女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第七十八話「猫」

 桃湯と共に編み笠を被り、黒州を回る。

 狐面は正体がバレやすすぎるので封印。というか割った。証拠品にもなりかねないから。

 

 さらに隣には。

 

「~♪」

 

 何が楽しいのかわからないけど、とても楽しそうな玻璃が……いつも通り浮いてついてきている。……目立たないための変装とはなんだったのか。

 

「……玻璃。お前、結局鬼と魂以外は何が見えるんだ?」

「いきなりですね。相変わらずですが。……ふむ。まぁ、強い強い輝術であれば見えますよ。余程強くないと見えませんが」

「他は真っ暗闇か」

「ええ。ああでも、こうして……」

 

 輝術で光を編み、鶴のようなものを掌に浮かべる玻璃。

 

「自分で作ったものは、ある程度見えます。ぼんやりしているのですが」

「……では今、どうやって人の行き交いを避けている?」

「風圧で」

 

 あー? あ、だから浮いているのかお前。

 ちょっとでもそれを感じ取るために? ……歩くのが面倒くさいから、じゃなかったんだな。

 

「私はその泉過(チュェングゥォ)という人を知らないので、何の力にもなれませんが……荒事ならお任せください! 州君でなくなった今、なんの責任もなく暴れることができます!」

「元気だな」

「ええ、若返った気分で」

 

 実際若返っているし。

 というかとんでもないことをサラっと言うな。州君じゃないとはいえ高位貴族だろう。責任はあるよ流石に。

 

「あと、お金の面もお任せください。平民街で豪遊しても欠片も痛くない程度のお金がありますから」

「……それはありがたくはあるな。泉過がどこにいるかわからん以上、茶屋なんかで聞き込みをするべきだろうし」

 

 何をするにもこの人口だ。城や宮廷の比じゃない量の人間がいる。水生? 比較対象にもならんよ。その辺の長屋の収容人数より少ないだろあそこの総人口。

 

「旗袍に呼応する気配は無し、か」

「ああ、どうなのでしょうね。一から作ったものしかダメ、とか?」

「わからん。私も解明できているわけではないし、何より由来が奴らである可能性も捨てきれんから、頼りたくもないような、けど実際助かっているから別口であるような」

 

 符合の呼応。事象の呼応の方はそのほとんどを赤積君らが潰しまわってくれたようなので今のところ起きていないけれど、符合の呼応に関しては別だ。私はずっとモノ作りを続けているわけだし。

 それが……どこで現れないとも限らない。たとえばその辺の店で──。

 

「く、食い逃げだ! 誰か、誰かあの娘を捕まえてくれ!」

「……」

「……ふふ。いま、あなたが目線を向けた瞬間に、でしたが……もしや?」

「やめろ、人を討厭鬼(タオイェングゥェイ)のように扱うのは」

「本物が隣にいるから、ですか?」

「え……あの、私のことをそう思っていたのですか……?」

「あらあら、片方を揶揄うと片方を傷つけてしまう……。これは困りましたね」

「初めから揶揄うな莫迦者」

 

 討厭鬼。まー、疫病神、みたいな意味だ。あいつには討厭鬼が宿っているからこういうことが起きる、とか、私は討厭鬼なのかもしれない、こんなにも不幸が起きるなんて、みたいな論調に使われる。だから多分吉兆占師(ジーシィオンヂャンシー)の時も結構な奴が討厭鬼扱いされたんじゃないかな。

 ちなみにそんなものは実在しないそうで。元々平民が言い出した言葉らしいしな。

 

「が、気になる。追いかけるか」

「捕まえるの? 目立つわよ」

「馬鹿言え。今更私がそんな正義寄りのことをするものかよ」

「つまり逃亡幇助ですか。いいですね、楽しくなってきました!」

 

 ……あんまり叫ばないでくれる?

