのか」

「ある。なんであれば、先代青清君についての記録を調べてみると良い。私と祭唄様はその結果を受け、こうして調べにきたのだから」

 

 ──おい、鉄切。今院にいるか?

 ──へぇ。いますよ。

 ──先代青清君についての記録はどれくらい残っている。ある分全部資料情報として寄越せ。

 ──またいきなり……はいはい、少し待ってくだせーねー。

 

 朝烏の記憶にある先代青清君は、彼女自身の感じた「いけ好かない」という感じこそあれど、特に目立った州君ではなかったように感じている。

 当代が異様に我儘である、というのも勿論あるが……どうにも印象に薄い。

 

 そこで、ようやくハッとなる朝烏。

 記憶に薄い。──それはあり得ない。なぜなら輝術師の「知識」というものは。

 

 ──おかしいですねぇ、先代の記録が……無ぇや。一文字たりとも。

 ──ンだと?

 ──俺に怒られても。……明らかに消した痕跡がある。これ、院長に報告した方がいいかもしれません。人為的な隠滅……確か先代って、不祥事での退任でしたよね。

 ──ああ。だが、輝霊院は本来行政とは切り離された院だ。況してや州君の不祥事は、確かに上のジジイ共にゃ悩みの種だろうが、記録を消すってのはあっちゃならねぇ。……なぁ鉄切、院長がこれを知らねぇ、ってのは……おかしな話、だとは思わねえか。

 ──院長が隠滅を、ってことですかい。

 ──あるいは指示を、だが。……ああいや、けどそりゃ私にも言えることか。……鉄切、私が院長に問い質す。てめェは何も気付かなかった体で記録庫を出ろ。

 ──了解です。

 

 情報伝達にかかる時間は刹那に等しい。

 それでも沈黙というものは生まれる。だというのに話しかけてこなかったあたり、やはり見透かされているのだと実感する。

 祆蘭。青清君のお気に入り。平民。隠羊。

 ひとたびその口が開けば、また頭を悩まされる話が飛んでくるに違いない。

 

「これは単純な疑問……質問なのだがな、朝烏様」

「……ああ」

「そう身構えなくていい。本当に知らないことを聞くだけだ。……この……あー、天染峰の人々は、基本的には己の生まれた州を離れないだろう? 無論例外は何人か見てきたが、基本はそうだ。それはなぜなんだ?」

「なぜ……って言われてもな」

 

 本当に素朴な疑問で肩透かしを食らいつつ、朝烏は考える。

 何か裏がないか、ではなく──「考えるに値するか」を。

 

 だって。

 

「まず、他州に行く機会がねぇから、行こうと思わねえ。行く意味がねえし、何より他州に行って……何かが変わるのか?」

「……ほう。朝烏様、三古厥、という言葉に聞き覚えは?」

「いや、知らねえな」

「そうか。……知らなくて、か。……あー、だが、そうだな。たとえば赤州には温泉があると聞く。行きたいとは思わないのか?」

「そりゃ自分で水を沸かして湯を浴むのと何が違ぇんだ」

「まー……効能とか、あと雰囲気かな」

「興味が無い。つーか温泉くらい赤州以外にもあるだろ。青州にだって、探せばあるんじゃねぇか?」

 

 水質を誇る……誇りたがる青州だ。

 どこぞの貴族街にはありそうなものである。

 

「ああだが、あれだな。自分から州を移動する例で、極端に多いモンが一つある」

「……罪人か」

「そうだ。罪びと、追われびと。州によって行政や輝霊院の管理ってもんが違う。だからその州で罪を犯せども、他州へ行ってしまえば、なんて考える奴も少なくはない。余程の凶悪犯なら輝絵情報を共有することもあるが、そうでもねぇなら基本は無視だからな」

「なるほど……司法があまり強い力を持っていない……悪を是正したいという心の欠如……?」

「凶悪犯、っつーのはさ、だいたいが人殺しだ。となると、ほとんどの場合で害ある幽鬼になった被害者がそいつを殺しちまうんだよ。ただ害ある幽鬼はそのあとも人々に害を齎し続けるから私達が討滅すんだけど、そういうわけで無視されがちだな」

 

 どれほど高位の輝術師であっても、まるまるひと月眠らない、なんて所業はできない。

 対して幽鬼は不眠で活動可能だ。つけいる隙などいくらでもある。

 

「害ある幽鬼に狙われている者を守ろう、という気は起きないのか」

「するべきだ、って考えはわかる。分け隔てなく守るべきだってな。そいつがどんな奴であれ、守るべきやつで。幽鬼がどんなことをされたのであれ、害ある幽鬼の時点で。そういう考えは勿論ある。あるがよ」

 

 結局のところ、輝霊院に勤める者の心にあるものは、家族を守るため、という部分が大きい。

 朝烏もそうだし、鉄切や周遠なんかもそうだ。

 だから──。

 