 

 

 胡弓による逃亡先とは別方面からの物音、突然の砂埃や積み荷の崩れなどからその逃亡は悉くが成功し……見事追手から逃げ切った少女。

 膨れたとは言い切れないお腹を撫でて、もう少しだけ大人しくしていよう、と考えていた彼女の前に──ふわり、しゅたりと。

 

 二つが、降り立つ。

 驚きつつも背後に足を動かせば、ふわりと。明らかに輝術師の動きで降りてくる童女が一人。

 

「……終わった」

「気の早い奴だな。逃亡を助けてやったんだ、感謝されこそすれ、そこまで怖がられる所以はないように思うが」

「へぁ!?」

 

 少女の心境を考えつつ良い感じで降りたってみたのだけど、想像以上に怖がらせたらしい。

 すまんな。格好つけたがりしかいないんだここ。

 

 ……って。

 

明未(メイミィ)?」

「へ、ぇあ、私は明美(メイメイ)だけど……って、あ、なし! 今の無し! 本名言ったら捕まる……!」

 

 ……ほあー。

 明未! お前、州が違って何かが混ざると食い逃げ犯か! 割と納得だ!!

 

「ああ……水生にいた、見た目以上に打算的な子」

「ふふふ……私達は怖くないですよー」

「いやあんたが一番怖いっ! ……って、ごめんなさい貴族様、あんたなんて、いえ私、そう子供だから、えへへ、言葉遣いとかわからなくて、えへへ」

 

 なんかコントを始めた明美と玻璃。……をよそに、少し気になるものを発見する。

 それは地面に捨てられた柑橘類の皮。

 

「……椪柑、か」

「へ? あ、あ、ダメ! 違うダメじゃない! 落ちてただけ! 私関係ない!」

「果醤にしよう、という発想は無かったのか」

「なんで果醤? お腹に溜まらないじゃん……じゃなくて、私は食べてないってば!」

 

 そうか。

 まぁ、そうだよな。食い逃げをするくらいだ。金に困っているのなら、果醤にして甘味を、なんて考えないで普通に食べるか。

 

「それで、この子が何になるの? またいつもの直感?」

「ん、ああ。直感だ。明未……じゃない、明美であったことには驚きだが、一応な」

 

 各所へ角の立つことを言うけれど。

 作成者がやる以外でのリメイクやアレンジは、まぁ、盗作と取られてもおかしくない部分は有している。

 此度私がやった旗袍のリメイクアレンジが「そういう呼応」をしたのではないか、と考えているわけだ。

 

 ……もっともそれでどんな推理が進むのか、と言われると微妙なんだけど……。

 

「明美。私達は役人ではない。だが、お前を突き出すこともできる」

「ぅ……」

「が、私達は役人嫌いでな。特に私とこっちの大きいの……姐は大の役人嫌いだ。だから教えてほしい」

「何を……?」

「良い感じの隠れ処。もしくは役人の来ないような場所。あるいは」

 

 ──お前の、最も好ましい場所。

 

 

 と言って連れて来られたのは……廃村、だった。

 

「ここは?」

木張(ムーヂャン)。元、だけどね。私の生まれた村で、二年前に村長のお爺さんが死んじゃってから……どんどん老人が死んでいって、どうにもならなくなってなんにもなくなっちゃった場所」

 

 ああ。水生がやがて辿りそうな末路の村か。

 

「嘘に思うかもしれないけど、ここが私の一番……本当に大事な場所だよ。……だから、役人には言わないで。あの店主にも」

「しれっと追加発注が来たが、いいだろう。言わない。ああ、もうどこへでも行ってくれても構わないし、共にいてくれてもいいぞ。これでも腕利き二人だ。野盗や野良犬程度ならば刹那とかからん」

 

 言えば。

 

「……一緒にいると大変なことに巻き込まれそうな予感しかしないから、もう行く。じゃあね!」

「ふん、お前らしいな。そうそう、言い忘れていたが私の名前は」

「聞くと余計に大変な気がするから聞かない──!!」

 

 猛ダッシュ、である。

 流石の危機察知能力。流石、今生での親友だ。今度水生に帰ったら謂れの無い罪で椪柑果醤を強請ってやろう。

 

「……嵐のような子だったわね。あれがあなたの親友って、本当?」

「え、そうだったのですか? ならもう一度捕まえて、じっくり色々聞きませんか? 私は見えないので、桃湯、補助を」

「馬鹿言ってないで精査を頼む。私の直感が正しければ、あるはずだから」

「精査? ですか?」

 

 ああ。

 盗みというキーワードで呼応したのなら、その後も呼応するはずだ。

 つまり、桃湯が気に入った、というワードが。明美が気に入った場所なら……そこに。

 

 私の入れたアレンジが、眠っていてもおかしくはない。

 

「……地中に何かありますね。掘り出します」

「何がある? お前の見られるものか?」

「え? ……あ、そういえば。……見ることができます。どういうことでしょうか」

 

 当たりだ。

 

 玻璃の輝術によって、地中から現出するは──三つの人形。

 忍び駒と、子育て木馬(こそだてきんま)。そして鶺鴒吧者(ジーリンバァジェァ)

 

「これは……」

「世界が一変する前の世界。その緑州において私が作ったものだ。色々なことを考えて、まぁ"捨てるも何も自由にしろ"と緑麗城に置いてきたものなのだがな」

「ああ、だから見ることができた、と。……ふむ? となると……世界の位置が回転していることより……()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 そう。

 だから鍵はそこだと考えている。

 

「私の要人護衛も緑州にいた。進史様もな。それは配役である可能性もあるが、事象には足る理由がある。何事も適当ではないし、本人が適当だと思っていても無意識が働いていると私は考える。ゆえに意味があるんだ。要人護衛や進史様が緑州……元の位置で言う赤州にいたことも、世界が一つ回転していることも、お前が黄州ではなく黒州にいたことも」

「世界が回転している時、黄州だけ配役が変わらなかったら何か齟齬が出る、とかかしら」

「齟齬が出るから変わったか、何かのために変えたか、はわからん。……言っていて気付いたが、そうなると泉過は黄州にいる可能性がある、か? いや青州が黄州へ移動している可能性も」

 

 忍び駒と子育て木馬がここにあった以上、「私の作ったもの」は位置を変えられないのだと推測する。恐らく魂とかその辺が関係しているのだろう。

 あの時作った弓は私が持ち帰っているから……うん、やっぱり緑州に置いてきた工作物はこの三つで合っているはず。

 

「……赤州の方向。その地中……恐らく赤松城のある場所の直下に、凄まじい量の輝きが見えます。あれがあなたの工作物でしょうね」

「お前の部屋にあるはずの贈り物類は?」

「微かですが、はい。存在します。位置は変わっていないけれど、役割が変わっている。……そして私はなぜか動かされている。……私にも平民の血が混じっているから? それとも……陽弥(ヤンミィ)が何かをした、のでしょうか」

 

 息を呑むような感覚があった。

 呼吸をしていない桃湯から感じられるはずのないそれ。私は緊張などしないので、やはり桃湯から。

 

 そしてそれは。

 

「大丈夫ですよ。現帝陣営、でしたか。もうだいたい知っています。桃湯の結界程度、すり抜けられない私ではないので」

「……流石です」

 

 実は昨日、情報共有の際に言わなかったことがあったのだ。

 現帝陣営の話、まるまる。だから違和感を覚えられたのだろう。それで盗み聞きとは、鈴李もそうだが州君にはプライバシー侵害という概念を植え付ける必要がありそうだな。

 

「けれど……一つだけわかりましたね」

「……何がだ。私は今思考の真っただ中なのだが」

「分解して、再構成する。()()()()()それで終わる、のでしょう?」

「桃湯。お前の尊敬する奴、とんでもないことを言っていないか?」

「ええ、さすがに私も引いたわ」

「あら?」

 

 テセウスの舩なんてものじゃない。というか記憶はどうするんだ記憶は。

 伏らでもその辺ができないから再現性を模索中なんだぞ。

 

 ……若返ってからとんでもなくなったな、本当に。

 

「ふーむ。考えすぎでは?」

「……一応聞こう。何がだ」

「あなたです。あなたは考えれば考えるほど迷走し、真実を逃す天才。逆に直感だけを信じた場合、何を経由することもなく真実に辿り着ける天才でもあります。一度、全ての情報を捨てて、直感だけを信じてみてください。何が見えてきますか?」

 

 凄まじく怪しい占い師に当たったな、みたいな感覚に陥りながら、言われた通りにする。

 

「直感だけ……はぁ、推理素人とはいえ、思考を放棄するのは……」

「あなたにはできますよ。だって、この世界はようやく──」

 

 考えるべきことを全て捨てて。

 浮かんだ言葉を、理性を介すことなく口にする。

 

「ええ、そうです。あなた自身は原理を愛する者なのに……その身の道は、運命は、あまりにもかけ離れて──」

 