「勿体ねえだろ。悪ィ奴守って死ぬのはさ」

「……」

「もちろん対外的にはこんなこと言わねえよ。特に輝霊院の外部にはな。けど、私達だってヒトなんだわ。だから、()()()()()()()()()()()()()()

 

 当然であると、彼女は言う。

 それが当たり前であると。目の前の「隠羊」が珍しく目を見開いていることに、"都合よく"気付かずに。

 

「お前にとっての、最優先は?」

「当然家族だ。その中でもさらに優劣をつけんなら、夜雀、夕燕、んで両親で、私だな」

「夕燕がそんなに上にいるのか」

「あー……まぁ、普段の態度から仲が悪いよぉに見られるのは慣れっこだがよ、一応、大事な妹だよ。……夜雀もだが、どうにも自分の気に入った奴のために命まで尽くそうとする傾向がある。アイツの場合は雪妃に惚れこんでんだろ? どんな手段を用いても雪妃を守る。そのために己が傷ついても……なんて姿を見せられたら、姐としちゃ気が気じゃねえんだわ」

「……良い姐だな、お前は」

「そういうお前は、兄妹姉弟はいねぇのか」

 

 一瞬。本当に一瞬、土で作られた仮面のような顔を見せた後……また偽悪的に笑う祆蘭。

 

「いないよ。……私には、いなかった」

「そうか。欲しがったり、ってのはねぇのか」

「無いな。……巻き込んでしまうのは避けたい。出来得るのならば、可能な限り手の届かない場所にいてほしい」

「ん? いねーんだよな?」

「ああ、いない」

 

 それにしては、あまりにも具体的な話。

 加えて壊れ物を扱うような言葉には違和感を覚えるが──それ以上に。

 

「お前……ウチに来る時もそうだったけどよ、何怖がってんだ?」

「別に何も怖がってなど」

「いいや、怖がってんし、焦ってる。その上……羨望に近い目を私達に向けている。……家族関係は、あまりよくねえのか」

「どうだろうな。六年会っていない両親に対してどのような感情を抱けばいいのかはわからんが、悪いとは思っていないよ」

「だが、後悔はしている。……何をだ。お前みたいなガキがそこまで……何を背負う」

 

 また邪悪な笑みを浮かべる少女。楽しくて仕方がないという表情の彼女は、けれど。

 

「とっくの昔に割り切った話だ。……だが、違う道もあったのかもしれないと……お前達のような家族を見ると考えてしまう。それだけだ」

 

 風が吹く。青宮廷では珍しい突風の類。

 思わず腕で顔を覆うほどのその風は、瞬きの間にだけ幻想を見せる。

 

 少女ではなかった。朝烏の隣に立っていたのは……いいや、座っていたのは。

 ずぶ濡れで、血塗れで、ただ一本の短い棒のようなものを咥えた、髪の長い女性。年のころは三十そこらで、短い黒髪をも幻視する女性。

 笑みだけは同じだ。それだけは同じ。幼い少女と女性は、そこだけが。

 ただ、あまりにも儚げで。あまりにも……今にも命を落としてしまいそうなほどに、か細くて。

 

 いいや。幻覚だ。幻視しただけだ。

 隣にいるのは同じく邪悪な笑みを浮かべながらも、生命力に溢れた少女である。野心を持ち、いつでも偉そうで、いつでも皮肉げな少女。

 

「良い家族であれよ。今、そうであるのなら」

「……ああ」

 

 適切な相槌であったかどうか、朝烏には判断ができない。

 今幻視したものが……あまりにも哀愁にあったせいで。

 

 あれが誰だったのか。なぜ少女に彼女を見たのか。

 

「さて、買い出しを終わらせよう。待っている者がいるのだから」

「そう……だな。ああ、そうしないといけねえ。その後……私は仕事があるから、長居はできねぇが」

「追うのはありがたいが、下手を踏むなよ。お前が死なば、夜雀様が悲しむぞ」

「そこはお前も悲しんでおけよ」

 

 また見透かされている。

 

 鉄切から齎された情報。その真偽を確かめるのだ。

 あるいは、輝霊院副院長、という肩書きももうすぐ剥奪かもしれない、なんて考えながら。

 

 

「……そういやよ、夜雀が言ってた愛娘賞盟(アイニャンシャンモン)での印象払拭、ってのは何の話だ?」

「ああ、まぁ、夜雀様がそういう最低な同盟に参加していてな。私を罠に嵌めようとしたのだ。気になるのなら夜雀様か、青宮城勤めの篠倶(シァォジェ)という者へ尋ねてみるといい。お前の想像している以上に夜雀様は危険人物だぞ」

「どういう……まぁ聞いてみるがよ」

 

 その後。

 子細を聞いて、珍しく本気で最愛の妹を叱るなどした朝烏であった、とか。

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