 夜に手を伸ばす彼女のように。

 強い意志を見せてくれた、彼女のように。

 

()()()

 

 それは本能から零れ落ちる言葉。

 原始的で野生的。あまりにも理性的でない言葉。

 

「なぜ私が振り回されている。なぜ私が動かされている。──立場が逆だろう」

 

 推理素人だと言っている。いつも言っている。

 私が考えたところで答えなんて出ない。頭がおかしいなんてその通りだ。仮説を立てて、何の検証もせずにぶっつけ本番をやるくらいの能しかない。

 

 だから……ああ、そうか。

 

 それでいいのか。

 

「桃湯。玻璃」

「……」

「ええ。ふふふ。そう怖がらなくても大丈夫ですよ、桃湯」

「ですが……この威圧は」

()()()()()

 

 命令する。

 頼むのではなく。願うのではなく。祈るのではなく。

 

 令を下す。

 

 して、それは伝播するのだ。黒州全土に、いいや、天染峰全土に。

 聞こえてくるは──地鳴り。

 どこまでも二番煎じで悪いな。濁戒がやったものとほとんど変わらん。

 

「……あなた、瞳の色が」

「おかしいか」

「え、ええ。翡翠色に染まって……」

 

 翡翠色。

 ……なればもう私も、か?

 

 ──いや、半覚醒状態のようなものだな。この"八千年前の組成"には居るべきモノがいない。つまり私……鬼子母神が。ゆえに、世界側が埋め合わせをするために。

 ──難しいことは良いから、好きにやれ、という意味だよ。どれほど媧の力を振り回したところで、君が鬼や幽鬼となることはないからね。

 

「おい、奥多徳(オグダァド)共。私は()()()と言ったのだぞ。集まり、()を行うことがお前達の仕事か?」

 

 違うだろう。

 もういいんだ。泉過を探して仲間に加える、なんて遠回りをする必要も、天染峰全土を植物で覆う、輝術からアプローチをする、なんてことも要らない。

 

「穢れを寄越せ。全てを覆い尽くすだけの穢れを」

 

 どろりと。ぐわりと。だらりと。

 オノマトペは様々に、集まって来た鬼達からとんでもない量の穢れが放出される。それはけれど私の威圧をすり抜け、私の周囲に集まってくる。

 これが私を侵すことはなく。

 私がこれを食らうこともない。

 

「祆蘭。仕方が無いのでその元結、とってあげます」

「……やはり、私を縛るものか、これは」

「ええ。勝手に"そう"ならないように付けた戒めでしたが……今のあなたには不要でしょう。それでは、戻った世界でまた。その時にもう一度付けてあげますので」

 

 言って。

 取れる。髪を結んでいた元結が。

 ふわりと浮かんで……黒州ではなく黄州の方へ飛んでいく玻璃。「答え合わせはその時にでも」なんて言って……自分が顔布をしているのも忘れてウィンクをしたような気配があり、もう若返ったというか性格が変わっているのではないかと思わせてくる。

 

 彼女が消えるのに合わせて、何かタガのようなものが外れる感覚があった。

 

 ──元結だと!? まさか、それをつけさせたのは()()()()()()か! くそ、なぜ気付かなかった……外していれば、あるいは簡単に……!

 ──ああ……彼女、とてもすごいね。媧が意識を取り戻す前に気付いていた、ということかな。彼女が神門と呼ばれる理由もわかるというものだね。

 

 誓願を食む。

 

 夢を見た。遠い夢だ。

  ──見遠夢(ジェンユェンモン)

 果てしなく広く、どこまでも続く悲しい夢。

  ──廣大無邊(グゥンダーウービィン)無限悲夢(ウーシィンベイモン)

 私は不都合の子。私は不都合の忌み子。

  ──吾乃不都合之子(ウーナイブードウヴェァヂーズー)吾乃不都合之忌子(ウーナイブードウヴェァヂージーズ)

 私は不都合を押し付けられて死した者。

  ──吾乃承受(ウーナイチォンショウ)不都合而死者(ブードウヴェァエァスーヂェァ)

 故に謳おう。故に並ぼう。

  ──故謳之(グーオウヂー)故列之(グーリィェヂー)

 私こそは未知を照らす者。道を照らす者。

  ──吾即未知之照者(ウージウェイヂーヂーヂャオヂェァ)道路之照者(ダオルーヂーヂャオヂェァ)

 通り過ぎた航路を照らす、ヘッドライトでありテールライトである者。

  ──吾照過航路(ウーヂャオグゥォハンルー)如前燈亦如後燈(ルーチェンドンイールーホウドン)

 

「我が名は"祆""蘭"!! 火を持つ者にして、天を示す者! 幽谷の狭間にて清逸を恣にする者!!」

 

 言葉が力を持つ。それはあるいは、言霊と呼ばれるもの。

 私の作る全てが世界と呼応するのならば。

 

 祆蘭というものは、最も呼応するべき作品だ。言葉も声も言動も。

 あらゆるものが──私に振り回されるべきだと理解しろ。

 

「し・た・が・え」

 

 溜まっていた穢れが、天へと昇る。

 どろどろと、まるでそこだけ墨で描かれているかのように。

 そうして天へと辿り着いた穢れは、けれど一定の高度を越えられない。ああ、けれど構わない。

 この閉じた世を、一瞬でも「奴ら」から覆い隠し得る濃度があればいい。

 

「……建木」

 

 誰が呟いた。

 ああ、そう見えるかもしれない。

 数多の……本当に数多の鬼から零れ出でる穢れは無数の根に。

 私を中心として天へと昇る穢れは幹に。

 そして多い尽くし行く穢れは枝葉に。

 

 まるで巨大な樹木か、昇水泉のようではないか。

 

「安心しろ。お前達の信念。──奴らにいい様に使われるくらいなら、私が使ってやる。ハハ、ハハハ! 無茶をしたなぁ! ああそうか、そういうことか!」

 

 理解する。いつでもそうだ。推理なんてできない。

 こういう境地に立って、ようやく理解するのが私だ。

 私は探偵じゃない。

 犯人なんだと、よくわかる。

 

「──異変に気付いたみたい。輝術師の集団が向かってきている」

「迎撃は?」

「誰に物を言っているのか、理解している?」

「誰に、かは知らん。お前達に言っているからな」

 

 鬨が上がる。

 ただそれだけで地を揺るがすほどの鬨が。

 

 覆え、覆え。どこまでも覆え。

 真っ黒に……世界を覆い尽くせ、穢れ。

 

 ──おい! 今だけは助言してやる! 以前使ったもの以外の穢れも持って来いと命令しろ! この量では足りん!

 

「ああ、なら地下の」

「言われると思って、持ってきているよ。ほら……使いな」

「ん、準備がいいな。……しかしいいのか? 桃湯は今輝術師の迎撃へ行っているわけだが」

「いいのさ。もう別れは済ませたし、もう一度会っちまうのは気持ちよくないだろ?」

 

 私の周囲には立ち昇る穢れがあるから、顔は見えない。

 でもわかる。わかるさ。

 

「理解は、しているのだよな」

「ああ。ここにいる鬼達全員が理解しているよ。──気にすんな! アタシらは、ちゃんと、やりたいことをやって死んだ! 信念を貫き通して死んだんだ! それを、そうさ、それを外から弄くられて、別の用途に使われるくらいなら──アンタに託すよ。なぁ、鬼子母神(グゥイズームーシェン)。新たなる"母"よ!」

 

 各州地下の、膨大な穢れ。

 接続により勢いを増した穢れの木は、凄まじい勢いで空を覆う。

 真昼間なのに、真っ暗に。

 

 遠く。遠くの方で、雲を割る巨剣が……植物に絡めとられているのが見える。

 他にも火球や刃やらが、壁のようなものに防がれているのも。

 

 ──あははっ! 今、伏から文句が届いたよ。「呆れ。我々の行いの意味。できるのなら初めからやれ」だそうだ。

 ──……お前がやれ、と返しておけ。祆蘭を責める話ではない。

 ──そこまでして守るのかい? いいけれど、君も数瞬前まで乗っ取る計画を立てていたよね?

 

 地響きがあった。

 鬨や足音の地鳴りとは違う地響き。

 音は、その音は。

 

「……まさか、乗り切ったのか!? ち、もっと早く、もっと早く覆え!」

「アタシらには何ができる。何が手伝える」

「赤積君でも沖林でもなんでも説得して、()()を遅らせろ! 奴ら、操作できなくなるくらいならリセットする気だ!」

「焦るのはわかるけど、アタシらに理解できる言葉を吐いておくれ。何をすればいいのかを──」

 

 轟音があった。

 爆発音だ。それは……黄州の方から。

 

 赫灼。暗くなってきた世界を照らし上げる炎の柱……は、固められている。

 近くにいるのは……あの童女は。

 

「あれだ! 各地であれが噴き上がる! どんな力を使ってもいいから、止めろ! 穢れが世界を覆い尽くすまで、世界の時を止めるんだ!」

「は! なるほど世界は、アタシと火力勝負をしようってわけだ! いいねぇ……あと幾許かで解ける命、最後の最後だ、盛大に使い散ってやろうじゃないさ!」

 

 時間との勝負だ。

 奴らの「リセット」がどれほどの強制力を持つのか、そして一度行われたらもう取り返しのつかないものなのか。

 そこについての知識はないけれど……いや、だからこそやり通さねばならない。

 

 たとえ全てが炎に包まれても。

 

 私は最後まで立ち続けなければならない。

 

 ──燧、伏と繋がっているのであれば、協力要請をしろ。願われねば動けぬというのなら願えばいい。私からの願いがダメなら、祆蘭からの、にしておけ。

 ──とか言っているけれど、それでいいのかい?

 

 伏が使い物になるのならなんでもいい。

 やってくれ。

 

 ──了解だ、お姫様。

 

 とりあえず天染峰の上空は覆い尽くせた。

 あとは光閉峰にまで届かせるだけ。問題は、どれほど遠いのかを私が知らないこと。

 

 ──任せろ。世界結界の広さは私が把握している。一瞬代われ。脳に知識を残して戻る。

 

 本当に一瞬だった。

 一瞬意識が途切れて、直後戻って……頭の中に、以前祭唄に見せてもらった地図よりも解像度の高い地図が浮かぶ。縮尺がわかりやすい。

 ……小さいな、天染峰。成程、海から見ても光閉峰が見えないわけだ。ここまで離れているとは。

 

 さらに速度を上げて広げていく。枝葉ではなく、重力が反転し、そこに墨汁を垂らしているかのような速度で。

 ただ……地響きの方もかなりのものだ。噴火のエネルギーは、果たして誰に止められるものなのか。今までのリセットを止められていなかったのは、止める気が無かったからなのか、それとも止められない規模だからなのか。

 さらに、さらに、さらに、だ。

 世界を覆い尽くすにはあまりにも。

 

 ……あまりに、も?

 

「なん……だ? 軽くなった……」

 

 周りを見渡せば。

 もう、どの鬼も……穢れを放出していない。

 

 ぞっとする。

 

「嘘だろう。まさか……足りないのか!? 元から、足りなくできているのか!?」

 

 あと少し、ではない。

 まだ結構足りない。その状態で全ての鬼の穢れも、地下の穢れも、全て使い尽くしたと?

 

「──ま、ですから。一応()()()()()()()として、同じ助言をしておきましょう」

 

 声はどこからだ。聞こえたからには近いはずだ。私の伝達は届かないのだから。

 

「お許しください、赤積君。これは蛮行でしょうね。あなたにとっては裏切りにも等しい。──とはいえ、私はあなたの付き人。あなたのためであれば、あなたにも敵対しますよ。彼女がそうであるように」

 

 何かが投げつけられる。どこからか、はわからないけれど……それは。

 

 気色の悪い、瘤二つ。

 

()()()()のです。未来……あるいは私ではない私が言う言葉をそっくりそのままどうぞ。全ての事象には足る理由があります。私達(彼ら)が裏切ったことにもまた。ですが、今ばかりは協力いたしましょう。ええ、ええ。知識が少しばかり欠けていますが──やってほしいことは、同じなので」

 

 赤州の妃の腹についていたそれは。

 だけど……孵化、しない。穢れは上空にある。

 

「その点、私に抜かりがあるとでも?」

 

 降り立つは二つ。

 女を姫抱きにした男。

 

「……結局姿を現すのか、沖林様」

「ええ、格好つけるのは私の性には合いませんので。──して、どうぞ()()()。あなたの言葉を」

 

 女性の方を見て、ああ、言葉が出なかった。

 瓜二つ、なんてものじゃなかったから。

 

 そうか。そうだった。

 桃湯が鬼となった経緯は特殊で、だから。

 

「……一つだけ、聞かせてほしいことがあるの」

 

 彼女の顔で。彼女の声で。彼女より……少しだけ、スレていない雰囲気で。

 

「なん、だ」

 

 かすれ声は果たして音になっているか。

 

「あなたは、目の前に幽鬼が出たら、どうするの?」

「……曖昧な質問だな。状況説明は……それだけか? 何か、それこそこのような危機的状況にあるとか、そういうことは」

「無い。ただあなたの前に幽鬼が現れて、ただただ立ち尽くしている。そんな場面に遭遇したら……あなたは、どうする?」

 

 そんな場面に遭遇したら。

 当然。なんの迷いもなく。

 

「とりあえず話を聞くだろうな。聞くと言っても声が聞こえるわけではないから、唇を読む。未練があるのならそれの解消を行うし、恨みがあるのなら、放逐するよ。私にはどうにもできない話だからな」

「害ある幽鬼になるかもしれないのに、見逃すの?」

「死んでまで祟られる悪事をしたやつが百悪いだろう。なぜ私がそんな悪人のために幽鬼の恨みを解かなければならん」

「その幽鬼が関係のない人を襲ったとしても?」

「無論だ。襲われた者には私を恨む摂理があろう。襲った幽鬼には何の迷いがあると問おう。本懐を見失う前に目的を遂げ、楽土へ行くか次を目指せと説くだろう。その諭しも通じなくなったのなら討滅もやむなしだ」

「恨まれることを、怖いとは思わないの?」

「くだらんと吐き捨てるだけだ。それも私の道理で摂理だから、関係ないとばかりに襲ってくるだろう。命数尽き果てるまで抵抗し、その末に命を奪われたとしたのなら、それもまた、だ。だが安心しろ。私は幽鬼にも鬼にもならんよ」

 

 信念など。未練など。

 私には。

 

「いいえ。あなたは……いつか、なる。けれどそれは、私達の知る幽鬼や鬼ではない。疲れるから、なんて理由はあなたを崩さない」

「……何が言いたい。……いや待て、なぜお前がそこまで鬼のことを知っている。今のお前は」

「沖林。……貴方の言う通りだ、使わせてもらう。……すまないな」

「いえ。すべてが我が主の不始末なれば」

 

 彼女の頭上に、丸い二重円のようなものが現れる。

 天使の輪にさえ見えるそれは──円錐形となって、彼女に"焦点"を当てた。

 

 沖林さんに向かって翳した手からは、明らかに攻撃的な意思の感じられるモノが放たれようとしている。

 いいや……もう放たれた後だ。だって、沖林さんの命はもう。

 

「待て──待て! お前は、誰だ! 桃湯ではないな!?」

「ああ、私は桃湯ではない。けれど……安心した。貴方の答えは、あの日から変わらない。貴方であれば……私達は、貴方を帝として立てることができる」

 

 変わっていく。姿が。剥がれ落ちていくように。

 桃湯から……男性のそれに。

 

「ただ……沖林。いいや、点展の言う通り、少しばかり早い。今回のように"足りない"ということが起きないように、もう少しだけ待ってほしい。できるかな、()()()()()()

 

 解き放たれるは爆発的な穢れ。

 それに触れた瘤二つから、蛇が孵る。その二つは迷いの一切を見せずに天へと昇っていき──。

 

 直後、世界が閉じた。

 真っ暗闇に。

 

「本当の呼応は、"創り変える"という方だよ。──久方振りに母の元気な姿を見ることができた。いいや、初めてになるのかな、この場合は。……ああ、この開示は、その礼だと思って欲しい」

 

 闇に消えていく声。

 

 ……聞きたいことはたくさんある。問い質したいことはこれでもかというほどにある。

 けれど、今はこちらが先だ。

 

「穢れよ。全ての穢れよ」

 

 奴らの目の届かぬ場所で。

 奴らの声の届かぬ場所で。

 "次点の絶対決定権"を持つ私からの、命令を告げる。

 

「再認識しろ。基準は私だ。──桃湯ではない」

 

 ここに()を敷く。

 神よ穢れよ、我が意のままに──。

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